奪われ、再び一人となった落第騎士 作:落第寸前の男の要望
その日、黒鉄一輝は珍しく夜更かしをしていた。
いや、正しく言うなら眠れなかったのだ。
彼の身体は震えていた。
ただしそれは、寒さであったりとか、恐怖であったりとか、不安であったりとか、そんなマイナスなモノによってではない。
彼の肉体は絶えずエンドルフィンを分泌していたのだ。そしてその根底にあるモノとは正しく、
生徒会長、東堂刀華から山形にある巨門学園の施設を借りた強化合宿の話が出たのだ。
自分のいまだ知らない世界、領域、新たな強敵、新たな技、新たな成長。今までまともに実践の授業すら受けられなかった一輝にとっては、武者震いをするなという方が、興奮するなという方が酷な話だろう。
「よし、決めた!」
眠気など微塵も感じない。
身体を動かしたい衝動に駆られる。
「こういう時は
一輝はステラを起こさないようにゆっくりと2段ベッドを下り、ウインドブレイカーを羽織って外へ出た。
吐き出した息は白く染まり、吸い込んだ冷気は肺を内側から裂くように熱を奪う。
しかし、今の彼にとってその程度の事は
頭の中でイメージするのは未だ見ぬライバル達との
気付けば一輝は優に朝のトレーニングの分、つまり20キロを完走させてしまっていた。
肩で息をしながら、街灯の明かりに目を細める。
時刻にして深夜3時頃といったところか。
「ふぅー……」
大きく息を吐いて胸に手を置き、鼓動を確認する。心臓は未だ早鐘のように拍動していたが、心は落ち着きを取り戻していた。これならぐっすり眠れそうだ。
睡眠は量より質だと、とあるアスリートが言っていた。このままベッドにダイブしたならば、極上の睡眠を得られるだろう。
(ーーと、そういう訳にはいかないようだね)
静かに、緊張の糸が張り詰めた。
霊装の許可は降りていない、代わりとなる武器もない、人を呼ぼうにも携帯すら部屋に置いたままだ。
さらに頼みの綱である≪一刀修羅≫でさえも、今朝のステラとの鍛錬から24時間経過していない。つまり今使えるのは体術のみだ。
全身にビリビリと伝わってくる
「そこに隠れているのは誰かな」
こちらは急に止まって辺りを見回したのだ。あちらは一輝が存在に気付いているなど、とっくに知っているだろう。
ならここは声を掛けるのが正解だ。いきなり出てこられるよりは、呼びかけて姿を晒させた方が都合が良い。
呼び掛けに対し、木陰から緩りと姿を現したのは、なんと一輝も良く知る人物だった。
「き、桐原君?」
「やあ黒鉄君、久し振りだねっ!」
下卑た笑みを浮かべながら登場したのはそう、去年無抵抗の一輝を一方的に嬲り、七星剣武祭でも代表として出場した桐原静矢その人だった。
しかし実力者であった彼も、今年は公式の場で一輝に敗北、あまつさえ命乞いをするという痴態を晒したことは記憶に新しい。
どうやらそのせいでファンの女の子達からも見限られ、今はまだその事で意気消沈しているーー
「こーんな時間まで特訓とは実に素晴らしい! 落ちこぼれの君はそれぐらいやらないと、ね?」
筈なのだがこの男、存外ピンピンしているようだ。
「……桐原君は特訓じゃないのかい?」
「はっ! 馬鹿を言うなよ。僕は天才なんだぞ? そういう泥臭いことは凡人がやれば良い」
「じゃあ、どうしてこんな所にいるのか聞いてもいいかな?」
ここまでは平静を装っていた一輝だが、流石に我慢の限界だ。
答えようとする静矢を牽制するように、続けた。
「後、どうして
「…………」
桐原静矢は不敵に笑んだ。
いつもヘラヘラしてる彼ではあるが、その顔はかつて一輝が見たことのない程に、醜悪なモノだった。
(彼という人間のことは一度≪
彼からは感じたことのない重圧、本気の殺意。
まるで桐原静矢であって桐原静矢でないかのような、別人のような印象だ。
「黒鉄君、僕と取引しないかい?」
「……取引?」
一輝がそう零した瞬間、静矢は地面を蹴ったーー
「
「ーーーーっ!」
殺気を放ってくれていたお陰で臨戦態勢の取れていた一輝は、細い体躯ながら凄まじいスピードで突進してきた静矢を、すんでのところで横飛びに躱す。
そのまま飛んだ方向と反対の足を軸にし、まるで回転扉のように180°回転して、静矢の背に蹴りを浴びせた。
勢いのまま前のめりに倒れこむ彼の背を見送る一輝。だが、何かがおかしい。攻撃は確かに決まった。しかし、何故か解せない。
どうして彼は固有霊装、≪
それに姿を見せずにそのステルス能力を使えば、いかに一輝といえど先制を受けるのは免れない。
いや待て、そもそもーー
あり得ない……っ!
その思考に至った瞬間、一輝の右足に鋭い痛みが生じる。
「ーーぐぅっ! 何だこれ、い、犬っ……?」
そう。一輝の右足に後ろから噛み付いていたのは、1匹の犬だった。
それも普通の犬ではない。こいつは『軍用犬』だ。
もしただの犬の
この犬は一輝の背後に、気配を消して近づいたのだ。
更にそれだけではない。一輝はその強烈な痛みに、一瞬意識を奪われかけてしまう。
「ははっどうだい、僕のジョンこと、
「ーーっ! ロットワイラーだって!?」
ーーロットワイラー。
……突然だが人間の武器とは拳や足、剣や銃、戦闘機や戦車まで、なんでもある。
なら犬の……軍用犬の攻撃手段とは何か?
勿論それはその強靭な顎と鋭利な歯である。
たかが犬に噛み付かれたぐらいで。と甘く見ない方がいい。
優れた視覚、嗅覚による探索能力は勿論のこと、その
さらにことロットワイラーにおいて、その
(くそっ! どこが甘噛みなんだ。もう右足の感覚がない)
桐原静矢の狙いは最初からこちらだったのだ。無謀なインファイトはただのブラフ。それを突発的に全力で行うことで、うまく一輝の注意を引いた。
噛まれたところから血が流れ出し、足元に軽く血溜まりが出来上がってしまう。
ジョンと呼ばれた犬を引き剥がそうとするが、噛む力が強すぎて剥がせない。霊装を使えば退学の引き金にされる。一刀修羅も使えない。
対して静矢は埃を払いながら悠々と立ち上がり、こちらへと近付いてくる。
「黒鉄君。僕がジョンに命令をすれば、分かるね?」
「……そうだね。右足は諦めた方が良いかもしれない」
実際、ジョンは一輝の足を噛んだ後は、微動だにしていなかった。しかしこれは、かなり効率が悪い。
≪
それは噛み付く力はあっても、噛み砕く能力の無いワニが、敵の肉を引き千切る為に獲物に噛み付いた後、回転するという習性の事だ。
つまり何が言いたいかというと、噛み付く力が強く、咀嚼能力も高い哺乳類であるジョンが
激痛と出血で意識が飛びかける中、一輝は考えた。
ここでヤられるぐらいなら、右足はくれてやる。彼が油断して限界まで近付いてきた、その時が勝負だと。
一歩、また一歩と静矢が近付いてくる。
(ーーここだっ!!)
「おっと、それは出来ないんだぜ黒鉄くんっ♪」
「…………へ?」
ーー驚いた。
急に身体が軽くなったことに?
決死の特攻が不発に終わったことに?
視界から桐原静矢が消えたことに?
ーー否。
腹部に見たことのない漆黒の短刀が突き刺さっていることに、だ。
いや、もっと正確に言えば。
知っての通り、桐原静矢の固有霊装は≪朧月≫。その形状は弓であり、決してこのような短刀ではない。
隠していた? いや、そもそも霊装を二つも持っているなんて、聞いたことがない。
「ホーールインワンッ! ワーストワンが、ホーールインワンッ! いやーナイスショットですよ御料人ッ☆」
一輝は腹部から流れる鮮血に顔を歪めながら必死に思考を巡らせる。
(考えろ、何があった? 桐原君が近付いてきたその瞬間、飛び出そうとした僕の足をジョンが急に離した。身体が軽くなった理由はこれだ。そして体勢を崩されたまま僕が桐原君に被さるように投げ出され、カウンター気味にこの妙な短刀に腹を刺された)
つまり一輝がこの瞬間を狙っていた事も、右足を犠牲にする事も読まれていていたという事だ。
しかし、分かったのはその動きのみ。
肝心の短刀に関しては、彼が霊装として呼び出したように見えた事以外は何も分からない。
「一体、これ……は?」
「うーん、黒鉄君。それについてはこれから君が嫌でも知ることになると思うよ?」
そう静矢は零し、一輝に刺さった短刀の柄を両手で握りしめる。
瞬間、静矢の魔力が高まり、まるで生き物のように唸りながら、そんなイメージで短刀へと注ぎ込まれていった。
「正直早く辞めたかったんだよね。なにせこの男の情け無さ、反吐が出る」
「な……にを?」
一輝の言葉に静矢は笑みだけで返しーー、
「奪い取れ、≪
抜刀絶技と思しきものを発動。
刺された傷口からその漆黒の短刀へと、一輝の中から大量の魔力と、そしてナニカが奪われていく……
黒鉄一輝はこの瞬間、黒鉄一輝ではなくなった。
to be continued……
って、一回言ってみたかった。