ミカベネ物語  ツウィッタウン事件簿   作:ミ景

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 江戸門が家に入ると強い海の匂いを感じた。

 それはキッチンから漂ってきて、まるで海藻や海水を煮立てているようだ。

 思わず、うっと込み上げてくる吐き気を呑み込むと、嬉しそうに台所に立つ魔女の声。

「こんな孤独なババアのとこに、人が来てくれるなんて嬉しいねえ……今日は新鮮な肉が採れたんだ。 美味しいミートパイを馳走してあげようねぇ。 ヒーッヒッヒッヒッ!」

 そうして、配膳盆に載せて深い海色をしたパイが運ばれてくると先程より濃厚な匂いが鼻腔を貫く。

 目の前に鎮座するパイの配色はお世辞にも食欲をそそるものではないし、吐き気が止めを刺した。

「い、いえ……来る前に食事は済ませたので……」

 老婆は江戸門の嘘を信じたのかあっさり片付ける。

 そのチラリと見えた悲しそうな横顔に胸を痛める刑事だったが、次の瞬間には自分のパイをムシャムシャと頬張る姿を映り何とも言えない感情が。

「それで……聞きたいことはあの変わった男についてだったかね?」

「ええ、お願いします!」

 口元をナプキンで拭うと

 ふう、と息を吐くと魔女はこう告げた。

「あの男には自分が変わっていくのが止められないかって聞かれてね……しかしアタシは魔女ではあるが、神様じゃあないんだ。 治す手段はない、変わるのが自然と教えといたさ」

「その……彼に何があったんですか?」

 ん? と首を傾げた魔女。

「……アンタは組織の奴らじゃないのかい?」

「…………組織? なんのことです?」

 沈黙が空間を支配し、老婆が何かを察した表情を浮かべた瞬間その顔が崩壊。

 体は痙攣し、眼球が四方八方へ動き、口からは涎が滴り、どこから出ているのかわからない叫び声が室内を震わせた。

 江戸門が驚いて椅子から跳び退くと、老婆の彷徨っていた焦点が静止し、痙攣もピタッと止まる。

 ゆっくりと向けてくる目は白く濁っていた老婆のものではない赤い瞳へと変化。

 そこには別の意思が宿っているのを感じた江戸門は唾を嚥下し、額に浮かんだ汗を拭おうとした時自身の身体が金縛りのよう動けないこと、加えて声も出せないことにも気が付いた。

 唯一動かせる視線で目の前の魔女を追いかけるしかない。

 彼女は席を立つと先程まで歩くのもやっとだったようには思えない足取りで棚へ向かい、そこの一角へ手を伸ばした。

 帰って来た彼女の細腕には古い小物入れが抱えられており、その様子から大切なものが収められていると察することは出来る。

 机の上にそれを置くと、江戸門の身体に圧し掛かっていた気配が消えるのを感じ体重を預けるように椅子に座り込んだ。

 代わりにやって来た疲労感に肩で息をする青年に小物入れから取り出した『それ』を老婆は差し出す。

 銀の小さい輪に翡翠色の石が填め込まれいるそれはどう見ても指輪で……当然のように困惑する江戸門は動きが止まる。

 それをじれったく感じた皺だらけの両手が刑事の腕を手繰り寄せ、強引に握らせた。

「いいかい、これは誰にも、見せず教えず処分するんだよ? アンタを信用するからね」

 赤い眼が真っ直ぐ覗いてくるのを江戸門は逸らすことなく、指輪を受けとると首は自然と縦に振っていた。

 確かに不気味に感じたが、決してその眼は邪悪ではないとも思えたのだ……。

 現代に溢れる汚い嘘や欺瞞などを裁くために、困っている人々の助ける為に警察官を目指した青年には既に目の前の老婆も救済の対象に入っている。

 そのどれもが江戸門 妙窟という男を表しているのかもしれない……それがこの世界ではどのような結果になるかは火を見るよりも明らかだが……。

 それでも……両目を閉じ、椅子にもたれ掛る老婆の安堵にも似た表情を見て、後悔は消えた……そういう男なのだろう。

 魔女の皺で刻まれた口元が動く……もぞもぞと何かを呟いた彼女の声は江戸門には届かなかったが、その直後に閉ざされていた瞼が持ち上がった。

「……アタ、シはいまま、でなにを?」

 赤い瞳ではなく、白濁した瞳は力なく揺れており、危なげに椅子から立ち上がろうした彼女が倒れそうになるのを江戸門は素早く駆け寄り支えた。

「ああ……すまない、ねぇ」

 口調もどこか弱弱しく、明らかに衰弱している。

「……今日はもう休みましょう」

 老婆は返事をしない……しかし、僅かに聞こえる呼吸音が彼女が生きていると証明してくれた。

 

 

 

 魔女と呼ばれた老婆をベッドに寝かしつけると、起こしてはマズいと江戸門はお礼と後日また伺うことをメモで書置きしておくことにした。

 託された指輪を上着のポケットにしまうと、家から出ようとドアを開いた時に何かにぶつけた衝撃。

「イデッ!」

 声に慌てて、外へ出ると額を押さえた臨時の上司、御景警部がそこにはいた。

「す、すいません御景さん!?」

 駆け寄る江戸門に手で制す御景の恰好は上着は着ておらず、ズボンは泥で汚れ、白いシャツは所々赤い染みで塗れているという……家に入る前とは随分と変わっていた。

 その視線に気づいたのか言葉を濁しながら、語りだした。

「あー、裏を散策してる時に……どうやら古井戸があったらしくてな……辺りも老朽化してるのか陥没したんだ……それで危うく落ちかけたのを慌てて掴んだんだが……両手の爪何枚かと仕事道具を落としてしまって……な」

 見てみると彼の両手は白い包帯が覆っており、先端は薄く赤で染まっている。

「だ、大丈夫なんですか!? 速く病院へ行かないと!?」

「おいおい、慌てるな……こういうのは慣れてるんだ」

 怪我した本人よりも取り乱す江戸門に御景は笑う。

「ところで、お前の方は聞き込みはどうだった?」

 上司の質問に反射的に答えようとした瞬間、老婆との約束を思い出す。

 そう彼は嘘をつかれるよりも嘘をつくことを嫌う人種であり、このケースを失念していた。

 誰にも見せず教えず……その約束は自然と御景にも適応されるのではないか?

 老婆の言葉を回想……彼女は『アンタら』ではなく、『アンタ』と言った。

 しかし、この指輪が捜査の進展に関わっていないと言えない状況……それに結局あの老婆はからはろくな情報を聞き出せないままこの状態だ。

 黙っている江戸門に御景は怪訝な表情。

 自身の嫌いな嘘をつくか、約束を守るか……その選択を迫られていた。

「じ、実は……」

 言葉をギリギリまで濁す、脳内で必死に紡ぐべき単語が行きかう。

「実は?」

「じ、実は──」

 江戸門は決めた。

「──お昼を御馳走してもらい……ました」

 その答えにポカンとする上司に俯いて視線を逸らす。

 それは嘘をついた罪悪感か、嘘を繕うためのものか……

「そっか……それで?」

「え?」

「お昼をご馳走になっただけ?」

「……はい、そのあとは荒野の魔女はご老体ですのでお休みに……」

 そうか……と納得するように頷く御景は車に向かう。

 慌てるようにその後に続く江戸門。

「ど、どうされましたか?」

「いや、私は両手怪我してるしさ、江戸門警部補がお昼食べたなら私もお昼休憩をね」

 内心で安堵の息を吐く刑事を運転席に座らせると、御景は助手席に座る。

「安くて美味くて速いところを頼むよ」

「……任せてください」

 そうやって車を発進させると遠のいて行くあばら家をミラーが映して行くと無意識的にポケットに押し込んだ指輪を弄っていた……。

 

 

 街中の簡易的なレストランで食事を終えたあと、御景は本部に連絡をするとのことで席を外していた。

 江戸門もこの入谷区に派遣されてしばらく……すっかり住人の顔を覚えていたし、また住人からも覚えられていたので少し遅めなランチにやって来た客のほとんどが彼に手を振ったり、声を掛けてくる。

 ポケットから出さずに指輪を触りながら、あの老婆──荒野の魔女について考えた。

 変貌したも言える赤眼の状態……あれこそが魔女と呼ばれる本質なのではないだろうか?

 若干なオカルト好きということもあってか江戸門妙窟はそういうことには否定的ではなかった。

 だからこそ、本部からやって来た者に提案することが出来たのだ……まさか、採用されるとは思ってはなかったが。

「しかし、変わっているよな……」

 対面に鎮座する食べ終えた食器を見る。

 両手を包帯でグルグル巻きにしながら、器用にフォークとナイフで食事をする光景は奇妙ではあったし、田舎の些細な料理を美味しそうに食べていたのだ。

 都会の刑事なら余程いいものを食べられるだろうというのに……いや、と考えを訂正。

「俺も、そうだったな」

 こちらに来て食事を楽しむ余裕も出来たのだ。

 本部での勤務では食事よりも仕事を優先としていて味なんて覚えていないし、金も使い道なんてなかった。

 それに真面目に働けば働くほど、叩き上げの上司なんかには因縁をつけられたのも思い出す。

 そうして見ると余計に今はいない警部が奇妙に見えてきた。

 自分と大して歳も変わらないであろうに威張ることなく、真面目に仕事をこなしながら冗談が通じないわけでもない。

 こんな人もあそこにはいたのか……それが締めくくる感想だ。

 時刻は昼を過ぎて、温かい陽光を浴びて気分をリラックスさせると気分を切り替えた。

「……とりあえず、難しいことや今後のことは警部が帰って来てからだ」

 ウトウトする中で遠くにサイレンの音が聞こえた気がしたが、意識はそのまま沈んでいった。

 

 

 そのまま、陽がだいぶ傾き掛けるまで寝ていた江戸門を起こしたのは店のウェイトレスだった。

 なんでも、連れの男が「死ぬほど疲れているから眠らせてやってくれ」と言ったらしい。

 代金は支払われており、代わりに江戸門は書置きにされていたメモを読んでいた。

 要は電話先の上司の都合で本部へ帰ることになったことと、案内への感謝なんかだったのが……。

「そんなこと直接言ってくれればいいのに」

 自然と零れた笑みを浮かべ、店を出ると少し騒がしいことに気付いた。

 近くの男性に声を掛けると。

「荒野の魔女の家が消えたんだとよ!?」

 その近くの主婦が訂正。

「違うわよ! 下から火が噴きあがったのよ!?」

 憶測に似た答えが飛び交うだけで、真相を知るために江戸門は警察署へ走った。

 警察署へ辿り着くと小暮がパトカーに乗り込んだところで、駆け寄る警部補に気付いき手を振ってくる。

「先輩!」

「小暮さん、荒野の魔女で何が!?」

 息を切らせながら問う江戸門に運転席で首を横に振る小暮。

「急ぎましょう!」

「押忍!」

 いつもは法定速度を遵守するが今回は例外でサイレンを響かせながら駆けて行く。

 

 

「これは……どういう……」

 現場に辿り着いた江戸門が唖然。

 つい数時間前に訪れたあばら家は跡形もなく、消えていた。

 火災や爆発とは違う……言うなれば埋まっていたとでもいうのか……。

 周りに民家はないが誰か巻き込まれていないか捜索ヘリなどが空を行き交う。

 恐らく、地盤の陥没だと予想されているが、原因の検証も後日行われるらしい。

 そこで、ハッ……と思い出した江戸門は小暮に言った。

「このことは警部の耳に入っているんですか?」

「…………」 

 警部という単語に思考を巡らせたようで数瞬の間が空き、そこで何故だか小暮の顔が青くなった。

 江戸門は疑問を覚える。 経験上、彼がこうなるのはオカルトや怪奇現象などの類だ……自分の発言を思い返してもそれはない。

 そう考えていると目の前の巨躯からとは思えない震えた声で言葉が絞り出される。

「あ、あの……先輩。 つかぬことお伺いしますが……それは『御景警部』のことであります、か?」

 語尾になるにつれて小さくなる声。

「ええ、そうですが……それがなにか?」

 珍しくふざけているのかと思うが、彼の表情からそれはないと削除。

「あ、あの実はあの後本部の者に問い合わせてみたのですが、そのような人物はいない……と」

「…………え?」

 思考がフリーズ。 情報の理解と処理が噛み合わず立ち尽くす。

「我々は騙されていたか……じ、実はあの人は……ゆ、幽霊と、か?」

 小暮の言葉を処理する余裕は江戸門にはなく、自分が半日過ごした人物の正体や老婆とのやり取り……全ては白昼夢だったのでは? という答えはポケットの指輪が否定した。

 次から次へと降りかかった出来事は純粋でもあり、誠実さに溢れた青年に襲い掛かったが、ただ一つ分かることがある。

 

 

 入谷区の『荒野の魔女』はその日から消えたということだ

 

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