目の前で気を失う警官の姿を見下ろしていた巨大な影──ザガザエルは、特に興味も示すこともない。
少なくとも死んではいないことと、命に別状もない。
それだけで十分であったのだ。
向きを変え、男から通り過ぎる。
巨体とその身なりの割に、重さを感じさせない程の軽い歩みで進む。
頭の位置にある兜らしきものの形状は、鳥の嘴のように円錐状に突き出ており、表面には数の穴が開けられていた。
体当たりを直撃した朱色の甲冑はビルの壁を突き破って消えており、それに合わせて歩みは進んでいる。
静かな通りには、金属が擦れる音が規則的に聞こえるだけ。
穴の前に差し掛かるころ、上から降り立つ朱色の影。
それは、落下と合わせて自身の総重量を載せた一撃であった。
瞬きでもすれば決着が付いている。
その一撃はまさに気配を感じさせない見事な急襲と言わざる得ないだろう。
しかし異変が起こった。
そう、通常であるならば、兜を貫くであろう、その時だ。
切っ先が僅かに触れる寸前で、鋭い閃光が奔り、鈍器で殴られたような衝撃に襲われ、金属がぶつかり合う衝撃音。
完璧とも言える不意打ちは失敗に終わり、襲撃者───デルフェニウムは宙を舞う。
それを迎撃したのは他でもない、右肩振り上げた姿勢のザガザエルである。
洋鐘を彷彿とさせていたそれらは既になく、前方で縦に割れ、観音開きのようになっていた。
それらは鎧というよりも盾としての側面が強く思わせられる姿である。
状況からして、攻撃が触れる瞬間に信じられない程の超反射であの盾で殴打したのであろう。
軽く二メートルはあるであろう人物を包む強固なそれで全力で殴り付けられれば一溜まりもない。
それでも、デルフェニウムは宙で身を捩り、体勢を立て直すと、着地。
僅かに痛みと衝撃で揺れた視界は地面へ落ちる。
それでも一瞬だけのことですぐさまに標的へと視線を戻した。
見上げた世界に巨影は消えており、すぐ背中に悪寒が走る。
いつの間にか、月明かりが自身に差し込んでおらず、通りの真ん中に影が生まれ遮っているという事実。
目で確かめることなく、前転したと同時にアスファルトが砕ける轟音。
素早く立ち上がり、正体を確かめると、予想通りの様子でザガザエルはいた。
自分を殴りつけた盾が大地を軽々と穿っているという状況が改めて危機感を促す。
「クソが! どうしてあの警官を庇う!」
高い声音に載せられた荒い呼吸と共に言葉吐き出されるも、そこに余裕はない。
「……」
答える様子もなく、盾を構え直すザガザエル。
「聞いた話じゃあ、テメェがいた組織は潰れたみてぇじゃねえか。 心臓の使徒なんざ名前貰ってたとか」
デルフェニウムも剣を構えながら続ける。
「んで、組織潰れて落ち武者になったからこっちに鞍替えして、今じゃ我らと同じく指先の徒になりましたってか、ムカつくぜ、己の信仰心の足らない塵が!!」
整えていく呼吸と裏腹に声に変化。
「テメエらみたいな塵と蛆虫共がいるから、我らのような者が必要なんだ、教祖様を蔑ろにする愚か者共が!!」
既に隠す気のない怒気を孕んだ声と共に、デルフェニウムの刃に炎が宿る。
「燃やしてやろう!」
振るわれた炎の軌跡が闇夜に残像を作り出し、獲物を補足。
ザガザエルは盾を再び結合し、洋鐘へとなり、それを防ぐ。
「相変わらず否定もせず、反論も意見も示さず! それで信仰家を名乗るか右手の者よ!!」
炎の勢いは増し、既にザガザエルを包むように覆っていた。
「貴様らのような人以下の奴隷はここで殺す!!」
それでもザガザエルは沈黙していた。
いくら強固な鎧と盾であろうと、焼き殺さんばかりの炎に包まれていれば時間の問題である────それでも沈黙であった。
「声一つ上げぬとは、やはり人の言葉は理解できぬか」
哀れむように、それでも炎の勢いは変わらない。
「蒸し焼きで死ぬがいい」
そう呟いた瞬間である。
眩い光と、衝撃と爆風がデルフェニウムを襲い、遅れて轟音がやって来たのだった。
その正体は目の前で炎に焼かれていた人物に起こった。
ザガザエルに落雷が直撃したのだ。
雨空ではない夜空に浮かぶ雲が頭上を漂うばかりである。
自然現象で起こしたものではなく、人為的なものであった。
「……」
何事も無いようにザガザエルは吹き飛ばされたデルフェニウムへ歩み寄る。
先程の勢いはどこへいったのか、朱色の甲冑は俯せに倒れ込んでいた。
落雷や炎のせいで、表面が僅かに焼け焦げた自身の甲冑や盾を見て、指先でなぞる。
静かになった通りでザガザエルは月を見上げ、一人立っていた。
ザガザエル───右手親指の使徒はただただ沈黙しているだけだった。