【完結】ハリー・ポッターと蒼黒の魔法戦士 作:Survivor
―――悲劇は突然、前触れもなく始まった。
ふかふかの絨毯に、大きなソファー。
それに腰掛ける黒髪の女性の膝の上には黒髪の少女が甘えるように寝転がり、寛いでいた。
女性は優しげな笑みを讃えながら、娘のさらさらちょっと癖毛の黒い髪をそっと撫でる。
少女は心地よさそうに眼を閉じていた。
規則正しい寝息を立てているのを見ると、どうやら眠りに落ちているようだ。
「あら? フィール、寝ちゃったわね。これから夕食食べるのに」
黒髪紫眼の女性―――クラミーはちょっと困ったような笑みで、娘のフィールの柔らかい頬をぷにっと突っつくと、
「………ん」
微かに身動ぎ、また静かに寝息を立て始めた。
クラミーは目元を和らげ、しばらくはぷにぷにとつついていたが、リビングの扉が開き、中に複数の人が入ってきた。
「フィール、お母さん、お待たせ~!」
元気な声でソファーに座っている二人に呼び掛ける銀髪紫眼の少女は、フィールの双子の姉・ラシェルだ。その後ろには、父のジャックと義姉のクリミアが立っている。
「……ぅん………」
姉の明るい発声に、母の膝の上で眠っていた妹はパチリと目を覚まし、朧気な蒼の瞳で母の紫の瞳を捉えた。
「ふぁぁぁ………あれ? 私、寝てたの?」
「ええ、気持ちよさそうに寝てたわよ」
最後にぷにっとフィールの白い頬を突っついたクラミーは「ほら、食べるわよ」と半身を起こした娘を促す。フィールは「もう少し甘えたかったのに………」と物惜しい顔でソファーから下りて母の後を追い掛けた。
テーブルの上には美味しそうな料理が並べられていて、クリミアは「私もこんな風に作れるようになりたい」とじっと料理を見てから、クラミーに尊敬の眼差しを向ける。
クラミーは照れ笑いし、クリミアの頭を撫でて椅子を引いて座る。フィール達も椅子に座り、家族全員が揃ったところで「いただきます」と料理に手を伸ばした。
その日の夜。
ベッドの中のフィールは中々寝付けず、今日の出来事を思い返していた。
母や父、姉二人と一緒に遊び、皆で沢山笑い合った。そんな日は、どうしても寝られない。
大好きな家族との想い出がまた一つ増え、幸せな気分が睡魔を寄せ付けないからだ。
と、その時だった。
ドアが、きい………と音を立てて、誰かが入ってきた。
「フィール、まだ起きてる?」
そう言いながら、ベッドに近付いてきたのは姉のラシェルだった。
「うん。まだ起きてるよ。どうしたの? お姉ちゃん」
「一緒に、あの本読まない?」
「うん! 読もうよ!」
姉の誘いに、フィールは笑顔になる。
ラシェルは笑って頷き、先に本を置くと、ベッドに上がり込んだ。
「遅くまで起きてると、お母さんに怒られちゃうからこっそりね」
「うん、こっそりね」
フィールは小さく頷き、ラシェルと掛け布団を被った。
二人は杖を使わずとも指先に光を灯すことが出来るため、最小限の光度で暗いベッドの中を照らすと、ラシェルが持ってきた本を捲った。
『吟遊詩人ビードルの物語』だ。
この本は何度見ても飽きることなく二人は読むことを楽しみ、たまに母親に読んで貰う時もあった。
ラシェルとフィールは「早く学校に行きたいね」とホグワーツ魔法魔術学校の入学まであと6年間も待たなければならないと、まだまだ先な未来にじれったさを募らせる。
すると、部屋の扉が開いた。
中に入ってきたのは、寝間着姿の母・クラミーだった。
「フィール? それにラシェルも? こんな夜中にどうしたの?」
「あ………………」
「お母さん………」
二人は同時に「ヤバい」とそれまでの笑顔をひきつらせ―――クラミーは双子の姉妹が夜更かししていることに気付くと、
「ダメでしょ。夜更かしは身体に悪いんだから」
と軽く叱責した。
ラシェルとフィールは指先の灯りを消すと顔を見合わせ、クラミーに向き合って「ごめんなさい」と頭を下げる。
クラミーは広げられている本を見て、「本当にその物語好きなのね」と厳しい面持ちを緩ませつつ、娘二人の頭を小突いた。
「ほら、明日になったら好きなだけ読みなさい」
「………はぁい」
ラシェルが本を持って部屋を出ていき、扉をパタンと閉めるのを見届けたら、クラミーはベッドに腰掛けてフィールの隣に座った。
「もう、フィールもラシェルも………あれが初めてじゃないわね?」
「………………うん」
これまでにも、両親の眼を掻い潜って夜中にこっそり遊びに来たり行ったりした。それでたまにどちらかのベッドで寝過ごしてしまい、クラミーやジャックが起こしに来た時に二人で寝ている所を見られ、どうして此処で寝ているのかと訊かれたら「一緒に寝たかったから」と半ば誤魔化し、両親もその理由には納得してあまり詮索しないでいたのだが………。
先程、ベッドの中で灯りを生み出していたのをバッチリ見られてしまった以上、嘘ついてもすぐに看破されると思い直し、フィールは素直に白状した。
明日になったら「なんでバラしたの!」とラシェルに責められそうだなと思っていると、
「じゃあ、罰として今日は一緒に寝るわよ」
クラミーはベッドに上がると幼いフィールを抱き上げ、身体を後方に倒し、娘の顔を自身の胸に押し付けて背中に両腕を回す。
所謂『抱き枕』的な感じにクラミーは自分が退室した後、フィールが勝手に部屋を抜け出さないようにするために考えた方法なのだが―――ジタバタと抵抗するため、絶対に離さないよう腕に力を込め始めた。
「ちょっ、お母さん………!」
「なに?」
クラミーは悪戯っ子の笑みで、フィールの恥ずかしさと焦りが入り交じった顔を見る。フィールは気恥ずかしい気持ちが働き、無意識の内に母親の腕から抜け出そうとするが………癖毛のある黒髪をクラミーに一撫でされ、ふわりと全身の力が抜けて一瞬で対抗力が消え失せた。
「…………わざとやった………?」
「ふふっ、そんな訳ないじゃない」
言葉とは裏腹にクラミーはニヤリと笑ってる。
ズルい、とフィールは思った。
クラミーに髪を撫でられる感触に、フィールは弱い。
そのことを、クラミー本人はわかっている。
だから、さっきからずっと髪を撫でていた。
「ん………むぅ………」
髪を優しく撫でられる度に今日の遊び疲れて溜まった疲労が噴き出し、徐々に徐々に瞼が重くなっていく。柔らかい胸に顔を押し付けられて頬と耳とを伝わって聞こえてくる心臓の鼓動に自然と安心感に溺れ、肌と肌が触れて感じる温かさと甘い香りに心が落ち着いてくる。
「………お母さん」
「ん? なに?」
「………明日の夜も、こうして」
「………ええ、いいわよ」
母がそう言うと、娘はフッと瞼をおろした。
それから数秒後には、寝息が聞こえてくる。
すやすやと眠るその可愛い寝顔に、クラミーはフィールへの愛おしさが込み上げ、ギュッと強く抱き締めた。
(………あたたかいわね………)
身体が密着し、感じ取る誰かのぬくもり。
それを、今はこうして母親という立場で知ることが出来て、かつての自分と重ね合わせる。
クラミーは薄目を開け―――胸の中にいる、自身とそっくりな容姿の娘を手放したくないと言わんばかりに、両腕に力を込め直した。
♦️
翌日―――今まで夜更かししていたのを母親にあっさりと白状した妹にラシェルは「やっぱり」とぼやきつつ、その顔はまあ仕方ないという感じだった。ジャックとクリミアは揃って苦笑していたが、それを他所に、フィールはクラミーにくっついていた。
「今日はいつになく甘えん坊ね」
「……いいでしょ、甘えたって」
拗ねたようにムキな口調だけど離れようとはしない娘に、クラミーはニッコリ笑い、父と姉二人も微笑む。
フィールはクラミーに似てクールというイメージが強いが、その実家族と一緒の時はまるで別人のように異なるのだ。同一人物とは思えないほど、母親にべったりな甘えん坊さんな性格なのを他人の前では上手い具合に隠し、母親そっくりな雰囲気を身に纏わせる。
とはいえ、まだまだ幼さや未熟さは存分に見え隠れしているため、クラミー達からすれば背伸びしている印象が強い。そこもまた愛くるしい特徴の一つだから、ついつい笑みが溢れてしまうのだが。
そんな、何処にでもいるような幸せな家庭のベルンカステル家。
………だからこそ、この頃はまだ、誰も知る由などなかった。
―――もう二度と………当たり前のような日常は戻って来なくなるなんて。
♦️
ある日のことだった。
クリミアとラシェルが、他国で生活しているクラミーの弟・ライアンとその妻子が住んでいる邸宅に遊びに行っていた頃―――フィールは両親と一緒に、夜の散歩に出掛けてた。
さっきまで夜空を彩っていた月が雲に隠れてしまって月明かりが消えたため、杖先に小さな灯りを灯して夜道を歩くことにした。
ライアンがクリミアとラシェルをベルンカステル城に送り届けてくれるので、直接ベルンカステル城に帰れば問題ない。そろそろ帰宅しようかと『付き添い姿くらまし』をするため、ジャックはフィールの方へ手を伸ばした。
が、その直後。
背後に人の気配を察した矢先―――突然フィールが倒れ込み、小さく呻き声を漏らしながら、幼い身体をくの字に曲げた。
「フィール………!?」
クラミーは膝をつき、痛みに端正な顔を歪めるフィールを仰向けにさせた。
ジャックは素早く振り返り、灯りのついた杖先を暗がりに向けて―――眼を見張った。
「お前らは………!」
そこに立っていたのは―――黒いローブを羽織りフードと仮面を装着した連中。
数年前、幾度となく激戦を繰り広げてきた闇の帝王の思想に賛同し、忠誠を誓った闇の魔法使いや魔女の特徴だ。
その者達に、二人には見覚えがありすぎる。
そう―――現れたのは、
「久々だな、ベルンカステル家の者よ」
「貴方達、これは一体何の真似よ!?」
クラミーは杖を抜き出し、構える。
彼女の綺麗な顔には、隠しきれない怒りが滲み出ていた。
彼らは自分や弟妹の両親を殺した闇の帝王に仕える連中だ。命を落とした両親の無念を晴らすべく、クラミーやライアンは
そして数年前―――1981年10月31日、ハリー・ポッターによって最強の闇の魔法使い・ヴォルデモートは破れた。
それ以後、残された死喰い人による暗躍などは生じていなかったのだが………目の前には、紛れもなくあの闇の魔法使いが立っている。
ジャックは妻と娘を庇うように前に一歩踏み出し、死喰い人数人と向き合う。
「何が目的で此処に現れた!?」
「無駄話はこのくらいにするか。詳しい話をお前にする義理などないからな。―――さっさとその娘を我々へ寄越せ。我々の手でベルンカステル家の者を一人殺れば、いい手土産になる」
死喰い人は、遠目から自分達を見る小さな女の子との取引を言い渡してきた。
フィールは見慣れない仮面を被った大人が杖を構えて野望に満ちた眼差しで自分自身を見つめてくるので、得体の知れない何かを感じ、背筋に悪寒が走る。
「ふざけるな! 俺らの大事な子供を、お前らの手に渡すなんて真似、死んでもするか!」
ジャックの鋭い声が、閑静なこの場に響く。
彼は肩越しからクラミーに向かって叫んだ。
「クラミー! フィールを連れて逃げろ!」
先手必勝。
ジャックは杖を振るい、無謀にも数人の死喰い人を相手に単身で戦いを挑んだ。
「ジャック、一人でなんて無茶よ!」
クラミーはすぐには動けず、本能的な動物のように猪突猛進した夫に、後ろ髪引かれる思いで立ち竦んでしまった。
しかし、
「走れ! コイツらは俺が食い止める!」
背中越しに鋭く叫んだその声に―――命を投じてでも娘を護りたいという父親としての強い気持ちを読み取った。
それを機にクラミーは後ろを振り向き、ふらふらと立ち上がった幼いフィールを抱き上げ、脇目も振らずに薄暗い夜道を駆け出した。
「くそっ、逃げたぞ! 追え!」
死喰い人の一人がそう命じ、逃走した二人を追跡しようとするが、
「お前らの相手はこの俺だ! これ以上先に行きたかったら、俺を殺してからにしろ!」
と、クラミーとフィールから意識を逸らすようにジャックが挑発し、妻が娘を連れて逃げ出す時間を少しでも長くするべく、果敢に追撃して敵の進行を阻止した。
「フィール! しっかり掴まっていなさい!」
言われるがままに、フィールはクラミーの胸にすがる。その隙間から僅かに見える、死喰い人と戦っている父の背中をただ見ることしか出来ない自分に歯をギリギリ噛み締めつつ、恐怖心が芽生えて、ギュッと強く目を閉じた。
遠ざかっていく二人の後ろ姿を遠目に、死喰い人は舌打ちする。
と、その時だ。
唐突に、身体の芯まで凍り付くほどの寒気を敏感に感知した。
「! まさか………」
ジャックは上を見上げる。
そこには、背の高く黒い頭巾を被ったおぞましい姿形の闇の生物―――
吸魂鬼は、先程クラミーがフィールを抱いて走り出した方角へと真っ直ぐ飛んで行く。
ジャックは思わず意識がそちらに逸れ―――ハッと気付いた時には、死喰い人が放つ呪いが目前まで迫っていた。
フィールが今肌で感じてるのは、母親の荒い息遣いと、突如押し寄せてきた寒気。
同時に沸き上がるのは、もう二度と幸せになれないような不快感………。
(まさか………!)
クラミーは謎の悪寒の正体に気付き―――地面を蹴る力を倍にして加速した。休む暇もなく走り続けているため、更に息が上がる。倦怠感に少しずつ身体が見舞われ、一瞬でも気を抜いたら走れなくなってしまう………。
だから、クラミーはフィールを離さないように両腕に力を込め直す。
この一直線の道、振り返ったら終わりだ。
なので、クラミー自身肩越しから覗くなんて行為はせず、ただひたすら駆け抜けた。
だが―――
「―――ッ!!」
突然、クラミーの顔が苦悶に歪み―――フィールの幼い身体は、宙を舞った。
いきなりのことにフィールは受け身を取れるはずがなく、地面に身体を強く打ち付けられる。
「お母さん!?」
フィールは叩き付けられた衝撃による鈍い痛みに構わず、急いで振り返り………眼に飛び込んできた残酷な光景に、言葉を失った。
大好きな、お母さん。
そのお母さんが、黒く蠢く物体によって動きを封じられ、口元から青白く輝く球体が吸い出されていく。
クラミーは数多くの辛い記憶が脳裏で甦り、幸福な想い出を考えられない。それはすなわち『守護霊の呪文』で吸魂鬼を退散させるだけの余力が残っていないのを意味している。
母の顔から、血の気がどんどん引いていく。
吸魂鬼が最悪の武器『
(お母さんを助けないと………!)
フィールは地面に手をついて起き上がり、その場から飛び出した。
母親を救いたい気持ち。
それだけが、フィールを突き動かした。
しかし………如何に勇気があろうとも、彼女はひ弱な5歳の女の子に過ぎない。
無慈悲な闇の生物に抗うだけの実力など、持ち合わせてなどいなかった。
走り寄ってきたフィールを至高の獲物と認めた吸魂鬼はクラミーから離れ、無垢な少女の綺麗な顔に迫り、ガラガラと音を立てて、大きく息を吸い込む。
その瞬間。
言い様がない不快感と凍え死ぬくらいの冷気に直に当てられた。
冷たい腕が、彼女の頬へ伸ばされる。
そうして、雪のように白い肌でに触れ………吸魂鬼の、ぬくもりを一切感じられない冷たい感触が彼女の身体の芯まで染み込んだ。
「ゃ………」
フィールはゾクッとし、この上ない絶望感が幸福感で満ち溢れていた心を塗り替えられる。
自分の口元から魂を奪われる感覚を覚えた。
冷たい空気が肌に触れ、肌そのものの体温を全て奪い取られ、氷みたいに冷ややかになる。
フィールは思わず―――
「イ………ヤ………助け………て………」
魂を喰われるというおぞましさに、屈辱の助けを懇願してしまった。
フィールは母親を助けないという気持ちから移り変わった哀願に、憤りを抱きながら―――涙が一筋、頬を伝う。
自分へ対する怒りや悔しさがごちゃ混ぜになってしまったがために、熱い雫が流れた。
「………ッ!」
フィールが涙する姿を見たクラミー。
薄れ行く意識の中―――ハッキリと、その泣き顔を瞳に捉えた。
―――そうだった………わたしには、護るべき子供がいる………!
愛する娘を、命を賭してでも護り抜く。
それが、わたしに出来る最後の抵抗だ。
指先すら動かすのが億劫だったのに、それが嘘のように全身が動き―――地面を力強く蹴ってその場から飛び出し、硬直しているフィールを渾身の力で思い切り突き飛ばし、吸魂鬼から引き離した。
「逃げなさい! フィール!」
最後の力を振り絞って腹の底から叫んだ、母の鋭い声。
吸魂鬼はその意味を理解しているのか、再びクラミーの顔に自分のそれを近付け、口元から極上のエサに喜んで喰らい付く。
「お母さん!」
突き飛ばされて地面を転がったフィールは激しく後悔する。
「助けて」と呟いたばかりに、母は自分を庇ってしまった。
フィールは起き上がろうとするが、身体が震えて上手く動けない。その間にも、吸魂鬼はクラミーの魂を吸い取っていく………。
「
不意に。
吸魂鬼を唯一追い払う『守護霊の呪文』を詠唱する男の叫び声がビリビリと響き渡った。
銀色の巨大な獅子が吸魂鬼に襲い掛かり、遥か彼方へと弾き飛ばす。
やがて、姿が見えなくなったら、白銀のライオンは銀白色の残像を残しながら消滅する。
「クラミー!」
吸魂鬼を追い払ったのは、ジャックだった。
ジャックはつい先程死喰い人を全て撃退し、こうして急行してきた。
近付いていく内に吸魂鬼が愛する妻の魂を吸っているのを捉え、咄嗟に有体守護霊を呼び出して撃退したのだ。
此処に来るまでに体力を使い果たし、満身創痍だった状態で大量のエネルギーを消費したせいで息が荒くなり、肩が大きくする。
着ている服は、激戦でボロボロであった。
「お父さん………!」
頼もしい救世主の登場に泣き叫びつつ、フィールは吸魂鬼が遠くへと飛んで行った瞬間、幾分かマシになった身体を気合いで動かし、糸が切れた操り人形のように崩れ落ちた母の側へ駆け寄り、その身体を揺さぶった。
「お母さん! お母さん!」
どれだけ呼び掛けても、母は返事しない。
生気が失われた紫瞳で、冷たく地面に横たわっている。
フィールの溢れんばかりに流れた熱い涙が、クラミーの胸元に滴り落ちる。
その暖かい涙で失われた体温を取り戻せたのならばどれだけ嬉しいことかと、フィールはぼやけた視界の中で嘆いた。
二人の元へ、ジャックが駆け寄ってくる。
―――もう少しで父親が此処に辿り着く。
そう思ったフィールに、更なる追い打ちが掛けられる出来事が起きた。
「ぐあっ………!」
フィールとクラミーから少し離れた場所。
そこでジャックは呻き声を上げ、そのボロボロな身体から大量の血が噴き出し、危うく彼は倒れそうになったのを必死に踏ん張った。
「お父さん………!?」
フィールは急に父の身体から鮮血が迸ったのを目の前で見て、涙で濡れた両眼を剥く。
ジャックは膝をつき、苦しげな声を漏らしながら、誰が撃ってきたのかと、背後に眼を凝らす娘同様に肩越しから振り返り………ついさっき追い払った死喰い人の一人だとわかると、忌々しそうに舌打ちした。
「くそっ………まだ、残ってたか………」
血を吐きながら、苦々しげに呟く。
フィールは未だに頭の整理がつかず、ただただ父の身体から流れる紅い液体特有の鉄の匂いが充満していくその場で硬直した。
が、ようやく、死喰い人が父を殺そうとしたと理解すると、金縛りが解けたように動き出した。
「お父さんを殺さないで………!」
硬直した身体を動かし、眼に涙を光らせて決死の頼みで、血まみれの父と殺害しようとする死喰い人の間に割り込み、懇願する。
けれども、その悲痛な叫びは届かなかった。
死喰い人は細長い杖を振るい―――杖先から、黒く禍々しい、槍のように尖った閃光を発してフィールの左胸を狙ったが………。
「―――ッ!」
父に身体を抱き寄せられ、強く抱かれる。
血に染まった父の胸に耳と頬が押し付けられ、そこから聞こえてくる心臓の鼓動と背中に回された腕の強さを感じた直後。
父はグッサリと閃光に刺し貫かれた。
「あ…………お、お父さん………………」
「………ッ」
むせ返りそうになる、鉄の匂いの中。
おびただしい量の血飛沫を上げ、紅に染め上がる場景。
嫌になるほど耳を打つ、早鐘を打つように早まる死期報せる鼓動。
べったりと身体に纏わりつく血の感触が、細胞の隅々まで絡み付いてきた。
絶望に染まったフィールの声がジャックの耳を打ち、彼は片腕で娘を抱くと、もう片方の腕を後方に向け、背中越しに死喰い人へ魔法を撃った。
油断していた死喰い人は反応に遅れ、強力な威力が込められた呪いを胸に受けて呻き声を上げる。
死喰い人はよろめき、ギッと鋭い目付きになりながら杖を振り上げようとしたが………体力切れで腕が上がらないのと、此方に近付いている魔法使いの魔力を感知してこのままでは不味いと、『姿くらまし』をした。
禍々しい気が消え失せ、本来の冷たい夜気を肌で感じるようになったが、今のフィールには血の感触と匂いしか感じられなかった。
そんなフィールへ、虫の息のジャックが呟く。
「フィー…ル………―――」
譫言のように娘の名を囁いた直後。
つと消えた命の糸が切れた瞬間と同じくして、ジャックはフィールにもたれ掛かるように息を引き取った。
♦️
世界の時間が止まった錯覚に陥った。
自分自身の目の前で失った、母と父。
フィールには、もう、自分のことですらわからなくなってきた。
何故………両親がこんな目に遭わなければならない………?
吸魂鬼に魂を奪われた母。
死喰い人に殺害された父。
フィールは、ゆっくりと辺りを見回す。
雲が切れ、ほのかな月明かりでうっすらと照らされる、紅の場景。
何処を見ても赤々しく、吐き気に襲われた。
未だに………頭は混乱している。
お願い………誰でもいい………。
誰でもいいから…………………。
―――誰か………全部嘘だと言ってよ………。
【昔のフィール】
母親にべったりの甘えん坊な性格。
口調も本編と違って女の子らしい。
【ラシェルとの夜更かし&クラミーにバレる】
4章でのうろ覚えの記憶と回想はあんな感じに繋がっていた。
【悲劇の始まりは―――】
生き残りの死喰い人による襲撃から始まった。
【まとめ】
今回は3章でフラッシュバックした出来事の幾つかカットしてたシーンも含めてのフルバージョン。
次回はこの出来事の続編の予定。
前回もここで書きましたが、夏休みが明日明けるので次回以降の更新は遅れます。