艦隊これくしょん 奇天烈艦隊チリヌルヲ 作:お暇
ブイン基地を出てから一日と数時間が経過した。叢雲率いる第一艦隊とタ級は、東から薄っすらと見える朝の光を浴びながら未開拓海域を進行していた。
未開拓と言うことはつまり、その海域に関する情報が殆どないということだ。敵に関する情報を持たない中、敵地をいつまでもうろうろするわけにはいかない。叢雲はタ級に対し、青年の下へ最速で向かうよう指示を出していた。
『愛』という超高性能探知機を搭載したタ級。彼女の手にかかれば、たとえ地球の裏側からでも青年の下へとたどり着くことが出来るだろう。
だが、その指示は裏目に出ることとなる。叢雲たちの進路の先には暗雲が立ち込めていた。暗雲の下では遠目からでもはっきりと分かる大雨が降り注いでいる。
叢雲はこのまま暗雲の下を通るのは得策ではないと判断した。元々あまり高くない索敵能力が、大雨によって更に低下してしまうからだ。敵の接近が分からなくなる状態となるのはできるだけ避けたい。
「迂回するわよ」
一度立ち止まった叢雲は追従する深海棲艦たちにそう告げる。そして、左を向き進行を始めようとした。そのときだ。
「えっ、ちょ、何!?」
叢雲の進行はタ級とル級の手によって阻止された。おかしい。自分は確かに進路変更の指示を出した。なのに何故、二艦はその進行を妨害するのか。叢雲は慌てた様子で左右を何度も振り向く。
そんな叢雲を尻目にタ級とル級はこれまでの進路、暗雲へ向かって進みだした。タ級に襟元をつかまれた叢雲は引きずられるように後進。他の深海棲艦たちも、その光景に何の疑問も持つことなく追従した。
「違う!そっちじゃない!ていうか、離しなさいよ!苦しいでしょ!そっちも見てないで、誰か助けなさいよ!」
今回の件は完全に叢雲の落ち度だ。最近チリヌルヲがやけに素直だったせいか、叢雲は自分の言葉がしっかりと通じているのだと思い込んでしまっていた。
今の装備で大雨の中を通れば索敵能力が低下して危険。目の前の暗雲を見て、その答えに行き着くのは艦娘である叢雲だけだ。いくら風変わりといえど、チリヌルヲたちが深海棲艦であることに変わりはない。深海棲艦の知能では、大雨により発生するデメリットは「進みづらい」くらいしか思いつかない。
そして、目的を達成するまでの過程も大事にする艦娘とは違い、深海棲艦は過程など省みず、本能に従い目的だけを優先する。もちろん彼女たちの目的は青年と会うこと。その目的を達成するためなら、過程や方法などどうでもよいのだ。
今のチリヌルヲたちを止めたいのであれば、まずは大雨によって生じるデメリットを、深海棲艦でも理解できる程度に噛み砕いて説明する必要があるだろう。
「ちょっと!そっちにはいかないって言っているでしょ!?ちゃんと言うことを聞きなさいよぉおー!!」
叢雲の訴えも虚しく、タ級率いる第一艦隊は大雨の中へと突入した。
風量が少ないため海上はそこまで荒れてはいない。だが、降り注ぐ雨の量はすさまじい。そのあまりの雨量に、視界が霞んで見えるほどだ。
もう突入してしまったのだから仕方がない。叢雲は半ば諦める形で雨の中を進むことにした。
(服が張り付いて気持ち悪いわ……まったく、なんでわざわざこんなところを……)
心の中でぶつくさと文句を言いながらも、叢雲は背後を追従するチリヌルヲに目を向ける。仲間の安否を確認するのは旗艦の勤めだ。ふてくされていても、その役目を放棄するつもりはない。が、次の瞬間にはその勤めを放棄したくなっていた。
第一艦隊を編成するのは叢雲を含め六艦、それにタ級が加わり全七艦となっていた。だが、今はどうだ。叢雲の右隣には道案内をするタ級、左隣にはル級、叢雲のすぐ背後にはチ級とヌ級、その少し後ろにヲ級。叢雲を含め、合計で六艦しかいない。
残る一艦、リ級はどこへ行ったのか。叢雲は慌てて周囲を見渡すが、リ級の姿は見当たらない。非常にまずい状況だ。海上では深海棲艦があちらこちらに湧いて出る。豪雨で見通しが最悪な中、見つけたリ級が敵か味方か判別するのはいつも以上に困難となるだろう。
「ッ!?砲撃音!」
叢雲は音の聞こえた左後方へと目を向けた。薄暗い灰色の中に、うっすらと橙色の発光が見えた。そして遅れて聞こえてくる爆発音。
この非常事態に、よりにもよって背後から奇襲を受けるとは。叢雲は身構え目を凝らすと同時に、周囲の深海棲艦に戦闘開始の指示を出した。
砲撃音は幾度となく続く。だが、いつまでたっても砲弾が叢雲たちのもとにやってくることはなかった。しばらく間をおいた後、疑問を抱いた叢雲はある答えにたどり着く。
「戦闘開始よ!全艦、私に続きなさい!」
叢雲は砲撃音のほうへ向かって進みだした。戦闘と言う言葉に釣られ、他の深海棲艦たちも叢雲の後に続く。これまでの戦闘を思い返せば、すぐに分かる話だった。敵艦隊を発見した際、いつも真っ先に前へと出たのはどこの誰だったか。
叢雲の予想は当たっていた。約一キロメートルほど進んだ先で、リ級が敵艦隊と交戦していた。
「んの馬鹿!何でいつもいつも勝手に飛び出すのよ!」
リ級と合流した第一艦隊はすぐさま敵艦隊の掃討にかかった。幸いにも敵艦隊の戦力はそれほど高くはなく、第一艦隊は全艦傷を負うことなく敵深海棲艦を撃沈することが出来た。
敵地に関する情報が一切ない状態だったが、これで情報が一つ手に入った。敵に関する情報があるのとないのとでは精神的負担が大きく変わってくる。
自分たちの手に負える相手であるということが分かった事で、叢雲の気分は一気に高揚した。これまでの不安が嘘のように吹き飛んだ。もうすぐ青年に会えると本気で思った。絶対にやれる。もう停滞はない。快進撃の始まりだ。そう信じてやまなかった。
この戦闘は快進撃の始まりではなく、苦難の始まりだということを、叢雲はまだ知らない。
ここは深海棲艦がいたるところで蠢く未開の海域。いわば敵地のど真ん中だ。そんなところで巨大な砲撃音を鳴らせばどうなるか。
「新手ね……いくわよ、アンタたち!」
叢雲たちは迫り来る多くの深海棲艦を相手に、未開の海域を突き進んだ。
各方位から次々とやってくる敵を相手に奮闘した。豪雨の中、必死に被弾を避けて前に進み続けた。
海域の深部へと進むに連れて敵が強さを増していく中、叢雲たちは勝ち続けた。互いを助け合う息の合ったコンビネーションは自力の差をひっくり返し、エリート艦艇やフラグシップ艦艇といった各上の相手にも勝利を収めた。
「ハア……ハア……ようやく、一休みできそうね」
いつの間にか雨は止み、太陽が水平線の彼方から姿を現していた。休みなく続いた戦闘がようやく途切れ、叢雲は小さくため息をついた。
全艦に目立った外相はない。ひどくて小破といったところだろうか。だが、いくら外傷が少なくても中身が空になれば意味はない。
この時点で、叢雲は燃料と弾薬が半分を少し切っていた。強敵はそこまで強くなかったが、いかんせん数が多かった。
叢雲たちが撃沈した敵の数は優に二十を超えている。そして、現れた敵の総数はその三倍以上。叢雲たちは五十を超える敵を、たった一艦隊で相手にしていた。
だが、おかしな話だ。五十を超える敵を相手に、小破及び燃料弾薬が半分を少し切る程度。いくら駆逐艦の燃費がよくても、深海棲艦の生命力が高くても、そのような事が本当にありえるだろうか。
普通ならありえないだろう。が、生憎この艦隊は普通ではない。世界で唯一深海棲艦が配備された奇天烈艦隊。部隊の中に深海棲艦がいたことが功を奏していたのだ。
近くを通りかかった深海棲艦同士が勝手に艦隊を成す。その習性はこの海域でも健在だった。
チリヌルヲとタ級が相対した半分以上の敵深海棲艦を(意図せず)味方に引き入れたおかげで、この程度の消耗で済んだのだ。もしこの海域の深海棲艦の大半が叢雲たちより各上だったならば、もれなく全艦轟沈していただろう。
叢雲は背後に連なる深海棲艦の大軍を見て一人心の中で戦慄すると同時に、数十時間前の猪突猛進な自分を蹴り飛ばしたい衝動に駆られていた。
「…………」
しかし、まだ終わりではなかった。叢雲たちの現在地より西方に約五キロメートル先にある小島の海漂林に隠れている者がいた。
気温と湿度の高い中、黒々としたフリルドレスを涼しい顔で着こなすその者の名は離島棲鬼。彼女は無表情で遥か彼方を行く大艦隊を眺めていた。
「……アナタノシアワセハ、ワタシガマモリマス」
離島棲鬼はゆっくりと右腕を上げ、掌を前方に向けた。
「オドレ」
グッ、と右手が強く握られる。その動作一つで、戦力が、現状が、全てが覆った。
叢雲たちの後方で列を成す深海棲艦の支配は一瞬にして塗り替えられた。思わぬ援軍として叢雲たちの背後を守っていたから彼らは、敵としての本来の姿を取り戻す。深海棲艦の大軍が、一斉に叢雲へと襲い掛かった。
「きゃっ!?」
対処が遅れた叢雲は敵の先制攻撃を受けた。駆逐艦ハ級の体当たりをまともに受け、叢雲は艦隊から僅かに引き離されてしまった。
だが、叢雲はすぐに体制を立て直す。至近距離から駆逐艦ハ級を撃ち抜き距離をとった叢雲は、再び艦隊に合流しようと顔を上げた。
「ッ!!?」
叢雲の眼前には、既に鉄(くろがね)の大波が迫っていた。
視界一面を多い尽くす深海棲艦の大群と、砲弾の雨。叢雲は咄嗟に動いた。水面を滑りながら両膝を曲げ、大破し海面に浮かぶだけの存在となった駆逐艦ハ級の懐へともぐりこんだ。
全長二メートル程ある駆逐艦ハ級の船体は叢雲の体をすっぽりと覆い尽くす。駆逐艦ハ級の船体に背中をあてた叢雲は、両腕を広げ駆逐艦ハ級の船体を支える。叢雲が衝撃に備えると同時に、いくつもの着弾音が一斉に鳴り響いた。
叢雲の背中に大きな衝撃が伝わった。両足で踏ん張り何とか転倒は免れた叢雲だったが、想像以上の衝撃に少し咳き込んでしまった。
周囲には敵の砲弾が海水に着弾したことによって生じた水柱がいくつも立ち上った。外から回り込む形で叢雲に襲い掛かろうとする深海棲艦もいたが、それらは降り注ぐ砲弾の雨によってことごとく轟沈していった。
「ったく、どうなってんのよぉッ!!」
残された燃料及び弾薬は約半分。頼れる味方とも分断され、身を守る鉄くずの盾もいつまでもつかわからない。
絶体絶命とも呼べるこの状況で、叢雲は悲鳴に近い叫び声を上げることしか出来なかった。
◇
十数分後、荒れ狂うような猛攻を仕掛けていた深海棲艦の大群は蜘蛛の子のようにわらわらと散らばり始めた。
ついさっきまでの猛攻が嘘のように静まり、辺りには水面の揺れる音だけが静かに響いている。
「ハァ……ハァ……よ、ようやく……終わりかしら?」
そうつぶやいたのは、体のあちこちに焦げ跡をつけた叢雲である。彼女は敵の攻撃を見事に凌ぎきっていた。
いつまで続くか分からない敵の猛攻に、いよいよ耐え切れなくなった鉄くずの盾(駆逐艦ハ級)。いよいよ終わりか、と叢雲が覚悟を決めたそのとき、彼女の頭脳は一つの活路を見出した。
駆逐艦ハ級の左右から回り込むようにやってきた駆逐艦ロ級を見た叢雲は、咄嗟に駆逐艦ハ級から駆逐艦ロ級の陰へと飛び移ったのだ。そして駆逐艦ハ級の時と同じように駆逐艦ロ級の船体側面に背中を預け、新たな盾とした。
移動する際に僅かな被弾はあったが、身を守る新たな盾を入手することに成功した叢雲。彼女はこれを何度も繰り返し、敵の攻撃を凌ぎきったのだった。
「……どこにいるよ」
敵に見つからないよう距離をとった叢雲は、遠巻きから散り散りになる深海棲艦の大群へと目を向ける。
右肩に赤い丸印をつけた深海棲艦の姿は確認できない。距離がある上に数が多すぎる。目視による視認は困難だろう。
「ま、しばらくはこのままね」
そこで叢雲がとった行動は、意外にも待機だった。
燃料が残り僅かなため無闇に動くことができないというもの理由の一つだが、一番の理由はそれではない。
これはある意味、叢雲が仲間を信頼しているからこそ出来る選択だった。叢雲はこれまでの経験からチリヌルヲたちのおおよその行動を把握していた。今回あてにするのは、その中でも非常にシンプルな行動をする深海棲艦だ。
「私以外の誰かが派手にドンパチやり始めたら、アイツは間違いなくそこにいる」
敵を見つけたら、同じ深海棲艦だろうが問答無用で噛み付く変わり者。叢雲率いる第一艦隊の戦闘狂、リ級。
この海域には、叢雲たちを苦しめる程の強敵が存在している。戦闘狂であるリ級なら、まず間違いなく噛み付くだろう。
喧嘩っ早いリ級が戦闘音で居場所を教えてくれる。そう信じて、叢雲は待機を選択したのだ。
だが、叢雲は知らない。
「……オネエサマ、ダイジョウブデスヨ。ワタシガマモリマス」
彼女の背中を遠く、遙か遠くから眺める一艦の深海棲艦がいることに。
「ルー」
「ター」
「レー?」
愛の戦士たちは新たな戦艦と出会う。
「リ!」
「来ルナト……言ッテイル……ノニ」
従順な重雷装巡洋艦と重巡な戦闘狂は新たな強敵と出会う。
「ヌゥ」
「ヲっ」
「ゼロ!ゼロ!クレッ!」
二艦の空母は小さな姫との出会いを果たす。
散り散りとなった叢雲たちの前に、新たな強敵が迫っていた。
次回・・・孤軍奮闘 其の三