優しき日常に   作:warlus

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体が熱い。

私は自身を知覚した時に、まずそう感じた。

体の表面が日に炙られたように熱い癖に、体の芯は凍りついたように寒い。

まるで布一枚で外に放り出されたようだ。

私が今夢のうつつにいる事は自覚できても、そこから一歩も意識を前に進ませることが出来ない。

息のできない、真っ暗闇の中に閉じ込められてしまったような閉塞感。

普段のシステム通りの睡眠とは、まるで違う感覚に動揺を覚える。

「ーーー?」

そこまで考えたところで、私は、はて?疑問を覚える。

そもそも普段とは何だろう?

私とは一体何を指すのだろう?

自分が自分じゃ無い感覚。

私と外の境界線が有耶無耶に溶けていく感覚に、私は戦慄する。

怖い、怖い、怖い、怖い!

私は閉塞された状況よりも、死に近づく事よりも、融解していく体よりも、何より自身が亡くなってしまうこの感覚が恐ろしかった。

「ーーー!!」

助けて、と口にする。

もう虚空との境界線が亡くなった口を必死になって動かしても、それはまた別の虚無に呑み込まれていく。

 

ああ、そもそも、私は誰に助けを求めているのだろう----。

 

 

「ーーシュ、ーーマシュ」

何かに揺さぶられる感覚で、私は朧げに覚醒する。

まだ寝ていたいと訴える瞼を、力を込めて起こしてみると、ボンヤリとオレンジ色の髪が目に入る。

「マシュ、まだ寝ているのかい?

早く起きてご飯食べないと、学校に遅刻するよ?」

学校?

ぼんやりとした頭で、周囲の風景を私は見渡す。

全体的にクッションに覆われた部屋はいかにも女子の部屋といった装丁だ。

オレンジ色の長髪を後ろで纏めた30代ほどの年齢の男が、私の体を揺さぶり続ける。

それを呆と見続けて、漸く意識がはっきりと覚醒し始めた。

ああ、そうだ。

私の名前はマシュ・キリエライト。

日本の高校に通う、何処にでもいる高校生だ。

がばりと暖かい布団を勇気を込めて剥がし、身体を起こす。

それを見て、起こしに来た彼はホッとしたように息を吐いた。

「ようやくお目覚めかい?おはよう、マシュ」

彼の言葉に私もいつもの言葉を返す、その筈だった。

「はい、おはようございます。ドクーー、」

「ドク?」

だが、何故か私は言葉に詰まる。

ドク…ドク?

私は今、彼の事をなんと呼ぼうとしたんだろう、わからない。

今までそんな呼び方をした事は無いと言うのに。

どうやらまだ寝ぼけているらしい、私は一度頭をブンブンと振って、意識をしっかり覚醒させる。

「だ、大丈夫かい、マシュ?」

私の奇怪な行動に、心配そうにわたわたとする彼、ロマ二アーキマンに、私は今度こそしっかりと目覚めた身体で返事をした。

「はい、大丈夫です。

おはようございますーーお父さん」

 

 

お父さんが部屋を出て行ったのを確認すると、手早く制服に着替える。

制服はごく一般的な黒のセーラーで、赤い線が入っている。

先輩はセーラーがお気に入りらしく、初めて着て見せた時は「すっごく似合うよ!」なんて鼻息荒く主張していたのが記憶に新しい。

手早く着替えを済ませて、リビングに降りると、そこでは既にお父さんがエプロンを着けて、キッチンで朝食を仕上げているところだった。

「お、今日もバッチリ似合ってるね、そこに座って、マシュ。じき出来るから」

「もう、毎朝そうやっておだててどうするんですか、お父さん」

「いやだなぁ、僕は毎朝思った事を言っているだけだよ、いつもそう言っているだろ?」

私はお父さんといつもの軽口をかわしながら、長机の席に着く。

お父さん、もとい彼の名はロマ二・アーキマン。

彼と私の苗字が違うのは、私が孤児で彼に拾われた子であるからだ。

かつては海外の紛争地域で救援活動に勤しんでいた医者なのだそうが、ある紛争地域にて赤ん坊の私を拾い、救援活動を取りやめた。

現在は普通の町医者として、この町で働いている。

私の実父では無い事、私を拾った事で彼の半生の使命に終止符を打ってしまった事など、私がお父さんに抱く感情は、普通の人のそれとはちょっと違うものである。

だからか、私はいつからか父に対して、自然と敬語を使うようになっていた。

「お母さんは、まだ起きてこないんですか?」

「ああ、マシュより先に起こしたんだけどね。あのぐうたらめ、二度寝を決め込んだかなぁ?」

私たちが母さんについて話していると、居間の扉がガチャリと開いた。

噂をすればなんとやら、母さんが裸に下着に白いワイシャツという非常にだらしのない姿で、眠そうに目を擦りながら入ってきた。

「こーら、レオナルド。またそんなだらしのない格好をして。

ちゃんと着替えてきなよ」

「んー、朝からうるさい奴だねロマ二。昨日は…くぁっ、3時まで描いてたんだ。

朝起きただけ褒めてくれたまえよ」

二人が軽く言い争いになるのも、いつもの風景だ。

私の母の代わりを務めてくれている、レオナルド・ダ・ヴィンチ。

稀代の天才にして、世界最高峰の画家。

勿論世界的に有名な画家であるため、彼女の描く絵画には恐ろしい程の値打ちがつけられるのだが、彼女はその収入のほとんどをNPO財団に寄付してしまう。

お母さん曰く「あまり多くのお金を持ってしまうと、動き辛くなってしまうもの。それに、私達を養う分は、ロマ二が稼いでくれるしね」との事。

お父さんの小言を適当に流して、お母さんはいつも通り私の隣の席に座る。

「おはようマシュ、今日も可愛いね」

「はい、おはようございます、お母さん」

にっこりとお互い微笑み合う挨拶に、お父さんは毒気を抜かれたような顔をしてキッチンへと戻る。

そしてお盆に朝食を乗せて長机に次々と並べる。

「…まあ、お説教はご飯を食べてからにしてあげるよ」

「そうかい?優しいね、ロマ二は」

不承不承と言った様子で席に座るお父さんに、しめたとばかりに笑みを深めるお母さん。

これもいつも通りの風景だ。

「さて、と」

お父さんが手を合わせたのに併せて、私とお母さんも体の前で手を合わせる。

「「「いただきます」」」

 

 

「それじゃ、行ってきますお父さん」

「ああ、今日も一日頑張っておいで。立華ちゃんによろしくね」

朝食の後、学校の準備を済ませた私は、お父さんに玄関先で見送られながら家を出る。

ちなみにお母さんは、朝食を平らげたあと「やっぱり無理」と言って再び寝室に戻ってしまった。

先程、3時まで絵を描いていたというのだから無理からぬ事だろう。

私とお父さんと同じ食事を取るために、起きてくれただけ感謝だ。

気持ち駆け足で歩きながら、私は学校とは少し逸れた方角へ向かう。先輩と待ち合わせするためだ。

いつもの集合場所の公園まで行くと、ちょうど向こう側から先輩も歩いてくるところだった。

目も覚めるような、明るい朱色の髪が、歩みに合わせてピョコピョコと跳ねている。

先輩は私を見つけると、笑顔で大きく手を振る。

それを見ると私は、少しだけ胸の中がキュッ摘まれた様な不思議な気持ちになる。

私も彼女にあわせて大きく手を振る事にした。

「おーい、マシュー!おはよー!」

いつものはつらつとした、明るい声。

「おはようございまーす!!」

声のよく通る彼女に負けないように、私も精一杯声を張り上げる。

手を振りながら少しずつ歩み寄って、私たちの距離はゼロになる。

「や、マシュ」

「はい、おはようございます、先輩」

間近の距離まで近づいて再び挨拶。

先輩のいつもの竹を割ったようなさっぱりとした挨拶に、私も応える。

藤丸立華先輩。

幼い頃からずっと私の先輩、一つ年上で私をいつも助けてくれる大好きな先輩だ。

「最近大分あったかくなって来たねー、私今朝はマフラー着けないで出て来ちゃった」

「はい、ニュースによると、開花予想は明後日からだそうですよ」

「ふーん…あ、テレビと言えばさ、昨日のドラマ見た?

あれさ…」

私達はたわいも無い会話をしながら、学校まで歩く。

本当に何気ない、当たり前の日常の一コマ。

それが私は、こんなにも愛おしい。

 

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