僕はまあ、帰省して、正月料理を食べて、駅伝見ながらのんびり過ごしています。こんな感じで正月が終わっても、毎日のほほんと過ごせたらいいのになぁ……。
凛とアーチャーが士郎の開けた穴から出た後、学校は本当に誰も居なくなり静まり返っているように思われた。学校の何処からも物音は聞こえず、やっと校舎は眠りにつけるようだった。
荒れた教室に月の光が差し込んでいる。戦闘のあったせいでその教室には埃が舞っていて、それらが月の光を反射して、キラキラと光っていた。カーテンが夜風に揺れてふわりと舞う。靡くカーテンから一人の男が夜の影よりぬるりと現れた。夜ゆえにその人物の持つ赤い瞳が嫌に光っていた。その人物は凛とアーチャーが完全に離れたことを確認してから、出てきたのだ。赤銅色の髪が夜風に揺れる。
「あの青い男にも幻術は効くようだな」
独り言のように呟いた声は、衛宮士郎の声ではあったけれど、衛宮士郎の声よりも低めであり、少し冷たさのある声質であった。単に言ってしまえば、それは別人のようであったのだ。
ランサーに幻術をかけ、凛とアーチャーがランサーを追うのを見送った少年は、窓の外、ランサーと赤い二人が消えていった方を見詰めながら呟いた。
「拍子抜けだ。あの程度の幻術に気付かないなんてな」
ランサーが見ている幻術は士郎の幻影。ランサーは逃げ続ける幻である士郎を今追いかけ続けているのだ。そしてそのランサーを追う凛とアーチャーもまた同様である。ランサーが士郎の幻術に気付かなかったのは、単純に士郎が幻術を使えることを知らなかったというのと、最も大きな要因は、この少年の幻術の才能が桁外れだったという事だ。恐らく少年の幻術にすぐ様気が付く人間は、この世界にそうはいないだろう。
しかし厄介なことになった。少年は凛とアーチャーの会話を聞いていた。凛とアーチャーが士郎を少なからず警戒しているのが会話から、分かった。だが幸いなことに、彼らはまだ士郎の正体には気付いていないと思われる。でも気がかりなこともある。それはアーチャーの様子だ。少年はアーチャーの表情やその様子から、アーチャーが何かを知っているということに検討が着いた。あいつは何を知っている、少年は彼らの消えた方を見ながらそう思う。
「しかし……聖杯戦争か……」
青い男が口にしたその言葉。少年はそんな戦いのことは全く知らないし、聞いたこともない。だがあの青い男はその関係者であることは確かで、彼の話しぶりを察するに、士郎がこれから巻き込まれるものであることも容易に想像がついた。
「これからどうなるかは分からない。だがオレの出番は一先ずここまでだ」
士郎はランサーや凛とアーチャーと同様に、自らが開けた教室の穴から外に出る。士郎がその穴から出てから幾分か経って、凛とアーチャーは戻ってきて、その穴と荒れた教室を魔術で戻した。
夜の街を素早く駆ける。士郎が屋根の上を飛び、走っていることを他の人々は認識することは無い。それ程までに速く、また足音も気配もないのだ。すぐに士郎は自身の住む武家屋敷に辿り着く。今この武家屋敷には誰もいないようで、明かりは一切ついておらず真っ暗だ。
玄関に入り、靴を脱ぐ。廊下の電気をつけないまま、士郎は居間の襖を開けて、中に入る。人気のない広い大きな武家屋敷は酷く寂しいものに思われるが、桜や大河が居ない時は基本この家は士郎しかおらず、静まり返っているのだ。
少年は居間に着くなり、すぐに腰を下ろした。壁に寄りかかると、士郎の赤かった眼は本来の琥珀色にスっと変化する。そして少年はそっと目を閉じる───
───ッ!!
俺は死に直面したときの恐怖を思い出し、閉じていた右目を思わず開く。
大きく息を吸い込み、そして大きく吐き出す。
俺の命を奪うだろうと思っていた赤い槍は目の前にはない。
どういうことだ?
俺の肩は激しく上下していて、息がつまりそうである。そして冷や汗も止まらない。
何度か呼吸をすることで、次第に落ち着いてきて状況を確認できるくらいにはなったが、ここはどこだ?
俺はついさっきまで学校にいたはずだ。そして青い男に殺されかけていたはずだ。
辺りを見回すと、見覚えのある家具が一杯あり、この部屋自体に馴染みがあった。
ここは俺の家なのか?
頬をつねってみると痛みを感じた。夢ではないらしい。どういうことだろうか。学校から家に転移でもしたというのだろうか。それとも今日実は学校に行ってなくて、ずっとこの部屋で寝こけていたのか?だがもし俺がここでずっと寝ていたのなら、藤ねえや桜が起こしてくれたに違いない。いや、桜は今朝、今日の夜から来れなくなると言っていたか。
時間はもうすぐ零時になろうとしているところだ。俺はこの状況を理解できないまま、明日を迎えるのだろうか。
だがそうはならなかった。
気配がした。この屋敷に張り巡らされている結界に何かが触れたのだ。それも丁度今俺のいる真上の位置からだ。
俺はすぐに天井を見上げる。すると上から赤い槍が俺目がけて落ちてきた。俺は咄嗟に前に飛び込み、それを躱す。青い男が着地する。その姿を見て、俺は学校にいて起きた出来事が現実だったことを理解する。けれど、そうなると俺がこうして生きていて、そして学校から家に移っていることがどうにも証明することが出来ない。
俺は躱した先にあった丸めてあるポスターを手に取る。そしてそれをすぐに強化の魔術を使って強化し、青い男に立ち向かう構えを取る。青い男は俺の方を一瞥すると不敵な笑みを浮かべた。
「ったく、さっきはやってくれたな?」
青い男はそう言った。その言葉が意味することは、俺が何かしらをしてこの男の目を欺いたということであろうが、俺自身には全く心当たりがない。俺は気が付いたらここにいたのだ。俺のキョトンとした表情を見てか、青い男の表情が険しくなる。
「行くぞ坊主。今度はさっきみたいな幻術には引っかからねぇからな?」
「さっきって言ったって───!」
「問答無用!!」
青い男の赤い槍が俺の心臓に向けて突き出される。
その槍は速すぎた。速すぎて目では追えない筈なのに、俺の右目は目の前の赤い槍に当然のように食らいついていた。
だが体はどうか。俺の体はこの速度に対応する速度を持ち合わせていない。けれど、俺の体は青い男の動きをまるで知っているかのように自然と動き出す。それは的確に、己の急所を外すように。
俺は強化したポスターを当て軌道をずらすが、その際に槍が腕を掠め、服を裂き、そこから血が出る。肉が裂かれて痛みを感じるが、今脳が興奮状態にあるせいか、そこまでの程ではなかった。
「ほう。やはり躱すか。手加減しているとはいえ、サーヴァントじゃなきゃ着いてこれない筈だぜ? 坊主、お前何者だ?」
これで手加減しているのか。なら本気を出されたら俺は確実に死ぬ。今はこの男に俺は遊ばれているというのか。だが一つ分かったことがある。
俺の体は、俺の右目は、脳は、やつの動きを知っている。俺自身は知らないはずなのに、体の全ての細胞の一つ一つが、やつの動きを熟知している。その証拠に今、俺の脳内に一つのビジョンが浮かび上がる。目の前の男から生き延びるために必要なことが。
荒い息を整えて、青い男を睨む。
ヤツもこちらを警戒しているようで、肉食獣を思わせる力強い赤い瞳でこちらをうかがっている。
長い物が欲しい。
周囲を確認しても、それらしいものは何一つ見当たらない。
それにさっきから異様に体が軽い。今までこんなことはなかった。その理由は生命の危機に瀕しているからだろうか。それなら学校でこの男に刺されそうになったときにも、そうなっていなければおかしな話だ。
考えるのは後にしよう。
今はこの状況を打破できるよう動かなければ。
「おい、隙だらけだぜ?」
その言葉が鼓膜を揺らす。それに気付いた時にはもう遅く、ヤツの接近を許していた。赤い穂先を強化したポスターで受け流すが、青い男の蹴りが俺の腹に命中した。鈍い音が鳴り、肺に溜まっていた空気が勢いよく吐き出される。そのまま俺は廊下まで吹き飛ばされる。
冬のひんやりとした廊下の床に落ちるが、その冷たさを感じないまま俺はすぐ様起き上がり、窓ガラスに体当たりして、窓を突き破って外に出る。
外に出た俺は軽やかに着地をするが、着地する瞬間を狙ったかのように背後から気配を感じ、すぐに横に跳ぶ。その直後に割れた窓ガラスの散乱した、俺が窓を破って着地したところに赤い槍が刺さった。
「ちょこまかと逃げやがって。男なら立ち向かえ。そう言えばさっきも逃げたんだったな。この腰抜けが」
青い男がそう悪態をつき挑発をすると、地面に突き刺さった赤い槍を抜き、それを振って土埃を払う。そして青い男は相変わらず獰猛な赤い瞳で、警戒し殺意を込めて睨みつける。
今の、一分にも満たないであろうやり取りを思い出して鳥肌が立つ。あの状況、もしかしたら俺は殺されていたかもしれない、それ程までにギリギリの戦い、というよりは一方的な痛ぶりであった。まさに奇跡の連続が募った結果といえるだろう。それにあの男がこちらを何故かは分からないがやたらと警戒してくれているお陰で、ここまで逃げ切れたのかもしれない。だがそれもここまでだ。もう逃げ道はない。俺はあの青い男から逃れる
それはダメだ。ここで死ぬ訳にはいかない。理想を果たすまでは朽ち果ててたまるものか。
何かないのか。あの男を打ち負かし、この脅威から退くための何かはないのか。
その時、俺の脳裏に先程と同じように、あるビジョンが浮かんだ。何故かは分からないが、俺はそれの通りに動けるような気がした。
脳は冴え、体は澄み渡っている。
辺りを見回す。
──あった。
今青い男がいるところから、俺は赤い槍を避けるために跳んだ。そして丁度跳んだところの近くにあった。普段なら戦うための用途としては絶対に使わないものであろう。しかし、今俺の欲しいものの条件を満たしているのはこれくらいしか無さそうだ。
ならば、俺から仕掛けよう。幸いにもあの青い男はこちらを十分に警戒してくれている。そして俺の脳と肉体は、知るはずもないヤツの動きを知っている。だから敢えて俺がヤツに突っ込み、ヤツと戦闘を行い、その流れで
大きく息を吸い込む。そして吐き出す。
しっかりと目の前の敵を見据えて、覚悟を決める。
これから行うのは博打ともいえる行為。
かけるのは俺の命。成功した暁に手に入るものは、敵の命ではなく俺自身の命。
全く等価ではないこのギャンブルであるが、何もせずに死ぬよりかはマシだ。
俺は静かに強化したポスターを構える。
「───行くぞ」
小さく呟いたそれは、ヤツに言っているようで、本当は自分自身に言っていた。この賭けに勝てなければ俺の命はない。正義の味方を目指す者は、その理想を果たす前に死を遂げる。それは絶対に回避しなければならない。
───駆け出す。
体は軽く、心做しかいつもより走るスピードは速い気がする。
青い男に接近し、強化したポスターを剣のように振り上げて、そして振り下ろす。
青い男はそんな俺の拙い攻撃になんの反応も示さない。代わりに槍が振るわれて、難なく俺の一撃は防がれてしまう。
ガキンと金属同士がぶつかるような音がする。
目が合った。男の思考は読めないが、どうにもその赤い目は俺に対して"そんなものか"と落胆しているようにも見えた。けれどもその瞳に警戒の色は一切消えておらず、明確な殺意が宿っていた。
次第に俺の方が押され始める。これは分かっていたことだ。俺ではこの男の腕力には適わない。だからすぐに押し切られるだろう。だがそれで構わないのだ、と俺のビジョンが告げている。俺はそれに従って動いているに過ぎない。
故に────
「はっ。甘いな、坊主」
青い男は赤い槍で俺を完全に押し切り、俺の持っていたポスターを上へ跳ね除けた。押し切られた俺は、今両手が上げられた状態で、まさにがら空きという状況だ。
「間抜けめ」
そこへ青い男は、赤い槍を俺の胸に目がけて突き刺しに来る。
───故にその攻撃が来るのが予測できていた俺は、既に回避の体制を取っており、体を捻り、紙一重でその一撃を躱す。しかしやはり俺自身が体に着いていけていないためか、槍が脇腹を僅かに掠めてそこから血が滲む。青い男はここで仕留めきれると思っていたのだろう。俺が躱したことで仕留め損ない青い男は舌打ちをする。
そして今度は俺の二激目。
振り上げられたまま、強化されたポスターを握っている俺の手。それを伸び切っているヤツの腕───その先の槍の先端に近い方へ、横から垂直に叩き込む。勢いよく振り下ろされたそれは、しっかりと槍をとらえ、槍の先は地面に向かっていき、そのまま地面に突き刺さり、土埃を上げた。
これでこの一瞬、この男の槍の攻撃を封印した。そして片手も今槍を握っている。ならば次にヤツが繰り出す攻撃は───蹴りだ。
蹴りが当たったときに飛ばされる方向を調整するために、態とヤツの方に接近する。そしてこの接近は同時に俺を警戒しているこの男に、焦りを与える。そうなれば近付かれまいと、こいつは確実に蹴りを放つ。
青い男の右脚が曲げられ宙に浮く。そしてそれは真っ直ぐ俺の方に伸びてくる。俺はすぐに持っていたポスターを盾にし、ヤツの蹴りに備える。
蹴りがポスターに当たる。メキャっと強化されたポスターが完全に折れ曲がる。そしてそれは威力を和らげはするものの、完璧に相殺することは無く、ヤツの蹴りがポスター越しに俺の腹部に命中した。
またしても先程と同じように、肺の空気が全て無理やり吐き出され、一瞬息ができなくなるが、これでいい。
ヤツの蹴りの勢いは凄まじく、俺の体は軽々と飛ばされた。そして飛ばされた先でしっかりと受身をとり、すぐにポスターを投げ捨てて、
今日に限っていえば、洗濯物を出さなくてよかった。もし洗濯を干していたままだったなら、今邪魔になっていた。もしくは二度洗いする羽目になっていた。
「───
それ───物干し竿を手に取り、長さを調節してから振り回してみる。
なるほど、しっくり来る。
長さは丁度あの赤い槍と同じくらいだろう。
青い男はもう地面から赤い槍を抜いていて、こちらを観察していた。
「やるじゃねぇか。だがもうここまでだ。変わった芸風だが、俺の前では二度は通用しないぞ?」
「ああ、そうだろうな。同じような攻撃ならな」
「………なに?」
俺はぐっと姿勢を低くする。その様子を見て、青い男は訝しむようにこちらを見た。
「第二ラウンド、開始だ!」
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