艦隊これくしょん 奇天烈艦隊チリヌルヲ   作:お暇

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お久しぶりです。

不摂生な生活が祟って体を壊してまいましたが、私は元気です。

あと二話で終わる予定です。よろしくお願いします。


着任三十五日目:決着 前編

 日の当たらない石造りの広間にひゅう、と強い隙間風が吹いた。

 周囲に散らばっていた包装袋や空のペットボトルが岩の床をカサカサ、カタカタと転がる。同時に、立ててあったウイスキースキットルが倒れカランカラン、と甲高い金属音を立てる。

 

「……そろそろヤバいか」

 

 囚われの姫もとい青年は、手元にあった石をつかみ壁にうっすらと傷をつける。傷の数は二十八本。これは青年が連れ去られてから経過した日数を数えたものだ。

 これまで、青年は離島棲鬼に生かされてきた。離島棲鬼の目的はあくまで戦艦棲姫の願いを叶える事。青年と共にあることを望んだ戦艦棲姫から青年を奪うような真似は決してしない。

 ただ、深海棲艦なだけあって離島棲鬼の人間に関する知識は乏しかった。

 離島棲鬼が食料として持ってくる物のほとんどが人の口にできないゴミばかり。

稀に人間の食べ物を持ってきたこともあったが、そのほとんどは腐食したり海水を吸っていたりでとても食べられるようなものではなかった。

 食料はなく、飲料水もごく僅か。そのような環境で生きられる人間はまずいない。だが、青年は生きていた。何故なら、彼にとって奇跡的な出来事があったからだ。

 海難事故で海に投げ出されたか、それとも災害で海に流されたか。海を漂流していた理由は不明だが、離島棲鬼の集めてきたゴミの中から、非常食と飲料水が詰め込まれた頑丈なバッグが見つかったのだ。

 おかげで何とか今日という日まで命をつなぐことができたが、バッグの中身も無限にあるわけではない。バッグいっぱいに詰めてあった飲食物も、今朝方底をついた。

 

「なあ、今なら行けんじゃねえか?」

 

 青年は首を動かし、岩を背に座り込む戦艦棲姫を見た。

 

「……恐ラク失敗スル。今ノ私デハ彼女ヲ振リ切レナイ」

 

 戦艦棲姫は力なく首を横に振った。

 青年を無事に生きて帰す。それが自分の成すべきことであると戦艦棲姫は思っていた。そして、青年自身の目的も生きて帰ること。「鬼の居ぬ間の洗濯」ならぬ「鬼の居ぬ間の結託」。一人と一艦が手を結ぶまでに時間はかからなかった。

 青年たちは水面下で行動を起こすようになった。

 損傷のせいでまともに動けない戦艦棲姫は離島棲鬼が献上する資材と、青年が食べられなかった食料を自分の糧とし回復に努めた。だが、それでも全快には程遠いのが現状だ。

 離島棲鬼の留守を狙い脱出を試みたとしても、今の戦艦棲姫では離島棲鬼を撒くことはできない。それほど今の戦艦棲姫は弱体化していた。 

 

「じゃあ、早いとこカラダ直してこい」

「エエ」

 

 これぞデキる女のスキマ時間活用術。戦艦棲姫は離島棲鬼がいない間、資材の拾い食いに勤しんでいた。

 今以上に回復すれば脱出作戦の成功確率も上がるだろう。半ば暴走状態にある今の離島棲鬼は何を仕出かすか分からない。勝手に逃げ出したと知れば、青年に対し何等かの危害を加えてくる可能性もゼロではない。

 脱出を成功させるためにも、バレた時に青年を守るためにも、傷を癒さなければならないのだ。

 戦艦棲姫はゆっくりと立ち上がり出口の方へと歩き出すが、その歩みはすぐに止まった。

 

「どうした?」

「何カ来ル」

「なんだよ。もう帰ってきたのか」

 

 離島棲鬼の帰還を想像した青年は露骨に落ち込んだ。

 

「イイエ、違ウ」

 

 戦艦棲姫は青年の言葉を否定した。

 純粋な深海棲艦である戦艦棲姫だけが、本能的にその違和感をキャッチできていた。

 近づいてくる気配は離島棲鬼のものではないし、そもそも、気配の数が一つではない。

 

「コレハ……」

 

 遭遇まで、あと十秒。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その鈍い輝きは、まさに嵐の中に見えた灯台の灯りだった。

 

「まったく。来るのが遅いのよ」

 

 叢雲は喜びに満ちた表情で悪態をついた。

 透き通るような白い肌。ぼさぼさに跳ね上がる短い黒髪。顔の大部分を覆う白い無地の仮面。ショート丈のタンクトップに似た装甲。砲身と一体化している両腕。肌のない機械仕掛けの歪な両足。そして、右肩に刻まれた赤い丸印。

 そのような特徴を持つ深海棲艦は、この世に一艦しか存在しない。

 

「チ……」

 

 叢雲の忠臣、チ級が主の危機に駆け付けた。

 叢雲は戦闘音を周囲に響かせ、周辺海域にいるであろうリ級を呼び寄せるつもりでいた。そのために生存優先で戦闘を長引かせていたのだが、まさか真っ先に駆け付けたのがチ級だとは。叢雲にとって、これはうれしい誤算だった。

 叢雲は離島棲鬼を警戒しながらチ級と合流した。

 

「さあ、行くわよ!」

 

 叢雲の構えに呼応してチ級も砲撃の体勢に入る。

 駆逐艦と重雷装巡洋艦。この二艦で出せる最高の火力といえば一つしかない。魚雷による水中爆撃だ。

 

「食らいなさい!」

 

 二艦から酸素魚雷が一斉に放たれた。魚雷は水中を勢いよく駆け抜け、目標である離島棲姫に迫る。

 三十メートル、二十メートル、十メートル、五メートル。魚雷は何事もなく離島棲鬼の直下までたどり着く。

 鬼型の深海棲艦であろうと、酸素魚雷の火力ならば損傷を与えられるはず。着弾を確信した叢雲は口角を吊り上げた。

 しかし、彼女の期待は直ぐに裏切られることとなる。

 

「……どういうこと?」

 

 照準は完璧だった。妨害を受けず、万全の状態で魚雷を放つことができた。途中で迎撃されることもなかった。全弾が離島棲鬼の元へ到達した。

 しかし、叢雲の放った魚雷は外れた。いや、外れたというのは少し語弊がある。より正確に言うなら素通り。狙いをつけたはずの魚雷が全て、離島棲鬼の足元を素通りしたのだ。

 そして、叢雲だけではない。叢雲より優れた雷撃性能を誇るチ級の酸素魚雷もまた、同じような状態に素通りした。

 

「アンタ、一体何をしたのよ!」

 

 叫び声と共に叢雲たちは再度、魚雷を放った。だが、結果は変わらない。魚雷は全て離島棲鬼を素通りし、彼方へと消えていった。

 

「……まさか、ね」

 

 離島棲鬼には魚雷が通じない。そんな考えが叢雲の頭をよぎる。

 原理は一切不明。何らかの条件下でのみ発動する能力なのか、それとも常時発動している能力なのか、それも分からない。

 ただ一つ言えるのは今の状況が想像以上に不利だということだけだ。しかし、だからといって、引き下がるわけにもいかない。

 魚雷が通じないのなら、別の手段で攻撃すればいいだけの話だ。

 

「突っ込むわよ!」

 

 叢雲は掛け声と共に最大船速で離島棲鬼へと向かった。チ級も臨戦態勢のまま叢雲に続く。

 

「…………ナゼ?」

 

 対する離島棲鬼。彼女の視界には叢雲たちの姿など映っておらず自身の内、思考の海に沈んでいた。

 離島棲鬼は自らの手で叢雲を葬るつもりでいた。格下の深海棲艦を統べる力を使い、叢雲を予定通り孤立させた。次は有象無象をこの海域に近づけないように操った。これも予定通り。これで離島棲鬼の望む状況を作り出せた。

 ただ一つ。予定外だったのは、叢雲と共にいたチリヌルヲが思い通りに操れなかったこと。

 面倒な奴らを遠くに散らす予定が、どういう訳か操れず、格下共の物量で押し流すことしかできなかった。

 一体何故。彼女たちが深海棲艦であるのなら、操れないはずはないのに……。

 

「マア、イイワ」

 

 離島棲鬼は思考を打ち切り、叢雲たちへと意識を向けた。両者の距離は十分に開いているが、離島棲鬼の砲撃ならば届く距離だ。

 離島棲鬼は右腕を上た。それに合わせ、彼女を乗せていた大型の深海棲艦が砲身を構える。

 次の瞬間、離島棲鬼の主砲が火を噴いた。一撃必倒の砲弾が叢雲たちに襲い掛かる。

 叢雲はすぐさま左へと舵を切り、同時に指示を出す。

 

「右!」

 

 短い言葉だったが、チ級はその意味をしっかりと理解した。

 叢雲から調教、もとい熱血指導を受けたチ級の動きに淀みはない。

 チ級は指示通り右方向へと舵を切った。数秒後、離島棲鬼の放った砲弾は左右に分かれた二艦の間を通過し、海面に着弾した。

 

「前!」

 

 叢雲は前進しながら再度チ級へ指示を出す。チ級は指示通り、叢雲と合流せず単体で前進し始めた。

 ドンッ、と離島棲鬼の主砲が砲撃音を奏でた。叢雲は目を凝らし、砲弾の軌道を注視する。狙いはチ級。直撃コースだ。

 

「左!」

 

 チ級は左方向に舵を切る。紙一重のタイミングで砲弾はチ級の横を通過し、海面に着弾。巨大な水柱が立ち上り海面が大きくうねる。

 チ級はサーフィンをするように波の斜面を滑り、回り込むような軌道を描きながら叢雲の方へと近づく。

 ドドドンッ。副砲も用いた広範囲への攻撃が、今度は叢雲の方へと放たれた。

 叢雲はちらりと右を見た。チ級は叢雲へ向かって接近中だ。着弾のタイミングは、二艦が重なるタイミングとほぼ同じ。瞬く間にマズいと判断した叢雲は急いでチ級へと近づいた。

 左へ向かうチ級と、右へ向かう叢雲。二艦の影が重なった瞬間、叢雲はチ級の肥大化した右腕を掴み、力任せに自分の方へと引き寄せた。

 

「全速!」

 

 叢雲が叫ぶ。合図を受け、チ級は不安定な体勢のまま最大船速を発揮した。

 叢雲はチ級の勢いに船体(からだ)を持っていかれないよう両足に力を入れ踏みとどまる。チ級は叢雲を軸として、高速の急旋回を決めた。そのまま二艦は危険区域を脱すべく全速前進で水面を駆けた。

 タイミングはギリギリ。外れることを祈りながら、叢雲はチ級と共に前へ進む。

 祈った直後、彼女たちの背後に砲弾の雨が降り注いだ。背後から聞こえる風切り音と、背中に当たる水しぶきが叢雲の肝を冷やす。

 紙一重ではあったが、叢雲たちはピンチを切り抜けた。

 

「このっ!」

 

 叢雲は主砲と副砲で離島棲鬼を攻撃した。砲弾は離島棲鬼に直撃するが、やはり駆逐艦の火力では鬼型の装甲に傷をつける事は出来ない。

 このままではジリ貧。それは叢雲自身がよくわかっていた。この状況を打破するためには、やはりコンスタントに火力を出せる存在が不可欠だ。

 

(もう!どこほっつき歩いてんのよ。いつになったら……)

 

 叢雲がそう思った、その時。

 

「ったく、来るのが遅い!」

 

 噂をすればなんとやら。

 離島棲鬼の背後に映る影を見て、叢雲は笑みを浮かべた。

 水平線に浮かぶ三つの艦影。人型の艦艇二艦と、楕円形の艦艇が一艦。皆、一様に右肩に赤い丸印が刻まれている。

 先頭を往くのは赤黒い光を纏う艦艇。見た目はほとんど人間そのものだが、背中から両腕の火砲に伸びる二本の管はまさに人外の証。獰猛な笑みを浮かべ、背後の二艦を置き去りにせんばかりの勢いで水面を駆けている。

 

「リ!」

 

 彼女は重巡洋艦、通称『リ級』。奇天烈艦隊屈指の問題児であり、叢雲が待ち焦がれていた貴重な戦力である。

 港湾棲姫との戦闘で船体(からだ)はあちこち損傷しているが、その闘志は未だ衰えていない。その証拠に、両腕の砲口を離島棲鬼へ向けいつでも砲撃をできる体勢をとっている。

 

「あんたたちも、さっさとぶちかましなさい!」

 

 叢雲が叫ぶ。そして、呼応するように無数の黒い球体が空にばら撒かれ、リ級の上空を通り過ぎる。

 球の正体は艦載機。深海棲艦の持つ丸形の艦載機が離島棲鬼めがけて飛び出したのだ。

 

「ヌゥ」

「ヲっ」

 

 艦載機を放ったのはリ級を追う二艦だった。

 頭部の深海棲艦を模した帽子が特徴的な深海棲艦。正規空母、通称『ヲ級』と、楕円形の胴体から人間の手足が生えたような姿をしている深海棲艦。軽空母、通称『ヌ級』である。

 ヲ級とヌ級が放った黒々と輝く艦載機は、リ級を軽々と追い越し離島棲鬼に迫る。

 

「……ココマデクルトワネ」

 

 離島棲鬼の行動は早かった。艦載機を見るや否や、腰かけていた滑走路から飛び降り、大型の深海棲艦を手のひらで軽く叩く。すると、大型の深海棲艦は滑走路から白い艦載機を吐き出した。

 黒と白の艦載機が空中で交錯する。一機の性能は離島棲鬼側の艦載機が上だが、数においてはヲ級、ヌ級側の方が上。

 結果、ヲ級、ヌ級の艦載機が数の暴力で戦線を押し切る形となった。

 だが、相手もやられっぱなしではない。大型の深海棲艦は艦載機を打ち落とすべく、背中に取り付けられた複数の副砲を同時に放った。

 副砲による攻撃を受け、黒い艦載機は数を減らしていく。その弾幕も数で押し切り、最終的に二機の艦載機が離島棲鬼の直上へとたどり着いた。

 爆撃準備、ヨシ! 艦載機から無数の爆弾が落とされた。

 

「…………」

 

 離島棲鬼は自身の右腕を頭上へと持って行く。直後、複数の破裂音と共に爆煙が巻き起こった。

 エリート艦隊相手でも通用する爆撃は離島棲鬼の装甲を確実に削った。

 

「…………ソウ」

 

 チ級に続き現れた三艦。未だに支配を働かせているにも関わらず、「知ったことか」と言わんばかりの勢いで迫りくる彼女たちを見て、離島棲鬼は理解した。叢雲に与する奴らは思い通りに動かすことはできないと。

 しかし、だからと言って警戒レベルを引き上げるつもりもない。雑魚がいくら集合したとて、この私を超えることはできないと、離島棲鬼は強者の余裕を見せつける。

 

「イイ……デショウ……」

 

 離島棲鬼が煙を払うと同時に、大型の深海棲艦が主砲の砲門をリ級たちへと向けた。

 リ級は離島棲鬼に向かって突き進む。砲門が向けられている事など意に介さず、一直線に標的を目指す。

 大型の深海棲艦はリ級へ向けて砲弾を放った。リ級は最小限の身のこなしで射線上から脱する。ヌ級とヲ級は着弾点を迂回するように進路を変えた。

 リ級の背後で水柱が立ち上った。頭からどっぷりと海水を浴びるリ級。だが、彼女はそんな事お構いなしに前へと進む。

 どんなことがあってもリ級の意志はブレない。彼女が目指すはただ一点。行く先に待つ離島棲鬼の打倒のみ。

 

「リ!」

 

 リ級の水平に掲げられた砲口から無数の砲弾が放たれる。

 まだ距離があるため狙いは正確ではない。それでも一部の砲弾は敵影を捉え、相手を破壊するべく風を切る。

 だが、着弾よりも先に大型の深海棲艦が離島棲鬼の前に立ちはだかる。離島棲鬼の意志に反応して、その身を盾にしたのだ。

 ここにきて初めて防御の姿勢を見せた離島棲鬼。彼女自身、何故リ級の砲撃を防御したのかわからなかった。ただ、感じたのだ。些細な違和感のような、今までに感じたことのない何かを。

 両者の距離はどんどん狭まり、残り六十メートルを切った。リ級の前進はなおも続く。まばらだった砲弾の雨が、徐々に離島棲鬼へと集中し始めた。

 

「メンドウネ」

 

 両者の距離、残り二十メートル。リ級の砲撃は止まらない。両者の間は既に必中の距離となり、リ級の砲撃は寸分狂わず離島棲鬼を射抜いてゆく。

 だが、どんな深海棲艦だろうと無限に攻撃できるわけではない。放熱か、残弾が底をつくか。いずれにせよ、空から降り注ぐ雨と同じように、砲弾の雨もいつか必ず止む時が来る。

 そして、その時が来た。リ級が熱を帯びた両腕を下げる。同時に、砲弾の雨が止んだ。

 離島棲鬼は防御姿勢を解き、砲口をリ級へと向けた。位置は真正面。風はほぼ無風。直撃を確信した離島棲鬼は口を開いた。

 

「コレデ……」

 

 必殺の一撃が今、放たれようとした。

 その時だった。離島棲鬼の耳が騒音を捉えた。

 

「ッ!?」

 

 離島棲鬼は顔を覆うように腕を上げた。次の瞬間、離島棲鬼の船体(からだ)は爆発に飲み込まれた。

 離島棲鬼を攻撃したのは艦載機だった。だが、それはただの艦載機ではない。妖精が操縦する、艦娘の艦載機。本来深海棲艦が持たない、持つはずがないものだ。

 

「ヌゥ」

「ヲっ」

 

 攻撃を仕掛けたのはヌ級とヲ級だった。先ほどの空中戦では使用しなかった艦娘の艦載機。それを用いた二度目の空中爆撃が、離島棲鬼に見事直撃したのだ。

 

「ジャマヨ」

 

 しかし、その程度で離島棲鬼を倒せるはずもない。一秒もしないうちに離島棲鬼は再度照準をリ級へと合わせる。

 今度こそ沈め。殺意を込めた一撃が、再び放たれようとした。しかし。

 

(……コレハ?)

 

 背後から薄らと感じる気配。これは(しもべ)のものではない。違和感を覚えた離島棲鬼は思わず振り返り、その表情を驚愕に染めた。

 離島棲鬼の視界には斜めに体勢を崩す大型の深海棲艦と、巨体に体当たりを食らわせるチ級の姿が映っていた。

 

「ッ……!?」

 

 次の瞬間、離島棲鬼は謎の衝撃に襲われた。衝撃は背後から。砲撃のような強い衝撃ではない。船体(からだ)を斜めに傾けながら、離島棲鬼は首だけで振り返る。視界の隅に映ったのは、青みがかった銀髪だった。

 離島棲鬼は迫りくるリ級に集中するあまり、見失ってしまったのだ。

 意識の集中と慢心、そして艦載機の爆撃音。これらがうまく噛み合い、離島棲鬼の索敵能力は一時的に低下した。そして、見失った。背後から近づいてくる有象無象を、敵とも思わない矮小な存在を。

 

「やりなさい!」

 

 叢雲の悪質タックルを受け、離島棲鬼の船体(からだ)は頭を突き出す体勢で、前方へと押し出される。そして、彼女は見た。眼前に迫るリ級の姿を。

 

「リ!」

 

 五十メートルあった二艦の距離は、いつの間にか零になっていた。

 突き出されるリ級の砲口。狙いは離島棲鬼の、顔面。

 ドガァン! と、ひときわ大きい爆発音が鳴り響く。衝撃により周囲の海面は激しく波打った。

 

「きゃあっ!」

 

 爆発の衝撃により、叢雲は離島棲鬼の体から強制的に引きはがされた。

 両手でバランスを取りながら、なんとか体勢を立て直した叢雲は仲間達の安否を確認すべく周囲を見渡した。

 チ級は丁度隣で体勢を立て直したところ。ヌ級、ヲ級は叢雲の後方で待機中。リ級は未だ晴れぬ爆煙の中に向かって砲弾を打ち込んでいる。

 

「敵は健在ってことね」

 

 リ級が警戒を解かないという事はつまり、そういうことなのだろう。

 油断してはいなかった。ただ、叢雲の想定よりも鬼型の深海棲艦は、離島棲鬼の力は強大だった。以前に戦った戦艦棲姫との経験も踏まえ、青年の鎮守府の総力をつぎ込んで出撃したつもりだった。だが、結果はこの有様だ。想定外に続く想定外ですでに満身創痍。

 出撃前、もっと冷静になれていれば周囲に協力を仰ぐ等、確実な手立てを講じることができたはずだ。

 

「まったく。ホントなにやってんだか」

 

 恋は盲目。その言葉の意味を、身を以て思い知った叢雲は自分に悪態をついた。

 

「がはッ!?」

 

 巨大な爆発が巻き起こり、叢雲の体が紙切れのように宙を舞った。

 叢雲の思考は完全に停止し、五感から伝わる情報を正常に処理できないまま背中から着水した。

 

「っ……ぐ、うううぅ!」

 

 海水の冷たさで思考が再起動した叢雲は四肢を海面に着け、何とか体勢を整えた。

 

(私としたことが、なんて無様!)

 

 仲間と合流できたからか、攻撃をすることに成功したからか。理由はどうあれ、叢雲は油断していた。そして、その隙を突かれ砲撃を受けた。自分の状況を即座に把握した叢雲は油断なく主砲を構えた。

 

「ッ!」

 

 叢雲は目を見開いた。

 煙の中から姿を現す離島棲鬼。揺らめく黒いドレスはボロボロ、艶やかな白い肌には焦げ跡、靡く後ろ髪はボサボサ。ダメージは確実に入っている。

 だが、その立ち振る舞いには疲労の色がまったく見えない。髪をかき上げるしぐさにも、まっすぐ伸びる背筋にも、船体(からだ)を支える両足にも、疲労感や消耗した様子が一切見られない。

 

「……少しは堪えなさいよ」

 

 悪態をつく叢雲。まだ余裕があるように見えるが、それはただのやせ我慢だった。

 リ級の砲撃は今の叢雲たちが出せる最大火力。それを受けてなお健在の離島棲鬼。その事実は叢雲の精神を大きく疲弊させた。

 これ以上の火力が必要となると、ル級やタ級といった戦艦の力を借りるしかないが、青年第一で動く彼女たちは単独で青年の元へと向かうだろう。都合よくこの場に現れる可能性は限りなく低い。

 そして、今しがた受けた砲撃による損傷はかなり大きい。どう甘く見積もったとしても大破。叢雲の艦装からは大量の煙が漏れ出していた。

 

「リ!」

「…………」

 

 離島棲鬼は砲撃を続けるリ級を無視して叢雲を睨んでいた。両の目に赤黒い光を宿しながら。

 

「イライラスルワ」

 

 離島棲鬼は二発の砲弾を続けて放った。

 

「なッ!?」

 

 目の前で攻撃を続けるリ級ではなく、叢雲の方を狙った砲撃。虚を突かれた叢雲だったがなんとか反応。その軌道が自分へと向かわない事を瞬時に悟り、次の攻撃に備えようとした。

 

(……待って)

 

 次の瞬間、叢雲の頭に一つの疑問が浮かぶ。本当に、その方角には本当に何もなかったか?

 叢雲は記憶の中の映像を巻き戻し、自分と仲間の位置状況を確認した。答えを得るまでにかかった時間は瞬く間と同程度。だが、今回はそのごく僅かな合間が明暗を分けた。

 

「避けなさい!」

 

 一手遅れたと分かっていながら叫ぶ叢雲。彼女が振り向いたと同時に、巨大な爆発が同時に二つ起こった。

 叢雲の位置より後方にいたヌ級とヲ級。今の砲撃は行動の遅い二艦を狙ったものだったのだ。

 崩れるように水面へ倒れるヌ級とヲ級。その様子を叢雲は眺めている事しかできなかった。

 ドンッ。再び鳴り響く砲撃音。

 またしても出遅れた。叢雲は瞬時に意識を切り替え、迫りくる砲弾に備えた。今回は直撃コースだ。

 直撃を避けるべく、叢雲は急速発進でその場からの離脱を試みる。だが、艦装の出力が思うように上がらない。

 これは恐らく避けきれない。悟った叢雲は苦し紛れに防御姿勢をとるが、紙一重のタイミングで一つの影が割り込んだ。

 

「チ……」

 

 影の正体はチ級だった。叢雲の近くにいたチ級が、旗艦である叢雲をかばったのだ。

 凄まじい破壊力を持った砲弾はチ級に直撃した。重大な損傷を受けたのは右半身。存在感のあるチ級の巨大な右腕は無残にも砕け散った。

 チ級が倒れゆく最中、リ級が動く。砲撃を一旦止め、再度零距離からの砲撃を行うべく離島棲鬼に接近した。

 離島棲鬼は動かない。リ級の接近などまったく気にも留めず、叢雲の方を見つめている。

 

「リ!」

 

 リ級の零距離砲撃が再度炸裂し巨大な爆発が巻き起こった。

 並みの深海棲艦なら仕留められただろうが、今戦っているのは圧倒的格上。リ級もそのことは本能で理解していた。リ級は離島棲鬼の懐を陣取り、連続で主砲を放った。ドン、ドドン、と連続した爆発の衝撃が空気を揺らす。そして。

 ガチン、ガチン、ガチン。

 ついに終わりを告げる音が鳴る。主砲は使えない。そう判断したリ級はすぐさま副砲を構えた。

 

「ウルサイ」

 

 爆煙の中から伸び出た白い細腕がリ級の頭を掴む。そして、示し合せたかのように動く大型の深海棲艦が、リ級の胴体に極大の砲口を突き付けた。

 お返しと言わんばかりに放たれる離島棲鬼の砲弾。リ級と同じ、零距離からの砲撃。

 大気が震え、海面が波打った。数十メートル離れた叢雲でさえ、まるで至近距離から砲撃を受けたと錯覚するほどの衝撃だった。

 

「…………」

 

 思わず言葉を失う叢雲。ここにきて、彼女は心の底から理解した。理解してしまった。自分がどれだけ大きく読み違えていたかを。

 ここまで叢雲が善戦できたのは離島棲鬼が本気を出していなかっただけ。その気になれば、ただの駆逐艦程度一撃で葬る事が出来たのだ。

 全身から煙を吹くリ級を投げ捨てた離島棲鬼は叢雲の方へと向かった。一歩、一歩近づくにつれて、離島棲鬼の凍りついた無表情が徐々に形を変えてゆく。口角がじわじわと吊り上り、愉悦を孕んだ笑みへと変わってゆく。

 中腰のまま佇む叢雲を離島棲鬼は見下す。

 

「モウオワリヨ。コレデオワリ」

「…………」

「アナタハ、ココデシズム。ムネンデショウ?」

「…………」

「フフッ。コレデ、ジャマモノハイナクナル」

 

 芝居がかった身振りで己の喜びを表現する離島棲鬼。

 さあ、一体どんな無様な姿を見せてくれるのか。期待に満ちた表情で、離島棲鬼は叢雲を見た。

 

「……はぁ。奥の手だけは使いたくなかったのだけれど」

 

 歓喜に染まっていた表情は瞬く間に能面のような真顔へと戻る。離島棲鬼は声の主である叢雲を注視した。

 その態度が気に入らない。

 髪はボサボサに跳ね上がり、肌は傷だらけ。度重なる戦闘で焦げ付いた服は左肩が露出し、艦装からは煙が噴き出ている。放っておいてもその辺の雑魚に屠られるであろう、一目で満身創痍とわかる状態。にも関わらず、彼女は強気の態度を崩さない。

 その目が気に入らない。

 こちらを射抜く鋭い眼光。不屈という言葉を連想させる力強い目つき。その瞳の奥に揺れる炎は、未だ衰えることなく燃え続けている。

 離島棲鬼は気に入らない。

 圧倒的に不利な状況で、満身創痍な状態で、未だ勝利を諦めない。叢雲のそんな在り方が気に入らない。

 離島棲鬼の白く細い右腕が叢雲の首を掴みあげた。

 

「シズメ」

 

 叢雲の腹部に当てられた巨大な砲口が火を噴いた。

 

「シズメ、シズメ! シズメ!!」

 

 砲撃は止まらない。二発、三発、四発。駆逐艦を沈めるには過剰すぎる砲撃が連続で叩き込まれた。

 爆発の衝撃で海面が大きく波打つ。巻き上がった煙が風になびく。空の彼方まで響いた砲撃音がフェードアウトし、やがて、場に静寂が訪れる。

 煙が晴れた。離島棲鬼は右手に掴むモノを見た。掴んでいる部分を支点に、だらりと垂れさがる胴と手足がぶらぶらと揺れている。

 もう見ていてもイライラしない。忌々しい存在は今度こそ消え去ったのだと、離島棲鬼は理解した。

 

「シズメ」

 

 その一言と同時に、離島棲鬼は右手を開いた。右手で掴んでいたモノは重力に引かれ落ちる。

 卑しく口元を歪める離島棲鬼はその行く末を見続けた。両足が水面に着いた。上体が大きく後方に仰け反った。勢いに流された左腕は無造作に伸ばされ、そして…………離島棲鬼の右腕を掴んだ。

 

「ッ!?」

 

 仰け反った上体を戻す勢いが加わった渾身の右ストレートが離島棲鬼の顔面に突き刺さる。

 油断しきっていた離島棲鬼は思わず後ずさった。彼女の目は驚きのあまり大きく見開かれ、目の前にいるモノを凝視していた。

 おかしい。再起不能となる攻撃を加えたはずだ。忌々しい存在はガラクタへと変貌したはずだ。なのになぜ、奴は今こうして立っている?

 

「……ナニ?」

 

 離島棲鬼は一つの変化に気付いた。目の前にいるモノの体を、うっすらと光が包んでいるのだ。

 光は叢雲の船体(からだ)を癒していた。完全な修復ではなく、ほんの少し、『応急的な修理』と呼べる程度の癒しを与えている。

 

「……勝手に、勝ち、誇ってんじゃ……ないわよ」

 

 いつの間にかそこにあったモノは消え失せていた。代りに現れたのは、忌々しい駆逐艦の姿。

 

「ナニヲシタノ」

 

 異変は続く。ゆらりと立ち上がったのは右腕を亡くした深海棲艦。彼女も薄い光に包まれている。

 事態を飲み込めない離島棲鬼は思わずたじろぐ。そんな彼女の背後に二つの影が迫る。目の前の光景に気を取られ、隙だらけとなっていた離島棲鬼は彼女たちの接近に気付けなかった。

 

「ウッ!?」

 

 両腕にちくりと痛みが走る。離島棲鬼は反射的に両腕を振るった。

 両腕に目配せしてみれば、またしても見覚えのある存在が目についた。どちらも頑丈そうな歯を白い柔肌に突き立てている。

 噛みついた二艦の深海棲艦は剥がれない。何度腕を振るっても剥がれようとしない。

 

「ハナレテ!」

 

 離島棲鬼の意思が伝わったのか、彼女の背後に控えていた大型の深海棲艦が突然動きだし、噛みつく深海棲艦たちを力ずくで引き剥がした。

 二艦はバシャバシャとたたらを踏むように海面を跳ねた後、四つ這いで着水した深海棲艦が睨みを利かせる。

 

「ウットウシイ!」

 

 離島棲鬼は四つ這いの深海棲艦たちに左手を向けた。その動きに合わせて、大型の深海棲艦の砲口が向けられる。

 消し飛ばしてやる。離島棲鬼がそう思った次の瞬間。

 

 べちん。

 

 離島棲鬼の頭に何かが当たった。

 ぱしゃり、と何かが着水する音を聞いた離島棲鬼は音の聞こえた方、自身の足元へと目を向けた。そこには、黒い杖のようなものがぷかぷかと浮かんでいた。視線をそのまま上げると、巨大な帽子をかぶった深海棲艦の腕を振り下ろした姿が見えた。

 どいつもこいつも満身創痍。吹けば飛ぶような形をしているくせに、何故消えない。何故まだそこにいる。

 呆然とした表情の離島棲鬼はゆっくりと周囲を見渡し、そして、忌々しい駆逐艦と視線が交わった。

 

「覚悟しなさい。私たちはもう、この戦いでは沈まない!」

 




次回・・・決着 後編

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