Eye of the Moon   作:微積分出来太

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待ってくだっさていた方々、更新が凄まじく遅いことをどうかお許しください。中々執筆する時間が取れず、また話を考える時間も取れなかったため、遅くなってしまいました。きっとこれからも遅くなってしまうと思いますが、応援して下さると幸いです。

さて、今回の話は長いです。切りのいいところまでと執筆を続けていたら、とても長くなってしまいました。申し訳ないです。


第5話 少女の騎士

「──問おう、貴方が私のマスターか?」

 

 

 闇を弾く声で、少女は告げた。こちらまで手を伸ばしていたはずの死は、とうの昔に霧散していたかのように、ここには光があった。その光は彼女という存在そのものである、と理解するのに時間はかからなかった。

 

 

「え……マス……ター……?」

 

 

 問われた言葉を口にした。頭の処理が追いつけていない。青い男との交戦において脳が疲労したためだろうか。例えそうでなかったとしても、きっと俺はこの言葉の意味を、目の前の少女に訊ねただろう。それほどまでに唐突で、意味の理解できないものであった。

 少女の形をした騎士はどこまで可憐で美しかった。見る者全ての視線を集めるであろう美しさ、それ以外に彼女について分かることはない。

 ただ一つ分かる事としては、目の前の少女は先程の青い男と同様の存在であるということ。

 

 

「……………」

 

 

 少女は静かにこちらを見つめている。噤まれた小さな口、真っ直ぐにこちらを射抜く翡翠の瞳、そして月光に輝く金砂の髪。

 俺はこの瞬間が永遠のような気さえした。

 この瞬間だけが凍結されている。それはさながら一枚の切り取られた絵画のようである。

 先程までの騒音が嘘であったかのように、土蔵の中は元の静謐さを秘める。

 少女の穏やかな緑の瞳は神秘を思わせ、金の髪が目をひく。穏やかな風が吹き、彼女の青い衣装を揺らす。

 土蔵の埃が舞い、月明かりにきらきら反射するが、その時俺はこれらが埃であったことなど忘れていた。彼女から零れる星の欠片のように思えた。埃すらもこの絵画の中で芸術の一部となった。

 月の光に彼女の金の髪が濡れている。

 それはとても幻想的で、俺は目を奪われていた。

 

 

 ──ああ。俺はこの光景を忘れない。

 それはたとえ、地獄に落ちたとしても。たとえ先の見えない闇の中にいたとしても。

 

 

「サーヴァント・セイバー、召喚に従い参上した。マスター、指示を」

 

 

 あまりの美しさに見とれてしまっていたが、左手の痛みが俺を現実へ引き戻す。青い男との戦いで怪我でもしたのだろうか。

 左手の痛みに同調するかのように、少女は青い男の方へ向き直り、手に持った透明な何かを強く握る。しっかりと握られたそれが何であるかは分からないが、彼女の持ち方や姿勢でそれなりの重量を持つ物であることは分かる。

 

 

「これより我が剣は貴方とともにあり、貴方の運命は私とともにある。ここに契約は完了した」

「おい、待て! 契約って──」

 

 

 俺の静止の声に耳を傾けることなく、少女は土蔵を出て、青い男の方へすごい速さで駆けて行った。土蔵に暗い陰が差す。月はまたしても雲の中に隠れてしまったようだ。

 土蔵の中にもう一度訪れた嵐は埃を舞わせる。それは先程まであの芸術の一部だとでも思われたのだが、彼女がいなくなった今、それらは忽ち神秘性を失い、ただの埃となった。

 あまりにも突然であり、急に進んでいく展開。俺はそれに呆然としていたのだが、直ぐに立て直し、土蔵の外に出る。

 俺は契約という言葉がひっかかったが、それを聞こうとしたときにはもう彼らの戦闘は始まっていた。

 咄嗟に思った。あの少女が適う筈がないと。あの可憐で俺よりも小さな少女が勝てるわけが無いと。俺自身が青い男と戦ったゆえ、ヤツの強さを知っている。だからこそ彼女は勝てないと思った。しかし、俺の予想は土蔵の外へ出た際に覆されるものとなった。

 金属のぶつかる音が甲高く冬の乾いた夜空に響き、踏み込んだ足が地面を抉る。目にも止まらぬ速さで打ち合う彼らの凄さは、肌に伝わる武器のぶつかった衝撃を以て理解される。

 火花を散らしながら鋼と鋼がぶつかる。

 あの小さな少女は青い男を圧倒していた。

 今はもう月は雲に隠れてしまっていて、辺りには闇が広がるにも関わらず、青い男の苦い表情がここからでもよく見えるようだった。

 青い男が苦戦しているのは、少女の武器に込められた魔力が原因だろう。半人前の俺にでも分かるほどの魔力は、少女の何気ない一撃に込められていて、その絶大な威力を持った一撃一撃が赤い槍とぶつかり閃光を放ち、赤い槍に浸透していく。だが青い男が劣勢であるのはそれだけが理由ではない。

 

 

「卑怯者め、自らの武器を隠すとは何事か!」

 

 

 そう、少女の武器は見えない(・・・・)のだ。

 青い男は少女の武器が見えない以上、その武器がどのくらいの長さか、どんな形状か、それが分からないまま戦わざるを得ない。間合いも分からないまま突っ込むのは迂闊だ。よって青い男の攻撃には先程のような切れ味が無くなっているし、手数も必然的に減少していく。

 俺は青い男に感嘆する。なぜなら、そんな見えない武器を相手に、男は劣勢ではあるものの全ての攻撃を防ぎきっているのだ。

 そうして激しい戦いの中、お互いの距離が開く。

 

 

「どうしたランサー。止まっていては槍兵の名が泣こう。そちらが来ないのなら私が行くが」

「ひとつ聞かせろ。貴様の宝具、それは剣か?」

「さあ、どうかな。斧かもしれぬし槍かもしれぬ。いや、もしや弓ということもあるかも知れんぞ、ランサー」と、少女は挑発染みたような言い方で、青い男に言う。

「く、ぬかせ剣使い(セイバー)!」と苦い顔を見せながらも、男の口角が上がっているのがわかる。少女といい、この男といい、この戦いを楽しんでいるようだ。

 

 

 青い男が槍を構える。その構えは先程学校で赤い男と戦っていたときに見せたものだ。あの男、少女を殺すつもりか!

 

 

「なあ、ここいらで分けって気はないか?」と、青い男はその提案に対する少女の答えを知っていながらも、敢えて訊ねた。

「断る。あなたはここで倒れろ」と、少女はキッパリと青い男の提案を断る。

「そうかよ。こっちはもともと様子見のつもりだったんだがな」

 

 

 少女が見えない何かを持ち直す。青い男ははっと鼻で笑う。そして彼の赤い瞳がギラりと光った。刹那───赤い槍の穂先から魔力が溢れ出し、それが凝縮していく。なんて高密度な魔力だろうか。今、赤い槍が死に昇華した瞬間を垣間見た。あの赤い槍自体が死の概念そのものであるかのような禍々しさがあった。

 すぅーっと青い男が目を開くと、男の纏う雰囲気が変わる。鋭く少女を睨みつけ、槍の穂先は赤く揺らめく光を放つ。槍を中心に魔力が渦のように鳴動している。偏に言ってしまえば、それは殺意の塊だった。

 周囲の空気は凍り、夜の闇がどっと押し寄せてくるような感覚。それが俺の体を撫で、背筋がぞわりとした。

 青い男が姿勢を低くする。それはまさしく獲物を捕らえようとする獣のようだ。肉食獣の鋭く尖った視線が少女を射抜く。

 

 

「その心臓───貰い受ける!」

 

 

 青い男の腕の筋肉が遠くからでも分かるほど隆起する。青い男は少女の方へ駆け出し、赤い魔の棘を少女に向けて突き出す。その槍がどれほどの危険を孕んでいるか、俺は槍が突き出された今再認識する。

 

 

「───刺し穿つ死棘の槍(ゲイボルク)!!」

 

 

 突き出された赤い槍は、少女の剣とぶつかる。それはわずか一瞬の出来事であった。

 普通の人間ならばそれは認識出来ない速度。赤い線のようにそれは神速を持って少女に突き出された。それを少女は不可視の剣で対抗する。衝突し、激しい魔力の濁流が、俺の位置まで押し寄せてくる。

 少女の剣と赤い槍は拮抗していたかのように見えたが、瞬間、赤い槍は少女の剣と衝突していた場所から突然軌道を変えるように、奇妙な動きを見せた。

 少女はそれを天性の感からか、軌道の変わった槍に気付き、剣の角度を変えて、その槍が心臓に当たることを防いだ。

 だが槍は少女の銀の鎧を砕き、肩口に刺さる。少女は飛ばされて、放物線を描いて着地した。傷口から夥しい量の血が流れている。

 少女はうめき声を上げ、苦悶の表情をする。

 

 

「躱したな、セイバー。我が必殺の一撃(ゲイボルク)を!」

「呪詛……いや、今のは因果の逆転! ゲイボルク……御身はアイルランドの光の御子か!」

 

 

 少女は驚きを含んだ声でそう言うと、青い男の持つ赤い槍、そして青い男についての分析を始める。俺も今の槍の奇怪な動きに驚愕せざるを得なかったが、それ以上にあの槍を、死の概念そのものである魔の棘を紙一重で躱した少女の感の良さや、反射神経の方が驚きであった。

 槍によって抉られた、少女の肩口に出来た傷はみるみる塞がっていく。それがこの少女も異常であることを物語っていた。

 そしてすでに青い男からは殺気は消えていた。

 

 

「ドジったぜ。こいつを出すからには必殺でなければやばいってのに。全く……有名すぎるのも考えものだ」

 

 

 青い男は自嘲するように笑うと、俺と少女に背を向け歩き始める。あれほどまでに執着していたのが嘘であったかのようにあっさりと、青い男からの殺気は霧散していた。

 

 

「生憎、うちの雇い主は臆病でな。槍が躱されたのなら帰ってこいと抜かしやがる」と青い男は呆れたような口調で言う。

「逃げるのか、ランサー!」

「ああ、追ってくるのは勝手だぞ。ただしその時は、決死の覚悟を抱いて来い!」

 

 

 青い男は凄んだ顔で言う。その表情には先程と同じような、獣の獰猛さを孕んだものがあった。そしてこちらに背を向けると、凄まじい跳躍力を以てして、夜の闇に消えていった。

 

 

「待て、ランサー!」

 

 

 少女は青い男に静止を呼びかけ、彼を追いかけようとする。

 俺は彼女を止めるべく動くが、俺が止める必要もなく彼女は地面に片膝をつけた。そうして少女が青い男の去った方を見つめている隙に俺は彼女に近付く。彼女の鎧の砕けたところはもう治っていたが、どうにも痛みがあるようで、胸に手を当てて、今も痛みに耐える表情を浮かべている。

 そんな時に非謹慎かもしれないが、改めて見て彼女を美しいと思ってしまった。それと同じく、こんな少女が傷を負ってしまったことに、俺は無性に腹が立った。俺にもっと力があれば、彼女をこんな目に合わせることは無かったのではないかと。しかし青い男と少女の戦闘は、とても一介の人間が介入できるレベルではなかった。あれがあの青い男の全力かと、改めて自分の実力との差を実感した。もしあの青い男が、俺との戦いの中で、その一端でも現していたのなら、俺はもうこの世界にはいなかっただろう。苛立ちと悔しさが俺の胸の中に入り乱れる。

 少女は胸から手を離して、おもむろに立ち上がる。その表情に痛みに耐えている色はない。もう治ったのだろうか。

 少女は翡翠の瞳でこちらを正視する。

 

 

「お前、一体なんなんだ」

「見た通り、セイバーのサーヴァントです。ですから私のことはセイバーとお呼び下さい」

 

 

 その表情は柔らかく、先程の戦闘の凛々しかった表情とはギャップを感じた。それに胸が跳ねた俺だった。

 

 

「俺は衛宮士郎だ。この家に住んでいて──」

「衛宮?」

 

 

 彼女は何かを気にするように首を傾げる。

 

 

「じゃなくて、聞きたいのはそういうのじゃなく……」

「分かっています。貴方は正規のマスターではないのですね。しかしそれでも、貴方は私のマスターです」当然だと言わんばかりに少女の騎士、セイバーは言い切った。

「そのマスターってのなんだが、俺はマスターと呼ばれるほど大層な魔術師じゃないからな。セイバーの好きな呼び方で呼んでくれて構わない」

「それではシロウと……ええ。私としてはこの発音の方が好ましい」セイバーは微笑む。俺はその美しさにまたもや目を奪われる。

 

 

 見とれていた俺だが、左手にズキリと痛みを感じ、再びその痛みによって俺は現実に引き戻される。左手の甲に視線を落とすと、そこには赤く刻まれた刺青のような、刻印のようなものが入っていた。

 

 

「なんだこれ?」

「それは令呪と呼ばれるものです。無闇な使用は避けるように」またこれもさも知っていて当たり前であると言うように、セイバーは言い切った。「それとシロウ、傷の治療を」

「すまないセイバー。俺にはそんな高等な魔術は使えない。それにもう治っているようにも見えるけど」

 

 

 俺には初歩である強化以外の魔術は使えない。魔術師だった親父に教わったのも、唯一この魔術だけだった。だから治療の魔術なんていう高難易度な魔術は使えない。それに今言ったように彼女の傷は治っているようにも見えるため、治療の必要はないと思われるが。

 

 

「いえ、私のでは無く、シロウの傷の話なのですが」

「えっ!?」

 

 

 セイバーにそう言われてから、体のあちこちに傷があることを自覚した。自覚してから突然体中が痛み出す。外傷以外にも、体の内側からの痛みもある。あの青い男──ランサーとの戦いでの傷が、今痛み出したのか。俺はそれらの痛みにたまらず苦々しい表情をうかべ、地面に膝をつく。

 セイバーは「大丈夫ですか、シロウ」と膝を着いた俺の元にすぐに駆け寄ってきた。セイバーの表情からは心配という感情が読み取れた。セイバーは俺の胸と背中に手を持っていき、俺の体を支えてくれた。

 俺は荒い息を整えて、大丈夫だと伝えるが、セイバーはそんな俺の強がりをすぐに看破した。

 

 

「外は冷えます。とりあえず中に入りましょう」

「ああ、そうだな」

 

 

 セイバーに支えられながら、俺はゆっくりと立ち上がる。そのまま俺達は縁側の方まで歩いていき、窓を開けて、家の中に入る。

 家の中は冷え込んでいた。それは冬である、そして深夜であるという理由も勿論あるが、それ以外にも、この家が外気に密閉されていない状態にある、という理由も含まれるだろう。俺がランサーとの戦闘で割った窓ガラス、そこから外の冷たい空気が家の中に侵入しているのだ。それは廊下を冷やし、居間を冷やし、そして家中を冷やしている。とりあえず俺はセイバーに支えられたまま、居間の座布団の上に腰を下ろす。

 

 

「困りました。損壊した窓ガラスからの冷気がこの家を冷やしている。これでは怪我人の体に障ってしまう」と考え込んでいるセイバー、そして彼女は座布団の上で痛みに耐える俺に呼びかける。

「シロウ、怪我している身で悪いのですが、魔術でどうにかできませんか?」

「セイバー、すまない。俺に窓を直す魔術は使えない」

「そうですか……」

 

 

 こういうとき、本当に自分の無力さに悔しさを通り越して呆れてしまう。強化以外できない自分の魔力の才能の無さに、どうしようもないやり切れない思いを抱える。案の定セイバーは困り顔だ。

 

 

「けど大丈夫だ。これくらいの傷、放っておけばすぐに治る」

 

 

 せめてセイバーの心配要素を減らそうとしたのだが、それは逆効果だった。俺のその言葉の後、セイバーはこちらをキッと睨む。余りの鋭さに俺は萎縮してしまう。どうやらまたしても強がりが見破られたみたいだ。そんな俺の様子を見て、セイバーはため息をつく。

 

 

「何か塞げるものを探してきます。そこまで外の空気を遮断できないと思いますが、無いよりはマシでしょう」

「それなら確かダンボールがあったはずだ。一先ずそれで塞ごう」

 

 

 そう言って俺は立ち上がろうとするが、力が入らず上手く立てない。俺は畳の上に転んでしまう。セイバーは転んでしまった俺の元にすぐに駆けつけて、俺の体を起こすのに手を貸してくれた。「すまない」といい、俺はセイバーの手を借りて、体を起こす。

 

 

「シロウはそこで大人しくしていてください。私が塞いでおきますので。ですので場所を教えてください。あとガムテープを使いますね」

「あ、ああ。分かった」

 

 

 俺はセイバーにダンボールとガムテープのある場所を教える。セイバーはそれを聞くと立ち上がり、作業に取り掛かった。本来であれば、こういうのは家に住んでいる俺がやるべきことのはずなのに、セイバーに任せっきりになってしまっていることに、不甲斐なさを感じる。

 セイバーがいない間、俺は今置かれている状況について考える。青い男に命を狙われ、死にかけたところにセイバーが現れた。セイバーは契約が完了したと言った。そして俺の事をマスターと、彼女自身のことをサーヴァントと言っていた。このことからセイバーの言う契約っていうのが、主従の契約だということは何となく検討がつく。そして青い男、ランサーもあの話しぶりを考えるとそのサーヴァントであるらしい。つまり、ランサーにもマスターが存在して、その命令によって俺を殺そうとした、ということだろうか? それは一体なぜなのだろうか。それにランサーはセイバーが現れた時、セイバーを七人目のサーヴァントだと言った。ということはセイバーとランサーの他にもあと五人のサーヴァントがいると考えられる。学校でランサーが戦っていたあの赤い男も、ランサーと比肩する戦闘力からサーヴァントだと考えられるだろう。そして一人のサーヴァントにつき、一人のマスターがいると仮定すると、これらが意味することは、俺以外にもマスターが最大六人存在するということだ。

 何となくここまでは分かった。だが決定的なことが分からない。学校での出来事でもそうだった。赤い男とランサーは戦っていたし、セイバーとランサーも出会って直後から戦闘を開始した。何故彼らは戦う必要があるのだ。この辺はきっとセイバーなら知っているのだろう。"マスター"や"令呪"などという単語を当然のように語っていたのだから、彼女が知らないという可能性は低いだろう。セイバーが戻ってきたら聞こう。そう思っていたタイミングで、丁度セイバーが居間に戻ってきた。

 

 

「シロウ、とりあえず塞いではおきましたが……」セイバーは心配そうに破損した窓のある方へ視線を向ける。

「ああ、ありがとうセイバー」俺はセイバーに感謝する。とりあえずこれで多少はマシになっただろう。あとはストーブが頑張ってくれればこの居間だけでも暖かくなるはずだ。

 

 

 セイバーは机を挟んで俺と反対側に座る。今気付いたが、彼女の銀の鎧が消えていた。流石に室内にいるときは付けないよな、と俺は一人勝手に解釈した。銀の鎧が消えた彼女の姿からは、彼女元来の少女らしさを感じた。青いドレスを着た異国の少女の姿は、俺の鼓動を早まらせるのに十分であった。

 困ったな。最近桜が妙に色っぽくなって、それにも毎日どきどきしているのに、セイバーでもこんなに動揺してしまうなんて。前まではこんなのなかった。一体俺はどうしてしまったんだろう。俺の顔が火照るのを感じる。きっとセイバーが破れた窓を塞いでくれて、かつストーブのスイッチを入れて、少し室内の気温が上がったからに違いない。

 俺が俺の顔の温度が上がる理由をそう結論付けている最中、向かい側に座るセイバーの顔が、真剣なものに変化する。恐らくこの状況について、彼女が俺に話してくれるのだろう。俺はセイバーの表情からそう読み取り、セイバーの言葉を待つ。数秒すると彼女の小さな口は開かれて、凛とした声で言葉が発せられた。

 

 

「シロウ、あなたは正規のマスターではないから、この聖杯戦争については何も知らないのですね?」

 

 

 セイバーは確認を取るように言ったが、その実彼女自身確信めいたものがあり、俺に訊ねたに違いなかった。勿論俺は態々知ったか振りをしたり、知らないことを隠すつもりも必要もないので、躊躇いもなく彼女の問いに首を縦に振る。

 

 

「そうだな。そんな戦争一回も聞いたことは無い」俺がそう言うとセイバーはやはりといった顔つきをする。続けて「でも俺でも理解できていることはある」とセイバーに伝える。

 

 

 俺はセイバーが居間にいない間に考えたことについて、セイバーに確認をとりながら話した。俺の考えにセイバーは肯定した。そして俺はセイバーの言った聖杯戦争というものが、今俺の巻き込まれているものであることも、そして"戦争"という言葉から、それがセイバー達サーヴァントの戦う理由であることも理解した。

 セイバーは俺の考えを聞いた後、それに付け足すように、聖杯戦争がどういったものなのかを説明してくれた。

 

 

「聖杯戦争。七人のサーヴァントと七人のマスターによる、万能の願望機をかけた戦い。マスターとサーヴァントは、その願望機、聖杯を手に入れるため生き残りをかけて戦う。そして最後に残った一組が聖杯を手にすることができる」

「なるほど、そういうことか。しかし万能の願望機だって?」

「はい。あらゆる願いを叶えることの出来る聖杯。この地の聖杯は霊体であるが故に、聖杯に触れられるのはサーヴァントのみ。マスターもサーヴァントも聖杯にかける願いがあるからこそ、この戦いに参加するのです」

 

 

 この戦いの大筋は理解出来た。付け加えるなら、サーヴァントと呼ばれる存在は過去や未来等時代を超えた英霊、英雄と呼ばれる存在の中から選ばれるらしい。

 選ばれた七人のサーヴァントは、それぞれ七つのクラスに分けられる。セイバー、ランサー、アーチャー、ライダー、キャスター、バーサーカー、アサシン。それぞれがそれぞれに選ばれる基準もあり、また適した武器、戦法を持っている。要はセイバーなら剣、ランサーなら槍、アーチャーなら弓、といった具合に。

 なるほど、聖杯戦争については理解できた。しかし解せないところがある。セイバーは言った、マスターもサーヴァントも聖杯にかける願いがあるからこそ、聖杯戦争に参加をすると。生憎俺にはそんな願いはない。だというのに俺は参加をさせられている。これはどういうことだろうか。恐らくこれはセイバーに聞いても、答えの得られない問いだろう。だから俺はこの問を胸の中にしまった。

 代わりに、新たに生まれた疑問の一つを彼女に問掛ける。

 

 

「セイバー、生き残りをかけた戦いをするって言ったな?」

「はい。言いました」

「それはつまり、人を殺すってことか?」

 

 

 このことを聞いた時点で、セイバーは俺が何を思い、何を考えているのかを察してしまうだろう。セイバーは真っ直ぐに俺の目を見詰める。翡翠の瞳はぶれることなく、しっかりと俺の目を見ている。

 

 

「はい、その通りです」と、セイバーは何も隠すことなく真実を伝える。曖昧にせずに、はっきりと物事を伝える彼女はやはり騎士なのだなと俺は改めて思った。

 

 

 戦争という物騒な名前から分かっていたことだ。それにランサーだって俺の事を確実に殺そうとしていた。寒気がする。俺は今、人殺しの競技に参加させられている。魔術師として半人前であるにも関わらず、そんな物騒なものに参加させられている。自分の知らぬ間に、強制的に。

 しかし、そんな俺の様子を見て、セイバーは付け足すように言った。

 

 

「その通りなのですが、それはあくまそうするのが正攻法であると言うだけの話です」

「それはどういうことだ?」と、いまいち的を得ない俺は彼女に訊ねる。

「聖杯を手に入れらるのは最後に残った一組のみ。そして、聖杯に触れられるのはサーヴァントのみ」

 

 

 セイバーが先程の説明と同じことをもう一度言う。それはさっきも聞いたし、だからどうしたと言う話なのだが、今敢えてこの部分を言ったことに意味があると思った。俺はセイバーの言葉にしっかり耳を傾ける。

 

 

「つまり、マスターを殺さずとも、他の六人のサーヴァントを倒せば──」

「聖杯に触れられるサーヴァントがいないから、そのマスター達は聖杯を得る権利を失う。そして最後の一人のサーヴァントとそのマスターが勝利者となる、ということか」と、漸く得心した俺にセイバーは、

「はい、そうです」と、まるで問題に正解した生徒を褒めるような先生の顔つきで言った。

 

 

 確かに他の六人のサーヴァントを倒せば、マスターを殺さずに聖杯を手に入れることができる。けれどセイバーは言った。先にマスターを殺すことが正攻法であると。マスターを殺せばサーヴァントはその主従の契約を切られ、現界できなくなる。それを正攻法だと言った。俺はランサーとの戦闘や、ランサーとセイバーの戦いを思い出す。

 俺よりも数段も格上の相手。どう足掻いても、未熟な魔術師である俺が、サーヴァントを倒すことはかなわないだろう。おそらくそれは、俺だけに当てはまる訳じゃなく、俺以外の魔術師、つまり成熟した魔術師であっても厳しいものなのだろう。過去の英雄であるサーヴァントを倒すことは難しい。だから正攻法はマスターを先に倒すことだということか。

 特に俺のような未熟な魔術師は不利であろう。未熟者の俺では他の魔術師を倒すことはできない。それはセイバーを勝利に導くことが難しいという事だ。それに、俺に人を殺すなんてことができるのか分からない。聖杯戦争において、そんな甘い考えは俺自身の死を誘うだろうし、セイバーにとっても俺はお荷物になってしまうだろう。だとしたら、やはり俺はこの戦いを辞退するべきなのではないだろうか。戦う理由も、聖杯に叶えて欲しい願望もないのだから。

 

 

「なあ、セイバー。マスターの権利は、マスターの死亡以外にどうなったら無くなるんだ?」

「それは簡単です」と彼女ははっきりと言う。そしてセイバーは続けて、

「今シロウの手の甲にある三つの令呪、その全てを使い切れば、マスターはサーヴァントへの命令権を失うと同時に、サーヴァントもマスターを失う。ですからも士郎も令呪を使用する際には注意をして下さい」と俺にマスターの辞退方法というよりも、マスターの権利喪失の危惧を伝える。

「なるほどな」と俺は自身の左手の甲に視線を落とす。

 

 

 血のように赤い刻印は、刺青のようでもある。この令呪が俺とセイバーの契約の証なのだろう。この令呪を全て使い切れば、俺はマスターを辞退することができるのか。セイバーには悪いが俺はこの聖杯戦争を辞退させてもらおう。きっとその方がセイバーにとってもいいはずだ。俺のような中途半端な魔術師よりも、もっとちゃんとした魔術師と組んだ方が、セイバーの勝率も上がる。

 じっと令呪を眺めていると、セイバーは俺の様子に何か気付いたようで、目を大きく開ける。そして大きな声で「それはダメだ、シロウ!」と言った。急にセイバーが大きな声を上げたので、俺はビックリして思わずセイバーの顔を見た。今のセイバーの表情から感情を読み取るのが難しいが、怒りや悲痛さを含んでいるのは確かだった。

 その表情を見て、今度は俺の胸が痛んだ。まだ会って数時間も経っていないというのに、彼女のそんな表情が俺の胸を締め付けるのだ。でもこれはセイバー自身のためでもあるはずだ、そう自分に言い聞かせて、令呪を使おうとするが、ふとある事が気になった。

 

 

「なあ、セイバー。俺には聖杯に叶えて欲しいなんていう願いはない。けど、他のマスターたちは何を願うんだ?」

 

 

 ただの好奇心であった。こんなことをセイバーに聞いたところで、セイバーが答えられるとも限らない。というか、セイバーはマスターじゃない。だから知らなくても当然だ。けれど、気になったのだ。セイバーは俺を正規のマスターじゃないと言った。ならば、正規のマスターである魔術師は、何を望んでこの戦いに参加したのか。彼らが命をかけてまで聖杯に欲するものは何なのか、それが気になった。

 セイバーは難しそうな顔をする。セイバー自身にも願いがある。けれどその願いはきっと、現在を生きる魔術師たちとは違うもの。俺はセイバーの願いも気になった。過去の英霊が、死んでも尚望み続けるものは何なのか。それは今訊いても教えてはくれないだろう。何せ俺と彼女の付き合いは浅い。出会ってまだ一日も経っていない、そんな奴に、自分の大切な願いを語ろうだなんて思わない。だから俺はセイバーの願いを今訊くことはない。

 セイバーの言葉を待つ。考え込んでいるセイバー、一体何をそんなに考える必要があるのだろうか。俺も明確な答えを求めている訳では無い。はっきりとした騎士の性格をしたセイバーだから、ちゃんと答えようとしているのか。でもセイバーの考え込みっぷりは、少しばかりか違和感を感じた。

 

 

「……分かりません」とセイバーは気落ちする。「人の欲はそれぞれですので。ですが、人によって違うと思いますが、一般的な魔術師であれば、根源への到達、などではないでしょうか?」

「セイバーの言う一般的な魔術師っていうのは、純粋に魔術を研究している奴らのことだよな」

 

 

 セイバーはこくりと頷く。しかしセイバーの表情は暗い。何をそんなに考えているのか、俺には分からない。

 一般的な魔術師は根源への達することを望むのか。それは本当に不可能を可能にする、万能の願望機にかける願いとしては相応しいのかもしれない。しかしそれはもしセイバーの言う聖杯があの(・・)聖杯であるならばだ。そして、彼らがそんな高尚な願いを持つのに対して俺の聖杯にかける望みはない。やはり俺はこの戦いを辞退するべきだ。そう考えているところで、セイバーが突然に話し始める。

 

 

「しかし士郎、話は変わりますが、傷だらけとはいえよくランサーの猛攻を凌ぎましたね」セイバーは本当に感心しているように言う。きっとこの言葉はランサーと剣を交えたセイバーだからこそ言えるのだろう。俺としてはランサーには一方的にやられただけなので、褒められるものとは思えず、セイバーの純粋な賛辞と自分の内心とのギャップにたまらず気恥しさを覚える。

「そんな褒められることじゃないだろ。俺はランサーに手も足も出なかったんだから」

「いえ、それは違います。ランサーという英雄、サーヴァントとの戦いに、未熟な魔術師であり、一般人でもあった(・・・・・・・・)士郎が生き残った、これは凄いことなのですよ」セイバーは何故かどこか誇らし気だ。

 

 

 彼女の"一般人でもあった(・・・)"という発言は、聖杯戦争の存在を知らなかった俺を指すものであり、過去形であることから、その存在を認知した俺はもう"一般人"という括りからは外れたことを意味していた。その事については別段何を思ってる訳ではないが、ただまだ聖杯戦争への参入を渋っている俺としては、もうこの戦いからは下りられないぞと言外に言われてる気がして、恐れを懐くのだ。セイバーにその気はないとしても、俺自身が勝手に脅迫されてると思い込んでいる。この団欒の居間を遠くに感じるが、時計のカチカチと定期的に刻まれるリズムある音が俺を逃しはしない。そして室内に響く時計のその秒針を刻む音さえも、俺に迫ってきているように錯覚し、今まで部屋が暖かくなってきたために意識していなかったはずの、廊下から流れる夜の冷え込みを認識し、それが背中を撫でる。そうして漸く俺は自身の置かれている状況を理解し始めるのだった。

 俺は聖杯戦争から下りられると一人解釈していたが、それは此方の思い違いかもしれない。冷静に考えれば分かることの一つだった。ランサーはマスターとなる前の"一般人"であった俺を一度とならず二度も殺害しようと試みたのだ。見られたから(・・・・・・)というあまりにも理不尽な理由で俺に死を提供してきた。だがここから類推できることは、"聖杯戦争は魔術師同士で人目を避けて行われること"、そして"目撃者には死を用いて聖杯戦争の秘匿を保つこと"だ。そして俺はランサーにマスターであることも知られている以上、ランサーは確実に俺を殺しに来るだろう。例え俺が聖杯戦争を拒否したとしても向こうの都合でそれを許してはくれない。酷く身勝手に押し付けられているが、それは俺にも言えることで、俺も聖杯戦争を下りようなどと我儘を通そうとしている。これでは決してお互いの意見が合致しない平行線であり、そして俺が我儘を主張したとしても結局俺はランサーや他のサーヴァントやマスターによって殺されてしまうのだろう。そこまで分かっている。分かっているのだが、俺にはやはり聖杯戦争に参加するだけの目的が見当たらず、依然として参戦を拒みたいことには変わりはない。

 セイバーは今も明るい表情で俺に話をしてくれているが、俺の顔は浮かない。

 

 

「どのようにして私を召喚するまでの間、ランサーの攻撃から耐え凌いだのです?」セイバーは単純に気になって聞いたのか、それとも自身を召喚した者の力量を測るために聞いたのか。この話の流れを考慮すると、前者の方が正解な気もするが、恐らくは後者の思いも少なからずその問には含有されているのだろう。

「どのようにって───普通に肉弾戦だ。薄々セイバーも勘づいていると思うけど、俺は魔術を初歩である強化以外録に使えないからな」

 

 

 俺が魔術師として未熟であることは隠すことではない。セイバーが俺を見限る可能性もあるが、セイバーに伝える義務を有する真実の一つであることに変わりはないのだから。魔術をあまり使えないことを教えれば、この話題からセイバーが興味を失うと踏んでいたのだが、その予想は外れる。何故ならば、

 

 

「肉弾戦って、ランサーと強化の魔術のみを用いて体を張って渡り合ったというのですか!」

 

 

とセイバーが想像以上に魔術に関することよりも、ランサーと拳を交えたことに食いついたからだ。その勢いは凄まじく、セイバーの体はやや前のめりになっている。俺はその勢いに微妙に気圧された。

 

 

「いや、だから渡り合ってはない。一方的にやられただけだ」

 

 

 俺はセイバーの言葉に訂正を入れると、間髪を入れずにセイバーが「当たり前です!」と目尻を吊り上げて叫ぶように声を上げる。

 

 

「そもそもサーヴァントとは英霊。その時代でその力を振るい名を馳せ、未来まで語り継がれた者達。そんな人物に魔術無しに挑むなど愚策にも程があります!」セイバーの声量が段々と上がってくる。どうやら俺はセイバーのスイッチをオンにしてしまったらしい。

 

 

 セイバーがヒートアップしていくにつれ、俺は身を縮こまらせる。あれ、俺は何で怒られているのだ? ついさっきまで照れ臭いが彼女に褒められていたのでは無かっただろうか。どうやらサーヴァントと接近戦をしたということが地雷源だったらしい。等と余計な思考を回しているのがセイバーにバレてしまったのかセイバーは「聞いていますか!?」と昂ったまま、俺がセイバーの説教に集中していないのを注意する。俺は「はいっ!」とそれはそれはいい返事をした。

 それからセイバーは俺が如何に危険な真似をしたかを俺に説明した。俺はしっかり彼女の言葉に耳を傾けていた。

 

 

「全く───次からは気を付けてください」

「ああ」セイバーの説教は長く、俺の覇気は消えた。

 

 

 セイバーはそんな俺に嘆息をついてから俺に質問をする。

 

 

「ところでシロウ。あなたは魔術を強化しか使えないと言いましたが、魔術師には師が存在するはずです。そういった者達から教えて貰ったりしなかったのですか?」

 

 

 セイバーの質問は当然で、大抵の魔術師は親や家族など一族の人間や、師匠から魔術を教えて貰うだろう。俺に魔術師の切嗣(本人が言うには魔術使い)が養父であったが、切嗣自身が魔術を俺に教えることに関して消極的であったために俺は結局強化の魔術しかまともに使えないのだ。

 

 

「一応俺の親父、切嗣から魔術を教わったんだけど、切嗣が俺に魔術を教えることを渋ってたんだ。だから結局教わったのは強化くらい」

 

 

 俺が切嗣の名を出すと、セイバーは「切嗣……」とこちらがギリギリ聞き取れる声で呟く。

 

 

「切嗣曰く俺は魔術の適正があって、俗に言う【アベレージ・ワン】っていうやつで、特に【火】の適正が秀でてるらしい。あと五大元素じゃないけど、【雷】属性の適正も高いらしい」

 

 

 俺はセイバーに説明する。

 

 

「まあ、使える魔術は強化くらいだからさ、宝の持ち腐れだよな」俺は嘲るように苦笑いを浮かべる。

「どうしてそれほどの素質を有しているのに、切嗣はシロウに魔術を教えたがらなかったのでしょう?」セイバーは真面目な面持ちで俺に訊ねる。セイバーのその表情は何か本当に考えているようである。そして彼女が言った切嗣の名はどこか言い慣れているようでもあった。

「さあ、それは分からない。最初何度も教えてくれって頼んでも、切嗣はダメだの一変張りだったんだ。でも何度も頼み込んでると、ある日切嗣が折れてくれて、それで俺に魔術を教えてくれるようになったんだ」

 

 

 俺は話しているうちに、自分の養父である切嗣のことを思い出していく。その思い出はどこから湧いてくるのか、自然に音になって口から出ていき、切嗣はこんなことをした、あの時切嗣はああ言った、とか本当に取るに足らないそれらをセイバーに話していた。切り取られた日常の断片はそこから枝分かれ、次々と別の記憶に繋がっていった。セイバーは俺の他愛もない話を静かに聞いていた。こんな風にセイバーに切嗣との幾つもの思い出を話しているけれど、俺も本当に彼が何を考えているのかは分からなかった。急に世界旅行と称して海外に行ったり、またふらりと戻ってはどこかへ行ってしまう人であった。彼が亡くなったのは五年前であるが、亡くなる直前の彼はよく縁側に腰をかけて外の景色を眺めていた。彼が何を思ってそんな風にしていたのか勿論定かではない。そしてそんな年寄り臭く一日を過ごしている彼を、俺はいつしか爺さんと呼ぶようになっていた。

 切嗣は俺にとっては間違いなく正義の味方だった。だから俺も切嗣に憧れた。俺自身が救われたからこそ憧れた。俺も切嗣のような正義の味方になりたい。

「士郎は本当に切嗣のことを敬愛しているようですね」俺のつまらない話を真面目に聞いていたセイバーは最後にそう称した。一瞬難しそうな顔を浮かべて、でも直ぐににこやかになった。

 それに対して俺は「ああ、そうだな」と彼女に即答する。

 そうすると、セイバーはまた小難しい表情をして、今度は優し気なものではなく、騎士染みた決然の意志を感じられる覚悟のものに変化した。

 

 

「シロウ、これはあなたに伝えなければならないことかもしれない」

 

 

 セイバーがあまりにも鬼気迫るように言うものだから、俺も聞き逃さないように身構える。

 

 

「私はこれでこの地に召喚されるのは二度目です」

「え、それって───」

 

 

 セイバーの言葉が意味することはすなわち、セイバーは以前にもここに、この街、冬木に召喚されたことがある、ということを意味する。それはどういうことか。セイバーが召喚されたということは、前にもここで聖杯戦争があったという事だ。

 その答えまで行き着いたところで俺はセイバーに目を合わせる。セイバーへの確認のためだ。セイバーは俺の考えを読み取ったようで、俺に応えるように首を縦に振る。

 驚いた。そのときのサーヴァントと今のサーヴァントが、全員一致しているかは分からない。しかしこれで分かったことがある。聖杯戦争っていうものは、何も新しいものじゃない。少なくとも一回、この聖杯を巡った争いは、この街で行われていた。

 

 

「そして、此度の戦い以前に参加したのは十年前(・・・)の、前回の第四次聖杯戦争」

「前回のが第四次ってことは、今回の聖杯戦争で五回目ってことか!?」

 

 

 それに対してもセイバーは静かに首肯する。こんな巫山戯た戦いを、魔術師達はこれで五回も繰り返したことになる。それ程まで未熟な俺とは違うちゃんとした魔術師が聖杯を求めるのならば、やはりこの地に現れる聖杯というものは、あの聖杯なのだろう。

 聖杯とは聖者の血を受けたとされる杯。数ある聖遺物の中でも最高位とされるそれは、様々な奇蹟を成し得るものとして、伝説とされている。そう、この聖杯の存在自体が非常に疑わしいものなのだ。多くの伝承や伝説に聖杯は記載されているが、それだけであり、実物を見たものはいないのではないのだろうか。けれど、魔術師達が五度も聖杯戦争を行っているのだから、あながちこの聖杯が偽物だとは言い切れない。しかし、信じられない話であることもまた確かだ。

 と、俺はここまで聖杯戦争について、聖杯そのものについて考えを巡らしていたが、ふとセイバーの言ったことに気になる点があることに気が付く。

 

 

「なあ、セイバー。さっき前回の聖杯戦争が起こったのって───」

「十年前です」

「十年前……」

 

 

 それはただの偶然なのか、それともやはり関係があるのか。前回の聖杯戦争が起こったのは十年前、そして俺の炎の記憶も十年前に起こった災害のもの。ここで関係ないとして切り捨てるのは早計だが、関係ありと判断するには情報が不足している。故にもう少し情報を集めなければならない。

 

 

「なあセイバー、戦いの間季節は冬だったか?」

「ええ、そうですね。今回も冬に行われるみたいですね」

 

 

 季節は一致した。あとは他の情報を引き出そう。俺はもっと直接的な話をセイバーに振る。

 

 

「セイバー、その戦いで街一つが燃え上がるほどの火災って起こったか?」俺は生唾を飲み込み、セイバーの回答を待つ。セイバーは黙考して、

「いえ、私の知る限り無かったと思われます」

 と答えた。

 

 

 俺は「そうか」と一息付き、取り敢えず聖杯戦争中にあの火災は発生した可能性は低いと結論付けた。かと言って可能性はゼロではない。セイバーが早期退場した場合もある。だからまだ関係を切り離すことは出来ない。でも今はこの話題は置いておこう。俺はそう決めたが、結果としてこの話題は捨て切れぬものであった。

 

 

「セイバー、前回聖杯を手にしたマスターはいたのか?」

 

 

 俺はその問を口にした。その時、セイバーの表情が曇り俺から目を逸らした。俺はその表情からセイバーが前回聖杯を手に出来なかったことを察した。察するも何も、今回の戦いに参入したのだから、その答えに辿り着くのは当たり前ではあるが。けれど妙にセイバーが思い詰めたような表情をするものだから、俺は気になって仕方が無かった。

 そしてセイバーは伏し目がちに話し始める。

 

 

「前回の聖杯は………破壊されました」

「─────えっ?」

 

 

 言葉が出ず、絞り出た言葉は辛うじてその音のみ。すぐ様部屋は静けさに満ち、ゴーッというストーブの炎の音と時計の針の音しか聞こえない。兎に角到底理解できないし、訳が分からない。魔術師は万能の願望機である聖杯を求めて聖杯戦争に身を投じる、そのはずなのに前回魔術師たちが求めていた聖杯は破壊された。何故その魔術師がそのような行為に及んだのか、俺には見当もつかない。

 

 

「その事実を知ってるってことは、セイバーはその場にいたのか?」

「はい」セイバーは答える。つまりセイバーは前回の戦いで最後まで残ったサーヴァントなのだろう。セイバーは先程、聖杯に触れられるのはサーヴァントのみだと言った。故にセイバーが聖杯を破壊した可能性もあるのだろう。俺がその考えに行き着くと同時にセイバーが、

 

 

「そして聖杯を破壊したのも私です」

 

 

と吐露する。聖杯を破壊した犯人が自分であると自供するセイバーだが、それはセイバーの意思で行われたことではないことは分かる。それはセイバーが再度この戦いに参加したことから、セイバーは未だに聖杯を欲していることが容易に想像がつくからだ。即ちセイバーはサーヴァントに対する絶対命令権である令呪により、聖杯の破壊を命じられたのだろう。そのマスターにとって、聖杯が望んだものではなかったのか、それとも聖杯には興味がなくただ猟奇的に殺人をするためだけに戦いに参加したのか、他の理由があるのか。

 

 

「なあ、セイバー。当時のセイバーのマスターって───」"誰なんだ"と言葉を続けようとしたところでセイバーの口が動く。

「衛宮切嗣」セイバーは伏し目がちのまま、親父の名を口にする。

「ん?親父がどうかしたのか?」

 

 

 セイバーが改めて俺の方に向き直る。

 

 

「士郎、私が今し方あなたに伝えなければならないことがあると言いましたね?」

「ああ。セイバーが聖杯戦争に参加するのが二回目って話だろ?」

「それも確かに伝えたいことの一つでしたが、それよりももっと大切なことです」セイバーの視線はぶれること無く、真っ直ぐに俺の目を射抜いている。俺もセイバーの言葉をしっかりと逃さないために、彼女の視線に合わせる。

「前回の第四次聖杯戦争、そのときの私のマスターが───切嗣でした」

「────なっ!?」息を呑む。

 

 

 セイバーから告げられたことは、あまりにも衝撃すぎて、俺の頭に強い衝撃を与える。俗に言う鈍器で頭を殴られたような、そんな衝撃を受けた。ストーブが効き暖かくなったはずの部屋に、冷気を感じた。

 衛宮切嗣──俺の養父が聖杯戦争という命をかけた戦いに参加していた。切嗣がそこに参入した理由は何となく想像が着く。正義の味方に憧れた切嗣、彼が聖杯に託してまで叶えようとした願いは恐らく……。

 俺は縁側に腰をかけ、月を眺める切嗣の姿を思い出す。その背中は寂れていて、頼りなさがあった。切嗣が何を考えていたのかは分からないけれど、あの時確かに交わした約束が答えなのだろう。

 では何故切嗣はその可能性を有する聖杯を破壊することを選んだのだろう。万能の願いを叶える聖杯、それがあれば正義を成すことだって出来たはずだ。人間ではなし得ない大きな願いを果たすことが出来たはずだ。切嗣が聖杯の破壊を選んだ理由が不明瞭である。でもその事実がこうして当事者により語られた。切嗣にとって、破壊せざるを得ない理由があったということなのだろうか。

 

 

「セイバーは切嗣が破壊を命じた理由については知ってるのか?」

「いえ、分かりません。聖杯がもうすぐ手に入るところで切嗣は令呪を使い破壊を私に命じました。それまで切嗣は他の魔術師達と同じように聖杯を求めていました」

「そうか」

 

 

 切嗣は破壊の直前まで聖杯を欲していた。しかし何があったのか、切嗣は聖杯を拒んだ。その理由についてもサーヴァントであったセイバーも知り得ないものであるならば、思考を繰り返そうが俺には答えは見つからないのだろう。ひょっとしたら切嗣と同じように、俺も聖杯を前にした時に切嗣の行いを理解するのかも知れない。

 

 

「切嗣はどんなマスターだったんだ?」

「それは───」とセイバー少し悩んだ後、「これは言うべきですね」と言う。

「シロウ、あなたにとって切嗣はどんな人物ですか?」

「切嗣はそうだな、優しくもあり、厳しくもあり──って、なって言ったらいいか分からないけど、俺にとってやっぱり切嗣は正義の味方ってのが一番しっくりくるかな」

 セイバーは「そうですか」と言い瞠若する。

「前回の聖杯戦争時の切嗣は恐らく、士郎の知る切嗣とは正反対でした」

「正反対って、親父がか?」

「はい。衛宮切嗣は魔術師としては卑劣な手を使い、目的のためには少数の犠牲を厭わない、そんな人間でした」

 

 

 セイバーの言ったことに俺は息を呑むが、どこか納得している自分がいた。正直信じられないと思うところもあるが、切嗣のサーヴァントであったセイバーが言ったのだから本当なのだろう。それに確かに切嗣は正義の味方だったけれど、切嗣は俺に全ての人間を救うことは難しいと言っていた。それはきっと切嗣自身が経験をして、その上で下した答えであったことは、子供であった俺でも何となく察していた。そこに目を瞑っていた訳では無いけど、認めたくなかったのは事実だ。俺にとってはやっぱり切嗣には全てを救う正義の味方だったから。

「ああ、何となく分かってた」今セイバーに真実を突き付けられて出た言葉は、俺が切嗣のことで目を逸らしていた事を受け入れたものであった。大を救うために小を切り捨てた切嗣の生き方を認識するものであった。それも正義の味方の姿には違いなかったが、全ての人を救うことを理想とした俺の正義の像とは離れたものだ。親子正義の味方という同じ理想を抱いたが、そこにも差異が存在した。まあ、もっとも晩年の切嗣は正義の味方になることを諦めていたが。

 今一度、直面している問題に立ち返る。俺は今聖杯戦争という、嘘か真か判別のつかぬ万能の願望器、聖杯をかけた魔術師による命の奪い合いに参加させられている。そして俺がいくらそれを否定しようがそれは俺の一方的な意見の押し付けであり、例えどんなに主張しようと殺される可能性の方が高い。また過去に行われたこの戦いには切嗣が参加していた。理由は不明であるが切嗣は聖杯を目前にして、それを破壊することを自身のサーヴァントに命じた。切嗣が万能の願望器を前にして思ったことを、俺はその理由を知りたい。だがそれだけの理由で命まで懸けるというのは憚られる。避けることのできない戦いだとしても、強制的に参加させられたものである故に納得もいっていない。それに聖杯に叶えて欲しい願いなど俺には……

 

 

「シロウ一先ず監督役の所に行きましょう」

 

 

 俺が自分の思考に沈んでいると、セイバーが突然にそんなことを言った。

 

 

「監督役?」俺はセイバーに聞き返す。

「はい。この聖杯戦争を監督する者がいます。その者に聞けば、聖杯戦争についてもよくわかるでしょう。それに今シロウの悩んでいることも一度その人物に話してみてはいかがでしょう」

 

 

 セイバーの提案は確かにいいものであると思うのだが、

 

 

「とは言っても、俺は監督役のいるところなんて知らないぞ」そう俺は聖杯戦争については何も知らない身、監督役の人物の居場所など知らないし、見当もつかない。しかしその心配は無意味なものであった。それは、

「それは私が知っています」セイバーが答えたからだ。

 

 

 俺は勿論セイバーの言葉に驚いたが、よく考えてみたらこれ程までに聖杯戦争について詳しいし、それに彼女はこの地に召喚されたのは二度目であるようなので、知っていて当然とも思える。

 

 

「分かった。セイバー、その監督者のもとに案内してくれ。……と言っても今日は無理そうだけど。それにもうこんな時間だ。女の子をこの時間に外に歩かせるっていうのは気が引ける。」

 

 

 考え込んでいて忘れていたが、いざ足を動かそうとしたら、体が全く動かなかった。そして今は深夜だ。こんな時間に女の子であるセイバーを外に連れ出すのは危ないのでよくない。

 俺の言葉にセイバーは一瞬機嫌が悪くなったが、俺の体の状態が分かっていたセイバーは「ええ、今は休息を」と言って頷いた。

 俺は自らが知らぬ間に、無意識のうちに、着実に聖杯戦争に足を漬けていっていた。

 夜の冷え込みが障子の隙間からスっと居間に入り込んできて、俺の肌を撫でる。ゾクリとして、一瞬心臓をつかまれたような錯覚を覚える。俺の命は今、死とすぐ隣り合わせだ。廊下から覗く夜闇が、こちらをじっと見つめている気がした。月は今も雲に隠れているようだ。俺は今日はこのストーブで暖まった居間から出ることはせず、明かりを消さないまま、そこで横になり眠りに就くことにした。

 




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