私立探偵というのは楽なものでも、ドラマや小説のような楽し気なものでもない。
相手は主に人間ということもあり、見たくもないものを多く見てきた。
当然、
それでも彼がその職から離れないのには理由がある。
それは──────。
「あ? なんだって?」
話があると呼び出しに応じて、バーを訪れた夏影は隣に座る人物へ聞き返した。
「だから、メルティの世話を任せるって話」
「断る」
幻聴ではない確認を済ませた青年の返答に、御景もまた杯に入った薄紫の液体を飲み干してから答えた。
「仕方ないだろ。 ワイとベネットどころか、事務所の奴ら全員”用事”が入ってんだとよ」
「んなこと知るか。 アンタの人望の無さもあるんだろうよ」
バーテンに注文を済ませた夏影の視線が御景を、正確には懐から取り出した封筒を捉えた。
「もちろん、タダでとは言わない。 これは仕事として頼んでると思ってくれてもいい」
少し考えて、夏影はそれを受け取った。
中身を確認するような無粋な真似はしない。
「今回だけだぞ」
バーテンが差し出してきた杯を受け取り、夏影はそれを呷った。
予想通りにキツめの度数が喉を焼く。
咽た青年を見て小さく笑う御景。
「ははは、相変わらず飲み方が下手だな」
それを見て笑っていた涙目で睨まれ、御景も一旦黙るがすぐに言葉を紡いだ。
「まあ、いつもみたいに面倒見てくれればいい。 力の使い方含めて教えてやってくれ」
「……そう言うならアンタが見てやればいいだろうがよ」
「あー、電話でも言ったかもしれないがワイには外せないとても大事な、大事な! お仕事が入っているので無理。 ベネットのやつも最初は連れて行く気満々だったみたいだが……真面目な助手を持つと苦労するんだなって」
「ジョッシュ君は怒ると怖そうだしな」
「まあ、消去法で瀬内先生に白羽の矢が立ったというわけ」
「そうか」
バーテンにお替わりを注文していた夏影は静かにそれを返した。
「ドライなのは15年前から変わらないのな」
「……むしろ、もうそんなに経つのか」
「当時中学生が怪奇事件に首突っ込んだんだよねえ」
杯を傾ける青年の顔には影が落ちていた。
「そういえば、なんでお前に頼んだかもう一つ理由がある」
御景はココアシガレット齧りながら、続けた。
「【川内 ユリカ】は生きてるらしい」
その言葉を吐き出すと、同時に店内の空気が変わった。
正確には隣に座る夏影の気配が夥しいものに変貌したのだ。
「詳しく、聞かせろ」
握られているガラス杯には、罅とは違う不自然な亀裂が走っていた。
「おお、正解だ。 流石メルティちゃん。 もう地理はバッ”チリ”ってか!」
場所はどこにでもあるチェーン店のファミレス。
灼熱の地獄とも言えるコンクリートジャングルの外界とは違い、店内には行き届いた空調で
六人掛けの席で窓際に座っていた夏影の意識はテーブルを挟んだ二人へと移る。
一人は長身の青年。
目付きが悪い三白眼で口元はニタニタと笑みを浮かべ、頭髪は茶色に染められたツーブロックで、耳たぶには金色の蹄鉄を思わせるデザインのピアスがぶら下がっていた。
男の隣には肩まで伸ばされた黒髪と蒼い瞳が特徴的な少女、メルティ=ジョーンズが手元へと視線を落としていた。
テーブルの上に広げられた冊子には印刷された資料や問題が記載され、彼女はそれを真剣な眼差しと共に答えを書き込んでいく。
それを隣に座る青年は相変わらずの不気味な笑みを浮かべて、少女へ助言を送っていた。
かれこれそんな光景が一時間近く続いているわけであるが、俺は手元の空になったグラスを覗いてみる。
溶けかけた氷が二つ、半透明の世界に鎮座していた。
軽くグラスを持ち上げて、傾けてみれば氷たちもそれに従って移動する。
何故そうなるのか? と聞かれれば、科学的な原理なんかの説明をするよりも結局は『そういうもの』だと答えてしまうだろう。
そのまま氷たちを口に流し込み、残り僅かといえたそれらを奥歯で噛み砕いた。
感傷に浸っていたせいか、口内に冷たさが良く染みる。
「そういえばさぁ、ナッチーは学生時代どんなやつだったんだ?」
話掛けてきた青年……
「メルティはどうした?」
目の前には兼掘しかいないことに気付くと、彼女の行方を聞いた。
「慌てなくても、勉強の小休憩がてらにドリンクバーに行ったところだ」
青年の指が俺の握るコップを示す。
「ドリンクバー付けてるのに、お冷一杯でで小一時間潰して、険しい表情で目の前座られるこっちの身にもなれよ」
どうやら顔に出ていたようだ。
「すまない。 子供にまで気を使わせてしまったみたいだな」
兼掘は気にした様子なく、肩を竦めていつものヘラヘラした雰囲気に戻る。
「ま、オレには構わねえけど、オンニャの子にはあんまり苦労掛けさせるなよ」
コイツに正論言われていることが何故か癪に障る。
「あの、お待たせしました」
戻ってきた少女の両手にはグラスが握られており、一つは緑色の液体で気泡が弾けている。 もう一つには黒の液体が揺れていた。
「孔馬さんは大丈夫とおっしゃっていたので、私の分と夏影さんのはアイスコーヒーを持ってきました」
丁寧に置かれた珈琲には氷が並々と入っているし、グラスの表面に浮かぶ水滴から察してもキンキンに冷えていることだろう。
「それと以前、甘めのコーヒーもお好きと聞いていたので、砂糖も少し入れてきてます」
「いくつだ?」
「えっと……二つ、ほど?」
理想的だ。 自分では気づいていないところで水分を欲していたのか、自然と喉が鳴った。
「くう、流石メルティちゃん! きゃわわな上に気遣いも出来る。 加えて美人できゃわわ。 大事なことなので二回言いました」
時々思う兼掘の言動は謎だが、ひとまずそれは置いていただくことにしよう。
グラスを持ち上げようとした時に通路側に気配。
そこには巨大な影が立っていた。
「ぐっふぅ、この俺にここまで歩かせるんだなんてオマエら頭おかしいんじゃないか?」
黒い肌の肥満体を包んだTシャツには可愛らしい少女がプリントされており、普通なら男に合わせて伸びきってしまうそれも見れる程度に抑えられいるところを考えるとサイズも特注なのだろう。
「お前が遅せえから、こちとら待ってたんだぞ、ファットマン」
「だぁあ、その名前で呼ぶなよ!」
恒例のやり取りになりつつある二人のやり取りをクスクスと笑うメルティ。
「んで、どうして遅れたんだ?」
俺の問いにファットマン─────フランクリンは答えた。
「そ、そりゃアンタ……昨日からワクワクして、というか緊張してというか……」
「中々寝付けなくて魔法少女アニメマラソンしてたら、寝落ちかまして気づいたら寝坊してました、と」
ゴニョゴニョと後半聞き取れない言葉を代わりに兼掘が推理。
「あ? それは流石にないだろ、なあ?」
その時、空調が効いてる店内で止まったはずの汗が再び噴き出しているのをフランクリンを見て、答えはハッキリしていた。
「す、スマン! 理由はどうであれ! 合法的にきゃわわなオンニャの子と一緒に過ごせると思うとやっぱり慣れなくて!!」
「おい、お前何言ってんだ?」
俺の声を無視して、両膝を地に着けて、床に額を擦りつけるように頭を下げる。所謂Japanese DOGEZAの体勢をするフランクリン。
それを他の客なんかは……気に留めた様子はない。
まるで日常風景のような感覚である。
「まあ、オレも気持ちわかるからなぁ」
うんうん、と一人頷く兼掘。
「……フランクリンさんにとって今日は遠足みたいな日だったんですね」
メルティが何故か擁護しようとしているのが逆に痛々しさを感じる。
「お、俺自身が! その時間を減らしたと思うと、悔しくて悔しくて!!」
「だから、何言ってんだお前?」
「わかりみ、本当はリアルタイムで見れたのに、『録画しているからいいや』って楽しみにしていた番組を録画したつもりでなっていて、見る直前になって気付いたくらいの自業自得だから辛いよな」
兼掘、いい加減戻ってきて俺の通訳になれ。
「うぅぅ、それ辛いですよね」
何故か半泣きのメルティに俺も思考が追いついて行かない。
「だから、遅れてすまなかった!!」
『だから』って、どこに繋がるんだ?
パズルは嫌いじゃないが、なんだこのクロスワードパズルかと思ったら落ちモノ系のパズルになったみたいな感覚。
「……」
「……」
先程からチラチラとこっちを伺うメルティと兼掘の視線があるのは、偶然だろうか?
…………うん、考えるのはもうやめよう。
「あー、フランクリン、次からは気を付けろよ?」
「ああ、そうするぜ!」
ケロッと起き上がるフランクリンと、それを見合わせて笑う兼掘たちを見て、改めてどうでも良くなり、冷えたアイスコーヒーを口に含むと、程よい甘さと苦さが口一杯に広がっていった。