ゾンビになったけれど、私は元気です   作:トクサン

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人に焦がれ続けた、厄災の獣

 夢はいつか醒めるもの。そして夢の目覚めとは唐突で、残酷で、いつも途切れ途切れ。

 私の幸福な夢も長くは続かなかった。

 

 この世界で目覚めて三ヵ月、宝物を得てから凡そ二週間。徐々に物資の充実してきたコミュニティ、少しだけ健康な体つきになった様な気がする小苗と美香。

 

 そんな彼女達を見ていると私の判断は間違っていなかったのだと嬉しくなる。彼女達と一緒に街へと繰り出し、すっかり慣れた抱え方であちこち回る。相変わらずゾンビは多いし危険はある、けれど彼女達はもうこの街を恐れない。私がいるから安心する、そして私もまた彼女達の安全を保障する。私の心は微塵も揺らがない、人と共に在る限り。

 

 洗濯したばかりのジョンTシャツを身に着け街を練り歩く私達は駅コミュニティ一の調達班。一目私と逢ってみたい、逢ってお礼を言いたいという人も居たけれど私は固辞し続けた。この恐怖心を飼い慣らすにはまだ時間が掛かる。

 

 彼女も無理に私をコミュニティの人々と逢わせようとしなかった。この外見の恐ろしさは彼女達も良く知っている。小苗と美香は「仕方ないよね」と寂しそうな顔で言った。二人は私の存在をコミュニティの人々に知って欲しいと願ったが、傷付いて欲しいとは微塵も思っていなかった。有難い事だ、二人はこの一ヵ月で随分と私の人間性を理解してくれたように思う。

 このデカイ図体に反して私の心は酷く臆病で、小心者だった。

 

 日々は過ぎる。

 

 徐々に移り変わる季節、春から夏へ――例え世界が変わっても時間の流れは変わらない。太陽がさんさんと輝き熱が支配する季節、空調も碌に使えないこの時代では脅威となる季節の一つ。冬よりはマシだろう、けれどマシなだけで厳しい事は厳しい。水の調達も増えるし何より涼む手段が必要となる。そんな来る夏という季節に想いを馳せている時――夢の終わりは唐突に訪れた。

 

 始まりは一人の人間の訪問だった。

 

 私が人間形態でベッドに座りただ何をする訳でも無くぼうっとしていた時。

 だぼっとしたジョンTシャツを指先で弄って時間を潰していると、ガンガンガン! と私の家の扉を殴り付ける様な音が室内に響いた。

 

 そんな事は初めてだった、もしやゾンビが来たのかと人間形態からゾンビ形態に切り替え、のぞき穴から外を見る。すると血を流した中肉中背の男が必死の形相で私の家の扉を叩いていた。見覚えのない男だ、あの二人を除くとマトモな人間を見るのは酷く久しぶりな気がした。

 

「ジョンさん! ジョンさん!」

 

 彼は私の名を叫んでいた、コミュニティの人間だ! 私は直ぐ理解した。

 場所は恐らく美香と小苗に聞いていたのだろう、私は直ぐに鍵を開けてやろうとしたが寸前で動きが止まった。あの二人以外にこの恐ろしい姿を見せたくなかった、コミュニティの人間なら尚更だ。脳裏に怯えた二人の少女の姿が掠める。

 

 なら人間の姿で対峙するべき? けれど彼の背後にはゾンビがゾロゾロと迫っていた。彼は人間だ、ゾンビにとっては捕食対象でしかない。彼は必死に私の名を呼びながら扉を叩く、何かあったのだ、緊急事態だ、私は荒れ狂う感情と切羽詰まった現状に挟まれながら、きゅっと拳を握って覚悟を決めた。

 

 素早く鍵を開け放ち、彼を中へと招き入れた。

 

 突然扉が開いた彼は半ば転がる様な形で玄関に雪崩れ込み、四つん這いの状態で私を見上げる。二メートル超えの巨躯に六本腕、それでいて三つの眼光は恐ろしいだろう。事実先程まで必死に私の名を呼び切羽詰まった様子だった彼は、サァっと顔を蒼褪めさせパクパクと口を開閉させた。その表情だけでどれ程彼が私を恐ろしく思っているのかが分かる、けれど彼は知らないだろう。私もまた、彼をとても恐れていた。

 

 怖がられたくない、嫌われたくない――!

 

 そして今にも絶叫し泡を吹きそうな表情で――彼は私が着ていた『ジョンTシャツ』に目を向ける。

 瞬間、男の瞳がぐらりと揺れた。

 その眼に僅かな光が灯ったのを私は見た。彼は叫びを上げようとした口をぐっと閉じ、何度か呼吸を繰り返すと私を正面から見据えた。

 

「こ、コミュニティが……」

 

 男は震える口調で言った。それから一度顔を俯かせ、ごくんと唾を呑み込む。そして再び顔を上げた時、男の表情に怯えの感情は無くなっていた。

 

「コミュニティがゾンビの集団に襲われています! 助けて下さいッ!」

 

 叫び、男の額からたらりと血が垂れた。

 襲われた、コミュニティが、ゾンビの集団に。私は男が恐怖に打ち勝ったという衝撃より、彼の口から齎された情報に頭をハンマーでぶん殴られたようなショックを受けた。まるで私の安寧が膝から崩れていくような感覚、一つ一つ丁寧に作り上げた砂の城。それが世界の脅威によって切り崩されようとしている。

 

 今すぐ駆け付けよう、助けなければならない。

 ごく自然に私はそう思った。

 

 私はまず男を家の中で匿おうと思った。けれど彼は痛みに顔を顰めながら私の胸元に手を置いて行動を制す。そして徐に首を横に倒すと――齧られた痕を見せつけた。

 

 手遅れだ、食われたのだ、私は思わず目を伏せた。傷口から唾液が入り込み、そう遠くない内に彼の体をウィルスが支配するだろう。私にはどうする事も出来ない。それは男も分かっているのだろう、薄く笑いながら男は首を振った。

 

「俺はもう駄目です……その内、連中の仲間になります、誰かがジョンさんに知らせなきゃいけなかったから、俺達じゃもうどうしようもなかったから――お願いです、コミュニティを助けて下さい、じゃなきゃ俺が……俺が此処で死ぬ意味がない」

 

 男は自分が怪物に成り果てると理解していながら最後まで人間としての矜持を貫いた。その表情に怯えは見える、けれどそれ以上に自分の仕事を果たしたいという熱意があった。私は男の手を取り確りと握る、ちっぽけな正義感じゃない、情が湧いた訳でも無い、私は目の前の名も知れぬ男を心から尊敬した。

 

「ヤバくなったら、自分で【ケリ】をつけます……だから、お願いします」

 

 彼はそう言ってズボンのベルトから黒光りする武器――拳銃を取り出した。銃刀法の名残から日本地区じゃ滅多に見かけない代物。弾倉は入っていない、最後の弾丸が薬室に一発だけ入っている。

 

「コミュニティの皆がジョンさんに助けを求めに行くって言ったら、持たせてくれたんです、此処に来るまでに全部使っちまったけど――最期に一発、自分用に残しておきました」

 

 そう言って男は引き攣った笑みを浮かべる。無理矢理笑ったような歪な笑顔だ、それでも私にはその表情がとても格好良く見えた。

 

 苗床になっても迷惑を掛けない様、ちゃんと家の外で死にます。男はそう言って壁に寄り掛かりながら立ち上がった。私は彼の目を真っ直ぐ見て、それから外へと飛び出した。わらわらと群れるゾンビを巨躯で吹き飛ばしながら前進した、躊躇いは無かった。

 

 助けを求められた、私にしか出来ない、例え最期だとしても彼は怪物の私に託した。

 希望を。

 

 何かが私の中で囁いていた、芽生えていた。それは人間の頃に持ち合わせていた何かの様な気もするし、ゾンビになってから生まれた新しい感情だった様な気もする。ミチミチと私の顔面が嫌な音を立てていた。同時に肉と皮を引き千切る音、それは私の口元から。

 引き裂かれた赤黒い皮膚と肉の向こう側に空洞が見えた。

 

「――――――ぉ」

 

 音が漏れた、空気の抜ける音から僅かに声帯が震える。いや、声帯があるかどうかも分からない。ただ私の体が急激な変化を遂げている事だけは分かった。全身が熱を持つ、表面が蠢いて蒸気を吹き上げる。その熱が行き場を求めて蒸気という形で外に放出されていた。駆ける、駆ける、風の様に駆ける。アスファルトを蹴り砕いて全身に風がぶち当たるというのに、ちっとも体は涼しくならない。

 

「―――ぉ―――ぉぉ」

 

 能面だった私の顔が形作られる。眼球が血走り人間の口に該当する部分がミチミチと皮膚と肉を引き裂いて現れる。今まで隠れていたのか、或は単に【必要だと思ったから創られたのか】、私には分からない。

 ただ私は叫びたかった、心の底から、奥から、全力で。

 

「おぉ―――ぉ――ぉおぉぉお」

 

 私という存在、その感情の爆発を表現したかった。

 

 

 

「おぉぉぉぉォ――ぉォオオオオオオオオオッ!」

 

 

 

 咆哮した。それは正しく咆哮だった。

 

 全身の所々から蒸気を吹き出し血走った三つ目で駆ける私、その口元には今しがた【完成】した歪な口。不揃いな歯に見えるソレは『ただの骨』、舌に見せかけたソレは単なる模造品。言葉を喋る事は出来ず精々咆哮をする程度の事しか出来ない、ただのハリボテ。

 けれどそれで良かった、それが良かった。

 それだけで十分だった。

 

 

 さながらダンプの突進。

 六本の腕で体を守りながら全力で国道を駆ける。乗り捨てられた車、標識、信号、ゾンビ、諸共全て粉砕し突き進んだ。跳ね飛ばされたゾンビが宙を舞い、車が横転してひっくり返る、私が駆けた後にはくっきりと足跡が刻まれていた。

 

 傍から見れば凄まじい光景だろう、この時の私は確実に我を忘れていた。否、正確に言うのであれば【怪物としての自我が人間の私を上回った】と言うべきか。兎に角、普段の何倍もの力が体に溢れ、私はそれを破壊という形で酷使していた。

 

 駅へは一瞬だった、普段の半分以上時間を短縮した。交差点を凄まじい勢いで曲がりながら駅方面を見る。其処には群れとしか表現できない程の夥しい数のゾンビ。

 当時は知られていない現象だったが、一部の地域では『クラウド(群衆)』と呼ばれる現象だった。

 ゾンビのベースは人間である、連中は決して馬鹿じゃない。もしそうならそもそも私など生まれていないだろう。連中は学んだのだ、この周辺に人間の集まりがあると。周辺のコミュニティは軒並み全滅してしまったのかゾンビの群れは駅に一点集中していた。

 

 バリケードは破られたのか? 応戦出来ているのか? 退路はあるのか?

 小苗は、美香は――無事なのか!?

 

 私はそれらをぐっと呑み込んでアスファルトを蹴り砕く。最早ゾンビを殺す事を躊躇っている時間は無かった、自分のこの手で、確実に殺さなければならない。生者の為に死者を殺す、私は自分の胸――シャツに縫い込まれたジョンの文字を握り締めた。

 

 群衆の後列、尻から一気に突っ込む。一息に五人前後のゾンビを弾き飛ばし、将棋倒しで前の方へとゾンビたちが倒れ伏す。そのまま倒れたゾンビは踏み潰し、さらに奥へ奥へとゾンビの海を殴り、掻き分け、弾き、やたら滅多らと前進。一人一人を相手にするつもりはない、五、六人をまとめて一つの塊として殴り殺した。

 

 連中は私に見向きもしない、ただ目の前にある駅に行こうと前へ前へと進む。ねっとりとした血が私の拳にこびり付き、不快感が私の心を刺激する。

 けれど止まる気はない、止める術もない。

 咆哮し、ゾンビ共を殴り殺し、ただ進むだけだ!

 

「おぉぉぉおォオオオオオオオッ!」

 

 人の理性も欠片も感じさせない絶叫、咆哮。赤く発熱した皮膚に触れたゾンビは一瞬で吹き飛ぶ、六本の腕はそれぞれが鈍器だ、一撃でも食らえば骨ごと砕く。そして一分も暴虐の限りを尽くせば入り口が見えた。既にバリケードは突破されている、中途半端に開いた入り口にゾンビ共が殺到していた。

 

 幸いなのは入り口が小さい事か、もしバリケードが全部破られていたら今頃駅構内はゾンビで溢れていただろう。

 これ以上ゾンビを入れる訳にはいかない――私は一息に跳躍すると、今まさにバリケードの隙間に入り込もうとしたゾンビを蹴り潰した。

 

 私の脚力はちょっとした建物ならば飛び越えられる程の力を持つ。正に人外、その圧倒的な力と重量を頭部に食らったゾンビは体を折り曲げ、頭蓋の中身がアスファルトの上に飛び散った。そのまま着地し、周囲のゾンビ共を六本腕で殴り付ける。そのまま後続のゾンビにぶち当たって死にゆく屍を見ながら、咆哮。

 

 此処はもう通さない。

 

 その気概を声として叩きつける。びりびりと肌を伝わり脳髄まで震わせる爆音、それでも連中は一歩足を緩めるだけで、尚も私の背後にある隙間に殺到する。叫んで退かないのなら殴り殺す、ただ殴り殺す。

 

 ぎゅっと拳を固めて正面のゾンビ、その顔面を殴りつける。頭蓋を砕き脳髄をぶちまけ、後続のゾンビを巻き込みながら倒れ込んだ。

 

「ジョンさん!」

 

 声がした、頭上からだ。私は剛腕を奮いながら上を見た。其処には駅の屋上に立つ美香の姿。無事だ、無事だった! 束の間私は時を忘れ歓喜の念を抱く、けれど彼女の顔は悲痛に塗れていて涙すら流していた。

 

 私は一際大きく息を吸い込むと全力で腕を振るい、周囲のゾンビを軒並み弾き飛ばす。そして近くにあった自動販売機を二本の腕で掴み、ソレをバリケードの穴を塞ぐように突き立てた。これで少しは時間を稼げるだろう。

 

 再び屋上に顔を向けた私は地面を蹴り砕いて屋上へと向かう。足りない分は壁に腕を突き刺し、そこから更に跳躍。地面を蹴り砕いて降り立った私に美香は一も二もなく飛びついた。

 

「じょ、ジョンさん! 小苗がッ……小苗がぁ……!」

 

 号泣、そう表現するのが正しいだろう。

 

 血に塗れた制服、きっとゾンビのものじゃない。そしていつも一つに括っていた髪は解けていて、彼女の背にはべっとりと血を吸った小苗のリュックサックがあった。彼女はゾンビである私に抱き着いて泣き喚く、涙と鼻水を垂れ流してわんわん泣いた。何度も小苗の名前を呼びながら首を振った。

 

 屋上に彼女以外の姿はない。

 大凡の事情は把握した、恐らく――彼女が最後の生存者。

 

 屋上へと続く階段、その扉がガンガンと叩かれる。びくりと体を震わせる美香。下を見ればバリケードを崩そうと必死に押し込んでいるゾンビの群衆。押され過ぎて最前線のゾンビが潰れて圧死しているというのに彼らは進むのを止めない。

 

 遅すぎた――その一言に尽きる。

 

 たった数分で連中は五十人のコミュニティを壊滅させるだけの力を持っていた。それはそうだろう、連中は一体何人居るんだ? 千か、二千か、三千か……途方もない数字だ。それでいて人間よりも強力な肉体、こうなる事は分かっていた。

 

 だが救いもあった、バラバラと何か空気を叩く音。それがヘリコプターの音だと気付けたのは遠くにそのシルエットが見えたからだ。私がその方向を指差せば美香が「あっ」と声を上げ、私は何か目印をと周囲を探し配管として壁に備え付けられていたパイプを引っこ抜く。ガコン! と音が鳴り響き、丁度良いサイズに持ち手を握りつぶした後、それを彼女に手渡した。布か何かを撒きつけて振れば此方に気付いてくれるはずだ。

 彼女が私の意図を汲んで動き出した瞬間、屋上へと続く扉がブチ破られた。

 

「っ!」

「―――」

 

 私は駆け出す、そして今まさに屋上へと溢れ出そうとしたゾンビ共を蹴り戻す。ズン! と凄まじい打撃音、体をくの字に折り曲げたゾンビが階段の方へと吹き飛ぶ。後続諸共転げ落ちていく様を眺めながら私は美香の方を見た。

 

 涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔、その表情は絶望に塗れている。コミュニティを失った、仲間を失った、そして何より血を分けた妹を失った。けれどそれでも彼女は生きる希望を失っていない――生きねばならない理由が増えた。

 

 私は階段でゾンビ共を蹴り戻す、彼女はパイプにシャツを巻き付け即席の旗を作り出す。「ごめんね、ごめんね」と何度も謝りながら美香は早苗の白いTシャツをパイプに巻き付けた。涙を流しながら彼女は立ち上がり、大きくその旗を振る。

 

 大丈夫だ、必ず助かる。

 

 声は出ない、代わりに吐き出されるのは重低音の唸りのみ。イライラした、むしゃくしゃした、けれどソレに蓋をして必死にゾンビを押し戻した。けれど押し戻す度彼らは数を増やし、どんどん壁の様に押し込んで来る。ついには前面に死体のみが残り殴る隙間さえなくなってしまう。まるで膨張だ、ゾンビと言う一つの生命体の様に膨らんでいく。

 

 バラバラとヘリが空を飛ぶ、そして美香を見つけた。

 

 駅の頭上でホバリングを開始し美香は旗を手放した。カランと音が鳴って彼女はパイプから小苗のシャツを大切に解き取る。これで彼女は助かる、ヘリに乗って脱出できる。

 ――しかし、待てども待てどもヘリは降りて来なかった。

 

 何しているんだ!?

 

 私は巨大な壁の様にずんずんと押し込んで来るゾンビ共と競り合いながら、美香の上で停止するヘリコプターを睨んだ。その色合いから連合の救助ヘリだという事が分かった、側面のドアは空いている、安全ロープを着けた隊員の姿も見える――だというのに降りて来ない。

 

 何故だ?

 美香は困惑した、「どうして」と叫んでいた。そして私は漸く彼らの意図を理解した。

 

 側面に立つ隊員の目は私を見ていた――私を恐れているのだ。

 

 当然だった、何せこの身は異形のゾンビ、例えゾンビを押し留めていようと同類。敵か味方かで言えば敵だ、それも最悪の部類の。私は唸り声を上げた、此処に来て自分の存在が裏目に出るとは思っていなかった。

 しかし自分のせいで美香が死ぬ――そんな結末は許容出来ない。

 

 私は絶叫しながらゾンビの壁を蹴りつける。掛け値なしの全力、私の脚力と体重、ついでに咆哮も乗せた一撃。それは前面の死体をミンチに変え迫り来る千のゾンビ共を一拍押し返すだけの威力があった。

 

 軸足の左足がズン! とアスファルトに沈む、私は一息にバックステップを踏む。そして上に向けて何かを叫ぶ美香を腕に掴むと、三本の腕を使って彼女を頭上高く持ち上げた。彼女が突然の事に悲鳴を上げるが、意図を理解すると必死にヘリに向かって手を伸ばす。

 

 助けられるなら早く助けてくれ! お前達はその為に来たんだろう!?

 

 屋上の扉代わり、私という壁が無くなった途端雪崩の様にゾンビたちが屋上へと殺到する。狙いは美香、しかし土台となっているのは私。例え腕が三本だろうと彼女には指一本触れさせない。彼女を支える三本、残った三本で近付いて来るゾンビたちを殴りつけ、へばり付いて来る奴は蹴り飛ばす。それでも彼女を持つ腕だけは微塵も揺るがない。手数が減った分範囲で補う、倒れたゾンビの足をひっつかんで振り回す、即席の鈍器。体が折れ曲がって使い物にならなくなるまで使い倒してやる。

 

 ヘリは未だ迷っている、私達の上空十メートル前後の所で停止していた。いっその事跳躍して彼女を投げ入れるか? そんな事を考えたが万が一を考えると怖くて出来なかった。十秒、二十秒、ゾンビの猛攻は止まらない。

 側面に居る男が何かを叫んだ――途端、ゆっくりとヘリが降下を始める。

 遅い! 私は内心でそう吐き捨てた。

 

「ジョンさん、ジョンさん!」

「――――!」

 

 彼女は涙を流し、震えながら私の指をきゅっと握る。大丈夫だとも、安心して欲しい、絶対に無事に送り届けてやる。徐々にヘリが降下し彼女の手が辛うじて届かない範囲に留まる。安全ロープをフックに掛けた男の隊員が彼女に右手を伸ばした。もう片方の手には拳銃――その銃口は私の頭部を狙っている。

 

「っ、撃たないでッ!」

 

 美香は隊員の手を掴み、次いで私に突き出されたソレを見てぎょっとした。そして叫ぶや否や隊員の銃を持つ手に飛びつく。それを受け止めながら隊員は困惑し、彼女を乗せたヘリは急速に空へと上がって行った。

 

 そうだ、それで良い。

 

 頭上から美香の声が聞こえた気がした、けれどヘリのローター音に掻き消されて聞こえない。私はイライラした、むしゃくしゃした、彼女を送り届けた途端蓋をしていた感情が溢れ出した。一体なぜ? 単純だった。

 コイツ等が小苗たちを殺したからだ。

 私が少しずつ、本当に少しずつ育んで来たコミュニティとの信頼を壊したからだ。

 美香をあんな目に遭わせたからだ。

 

 空へと消えて行くヘリコプターに向けてゾンビは殺到する。その真下に居る俺に向けて手を伸ばす、土台にしようというのか? この俺を。それが酷く癪に障った。

 

 体が熱を発する、まるでマグマの様な怒りだった。自分が人間に嫌われるのも、ゾンビになったのも、あの日々を壊したのも、コミュニティを崩壊させたのも、小苗を殺したのも。全部が全部イライラした、悲観では無かった、怒りだけがあった、頭に来た、簡潔に言えば私は激怒した。

 これまでにない程――激怒した。

 

 感情が胸に滾る、熱として体を駆け抜ける、迸る怒りはエネルギーとして私の体を熱した。全身から蒸気が噴き出す、熱で皮膚が硬化し罅割れる。その間から蒸気は垂れ流しになる。けれど全然足りない、この程度では冷めない極大の熱。太陽を呑み込んだ様だった。

 

 その熱は喉の奥から溢れる様で――丁度私は咆哮と言う形でそれを発散しようとした。

 私は熱い熱い感情の塊を腹の底から引っ張り出し、怒りのままに口を開け――咆哮。

 

 

 

 

 瞬間、世界が極光に包まれた。

 

 

 

 

 口から吐き出されたのは咆哮などという生温いものではなかった。

 

 反動で首が後ろに仰け反り、開け放たれた口から眩い光の線が走った。熱射、レーザーと言い換えても良い。まるで太陽の様に加熱された肉体から放たれたソレは私に向かって来るゾンビ共を一掃し、屋上に続く階段諸共穿ち溶かし尽くした。

 

 遥か彼方に見える山、途中のビル、それらに真っ赤な穴を空け極光は空に消える――そして爆散。私の放った極光を中心に炎の柱が立ち上る。ゾンビの体が溶け堕ち、宙に舞い、私の体という体から凄まじい量の蒸気が立ち上った。まるで衛星から撃ち落とす神の怒り、それに等しい超絶的な威力。爆音が鳴り響き音の壁が私と世界を打ち据える。

 

 後に残ったのは数匹のゾンビ、そして抉れた建物群――真っ直ぐ線路の様に引かれた炎のレール、その熱射跡。それが都市を横断する様に煙を上げていた。

 

「――――ぉォ」

 

 私の中にあった感情が霧散していく。

 熱が――引いて行く。

 

 凄まじい蒸気を吹き上げながら太陽の様な熱が冷めていった。私の三つ目に映る光景は他ならぬ、自分が為した事。一体どれだけのゾンビを屠ったのか、どれだけ街を破壊したのか。この身に宿る究極的な力、それを自覚し思わず膝を着く。

 

 悲しくはなかった、嬉しくもなかった。ただ背後から鳴り響くヘリコプターのローター音が随分遠く聞こえた。

 この日私は改めて認識した。

 私はどうしようもない程、【怪物】なのだと。

 

 私の纏っていたTシャツが熱焦げる、端々が茶色くくすみ煙をチリチリと煙を上げていた。ぎゅっと正面のジョンの文字を握り締める。熱で歪んだ文字、私の名前、それを握り締めたけれど温かくはならない、体は熱いのに心が酷く寒い。

 

 私の理想が、焦がれていた。

 

 

 ☆

 

 

「おいおいオイオイ――何だアレ、ふざけてんのか」

 

 ヘリコプターの中で待機していた隊員の一人、彼は血の気の引いた顔でそう零した。事実目の前で起きた事を上手く呑み込めず、彼のその言葉は全員の胸内を表現していた。それ程に衝撃的だったのである。

 

 街の一部が消し飛んだ。

 

 あの二メートル超えの大男が放った極光、レーザー光線の様な光は瞬く間に街を炎の中に沈め、ましてや山を一つ吹き飛ばした。向こう側に真ん中から抉れたように消失した小山が見える。炎の柱が立ち上りヘリから見える街の景観はすっかり変わってしまった。地形すら変える破壊力、あんなものは最早【生物】なんて生温い存在ではない。兵器そのものだ、体内に戦略核を抱えた様な怪物だ。

 

 あれ程怪物の名前を呼んでいた救助対象である少女も、持っていたリュックサックを強く抱き締め言葉を失っている。確か『ジョン』と言ったか、Tシャツを着た奇妙なゾンビだった。けれどそれ以上にその外見は恐ろしく――悍ましい。

 

 あんな奴がいるなんて聞いていない。

 

 ヘリの中には重い沈黙が漂っている。ゾンビと言う存在が人類の天敵となって三ヵ月、まさかあんな化け物まで出て来るとは思ってもいなかったのだ。ただ人より少し頑丈で、力を持つ普通のゾンビにすら押し敗けているのである。仮に、仮にだが――あんなゾンビが世に蔓延る未来があるとすれば。

 

 人類は滅ぶ、確実に。

 

「お嬢さん、アイツは一体なんなんだ?」

 

 男は持っていた拳銃をホルスターに収納すると座り込んだ彼女に問いかけた。その体をベルトで固定し落下防止のフックを掛ける。彼女はされるがままだった、けれど血に塗れたリュックサックと薄汚れた白いTシャツだけは決して手放さなかった。

 

「彼は……彼は私の――私達の」

 

 うわ言の様に彼女は呟く、俯いた顔をそのままにリュックサックに顔を埋め、涙を堪えているのか肩を大きく震わせた。震わせたままリュックサックを抱いたまま顔を上げ、男の方には視線を寄越さずヘリの外を見る。燃え盛る街、その向こう側――ジョンの居る場所を。

 

「――恩人です」

 

 その声はどこまでも細く――まるで縋る様な声色だった。

 

 




 一万字、二話分の投稿なので多分明日はお休みです。
 やっぱりラスボスなら口からレーザー位出せないとね、世界滅ぼせないからね、しかたないね。
 支えを失った人ほど新しい何かに依存しやすいってそれ一番良く言われてるから古事記にも書いてあるホントホントうそじゃないよ信じて。
 
 続き書けたら投稿するのでのんびりお待ちください。

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