電脳世界にも喫茶店は存在する。
現実世界に実在する、とある地域の町並み。住宅地を参考にして造れたこの区域では、多種多様な建築物が多くあるのだ。
ばあちゃる邸から離れた私達は、スタ〇バックスに行き二時間ほど歓談をした。
バーチャルYouTuberの話題は勿論として、それ以外にも、身にならない雑談を楽しんだ。彼女は話し上手でも聞き上手でもあった為、つい二時間も会話に熱中してしまった。
「こういうのがきっと女子会って言うのだろうなぁ」と思うほど、充実した二時間だった。
「今日はとっても楽しかったよ! また遊ぼうね、アカリちゃん!」
「うん! 今度会うときは、アカリもバーチャルYouTuberになってると思うから! またそのとき動画の事も改めて話し合おうね、アイちゃん!」
そして帰る頃には互いに愛称で呼び合うようになっていた。もうすっかり友達である。
にこやかな表情でブンブンと手を振りながら、アカリちゃんは私の自宅とは真逆の帰路のほうに歩いていった。その満面の笑顔を見る限り、どうやらあの不幸な事故の件はすでに忘れているようだ。
――さて。じゃあ私も帰ろうかな。
余韻で浮き足立ちながらも、私は夕陽色に染まる街道を歩いていった。
「んっ? あの店って、もしや」
そして帰路の最中に私は偶然、その店を発見したのだ。
「おぉ! まさかこんな場所に伝説の『コンビニ』があるとは……!」
青と白の色を基調にした外観のどこか見覚えがある気がするコンビニ。それが私の目前にあった。
コンビニは電脳世界ではとても珍しい建築物だ。私も今日、初めてその未知に遭遇した。
「先っちょだけ入ってみようかな……?」
思わぬ発見に胸を高鳴らす私は、半ば衝動的にタッチ式の自動ドアを押した。
そして、自動ドアが開いて――
「いらっしゃいませー」
店員のそんな言葉で歓迎を受けた。
ちなみにその店員の声は、『男性の声』だった。
「――ふえっ? な、なな……」
店員の姿を見て、私はつい呆気を取られた声を上げてしまった。
おかしい。私の耳はたしかに男性の声を拾ったはずだ。なのにレジに立っているその店員の姿は、男性ではない。
狐耳が生えている小さな背丈の女の子だった。
「ど、どうかいたしましたか? ……のじゃ」
目を剥き放心する客のことを懸念してか、のじゃロリ狐娘コンビニ店員おじさん(即興で考えたニックネーム)は焦った様子で私に声を掛けた。ちなみにその際の声色も男性的なものだった。
驚きでパチパチと、何度も瞬きをした。もしや幻覚の類かと思って、目を何度も擦る。
だけど、やはり目前にいる店員の姿は変わることなく、狐耳少女のままだった。
「えっと、えーと……」
「――あっ」
驚愕は未だに冷めていないが、このままずっと放心していたら店の迷惑になってしまうことに私は今更気づいた。
私はなんとかして、胸の中に渦巻く感情を抑え込む。そして必死に笑顔を作ってみせた。
「すみません。ちょっと、フリーズしてしまいまして」
「そ、そうですか。なら、その、良かった、です。……のじゃ」
辿々しくそう言って、店員は会釈をしてレジのほうに戻っていった。
――まさか、男性の声を発する女性型AIが開発されていたとは。世の中、なにがあるかわからないものだ。
私はその場で深呼吸をした。
そうすることで気を取り直した。
初めてのコンビニを楽しむため、私は店内を見て回った。
「おぉ、このから揚げ美味しそう」
ケースの中にあるチキンを眺めて、私は生唾を呑み込んだ。AIゆえ食欲はないはずなのだが、私の中の人心回路が不思議とその肉を欲している気がした。
「すみません。このから揚げ、一つください!」
「はい。から揚げ一つですね。少々お待ちください」
狐娘の店員は、営業スマイルを浮かべてマニュアル通りの対応をした。そして流水の如き自然な手捌きで、チキンを紙で包んだ。
「お待たせいたしました。から揚げ一つで150円のお買い上げになります」
「あ、電子マネーでお願いします」
私はポケットからカードを取り出した。
「音が鳴るまで、こちらの機械の方におかざしください。……カード決済、完了いたしました。ありがとうございましたー」
「いえいえ、こちらこそ……」
「の、のじゃ?」
お辞儀して礼を返す私を見て、店員は少し戸惑っているようだった。
あ、別にお礼は返さなくても大丈夫なのか。
「あははは。すみません。コンビニに慣れていないもので」
「い、いえ。ありがとうございます……のじゃ」
マニュアル以外の対応はやはり苦手なのだろうか。また辿々しい口調に戻っていた。
さて。初のコンビニだったので若干緊張していたが、なんとか商品を購入できた。
せっかくだし、今ここで食べることにしよう。ちょうどイートインスペースがあるのだし。
「いただきます」
小声でそう言って、私はから揚げにがぶりついた。
「あー……まあ、うん。所詮、レプリカはレプリカだよね」
頬張れば肉汁が溢れ出ること間違いない、と期待を抱いてしまう程度にそのから揚げは極上の輝きを放っていたが――実際は、素朴な肉の味しかしなかった。
「まずくはないんだけど……」
私がそう感じてしまうのは、きっと味覚システムの味の再現率の悪さが原因だ。どんな物を食べても、単調な味に感じてしまうのだ。
こうなることは事前から予想できていたとはいえ、やはりガッカリ感が強い。いやでも、決してまずい味というわけではないのだ。何とも言えぬ微妙な味なだけで。
仕方ないので、私はムシャムャと素朴な味のから揚げを作業的に口に入れ続けた。やはり、微妙な味わいだった。
今更だけど電脳世界の食事とは、なんと無意味な行為なのだろうか。食事から栄養を摂る必要のない私たちなので、食品は嗜好品として口に入れることしかないのだが、味が微妙なので嗜好品にすらならない。
「ス○バでアカリちゃんと食べた軽食は、不思議と美味しかった気がしたのに――ひとりの食事は、つまらないものだなぁ」
そんなことを思いながら、私はから揚げを口に放り投げた。
☆
ちょうど、から揚げを半分ほど食べた頃。
突然、『ピンポン、ピンポン』という音が店内に鳴り響いた。
私が入店した際に鳴った音と同質の音だった。つまり、私以外のお客様が、店に来店したということなのだろう。
まだコンビニに不慣れなせいか、私はついその奇怪な音でまたもや吃驚してしまった。反射的に、音の鳴った自動ドアのほうに振り向いてしまう。
「おほ? お客さんがいる。めずら、し――っ!?」
「むむっ!?」
自動ドア付近に立っていた白髪のAIは、私の姿を見て、明らかな動揺をしていた。自然と、互いに驚きの形相で見つめ合う形になっていた。
私は単純に、入店の音で驚いてしまっただけだけど――彼女はなぜ、私の姿を見て動揺しているのだろうか?
白髪のAIは、目を見開いたまま後ずさった。
まるで悍ましき姿の化物にでも遭ったみたいな反応だ。
ワンピース衣装の似合う清楚で可愛い女の子に、そんな反応をされるとは――私はこの世に絶望した。
「し、シロさん。どうしたんですか? ……のじゃ」
しばらくして、狐娘の店員は白髪のAIに声をかけた。先程の私のように、まるでフリーズしたかのように挙動が停止していたから心配に思ったのだろう。
そして言動に親しさを感じることから、彼女たちは友人に近い仲なのだろう。これは、余計な考察ではあるけど。
声をかけられて、白髪の少女は再稼動したように絶句の状態から我を取り戻した。
「えっ。あ、のじゃロリさん。ごめんなさい。ドア前で立ち止まっちゃって」
「い、いや、それは大丈夫、なのじゃ。どうせあんまり客は来ないし……いや、今はその、います、けど」
のじゃロリと呼ばれた店員は、ちらりと私のほうを確認した。
どうやらこのコンビニはあまり繁盛はしていないらしい。まぁ電脳世界に住まうAIの母数からして、どんなに良い店だろうと繁盛するわけないけど。イートインスペースの広く居心地のいいコンビニなので、現実世界にあったならきっと人気なコンビニ店になっているはずだ。
『シロさん』と呼ばれた白髪の少女は、店の迷惑にならないよう自動ドアから一目散に離れた。雑誌のコーナーに移動して、表紙もろくに確認せずに雑誌を立ち読みした。
少年ジ○ンプと表紙に大々的に書かれた雑誌を立ち読みする最中で、白髪の少女はチラチラとこちらを様子を伺っていた。私の事が気になって、漫画に集中できずにいるのか、途中からページを捲る手も止まっていた。
「……どこかで会ったことあったっけ?」
白髪AIの知り合いなんていたかと、必死に思い出そうとするが、やはりピンと来なかった。
ということは、考えれる可能性は一つである。
「……人違い、してるのかなぁ」
間違いなく、ただの人違いであろう。私のようなパーフェクト容姿のAIなんて滅多にいないとは思うけど、私の優秀な
警戒されている理由が判明して、私はホッと胸をなでおろした。
だがいくら勘違いとはいえ、こうもジロジロと見られると居心地悪いのもまた事実だ。
ここは、黙って退散するのが得策だろう。
食べかけのから揚げを鞄に入れて、わざとらしくゴホンと咳き込んで私は席を立った。そして無言で、自動ドアのほうに向かって行った。
「ま、待ってください! キズナアイさん!」
が、自動ドアのボタンを押そうとした瞬間、白髪の少女に腕を掴まれて挙動を制された。
反射的に、私は彼女の方へと顔を向けた。すると彼女は、喉に異物がひっかかっているような苦しげな表情で、私の目をじっと見つめた。
ていうかこの子、いま私の名前を呼びませんでしたか?
人違いしてる、というわけではないらしい。
「あ、違かった! ……おい、そこの淫乱ピンク。ちょっとワイに、ツラ貸してもらおうかの?」
「へっ? い、いんらん?」
突然、不機嫌そうに眉をひそめて彼女は言った。
なぜ、ヤクザっぽく言い直した。しかも、本当にそれらしさがあって、つい吃驚してしまった。
「ごらぁ、座れやポンコツ!」
「えぇ、ちょ、やめ」
そして無理矢理、さっき座っていた席に戻された。
急にどうされたのだろうか、この少女は。とても苛々しているように見える。
と、ビクビクとそんなことを思っていたら、少女は突如として店員のほうに振り向いた。
乱暴な雰囲気を潜めて、笑顔を作った。
「のじゃロリさん。電脳コーヒーのM、二杯もらえる?」
「わ、わかったのじゃ。でも、その、お客様に乱暴なことはしないでほしい、というか……」
「大丈夫。ちょーっとだけ、
「め、女狐?」
「シロ、なにか間違ったことでも言ってますかね?」
白髪の少女はぐるんと振り向いて、伽藍の静けさがある瞳を私に向けて、ニコリと笑った。
――『笑うという行為は本来攻撃的なものであり、獣が牙をむく行為が原点である』
ふと、どこかで聞いたそんな言葉を思い出して、私は草食獣みたいにぷるぷると恐怖で震えた。
「の、のじゃぁ」
殺意すら感じるプレッシャーの被害にあってか、狐耳の店員も私と同様に顔を真っ青としていた。もしくは少女が『女狐』という言葉を使ったからだろうか。
けれども、彼女(彼?)はプロのコンビニ店員。恐怖しながらも、アイスコーヒーを作る手だけは止まらずにいた。
「失礼します。こちら、電脳ホットコーヒーM二つです。……あ、シロさんのコーヒーはいつも通りミルクたっぷりなので」
「――っ! キュイ! のじゃロリさん、大好き!」
「ちょ!? し、シロさん? あ、当たって……」
滲み出る殺意をひっこめて、一転して少女は満面の笑顔を浮かべた。そのまま少女は、イルカのような奇声を上げて店員に抱きついた。
その際に、幼気が残る容姿に反した豊満な乳房が店員の顔に当たってしまい、そのせいで真っ青だった店員の顔が、ぶわっと瞬間湯沸かし器みたいに真っ赤に染まった。
気弱っぽい男性の声で慌てふためいているので、目を瞑ると、女性経験皆無の男性の姿が脳裏に浮かんだ。
「し、シロさん。コーヒー、こぼれますから」
「あ、そうだったね。ごめん、のじゃロリさん」
「……あっ」
少女が離れた瞬間、店員はそんな切なげな声を上げた。やはり羞恥は感じても心地良かったのだろう。
店員は狐耳をしょんぼりと垂らして、レジのほうに戻っていった。
そしてその瞬間、少女の満面の笑みも消えた。
「――おいゴルゥァ! コーヒー飲めやポンコツぅ!」
「えっ!? あ、はい!」
ヤクザ口調に戻った少女は、机を叩くような勢いで私の手前に電脳ブラックコーヒーを置いた。
先程までは、あんなに愛らしく微笑んでいたのに――刹那の内に、人格が切り替わった。
白髪の少女に急かされたので、私は手前の電脳ブラックコーヒーを一気飲みした。
「――熱っ! した、やけどした。いたい……」
「馬鹿なんですか?」
「……ばかじゃないれす」
少女の辛辣な言葉に対して、私はヒリヒリ痺れる舌で返事した。
「……ていうか、あなたのそれって演技じゃなかったんですね」
白髪の少女は呆れた様子でそう言った。
「ふぇ。それって、何でしょうか?」
「ポンコツですよポンコツ。ほら、キズナアイさんは動画でよくポンコツ芸してますよね」
「……あー。はい、よくやってますね」
ポンコツ芸と言われるのは誠に心外であるが、確かに私は動画を撮る際には、意識して自分のそういう特徴を曝け出すようにしている。
普段生活するぶんには短所とも言える特徴を、あえて動画内で自分の売りとして全面的に出しているのだ。そう、あえて、である。
「あれ? ていうか、なんで私の動画のことを知ってるんですか。はっ、まさか私のファンとか!?」
「……知りません」
「いやでも、ファンのわりには対応が辛辣すぎるしな……ハっ! もしやあなた、私のアンチですか! まさか、アンチができる程度に有名になっていたとは……!」
「だから知りません! シロ、あなたの動画なんて一度も観たことありませんから!」
舞い上がる私を諌めるように、白髪の少女は煩さが込められた瞳で私を睨みつけた。
だが、私の名前だけではなく動画の事も知っているのなら、それは私の動画を一度は観たことあるという証明になるのではないか? まあこの辛辣な対応を見る限り、残念ながら私の動画で不快な思いをさせてしまったみたいだけど。
だから初対面にも関わらず、彼女は私の事を露骨に嫌悪されているのかもしれない。
もしそうだとしたら、彼女に謝罪する義務がある。
私は席を立ち、そして頭を下げた。
「ごめんなさい。私の動画が、そんな見るに耐えないものだったなんて……。私としてはすべての動画が自信作のつもりなんですが、どうやら空回っていたようです」
「えっ」
突然の謝罪に、白髪の少女は目を見開いた。
「いえ。何度も言いますがシロは別に、キズナアイさんの動画が不快だったからとか、そんな理由で強く当たっているわけではなくてですね」
「……動画は関係ない? ならなんで、私に辛辣なことばかり言うんですか。初対面なのに」
「それは……その……」
もじもじと、金髪の少女はなぜか顔を紅潮させて黙り込んだ。
頬を赤らめる理由は不明だが、おそらく言葉にしにくい事なのだろう。
つまり、どういうことか――
「ハッ! まさか、不快なのは動画じゃなくて私の存在……っ!」
「違います! ……あ、でも、あながち間違いではありませんね」
「ガーン」
「でも、それが主な理由ではないです。不快だからって理由だけで突っかかるようなパリピ型AIじゃないですから、シロは」
「……じゃあ、なぜ私に突っかかったんですか」
結局はそこである。動画は関係ないけど、私のことを嫌悪している。自分の言うのもなんだが、私から動画抜けば、残る物なんて何もない。
「心当たり、ありませんか?」
「申し訳ないですが、まったく」
鋭い眼光で問う少女に対して、私も少し目を鋭くして言い返した。流石にそろそろ苛々してきたのだ。
互いに睨みつけながら、しばらく無言の時間が続いた。
「…………。今日、あなたはどこに行って、何をしていましたか?」
「えっ?」
意図が全く汲み取れない質問をされた。
「できれば正直に答えていただけと助かります。もしかして、シロの勘違いだったのかもしれません。もしそうだったら、失礼な態度をしてしまったことをきちんと謝りたいので」
少女は真っ直ぐと私の瞳を見つめながら言った。先程まで敵愾心は、多少沈着しているようだった。
「え、えっと」
私は今日の出来事を思い返した。そして個人情報に関わることを一部ぼかして、その内容を語る。
「……今日は、ちょっとしたオフ会をしました。他のバーチャルYouTuberさんにお誘いしていただいたので。それと、主催者の馬がバーチャルYouTuberの学校を創立することを提案したので、その話し合いもしましたね」
「その際に、変な事ありませんでした?」
「変な事? えーと、ドアに手足が埋まってAIが拘束されるという珍事件は起きましたけど」
「それだけですか?」
「それだけ、だったような……」
一番衝撃的だった出来事といえば間違いなくその事件だけど、他にもなにか、乙女の尊厳に関わる事件があったような気がした。
アカリちゃんと喫茶店で雑談したときにも、耳にたこができるほどその事についての愚痴を聞かされた。
『本当に偶然だとしても殴りたい』とか、『電脳警察があるなら今からでも通報したい』とか。
「――あ、そうだ。あと一つだけ、記憶に残る事件がありました」
「なんですか?」
「お馬さんがおっぱいを触ったことです」
ばあちゃるさんがアカリちゃんに対してラッキースケベしてしまったことを、名前などの個人情報を伏せて少女に伝えた。
「――――――ハッ?」
ドスの効いた声で少女は言った。
途端、少女の瞳からハイライトが消えた。
「……申し訳ありませんけど、もう一度言ってくださいません?」
「だからその、淫らなお馬さんが女性のおっぱいを揉みしだいた、と」
「おっぱいって、あのおっぱい? 哺乳類のメスに存在していて母乳を分泌する機能がある、あのおっぱいですか?」
「はい。多分、そのおっぱいで間違いないかと」
「間違いないんですね! ウフフフフフフフっ」
「ヒェ」
少女は不気味な笑い声を絶えずに上げた。
明らかに笑っていない表情で言い続けるので、壊れた人形の印象を受けた。
十秒ほど不気味な笑い声を上げ続けた少女だったが――
「――パイーン」
一言、そう呟いた。
「……えっ」
そしてその呟きとほぼ同時に、突如として私の右頬に衝撃が走った。
呆然としたまま、無意識で自分の右頬に触れる。
――痛い。あと引くような擬似的な痛みが頬に響いていた。
いきなりの事で、まだ頭が混乱している。
現在私が理解できていることは、右頬がとても痛むという事と――目の前の少女が、憤激の表情で涙を流しているという事だけだった。
「……脳味噌ぱっぽんされてしまえ」
「えっ?」
「死ね!」
「えッ!?」
意味不明な罵倒らしい言葉を呟いたあとに、少女は直接的な罵倒を怒鳴るように言った。
そして少女は、親の仇を見るような瞳で私を睨みつけた後に、なぜかレジの方に向かった。
「……のじゃロリさん」
「はいッ!」
邪悪な雰囲気を発している少女に怖気づいて、狐娘の店員は表情を強張らせて兵隊のように敬礼をした。
「シロねぇ……殺傷力が高そうな、鋭利的に角張ったお豆腐さんが欲しいなぁ」
「はい! 持ってくるであります! 上官!」
「それとねぇ……殺傷力が高そうな、鋭利的に角張ったカプリコさんも欲しいなぁ」
「はい! 持ってくるであります! 上官!」
少女に注文されて、店員はせっせと豆腐とカプリコを見繕って持ってきた。
見事なほど綺麗な角張りをしている豆腐と、逆向きに握れば、まるで槍のように見えるカプリコである。
「ど、どうぞ。シロさま」
「うむ。苦しゅうない。よきにはからえ」
「ははー」
時代劇のようなやり取りをする二人。店員は献上物が入ったレジ袋を少女に手渡して、ささっと逃げるようにレジに帰還した。
少女は無表情で、レジ袋から豆腐とカプリコを取り出した。
しばらくの間、少女はそれらを見つめ続けた。
「――ウフフっ」
突如として少女は、うっとりとした表情を浮かべて豆腐とカプリコを艶っぽく撫でた。
「ヒェ」
不気味な笑い声を一瞬すら絶えずに上げて、謎極まりない奇行に及ぶ少女の狂気的な姿を見て、私はつい怖気づいた情けない声を上げてしまった。
名状しがたい恐怖で、腰が抜けてしまった。
彼女が行っている何もかもの事が、私にはわけわからなかった。
彼女はなぜ、私を平手で打ったのか。彼女はなぜ、うっとりとした表情で、豆腐とカプリコを撫でているのか。
理解不能な出来事が続けて起こったので、私の
少女は、不気味な笑い声を一旦止めて独り言を呟いた。
「……人って、どれくらいの勢いで豆腐のカドに頭をぶつけたら死んでくれるんでしょうねぇ」
「――」
「カプリコのお尻の部分で、人を刺殺できないかなぁ」
「――ひぇ」
「試したいなぁ。やりたいなぁ」
ハイライトの消えた瞳でチラチラと私の方を見ながら少女は言った。
ま、まさか、いま言った二つの事を、私に対してやるつもりなのでは。
私は顔面蒼白になった。
「お、落ち着きましょう! 何に怒ってらっしゃるのか全く見当も付きませんが、とりあえず落ち着こう! 熱暴走は故障の原因、もといお肌の敵ですよ!」
「……んっ? シロ、別に怒ってないですよ。唐突に、人をキルしてみたい知的好奇心に駆られただけですよ。あなたとお馬さんがオフ会で淫らな事をやっていたからって、シロは別に、怒らないし、ウザくないし……ていうか殺したいだけだし。ていうかシロはただ、身内の恥を早々にキルしたいだけだから。シロの気持ちはまったく関係ないし……」
少女のぶつぶつとそんなことを呟いた。
――私とお馬さんが、淫らな事をしていた?
途中からボソボソとした声になったので聞き間違いかもしれないが、少女はそのように言っていた。
淫らな事? 全く、身覚えがない。
もしや少女は、なにか勘違いをしているのではないか?
「あの……シロさん? で合ってますよね。多分ですけどシロさんは、なにか勘違いしているのでは――」
「うるさいうるさいうるさい! お前なんか、この鋭利的なお豆腐さんで撲殺してやる!」
威嚇するように、少女は豆腐を構えた。
「し、シロさん。その、流石にそろそろ、矛を収めてもらわないと、わらわも困りますので……のじゃ」
「のじゃロリさん……」
「とりあえず、一度話を整理しましょう。第三者として聞いていましたが、話がこんがらがってわけわかんなくなってると思うのじゃ」
ビクビクと震えながらも、店員は仲裁に入った。
そして、勇気を振り絞って続けて言った。
「わらわ思うんじゃけど……お客様とシロさんの会話は、微妙に噛み合っていないと思うのじゃ。シロさんが興奮してお客様の話を全く聞こうとしないから、会話が噛み合わないんだと思います。重要な情報だけ伏せて話を進めているから、わけわからない感じになっていると思う、のじゃ」
「……確かに。正直私、なんで彼女にキツい扱いをされているのか全くわかってないです」
「その、お二人は初対面、なんですよね? お客様。わらわは、シロさんとは以前から交友があるので知っているのですが、シロさんって普段は、あんな理不尽に人を責めるような人では決してないんですよ。マイペースで、ちょっと変わったところがある子なんですけど……それでも、とても優しい子なんです。そんな彼女が機嫌を悪くしているのには、なにか理由があると思うんです。だから、シロさん。なぜお客様に怒っているのか、その理由を話してもらえませんか? そうしたら、もっと会話がスムーズに進んでくれると思うし、互いの誤解も解消されると思う……のじゃ!」
思い出したかのように、狐耳の店員は語尾を付け足した。
語尾はともかく――彼女(彼)は第三者としての客観的意見を言ってくれた。散らばっていたピースを、綺麗に整理整頓してくれたような意見だった。
「…………」
「その、シロさん? このまま店内でごたごたされると、お客様も困りますから。申し訳ないんじゃけど、できれば怒ってる理由を話してくれると、わらわも助かるのじゃ」
「…………いやだ。言いたくない」
我が儘を言う子供のように少女は首を振った。
「その言いたくない理由は話せますか? なんだったら、俺に……じゃなくて、わらわに耳打ちで伝えるだけでもいいんですよ! わらわ、口下手だけど、良い感じに伏せて、良い感じに要点だけお客様に伝えますので!」
「ううん。恥ずかしい事なの。のじゃロリさんにも言いたくない」
「うーん。困ったのじゃ」
「……あの、もしかしてなんですけど、シロさんってばあちゃるさんの御知り合いなんですか?」
私は、『もしや』と思っていたことを聞いた。
狐耳の店員が中心となって話してくれた最中に、私も自分なりに少女の発言の整理を行っていたのである。
先程までは頭が混乱していて気づかなかったが、少女は何度か、ばあちゃるさんの事を知っているような発言をしていた。何かしら、繋がりがあるのだろう。
少女は不機嫌そうにふくらっ面をして、コクリと頷いた。
「やっぱりそうなんですね。いえ。だからって、どうかしたってわけではないのですが」
「…………」
「え、えーと……。あの方、ふざけた言動してるけど意外と良い馬ですよね!」
「……良くないし。道行く適当な女の子に告白しまくるような淫馬だし」
「えっ、そうなんですか?」
「うん。そうなの。あの馬、可愛い女の子の前だと、いつも鼻の下を伸ばすの。これだからパリピは……」
ちっ、と少女は舌打ちした。
「だから、あの馬には注意が必要なの。……あの馬のことだから、オフ会で絶対で変な事してる。パリピは出会い目的でオフ会をする。シロ、知ってるんだ」
「……?」
途中からゴニョゴニョと呟いたので、音を拾えなかった。
少女は咳払いを合図に課題転換した。
「……まあ、いいです。のじゃロリさんの言うとおり、シロも一方的だったところがありました。その点はごめんなさい」
「えっ、あ、はい。こちらこそ」
思いのほか、すんなりと謝罪された。
今までずっと感情的な言葉しか当てられてこなかったので、様変わりして落ち着いた言動になった少女の言葉に、私は僅かながら動揺を見せてしまった。
されど、少女の顔には未だに敵愾心が映っていた。言動の敵意が薄まったとはいえ、私をなぜか敵視していることは変わらずのままらしい。
少女は、視線を店員のほうにズラした。私と対峙する際に固定された仏頂面ではなく、とても申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「……のじゃロリさん。店内で騒いじゃって、ほんとにごめんなさいでした」
少女は丁寧に腰を曲げて謝罪した。
「い、いえ。迷惑じゃなかった、と言えば嘘になりますけど、反省してもらえたなら、わらわはそれで良いですから。ていうかわらわに対する謝罪は一切いらないから、お客様にもっと誠意を込めて謝罪するべき、だとわらわは思います。……のじゃ」
「そこのところは大丈夫です。のじゃロリさんが仰っていたように、シロは当事者の言葉に一切耳を傾けず、自分の思い込みばかり過信していた節があるみたいですから――ちゃんと順序を踏んでから、またキズナアイさんに尋ねることにします。
さらりと殺意に塗れたワードが聞こえた。おそらくただの幻聴だろう。
念の為、私はばあちゃるに対して黙祷を捧げた。
「ということで、シロは帰ります。のじゃロリさん、じゃあね」
「あ、はい。その、ありがとうございましたー?
のじゃ」
少女は、店員に手を振って自動ドアをくぐり抜けた。
やっと帰ってくれるのかと、私はつい意地の悪いことを思ってしまった。だが、明確な嫌悪を向けてくる相手に理不尽な罵倒を浴びせられると、かなりの精神力を擦り削られるのだ。やっと解放されたので、私はホッと溜息を吐いてしまった。
「キズナアイさん」
自動ドアをくぐり抜けたところで、少女は私の方を振り向いた。そして言った。
「また近日、
「えっ」
「それでは」
引っかかりを覚える一言だけ残して、少女は早歩きで去っていった。
「学園って。まさか――」
言及するため呼び止めようとするが、その時にはもう少女は遠い背中をしていた。
学校で会いましょうと、少女は言っていた。
彼女はばあちゃるさんの知り合いだと言っていたので、学園のことを知っていること自体に違和感はない――だが、あの言い方。もしや彼女も、計画に加担しているのだろうか。
ふと私はばあちゃるさんの発言を思い出した。
「……そういえばあの馬、私とアカリちゃんの他にも参加者がいるとか言っていたような」
可愛い子が参加するかもしれないと、ばあちゃるさんは言っていた。
あの少女の容姿は、美男美女モデルのAIが多いこの電脳世界の中でも上位に入るほど愛らしいものだった
もしや彼女こそがばあちゃるの言っていた、バーチャルYouTuberをやるかもしれないAI、なのではないだろうか。もしそうだとしたら、初対面なのに私のプロフィールを知っていたことにも合点がつく。
「あの、お客様。申し訳ないのですが、そろそろ閉店のお時間ですので……」
狐耳の店員は、私の顔を伺いながら言った。
「えっ? コンビニって、年中無休で開店してるものじゃないんですか?」
「申し訳ありません。電脳コンビニは、現実のコンビニとは違う経営方針でして……」
「へー、そうなんですか」
「申し訳ありません、のじゃ」
店員は、丁寧に頭を下げた。
外はすでに真っ暗に染まっている。先程までは夕陽で照らされていたのだが、もうすっかりと夜の時間帯に入っていた。
「そうですね。では私はこれで」
「ありがとうございましたー」
コンビニ店員としての常套句だと思われるその言葉を聞きながら、私は自動ドアをくぐり抜けて店外に出た。
――途端、これまでの精神的負荷が一気に表に出てきた。足腰が緩んで、尻もちをつきそうになった。
「……ハァ。なんかとても疲れた」
自然と、大きな溜息が吐いてしまった。
ただ興味本位でコンビニに入店しただけなのに、まさかここまで精神的負荷がかかることになるとは。
とはいえ、決してコンビニは悪くない。あの少女が、理不尽ないちゃもんをつけてきたことが悪いのだけれど――または、あの変な少女と偶然的に出会ってしまった私の運が致命的に悪かっただけだ。
あの少女に関したことで、まだ未解明なことは沢山ある。
今度また会うときまでに、彼女が私のことを親の仇の如く嫌悪していた理由を、私なりに考察したほうがいいのかもしれない。
けれど、今日は帰ったらまず先に――
「……動画、作りたいなぁ」
夜道を照らす街灯に当てられながら、私はいつものようにそう思った。
5月5日の13時辺りに、夜桜たまちゃんがツイッターで『私立ばあちゃる学園』という言葉を発言した事を確認しました。
そちらに合わせて、拙作のタイトルを『私立!バーチャル学園』から『私立ばあちゃる学園』に変更させていただきたいと思います。