俺の目の前に広がるのは最早地獄の光景と言っても差し支えはないだろう。
ほんの少しまで静寂だった世界には、炎と破壊された世界が映り込んでいた。
俺を庇うような形で消えた男の安否は絶望的であるのは、深く考えるまでもない。
というよりも状況はそれを許さないものであった。
目の前にはこちらへ向かってくる人影。
溶解したアスファルトを気にした様子もなく、歩いてくる朱色の甲冑の姿。
信じられないがそれこそがこの現状を生み出した張本人に違いないと、頭ではなく、本能が告げており、そして、逃げるべきであるということも、生存本能が叫んでいた。
俺はまだ言うことを聞かない身体に鞭を打つ。
右手で地面を掴むように、拳を握りしめた。
指が白くなり、骨が軋む感触。
左手も同様に握力を込めて、動くことを確認する。
両足も筋肉、細胞に呼びかけ、肉体を起き上がらせた。
荒れた呼吸を整えるほんの僅かに、脳内で状況を整理。
俺が生き残る術を打ち出すが、少なくとも戦うという選択肢は一瞬で削除。
全てを集中させ、打開策を思案。 そして、結論を導く。
一つ深呼吸。
息を吐いたと同時に、行動へ!
背を向けて思いっきり走り出す。
その後?
そんなものはなかった。
逃げる以外の選択肢などあるはずもなく、俺のような男には無様でもこうするしかないのだ。
チラリと、背中越しの景色を覗けば、後方から追いかけてくる気配はない。
それならそれで好都合だ。
俺はこのまま死ぬ気で走れば───
そこで俺の思考が急停止した。
正確に言えば、後方にいたはずの甲冑が目の前に降って来たのだ。
衝撃と共に地面は陥没し、俺はまた吹っ飛び、壁に叩きつけられる。
一体何が起こっているのか理解が追いつかない。
というよりも、既に理解するのを脳と常識が拒絶しているのだ。
この甲冑は俺が全力で開いた距離を跳躍で先回りしてきたのだということを。
最早、恐怖というものは越えていた。
壁にもたれ掛かるようにしている俺に、朱色の影が近づいて来る。
「死にぞこないの
改めて聞くと、高く若い声が甲冑から響く。
襲撃者の手には巨槍ではなく、両刃の剣が握られていた。
頭を打ったのか、もう力も入らないどころか、意識も朦朧とし、危機感よりも諦念感が優っている。
「まともに話せる最後の機会だ。 言い残すことは?」
定番な台詞への返答に俺は、ありとあらゆる感情を込めて、言うことにした。
「くた、ば、れ」
「……あの塵が生かした命だ。 出来るだけ嬲ってから誰のせいでこうなったか理解させて殺そうと思ったが……」
月光に照らされた影は振り上げた剣のシルエットも忠実に切り取っていた。
「死ね」
俺にとってのギロチンの刃が振り下ろされた。
その瞬間。
目の前から甲冑の奴は消えた。
もっと、言うならとんでもない衝撃と、轟音と共に甲冑は横へ吹き飛ばされたのだ。
何が起こったのか、俺は辛うじて開いている瞼の隙間からそれを機械的に認識する。
軽く俺の背丈を超える洋鐘が静かに立っていた。
一見すればそう見えてしまう頭頂部には、頭と思わしき部位と顔と思える形状があり、鐘と思えたシルエットは左右に割れており、その隙間からは手と足と思わしきものがあることも確認した。
そう、それもまた人が纏う巨大な甲冑なのだと、俺は理解。
ふと、誰かの声が響く。
それは笑い声で、今夜だけで甲冑に殺されかけ、また甲冑に救われたのかと、無意識に変な笑いが自身の喉から零れていたのだと、気付いた所で意識が黒塗りになっていくのを感じた。