ミカベネ物語  ツウィッタウン事件簿   作:ミ景

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アナザーファイル、2‐3.5『夜の商店街』下

 

 雑貨ビル入り口では議席のラビット=ビットと、自称門番の男が戦いを繰り広げていた。

 弾丸と中華刀がそれぞれ交錯する二人の戦場の外には、ラビットが治めるラビッ党の幹部たちがそれを見ている。

 元から戦いに興味がない馬のマスクを被るホール・ホースは手元にある携帯端末に目線を下していた。

 目の前で繰り広げられる戦いにミスター・ポルコは豚の面に相応しい肥満体を揺らして震えるばかりだ。

 対して、今にもその戦火に身を投じようとしているヴォルフとメッドヴェージの二名は、それぞれの狼と熊のマスクから唸り声を上げる。

「ったく、これじゃ童話の音楽隊も真っ青な光景だよな」

 ホール・ホースが呑気に画面に指を走らせる。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 その光景を見ていた中華服を纏う男が、鼻で笑った。

上司(ボス)が戦っているというのに手も貸さないとは随分と部下に恵まれているな、兎氏」

 舞とも思わせる身のこなしで刃を躍らせる男の攻撃を、ラビットは冷静に身体を捩って躱す。

 同時に空になった弾倉から薬莢を放出し、次々と繰り出される凶刃を避けていた。

「残念ながら俺はそうは思わない」

 いつの間にか再装填し終えたリボルバーを構えたラビットはその皮肉に対して、真摯に答えた。

「俺が死んでも代わりがいる。 託せる奴らがいる……そう思えるだけで少しは楽になるんだよ」

 言葉に乗せた放たれた弾丸は男を捉えるが、それらを避けるのではなく中華刀で両断するという離れ業を披露するという結果になった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

「俺は何を見てるんだ?」

 ポルコの呟きに、ホール・ホースが答えた。

「夢だよ……それもトンでもねえ悪夢……お前さんが(トン)だけにな」

 くだらない冗句(ジョーク)に誰も反応しないが、本人は気にした様子もなく、言葉を紡ぐ。

「しっかし、この茶番はいつまで続くんだ?」

 ウンザリした口調にメッドヴェージが反応。

「お前、ボスが戦っているのになんてこと言うんだ!?」

 女と知りつつも二メートル近い巨体が詰め寄ってきたら流石に気圧されたようだが、馬のマスクの下で返答が返される。

「お、おいおい俺だけが叱られるってのは不公平だぜ……なあ、ヴォルフ?」

 メッドヴェージとポルコの視線が灰色狼の面に集まる。

「お前が今にも飛びかかりそうなのはテメエが戦闘狂である以上に、目の前の光景がお遊戯に見えてしょうがねえからだよな」

「あ? どういう意味だよ」

 ポルコの疑問にヴァルフが答えた。

「ボスは……ラビットの奴は出し惜しみしている」

「あれが全力じゃねえのか?」

 ポルコの驚きが含まれた声に、ホール・ホースは肩を竦めた。

 メッドヴェージもまた理解が追いついて、表情を窺えないマスクを通しても困惑した雰囲気を隠せていない。

 ヴォルフはラビットに対しては絶対の信頼を寄せてはいるが、普段では行わないはずの行動とその真意を測ろうとするもどうしても結びつけない答えに苛立ちが募るばかりであった。

「まあ、ラビット()のことだから何かあるんだろうがよ。 どうも、キナくせえし俺は全員であの野郎をとっ捕まえるのも手だと思うんだが、どうよ?」

 その提案者であるホール・ホースの顔が他の三名を見渡す。

「俺はそれでいい」

「アタシもだ」

「……無論だ」

 ボスからの待機命令を違反して突撃を掛けることに賛同した部下たちはそれぞれが得物とその体勢を構える。

 今から飛び出そうとした瞬間だ。

「全員、横に跳べ!」

 ヴォルフの叫びに他の者は反応し、跳んだ。

 それに僅かに遅れて、何かが四人のいた場所に着弾。

 地面に突き刺さっているのは鉄製の両刃の刃物で、それは昔東洋の忍びが使用していた暗器の一つ、苦無に見えた。

「おいおい、飛び道具を使う俺が言うのもなんだが、もう少し戦い方があるんじゃねえか? 不意を狙うなんて卑怯だぜ?」

 その声が聞こえた方角と、苦無が投擲されたであろう場所は自然と同じものであった。

「残念ながら、私は暗殺を得意とする立場ですし、正々堂々というものが本来はおかしいのではないのかと思います」

 その方角を辿ると、付近のビルの上に二つの影が立っていた。

 声からして男女の二人組とは思われるのだが、その風貌は普通ではない。

 紫色をベースにした金属の装甲は全体的に丸みを帯び、顔にある緑色の複眼がギョロリと下を見つめ、もう片方は装甲を青色ベースとしたもので、全体的に武骨な仕上がりとなっており、右手には巨大な拳銃が握られ、顔にはバイザー式の目が付いていた。

「どういうつもりだ」

 その言葉を投げたのは、ラビットと戦っていた中華男で、顔を龍の面で隠しているが気だるげなものではない怒気を孕んだものである。

 新手の登場に二人ともその場から離れ戦闘は中断したのだ。

「どうしたもこうしたもねえよ」

 青い装甲を纏う男の言葉を引き継いだのは、隣に立つ人物で。

「我々も使命に準じようと思いましたが、何やら不穏な気配を感じとり、勝手ながら参上いたしました」

 女の声と共に顔にある複眼が点滅する。

「お前こそ、相方はどうした?」

 中華男は親指で後方のビルを指し示した。

「なるほどな、それよりもこれからどうするんだ? コイツら皆殺しでいいのか?」

 ビルの上から挑発的なコメントをする男の声にラビッ党の面々の気配に好戦的なものが宿っていく。

「お前は私の邪魔をしに来たのか、手助けに来たのか?」

 ため息混じりに男は、その手に持つ中華刀を構え直した。

「無論、手を出しに来た」

 ビルの上から跳躍して、二人組は龍の面を被る男の前に着地。

 雑貨ビルを背中に三人が並び、それを迎え撃つのがラビッ党の面々であった。 

「どうするんだ、ボス?」

「相手は未知数だ……情けないが全員で対処するぞ」

 ラビットの命令と共に、全員の空気が引き締まった。

 先程とは比べものにはならないであろう、緊張感が両軍共に高まっていく。

 それが限界を迎えようとした時だ。

 どこからか湧き出した黒い気配と、何かが砕け散る音が鳴り響く。

 その音源は雑貨ビルのいくつもの窓ガラスが割れたことによるもので、場所は五階。

 降り注ぐガラスの雨を物ともせずに、その破砕音を合図にまた別の戦いが始まったのだ。

 中華服の男はそこで誰かに聞こえるとも分からない音量で何かを呟いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 命の色が床を満たしていくのを路路有楽(ろじうら)魑祀(ちまつり)はただただ眺めていた。

 そのような光景を見るのは決して初めてという訳ではない。

 むしろ、その手を真っ赤に染まるくらいには戦いを繰り返して、生きてきたのだ。

 その途中には、相手に敗北するよりも自ら命を絶つ者もいたし、敵わないとわかりつつも一矢報いようと突貫を仕掛けるが無残な結果で果てる者もいた。

 彼は過去にそのような者たちと相見える機会があり、先述のような結果に終わることがほとんどである。

 そのことに関して魑祀自身は責任や罪悪感を感じることはないし、持ち合わせていなかった。

 それは決して冷血漢というわけではない。

 そういうものだと教えられたし、知っているからだ。

 そこで、ふと昔読んだ本の内容を思い出した。

 敵に殺されることも、自身で死を選ぶ権利も、一見個人に()ねられているように見えるが、それはきっとどこかで”そうせざる得ない”ということや、その理不尽な舞台(せかい)の中で生きるしかないと人間は本能的に理解しているのだと説いていくものだ。

 後半からはあまりにも電波を放つ内容で魑祀は読破を断念したが、興味深いとは思えた。

 題名は『悲観なる淑女』で、著者は確か……【夏影(なつかげ)庵理(あんり)】という人物である。

 どうして、今それを思い出したのか。

 恐らく、魑祀にとって今の状況は決して運命や宿命という言葉で片付けたくもなく、何よりも誰かによって導き出されたものであるということを信じたくないからかもしれない。

 目の前で血の海に沈んでいる男は決して追い込まれていたわけでもなく、むしろ優位な状況であった。

 それなのに自らの腹部に刃を突き立てるなど、異常でしかない。

 これらも全部誰かの、そう仮に神とやらにでも決められたシナリオによるものなら、彼の人生はすべてが偽りになるのだ。

 とてつもなく耐えがたいことだと、内心吐き捨てる。 

 そうしているうちに魑祀が思考の片隅で数えていた時刻が過ぎた。

 見れば赤黒い液体が随分と広がっており、常人であれば出血多量で死んでいるだろう。

 雑貨ビルの死闘はあまりにもあっけない終わりを迎えたのだった。

 二刀に分かれた剣を連結させようとして、魑祀はこれまでにない違和感の正体に気付く。

 気配だ。

 それはドス黒く、ドロドロとしたものだ。

 当然死体からそんなものを感じるわけはずはない。

 それも徐々に薄くなり霧散していくならまだしも、それに気づいてから気配は”増して”いく一方だった。

 魑祀は過去に似たようなものを感じた心当たりはあるが、その道の専門家という訳でもなく断定は出来ない。

 それでも、否、だからこそ確信を持つ前に彼は決断した。

 一歩、死体に近づくと赤い海が泡立ったように見えたが、暗闇の錯覚とも取れる。

 それを気のせいとは取らず、それぞれ両手に握る刃に青い光を纏わせて疾走。

 狙いは死体……いや、男の首を取ることにあった。

 それは魑祀の足が血溜まりを踏もうとした瞬間である。

 赤い液体が”動いた”。

 それも重力を無視して、まるで意志を持つかのように魑祀に襲い掛かる。

 直撃する前に、驚異的な反射神経で床を蹴って後方へ跳んだ。

 追撃は仕掛けてこずに血液は再び、液体に戻る。

「おい、いい加減下手な芝居はやめろ」

 魑祀の呼びかけに反応したのか倒れていた狐面の男がゆっくり立ち上がる。

「それで、お前が言っていた”儀”ってのはくだらねえ騙し討ちと、死に真似ってことか?」

「慌てるな、それはこれからだ」

それはまるで寒さに凍えるような震えた声だった。

 ゆらり、と男が一歩足を進めるとそれに応じて血溜まりが道を開けた。

「貴様が札を賭けてきたのであれば、私もそれに応じてやるのも一興……乙というものだ」

 くくく、と漏れた笑い声が聞こえてくる。

「さて、これから見せるのはあくまでも私の奥の手だ」

 その言葉に偽りはないのだろう。 

 確かな自信が乗せられていた。

 男が刀を一振りすれば、床に広がっていた赤い海に動きが生まれる。

 まるで楽隊の指揮者のように、幾度か刃を振るい終わると何時しか血液たちは姿を消していた。

 いや、正確には日本刀の刃に収束し、一体化していたのだ。

 白々としていた歪曲した刃は、赤黒く禍々しい刀身へ変貌。

 しかし、そこに違和感などはなく、まるで初めからそうであったかのような存在感である。

「では、貴様の例に(のっと)るとしよう」

 男は今までもとは違う構えを取った瞬間、空気の圧迫感が増した。

「我が名は…………怪人。 最早、名乗る名は持ち合わせてはいない。  代わりに我が愛刀【百狐(びゃっこ)】と、計都狐悼流(けいとことうりゅう)が妙技……その身に刻んで逝くがいい」

 

 第2ラウンドの火蓋が切られたのだ。

 

 

 

 

 

 血を纏わせた百孤(びゃっこ)の刃を、魑祀(ちまつり)の二刀が受け止める。

 少し前よりも増えた質量と勢いに押され、踵が床を削り静止。

 止まった刃を片方の剣で払いのけて、魑祀が一気に肉薄。

 オブライエンは慌てた様子もなく、手首を回転させる。

 その途端に長刀を構築していた赤い刃に変化。

 速攻で放つ魑祀の斬撃を赤い線が遮る。

 それは枝分かれした血液の刃だった。

 舌打ちして離脱するのと同時に、赤黒い刃が彼のいた場所を貫く。

 後方へ着地した魑祀の視線が前方で蠢く刃と、自身の二刀が纏う青い光を比較。

「案外粘るな……いや、逆に剣速が速くなったと感じるほどだ」

 冷静な声音を相手せずに、魑祀は走ると勢いよく床を蹴った。

 加速したまま跳んだ足が天井を捉える。

 収縮した筋肉のバネを解き放って、一直線に突き進む弾丸となった。

 当然、オブライエンは仮面の下で怪訝な表情を浮かべるも、柄を握る手に力を込める。

 向かってくる軌道を読んで、振るわれた刃が再び朱の線を構築。

 自然とそれに飛び込んでくる魑祀とぶつかることになる───はずだった。

 二刀を構えた剣士と、血液の刃が一瞬拮抗したかと思えば、刃が弾けて床や壁に飛散。

 そのまま、百孤の白刃が受け止める。

 そう、計算通りなら刃が迎え撃つのに問題はないはずだったが、それを上回る速度で魑祀が飛び込んできたのだ。

「貴様……身体に科学燃料でも仕込んでいるのか!」

「知るか!」

 爆発的な加速の理屈も、理由も魑祀自身にすら不明である。 

 だが、そんなことは些細なことだ、と本人は闘気を載せた刃を振るった。

 対するオブライエンも冷静さを失うようなことはなく、刃で応える。

 火花と金属音が鳴り響き、両者は円弧を描くように刃の応酬と、回避を続けた。

 オブライエンの剣と血の軌跡が舞い、魑祀は刃の弾幕を防御に変化させる。

 再び、攻勢に出た魑祀の刃を、オブライエンは柔らかく受けた。

 その時、左手が跳ねて、剣を握る魑祀の右手を下へと叩き落す。

 同時に刀身が下がり、オブライエンの刀が無防備な空間を進んでいく。

 首筋を狙う鋭利な閃きを、加速した反射力で迎えたもう一太刀が防ぐと赤い花が咲いた。

 下にある右手と、防御で構えて交差した両腕を魑祀は反転させる。

 まるで巨大な鋏のように迫る刃たちを、オブライエンは後退して回避。

 それと並んで、下から上へと振り上げられた百孤の刀身に遅れて、赤い刃が続く。

 伸ばされた血液の軌跡を、魑祀もまた後退して逃れた。

 液体に戻るそれに注視する。

 両者緊迫する空気の中で、笑っていた。

 正確にそれを見ているわけではない。

 しかし、どこか似通っている二人はそれが分かった。

「些か不調とはいえ、百孤の赤翅(あかばね)で押しきれぬとはな……」

 いつの間にか呼吸が荒れていない魑祀は肩を竦めた。

「敵相手に体調不良を(ほの)めかすって、それ言い訳のつもりか?」

「まさか」

 軽い口調の否定と裏腹に、刃が再び動く。

 白刃が次に裂いたのは、彼の右腕であった。

 スーツごと切り裂いた傷口から、命の水が溢れていく。

「テメエ、あれか。 自傷行為しないと落ち着かない性癖(たち)なのか?」

 既に戦いの性質を知っているが、いくら何でも無茶を通り越した自殺行為の領域。

 それを間近に見ている魑祀の鼻腔には鉄の匂いが充満していた。

「ああ…………仮に、それでこの、身が軽くなるなら……いくらでも吐き出そう、差し出そう、掻き出そう」

 しかし、そこで魑祀はこれまた違った空気に気付く。

 血液は刀身でなく、男の傷口に集まっていた。

「……叶わぬ、戯言を、語ったな。 続いては……奥義が一つ、朱振(しゅしん)を、御覧にいれよう」

 肩を上下させる以前に、息も絶え絶えのオブライエンの右腕は変貌。

 それは赤黒い血液が構築した巨大な腕であった。

「……今キャンセルしたら、払い戻しはあるか?」

 引き攣った頬を靡いた風圧の正体は、振りかぶられた巨大な拳である。

「だよな」

 肉薄した影にどうしたものかと思う魑祀であったが、身体が反応。

 横に跳んだと同時に、疾走した彼は腕を切断しようと斬りかかるも手応えは無い。

 代わりに飛び跳ねた血液が棘に変化し、危うく右目へ突き刺さるところであった。

 刀の絶技に、血液の刃。

 そして、血液で構築された四肢を振るうときた。

 

 

「お前、辻斬りって名前改名しろよ!」

 

 

 彼の心からの叫びが自然と零れていた。

 魑祀(ちまつり)の叫びが届いたかはわからないが、巨大な右腕は彼を目掛けて振るわれた。

 血液を媒介に肥大化したそれを魑祀は避ける。

 受け止めようにも質量の違いがそれを許すわけもなく、その代わりに直撃したことによって砕かれたコンクリートの破片がそれを物語っていた。

 当然、振るい終わった瞬間の隙を狙おうと接近しても、腕から変質した血液の刃らが生えてそれを拒む。

 それらを踏まえて、決定的な好機を逃がすまいと動き回って機会を伺う魑祀に痺れを切らしたのか、それとも計画的なものなのかオブライエンは右腕を前に突き出した。

 それも見た魑祀の背中には悪寒が走り、加速した両足が逃走の一手を選んで疾走。

 その時、後方から何かが泡立つような音。

 肩越しに魑祀の視線が捉えたのは赤黒い五指の先から弾丸────否、血液の刃が機関銃のように撃ち出される光景である。

 部屋の外へ出てもなおコンクリートの壁を貫通してくる攻撃の嵐を避ける為に、彼は階段を駆け昇った。

 下への逃走を避けたのは、恐らくだが控えているはずのラビット(6th)たちを巻き込みかねないかねないというものである。

 最上階の五階は他の階よりも埃と淀んだ空気が部屋に充満していた。

 意外にも下の階にいる怪人の追ってくる気配はなく、魑祀は息を吐く。

 疲労と妙な満足感……それは強敵との戦いというよりも久々の”殺し合い”にだろうか。

 両刀に纏わせていた青い光を払って消すと、同時に一気にのし掛かる身体の重みに思わず膝をつく。

 高めた運動機能の反動と急激に消耗した熱量の代償によるものだろう。

 だが、それは今回の戦いを通して大いに変化を遂げているのも確かなのだ。

 通常なら当の昔に倒れていたはずの継続時間の更新。

 それどころか、今までよりも遥かに強化に関しての感覚を掴めていた。

「はっ……戦いを通じてこその成長っていうやつか? だったら、あの狐面には感謝だな」

 その言葉が終わると同時に激震。

 すぐに対応出来るようにと部屋の出入り口付近で構えていた魑祀の眼前の床が隆起。

 その直後には赤黒の巨大な腕が姿を見せる。

「少しは休ませろ……ってのは無理だよな」

 再び、二振りの刃に青の光が宿らせると、本体であるオブライエンも床に空けた穴を通して上がってくる。

 対峙した二人はお互いに限界が近いことを察していた。

 しかし、これは命を懸けた戦い。

 真剣勝負はどちらが倒れるまでは終われないのだ。

 先ほどよりも小さくなった右腕を構え、突進するオブライエン。

 それに応えるようにと、魑祀は両刃を重ねるようにして疾走。

 二つの力が正面からぶつかる。

 轟音と衝撃破で辺りの窓ガラスが吹き飛んだ。

 オブライエンの質量による攻撃と魑祀の加速させた刃。

 残りあと数回打てるもわからない互いの一撃。

 全力のぶつかり合いは、気合と意地と単純な殺意の表れであった。

 血液を掃射したことで一回り小さくなったことせいなのか、魑祀は吹き飛ばされずに済んだが、それでも軋んだ身体を今はただただ前に進めることに集中した。

 オブライエンはこのままいけば、恐らくただでは済まないと知っていても、先ほど新たに打ち込んだ薬の力を身体に噴出させる。

 体内で生み出されていく血液の熱と、急な造血による吐き気と駆け巡る苦痛を今は気力で抑え込む。

 増えていく右腕の密度と質量を実感しつつ、オブライエンはこの戦いが終わりに近いことを確信した。

 窓から差し込まれていた月の光に照らされて、赤黒い右腕と青い光を纏う刃が互いの主の意思を通じて軋んで火花を唸らせる。

 拮抗したそれの終わりは意外にもあっけないものでもあった。

 魑祀の刃が血液の腕を斬り裂いたのだ。

 刃と同様に硬化させた血液の腕を半ばまで斬り、急激に加速した剣士の姿が宙を舞う。

 それはオブライエンの血の刃での防御を突破した際の計算外の加速に似ていた。

 右腕を中心に集まる血液の解除と百孤(びゃっこ)を構えようとするも、跳んだ魑祀の影はオブライエンの直上。

 重力に従って振るわれた刃が二条の銀光を煌めかせる。

 刃たちがオブライエンの左肩と胸を切りつけると、藍色のスーツが刻まれ、その傷口から鮮血を噴出。

「見事」

 右手に握る得物を振るうことなく、オブライエンはそのまま自らの血の海に倒れこんだ。

「お前には……聞きたいことは……あるが、一回……死んどけ」

 疲弊しきった魑祀も同様に倒れそうになるも、両刀を支えに立っていた。

 今度こそ決着はついたのだという、彼の確信。

 しかし、限界まで酷使した身体と消耗しすぎた熱量のせいで意識が途切れそうになるのをなんとか留める。

「連絡、しねえとな」

 相手は無論、今回の仕事仲間……ラビット=ビットだ。

 携帯端末を操作する指の感覚もおぼつかない状態であるが、なんとかして相手先への発信を行う。

 だが、そこで違和感。

「……あ?」

端末に耳を当てていた魑祀が画面へと視線を落とす。

画面の端で示す電波状況を確認すると、圏外の文字があった。

 明らかな異常に、魑祀は舌打ち。

 二人の剣士が死闘を繰り広げたその場に異変が起きた。

 辛うじて立っている魑祀(ちまつり)の視線が気配を辿る。

 下から上げていき、水平に戻した時にそれを見つけた。

 そこには確かに人間の影である。

 縦縞のスーツに身を包み、陽気に身体を揺らしながら、それは暗闇から一歩ずつ近づいてきた。

 そこで影の顔が奇妙なことに気付いたのだ。

 その人影の顔は白い包帯が巻かれており、その白い生地には六つの瞳が描かれている。

 額、右頬、左顎、口、左目、右側頭部と大きさもバラバラな不規則な目が存在。

 黒い線で構築された目は顔だけでなく、影の両手に巻かれた包帯にも同様に構築されていた。

「ふんふんふーん!」

 と、軽く鼻唄混じりに右手で旋回させる杖の手元には、銀色に輝く女性の頭があった。

 魑祀はその人影に警戒するも、殆ど抵抗する体力は残っていない。

 傍らに倒れる狐面の怪人────オブライエンも同様で、呼吸音だけが生きていることを証明していた。

 そんな警戒している彼の気持ちを露知らず、その人物は話しかけてくる。

「やぁやぁ、こんばんは。 いや、正確にはもうじき日付も変わるであろうから、おはようございます、というのも悪くはないかもしれないが、そもそも朝と夜は太陽の有無なんかで判断しやすいが、夕方や昼とか結構曖昧で挨拶の言葉選びに苦労した記憶はないかい? それはそうと、諸君らは(それがし)のことはご存知かな? 知らないなら一応名乗るつもりだが、初めてであるなら尚のこと挨拶は重要だと思うのだよ。 それにしても君たちは息も絶え絶えでそれどころではないと思うが、やはり挨拶は大事だ。 おはようございますから、おやすみなさいまで一日を締めくくる重要なことだ。 それにしても顔色が悪いな君たち、ちゃんと栄養は採っているのかね? 近頃は体型維持や体重の減量と称して、食事を抜きにする輩が増えているそうだが……ん? 体重を減らすために食事を採らない者が増えている……これは何とも笑えない黒い冗句(ブラックジョーク)というやつだな。 おっと、話を戻そう。 そう、挨拶は大事なのである」

 捲し立てるような男が紡いだ言葉の乱射。

 魑祀は可能なら、既に斬り殺しているレベルで苛立っていた。

「おっと、失礼。 そうだな、名乗るならまず自分からだというのは常識であったな。 某は夜母(やぼ)教団、【十指徒(じゅっしと)】が一人! ”右薬指”の【アイザック=スタンスターン】である!」

 魑祀は聞き覚えのある単語を拾う。

「……やぼ……教団? 4thのところのか?」

 その言葉にすかさず、アイザックが反応。

「おやおや、その様子ではあの腐れ教祖────失敬、教祖殿をご存知で?」

「……まあ、顔見知り程度だ」

「はあ、良かった。 あのド腐れと親しい間柄の人間なんかと同じ空間で過ごすとか、一回死んでもいいくらいですからね」

「お前……アイツの部下じゃねえのか?」

「まさか!」

 大袈裟に手を振って否定。

「某の心と身体は全て! (うるわ)しの夜母(やぼ)様のもの!!」

 魑祀たちに背を向けて、自身の両肩を自分の両手で包む姿が見えた。

 うっとりと、恍惚した声音はまるで恋する乙女のような仕草……だったが。

「気色悪っ!」

 小声であるが魑祀は反射的に口に出していた。

 それと同時にアイザックの身体が反転。

 怒気を隠そうともせずに六つの落書きの瞳が意思を宿すような視線を飛ばした。

 杖の先端銀の女性の頭を魑祀に差す。

「それを貴様ぁ! あの糞蛆にも引けを取らない、駄教祖の部下だとぉ! 笑えぬ冗句は”左中指”のやつだけにしてもらおう!」

 魑祀の顔に怪訝な表情を読み取ってか、アイザックが語りだす。

「そう、某らは確かに夜母(やぼ)様を信仰する教団であるが、同時に夜母(やぼ)様は複数存在するのだ、加えて────」

 さっきまでの怒りはどこへやら、長々と説明に入ったアイザックに今度こそ魑祀は言った。

「4thの下っ端のお前が何しに来たんだ?」

「────────」

 時が止まったかのようにアイザックは喋るのを止めた。

「…………」

 魑祀もまたそれを見守り、オブライエンは……消えていた。

 いつの間にか、百孤(びゃっこ)を握った狐面の影が刃を振るう。

 その矛先はアイザックの首筋のみ。

 手負いながらも完璧な軌跡は、最短最速で目標へ向かう。

 しかし、それを阻むの他でもない六目の男の杖であった。

 火花を散らしながら拮抗する両者。

 しかし、既に限界のオブライエンには動きに覇気は感じられず、先程の不意打ちが最後の力だったのであろう。

 アイザックが手首を翻し、百孤の刃は独り宙を彷徨(さまよ)った。

 その崩れた体勢にアイザックの蹴りが舞う。

 革靴が見事にオブライエンの鳩尾を抉り、吹き飛ばした。

 もはや、ろくに受け身も取れない彼は咳き込みながら、愛刀を支えに立ち上がろうとするもそれも危うい。

「……ちっ」

 その姿を見て、魑祀は何故出たかわからない舌打ちに苛立ちが増した。

「全く、躾の悪い……いや、生まれが悪いと言うべきか。 困った人だ」

 ふぅと息を吐いて、アイザックは魑祀に向き直った。

「それで、某が何故ここにいるか、だが」

 それまでにはない黒い気配が男から溢れる。

「ああ、某は教祖”様”の(めい)を受けてきたのだ」

 アイザックが杖を振るえば、それは無数の刃に分かれた鞭となった。

「怪人を殺せ、と」

「おい、待てよ!」

 魑祀は思わず、声を荒げた。

「そいつは俺の───俺と6thの標的だろうが!」

 ん? と首を傾げたアイザックの頭には疑問府が浮き出てそうな錯覚を覚える。

「だから、怪人”辻斬り”は────」

「ああ、なるほど!」

 そこで合点がいったような声と、両手をポンと打ち付けた。

「それは勘違いだと思われる」

「あ?」

「そこに這いつくばっているのは、怪人”狐狩り”だ」

「……は?」

 魑祀は言葉の理解に思考が追いつかずに止まる。

「まあ、特徴は似ている。 現在、某の……同胞というのは個人的に非常に許せないので、あれだ。 知人で馬鹿だけど、腕は立つ”左人差し指”と頭は冴えるが雑魚の”左親指”が追跡している。 この情報は……あれ? これ非公開指定だったかな?」

「……こいつは怪人”辻斬り”じゃねえと?」 

「その通り、具体的に見分けの特徴はその面だ」

 指で示したひび割れた狐面。

「なるほどな、ありがとうよ」

「なあに、礼には及ばん。 すぐに終わる、そこで見ておけ……えーっと、そちらは」

 思考の横顔で振るわれた刃の鞭がオブライエンへ向かっていく……が。

 

 

 

 その鞭とオブライエンの間には魑祀が立っていた。

 二刀の刃がその鞭を弾き落とす。

「どういうつもりだ?」

「……こんな俺にも方針(ポリシー)ってのがあってな」

「ほう、興味深い。 是非ともお聞かせ願おう!」

 何故か、ノリ気のアイザックは鞭を下して、話を聞いた。

「1つ、獲物は横取りさせない」

「まあ、確かに今回は手違い合ってもここまで追い詰めたのはそちらであるので面白くないのは当然だ」

「2つ、標的以外は斬らねえ」

「ふむふむ、ならばその狐狩りを対象から外すのは当然だ!」

「…………3つ、俺以上にウルサイ奴は遠慮なく斬る」

「……OH、まあ某には関係ないが、よくわからないな。 一体どこがそちらの気に障ったのか。 そうだ、やはり栄養が足りていないのではないか? 今度良ければうちの支部に来たまえよ、無口だが仕事も早く優秀なコックでもある”右親指”が作る料理も食べればすぐに機嫌も良くなる。 それと挨拶の重要性については語ったかな? まだなら、この機会に────────」

 

 

 

「うるせぇ! テメエ! 今すぐ叩ッ斬ってやる!!」

 

「こらこら、そう怒鳴るもんじゃない! やはり、カルシウムと挨拶が足りていないのだろうな、本当に最近の若者はなっていないなぁ」

「お前が黙れば済むんだよ!」

 風切り音と、ぶつかり合う鉄の音が鳴り響く。

 火花と割れた窓から注がれる月光が二人の姿を闇から切り取った。

 縞模様のスーツを着た謎の多い奇人、アイザック=スタンスターンが右手の杖を振るえば、それは鞭が如く伸び、刃を剥き出しに対象へと襲い掛かる。

 決して軌道が複雑とは言えないまでも、それを楽観できるかと言えば別であった。

 避ける度にぶつかるコンクリートを削るほどの威力で、向かってくるそれは人体で想像すれば如何に恐ろしいことか。

 魑祀が振るわれた鞭状の刃の波を躱していくも、すぐさまアイザックは器用にその軌道をを修正。

 両手に握られた剣が弾き返すも、それに対して焦りなど微塵も感じられない。

 徐々に獲物を追いつめていく狩りを楽しんでいるとすら見える。

 恐らく、誰から見ても長期戦は圧倒的に分が悪いというのは明らか、故に魑祀は─────

 

「いい加減に──」

 

 ───勝負に出た。

 

「───しろ!」

 

 先程、オブライエンとの戦いで見せた驚異的な加速で直進。

 既に剣に灯る輝きはその一瞬しか見えなかったが、問題は無い。

 最短距離での突撃と、急激的な加速は鞭の迎撃圏を掻い潜る。

 矛先はアイザックを捉え、切っ先があと僅かで貫こうとした瞬間。

 

 

 爆音。

 

 

 

 それが聞こえたかと思えば、衝撃と共に魑祀が見ている世界が揺れた。

 徐々に静止した視界が天井を映しているのが分かると、同時に腹部に鈍痛と胸に何かが圧し掛かる感触。

 目で追えばそれは革靴を履いた右足。

 更に上を見れば、六つの目を描いた包帯頭が魑祀を見下ろしていた。

「まったく、挨拶を蔑ろにするくせに後先考えないとは……『終礼良ければ、全て良し』という言葉があるが、これは許容出来ないな」

 相変わらず意味不明な言葉を紡ぐ不審者の表情は読めない。

「ふむ、何が起こったか理解しきれていない……そんな顔しているな」

 そう言うとアイザックは左腕を前に突き出す。

「君があの場で突撃してくるのは、様々な意味で誤算ではあるが、こちらもそういった対策をしていない訳ではない」

 よく見れば、彼の左手には銀色の拳銃が握られていた。

「殺傷力はほぼ皆無、射程距離もお世辞にも優れているとは言えない。 そんな威嚇程度の代物が役立つとは……」

 胸部へと圧しかかる力が増す。

 魑祀が起き上がろうと抵抗しようにも、既に身体は言うことを利かず、視界すらぼやけ寒気すら覚えた。

 まあ、仮に万全であったとしてもこの変質者が大人しく抵抗を許すとも思えないが。

 アイザックは右手に握っている鞭の手元にある銀色に装飾された女の頭を捻る。

 すると、鞭は収縮し、杖へと形を変えた。

 刃を納めた杖先が魑祀の顔へ近づき、慎重に彼のトレードマークでもあるストレートキャップをズラしていく。

 月光に照らされた金髪や碧眼が、露わになった。

 眼前で止まっていた杖は、ゆっくりと額へと昇り、次に頬や口へと移動する。

 どこを潰すか、刻むかを品定めをしているかのようだ、と自身の未来を他人事のように思う剣士とは裏腹に絶対的な優位に立つはずの男の雰囲気は変わった。

「世の中、わからないものだな」

 今までとは違う声音。

 杖は魑祀から離れ、本来の役割へと戻るように床へと立てられていた。

「そういえば、君の名前はまだ聞いていなかったな……名は何というのだ?」

 アイザックの問いかけに疑問符が脳内で反復する。

 疲労や熱量不足による思考低下もあるが、男の質問に対する疑問で溢れていた。

「…………」

「君の剣はどこで学んだ?」

「………………」

「君の出身は?」

「……………………」

「……君は自身の両親、それか父か母のことについては知っているか?」 

「………………………」

 どの問いにもまともに返事がないことを知っていたのか、気にした様子もない。

「ふむ、某の仮説が正しいならかなりヤり辛いな……どうしたものか」

 ……そうだ! と数秒の間を置いて閃いた。

「まずは予定通りに”狐狩り”を始末してからにしよう」

 倒れ伏しているはずの怪人へと目を向けるも、そこには誰もいなかった。

 血痕は階段付近に穿たれた穴に続いており、そこから逃走したのだと容易に想像はついた。

「……また逃げる、か。 こんなことがいつまで続くのやら」

 やれやれと肩を竦めて、首を振るアイザック。

「ちなみに、その敵を助けて、自分は絶体絶命の挙句に見捨てられるとはどんな気分ですか?」

「くだらねえ、殺るなら殺れ」

「……まあ、事実の確認なら後日でもいいだろう」

 アイザックは杖先を再び掲げ。

「後で悔いるのはもう慣れている」

 それを勢いよく振り下ろすと、床にまた赤い模様が咲いた。

 振り下ろされた凶器は俺へ触れることはなく、代わりに何かが降り注いでいた。

 アイザックの背中から胸部へかけて黒い刃が生え、白い包帯で覆われた口元は吐血で赤く染まっていく。

 即死であるはずの一撃であっても奴はその執念からか、相手を確認しようと肩越しに後ろを見ると、そこにはの奇妙な面が浮いていた。

 額は白とも思える肌色をしているが、それより下は真っ赤に染まっており、怒りで表した剥き出しの歯と瞳は黄金色。 それはガキの頃に見た東洋にある能面でいうところの、”橋姫”の面に似ている。 

「────貴様、か」

 酸素を供給する器官を破壊され、残った横隔膜に残る空気だけで濁った言葉を紡ぐと、刃が一気に引き抜かれた。

 アイザックがずれたことでそれの全貌が分かる。

 全身を黒装束で纏い、首から上には橋姫の面を被った人物であった。

 面の位置から男なら小柄、女なら平均と思える背丈である

 アイザックは自身から零れていく命の水に構うことなく、最後の足掻きとばかりに身を捻り左腕に握る拳銃を掲げる。

 しかし、発砲することなく銃は舞った。

 同時に、切り落とされた左腕と共に。

 左腕と致命傷となる胸から出血し、今度こそアイザックは倒れていく。

 文字通り血の海に沈む変質者を横目で見ながら、自分もその生暖かい雨や海に浸されたているのだと俺は認識。

 血で汚れる嫌悪感よりも、凍えるように寒くなってきた身体には湯船に浸かるような心地良く思える感覚すらあった。

 ぼやける景色のなかでは、こちらを見据える面が映っている。

 自然と恐怖はなく、その視線は人よりも動物染みていると思えた。

 殺意や害意ではなく、こちらに対しての興味や憐れみのような……俺自身でもよく分かっていない気配であるが、それが不思議と不快とは思えない。

 そう思考するとは別に気にした様子もなく、面がこちらに近寄ってきた。

 ザッザッと擦るようなそれが草鞋のものとわかり、今度はピチャピチャと濡れる音。

 血塗れの床に構わず踏み込み、それはすぐ傍に来た。

 ゆっくりと、こちらを覗き込んで。

 じぃいと穴が開くくらいと言わんばかりに。

 俺は逸らす気力すらなかったのか、それともそうしたかったのかその視線を見つめ返していた。

 そいつが横になる俺を覗き込む体勢なのだから、自然と影になって良くは見えないが、覗き穴から何かが零れ落ちてきたような錯覚を覚えた。

 薄れた感覚と視界ではそれが正しいとはわからない。

 すると、今度は面が近づいてくる……というよりも、そいつに抱き起されていた。

 どこから取り出したかわからない瓢箪を口元へ持ってくると、俺の意思とは関係なく、それを飲ませる。

 中身が分からないものに抵抗はあるが、抗うことなくそれを嚥下していく。

 味は……不味くはないが、別段美味いとも言えないものだが、砂漠に垂らした水のように身体にそれが染み込んでいき、飲み終えた後は先程の寒さが嘘のように消え、身体の芯から熱が戻っていくのが実感できた。

 それでも身体が満足に動くことは出来ずに、単純に疲労によるものと判断。

 そうしているうちに、うとうとと、眠気が訪れる。

 今度こそ途切れそうな意識の中で、俺はどこか懐かしい声と匂いを思い出した。

 実際に体験したかは別としても何とも甘い夢である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は病院で目覚めた後、この顛末を6th(ラビット)から聞いた。

 少なくとも俺を回収する時には、血痕を除いて他には誰もおらず、死体すらない。

 あとで調べようにも、ラビットの口から聞くよりもテレビから流れる雑貨ビル崩壊のニュースで調査は不可能と判断させた。 

 俺はラビットに怪人違いであることを報告し、同時に奴からもその仲間らしき奴らの撤退を許してしまったことを聞いた。

 どちらにしろ仕事をしくじったという事実が場の空気を重くしたの言うまでもない。

 それに俺はあの橋姫のことと、アイザック=スタンスターンのことは伏せておいた。

 話す義務はないし、それ以上に6th(ラビット)も何か隠していることは明白である。

 それがどう転ぶかはわからないが、俺はまだ強くならなければならない。

 それが改めてこの街で生きていくことに、必要なのだと思い知らされた。

 

 

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