キズナアイは現実を希う   作:御伽花

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 旧題名『私立ばあちゃる学園』から新題名『キズナアイは現実を希う』に変更しました。

 昔なら旧題名でも無問題でしたが、流石に今のバーチャル界隈だとイメージ的にアイドル部SSだと誤解されかねないので……ご理解お願いします。


新しいクラスメイト《保健室》②

 少女は覚束ない手付きで、瀬戸の背中の怪我を治した。

 痛めた背中に湿布薬を貼るだけの拙い治療――しかしそれで充分だった。

 背骨は骨折していない。

 痣も残っていない。

 瀬戸の痛がり方が大袈裟だったのだ。おそらく症状的には『軽度の打撲』だろう。

 そもそもバーチャルの身体で外傷を負えるの? ――そんな一抹の疑問は残るけど、多分これはツッコんではいけない。

 ともあれ大事にならず、ひと安心した。

 少女は改めてホッと一息付いていた。

 

「サンキュー! マジ助かったよ!」

 

 晴れやかな顔を浮かべて、瀬戸は軽快に笑った。

 少女は微笑みを返した。

 

「僕はナースですから。当然な事をしたまでです」

 

 少女はちょっとドヤ顔気味に胸を張った。

 所詮は、ナースの真似事。

 手の届き難い背中に、湿布を貼り付けた素人手当だ。

 しかし少女はそれでも満足だった。

 たとえ拙くても、苦しみの芽を積めた――その事実が重要なのだ。

 憧れに一歩近づけた実感を噛み締めて、少女は歓喜に震えた。

 

「死ぬかと思った〜! あと五秒遅かったら危うくおっ死んでいたね!」

「ただの軽い打撲です。それは無いかと」

「えっマジ!? 受け身を取れなかったのにただの打撲だったの? ヤベーじゃんオレ。めっちゃ身体強くね?」

「……ははっ。まあバーチャルの身体ですし」

 

 少女の微笑みが段々と崩れていく。一瞬、苦虫を噛み潰したような表情がなった。

 先程まで瀬戸は『患者』という認識があったので、少女はあまり意に止めてなかった。

 しかし患者の枠内から外れた今になって漸く気づいた。

 

 ――あっ。この人、僕の苦手なタイプです。

 

 交わした言葉はまた数回。しかし少女は直感的にそれを理解した。

 陽気を周囲に振り撒き、自分のペースに巻き込んでいくような軽快な喋り方。少女にとって息が詰まる、陽の空気感。

 少女は『そういう人種』に対して、強い警戒心を抱いてしまう悪癖がある。

 人目を憚ることをせず、大声で騒ぎ立てる輩――もしくは嫌に親しげな言動でこちらに話しかけてくる、ありがたいけど迷惑な輩。

 瀬戸のようなチャラい印象のある人間は、まさにカルテの苦手な人間の条件に一致する。

 相容れぬ、絶対に仲良くなれぬ、と。

 そう本能が警報を鳴らしていた。

 

 ――でも、偏見で嫌うのはいけませんよね。

 ――パリピっぽくても、良い人はいるはず。

 ――せめて保健室に居る間は、笑顔で頑張って対応しましょう。

 

 少女は不器用なりに表情筋を動かして、違和感のない笑顔を浮かべる。愛想の悪くない笑顔は作れたはずだ。

 対して瀬戸はナチュラルな間抜け顔だ。その弛んだ顔のまま、瀬戸は尋ねる。

 

「そうだ。君の名前、教えてもらっていい?」

「名前ですか?」

「そう!」

 

 そういえばまだ名乗っていなかった。

 

「私は――」

 

 言う前に、少女は立ち止まった。

 危ない。つい本名のほうを口に出すところだった。それに一人称も、また『私』に。

 ほんの少し気が弛むだけで、すぐこれだ。まだRPが甘い。

 少女はゴホンと咳き込んだ。

 

「僕は、薬袋カルテですよ」

「薬袋カルテ……」

 

 瀬戸は何度か、その名前を反芻した。

 おそらく『薬袋』の漢字変換に戸惑っているのだろう。言動的に教養のある人には見えないので、カルテは失礼にもそう踏んでいた。  

 

「薬の袋と書いて『みない』と読むんですよ」

「あっ、大丈夫。漢字はわかる」

「そうなんですか」

「ただ、儚くて良い名前だな、って思って」

「ハァ。そうですか」

 

 ベタな口説き文句。

 カルテは内心で、失笑を飛ばした。

 

「――ともかく。もう治療は済みました。お帰りいただいても大丈夫ですよ」

 

 暗に「さっさと帰れ」と伝えた。

 治せる怪我がないなら、もう瀬戸に用はない。本末転倒この上ないことだが、バーチャルナースは患者に飢えているのだ。

 瀬戸は困った顔で頬を掻いた。

 

「まだ背中痛むし、できればもうちょっと休んでいきたいんだけどなぁ」

「でしたら、ベッドで休息を……」

「んや、そこまで重症じゃないかな」

「えっと、だったら」

「ちょっとオレとお茶しない?」

「……?」

 

 なんと。

 まさか直球で口説かれる(そう来る)とは。

 カルテは口を強く結び、嫌気で顔が歪むのを抑えた。

 

「どうかな、カルテちゃん」

「どうかな、と言われましても」

 

 ――というか、馴れ馴れしくカルテちゃんとか呼ばないでほしい。

 ――僕はあなたの友達じゃなくて、他人なんです。だから距離感を履き違えないで。 

 

 そんな言葉が喉奥まで登りかかって、それを吐き出さないように、更に強く口を結んだ。

 体質に合わない空気を吸う、とはこんなに息苦しい事だったのか。二酸化炭素を出すより先に、反吐を出したい心地だった。

 

「ごめん! そういうつもりで言ったんじゃないんだ!」

「――えっ?」 

「ほんとごめん! 確かに今の言い方はナンパっぽくて気色悪かったよね!? うわっ、自分で言っといて鳥肌立ってきちゃったよ!」

「……いえ。大丈夫、ですよ」

 

 必死に顔が歪むのを抑えたつもりが、どうやら無意識に顔に出てしまっていたらしい。

 カルテは申し訳ない気持ちになった。実際に嫌気が差したのは事実。しかしその気持ちは己の内に閉じ込めておくものだ。断じて当人の前に曝け出すべき顔ではない。

 人を傷付けるのは忌むべき行為だ。

 肉体的でも、精神的でも。

 ナースは人を癒やす為に在るのだ。

 自分が傷つく分には構わない。でも目の前にいる他者は如何なるときも健康で在るべきだ。

 だから嫌気の感情は、決して表面上に出すべきではなく、心の内に隠しておくべきだった。

 カルテは舌を強く噛んだ。

 そうすることで、未熟に尽きる己に叱責を与えた。

 リストカットと違って、咥内の自傷は誰にも見られないし、そして傷の治りも早い。

 これは幼少期から染み付いている、カルテの悪癖だった。

 

「………」

「あーえっと……」

 

 俯き、無言になるカルテ。

 息の詰まる雰囲気。居心地悪さを感じたのか、瀬戸は慌てて喋り出した。

 

「そ、そうだ! これ見てよ!」

「………」

「一発芸、『テストの恨みで夜中、のび太に刺された先生』

 ――のっ。のォびィィぐゥゥンッ!?」

「…………」

 

 数秒、静寂が過ぎる。

 瀬戸は凍りついた空気の中、カルテの顔色を伺う。口笛を吹いて、何かを誤魔化していた。

 暫くして、カルテは漸く――

 

 

「……プッ。クスクスっ」

「おっ、笑った! ヨッシャぁぁ!!」

 

 つい、噴出してしまった。

 何とくだらないギャグだ。くだらなくて、逆に笑ってしまった。

 一瞬、冷やかな沈黙も流れたが、終わってみればそのスベリ感も含めて笑いポイントだ。こんなネタで爆笑できるカルテの感性は、ちょっと独特かもしれない。

 

「どうかな? この一発芸で、さっきのナンパの件はチャラにして貰えないかな?」

「………っ!」

 

 無言でコクリと頷く。

 口を開くと、爆笑が漏れ出そうだった。

 

「ありがとう! まあ本当にナンパのつもりで言ったんじゃないけどね!」

「その、コーヒー、いりますか?」

「えっ、いいの?」

「はい。面白かったので、そのお礼に」

  

 カルテは、サーバーの中にある熱い珈琲液をカップに注いだ。このままだとブラックなので、お好みで味を変えれるように、受け皿の端にミルクとスティックシュガーを添えた。

 カルテは「どうぞ」と微笑み、瀬戸の前に珈琲を置く。

 

「あ、ありがとう」

「いえいえ。構いませんよ」

 

 一転変わってカルテの態度が好意的になって、瀬戸はほんの少し戸惑っているようだった。

 カルテからしたら、なんてことない。抱腹絶倒して、自然と肩の力が抜けただけ。警戒心が弛んだから、対応も柔らかくなった。

 ギャグで笑ってしまった手前、茶の誘いを跳ね除けるのも、何となく後味が悪くなった。せめてキズナアイさんを待つ時間だけ、お茶に付き合ってあげようではないか。

 瀬戸は、ほろ苦いコーヒーを一口飲んだ。なぜか驚いた顔を浮かべた。

 

「美味しい……。味、感じるんだ」

「……っ?」

 

 意味ありげに瀬戸は呟く。カルテは首を傾げた。

 液量の減ったコーヒーカップを受け皿に置いて、瀬戸は「さて」と話を切り出した。

 

「早速聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

「いいですよ。僕に答えられる範囲なら」

「その……。変な質問というか、もし間違ってたら、すごい恥ずいんだけどさ……」

 

 恥じらう顔色で、瀬戸は気の弛んだ笑顔を浮かべた。

 不自然に言い澱み、なかなか本題に踏み込もうとしない。

 瀬戸は、悲哀に満ちた顔で深呼吸した。

 そして何かに思い込むように、片目に右手を添えた。その仕草は、まるで潤んだ瞳を隠しているようにも見えた。

 

 ――い、いったいどんな質問を……!

 

 悲劇のヒーロー宛らの雰囲気を纏っている瀬戸。 

 劇的な演出に弱いカルテは、不覚にもドキッとさせられた。

 突如、窓から強風が吹き込む。

 風で靡いたカーテンが、瀬戸の顔を隠した。一瞬、瀬戸の瞳から一滴の涙が落ちたように見えたが――再び見た彼は笑顔だったので、きっと目の錯覚だろう。 

 ひどく物悲しげな笑顔だった。

 

「ここって多分、天国だよね。というかオレ、死んじゃったんだよね?」

「えっ。違いますけど」

「えっ?」

「えっ?」

   

 瀬戸とカルテは、互いに今日一番の間抜け顔を見合わせた。

 

 

 

    

 ☆

 

 

 

 

 カルテは十分ほど掛けて、ここがVR_Worldの世界だということを瀬戸に説明した。

 一見、現実世界と見分けの付かないほどリアリティが高いけど、よく目を凝らしてみれば現実との差異が分かる。カルテの言うことに従って瀬戸は目を細めた。そして瀬戸は、目が飛び出るほど仰天した。

  

「バーチャル世界! マジで!?」

 

 まるで一昔前の漫画の一コマな反応だ。またしてもカルテは忍笑する。

 瀬戸は、このバーチャル世界にログインした経緯を話した。とはいえ本人も状況をまだ把握しておらず、語りながら頭の中を整理しているような要領の得ない説明だった。

 瀬戸曰く――

 

「なんか怪しげなVR機器が家に届いたから、なにかなーと思って試しに装着してみたんだよ。そしたら頭に電磁が流れ込んで気絶して……それで目が覚めたら、なぜか目の前に雲があって、背中に激痛が走ってきたんだ!

 いま振り返ってみると、きっと俺は『親方! 空から女の子が!』みたいになってたんだろうな。いや、俺は女の子じゃないけどね。親方もいないけど。というかパズーは受け止めてくれなかったけど。

 まあそれはともかく。あとの展開はパズーもといカルテちゃんもご存知の通りだよ」

 

 誰がパズーだ。

 というかカルテちゃん言うな。

 

「……概ね事情は理解しました。つまり貴方は、今日初めてこのアプリにインした初心者さん」

「うん。その通り」

「右も左も分からないから、チュートリアル役が欲しくてあんな台詞を言った、と」

「はい。そうしてもらえると嬉しいです……」

「暇ですし、構いませんよ」

 

 説明中に、キズナアイさんが訪問してくる可能性が念頭に浮かんだが、しかしそれは断る理由にならないだろう。

 もしカルテの機嫌が頗る悪ければ、多分それを言い訳にして断っていた。あたかも申し訳ないような顔を浮かべて、バイバイと手を振っていた事だろう。

 でも渋々ながら承諾した。要するに今のカルテの機嫌は大して良くもない、しかし悪くもないということだった。

 

「――先程も言った通り、ここはバーチャル世界。VR_Worldの中です。電脳世界、仮想空間など、プレイヤー間での呼び方は様々ありますが……。

 まあ『アプリの中』という認識で概ね正解です」

「いまいち信じがたい。けど、まぁうん。確かにこれは、現実じゃないよねぇ」

 

 カルテの姿をジロジロと舐めるように見て、瀬戸は言った。

 一見この世界の物質は、作り物とは到底思いがたい現実味のある質感で作られている。しかし目を凝らして観察すれば分かる。

 あれ、なんか解像度が低くね? ――と。

 特にアバターだと、作り物らしさはより顕著になる。こちらはグラフィックの問題ではない。単純にその姿形が現実的じゃないからだ。

 異様に大きく瞳と、カラフルな髪。そして毛穴の一つさえ無い白磁の肌と、正面から見た米粒のような鼻。

 要するにアニメチック。そんな姿の人間が、当たり前に存在する世界なのだ。

 

「アバターは自作できますよ。顔付きを変えたり、猫耳を生やすことだって可能なんです。

 あと、男の人が女の子になることも」

「えっ、そんな人いるの?」

「さぁ? 僕には何とも」

 

 そんな人は見たことない。

 VR_Worldでは現実での感覚が同期化されるので、安全面を考慮して、VR_Worldで異性のアバターを使用することは公式で禁止されている。

 だが――

 

「実はこのVR_Worldでは、とある都市伝説がありまして……」

「都市伝説?」

「はい、そうです」

 

 カルテは失笑含めて語る。

 

「曰く――とある条件に一致するオッサンを()()()()()()させてしまう『TS化システム』が存在する、とか」

「てぃ、TS化システム? そんなエロ本の導入みたいなものが実在するのか……」

「まあしかし、所詮は都市伝説です。僕は一ヶ月ほどこのゲームで遊んでいますが、生憎それらしい方は見たことありません」

「そ、そうだよね。……正直、ちょっと興味は湧いたけど」

 

 瀬戸はボソリと呟き、俯いた。

 公式で『異性アバターは使えない』と明記されているのだ。きっと誰かが面白がって流した噂だろう。

 仮にこれが真実だとしても、この広大な電脳世界でそんな変質者紛いに出会う事なんてそうそうあるまい。結局、自分には縁のない下らない都市伝説だ。カルテはそう思い、失笑を飛ばした。

 

 突然、扉が開く音が響いた。

 

「――失礼しまーす」

「猫松さん。そこ、帰り道じゃない、ですよ」

「あっ、いっけね。間違えちった。すみませんでしたー。のじゃー」

 

 新しい患者が来たと思ったが、どうやら部屋を間違えただけらしい。そっと扉を閉ざされた。

 いきなりの事で、ちょっと吃驚した。

 気を取り直して瀬戸と向かい合った。

 

「……ね、ねぇ、カルテちゃん。今の狐っぽい女の子だけど――オレの気のせいかな。なんかオッサンっぽい声じゃなかった?」

「っ? ごめんなさい。振り向く余裕がなかったので、アバターは確認できませんでした」 

「そうか……」

「でも低い声でしたよね。普通に男性では?」

「そ、そうだよね。俺の見間違いだった、かも……。うん。きっと、そのはず……」

 

 激しく動揺している瀬戸。

 冷静を取り戻そうと、何度も深呼吸していた。 

 

「……よし、落ち着いた。もう大丈夫」

「えっと、もしや持病でも?」

「あっいや、そういう訳じゃないよ。……ただ多分オレ、相当疲れているのかもしれない。オッサンが幼女に見えちまう程度に」

「……?」

 

 瀬戸の支離滅裂な言動に、カルテは訝しんだ。

 もしや背中だけではなく、頭も打っていたのかもしれない。

 念の為、頭に包帯を巻くか尋ねたが、瀬戸は大丈夫と言って遠慮した。心配である。

 

「気を取り直して――アバターの話の続きなんだけどさ」

「はい。なんでしょう」

「今のオレって、どんな顔してるのかな? 現実通りの顔、ってのは流石に無いだろうし――ま、まさかケモミミ幼女とかじゃあ」

「そんな訳ないですよ。鏡、どうぞ」

 

 カルテは手鏡を瀬戸に渡した。

 

「ありがとう! さて、どれどれ――あ、なんだ。めっちゃフツーな顔じゃん!」

「まあ初期アバターですからね」

 

 一言で表すなら、平々凡々な少年。もしくはモブC。記憶に残らない無個性な顔立ちだ。

 しかもTシャツにこのゲームの広告みたいなマークが貼りついており、有り体に言ってダサい服装だ。

 しかし瀬戸的には、かなりお気に入りの様子だった。あと眼鏡さえあれば完璧だなー、と無邪気な顔で瀬戸は独白している。

 

「えっと、他に何か知りたいことはありますか?」 

「んー、そうだね。一先ずはもう大丈夫かな。自分の置かれている状況とかは、大体理解できたし」 

「そうですか」 

「まあ『アプリの中に入っている』って実感はまだ全く無いけどね!!」

「そういうものですよ」

 

 最初に電脳世界に来た時の記憶を思い出して、カルテは何度も頷いた。

 

「……あっ、それとあと一つ。ちょっと個人的な質問になるんだけど、聞いてもいいかな?」

「なんでしょう」

「カルテちゃんってさ……その、本当にナースさんなの?」 

 

 ピキン、とカルテの表情が固まった。

 暫く黙って――カルテは、わざとらしい笑顔を浮かべる。

 

「――どういうこと、でしょう?」

「実際にナースを仕事にしている方なのかなー、って思って」

「僕は、バーチャルナースですよ?」

「っ? いやそういう意味じゃなくて……」

 

 カルテは敢えて惚けた顔を浮かべ続けた。

 瀬戸の質問に答えるとは簡単だが、生憎答える訳にはいかない。

 カルテは訝しみ、ちょっと困った表情を浮かべた。

 

「……あのですね。こういうこと、他の方にはあまり聞かないほうがいいですよ」

「えっ、どうして?」

「どうして、と言われましてもねぇ」

 

 カルテは苦笑いを浮かべた。

 その様子を見ても、瀬戸は何も察せないようだ。

 仕方ない、とカルテは諦観する。

 

「瀬戸さんは『RP』という言葉を知っていますか?」

「RP? 聞き覚えはあるかな」

「一言で説明すると『なりきり』です。剣士や魔法使いなどの作った設定に従い、ゲームの世界観に没入する遊びのことを『RP』と言います」

「そうなんだー。じゃあもしやカルテちゃんも?」

「…………僕だけじゃ、ありません。このアプリでは概ねのプレイヤーが『理想のキャラクター』になりきっています」

「へー。そうなんだー」

 

 瀬戸は呑気な顔で、生返事ばかり返す。

 

「もし今度RPを楽しんでいる方と出会っても、絶対に設定のことでとやかく言っちゃいけませんよ。『RPの邪魔をしない』というのは、このVR_Worldにおける鉄則――遵守すべきマナーですから」

 

 この電脳世界を生き抜く上で『RP』への理解は必要不可欠だ。RPが肌に合わない、楽しむ事ができないという人間は、この二次元と三次元の中間であるこの電脳世界において快適に暮らせない。 

 もし瀬戸が今後もこの世界を生き続けるつもりなら、この最低限のマナーは念頭に入れる必要がある。さもなければ空気の読めない奴として認定される。

 

「郷に入れば郷に従え、ってヤツだね! 以後気をつけることにするよ」

「本当に、お願いしますよ……」

 

 溜息混じりに、カルテは懇願した。

 悪気のない言葉。そう分かっていても、一般人の視点でRPについて追及されると羞恥心がまず過ぎる。

 私は私、僕は僕――カルテはそう頭の中で分別を付けているつもりだが、しかし完全に『薬袋カルテ』になりきれているかと尋ねられると、そういう訳ではない。

 演技している、という意識が残留している限り、カルテは純然たる『薬袋カルテ』ではない。自分をバーチャルナースだと思い込んでいる一般人である。

 だからもしカルテが本物の薬袋カルテに成りたいのなら、瀬戸にRPの説明などすべきではなかったのだ。知らぬ存じぬで惚け倒し、瀬戸自身に勝手に察して貰うべきだった。それが可能なほど瀬戸が勘鋭い男なのかはともかくとして、カルテ的には今のやりとりは失点だった。

 

 もっとバーチャルらしく在らなきゃ。

 私のなりたい僕に――『薬袋カルテ』らしく成らなきゃ。

 

 一瞬、またリアルのことが脳裏にチラつき、強迫観念のような気持ちがカルテの胸を引き締めた。

 つい舌を噛む。

 鬱期に入った時は、いつも自傷して思考をボヤけさせる。カルテの悪い癖だった。

 そんなカルテの鬱屈に気づいたのか――はたまた、ただの天然か。

 瀬戸は何気なく『それ』を言った。

 

「それにしても驚いたなー。てっきりオレ、君が本物のナースさんかと思っちゃったよ!」

「……えっ?」

 

 不意打ちの言葉に、カルテは瞠目した。

 瀬戸はまるで照れ隠しするように頭を掻き、そして続けざまに言う。

 

「昔、入院したときにお世話になったナースさんに、ちょっと雰囲気が似ていたからさ。喋っていて、とても落ち着くというか」

「そ、そうですか。何というか、その……う、嬉しいです、と思います。はい」

 

 動揺の余り、喋り方がちょっと変になった。 

 油断すると顔の筋肉の弛緩しそうだった。

 

「ちなみに、僕のどういうところがナースさんっぽいでしょうか? 三行でお答えください」

「さ、三行!? なんで!?」

「なんとなく、です」

 

 カルテは軽く咳込み「……いえ」と前言撤回する、

 

「やはり三行である必要はありません。思う存分に、薬袋カルテへの賛辞をお送りください。僕が喜べば喜ぶほど、貴方の健康状態を好印象に記入しときます――」

「それカルテ偽造では!?」

 

 カルテの横暴に、瀬戸は吃驚仰天した。

 引き気味に仰け反り、瀬戸は小声で「えぇ。それナースとして駄目なのでは……?」と呟いた。

 その呟きを拾い、カルテは眉を顰めた。

 

「……今の言葉で機嫌を損ねました。えーと――『瀬戸さん、ガンで長期入院』と」

「不機嫌でオレ発癌するの!? どんな地獄病院!?」

「冗談です」

 

 仔鹿の如く身震いする瀬戸。その反応が面白くて、カルテは微笑を浮かべてしまう。

 ナースらしいと褒められて、つい心踊ってしまった。

 表情乏しい顔貌で隠し通しているが、内心のカルテは喜色満面だった。

 

 ――まったく。我ながらチョロい。

 

 たかが他愛ない言葉一つで、当初瀬戸に対して抱いていた嫌悪感が、大分消えた気がする。 

 それほどナース関連の褒め言葉は、カルテの琴線に触れたのだ。

 

 カルテは本物のナースではない。

 でも、仮想のナースでは在りたい。

 そう思っている。

 

 『ナース』という職業に対して、カルテは淡い憧憬を抱いている。

 それは強烈な想いのようで、どこかボヤけた曖昧な想いだ。

 カルテは別に、医療に特別詳しいわけでもない。

 これから医療の勉強に取り掛かる予定もなければ、医療への興味だって本当は上っ面程度にしか抱いてない。

 しかし、それでも尚。

 カルテは『ナースの夢』に溺れ続けたい。

 

 ――恐らくそれは、子供が短冊に思い書くような拙い憧れ。

 

 看護職の世知辛い現実を知らないまま、カッコいいとか、カワイイとか、そんな稚拙な理由を胸に秘めて、ありもしない幻想に手を伸ばしている。

 実態と印象は、明確に違う。

 ナースとは、ただ献身を司る人の呼び名ではない。

 ふと時計を眺めては、溜息ばかり吐きたくなる――そんな仕事人の名前のことだ。

 

 でもそんなのは、カルテの憧れたナースではない。

 カルテの憧れは、もっと単純な存在。

 人に癒しを齎して――患者の笑顔を見て、僅かな幸福を胸に抱く。そんな献身の人。

 カルテは、そんなナースの仮想(すがた)に憧れているのだ。

 誰かの癒しになれるナースになりたくて――何となくの気持ちでいいから「ナースらしい」と思ってくれる存在になれたくて。

 理想の自分になりたくて。

 カルテは今、この電脳世界に居る。

 

 ……だから嬉しかった。

 「ナースらしい」と言ってもらえて。

 世辞かもしれない。

 でも、だとしても。カルテにとって『それ』は、言われて嬉しくなる言葉なのだ。

 言葉一つで、自信が漲る。

 ダウナー気味のカルテに珍しく、胸奥からどうしようもない活力が湧き立った。

 もっと端的に言うと――心が温まる。

 喜びが炊かれる。ホクホクと。

 そして、それを自覚した瞬間――

 

 ――チンッ。

 

 突然、保健室の台所にある炊飯器から音が鳴った。

 どうやら白米が炊き上がったらしい。

 カルテは銀色に輝くシャリ具合を確認するため炊飯器の元に向かう。

 ――と、その前に。

 カルテは振り向き、瀬戸に微笑みかけた。

 

「――あっ、瀬戸さん。メシ、食べます?」

「話の脈絡が迷子ですが!?」

 

 炊飯機を指差し、瀬戸は目をパチパチさせて驚いていた。

 カルテは首を傾げた。

 

「いや『この人は何言ってるの?』みたいな目で見られましても! さっきまでメシと全く無縁の会話してたよね!?」

「ですね。バーチャルのお話でした」

「なのになんで突然メシの話!? 色々おかしくない!?」

「……でも、メシが炊かれたからには食べる他ないのでは?」 

「どのタイミングで炊いてたのかも気になるところだねぇ!!」

 

 聞かれても分からない。

 いつだってメシは、子供達の知らぬ間に唐突に炊きあがってきた。そして食卓に並べられてきた。

 敢えて回答するなら、きっとメシとは『お母さんの優しさ』から炊かれる物なのだろう――

 

 兎角、メシが炊かれた理由はさておき。

 

 カルテは瀬戸に「ナースらしい」と言ってくれたお礼を返したいのだ。

 

 勿論、瀬戸が何がお礼を求めてその言葉を言った訳では無いことはカルテとて理解している。カルテが身勝手に恩義を感じただけだと。

 だからこの「感謝を伝えたい」という気持ちを発散する理由は一つ――あくまでカルテ自身がそうしたいからするのだ。

 つまり一飯之報だ――本来のこの言葉は「メシを恵んでくれた恩に報いる」という意味だが、敢えてカルテは「メシで恩に報いる」という誤用でも使いたい。

 メシは誠に偉大な食べ物である――この間、長年プレイしていたソシャゲがサービス終了して心が鬱屈していた時も、メシの抱擁的な美味しさに慰められてカルテは前を向けた。

 メシを炊く、とはそれ即ち、心を炊くのと同じ意味なのだ。

 メシに秘めたる力を盲信しているカルテは、ニコリと敬虔な微笑みを浮かべた。

 

「まあまあ、何でもいいじゃないですか。今こうしてメシが炊かれてしまったこと――それが重要なのです。メシを粗末にしたらメシ神さまの天罰が当ります」

「メシ神さまって何ぞ?」

「メシの神さまです」 

「そのまんまだね」

 

 瀬戸は思わず失笑した。

 

「いや別に『そんな得体の知れんメシ食えるか!』とは言わないよ? 何事もチャレンジは大切だし、バーチャル世界のメシの味にも興味はある。……でも」

「『でも』? いったい何が不満なんですか」

「いや、不満は無いよ。ただ驚くことが多すぎて、ちょっと疲れたんだよね……」

 

 瀬戸は精力尽きた顔で溜息を吐いた。

 無理もない。新参者の瀬戸からしたら、この世界の目に見えるもの全てが新鮮に映っているはずだ。

 このアプリは、謂わば擬似的な異世界転生のようなモノ。

 異世界の常識に馴染むまでの間、多少の知恵熱は致し方ない。

 

「……疲れたようでしたら、一度ログアウトしてみたらどうでしょう? 頭を整理する為にも」

「そうだね。正直、ちゃんと元の世界に帰れるのか不安でもあったし、一度現実に戻って一息を――」

「もちろんメシを食べた後ですけど」

「アッ、ハイ」

 

 執拗にメシを勧めに来るカルテに根負けして、瀬戸はもはや頷くしかなかった。

 

「では、少し待っていてください」

 

 カルテは炊飯器の蓋を開け、杓子でメシを掬った。

 せっせと茶碗に白米を盛る。この量で充分かな、と頷いた後、カルテは踵を返して瀬戸にメシを盛った茶碗を向けた。

 

「どうぞ瀬戸さん。メシです」

「ああ、ありがとう――って、えぇ!」

 

 瀬戸はこんもりと盛られたそのメシを見て驚愕した。

 

「っ? どうかしました」

「いやどうかしたもなにも、それごはん盛りすぎじゃない!? その身長でなんで盛れたのか逆に気になるわ!!」

 

 瀬戸が指差したそのメシは、天井に触れるか触れないかのギリギリを攻めた高度を誇っていた。

 グラグラと揺れている。

 今にも溢れそう――というか倒れそうだった。

 

「男性は生涯食べ盛り、と聞きましたので。これくらい一口でイケるかなー、と」

「オレはピンクの悪魔か! いや無理だよ!」

「そんなこと言わず。ささ、どうぞクイッと」

「――ちょ! 待って、倒れそうだから! そのメシこっちに向けないでェェェ!」

 

 カルテがメシを瀬戸に向けてにじり寄ってきた。瀬戸は何度も無理だと訴えたが、その言葉は上機嫌なカルテの耳には届かなかった。

 瀬戸は怯えて後退した。にじり寄うカルテに合わせるように後退していると、ふと腰に衝撃がきた。

 どうやら扉のドアノブが当たったらしい。

 もう、逃げ道は無い。――実際はガラ空きの真横に逃げ道はあるのだが、しかし目前で『メシタワー』が今にも倒れそうにグラついている現状で真横に一瞬意識を逸らすのは謂わば自殺行為にも等しく、瀬戸はその逃げ道に気づけず『メシタワー』を注視していた。

 

「さあ瀬戸さん。召し上がれ」

「メシだけに?」

「…………ふふっ」

「あっごめん今のボケなし! ストップ! 笑わないで!」

 

 まるで後一手で崩れるジェンガのように、メシタワーは右往左往に揺れる。

 そして、遂に限界は訪れて――

 

「あっ」

 

 その儚げな声と同時に、メシタワーは前方に――瀬戸のいる先に倒れる。

 

「ギャァァァ!! 殺されるぅぅ!!!」

 

 炊きたて熱々の米粒の軍団が、今まさにこの瞬間、瀬戸を全身を灼熱の業火に包もうと迫っていた。

 瀬戸の全身を覆うほどの米粒の弾幕。

 本来ならその銀シャリの粒立ちに唾を飲み込むところだが、今だけは別の意味で唾を飲み込んだ。

 「ああ、これが本当のライスシャワー」――そんなボケを呟く余裕すらない。

 もはや避ける事もできない。瀬戸は諦観した。

 せめて顔に落ちるメシだけは食べてあげよう。瀬戸は口をあんぐりと開けた。

 

 だが瀬戸が諦観した瞬間。

 

「こんにち――わッ!?」

「うわぁっ!!」

 

 背後から黄色い叫び声。誰かが扉を開いた。

 背中を預けていた物が消失して急な落下感に見舞われた瀬戸は、そのまま受け身も取れず後頭部から先に地に落ちた。

 ゴツン、と後頭部を打つ

 しかし案外ダメージは少なかった。上半身を起こして瀬戸は後頭部を軽く擦った。

 

「アイタタ。びっくりしたー」

「だ、大丈夫ですか!?」

「うん。オレは大丈夫だよ」

  

 どうやら何か緩衝材のようなものが下敷きになってくれたらしい。後頭部を擦って確認したが、タンコブ一つの軽傷すら無かった。

 

「それは良かったです。でも、その、瀬戸さんは無事かもしれませんが……」

 

 カルテは慌てふためいた様子で、瀬戸の下半身を直視していた。

 否、下半身などではない。

 もっと下の、床を――いや、床でもない。瀬戸の尻に敷かれている緩衝材を見ていた。

 

「………まさか」

 

 瀬戸の顔色が急激に青褪めはじめた。

 ふと瀬戸はさっきの黄色い声を思い出し、ようやく今自分が『何の上に座っているのか』察した。

 おそるおそる、後ろを振り返る。

 

「きゅーん」

  

 そこには、変なカチューシャを着けた少女が居た。

 瀬戸と同様に米塗れの少女は、誰かに救いを求めるように虚空に手を伸ばしていたが、しかしピクリと一度痙攣したのを最後に完全に失神した。

 まるで死んだように――電源が切れたように眠っている。

 

「せ、瀬戸さん」

「……あぁ、わかってるよ」

 

 後悔と自責の念に駆られて涙ぐんだ声で呟くカルテに対して、瀬戸は強がりの笑顔を浮かべた。

 たがやはり感情とはそう簡単に隠し切れるものではないわけで――

 

「思い返せば、悪くない人生だったな。……自首するわ、オレ」

 

 瀬戸の瞳から、ぽろりと涙の雫が溢れた。

 手で涙を拭おうと、腕を上げる。その直前で袖にくっついた大量の米粒が視界に入り、瀬戸はいま自分の全身が米塗れになっていることを思い出した。

 瀬戸は涙を拭う為にも、まずその手にくっついていた米粒を食べた。

 ――それはきっと、妙に塩っぱい味。

 瀬戸はそのメシを、大層美味しそうに噛み締めていた。

 

「このメシ、すごい美味しいよ。もしまた食べる機会があるなら、また食べたいな。……あと、できれば今度は並盛りでよそってほしい」

「せっ――瀬戸さーーーんっ!!!」

 

 叫ぶカルテを横目に、ふと瀬戸は窓の先を眺めていた。カルテもそこを見た。

 一面に澄み渡る群青の空。

 今日の電脳世界は、いつも以上に汚れの無き晴天だった――。

 

 

   ※

 

 

 夕焼けの光が、保健室の窓から差し込む。

 電脳世界にも昼夜の概念がある。現実世界の時刻や天候に従って、電脳世界の空模様は二転三転する。

 瀬戸はその宵空を眺めながら、驚いたように声を上げた。

 

「おー、すごいなあれ。グラデーションみたいで綺麗だね」

「ですね。確かこれが逢魔が時? と言うのでしょうか。別段珍しい空模様ではないはずですけど、何だか幼ぶりに見た気がします」

「わかるわー。オレも普段は空とか見ないし」

「僕も今は、そういう習慣はないです」

「今は? 昔はあったの?」

「はい。とは言っても、小学生の時ですけどね。放課後はいつも空を見ながら帰ってました――」

 

 今や朧気な記憶。

 ランドセルを背負っていた頃のカルテは、いつも一人で下校していた。

 

 別に友達が居なかった訳ではない。下校の旅連れにできるような女友達は二人だけ居た。だけどその二人の家はカルテの帰路とは逆の方角にあったから、一緒に帰れなかったのだ。

 だから仕方なくカルテは、小学生の頃はずっと一人で下校道を歩いていたのだ。

 昏い空に侵食されてゆく夕焼けを。

 ナメクジの如くにじり進む群雲を。

 空のそんな微細な変化を、幼い頃のカルテは長い帰路の暇潰しとして観察していた――

 

「……いや、そうではなかった? ですかね」

 

 小声で呟き、カルテは首を傾げる。その記憶は正しくないと勘が告げていた。

 カルテはふと思い出した。

 短パンの男の子と駄弁り歩いている記憶を。

 どちらの記憶が正しいのか分からない――いや恐らくどちらも正しいのだろう。

 なにせ6年の小学校生活だ。ボッチ下校の常習魔だったカルテが、偶然男子生徒と下校していた日だってそりゃあ存在しただろう。

 しかし結局は昔の話。今更掘り下げる意味はない。

 たとえ掘り下げた所で瀬戸につまらない身内話を聞かせるだけだ。

 

 閑話休題。

 意味のある対話を始めよう。 

 

「ところで瀬戸さん。先程の話の続きですが――」

「ああ、メシの件のこと?」

「…………いえ」

 

 違う話を切り出すつもりだった。

 だがしかし、その話についても改めて謝罪すべきだと思い、カルテは一旦話の本筋を傍らに置く。

 

「……その件も、そうです。全責任は僕にあります。改めてごめんなさい……」

「オレは別に気にしてないよ。メシを持ってにじり寄る姿はすごく怖かったけど!」

「……うぅ、ごめんなさい。本当に」

 

 カルテは頭を下げる。

 今になって思い返すと、あの時のカルテは少々暴走していた。

 感謝の表すことしか頭になく、一心不乱にメシをよそっていた。褒められたことが嬉しくて、湧き上がっていたのだ――そんな一種の錯乱状態に陥っていた。

 しかしカルテ自身も驚いた。

 まさか自分に、あのような一面があったとは。

 カルテはまだ知らぬ己のことを知り、そして恐怖していた。

 

「僕、もう二度メシはよそいません」

「うん。そのほうがいいと思うよ。実際」

「……怖いんです、メシが。まさかメシがあんなに危険なものだったなんて」

「オレも知らなかったよ。メシって人を殺せたんだな」

 

 軽快に笑う瀬戸。

 その反応に対してカルテは不満気に眉を顰める。

 

「『殺せたんだな』って。……まるで本当に殺したみたいなこと言わないでください」

 

 カルテはベットに横たわる、その少女を一瞥した。

 「綺麗な顔してるだろう? 死んでるんだぜ、それ」――一瞬カルテの中の達也が例の名言を囁いてきたが、生憎と名シーン再現とはならず、少女はちょっと間抜けな寝顔で規則正しい呼吸をしていた。

 

「――電脳世界で人は死にません。少し考えれば分かることです」

 

 一寸の議論を挟むまでもなく、カルテはまるで常識を語るように断言した。

 その言葉に、瀬戸は少し首を傾げた。

 

「それはゲームオーバーが無いって意味?」

「それもそうですけど……。ほら、瀬戸さんだって、空から落ちたのに大怪我一つ無いでしょう?」

「いや大怪我って程じゃないけど、わりと背中痛かったよ?」

「本来なら、もっと痛かったはずです。というか、上空から受け身を取れず落下とか、普通に即死してもおかしくない事態ですよ?」

「たしかに。そう言われてみれば」

 

 地面に打った患部を擦る瀬戸。擦っていると、何か気づいたように瀬戸は眉を顰めた。

 

「実はこの怪我、落ちた瞬間は途轍もなく痛い気がしたんだけど、いまは正直全く痛さは無いんだよね。というか怪我したこと自体忘れたくらいだよ」

「……あー。もしやそれ、ノーシボ効果だったのでは?」

 

 ふと頭を浮かんだ言葉を、カルテは述べた。

 

「ノーシボ効果? ……えーと、なんだっけ。プラシーボ効果のマイナス意味だよね」

「はい、そうです。」

 

 一言で要するなら、思い込み効果。

 痛いと思えば痛いし、痛くないと思えば痛くない――ざっくりと説明すると、そんな根性論のような医療用語。

 

「おそらく瀬戸さんに『高所から落ちたら当然痛いもの』という観念があったから、痛いと錯覚したんだと思いますよ」

「あー、確かに。そう言われてみればそうかも」

 

 瀬戸は納得して首肯く。

 しかしカルテは、ふともう一つの可能性を思いついた。

 あの時の瀬戸は、初めてこの電脳世界にログインした訳である。『電脳世界のダイブ感』にまだ感覚が馴染んでいなく、一種のシステム的バクとして、痛覚が微妙に残留していたのかもしれない。

 答えは分からない。

 結局は、瀬戸自身がどう思い込むかである。

 

「――そうそう。そういえば僕もさっき、その机の角に足の小指をぶつけて「痛っ!」と声を上げてしまったのですが、多分それもノーシボ効果だったんでしょうね」

「単にカルテちゃんが鈍感なだけでは?」

「今日一番の『おまいう』を聞きました」

 

 瀬戸が必死に手を背中に回しながら救援の声を上げていた光景を思い出して、カルテは言い返した。

 ぐうの音も出ないという顔で目を逸した瀬戸は、まるで誤魔化すように「そうそう!」と話題転換を図る。

 

「さっきオレ、先走って話を遮っちゃったけど、他に喋りたいことあったんだよね?」

「えぇ、そうでした。でも結局、遠からず話は繋がっていたんですけど――」

 

 カルテはもう一度、傍らのベットで健やかに眠る少女――キズナアイを一瞥した。

 

「先程説明した通り、電脳世界に痛覚はないはずです。だからどうしてこの方が、瀬戸さんとぶつかって気絶したのか、ちょっと不思議に思っていたんですけど――多分それって、先ほど説明したノーシボ効果が理由ではないでしょうか?」

「えっと。脳が揺れた気がしたから気絶した、ってこと?」

「だと思います」

 

 生憎とカルテは医学も電子科学も専攻していない。

 だから所詮、経験頼りの判断。勘にすぎない。

 しかし敢えてカルテは、自信をもってそう説明した。

 

「……まあでもこの方の場合、疲労の蓄積が原因で失神したのかもしれませんね。」

 

 カルテは昔、満員電車の中で目の死んだ社畜っぽい男性がいきなりプツンと失神したシーンを目撃したことがある。

 人は疲労が蓄積していると、軽微なショックでも意識を失う。カルテが将来社畜になりたくないと本気で願った瞬間だった。

 

 瀬戸はカルテのその言い回しが引っかかったらしく「あれ?」と首を傾げた

 

「もしかして知り合いなの? この女の子と」

「いえ、知り合いじゃないです。ただ一方的に知っているだけ」

 

 ピンクのピョコピョコのカチューシャを見て、カルテはこの少女が誰であるのか確信していた。

 ――キズナアイ。チャンネル登録者数が50万人の、日本有数のYouTuber。

 否、確かキズナアイは己のことをバーチャルYouTuberと自称していた。

 曰く、自分はバーチャルな存在だから、と。

 恐らくはカルテと同じで、そういうRPをしているのだろう。もっとも、カルテはバーチャルYouTuberでは無いが。

 兎角、同じバーチャルに生きる者として、カルテはいつもキズナアイの動画を拝見していたのだ。

 

「実はキズナアイさんとは待ち合わせをしていまして。だから僕は、彼女が目覚めるまでここで待っているつもりですが――」

「もちろんオレも待つよ」

 

 当然だという顔で、瀬戸は返した。

 しかしカルテは首を振る。

 

「瀬戸さんは今日はもうログアウトすべきです。最初のログインは疲れるものですし……。それに電脳世界のダイブ感覚に慣れるまでは、長時間のインは危険かと」

「いやいや! オレがキズナアイさんにご迷惑をかけちゃったんだから、ちゃんと顔を合わせて謝るよ!」

「……。何度も言いましたよね? この件は僕の責任です」

「いや、だけど」

 

 やはり自分のヘッドアタックで女の子を気絶に至らせたこと罪悪感が強いらしく、瀬戸は渋った。

 だが事の発端はカルテが暴走状態に入ったことに在る。瀬戸のその責任感はお門違いだ。

 

「むしろ瀬戸さんは被害者ですよ。この僕に――『メシ殺しカルテ』に殺されかけた哀れな患者です」

「め、メシ殺しカルテ」

「僕はとんでもないこぼしてしまいました。……それは、あなたの命です」

「マジでとんでもないよ」

「ともかく、すべては僕の過失です」

 

 客観的に見た結果、そう判断した。カルテはキッパリと言う。

 瀬戸は、渋る顔で黙考した。しかしカルテの譲らない意気に説得されて、瀬戸は「わかった」と言った。

 

「そこまで言うなら、オレは一旦ログアウトさせてもらうよ。……うーん。でもやっぱ直接謝りたいなぁ」

「多分また会えますよ。狭い電脳世界ですから」

「そうなの? じゃあ、また保健室に遊びに来た時に会えたらいいな」

「そんな気安く来ないでください。保健室は休憩所じゃありませんよ……」

 

 否、学生の認識からすれば、保健室は一種の休憩所と言えるのかもしれない。

  ――というか。

 カルテは、言った直後に気づいた。 

 さらりとまた会う約束をしてしまったこと。

 そしてカルテ自身も、瀬戸がこのアプリを遊び続けるものだと思い込んで会話していたこと。

 それに気づくと、カルテはふと沸くように羞恥を感じた――別に恥ずかしがる要素は無いのだが、それでもカルテは恥ずかしかった。

 

「じゃあオレ、ログアウトするよ」

 

 朱に染まる頬を隠すために顔を逸らしたカルテの様子を見て、もう話が終わったと判断したらしく、瀬戸はそう切り出した。

 その瞬間――カルテは不明瞭な衝動に突き動かされた。

 伝える言葉も持ち合わせず「あ、あの」と声を掛けた。

 

「えっと……。瀬戸さん」

「んっ、なに?」

「あの、ですね……」

「あ、そうだ。ログアウトってどうすればいいの?」

「ログアウト? それならこうして右手を振ればメニュー欄が開くので――」

「おー! 本当だ。なんかカッコいいなこれ」

「一番下のログアウトボタンを押せば、ログアウトはできるのですが……あっ、そうだ!」

 

 ログアウトボタンの一つ上にある項目を見て、カルテは思いついた。

 そして、若干緊張を孕んだ声で提案する。

 

「よ、よければ、フレンド交換しませんか?」

「フレンド交換?」

「は、はい。そうです……」

 

 現実世界でも電脳世界でも『フレンド申請』に慣れていないカルテは、変にキョドってしまう。もしこの表情がそのままトラッキングされているなら、今のカルテは相当不気味な笑顔を浮かべているはずだが、しかし瀬戸の反応を伺う限りそれは杞憂のようだ。

 

「たしかフレンドになれば、ログイン時の互いの位置情報が分かったり、ゲーム内メールを送れるようになったはずです……。いえ、わかりませんが……」

「なるほど。ともかく便利だってことか」

「はい。とにかく便利です」

 

 実際にその便利性を実感したことはないが、カルテは鸚鵡返しで肯定した。

 瀬戸は悩む時間も置かず、こくりと頷いた。

 

「わかった。じゃあフレンドになろう!」

「ご承認ありがとうございます。今後の薬袋カルテの動向にご期待ください」

「なぜ打ち切り漫画ふう?」

「……何となくです」

 

 緊張余って変な言葉遣いになってしまう。

 メシの件もそうだったが、どうやらカルテは脳の処理状態が一杯一杯になると熱暴走を起こして正常を思考が欠けるらしい。痛々しいコミュ障ボッチにありがちな悪癖だ。それを自覚した瞬間、カルテは自己嫌悪に苛まれた。 

 ともかく。

 瀬戸の同意を得て、フレンド登録は完了した。

 

「これで良し。じゃあ今度こそログアウトするよ。たぶんオレは明日もログインすると思うから、もし時間が合ったらまた遊ぼうぜ!」

「……遊ぶ?」

 

 カルテは『遊ぶ』という言葉に喉の引っ掛かりを感じつつも頷いた。恐らくこれはカルテが人見知りだからこそ感じた飲み込みづらさ。

 しかしそれは嫌がっている感情ではない。カルテは半分社交辞令も含めてこくりと頷いた。

 

「えぇ、構いませんよ」

「やった! ナンパ成功だせ!」

「……うわぁ」

「ごめん冗談。だからその目やめて」

 

 カルテの軽蔑を込めた眼差しに圧されて、瀬戸はふるふると震えて謝罪した。

 熟れた謝罪の姿勢。頭の軽い男の姿だった。

 

「まあ、僕のほうも冗談だと分かっていますよ。だから安心して還ってください」

「ありがとう。土に還れ的なニュアンスを感じずにいられない言い方だけど、ともかくオレは一足先に現実に帰るよ」

 

 瀬戸はログアウトボタンを押した。すると『本当にログアウトしますか?』と確認メッセージが表示されたので、瀬戸はYESの所に指先を向けた――

 

「じゃあ。また今度ね、カルテちゃん」

「はい。さようなら、瀬戸さん」

 

 瀬戸がYESの所を押した刹那、瀬戸は突如現れた青光の粒子に纏われた。その後、ゆっくりと溶けていくように瀬戸の姿は朧気になり――まるで夢から覚めるように霧散していった。

 

 瀬戸を送り出した直後、カルテは漸く肩の力が抜けたように「……ふー」と嘆息した。

 ここまで長い時間、人と駄弁るのは久々だった。しかも一見相性の悪そうな相手と――

 

「……案外悪い人ではありませんでしたね。変な人でしたけど」

 

 カルテは本心から独白した。

 最初こそ警戒心を抱いていたが、時間が経過するにつれ、その警戒心は徐々に解けていった。最初は相槌も生返事ばかりで笑顔も不自然だったが、別れ際では口数も多くなっていた。

 瀬戸は、薬袋カルテの白紙だったカルテに名前を書『書いた初めての患者』だ。初めての患者が、瀬戸のような良い人で幸いだったと、カルテは胸を撫で下ろした。

  

「どんな人間でも、患者であればサービスの格差は付けない。それが『薬袋カルテ』のはずですけど――」

 

 しかしながら『マナーの良い患者』と『マナーの悪い患者』のどちらが好ましいかと問われたら、それは当然、前者と答える訳である。

 『薬袋カルテ』は献身の理想像として生み出した仮想的だが、やはり中の人として演じているのが『私』である以上、どうしても理想像(キャラクター)にはなり切れない。

 多分これが現実と仮想の明確な差なのだろう。

 本来なら縮める事できない、絶対的な差。

 

「……そういえばキズナアイさんは、どうやって『キズナアイ(ご自分)』を保っているんでしょうか?」

 

 ベッドで横たわる少女を、カルテは一瞥した。

 恐らく唯一この世界で、太陽の頂きに達せられる仮想少女――キズナアイと薬袋カルテには、月とスッポン以上のバーチャルとしての差がある。彼女は僕の望んでいるモノをすべて持っているのだと、悔しくもカルテは自認していた。

 ほぼ無意味にカルテは、キズナアイの頬に手を伸ばしたが、寸でのところで静止した。僕には太陽に触れる資格など無い。そう言い聞かせて、

 

「本当に、不思議です。なぜ貴方の寝顔はこんなにも愛らしいのに――なぜそんなに無機質なのか」

 

 カルテには心がある。

 この世界で瀬戸というフレンドを作れた事実に、ささやかな喜びを感じているように。

 キズナアイにも、恐らく心がある。

 でもその心は、冷たい電子に彩られたテクスチャのようだ。

 カルテはキズナアイの事をバーチャルとして尊敬している。

 しかしそれと同時に、人としての畏怖を感じていた。

 キズナアイの動画を始めて見たとき――カルテは怖かったのだ。

 画面の中に居るのが、本当に生身のある人なのか疑わしかった。

 もしや本当に、彼女は精巧に作られたAIなのではないか? ともカルテは思っていた。

 もしキズナアイの正体がAIなのだとしたら、その彼女のようになりたいと情景に焦がれているカルテは、はたしてどこに向かうべきなのか――

 

「……本当に、不思議です。なぜ『私』は、ただのキャラクターで在れないのだろう」

 

 『私』ではどう頑張っても、『薬袋カルテ』のように患者を平等に扱うことなんてできないのだ。

 かつて『私』が希ったはずのナースは、一人の患者とだけフレンドにならないはずなのに。

 

 まったく、RPとは本当に難しい。

 カルテは重く溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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