ゾンビになったけれど、私は元気です   作:トクサン

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人殺し

 

「お姉ちゃんッ!」

 

 小苗の叫び声に思わず足を止めた。

 

 振り向いた私の視界に飛び込んで来たのは姉へと忍び寄るゾンビの影。丁度私の方向とは真逆、陳列棚の間から体を出した彼女の真後ろ。

 段ボールの中に埋まっていたゾンビが彼女の背中、その衣服を掴んだ。

 

「ッ、やっ、何で!?」

 

 荷崩れした際に巻き込まれていたのか、周囲にゾンビの苗床が無いから油断していた。完全に私以外を警戒していなかった彼女は背後からゾンビに組みつかれる、妹は足元に散らばっていた陳列棚のパイプを持ち、ゾンビに向かって投げつけた。けれどその程度の攻撃で離れるゾンビではない。連中は痛覚も無ければ慈悲もない。

 

「はなッ、離れろ……!」

「お姉ちゃんから離れて、離れてッ!」

 

 組みつかれた姉は必死にゾンビの顔を押し退け体を離そうとする。しかしゾンビの握力は脅威の一言、人間としての枷を外した連中は自分の皮膚を貫く力で手を握り締める。故に彼女の衣服がミシミシと音を立てるだけで離れる様子はない。

 

 くぁっと、ゾンビが口を開けた。

 

 噛まれれば感染は必至、それは私が良く知っている。彼女もそれを知っているのだろう、唾液の絡みついたソレを見て肩を強張らせ、喉の奥から引き攣った声を出した。

 妹は悲鳴を上げながら必死でゾンビを殴り付ける。そうして彼女の首筋に犬歯が突き刺さる――寸前。

 

 

 ゾンビの横っ面を私の剛腕が全力でぶち抜いた。

 

 

 全力も全力、ゾンビになってから凡そ本気で振るった事も無かった剛腕。人間の頃であればへなちょこの右ストレートだった筈のソレは、恐ろしい程のスピードと迫力で以てゾンビの顔面を粉砕した。

 

 比喩ではない、文字通り粉砕したのである。

 

 鉄球の様な拳はゾンビの頭蓋を砕き、そのまま後方へと吹き飛ばす。凡そ人間では成し得ない威力、純粋な腕力と強度が織りなすパンチは人知を超えた破壊力を誇った。頭部を失った肉体が枯れ葉のように宙を舞いタイルの床を滑っていく。

 

 嵐が突き抜けたかのような風に姉の髪が靡き、妹は目を見開いて私を見ていた。

 

 思わずやってしまった、彼女達の危機だと思った瞬間体が全力で動いてしまった。タイルを蹴り砕いての接近、そこから全力で振り抜いた右ストレート。この腕ならば容易く殺せると思っていたゾンビだが、本当にその通りだった。

 

 姉は突然の事にぺたんと座り込み、開けた服をそのままに私を背中越しに見上げる。私を彼女を見下ろしながら自分の拳にこびり付いた血の感触を想った。

 

 爽快感は無かった、救ったという達成感も、ヒーローの様な歓喜も。

 ただ『この手で人を殺した』という事実だけがぬるりと私の拳に絡みついた。

 

 私は突き出していた拳をゆっくりと下げると、彼女達に背を向けていそいそと落とした籠を拾った。それから苗床と化しても問題無いように死体を引き摺ってスーパーマーケットから遠くの方へとぶん投げる。どこでも良かった、此処で発芽しなければ何処でも良い。

 

 それから私は自分の背に突き刺さる視線に気付かぬ振りをしながら家に向かって走り出した。背後から待って欲しいと声が聞こえた様な気がしたが無視した。

 

 話せるチャンスだった、触れあえるチャンスだった、それを私は自らの意思で無駄にしたのだ。

 けれど言い訳させて欲しい、その時の私は他ならぬ己の手で【人を殺した】という事実に打ちのめされていたのだ。手には頭蓋を砕き脳髄をぶちまけた感触が残っていた、強すぎる力は私に相応の苦悩を齎したのだ。正当防衛? 相手はゾンビだった? その通りだろう、けれど銃で引き金を絞って撃ち殺したとは訳が違うのだ。無論、車で轢き殺すのとも違う。

 

 他ならぬこの手で、直接、私が、殴り殺したのだ。

 

 不快感が勝った、自分の生存する理由よりこの血に染まった右腕を少しでも早く洗いたかった。その日私は初めてあの姉妹と接点を持った、そして――ある意味初めて、私はこの手で人を殺した。

 

 

 ☆

 

 

 時間は最高の薬と言ったのは誰だっただろうか、失恋も仕事の悩みも失敗も、全ては時間が癒してくれる。それは真理だ、事実三日程家に引きこもってスナックを齧っていればへばり付いた血の感触も、人を殺したという感慨も徐々に薄れていく。人は慣れる生き物なのだ、私はソレを実に軽薄だと感じながら有難く思った。殺人に罪悪感を覚えたくない、そうでなければ生き残れない世の中だったから。

 

 私が最後のスナックを食べ終えると、ここ数日ですっかり辛気臭くなった部屋の換気を行う。電気があって助かった。

 

「……調達、行こうか」

 

 幸い今日は晴れだ、私はゾンビ形態に体を切り替えると少しだけ重い足取りでスーパーマーケットに向かった。気分は重くとも食料と水は重要、これが無ければ私は自分を人間だと定義する事が難しくなる。

 そうしてやって来たスーパーマーケット、あの日放り出した死体は既に苗床となっているだろう。幸い店内で発芽の様子は見られない、こびり付いた血はカピカピに乾いていた。

 

「あっ」

 

 入り口からのっそりと入り込めば其処には食品棚を漁る姉妹の姿。私の姿を見るや否や二人が声を上げる。私は彼女達の方に顔を向け、どういう態度で接するべきかと悩み――暫く立ち尽くした後、いつも通り食品棚を漁る事にした。

 

 救ってやった、助けてやったなどと恩着せがましく纏わりつく気はない。所詮彼女達からすれば同族同士の争いだろう、だから感謝が欲しいわけではない。けれど少しでも彼女達の持つ私への印象が好転すれば儲けものだ。そうすればこの手で人を殴り殺した事も無駄にはならない。

 そんな事を思いながら籠を取り出し、奥の方を漁りながら食える物を籠に放り込む。今日は私の方が彼女達の方を見られなかった。そうこうしていると――。

 

「あの」 

 

 いつの間にか姉の方が私の傍に近寄っていた。手には一つの缶詰を持って、その表情は御世辞にも優れているとは言えない。少しだけ血の気の引いた顔、それはそうだろう、つい数日前に頭蓋を粉砕する拳を目前で見たのだから。それを起こした張本人、それが私だ。

 

 そんな怪物と対峙して、あまつさえ彼女は声を掛けて来た。そして缶詰をそっと私の籠の中に入れ一言。

 

「……この前の、お礼です」

「―――」

 

 私は暫くの間我を忘れた、呆然と彼女を見つめる事しか出来なかった。まさか感謝の念を送られ、ましてや貴重な食料を渡される等とは夢にも思わなかった。

 

 だから私は自意識を取り戻すや否や籠の中に入っていた缶詰をむんずと摘まみ、少女の手に押し付ける。私は何度も首を横に振って拒絶の意を示した。

 

 駄目だ、この食料を受け取る訳にはいかない。

 

 私と彼女達では根本的に違うのだ、私は最悪飲まず食わずでも生きていける。この食料と飲料は全て【娯楽】の域なのだ。私が人間であると実感する為の娯楽、生死には関係ない、けれど彼女達の場合は飲まねば死ぬし、食わねば死ぬ。

 この缶詰一個の重さは私と彼女達では違う、私は無くても良い、けれど彼女達は無ければ【死ぬ】。そう考えたらすぐに体が動いた。

 

「え、あッ、ちょ、も、貰って下さいよ!」

「―――!」

 

 尚も缶詰を押し付けてくる姉に私は指先一本で缶詰を押し返し、そのまま他の腕を使って籠の中にあった食料を彼女のリュックサックに詰め込み始めた。何なら全部くれてやる、一杯食べて育つが良い。

 

「あッ、ずるいッ!」

 

 多腕で圧倒する私に非難の声を上げた彼女はしかし、成す術なくリュックサックをパンパンにさせた。籠の中の半分程を彼女に分け与えた私は満足し何度も頷く、彼女はそんな私をどこか怒った表情で見上げると、「貴方の分、無くなっちゃうじゃないですか!」と怒鳴った。

 

 彼女達は私にも食事が必要だと思っている様だ、それは生物としてごく当たり前の思考だろう。私は多腕の一つで自分の口元を指差す、彼女が「あ」と声を上げて目を見開いた。生物状態の私には口が無い、だから声を発する事も出来なければ飯も食えない、水も飲めない。

 

 その事に気付いた彼女は渋々と缶詰を引っ込め、「じゃあ、何でこんな事……」と蚊の鳴く様な声で呟く。私は気持ちだけ貰っておくと言わんばかりに手を振り、そのまま踵を返した。

 

 私は満足だった、大満足だった。

 なにせ一ヵ月、いや二ヵ月ぶりに人とコミュニケーションを取れたのだから。人と触れ合ったのは随分久しぶりな気がした。会話が出来なかったのは残念だったが彼女達と接点を持てたのは大きい。これは私にとって大きな一歩だった。

 

 そんな自分の幸せを噛み締める私の背に、「待って!」と声がかかる。そして何の躊躇いも無く私の腕を掴むと、姉は下から私を見上げた。

 

「その様子、私の言葉、分かるんですよね?」

「―――」

 

 まさか躊躇いも無くこの腕を掴むとは。彼女にとってはゾンビと大して違いあるまい、だというのに彼女は確りと素手で私の腕を掴んでいた。その事に驚きを覚えながらも私は頷く、意思の疎通は可能だと知って貰いたかった。

 

「やっぱり――! 小苗、大丈夫、この【人】は大丈夫だよ!」

「う、うん!」

 

 姉は私の頷きを確認すると目を輝かせ、背後で落ち着きなく姉の動向を見守っていた妹の名を呼んだ。呼ばれた少女は頷きながら駆け寄って下から私を見上げる。そして姉と同じように私の逆の腕を取ると、ふにふにと何度も弱く握って感触を確かめた。久々に触れた人間の手は暖かくて――柔らかった。

 

「うわぁ、やっぱり大きいねぇ」

「凄い筋張っているから硬いと思っていたけれど、意外と弾性あるのね」

「―――!」

 

 ぺたぺたぺたぺた。

 私の大きな腕をひたすら手で触る二人。いや、流石にそれはどうかと思う。皮膚同士での感染は限りなくゼロに近いが、何かの拍子で感染しないとも限らないのだから。彼女達の事を考えればその手を振り解くのが正解なのだろうが、如何せん私にとって二ヵ月ぶりともなる肌の感触は酷く離し難い魅力だった。暫くそうやって好きに弄られ沈黙を貫いていた私、満足したのか二人は一通り私の腕を摘まんで楽しむと一歩離れて距離を取った。

 そして姉が再び私を見上げて言う。

 

「えっと、少し聞きたい事があるんですけど」

「―――」

「私達の事を襲うつもりはありますか?」

 

 私は緩やかに首を横に振った、二人を襲うなんてとんでもない。ゾンビならば兎も角人間を襲うつもりは毛頭なかった。その返答を見た彼女達はホッと胸を撫で下ろし、それから彼女は更に言葉を重ねる。

 

「なら人間は、人間を襲うつもりは?」

 

 私は再度首を横に振った。彼女達も人間も同じだ、私に戦う意志はない。

 

「良かった――じゃあ少し、お願いがあるんです」

 

 彼女は真剣な表情でそう言った。私はその瞳の中に暗い覚悟の色を見つけた。膝を屈めた私は三つ目で彼女を注視する。流石に三つの眼球で真っ直ぐ見られるのは恐ろしさが勝ったのか、少しだけたじろいだ彼女はさっと視線を横に逸らす。彼女の様子に私は慌てて額に埋め込まれていた眼球の一つ、その瞼を下ろした。

 こうすれば二つである、恐ろしくは無いだろう。

 

「……器用ですね」

 

 私の気遣いを悟ったのかクスリと微笑んだ彼女はそう言う。単なる下心だ、彼女達に嫌われたくないという。

 

「あの、私達のキャンプに来て貰えませんか? それで――私達を、その、助けて下さい」

 

 彼女は何度か口をまごつかせると、大きく息を吸い込んでそう言い切った。私はその言葉に首を傾げる。それは一体どういう事だろう。私には意図が計りかねた、正直何を望んでいるのか分からない。

 

「貴方はゾンビに襲われないんですよね……? それに凄く強い、もし人間の意識が残っているのなら助けて欲しいんです」

「―――」

 

 彼女の言わんとする事が漸く理解出来た。私を見上げる姉の目、それは焦燥感に駆られている。確かに私はゾンビに襲われない、だから連中を気にする事無く物資を集める事が出来る。そして腕っ節も先の通り、万が一彼女達に何かあった場合も守ることができる。更に言葉を理解する知性持つ怪物、これ程便利な存在はないだろう。

 少し意地の悪い言い方をすれば――彼女達は私を利用しようとしているのだ。

 

 私としては彼女達を守るのは吝かではない、何よりこんな幼い少女達である。守らなければならないという保護欲もあるし、この惨状の片棒を担いだのが己だという自覚もある。だからこそ頷く事は簡単だった。

 簡単だったが――私の理性が囁くのだ。

 

 こんな化け物を他の人間が受け入れる筈が無い。

 

「――あ」

 

 私は静かに首を横に振った。途端、悲しそうに顔を歪ませる少女。その顔を見て胸が痛んだが仕方のない事。少女達だけならば良かった、私も二人を食わせていくだけの物資調達だけならば容易だろう。ある程度の障害であれば排除しよう、積極的にゾンビを殺したいとは思わないが……既に死んだ人間と今を生きる人間の価値がどれほどのものか己が一番良く知っている。

 

 けれどキャンプに住む他の生存者はどうだ?

 

 きっと私を受け入れない、受け入れる筈が無い。そんな確信が私の胸の中に在る。

 見た目だけでこんな厳ついのだ、普通のゾンビじゃない、それに幾ら理性があるかってそれをどうやって信じて貰えば良いと言うのか。この二人だって初めて私を見た時は恐慌状態に陥った。こんな疑心暗鬼の世界で人の善性を信じて進むには――余りにも危険な選択肢に思えた。

 

 履き違えてはいけない。

 

 私は確かに人と触れ合いたい、会話したい、接点を持ちたい。それが私の今生で定めた【生存理由】。けれど生存理由とは『生存』しなければ意味が無いのだ。生きていなければ理由もクソも無い。

 

 私は一度死んでいる、そして二度死ぬ気はない。一度死んだからこそ二度目は無いと確固たる意志を持って動いている。こんな体だ、早々死ぬような事はないだろう。けれど生物である以上明確な死は存在する。究極的なタフネスを持つ生物は居ても不死は存在しない、それにはきっと私も含まれる。

 正当防衛などという言葉で本当の人を殺したくはなかった。

 

「そ、そっか……ごめんなさい、突然」

 

 私の拒絶を見た彼女は一歩後退し、そのまま俯いて唇を噛む。私のこの体に口が付いていればちゃんとした理由を話して納得して貰えただろう。けれど頑丈なばかりのゾンビ体ではそれも叶わない。

 

 代わりに私は彼女の頭を巨大な手で一撫でし、そのまま少しの食料と水の入った籠を持ってレジの方に進んだ。その背に突き刺さる視線を手繰り寄せ、くいくいっと手で招くジェスチャー。姉と妹の二人は目を見合わせ、恐る恐る私の背に続く。姉は零れそうになった涙を無理矢理呑み込み、妹である小苗の手を握った。

 

 彼女のキャンプに行くことは出来ない、他の人間はきっと私を受け入れないだろうから。

 けれど逆に――私の家に招く位ならば良いだろう。何かあった時の避難所として、彼女達二人くらいならば守る事は出来る。なにせ電気も水もあるのだ、そこに定期的に食料さえ収集出来ればシェルター代わりにはなるから。

 

 

 





 やはりタイトルか、タイトルなのか。
 ランキングありがとうございます、皆さんヤンデレ好きですねぇ……。
 遅くなってすみませぬ、続きは今から書きます。
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