キズナアイは現実を希う   作:伽花夏折

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新しいクラスメイト《音響室》①

 ところで、現実世界の学校にある音楽室は普通教室から離れた場所に造られると言う。

 おそらく防音対策の一環として、そのような作りになっているのだろう――授業に騒音が聞こえたら勉強の妨げになるので合理的な処置である。

 この『音響室』という一風変わった名前の教室も、おそらくはその理由でこんな隅っこに作られたのだろう。

 私は最上階の一番右端にある教室の前に立っていた。

 そして音響室の二重扉を開いた――

 

「――あっ」

 

 扉を開いた途端、優しい音色がブワっと広がった。

 グランドピアノの凛々しい旋律と、心を震わせる少女の歌声。

 何もかも忘れて自然に聴き入ってしまうほど、耳を蕩かす音の響きだった。

 

「良い歌声……」

 

 感動で私は立ち尽くした。

 彼女の曲が終わるまで、ずっと。  

 そして心を引き締めるような儚い旋律と共に、その曲は終幕した――まるで泡沫の夢に沈むような聴き心地だった。

 その感動の返礼をするかの如く、私はパチパチと大きな拍手を響かせた。

 その拍手の音で、演奏に集中していた彼女はようやく私がそこにいることに気づいて――

 

「――おや? あなたは……」 

「良い歌でした! 本当に!」

「あ、私の演奏、聞いてくれていたんですね。ありがとうございます」

 

 僅かに頬を朱に染めて彼女は言った。

 あれほど卓越した演奏と歌唱を披露しておきながら、なんとも謙虚な姿勢である。どこか初々しさを感じる物腰で、第一印象はとても好感触だった。

 彼女はこめかみを押さえて「えーと……」と唸っていた。

 

「……あなたは確か、キズナアイさん? ですよね」

「はい、そうですよー。どーも、キズナアイです!」

「あ、やっぱりー! この前に見た動画の人とおんなじ声だー!」

 

 あたかも有名人に会ったかの如く、彼女は「握手してください!」と私に手を向けた。とはいえ別に私はそんな有名人ではないと思うのでその大袈裟な反応に若干のムズ痒さを感じながらも、私は慣れない手付きで彼女の手を握った。

 

「私は『富士葵』と言います! ちなみに葵っていうのは花の名前でですね――『誠実でまっすぐな人間になってほしい』、『いつまでも凛と、そして時にはかわいらしい女性でいてほしい』などの意味があって――まあ、それはどうでもいいですね。ともかく、私は富士葵って名前なんです。はい」

「おー。なんか、日本一になりそうな名前だね!」

 

 主に『富士』という言葉から、そんな感想が出てきた。

 富士山は日本一の山なのだ。

 

「あはははっ。たしかに頑張れば、お山の大将くらいにはなれるかも? ですね」

「絶対に将軍レベルまでいけるよー! だってそんなに歌が上手いんだもん。歌手さん顔負けだったよー」

「いやぁ、さすがにそれほどではないですよ。私が頑張っても、せいぜいマイナーな歌い手レベルです」

「いやいや! すごい上手な歌だったよ!? 『実は仕事で歌手をやってます』と言われても疑わないレベル!!」

 

 私も趣味で歌うことはあるけど、むしろ私こそが歌い手レベルの歌唱力である。まあそれでも、素人よりは断然にうまい歌声を披露できる自負はあるが――彼女、葵ちゃんの歌唱力はそんなレベルの技術ではない。

 私も歌の上手いAIである自信があったが、彼女の歌を聞いてその自信はペッキリと叩き折られてしまった。実はちょっとヘコんでいる。

 それほど圧倒的な才能(モノ)を感じる歌声だったのだ。

 

「そこまで褒められると、少し照れますね……。まあでも確かに、将来的には歌手としてメジャーデビューして、なにかアニメの主題歌を担当できたらいいなーと密かに夢を見ています。歌うことが好きなので、それを仕事にできたらいいなーって」

「おー、いいね! 『楽しい』を仕事にできるのって、凄いことだと思う!」

「へへへ。バーチャルYouTuberとして凄い活躍しているキズナアイさんにそう言ってもらえると、本当に楽しいんだろうなって思います」

 

 柔和な笑顔で、葵ちゃんはそう言った。

 うむ。言葉を交わせば交わすほど、無垢さが垣間見れる少女である。

 表情も明るく性格も真っ直ぐなので、喋る言葉に一切の裏表を感じない。会って数分も経たない内に私にそんな所感を抱かせた葵ちゃんの純粋さは、きっと真性のものなんだろう。

 後ろめたい気持ちが伝わる表情で、葵ちゃんは俯いた。

 

「なので、ちょっと申し訳ないです。私はキズナアイさんにとって楽しい事であるバーチャルYouTuberを使うことで、歌のお仕事をできないかな、と打算しているわけので――あぁ、まだ言ってませんでしたね。その、実は私、バーチャルYouTuberになれないかなって思っているんですよ」

「うん。馬の覆面を被っている人に聞いたよ。だから見学しに来たんだよね?」

「はい、そうです。公園で歌っていたら、なんか突然お馬さんに『はーいはいはい! とてもね良い歌声ですね! たぶんね君はバーチャルYouTuberの才能があると思いますね。はいはいはい!』みたいな勧誘をされたので、ほいほいと勧誘に乗ってみた次第です」

「うん。不審者を見かけたらまず通報だね」

 

 あのお馬さん、そんな方法で勧誘していたのか。

 それは、なんとも浅はかな――しかし結果的に、その方法こんな歌唱力の凄い娘を釣れたのは事実である。その努力と実績は認めるが、しかし世間体が最悪なので今度からは全力で止めさせよう。いきなり不気味な馬男に「はーいはいはい! バーチャルYouTuberになりましょうねフゥゥゥ!!」と謎の勧誘をさせる事がちょっとしたホラー体験なのだ。下手したら、勧誘された女の子に心的外傷(トラウマ)を刻みかねない。

 

「ともかく、その勧誘がキッカケで私はバーチャルYouTuberを知りました。そしてキズナアイさんの事も――それで私は思ったんです。バーチャルYouTuberとして『歌ってみた』の動画を上げたら、なかなか面白いことになるんじゃないかな? って」

「面白いこと……?」

「はい、そうです。率直に言うと、注目を集められるかも、って事です」

「あー、なるほど。確かに、もはや珍しさのない『歌い手』として動画を上げるよりも『バーチャルな歌い手』として動画を上げたほうがインパクトあるかもしれないもんねー」

 

 新人が視聴者を獲得する為には、他と比べて特徴的で、人の関心を集めるような動画を作らなければならない。

 他にもその時のブームに乗った動画を投稿するなど、注目もとい再生数を集める方法はあるが――しかし今更『歌ってみた動画』などで、そんな方法は使えない。今の歌い手はいくら歌唱力が優れていても一躍有名にはなれないと聞いたことがある。

 肩書きというのは重要だ。人の関心を惹く要素があればあるほど人気を集める事ができる。

 

「……だから、キズナアイさんにはちょっと申し訳ないんですよね。そういう打算も含めて、私はバーチャルYouTuberになれたらいいなって思っていますので」

「っ? いや、別に全然構わないよ。歌手になる為にバーチャルYouTuberをやるって、とても健全だと思う」

「そ、そうでしょうか?」

「うん! だって私たちAIが歌手を目指すなら、そりゃたネットを介した手段を選ぶのは当然じゃん。むしろ正攻法でその夢を叶えるのって、ほぼ無理に近いし……」

 

 現実世界にいる人間ならば、たぶんオーディションの応募という歌手になるための入り口が用意されているのだろう。

 しかし残念ながら、AIを対象としたオーディションは現時点では現実世界に一つも無い。

 

「我らが初音ミク大先輩だって、ニコニコ動画がキッカケで一躍有名になったわけだからね――たとえ可能性が低くても、目標の為に自分の思いつく限りの手段を尽くす人って、どうやらとてもカッコイイことらしいよ?」

「……カッコいいこと、ですか」

「うん! まあ半分受け売りの言葉だけどね!」

「それでも、そう言われると何だか自信が湧いてきますね」

 

 ホッと心が穏やかになった表情で、彼女はそう言った。

 そして、うーんと背伸びをして――

 

「よーし! 富士葵、がんばるぞー!」

 

 と、言った。

 私はそんな彼女の健気な姿を見て、まるで孫を見るかのような和やかな目をしていた。

 

「うむうむ。アイお婆ちゃんは葵ちゃんを応援しとるぞい……」

「ありがとうございます、キズナアイさん! いやー、応援されるって気持ちいいことですねー」

「ホォッホォッホォッ。元気な孫じゃ……」 

「……それ、なんですか?」

 

 誂われていると思ったのか、葵ちゃんは頬を膨らませた。

 いけないいけない。つい老婆の心が出てしまった。

 私は気持ちを切り替えるため、ゴホンと咳払いした。

 

「まあそれはともかく、葵ちゃんはバーチャルYouTuberを始める――というか、この学園に入学する体で話を進めてもいいのかな?」

「はい! この音響室もレコーディングの設備が整っているみたいですから、ぜひ入学したいです!」

「そうかー! だったら同級生って事になるのかなー」

 

 まだ学園としての体制が充分に整っていない現状であるが、もし来週から学園に通ってくれると言うなら、葵ちゃんは私の同級生という扱いになるだろう。一緒に遊ぶ(もとい学ぶ)仲間が増えて、私は嬉しかった。

 葵ちゃんは眉をひそめた。

 

「……いや、もうしばらくは入学できません。実はまだ『身体の調整』が仕上がっていませんので」

「身体の、調整?」

「はい。実は今、新しい義体(モデル)を作ってもらっているんです――ほら、私ってあまり可愛くないでしょう?」

 

 葵ちゃんは、恥じるように自分の顔を指で指した。

 確かにAIとしてクオリティの高いガワとは言いがたい――義体の作りが若干雑味がある。

 しかしそれはAIが稼働する分には問題のない程度の雑味であり、そんなに気にするようなレベルではない。

 

「……見た目が気に入らないならの義体(モデル)データを差し換えられたらいいのは、私たちAIの強みだけど――でも、そんな気にするほどじゃないと思うよ? 私は普通に可愛いと思うし……」

「うーん、そうでしょうか? 私自身はイマイチこの義体が好きになれなくて……正直、ちょっとコンプレックスです。あまりネットにこの姿を晒したくないんですよね……」

 

 溜息を吐きつつ、葵ちゃんは言った。

 

「葵ちゃんの気にしすぎだと私は思うけど――でもまあ、葵ちゃんが新義体が完成するまでデビューしたくないなら全然それでもいいんじゃないかな。デビューが遅くなるからって、なにか変わるわけじゃないしね」

「だったら、いいんですけどね……。でも、一応いつでもデビューする覚悟は固めときますよ。人生、なにが起こるかわかりませんから」

「……うん。でも、葵ちゃんのやりたいようにやるのが一番だから、気負わないでね?」

「はい、わかりました。……へへへっ。それにしてもキズナアイさん、とても親身に私のことを考えてくれて本当に優しいです! まるで私のお婆ちゃんみたい」

「お、お婆ちゃん? 葵ちゃん自身そう言われると、なんか複雑な気持ち……」

 

 しかし葵ちゃんを見ていると老婆心が駆られてしまうのは事実である。

 きっと葵ちゃん自身にも、そういう魅力が備わっているのだろう。なんとも罪な娘である。

 

「――あっ、もうこんな時間だ!!」

 

 ふと葵ちゃんは時計を見て、そう叫んだ。

 そして私にお辞儀した。

 

「急にごめんなさい! もうすぐ好きな歌手さんが出る番組がはじまるので、そろそろ家に帰ります!」

「あー、それは見なくちゃいけない。私も竹取姫月ちゃんが出る番組はかかさず見るし」

「姫月ちゃん! 私もあの子好きですっ! ――と、そんなこと言ってる場合じゃなかった! じゃ、キズナアイさん、さようならー!」

 

 ビューンと風のように彼女はせわしなく帰宅していった。

 うむ。実に活発で良い娘だった。

 しかも歌唱力も人並み優れているときた。ばあちゃるさんは実に素晴らしい娘を引き当てたものである。

 と、そんなふうに面接官の如く彼女との会話を思い返して満足げにうむうむと頷いていたとき――再び彼女が、音響室に戻ってきた。

 

「あっ、そうだ忘れてました! さっき第二音響室に、ケモミミの女の子が入っていきましたよ!」

「ケモミミの女の子? のじゃさんかな……」

「名前はわかりませんけど……。えっと確か、狐っぽい外見した男の声の和風幼女と――」

 

 すごい。人物特定が簡単すぎる。

 のじゃロリさん以外の何者でもない。思い通りの人物だった。

 

「――それと、()()()()()()()()()()()()()でした」

「ふぇ? ふ、二人?」

「はい、二人です! 一応伝えたほうがいいかなって思ったので伝えました! それじゃあまた!」

 

 そして葵ちゃんは、またビューンという効果音と共に音響室から去っていった。

 

 銀の毛並みの猫っぽい女の子――どう考えても、そんな子は私の知り合いにはいない。

 ということは、つまりそういうことだ。

 

「……学園を見学しにきたバーチャルYouTuber候補の子かな?」

 

 たぶんそうなんだろう。少なくとものじゃロリさんが同伴している以上、不審者という事はない。

 

「せっかくだし挨拶しにいかなきゃねー」

 

 よし、と小さく独白する。

 私は踵を返した。

 

 

 

 

 




 
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