ヴァラーハの街並みや解放記念資料館での出来事は、ハイネセン育ちの都会っ子には衝撃的なことであったこともあり、昨日はそれで疲れていたのでそのままホテルのベッドに転がり込んで三人とも寝てしまい、翌朝六時に起床した。式典は九時からであるので、そうとう早く起きてしまったことになる。
ファティマは何やら深刻そうな顔をして「ちょっと一人で考えたいことがあるの」と述べたので、ラザフォードはハイネセンで調べて気になっていたことをオギョンと一緒に確認しに行った。
「半信半疑だったけど、本当なんだなぁ」
ホテルの一室でラザフォードはため息をついた。その部屋の名前は『武器保管庫』といい、中にはブラスターやビーム・ライフルのような重火器、装甲服や炭素クリスタルの斧など、同盟軍が使用しているのと大して変わらない装備が保管されていた。フロントの受付の人に「武器の確認ができますか?」と聞くと、普通にこんな部屋に案内されたのである。もし昨日に解放記念資料館に行っていなければ、この程度の驚きではすまなかったろう。
約五〇年前。解放後にヴァラーハ星系政府首相に就任したレオニード・アネクドートは、六七一年初頭に『抑圧的な専制
それは惑星内の高等学校の講義に軍事訓練の科目を設け、全市民の兵力化を目的とした法案であり、各家庭にブラスターとエネルギー・パックを配給し、公共施設にはビーム・ブラスターやミサイル、戦車の類を常備させて要塞としての機能を持たせることを目的としていた。
同盟軍少佐であったアネクドートはまず優秀といっていい参謀将校であり、豊富な戦略・戦術知識を備えていたから、あの状況だとヴァラーハを含む有人惑星放棄は当然の戦略的判断であったと理解していた。有人惑星を放棄しなくては同盟軍は兵力を集中できずに帝国軍に各個撃破されてしまっていただろうし、そうなれば同盟軍は瓦解し、自由惑星同盟は帝国軍に滅ぼされ、全人類は神聖にして不可侵なる銀河帝国皇帝コルネリアス一世の名の下にひれ伏すことになっただろう。
そうならなかったのはひとえに同盟軍が非情だが理性的な判断を下して粘り強く逆転の機会を伺い続けたからなのである。それに帝国本国で宮廷クーデターが発生しただけでは、帝国軍はイゼルローン回廊からほど近い星系は再度の大侵攻のために確保するつもりであったというから、同盟軍が最低限の犠牲で戦力保持に成功していたからヴァラーハの解放もなかったろう。だから同盟軍の行動は戦略的には正しかったといってよい。だがそのように理解できても、納得できるかは別の話だ。
アネクドートは同盟軍の「人民を守護する軍隊」というお題目を信じて士官学校の門をくぐったのである。だが「どのような御題目を掲げようとも軍隊である以上敵軍に勝利することを目的としており、畢竟無辜の人民の生命を守る事は二の次、三の次である」ということを第一次ティアマト会戦での惨敗とその後の同盟軍の行動で理解した以上、
そうしたアネクドートの戦略的分析からくる郷土防衛のために必要不可欠な措置としての法案を作ったのだが、星系議会はあっさりとこの民主国家として問題がありそうな法案は一週間ほどの審議で二、三の条項の修正がされただけで可決した。というのも、当時の惑星ヴァラーハに限れば、反対意見が存在する余地がなかった。
公正な選挙による結果ではあったが、当時の星系政府の主要ポストはアネクドートが率いたレジスタンス出身者が独占しているに等しい状態であったし、星系議会も八割の議席をレジスタンス出身者が確保していた。彼らは帝国軍占領下の抵抗時に慢性的な軍事兵器及び人員不足に悩まされたトラウマに囚われていた。同盟軍は撤退時に戦力保持に務めて可能な限りの軍事兵器を持ったまま徹底してしまったし、残った軍事兵器は帝国軍が接収してしまったため、人員補充は体力だけはある素人を帝国軍当局の監視の目を欺きながら戦士として育てはなくてはならなかったし、最初に持ち込んだわずかな武器以外は帝国軍からの鹵獲を前提にせねばならなかった。レジスタンスはそんな劣悪な状況だったのである。故に彼らはまた帝国軍が襲来し、同盟軍に故郷が見捨てられるような事態が到来しても惑星全体が抵抗運動ができるような環境を欲していたのである。
それでも残り二割の議席は占領中に他惑星に避難していた者達であったから、かつて帝国議会でルドルフの劣悪遺伝子排除法に異を唱えたハッサン・エル・サイドのように、法案に反対意見を述べることができたかもしれないのにそれをしなかった。というのも帝国軍占領統治に抵抗すらできないおのれの無力さを呪ったヴァラーハ市民たちは、新世代には自分達のような苦難を味あわせないために自衛の術を身に着けさせるべきであると考えが圧倒的市民権を有していたために、民が軍事的に無力であることを肯定するような考えの持ち主に共感するはずがなく、星系議会議員選挙でそんな政治家に票をいれるわけがなかったから、残りの議員もレジスタンス出身者と政治思想に多少の違いはあれど、大まかな方向性――好戦的な主戦派であること――は一致していたからであり、市民の武装化を拒むべき理由がどこにもなかった。
この件に関して同盟中央政府から「軍事訓練が全高等学校の必須教育にし、全家庭にブラスターを配給するなど、軍国主義的、全体主義的な政策ではないか」と抗議があったが、アネクドートは市民に向かって「帝国軍占領の経験でヴァラーハ市民は学んだ。自己の権利を守れる武力を持たないなら、自己の権利を放棄しているに等しいということを」という趣旨の演説を行い、ヴァラーハ民衆の圧倒的賛意を示したという事実を突きつけられると、中央政府はそれ以上強弁できなかった。
そして翌年には『民主防衛共和隊法』が制定され、民主防衛共和隊が創設された。客観的に見て民主防衛共和隊は純然たる軍隊組織以外の何物でもなかったので、軍隊の二重構造を生み出しかねないことを危惧した同盟中央政府や他星系政府から「同盟憲章で星系政府は独自の軍事力を保持してはならないとある。憲章違反ではないか」と抗議されたのだが、ヴァラーハ星系政府はのうのうと「民主防衛共和隊は帝国軍占領下におけるレジスタンスの魂を継承する惑星上にのみで活動する自衛的組織であり、これは同盟憲章にて保障されている人民の抵抗権の具体化であると我が星系政府は認識している。よしんば抵抗権の具体化として認められなかったとしても、民主防衛共和隊が航宙戦力を保有していない以上、民主防衛共和隊は軍隊ではない。遠征能力が皆無な以上、同盟憲章によって星系政府に保有が認められている警察力の一種と見做すのが精々で、これを軍隊というのは飛躍しすぎとしか言いようがない」という凄まじい理屈の公式見解を展開してお茶を濁した。
民主防衛共和隊は帝国軍占領下におけるレジスタンス活動を念頭においた訓練や志願者民間人への軍事訓練を主任務としており、そういった意味ではレジスタンスの魂を継承する惑星上にのみで活動する自衛的組織であるという星系政府の公式見解もまったくの嘘でもなかったが、もうひとつの任務としてアネクドート政権時代の抑圧機構として機能し、『帝国残滓滅却・民主主義絶対擁護』のスローガンの下、旧帝国人、帝国軍協力者、中央集権論者、親帝国論者、反戦運動家などに対する迫害の主戦力となったという。
もちろんこのような状況を同盟中央政府は憂慮し、直接介入による人権問題の解決法を考えもしたがそれは実行されなかった。ヴァラーハは帝国国境に一番近い、億単位の人口を抱える都市惑星である。必然、同盟軍が遠征のさいに利用する重要な後方拠点として活用されており、もし中央政府の介入によってヴァラーハの反中央感情が爆発するようなことがあれば、後方の不安を抱えた状態で対帝国戦争をしなければならなくなる。後方の一大拠点が不安定な状況で戦争をするなど悪夢に等しい。同盟憲章に違反する深刻な人権問題があることは認めるが、
ただ民主防衛共和隊も徐々に腐敗していき、六八〇年代にもなると飼い主である星系政府のコントロールを跳ね除け、たんに気に入らない人間に
「さすがにこれはちょっとな……」
一緒に武器庫を見学していたオギョンが複雑そうな顔をする。彼は帝国に対して好戦的なところがああったが、あくまで首都星ハイネセンにおける常識的な範囲での好戦さであって、市民全員が二線級の兵士たりえることを求める法律がまかりとおっているヴァラーハを肯定できるほど好戦的な思考はしていない。
「でも気持ちとしてはわかるよ。記念資料館の記録だとヴァラーハ星系警備隊も軍中央の命令で帝国軍と一戦すら交えずに撤退したっていうし、自分達の力でなければどうにもならないって気持ちが強いんじゃないかな?」
「そりゃあ、そうだろうけどよ。だからといって住民全員が兵士になっちまうようなのを同じ国の人間だと俺は思いたくないな」
「前線にそれなりに近い都市惑星と平穏な首都惑星じゃ感覚は違ってしかるべきだよ。あれだけのことがあって、ここが首都と大して変わらない空気の街ならそれこそ異常だと僕は思うよ」
「でも昨日はここは異常だってお前は言ってたじゃないか」
「それはヴァラーハのことを知識としてしか知らなかったからだよ。当時の苦難を経験した両親に育てられた人たちが今、大人になって社会を動かしてるんだから、むしろ当然なんじゃ」
「でももう半世紀前のことだろうが。第一、その理屈が通じるならどうして
真顔でそう言い返したオギョンに、ラザフォードは今更のことのように気づかされた。自由惑星同盟は帝国領の極寒のアルタイル星系第七惑星で労働に従事していた四〇万の奴隷たちが、自由の天地を求めて五五年間宇宙を漂流した末にバーラト星系第四惑星を見出して建国した国家である。既にそのときには指導者アーレ・ハイネセンをはじめ半数以上の犠牲者を出していたというが、それでもグエン・キム・ホアをはじめとした最初からいた人たちは健在だった。彼らは当然、帝国での奴隷労働の過酷さを覚えていただろうし、帝国への憎悪からヴァラーハと同じような国家として建設していてもおかしくなかったのではないか。
そう考えた時、ラザフォードはの背筋に寒気が走った。ということはなにか。ハイネセンの建国期とヴァラーハの再建期における諸条件にさほどの違いがないのだとすれば、いったいどうしてこれほどの差がでたというのか。その原因はいったいどこにあるのだろう?
「……たしかにそうかも」
もしかするとおかしいのはこのヴァラーハではなく、ハイネセンのほうではないのか。同盟建国の物語は小等学校にすら通っていなかった頃から、大人たちから繰り返し教えられた。圧政に苦しんだ共和主義者たちが半世紀の逃避行の末に建設した自由の国。しかし今考えてみると抽象的なことしか思い出せず、具体的にどのようにして自由惑星同盟という国家を建設していったのかについての知識はさっぱり教えられた記憶がない。これってかなり怖いことではないのだろうか。
ラザフォードはそうした恐怖心を告白したが、オギョンは馬鹿らしいと切って捨てた。国父アーレ・ハイネセンをはじめ、連邦時代の民主共和政治を夢見た者達が作り出した国なのだから、連邦を再現したような国家として自由惑星同盟が建設されたのは当然ではないかと。
なるほど理屈としてはオギョンの意見はあっているだろう。しかしそれならこのヴァラーハとて、帝国軍の占領支配を受けるまでは首都惑星ハイネセンとそう変わらぬ文化の惑星だったはずなのだ。
『武器保管庫』で長々と議論している内に長い時間が流れ、心配になってやってきたファティマに怒鳴られたので、二人の少年はぶすっとした顔をした。彼らとしては、朝起きた時から深刻な顔をして考え事をしているファティマに気を使って部屋から出ていたのだから、理不尽だと思ったのである。
「それにもう八時よ。早く行かなくちゃ」
なにか言い返してやろうとオギョンは、ファティマのその一言に出鼻をくじかれた。ラザフォードもびっくりして壁にある時計を見ると、たしかに短針が八時をしめしている。どうやら夢中になって二時間も議論に熱中していたということだ。これではファティマが怒るのも当然であった。
彼らは急いで星系政府官邸前にある自由大広場に向かった。大広間の中心には一辺が五〇メートルもある巨大な立方体の大理石が安置されている。この大理石は五〇年前にこの惑星上で帝国軍に殺された二〇〇〇万人を弔う慰霊碑で、建設命令をだしたアネクドートが「数字だけでは犠牲者の無念が伝わらない」と注文をつけたため、星系政府が把握している分の犠牲者の名前と年齢がびっしりと刻み込まれいるのである。
式典を見物しに来た人の数は多すぎてラザフォードは億単位の人間が来ているのではないかと思ったが、見物客の幾十人かが大きな旗をかかげていた。その旗のデザインは全部違ったが、見覚えがあるハイネセンの主戦派団体の旗を見かけたので、おそらく全部主戦派団体の旗だろうと見当をつけた。
「これより、七二〇年度の解放記念式典を始めます。国歌斉唱!」
司会者の、アナウンサーみたいに無味乾燥で個性を感じさせない音声がスピーカーから流れた後、いつもの自由惑星同盟の国歌『自由の旗、自由の民』の勇壮な高揚感にあふれたメロディーが流れてきた。
「友よ、いつの日か、圧政者を打倒し、解放された惑星の上に自由の旗を
吾ら、
友よ、謳おう、自由の魂を。友よ、示そう、自由の魂を。
専制政治の闇の彼方から、自由の暁を吾らの手で呼び込もう。
おお、吾ら自由の民。吾ら永遠に征服されず……」
幼き頃から慣れ親しんだ国歌であるが、これほどの大人数で熱唱する現場に居合わせたことがなかっためか、まったく別の曲のように思え、国歌斉唱後にラザフォードは気持ち悪い気分を味わった。オギョンやファティマも同意見だったようで、顔を見合わせただけで同じことを思っているのが感じ取れた。
続いて犠牲者に対しての黙祷の時間が一分間続いた。オギョンは持ち前の反骨精神から、こっそりと黙祷中に目をあけてまわりを伺ったが、見えた限りでは全員真剣に黙祷を捧げていたので、気まずい気分になって目を閉じた。これが学校行事とかなら、すぐに自分と同じようにふざけている奴を見つけられるのにと思いながら。
黙祷が終わると、一人の男が慰霊碑の前に設置された。演説台に一人の男が登壇した。温和そうな顔をした黒人であり、政治家というよりは小等学校の優しい先生といった印象があった。パリッとしたスーツを着こなしており、とてもよく似合っている。
「星系政府代表のハルファス首相閣下より挨拶があります」
スピーカーからまたしても人間味に欠けた式典進行の言葉が出てきた後、ハルファスは一度咳払いをして演説をはじめた。落ち着きがあって、理性的な声であった。
「親愛なるヴァラーハ市民諸君。われわれの愛する故郷が帝国の専制的な占領支配から解放されてから、今日で五〇年の節目を迎えるに至りました。この五〇年間、ヴァラーハは民主主義と自主独立の精神を堅持しつつ、偉大なる解放英雄レオニード・アネクドートの力強い指導による再建の時代を経て、われわれ市民がみずからの意思で故郷を発展させていき、現在では占領前を遥かに超える繁栄がヴァラーハにあります。しかしながら、我が父や母を苦しめた非自由と不平等の象徴であるゴールデンバウム王朝はいまだ健在であり、二五〇億の人民が専制支配の下、かつてのヴァラーハ市民と同じような呻吟苦難の中にいるのです」
ハルファスはそこで一旦演説を止め、聴衆を見渡した。
「同盟全体では一億七〇〇〇万の、この惑星上だけで帝国軍によって最低でも二〇〇〇万の無辜の生命が理不尽に奪われた屈辱の時代を実際に経験した人も少なくなってしまいました。私自身、当時はまだ幼子であって、その頃の記憶は非常にあいまいなものであり、私個人としては再建時の辛苦のほうが印象深い。しかしながら、それで占領時代に受けた傷が忘れさられ、屈辱の記憶が風化することでは決してないのであります。なぜなら自由の国では過去の悲劇を隠蔽するような権力悪は駆逐されるからであります。にもかかわらず、人間としての道理を弁えない一部の自称平和主義者は銀河帝国との対等な和平による平和を主張します。仮にそのような形で平和を齎されたとしても、古代の偉人が『自分が使う金を子孫に返させるようなやり方は、未来に対する詐欺だ』と述べたのと同じで、われわれ自身が解決すべきである課題をわれわれの子孫に押し付けることを意味するのです」
聴衆から「そうだ! その通りだ!」という叫びが飛び、割れんばかりの拍手が響いた。ラザフォードとオギョンは不快そうに首を傾げるばかりであったが、あろうことか、ファティマが他と一緒になって拍手していたので驚いた。彼女はこういう演説を、毛嫌いしていたのではなかったか?
「民主主義による宇宙統一は、この銀河に生きる人民にとって一時も後回しにできない人類至上の課題であり、宇宙平和を確立する上で避けては通れない道なのであります。そうである以上、平和的手段による戦争の終結を試みるとしても、帝国が今までに行ってきた非人道的犯罪行為を心から謝罪・反省し、民主主義を簒奪して犯罪的な利己的な専制政治を開始したルドルフとゴールデンバウムの血統を自ら否定することは和平における最低条件でありましょう。それを無視して自称平和主義者たちが『平和のため』とか『戦争を終わらせる』とか言いながら和平を主張しても、それはゴールデンバウム王朝に弾圧された何億もの共和主義者、長征で失われた二四万の人命、そして帝国軍の侵略を防ぐために戦死した同盟軍人ならびに虐殺された同盟市民の無数の遺骸を踏みにじって唾を吐きつけるに等しい行為であるのみならず、銀河の反対側で帝国が二五〇億の人民の自由と権利を抑圧していることを認めるということに他ならないのです」
ここでハルファスは初めて感情的で、憎々し気な調子で言った。
「帝国との和平を主張する反戦派どもは、あまりにもわれらの祖国において自由が普遍的なものであるあまり、それを実感していないのだろう。自由世界と専制世界の違いを理解していないのだろう。彼らは一度でもいいからこのヴァラーハに来てみるがいい。われわれが一人の自由な人間であると主張するだけで、帝国軍は皇帝に忠誠を誓わぬ叛逆者として殺しまわった過去を目を逸らさずに直視してみるがいい。私の後ろにある慰霊碑の、ただ普通に生きていただけで帝国軍に虐殺された者達の名を直視してみるがいい。この事実を知ってなお、虐殺者ツェレウスキーを英雄として高揚し、行われた虐殺のすべてを『正義はなされたが完遂されなかった』と喧伝し続ける帝国と仲良くやっていこうと主張を
ハルファスがここで言葉を切ったので、ここでまた群衆の叫びが爆発するのだろうと感じたが、意外にも不気味な沈黙が流れたのでラザフォードは困惑した。辺りの様子を伺うと人々が小刻みに体を震わせていた。最初は帝国への怒りのためと思ったが、怯えた表情を浮かべていることから、この不気味な沈黙の意味を悟った。
ヴァラーハの民の帝国への敵意は恐怖の裏返しなのだ。いつの日か、また帝国の絶対的専制支配下におかれるのではないかという恐怖、支配下に置かれた自分たちの一切の人間としての権利を剥奪され、家畜同然の存在として収奪と抑圧に怯えて暮らすことになるのではないかという恐怖である。コルネリアスの大侵攻の時は一度は見捨てられとはいえ、同盟が一丸となって反帝国の旗幟を鮮明にし、戦意を失わずに一致団結して戦い続けてくれたために、ヴァラーハは、ひいては国境周辺星域の有人惑星群は解放されのだ。しかし、今の同盟にそれを期待するのは難しい。
帝国が抑圧的な専制国家にして非民主的な犯罪国家であることが改善されていないにもかかわらず、長引く戦争に疎みはじめた前線から程遠い安全な同盟諸惑星では犠牲になっていく兵士の多さから反戦的講和論がそれなりの支持を集めるようになっているというではないか。つまりは他者の自由を剥奪して、自分たちの平和と安全を謳歌したいというわけか。それは
ゆえにヴァラーハはいっそ過剰に思えるほど主戦論を声高に主張するのだ。ハルファスの言うような『人間の尊厳と矜持を放棄した恥知らずども』の反戦論が主流になれば、平和とか反戦争とかの美名のもと、自分たちの暮らす惑星が見捨てられるのではないかと心配でたまらない。いや、売り飛ばさなれなくても、いつまた征服帝のような皇帝が誕生して同盟を国家存亡の危機に陥った時、「国家存続のためには帝国との妥協は仕方ない」とすでに占領下にある惑星を見捨てる形で講和するなんてしかねない空気を中央には感じる。なんとしてもそれは阻止せねばならず、ゆえに帝国支配から解放されてから現在に至るまでヴァラーハ星系政府は惑星をあげて自由惑星同盟の世論を主戦的なものに誘導するべく努力してきたのだ。見捨てられないために。
「永久にぞ輝く銀河の民の自由が為! 二五〇億の人民を専制支配から解放する為! 国父アーレ・ハイネセンの自由と民主主義の精神、そしてレオニード・アネクドートらレジスタンスの抵抗運動の精神を継承し、虐殺され嘆きの石碑に名を刻まれた二〇〇〇万の無辜の民衆の魂たちに胸を張って誇れるような自由と平和を手にするべく、民主主義の旗幟を高く掲げ、人類社会の分断を一日でも早く終止符をうつべく、これからも力強く闘いましょう!」
ハルファス氏はそう勢いよく言い切って演説が終了させた。聴衆の爆発的賛意の声と割れんばかりの拍手を見届けるとハルファスは満足そうに一度頷いて降壇した。
その後も何人もの演説者――著名な主戦派活動家、占領時代の生き証人、元同盟軍高級軍士官――等が登壇して演説したが、ほとんど同じパターンの繰り返しだった。演説者が帝国の圧政による犠牲の膨大さを語り、占領時のレジスタンスの抵抗活動を讃え、反戦派の主張は帝国支配の犠牲者の尊厳を踏みにじっていると批判し、民主主義と自由のための戦いに勝利しようと主張する。そして聴衆はそれに熱狂的に賛意を示す。
最初こそそれなりに興味深く拝聴していたラザフォードだったが、主張の方向性に違いが見えないものだからうんざりした気持ちが芽生えてきた。彼らの主張には一理あるとは思うが、だからといって反戦派を全否定できるようなものではないのではないかと子ども心に思うのである。
普段であれば三人組の中でこの手の感慨を抱くのはファティマの役目なのだが、本当にどういうわけか彼女は先ほどから演説者たちの主張に肯定的なように見える。元から好戦的な思考を持つオギョンも主張の激しさにおおいに戸惑っているようだが、基本的には賛意を示しているとみて違いない。まわりの聴衆もほとんどそうであるに違いなく、ラザフォードを疎外感を感じずにはいられなかった。
一〇人前後の演説が終わった後、再び星系首相ハルファスが登壇した。
「どれほどの惨劇の上に今の時代があるのかをわれわれは忘れず、我が星系政府は専制支配の犠牲者の無念を晴らすために職務を続けることを誓います。この誓いを持って、本年度の解放記念式典を終了したいと思います」
「――最後に星系歌『自由解放の賛歌』を歌います。どうかご唱和ください」
司会者の無感情の声がスピーカーから聞こえた後、どこか陰気だけども勇ましくて昂揚感を煽るメロディーが流れだし、広場にいた全員がいっせいに起立したのでラザフォードたちも驚きつつも、まわりにつられて一緒に立ち上がった。
「たとえいま故郷が鉄鎖に縛られていようとも! 我らは決して専制者の奴隷には戻らじ!」
『自由解放の賛歌』は帝国軍の占領下にいた時代にレジスタンスたちが愛唱した
フライング・ボール・プロリーグのヴァラーハ代表チームが試合前に歌っているのをラザフォードたちも立体TVなどで聞いた覚えがあるので、おぼろげながらハイネセンから来た三人組も歌うことができた。ヴァラーハ代表チームが決勝まで進んでハイネセン記念スタジアムで試合をした際に、だいぶ物騒な歌詞で一時ハイネセンでも有名になっていた星系歌である。
「父よ、母よ、我らが兄弟姉妹よ! 聞こえないか、天地に
同胞たちが流した尊き血が為! 我らの胸に復讐の炎が灼熱の如くに燃え滾る!
英雄的闘争と流血の末、専制者を逐い必ずや我らが故郷は解放されるだろう!!」
作詞者は不明である。というのもいつからかレジスタンスの間で歌われるようになった抵抗歌であり、解放後に星系歌に指定するにあたってレオニード・アネクドートが名乗り出るように告げたのだが、レジスタンスのだれも「自分が作った歌だ」と主張しなかったためである。
このことからアネクドートは帝国軍の凶弾に倒れた者達のだれかが作った歌であると考え、星系政府の公式資料には作詞者の欄に「名もなきレジスタンス」と表記されている。アネクドートが意図していたかどうかは不明だが、この情緒ある作詞者の設定が『自由解放の賛歌』の神秘性を高め、民衆からも好まれる一因となった。
「とどまることなく敵を倒し歩み続け、地に伏した同胞の亡骸を踏み越えて進軍を続ける!
永久にぞ輝く銀河の民の自由が為! 全宇宙をひとつに結ぶその日まで!!」
この歌が終わると各所から「民主主義万歳! 共和国万歳! 帝国の専制者に死を!」という叫びが三連して、式典は終了した。広場から離れていく旗を持った軍服みたいな改造服を着た大人が「最近は随分と融和的になったな。今までなら反省しようが赦さんって感じだったのに」と同じ服を着た相手にぼそりと呟いていたのを聞き取ってしまい、ラザフォードはそれが冗談だと思いたかった。
いろいろと衝撃的過ぎることが多すぎた現地研究の旅だった。手に入れた情報を夏休みの課題研究の成果物としてまとめるのは大変だとラザフォードはホテルに戻る道を歩きながら思った。先生が他のテーマにするべきだとやんわり仄めかしてくれたのも当然だと今なら理解できる。
ホテルまでの道でファティマとどういうふうに研究成果をまとめるべきかについて話し合った。その際、いつも会話に割り込んでくるオギョンが不気味に黙り込んでいることが気になったが、たんに疲れているのだろうと思った。しかしホテルについてもずっと黙っているので、ファティマが心配そうに尋ねた。
「どうしたのオギョン。黙り込んでるなんてあなたらしくないわよ」
「らしくない? そりゃおまえのことじゃないのか」
「私?」
ファティマが不思議そうに首を傾げたので、オギョンがイライラした顔をした。
「式典の時のおまえの態度のことだよ。ああいう教条主義的な主戦論を嫌っていたのに、なんで演説に拍手してたんだ?」
「それは僕も気になった。どうしてだい」
それも毎回とかどう考えてもおかしいだろうとオギョンは言った。それはラザフォードも気になっていたことではあるので同調して問いかけると、ファティマはなにか難しいことを考えているように眉根を寄せながら答えた。
「どうしてって言われても……。うまくまだ自分でも整理できていないのだけど、彼らが言っていることは当然だと思ってしまうの。たしかに、あんなふうに戦争しかとるべき道はないって叫ぶのはどうかと思うわ。父さんみたいに戦争のために犠牲になる兵隊さんたちがいるのだから……。でも、帝国が過去を反省しない限り、ここの人たちは絶対帝国を信頼するわけがないわ。帝国は『正義』の名の下にこの惑星の人たちの家族や友人を殺戮したことを過去の栄光としているのよ? ここの人たちが人間らしい感情を持っている以上、そんな非道を為した帝国の下につくことなんて、認められるわけがないじゃない……!」
銀河帝国皇帝とよく省略されるが、正式名称は『全人類の支配者にして全宇宙の統治者、天界を統べる秩序と法則の保護者、神聖にして不可侵なる銀河帝国皇帝』という。その名の通りすべての宇宙は皇帝の領土であり、人類のすべては皇帝の臣民であると銀河帝国では建前の上では規定されており、そのために自由惑星同盟のことも『叛乱勢力』と呼称し、国家であると公式に承認したことはない。そして始祖ルドルフからの伝統を国家の基盤にしている銀河帝国の正統性を堅持するためにも、その基本姿勢が変わることはゴールデンバウム王朝が崩壊でもしないかぎりはありえないだろうと同盟では認識されている。
そのため、同盟政界における反戦派の主張は『フェザーン形式での講和』である。フェザーンは形式的には帝国の一自治領であって貢納の義務も負っているが、内政及び外交では完璧な自治権を獲得しており、実質的な意味では独立国であるといってよい。なれば、自由惑星同盟も銀河帝国の自治領もしくは朝貢国になり、帝国はその見返りとして同盟の主権を認めるという形式での講和の形をとれば、平和を実現することが可能である。既に戦争がシーソーゲームを思わせるような膠着状態に陥って久しく、双方がこの不毛な戦争を継続する理由が国家の正統性を維持できないという理由でしかない以上、帝国も形式で妥協して実質的利益をはかるのが賢明だとわかるはずだ。
そうした反戦派の主張にファティマは共感していたのだが、このヴァラーハを筆頭に同盟領各地でおこなわれた蛮行が正義であると喧伝し続けている帝国の下に形式的とはいえ同盟が臣従しなくてはならないのかと考えると、どうにも抵抗感を感じずにはいられなかった。
「……それにここで起きたことを知って思ったの。父さんはこういうことがあったと知っていたから職業軍人になったのかしら、って。私たちにヴァラーハのような悲劇を味あわせたくなかったからなのかなって。父さんが軍人なのは当たり前だったから、今までなんで父さんが軍人になったのか考えたこともなかったの」
ファティマが朝から苦悩していたのはそれが原因だったのかと二人は納得した。そしてラザフォードは静かに内心で確信した。自分のちょっとした興味から始まった短い旅であったが、この旅の意味は研究成果を学校で発表して終わるようなものではなく、もっと後々の人生にまで影響が出るに違いないと。
後味悪いけどこれで「レガリア」は完結です。
原作読んでて思ってた「なんでアムリッツァで大敗したあとでも同盟で主戦論が支配的なの?」という疑問を、自分なりに理屈付けてみようとしたのが本作ですので、それなりに満足できました。
しかしこれ書いてて思ったのですが、長征グループは偉大です。
帝国で奴隷として酷使された苦しみを忘れていなかったでしょうに、子孫に帝国への恨みを植え付けようとしなかったのですから。
……いや、そういうことをしてしまうと思ったから長征の最初から居たグエン・キム・ホアは権力の座に就こうとしなかったのでしょうか。
P.S.
話はこれで終わりだけど、捕捉のあとがきを投稿します