第二音響室は、ゲーム実況の収録などの用途で使われる教室だ。
歌の収録の為の教室である音響室とは扉一枚で繋がった構造になっているため、移動距離はさしてかからなかった。
私は第二音響室のドアノブを手で捻った。
扉を開いた先には、ゆさゆさ揺れる狐のケモミミがあった。
「――あっ、キズナアイさん」
「のじゃさん! さっきぶりだね〜」
「はい。さっきぶりですね。のじゃ」
私の予測は正しかった。
『狐っぽい外見した男の声の和風幼女』とは、やはりのじゃロリさんの事だったみたいだ
いやまあ逆に「のじゃロリさん以外に誰がその特徴に当てはまるの?」って話ではあるけど。
さて、では件の『銀の毛並みをした猫っぽい女の子』はどこにいるのかな?
私は広い第二音響室をキョロキョロ見渡した。
「おや? あれは……尻尾?」
精密機器がごちゃごちゃしている場所から、シュッとした可愛らしい尻尾が生えていた。
あれ、なんだろ? 私は興味に負けて、その尻尾をギュッと握った。
「えい」
「――きゃ!」
驚いた声と共に、尻尾がピーンと伸びた。
それと、ゴンッという音が聞こえて、大きいデスクトップのような精密機器が僅かに揺れた――その際にも「イタタ……」という声が聞こえた。
「ちょっと、猫松さん。いきなり触らないで、ください」
そんな言葉と共に、痛そうに頭を擦る銀猫の少女が精密機器の中からのらりと出てきた。
「いや、わらわじゃなくて、今ちょうど来たキズナアイさんですよ」
「キズナアイさん?」
「ほら、前に動画のURL貼って紹介した方です」
「あっ……例の、『婆ちゃんYouTuber』の方、ですね」
「うん。誤認識が酷いけど、たぶん合ってますのじゃ」
のじゃロリさんと銀猫の少女が、くだけた口調でそんな会話をしていた。
この漆黒のゴスロリ衣装を纏った銀髪の少女は多分のじゃロリさんのご友人なんだろうな、と私は思った。
「(――それにしてもこの銀猫の少女、なんて可愛くてえっちぃなんだ!)」
私はカッ!と血走った目を見開いて、まじまじと彼女の姿を舐め回した。そしてゴクリと生唾を飲み込む。
薫るような淫蕩な雰囲気。その吸い込まれるような伽藍とした瞳を覗かれるだけで、私の心を魅了されそうだった。
「――ふふっ。こういう気持ち、なんて言うのかな。男心を擽られる、かな? こういう男受けの狙った感じの媚びっ気のある美少女は、正直私のタイプではなかったけど――うむ、これはこれで意外とあり」
私はニヤつきながら呟いた。
「……ねぇ、猫松さん。この方、本当に
「はい。
「なんか独り言が、やけにオジサン臭いですけど……」
「どうやらこの方、かわいい女の子を目撃すると、自分の世界に浸り込んでしまうタイプみたいなんじゃよね」
「あぁ、ナルホド……」
二人は可哀想な生き物を憐れむような視線を私に送ってきた。なんて失礼なケモミミである。
しかし、今まで出逢った事のないタイプの美少女に目が眩んでしまい、少し浮ついた気分になっていたのは事実である。
私はこの浮ついた気分を一旦リセットするために、ゴホンと咳払いした。
「はじめまして。自己紹介が遅れましたが、私がキズナアイです」
「こちらこそ、はじめまして。えっと、私は――」
銀猫の少女は、一瞬口籠って口角を動かす。
「『村きゃっと』じゃなくて、『奈良きゃっと』でもなくて――『のらきゃっと』です。……ふー、やっと言えた」
「……っ?」
「あぁ、のらちゃんは音声認識で喋っているから、よく言い間違いをするんですよ」
のじゃロリさんが、そう補足した。
音声認識? と私は首を傾げた。
「のらちゃんは、生声をVOICEROIDの声に変換して出力しているみたいなシステムを起用しているんです。音声認識というプロセスを経て成り立つシステムなので、どうしても誤認識が目立ちゃうんですよねー」
「……はい、そうなんです。だからどうしても、間違った言葉遣いになるときが、あります。それと、音声認識のラグがあり、テンポの遅い喋りになっちゃいます。これはどうしようもないことなので、『緩んで』……じゃなくて、『許して』、ほしいです」
また誤認識が働いて、のらきゃっとちゃんはガックリと項垂れた。
なるほど。では、のじゃロリさんを猫松さんと呼んでいるのも、きっと何かの誤認識ということか――
「うん。別に私は気にしないよ。かわいい個性だと思うしね!」
「……っ! ありがとう、『誤差』あります」
「でも、わざわざそんな面倒なことやらなくてもいいんじゃない? 生声でも普通に喋れるAIなんだよね?」
「…………」
私がそう疑問を投げかけた瞬間、彼女は何とも言えぬような曖昧な顔を浮かべた。
しまった。これは気の利かない質問だった。
彼女はおそらく、旧式タイプの機械声しか喋れないではなくて、私同様に人の生声そっくりに会話できるタイプの最先端AIだ。
なのに、あえて声色を偽って喋っている。きっと深い理由があるに違いない。
一瞬私は「ひょっとして地雷を踏んだ……?」と人心回路に一抹の杞憂が過ぎった。
しかし――どうやら私が不安に思うほど大きな地雷では無かったみたいだ。
のらきゃっとちゃんとのじゃロリさんは、互いの顔を見合わせて苦笑していた。
「ふふふっ。確かに、猫松さんみたいに、
「イワシ感ではなく『違和感』、ですね。まあ正直わらわも、のらちゃんほどの技術力があったらそのスタイルでやっていたかもしれないです。……ほら、可愛い女の子から男の声が出ていたら、最初相手側はちょっとビックリするじゃないですか」
「ですねー」
「……? つまり、どういうことですか?」
私は首を傾げて尋ねた。
二人が何を話しているのか、理解が難しかった。
そんな私の姿を見て、二人は再び苦笑した。
「『詰まり』、ですね――察してください」
「そうそうー。デリカシーの問題じゃよねー」
「…………?」
察しろって、何を察しろと言うのだ。
意味がわからなかった。
私が目を丸くて疑問符を浮かべていると、のらきゃっとちゃんは「さて」と精密機器の群れに視線を移した。
「それでは、私は作業に、戻りますね。……あともうちょっと、解析に時間かかりそうです」
「うん。わらわは素人だから手伝えないけど、そのぶん隣で応援しているのじゃ! がんばれ〜がんばれ〜」
「……っ? そういえば、なにやっているんですか?」
コードが密集している機器の中に頭を突っ込み、私に尻尾を向けながら彼女は「えーとですね……」と説明する。
「この音響室の設備を利用して、『VR_Chat』にログインできないかなー、と思いまして」
「――VR_Chat?」
「キズナアイさんは、ご存知ではありませんか?」
「ううん。知ってるよ。人間が、電脳世界にそっくりの世界を体験できるチャットツールだよね?」
「っ? 言い回しが、ちょっと気になりますけど……。まあおおむね、そのとおりです」
あとついでに言うとVR_Chatは仮想空間です――と、のらきゃっとちゃんは、細かい言葉の違いを指摘した。
類語なのでよく誤解されがちだが、曰く『電脳世界』と『仮想空間』は、若干意味の違う言葉らしい。
電脳世界は私が今いる、全てが電子化された世界のことであり。
仮想空間は、電脳世界を再現として作られたVRChatのような場所のことだ。
まあ細かい言葉の違いなので、私はとくに意識して使い分けていないけど。
「VR_Chatは、流石にこの世界と比べてると、VR体験の質は数段劣っていますが――しかし、人口的には、『悲観的』まだ多いほうなんですよ」
「悲観的?」
「『比較的』、では?」
「はい。また、ご認識です……。ともかく、他のVRゲームと比べて、プレイヤー数はまだ『悲観的』に多い――いえ、悲観的にじゃなくて、『非核的』に――『光る的』に――『比較的』に多いので、この電脳体の姿で遊びに行けたら楽しいんじゃないかって、猫松さんと話し合ってたんですよ!」
やっと言えた、と彼女は己との勝負を勝ち誇るように腕を突き上げた。
その姿を微笑ましい顔で眺めているのじゃロリさんは、ゴホンと咳払いをして加えて言う。
「とはいえ公式サイトでは、このWorldとの互換性が無いと明記されているので『もし実現できたら夢があるよなー』程度の試みなんじゃけどねー」
「まあ、PS3でPS4のゲームを遊ぶ、みたいな話ですからね。理屈では私も、無理だとわかっているのですが……」
「でも、奇跡も魔法もあるんじゃよ! この素晴らしい電脳体の姿ままでログインできる世界線が、きっとどこかに存在するって信じているのじゃ。システムにも穴があるんじゃよね……」
にやりと口角を釣り上げて、そんな戯言を述べるのじゃロリさん。
この人、やっぱり女性じゃないよね? おじさん臭が強烈に漂うその言い回しに、私に改めて疑心になった。
対してのらきゃっとちゃんは、清楚感が漂う仕草で微笑んだ。
「とはいえ残念ながら、そんな都合のいいシステムの抜け穴は、調べるかぎり無いみたいです。やはり『股関節『』……『互換性』がないので、VR_Chatに五感を接続させる、なんて強引な裏技はできませんね」
「まあ、しょうがないですね……。わらわのワガママに付き合ってくれてありがとうございます。なのじゃ」
「いえいえ。そういう『銃な発送』は……『自由な発想』は、猫松さんの美徳だと思います」
「お、お世辞はいいですよ……っ」
「お世辞じゃないですよ。私、猫松さんの思いつきに付き合うの、
「の、のらちゃんっ! 好きなんて、そんな……!」
ジーンと胸を撃たれた様子ののじゃロリさんは、涙を指で拭うよな仕草をした。
その誘惑するような言葉に心を撃ち抜かれたのか、のじゃロリさんは――
「……決めた! のらちゃん、わらわと結婚しよう!!」
と、のらきゃっとちゃんの手をギュッと握ぎって大胆な告白をした。
いきなりの展開に驚いて、つい私は「ファ!?」と素っ頓狂な声を上げた。
そしてその唐突な告白に対する、のらきゃっとちゃんの返答は――
「ふふふっ。いいですよ」
「やったぁぁぁ!! 負け組人生から一気に勝ち組なのじゃぁぁぁ!!」
のじゃロリさん、あまりの嬉しさに絶叫して男泣きする。
天に向かって拳を突き上げて「ウォぉぉぉ!!!」と雄叫びを上げる。まるで戦場で敵将を葬った戦士のようだった。
「バーチャル婚!! 今からバーチャル婚の儀式を始めるのじゃぁぁぁ!!」
「ど、どうしてたののじゃロリさん!? しっかりして!!」
完全に目に狂気の色が宿っていた。
私はのじゃロリさんを正気に戻そうと、彼女(彼?)の肩を掴んで揺らした。しかし、元の常識人の彼女(彼?)に戻る兆しはない。
「キズナアイさん。猫松さんはそのまんまで放置しても大丈夫ですよ」
「ほ、ほんとに!? これどう見てもなんかのウイルス発症してるよね!?」
「大丈夫ですよ。それが、猫松さんの正常値です。猫松さんは、私みたいなケモミミの娘に誘惑されると、いつもあんなふうに、舞い上がっちゃうんですよねぇ」
「え、えぇ……。うそぉ」
この人、実はそんな変人だったのか。
おとなしい方という印象があったので、勝手に常識人だと思いこんでいた。
「猫松さんは放っておきましょう。数十分もすれば、賢者タイムに入って頭が冷えてくれますから」
「う、うん。そうだね……」
「のらちゃぁぁん……っ。好きぃ……」
身体をベッタリと密着させてくるのじゃロリさんを気にも留めず、のらきゃっとちゃんはゴホンと咳払いした。
そして、私の目を見た。
「――さて、それではキズナアイさん。あなたは私になにか要件があると、お見受けしているんですが……」
「んっ? あっいや別に、要件っていうほど仰々しいことではないよ。ただ校内見学に来ている子がいるって、ばあちゃるさんに聞いたから顔を見に来ただけ」
「ふむ……」
手で顎を触れて、彼女は数秒考える。
「なるほど。つまり、釣った『鮭』を逃したくない……じゃなくて、釣った『魚』を逃したくない、と?」
「うん。どっちでも間違ってないね」
聡明な子である。こちらの本心をズバリと当ててきた。
ならば、下手に誤魔化す必要はない。とはいえ元よりこちらは、本音で語らうつもりだったが。
「できれば、私のクラスメイトとして共にバーチャルYouTuberライフを謳歌したいなーって思っているよ。もちろん、のらきゃっとちゃんがバーチャルYouTuberに興味を持ってくれているなら、の話なんだけど」
「もちろん、興味はもっています。というか実は、私はもうすでに、『婆ちゃんYouTuber』らしいこと……『ばあちゃるさん』らしいこと……『バーチャルYouTuber』らしい事は、やっていますので」
「えっ? そうなの?」
「はい。ニコニコ生放送で、配信を少々。……あくまでバーチャルYouTuberらしいこと、ですので、キズナアイさんみたいに動画投稿をメインに活動しているわけでは、ないですけど」
「いや、動画でも配信でも変わらないよ! 私たちみたいなAIが、現実世界に娯楽を発信することに意味があるんだし!」
「AI……もとい『ニ次元のキャラクター』が活動することに、意味がある。という感じですか」
コクリと頭を揺らして彼女は頷いた。
二次元のキャラクター、か――確かに、そういう見方もできる。
少なくとも人間たちから見た私たちは『意志のもったキャラクター』だろうから。
しかしその認識を改善させて、AIと人間と存在価値を同一にさせる事こそが、最終的に私の目指すべき場所である。だが今はまだ、その認識で正しい。
「かもね。のらきゃっとちゃんも、できれば正式にバーチャルYouTuberになってほしいなーって思うんだけど……どうかな?」
「正式ということは、つまりニコニコからYouTubeに、活動場所を変えてほしい。ということですか?」
「うーん。私からしたら、ニコニコでもYouTubeでも、同じ活動をするならどっちでも変わらないと思うんだけどね……。でもできるなら、YouTubeでも活動してくれたほうが都合はいい、っていうのは本音かな」
「まあニコ生主がバーチャルYouTuber、というのも変な話ですから、仕方ないですね」
「ごめんね! もし嫌だったら、全然断ってくれていいから!」
「いえいえ。ニコニコにそんな強くこだわる理由もないので、構いませんよ」
「っ! だったら!」
「はい。後日、バーチャルYouTuberとして、YouTubeにチャンネルを作りますね。元より、猫松さんにお誘いしてもらったときから、そのつもりでしたから」
「よしっ! やったぁ!」
可愛い女の子、ゲットだ!
私は喜びのあまり、両腕を上げてバンザイした。
しかしのらきゃっとちゃんは、有頂天にはしゃぐそんな私に冷水をかけるように――
「……でも、ごめんなさい。この私立ばあちゃる学園に入学することはできません」
「えっ!? なんで!?」
「…………」
のらきゃっとちゃんは、難しい顔で押し黙った。
そして、ゆっくりと口を開く。
「……少し生々しい話ですが、キズナアイさんは普段はYouTubeの収益で、生活しているんですよね?」
「っ? まあ、ゲーム実況のゲームとかは、自費ですけど……」
私はAIなので、食事をとる必要もなければ風呂に入る必要もない。人間と比べたら、日々の生活費は微々たるものである。
「はい。つまりですね。私も趣味を楽しんだり、生活するためには、色々とやるべき事をやらなきゃ、いけないんです」
「やるべきこと?」
「……これ以上は、世知辛い話になるので内緒です。『男』には秘密が……『乙女』には秘密がつきもの、ですから」
またご認識が、とのらきゃっとちゃんは恥ずかしそうに指で口に触れた。
うむ。まったくわからん。
だが要するに、彼女には他に優先すべき用事がある、という事だろう。ならば無理にお誘いするわけにはいかない。
私はそう自分自身を納得させた。
「さて、それでは私はこれにて失礼します。……この後、家でタスクを片付けたいので」
「あヒィィン!! ケモミミィぃ!!」
「えっと、まだ発狂中ののじゃロリさんの扱いはどうしたら……」
「あっ、大丈夫ですよ。ついでに猫松さんは私が『介錯』……『回収』しますから」
そう言ってのらきゃっとちゃんは「ゆうちょ」という掛け声(たぶん『よいしょ』の誤認識だ)と共に、のじゃロリさんをお姫様抱っこした。
「では、キズナアイさん。さようなら。またいつか、機会があれば会いましょう」
「うん。さようなら」
コクリと頭を小さく下げてお辞儀をする彼女に対して、私も控えめに手を振った。
彼女が完全に姿を消したことを確認して、私はボソリと呟く。
「……それにしても、謎めいたケモミミだったなぁ」
のじゃロリさんも属性てんこ盛りという意味で
まったく。ケモミミっ娘は、実に謎の魅力に満ちているな。
私は深く感慨に耽った。
明日はウビバナイト。そしてはんぱないパッションのイベントですね。
はんぱないパッションのネットチケットを買うべきか、まだ悩み中です。Vの二次小説を書くVTuberとして、観て損はないと思っているのですが……やはり約10000円を捧げるのは、なかなか勇気がいりますね。
しかし、私は信じているのですよ。
アイドル部イベントというのはドッキリで、実は全編、ばあちゃるさんが熱唱するイベントなのでは? と。
そんな事を期待していたら、先日こんな夢を見ました。
私の理想郷です。ぜひ読んでください。
短編→https://syosetu.org/novel/191518/