艦隊これくしょん 奇天烈艦隊チリヌルヲ   作:お暇

24 / 43
ほげぇ……大鯨までの道のりが遠いよぉ……

巡洋艦での攻略を諦め戦艦ごり押し戦法を取った結果、資材がとんでもないことに。

追記:溜まっていた感想に返信しました。


着任二十ニ日目:旗艦 終

 叢雲の絶体絶命のピンチに駆けつけたのはタ級だった。

 背後からの一撃により砲台型の深海棲艦を仕留めたタ級は戦艦棲姫と相対する。タ級の全身には焼け焦げた痕がいくつも残っており、袖の下から顔を出している連装砲にも損傷が見られる。大破とまではいかないが、一目で分かるほど大きな損傷を負っているのは間違いなかった。

 無理もない、と叢雲は思った。タ級がここまで来るには、つい先ほどまで行われていた激戦の中を潜り抜けて来なければならない。敵艦隊に混じったタ級が援護艦隊の攻撃を受ける可能性は十分にある。

 だが叢雲は知らない。援護艦隊の中にもタ級と同じ『愛の戦士』がいたことを。嵐の過ぎ去った戦場で一つの友情が芽生えていたことを。『バーニングラブ』を掲げる愛の戦士がタ級を手引きしたことを。

 

 愛の力は偉大であった。

 

 戦艦棲姫はタ級へ向かって歩を進めた。同時にタ級も砲撃を開始する。タ級は両袖の内側から伸びる連装砲の砲身を戦艦棲姫へと向け、ゆっくりと迫る戦艦棲姫を狙い撃った。

 だが、戦艦棲姫の歩みは止まらない。砲弾を受け戦艦棲姫の体は左右に揺れるが、決して倒れることはない。次なる獲物を見つけた鋼のアンデッドは、本能の赴くままに前を目指す。

 

 

「……今、私ヲ笑ッタワネ」

 

 

 戦艦棲姫が呪詛の言葉をつぶやくと同時に、新たな砲台型の深海棲艦が海面を突き破って姿を現した。

 

 

「ター」

「……笑ウナァッ!!」

 

 

 タ級と戦艦棲姫の撃ち合いが始まった。砲台型の深海棲艦が放つ砲撃は、艦娘の中でも最高の性能を誇る『戦艦大和』を苦しめるほどの威力。それ程の砲撃を中破状態で受けてしまえばどうなるか。結果は火を見るよりも明らかだ。

 叢雲はタ級に勝機が微塵もない事を確信していた。戦闘に一切参加せず、まったく消耗していない状態の叢雲率いる第一艦隊が総出で立ち向かっても勝つことが出来なかったのだ。最初から消耗しているタ級がたった一艦で戦艦棲姫を相手取ることなど出来るわけがない。

 どうせ、すぐに敵の砲撃の餌食になる。未だに立ち直れていない叢雲は不安に満ちた瞳で目の前の戦場を眺める。

 

 しかし、叢雲の想像はすぐに覆された。

 

 叢雲の耳に聞き覚えのある独特な声が届いた。声のしたほうへと視線を向けた叢雲は、海面を滑るように直進してきた黒い塊を目にする。

 黒い塊はバラバラと散らばり戦艦棲姫を取り囲み、そして、それぞれが戦艦棲姫へ向けて砲弾を発射した。

 

 

「イーッ!」

「イーッ!」

「イーッ!」

 

 

 叢雲の視界に入り込んで来たのは、ル級が率いている『イ級遠征部隊』だった。

 タ級は最初から一艦で挑んではいなかった。勝手な行動をしないよう旧解体ドックに押し込められていたイ級たちを、あらかじめ引きつれて来ていたのだ。イ級遠征部隊の存在を知らないタ級が何故イ級たちを発見することが出来たのか。明確な理由はない。しいて言うなら、『愛』の成せる技である。

 しかし、駆逐艦の火力では姫型の装甲に傷を付けることは出来ない。イ級たちの攻撃は戦艦棲姫の気を紛らわせる程度の役割しか果たしていなかった。

 だが、タ級とってはそれで十分だった。戦艦棲姫の気が紛れれば、その分だけタ級は攻撃に集中できる。タ級は一撃一撃を確実に戦艦棲姫へ叩き込んでいった。

 

 

(……どうして)

 

 

 叢雲の中で疑問が渦巻く。傷だらけの体で終わりの見えない戦いを続けるタ級と、決して勝つことのできない相手に挑み続ける同じ駆逐艦のイ級。何故、彼女たちは立ち向かうのか。何故、勝てない相手を前に臆せず戦えるのか。そして、何故自分はこんなところでボーっとしているのか。

 一度くじけてしまったが、平静さを取り戻した叢雲の心は回復の兆しを見せていた。しかし、恐怖という名の鎖に縛られた叢雲の体はぴくりとも動かない。叢雲が再起するにはあと一押しが足りなかった。

 

 だが次の瞬間、尻込む叢雲を後押しする事態が起こった。

 

 突如、叢雲の視界の隅から小さな黒い影が飛び出す。全身から煙を噴出しながらも、その黒い影は主砲を乱れ撃つ砲台型の深海棲艦へ一直線に向かっていった。

 

 

「リ!」

 

 

 黒い影の正体はリ級だった。リ級は先ほど失敗した至近距離からの砲撃を砲台型の深海棲艦に浴びせる。

 中破した砲台型の深海棲艦はぐらり、と大きく態勢を崩すが、すぐさま態勢を立て直し砲頭をリ級へと向けた。

 しかし、砲撃がリ級に直撃することはなかった。

 

 

「チ……」

 

 

 チ級の魚雷攻撃が、砲台型の深海棲艦の攻撃を阻止したのだ。足元で炸裂した魚雷の衝撃で、砲台型の深海棲艦は再び態勢を崩す。放たれた砲弾はリ級とは正反対の方へと飛んでいった。

 戦艦棲姫は敵のしぶとさに苛立つ。まったくもって鬱陶しい。我々は皆等しく闇に沈めばいい。戦艦棲姫の怒りに呼応するように砲台型の深海棲艦から赤黒い光があふれ出した。

 だが次の瞬間、戦艦棲姫の側顔をかすめた一発の砲弾が砲台型の深海棲艦に着弾。背後から強力な不意打ちを受けた砲台型の深海棲艦は思わず前のめりになる。

 

 

「ルー」

 

 

 砲台型の深海棲艦を黙らせたのはル級の砲撃だった。

 さすがはエリート戦艦の火力といったところか。ル級の一撃により、砲台型の深海棲艦から吹き出た赤黒いオーラはすぐに鳴りを潜めた。

 だが、損傷の激しい左腕の連装砲から放たれた砲弾では砲台型の深海棲艦を撃沈することは出来ない。今のル級に砲台型の深海棲艦を沈める力は残っていなかった。

 だが、忘れてはいけない。今のル級はたった一艦で戦っているわけではないということを。

 

 

「ヌゥ」

「ヲっ」

 

 

 突き出た砲台型の深海棲艦の頭に向かってヌ級とヲ級の艦載機が迫る。そして、すれ違いざまに爆弾を投下した。

 会心の一撃は砲台型の深海棲艦の主砲を砕く。前のめりから一転、砲台型の深海棲艦の体は強力なアッパーを食らったかのように大きくのけぞる。そして、悲鳴のような金切り声を上げて背中から着水した。

 

 

「……何ダ……コレハ……」

 

 

 戦艦棲姫は戸惑っていた。

 すでに戦える状態ではないチリヌルヲが再び立ち向かってきた事もだが、それ以上に戦艦棲姫が驚いていたのは五艦の行動だった。

 深海棲艦は基本的に自分の本能に従い行動する。自分の行動したいように行動し、自分の戦いたいように戦う。鬼型姫型のような例外を除く深海棲艦のほとんどは『自分だけの世界』で生きる自己中心的存在なのだ。

 しかし、チリヌルヲの行動は自己中心から大きくかけ離れていた。リ級のピンチを救ったチ級の攻撃。そこへすかさず追撃をかけたル級。さらに、三艦を援護するように艦載機を放ったヌ級とヲ級。

 幾多の深海棲艦を見てきた戦艦棲姫でも、深海棲艦が明確な意思を持って他を助けたのは初めて見る光景。旗艦でもない艦艇をわざわざ助けるなど、深海棲艦にはありえない行動だった。

 何だこれは。これで艦娘の真似事ではなく、本当に艦娘ではないか。艦娘のように戦うチリヌルヲの姿は、戦艦棲姫の鋼の執念に小さなヒビを入れた。

 

 

「ター」

「ッ!!?」

 

 

 戦艦棲姫の見せた隙をタ級は見逃さなかった。タ級の砲撃は戦艦棲姫を捉え、戦艦棲姫は爆発の衝撃で態勢を崩した。

 戦艦棲姫の隙を見逃さなかったのはタ級だけではない。タ級の砲撃と同時にリ級とル級も動き出していた。二艦は再び戦艦棲姫に接近し、至近距離からの主砲攻撃に移る。

 ル級は戦艦棲姫の背後を取り、リ級は戦艦棲姫の正面から左腕の主砲を構えた。戦艦棲姫はまだ態勢を立て直せていない。リ級とル級の攻撃をを免れるのは不可能だ。

 

 

「……コノッ!」

 

 

 免れないのであれば防ぐしかない。戦艦棲姫は咄嗟に左手を伸ばし正面にいるリ級の頭を掴む。そして、リ級の頭を掴んだまま左腕を背後へと向けた。戦艦棲姫はリ級を盾とすることでル級の放つ砲弾の直撃を防ぐと同時に、リ級の撃沈を図ったのだ。

 戦艦棲姫の背後には既に砲撃態勢に入ったル級がいる。艦種に関係なく、大破状態での被弾は一撃で轟沈に繋がる。大破状態のリ級がル級の砲撃を受けてしまえば、リ級は声を発するまもなく水面に沈むだろう。

 咄嗟の事態に対処出来ないリ級とル級。リ級はなす統べなく盾にされ、ル級は自身の砲撃を止められない。戦艦棲姫はリ級の轟沈を確信した。

 

 

「どきなさいっ!」

 

 

 しかし、戦艦棲姫の思惑は突然割り込んできた一艦の艦艇の手によって崩れ去った。

 戦艦棲姫の視界に映るのはル級を蹴り倒し、戦艦棲姫の眼前に主砲を構える駆逐艦の姿。その駆逐艦は戦艦棲姫の顔を容赦なく撃ち抜き、同時に拘束されていたリ級を開放した。

 

 

「……ッ!」

 

 

 顔に手をあて、少し離れた場所に佇む駆逐艦を睨みつける戦艦棲姫。

 その駆逐艦は周囲に深海棲艦を侍らせながら、強い光を宿した瞳で戦艦棲姫を見ていた。

 

 

「まったく、とんだ醜態を晒してしまったわ」

 

 

 その駆逐艦は大きくため息をつきながら、青みがかった銀色の長髪をかきあげた。

 

 

「まだ戦いは終わっていないのに、旗艦の私が真っ先に勝負を捨てるなんて」

 

 

 不敵な笑みを浮かべるその駆逐艦は連装砲を構える。そして、それに追従するように周囲の深海棲艦たちも戦闘態勢をとる。

 

 

「この叢雲様が『仲間』の危機を前に傍観なんて、まったくありえないわね!」

 

 

 その駆逐艦『叢雲』は再び立ち上がった。

 圧倒的力の差を前に一度はくじけてしまった叢雲。しかし、彼女はその恐怖を跳ね除け再び戦場へ戻ることを決意した。

 自分に降りかかる恐怖と仲間を失う恐怖。せめぎあう二つの恐怖のどちらを先に排除すべきか。普段の叢雲ならば仲間を助けると即答しただろう。しかし、心が弱っていた叢雲はすぐに答えを見出せなかった。

 このまま戦ったところで勝ち目はない。時には戦略的撤退も必要だ。急いで援軍を呼びに行けばいい。あの五艦なら大丈夫。元々頭痛の種だったのだ。一艦くらいいなくなっても……。

 

 いいわけがない。

 

 叢雲は自らの問いかけに対し、反射的にそう答えていた。

 命令を出すまで動かないチ級とヌ級。自分の欲求に忠実なヲ級。自分勝手で気分屋なリ級。愛にすべてを捧げるル級。艦娘の敵である深海棲艦という存在で、ドック一つを勝手に占拠して、むやみやたらに資材を食い荒らし、言うこともろくに聞かず、いつも叢雲の周囲を引っ掻き回してばかり。叢雲にとって、チリヌルヲの五艦は厄介極まりない存在だ。

 しかし、そんな彼女たちの存在は、いつの間にか叢雲の中でかけがえのないものとなっていたのだ。はた迷惑な彼女たちを支えると同時に、叢雲もまた彼女たちに支えられていたのだ。

 

 艦娘と深海棲艦、相反する二つの存在の間に確かな絆が生まれていたのだ。

 

 嫌な予感がする。戦艦棲姫に急接近するリ級とル級を見た叢雲は先の悪夢を思い出していた。

 手が届くのに手を伸ばさなかったら死ぬほど後悔する。最大船速でリ級とル級の元へと向かう叢雲は必死に手を伸ばした。一度掴み損ねてしまった手を、今度はしっかりと掴む為に。

 

 そして、その手は届いた。

 

 叢雲は周囲の六艦と共に戦艦棲姫へ向けて駆け出した。

 チ級、リ級、ル級、タ級は散開し戦艦棲姫に狙いを定める。ヌ級、ヲ級は残り少ない艦載機を全て発艦。上空から戦艦棲姫へ向けて攻撃を開始した。

 

 

「……グッ」

 

 

 鋼の執念に入った小さなヒビは徐々に大きくなってゆく。

 戦艦棲姫は新たな砲台型の深海棲艦を呼び出そうとするが、砲台型の深海棲艦は姿を現さない。

 チリヌルヲの助け合う姿を見て精神的に大きなダメージを受けた戦艦棲姫は、戦闘意欲を大幅に低下させていた。更に、満身創痍の彼女を動かす燃料であった恨みや憎しみといった負の感情が時間経過によって薄れ始めていたのだ。

 致し方ない。周囲からの砲撃を紙一重でかわしながら、戦艦棲姫は大破し海面に倒れ伏す砲台型の深海棲艦へ意識を向ける。戦艦棲姫の意思が通じた砲台型の深海棲艦は咆哮しながらゆっくりと立ち上がった。そして、戦艦棲姫に迫る叢雲たちを背後から牽制しながら猛スピードで進撃を開始した。

 

 

「こっちは私に任せて、アンタたちはソイツをやりなさい!」

 

 

 叢雲はチ級、リ級、ル級、タ級に指示を出す。四艦はその指示に何の疑問も持つことなく、砲台型の深海棲艦へと進路を変え交戦を開始した。

 叢雲は艦載機の援護を受けながら戦艦棲姫を攻め立てる。本来ならば、駆逐艦の火力で姫型の深海棲艦に傷を付けることはできない。強化どころか改装すら行っていない駆逐艦ならなおさらだ。

 にも関わらず、叢雲の攻撃は確実に戦艦棲姫を追い詰めていた。叢雲が己の壁を乗り越え新たな力に目覚めた、などというお約束現象が起こった訳ではない。元々、戦艦棲姫の体は先の大戦で激しく消耗していたのだ。彼女の燃料である負の感情が薄れたことにより、麻痺していた感覚が元に戻り始めたのである。

 叢雲が発する力は小さい。その証拠に、戦艦棲姫の眼中には叢雲の姿はほとんど映っていなかった。しかし今、戦艦棲姫はその弱者に追い詰められている。

 戦艦棲姫は焦った。何故、自分が後手に回っているのか。何故、自分は目の前の弱者に脅威を感じているのか。

 

 

「何者ダ、何者ナンダオ前ハ!?」

 

 

 無意識のうちに、戦艦棲姫は自身の中に渦巻く疑問を口にしていた。

 その問いは、戦艦棲姫の徒手空拳に必死の形相で喰らい付く叢雲の耳にしっかりと届いていた。自分は一体何者か。考えるまでもない。スローモーションのようにゆっくりと動く世界で、叢雲は自分が口にすべき言葉を瞬時に思い浮かべた。

 叢雲は戦艦棲姫の大振りのローキックをジャンプしてかわした。そのまま勢いを殺さず空中でぐるりと体を回転させた叢雲は、腰の位置まで上げた細くしなやかな右足の膝を軽く曲げた。

 ジャンプの勢いと、両腕の大振りを利用した上半身の回転運動の勢いは一つとなり、叢雲の右足へと伝達される。

 半身(はんみ)となった叢雲は視界に標的を収め、そして、右足に集中した力を一気に開放した。

 

 

「ただの……艦娘よ!」

 

 

 叢雲の『ローリングソバット』が戦艦棲姫の顔面を捉えた。

 戦艦棲姫は宙を舞う。それと同時に、叢雲の背後から飛び出すヌ級とヲ級の艦載機。意識の定まっていない戦艦棲姫は艦載機の存在に気づかない。戦艦棲姫は無防備のまま、艦載機の爆撃をもろに受けてしまった。

 爆破の衝撃は戦艦棲姫を陸地まで押し飛ばす。きりもみしながら更に大きく宙を舞った戦艦棲姫。やがて、その体は重力に引かれてゆっくりと下降。港の舗装された地面に叩きつけられた。

 戦艦棲姫は右半身で地面の固さを感じながら、斜めに映る快晴の青空をぼんやりと眺める。自分が何処にいるのか、自分がどのような状態なのかまったく分からない戦艦棲姫。だが、一つだけはっきりしていることがあった。

 

 

(……マダ、戦エル!)

 

 

 彼女の心はまだ折れてはいなかった。戦艦棲姫は横たわる体をゆっくりと起こす。うまく力の入らない腕で体を支えながら震える膝を立てて何とか立ち上がるが、その姿には先ほどまでの脅威は感じられない。

 陸に上がった叢雲は戦艦棲姫と対面する。そして、絶え絶えの息をする戦艦棲姫へ主砲を向けた。

 

 

「諦めなさい。これで終わりよ」

「マダ……終ワ……ラナ……負ケ……マダ……」

 

 

 焼け焦げた白い肌、ボロボロになった黒いネグリジェ、ぼさぼさに乱れた黒い長髪。

 叢雲と初めて対面した時とあまり変わらない格好だが、見ているだけで冷や汗が吹き出る程の狂気は完全に収まり、纏う雰囲気も見た目にそぐうものになっている。戦艦棲姫が勢いを失ったのは一目瞭然だった。

 だが、彼女の瞳に宿る強い意志はまだ消えてはいない。是が非でも戦い続ける姿勢を崩さない戦艦棲姫の姿を見た叢雲は静かに理解した。自分が何を言っても無駄だ、戦艦棲姫は死ぬまで戦いをやめないだろうと。

 やむをえない、と叢雲が主砲の引き金を引こうとした。だが、そのときだ。

 

 

「一体何の騒ぎだ?」

 

 

 突然、戦艦棲姫の耳に謎の声が届いた。

 目の前にいる叢雲とは明らかに異なる声。艦娘では決して出せない、ずしりと響く低い声。その声は戦艦棲姫の耳に残り、彼女の奥底に眠っていた過去の記憶を刺激する。

 これまで戦いにのみ集中していた戦艦棲姫が、この時初めて戦い以外のことに意識を向けた。

 戦艦棲姫は声の聞こえてきた方向、自身の背後へと振り返る。

 

 そこには白い服に身を包んだ男が立っていた。

 

 戦艦棲姫は震え上がった。まるで雷に打たれたような、頭の天辺から足のつま先までを駆け抜けた謎の衝撃。その衝撃は、彼女の奥底に眠っていた記憶の一部を呼び覚ました。

 おぼろげな記憶が戦艦棲姫の頭を駆け巡り、幸せだった輝かしい日々の光景が走馬灯のように次々と映し出される。

 暖かな光が差し込む小さな部屋で何かを話す自分と、自分の話を聞く誰か。顔はぼやけて見えないが、その幾度となく見た服装ははっきりと覚えていた。

 彼女がこの世で最も敬愛した存在。彼女の幸せの中心。そして、彼女の嫉妬の根源。五艦の深海棲艦が偶然手に入れた希望の光。

 

 

「提……督……」

 

 

 戦艦棲姫は自然とその言葉を口にしていた。

 男と戦艦棲姫が出会うのはこれが初めてだ。しかし、戦艦棲姫には関係なかった。別人でもかまわない。自分が必死に追い求めていた光がすぐ目の前に現れた。手放してしまった幸せの象徴をもう一度、目にすることが出来た。

 それだけで、戦艦棲姫の心は救われたのだ。

 

 

「提督……!!」

 

 

 膝から崩れ落ちた戦艦棲姫は目から大粒の涙をこぼしながら、心の奥底で眠っていた思いを吐き出した。

 

 

「『旗艦』がしたいです……」

 

 

 こうして、一艦の嫉妬から始まった世紀の大決戦は幕を閉じた。

 深海棲艦の猛攻を受けて大きな被害を被った艦娘艦隊であったが、今回の大戦で轟沈した艦娘は幸いにもいなかった。万が一の事を考えて、提督たちは出撃する艦娘全艦に「戦闘による致命的な被害を最小限に抑える装備」を持たせていたためだ。

 だがしかし、各鎮守府が大きな被害を受けたことには変わりない。持ちうる艦隊を全て出撃にまわし、その艦隊のほとんどが壊滅状態となってしまったのだ。ブイン基地が正常に機能するまでにはしばらく時間を要するだろう。

 

 

「……誰?」

 

 

 突然泣き崩れた戦艦棲姫を見てぽかんと間抜け面を浮かべる青年。

 彼が避けようのない無慈悲な現実を知り腰を抜かすのはこの後すぐの話である。

 

 




「旗艦がしたいです……」
↑これがやりたかった。

次回・・・ヲ級、横須賀へ行く

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。