最初に視界へ広がったのは古めかしい石造りの天井であった。
彼女は何度も瞼を開閉させ、自身の意識が覚醒していると確認する。
「ここは……?」
そう呟き、次第に少女は自身が置かれている状態を理解していく。
自分はベッドに寝かされており、ナイトテーブルに置かれた蝋燭立てには半ば溶けかかった蝋が静かに火を灯していた。
窓もなく、唯一の光源が照らした部屋内には調度品は皆無で、ベッド付近に置かれた一脚の椅子だけが古びた石壁に影を浮き上がらせている。
だが、少女にとっては、自身がそこに寝かされている事実だけでなく、その状況を認識していること自体が信じがたいことであった。
「私は、あの暗闇で──────」
意識を失う前に彼女は自身の存在の損失……生命体でいうところの死というものを感じた。
少女……サイシャは腰から起き上がり、自身の開かれた両手に視線を落とし、顔や胸部、腰や脚部へとゆっくり手を這わせていく。
衣服を纏わない生まれたままの姿であったが彼女は気にした様子はなく、触診を終えてから一つ息を吐いた。
落ち着かせてわかったが、それがより今の異常性を理解させる。
「どうして、私は……どうなって、いるの?」
振り絞ってように出した声は震えていた。
「どうなっているかというよりは、なるべくしてなった。 そう考えてみるのも一興かもしれませんねぇ」
帰ってくるはずの無い返事があった。
見れば、先程の椅子には人影が腰掛けている。
肌の露出を嫌うように徹底した衣服の着こなしは、この空間においても異彩を放っていた。
「こう考えればいい、悪い夢なのだとぉ。 まあ、貴方からすればどちらが悪夢かは知りませんがねぇ」
ケラケラと笑う男の声と共に壁の影が揺れる。
「どうして、お前がここにいる……
一度会えば、記憶に残るその存在感。
探偵事務所を訪れる前にあった記憶が蘇る。
「まぁまぁ、少なくとも危害を加える気はありませんのでお気になさらずにぃ……少なくとも私はですがぁ」
サイシャは悠長に腰掛ける如愚侘に殴りかかろうとするも、身体が思うように動かない。
「あー、聞いてもらえるかはわかりませんが止めといた方がいいですよぉ? まあ、少なくとも以前のように動けたり、無理が出来るとは思いませんのでぇ」
その言葉で改めて現状を認識。
「貴様! 何故、私が"人間"になっている!?」
声帯を振るわせて荒げたその叫びは事実を受け入れたということでもあった。
「さぁ? 強いて言うなら"奇蹟"というものじゃないんですかぁ?」
肩を竦めて適当に返す如愚侘。
「
明らかな挑発にサイシャは睨みつけるが、それを涼しく流して続ける。
「今の貴方は見た目通りの少女、頭脳や知識などは置いておいたとしても、この街では所詮は無力でしょうぅ。 暴漢の慰めモノになるか、狂人の玩具か餌になるのが関の山でしょうなぁ」
がたん、と大きく音を立てて椅子から立ち上がり、如愚侘はベッドへ近づく。
「そこで私が提案できる素敵なプランがいくつかありますぅ」
黒革手袋に包まれた右拳が彼女の眼前に掲げられる。
人差し指が上がる。
「貴方は先程述べたような結末を辿り、この街の名も無い犠牲者になってもらうことぉ」
中指が上がる。
「貴方をこのまま飼い殺しにする。 一生この部屋もしくは別室で過ごしてもらいます。 食事も用意しているのでご安心をぉ」
薬指が上がる。
「……これは私としては不本意ですが、貴方が選んだ薬を飲んでもらい、そこから貴方に今後を選んでいただくというものですぅ」
親指が上がる。
「貴方に試練を受けてもらい、それに合格すれば貴方の願いを聞くというもので、以上のこの四つが現在のプランでございますぅ。 あー、ちなみに質問は一つとさせていただきますねぇ」
小指を下げた奇妙な形で右手が掲げられている。
サイシャは僅かに考えるも、消去法であるが人差し指と親指の候補は消える。
少なくとも中指と、薬指で進言された条件がまだ魅力に映った。
やはり選ぶべきなのは────
「その、薬指のプランというのは……死に至る毒薬などもも含まれているの?」
少女の質問に、男の肩が震える。
如愚侘は笑っていた。
「さぁ? この提案を出した者は私なんて足元に及ばぬほどに狂っていますので、なんとも……ですが約束は守るのでそこだけは安心してもらえれば、と思いますねぇ」
彼女の不安を掻き立てるように語る。
「それで、貴方の選ぶプランとはぁ?」
「……薬指のものをお願いします」
「本当にぃ?」
「……ええ」
その確認を終え、踵を返すとそのまま部屋を繋ぐ木製のドアへ真っ直ぐ向かう。
取っ手に手を掛けたところで、動きが停止。
肩越しで如愚侘は問いかける。
「結局、貴方にとっては目覚める前と後、どちらが悪夢と思いますか?」
雰囲気を変えたその問いに、サイシャは静かに応える。
「それはわからない、私は今まで夢を見たことがない。 悪夢というものをどう受け取るべきなのか、例え今生身だとしても私では感覚ですら把握できない」
その答えをどう解釈したのか、如愚侘はため息を漏らした。
「では、お礼という訳ではございませんが、次来る予定の訪問者についての注意事項を一つ……舌を噛み切らないように」
それだけを言うと、彼の背中はドアの向こうへと消えた。
意味不明の忠告を残して。
だが、その意味はすぐに分かることになる。
しばらくしてドアを叩く規則正しいノック音が三回聞こえた。
軋むドアの開閉音にと共に現れたのは灰色の生地に縦縞の模様が入ったスーツと、その首から上には全体を包帯で巻かれた頭が乗っている。
白い包帯には黒い線で構成された大小バラバラに配置された六つの目があった。
部屋に踏み込んできたそれはこう語り掛ける。
「やぁやぁ、御機嫌よう!
サイシャには悪夢はわからない。
だが、常人ならこれがそう認識出来るものなのか? 頭の片隅でそう思考を巡らせた。