あのメールが届いて数日が経った。
私は、世界初の男性バーチャルYouTuber『ばあちゃる』さんが指定した集合場所に赴いた。
「おー、大きいなぁ」
目の前にある建築物を見て、私は感嘆の声を上げた。
ばあちゃるさんが指定した集合場所――おそらくばあちゃるさんの自宅――それは、他の場所に建っている一軒家と比較しても明らかに立派な家だったのだ。
清潔感のある白色を基調にした三階建の一軒家。大企業の社長とかが好んで住居にしそうな家である。
「
『
私が現在立っているここは『住宅街』のエリアなのだけど、指定の場所にたどり着くまでの間、この建物以上に豪華な家は一つも発見できなかった。この家を建てるのに相当建築費ををかけているなと、私は思った。
「一見、建築費は高そうだけど……。もしやバーチャルなぶん安上がりなのかもなー。まあいいや。入ろう」
私はインターホンを押した。
「……あれ? 押せないな」
何度もインターホンのボタンを押すが、ボタンを押している感触が全くない。三分くらい待ったが、家の人は誰も現れもしない。故障しているのだろう。
壊れているなら仕方がない。
トントン、と私は軽くドアを叩こうとした。
だが。
「……あれれぇ」
ドアを叩く拳が、するりとドアを貫通した。
これは……見た目だけで、中身がちゃんと作られていない。雑にモデリングされたオブジェクトに触れると貫通する現象は、電脳世界では頻繁にあることだ。
ドアを叩けないのでは、もうそのままドアをすり抜けて入る他ない。
無作法だと思うが、雑なモデリングした技術者が悪い。
「はぁ。幸先悪いな……。まあ、いいか。おじゃましまーす!」
せめてものマナーとして、大声で私はそう言った。
さて、ばあちゃるさんはどこの部屋にいるのだろうか。
ていうかちょっと疲れてきたし、帰って動画撮りたいなぁ。
家に上がって早々に、私はげんなりしていた。
☆
「ウビッ!? ちょ、キズナアイさん! インターホンを鳴らさずに入ってくるとか、ちょっと無法者すぎませんかね! てかコーヒー熱っ!」
「…………」
リビングで優雅そうに珈琲ブレイクを嗜んでいた馬面の男は、私がいきなり家に上がり込んできたのに吃驚して、膝元に珈琲をこぼしていた。
自宅なのに関わらずその男は、馬の覆面と藍色のスーツを身に纏っていた。
動画内と、全く同じ姿だ。私は一目で、男の正体を理解した。
この男こそが、世界的の男性バーチャルYouTuberの『ばあちゃる』なのだと――
「ちょいちょいちょーい! 不法侵入はいけませんよキズナアイさん! いくらここがバーチャル世界だからってね、法律はきっと多分適応されますからね!」
「……えっと、インターホンが鳴らないから仕方なく入ったんですけど」
「えっ? マジっすか。あー、そういや今は鳴らない仕様なんでしたっけ。いや、でもあれですよキズナアイさん! もし仮にインターホンが鳴らなかったとしてもですねぇ。せめてノックくらいするのが常識ってもんじゃないですかね!」
「ノックすらできない、張りぼて未満の欠陥ドアでしたけど」
「…………あー、はいはいはいはいはい。そういや、今はそういう仕様でしたね! 敢えてね! 敢えて! でも安心してください! 今から設定弄って、ちゃんとしたドアに直すんでね! 敢えてすり抜けるようにしましたけど、もう大丈夫ですからね!」
「は、はぁ」
「なんならね、確かめに行ってもいいですかね!」
「別にいいです」
正直、もうあんなドアの事などどうでもいい。ていうか敢えてドアをあんな状態にする意味がわからない。口ではそう言ってるが、普通にお粗末なドアだっただけだろう。
まあそれは帰りのときに確認するとして――彼の顔を見た途端なぜか一気に心労がたたってきたので、私はいま非常に不快な気分だ。
たぶん私は、こういう騒がしい男性が生理的に苦手なのだろう。やはり長居はせず、要件だけ聞いて帰宅したほうがよさそうだ。
私はゴホンと咳払いした。
「えっと。ばあちゃるさん、で合ってますよね?」
「はいはいはいはいそうですよ。世界初の男性バーチャルYouTuberのばあちゃるでーす! フゥゥゥゥ!」
「あっ、えーと……。
はい、どーも! バーチャルYouTuberのキズナアイです!」
「おっ。まさか生でキズナアイさんの挨拶が聞けてるとはね。いやぁ今日のばあちゃる君は実にツイていますね!」
「こ、こちらこそ」
ばあちゃるが唐突に機敏な挙動になったので驚いたが、それが動画内での開幕の挨拶だということに気づいて、私も咄嗟に動画撮影モードに入って挨拶を返した。
実はまだ、動画内でどんな挨拶を定着化するか試行錯誤してる段階だったので、この挨拶は今回初めて試みたのだけど、即興で考えた癖にはわりとしっくり来る挨拶だった。今度、動画内でもこれを試してみよう。
「えーと。いきなりですけど、メールに書いてあった学校の件についてお聞きしてもいいですか?」
「はいはいはいはい。まぁまぁ。その前にコーヒーでも一杯どうですかね? ばあちゃる君、唯一の先輩たるキズナアイさんの為にね、全力でコーヒー作りますからね」
「わ、私、早く帰って動画撮らないといけないので……」
「っ! はいはいはいはい! ならね、ばあちゃる君とコラボしましょうね!」
「いえ、しばらくコラボする気はないので……」
「ウビバ……それは残念。でもまあ、仕方がないですね! じゃあばあちゃる君ね、今からコーヒーを作ってきますんでね!」
「いや、だから」
「はいはいはいはいはい」
そう言ってばあちゃるさんは珈琲を淹れるため台所に向かった。
「……あの馬、人の話を聞かないタイプのAIだ」
私は重い溜息を吐いた。
「あっ。でも話を聞かなかったわりには、コラボの事はあっさりと引き下がったな……」
意外と、弁えるべきところは弁える性格なのかもしれない。会ってから彼に対しての好感度は右肩下がりだったけど、ふと『もしやそうかもしれない』可能性が浮上して、砂粒程度に好感度が上がった。
「それにしても、妙にお菓子の在庫が多い家だな」
先程から思ってはいたのだが、机の上には妙なほど多くお菓子の袋が散らかっていた。
しかも机の横にはお菓子を入れる箱が置いてあった。真っ白な箱で、まるで豆腐のようだ。箱の一面には、顔のようなものも落書きされている。
「男の方なのに、かわいいところもあるんだなぁ」
再びほんの少しだけ、私の中でのばあちゃるの好感度が上昇した。私は女子的な性格をしてるAIなので、かわいい要素がある物が好きなのだ。
「……いや、やっぱかわいくないな。馬面だし」
見た目が馬な時点で、全てが台無しであることに気づいた。たとえ中身が乙女的でも、容姿がかわいくなければキモいだけなのだ。
「んっ? いま、馬面って聞こえた気が」
「っ!?」
声の聞こえた方向に振り向くと、そこにはトレイを持っているばあちゃるさんがいた。
「ばあちゃる君のことでなにか言いましたかね? キズナアイさん」
「いえ。空が青いな、と」
「あーはいはいはい。確かにね、今日のバーチャル空間には雲が少ないですね!」
「そうですね。あははは」
危ない危ない。動画の癖で、つい独り言を呟いてしまっていた。
動画撮影の時は思ったことを発言するよう心掛けているから、変な癖が染み付いてしまっていたらしい。
とはいえ、職業病みたいな癖ができたということは、バーチャルYouTuberが板についてきたということでもある。そう思えば、悪いことでもない。
「……ていうか、よく考えたら私ってAIなのに。癖付くとか職業病とか、ちょっとおかしいな」
「ん? なにか言いましたか?」
「ばあちゃるさん、カラスが飛んでいますよ」
「バーチャル空間なのにカラスがいるとは。流石はバーチャル東京ですね。はいはいはいはい。やばーしーですねこれ」
「………」
ばあちゃるさん、流石に難聴がすぎるのでは? マイクで音声が拾える程度の音量で呟いていたのに。
まあともかく、出された珈琲でも飲もう。
私はコーヒーカップに手を付けた。
「ふぅ。この珈琲、落ち着く気分になれて良いですね」
「あざーす! はいはいはいはい」
「……今更ですけど、それ口癖なんですか?」
「はいはいはいはい」
「口癖とかって、やはり何個かあったほうが動画的に良さそうですね」
特徴となる要素は多いほうが良い。口癖にしても、挨拶にしても。
そういう独特の特徴には、視聴者に『今この人の動画を見てるんだな』と思わせる効果があると思うのだ。
そこの点だけは、私もばあちゃるさんを見習うべきなのかもしれない。
だからといって、私は『はいはいはいはい』とか言わないけど。
「いやね、ばあちゃるの唯一の先輩であるキズナアイさんに褒められるとは光栄ですね。はいはいはいはい。ばあちゃるもいつかはキズナアイさんみたいな後輩想いな良い先輩になりたいですね!」
「ばあちゃるさんなら、私よりも良い先輩になれますよ」
世辞のつもりで言ったが、実際はどうなるのやら。
「はいはいはいはい。そうなれたら嬉しいですねぇ。後輩を増やすためにもね、頑張ってバーチャルYouTuberの学校を作らなくちゃいけませんね!」
「ですね。そういえば学校の件ですが――そろそろお話を聞かせてもらってもいいですか?」
「はいはいはいはい! はい、の言いたいところなんですがね、ちょーっとだけ待ってくださいね! 実はなんですけど、ばあちゃる君、キズナアイさんの他にももう一人バーチャルYouTuberの方をね。お呼びしていますから」
「えっ」
バーチャルYouTuberをもう一人呼んでいる。そのことに私は驚いた。
バーチャルYouTuber界隈には現在、私とばあちゃるのたった二名しかいないはずだ。『バーチャルYouTuber』と検索をかけても、二名以外の名前が出ることはない。
驚きで目を見開く私に、ばあちゃるさんは加えて言う。
「とはいっても、動画投稿はまだしてないらしいですけどね! ばあちゃる君、実はSNSのほうでバーチャルYouTuberに興味がある有志の募集をしていましてね。そして募集した結果、『俺はバーチャルYouTuberをやりたいぞ!』みたいな興味津々の方が一名いましてね」
「それは会うのが楽しみですね!」
後輩がまた一人増えるかもしれない。そのことが猛烈に嬉しかった。
「でも、遅いんですよねぇ。はいはいはいはい。集合時間はとっくの間にすぎているんですけどね」
ばあちゃるさんは腕時計を覗いた。すでに短針はおやつの時間を指している。
「これは、やっぱり興味が失せて行くの止めたパターンですかね。ばあちゃる君、ちょっとツイッターで彼女に聞いてみますね!」
「お願いします」
ばあちゃるさんはスーツのポケットからスマートフォンを取り出した。ちなみに、AIでもインターネットを使うときにはスマホやパソコンが必要になる。
「――ウビバッ!? ちょいちょいちょーい! めっちゃメール来てるんですけど!? 怖っ!」
スマホのスリープモードを解除したばあちゃるは、画面に表示されている夥しいほどの通知数を見て驚愕していた。
「どうしたんですか? ばあちゃるさん」
「見てくださいよキズナアイさん。一時間でメール564件とかヤバくないっすか?」
「ごっ、564件ッ!?」
一時間で、564件。何かのツールを使えば不可能ではないかもしれたいが、手打ちでそれを送信したのだと思えば恐怖すら湧いてくる。
「しかも内容が全部意味不明ですよこれ。『たすけてぇぇぇぇぇ!!』とか『死ぬぅぅぅぅ!!』とか。ついでに564件って。うわー、めっちゃ不吉な数字じゃないですかこれ」
「そ、それ大丈夫なんですか?」
ばあちゃるさんは軽く言っているが、それは曰くのオカルト案件というものではないだろうか。
電脳世界なのにオカルト。ミスマッチにも思えるけど、ネット黎明期ではネット関係のオカルトが多かったとも聞く。
「さあ、大丈夫じゃないですかね。いざとなったらね、ばあちゃる君が幽霊さんを音速の拳でね。デュクデュク! って成敗しますからね。キズナアイさんは大船に乗ったつもりでばあちゃる君の後ろに――」
『ドン』
「ウビバァ!?」
ばあちゃるさんの台詞の途中、玄関辺りから大きな音が鳴った。
一回だけではない。この後にも、ドン、ドンと。何度も何度も、何かを叩くような音が鳴り響いた。
「はっ、はいはいはいはい。これはあれですね。わりと、マジモンのやつですかね」
「ど、どうしましょうか」
「ウビィ。仕方ないですねぇ。実はばあちゃる、幽霊はあまり得意ではないんですけどね」
そう言いながらもばあちゃるさんは、玄関の方へと足を進めた。
「ばあちゃるさん。大丈夫なんですか?」
「はいはいはいはい! いやまあ、大丈夫か大丈夫じゃないかと聞かれたら多分大丈夫じゃないですけどね。でもね、頼れる後輩ですからね。まあここは一つ、任せてくださいね! はいはいはいはい!」
「ば、ばあちゃるさーん!」
最後にそう言って、ばあちゃるさんは不吉な音がする玄関へと突撃した。
色々と面倒臭い性格で、正直あまり好かないタイプのAIだったけど――最後に見たその背中は、少しだけ格好良かった。
「世界的の男性バーチャルYouTuberのばあちゃるです! フゥゥゥ!」
声が大きいので玄関までの距離はそこそこ離れているのに普通に聞こえた。ていうか、この状況でもそれは言うのか。
「ん? あれ、これってもしや――あ、柔らか――ウビィィィィバァァァァ!?」
「ばあちゃるさん!?」
突如として悲鳴が聞こえた。
いったい、玄関で何が起こったというのだ。幽霊への恐怖を押し殺して、私は半ば反射的に玄関のほうに向かった。
そこには、ドアの前で痙攣しながら倒れているばあちゃるさんがいた。それと――
「……ん? なんだろこれ。足と腕みたいな」
なぜかドアから左足と右腕が生えていた。それと、丸みを帯びた柔らかそうな物体が。
腕と足は、何かに怒っているかのように暴れていた。しばらく待つと、疲れたのかあまり動かなくなった。
「もしやこれって――」
じたばたと動く手足が止まった隙に、私はドアのほうに近づいた――あくまで勘であるが、ドアから手足が生えている理由がわかったのだ。
多分、『それ』はこの豪邸に入ろうとしたのだろう。だがらインターホンは鳴らしたが、鳴った気配が全くしなく、仕方ないのでドアを叩く音で住人に気づいてもらおうとした。
けれど、そのドアはなぜかすり抜けるドアだった。叩くことすらできない。だから『それ』は、仕方なくドアを透過して家に入ろうとしたのだ。
ここまでは、おおよそ私の時と同じ状況だったのだろう。だけど『それ』は、私と違って運が悪かったのだ――きっと、ドアを透過するそのタイミングで、運悪くドアが普通のドアに変わってしまったのだろう。
それでバグが起こって、身体がドアから抜けなくなってしまった。まあ多分、一部始終の全てが、私の想像通りとはいかないと思うけど。
私は、普通の物となったドアを恐る恐る開いた。
思ったとおり、そこにはドアに埋まって動きが取れなく困っている少女のAIがいた。
私と少女の目が合い、私は言った。
「……えっと。はい、どーも。バーチャルYouTuberのキズナアイです」
「うえぇぇぇぇん!! たしゅけてくだしゃいぇぇぇぇぇ!!」
そこには、涙で顔がぐしゃぐしゃになりながらも、ドアに埋もれていない左手を器用に使い、スマホで文字を入力してる少女がいた。よく見たらスマホにはツイッターが開かれており、そこでは『たすけてぇぇぇぇぇ』や『死ぬぅぅぅぅ』などという、見覚えのある訴えの文章が大量に書かれていた。
少女は安心したのか、更に破顔されて泣きじゃくった。
「な、泣かないで」
「うえぇぇぇぇん!! ありがどぉぉぉぉ!!」