レストランから飛び出した俺が最初に行った行動は、近くにあった電柱の影に隠れる事。
そして、その後はひたすら深呼吸しながら自分の心を落ち着ける事に努めていた。
何故ここまで取り乱していたのかと言うと、単に原作でも重要人物となる存在との邂逅を、意識せず果たしたからである。
(何でこんな高級でもないレストランに、小笠原エミが居るんだ?!)
そう、美神令子のライバルポジションである女性の事で、今は15、6歳の筈であり、まだ殺し屋紛いの仕事を熟している筈の小笠原エミであった。
そこまで気付いた今なら、あの妖しげな雰囲気を撒き散らしていた正体にも察しが付いている。
ギリシャ神話、或いはギリシャ教とも呼ばれる昔から存在する宗教で、堕天した天使とも言い伝えられているベリアル。
しかし、天使とは名ばかりに、ベリアルという名の意味は、悪魔、とも言われて畏れられる存在だ。
そのベリアルの分霊を、師匠から受け継いで使い魔としているのが現在の殺し屋紛いの小笠原エミであった。
(……放っておくのが無難だろうか?)
俺は既に原作を少し変えてしまっている。
確かに、その変化させた内容は意図した訳ではないので俗に言う事故の様なものであり、偶然以外の何物でもないと言い切れるので、致し方ないと割り切るしかないとも判断出来た。
だが一方で、少しでも変えてしまったのならもう余り気にしなくとも構わないのではなかろうか、と考えが過るのも事実。
しかし、そんな俺とは反対に”いやいや、出来るだけ原作を変えない努力をするべきだ“、とも考える人が存在するだろう。
だが、それはある秘密を知らないから言える悠長な感想としか俺には思えない。
その秘密とは、実はGS美神の世界へと神様に送られる直前に言われた言葉なのだが、「物語の崩壊が現在では確認出来ないけど、もしかしたら君が入った後に崩壊が始まる可能性も少しだけあるから注意してね」という俺にとっては最悪の注意事項を最後の最後に告げられた。
つまり、俺がこの世界へ来る直前までは問題無かったとしても、この世界に来た後でジワリジワリと崩壊が始まっている可能性があり、そのせいで原作が変化していく最悪のシナリオも存在するという事になる訳だ。
ともすれば、ベリアルなどという危険極まりない存在を使い魔にしている小笠原エミの現在は、爆弾を常に傍らに置いているのと同じであり、非常に命の危険があると判断出来る。
これを放っておくのは不味い。
原作が自然に変化していく可能性がある中で、ただでさえ危険な立場の小笠原エミを放っておくのは愚の骨頂。
もっとも、この世界の崩壊が一切無い可能性の方が遥かに高いが。
はぁぁ、と大きく溜め息を吐いた俺は、丁度レストランから出て来たエミを見守る事に決め、彼女を尾行し始めた。
彼女と俺の距離は40メートル程で、その間には幾人もの人が居る。
故に、そうそう尾行がバレる事はなかろう。
この尾行術は、映画やドラマから学んだ事であり、これが正しい尾行方法かは知らない。
ただ、武術や霊能を学んでいた俺でも、流石に尾行の方法までは習っていないので、これが精一杯の尾行であった。
そうして、暫く徒歩での尾行を続けていると、エミさんが意外にも電車に乗り込んだ。
その後を追うように俺も乗り込み、エミさんでも一般人のように公共交通機関を使用するんだな、と取り留めの無い感想を抱く。
しかし、現在のエミさんの年齢を考えると、車の免許も単車の免許も取れないので、当たり前かと思い直した。
殺し屋が免許制度を遵守しているのは少し変ではあるが、殺し屋だからこそ些細な日常生活まで気を配っているとも考えられるだろう。
兎も角、電車内に乗り込んだ後は、出来るだけエミさんの方へは視線を向けないように意識しながら過ごし、何時降車しても良いように出入口付近を確保し続けた。
そして、20分程すると、エミさんは電車から降りて足早に駅構内を後にする。
勿論、俺も付かず離れずの位置をキープしつつ、尾行がバレぬようにしながら追跡を続けた。
そうして、辿り着いたのは一軒の高層ビル。
彼女を追ってそのまま同じビルに入るのは憚れるので、俺は向かいのビルへと入り、妖しげな雰囲気が上へ上へと向かうのを追って、俺も自身が入ったビルを登って行く。
すると、最終的には最上階である屋上に出る事になった。
最上階から向かいのビルを覗けば、そこにはエミさんと謎の人物が居るのが視界に映る。
恐らく、あの謎の人物の正体は、エミさんの依頼主に当たる人物なのだろう。
となると、裏家業を熟しているエミさんに接触して来た人物の正体には、自ずと結論が出る。
警察の中でも特殊な部門となる、公安だ。
国の守護を念頭にした組織であり、国家を揺るがす組織や人物達を監視、逮捕する非常に優秀な者達である。
そんな者達なのだが、この世界の公安は元々俺が居た世界の公安とは違い、暗殺もしていると原作で描写されていた。
そして、その暗殺方法の一つが、ブードゥから始まりエジプト魔術までをも幅広く習得し、それを十全に使い熟して呪術を使用する小笠原エミさんを利用しての暗殺である。
(……大きな国程強大な敵を持つ、という事は理解していても、その為に非合法での国家守護は容認出来ないな)
青臭いし、現実を把握していないから抱く考え。
だが、そんな考えでは国を守護出来ないからこそ、彼ら公安は暗殺という手段を用いているのだろう。
俺は何とも言い表せない感情を抱きながら、向かい側の成り行きを見守る。
すると、スーツ姿の男が大きな茶封筒をエミさんに渡した後、強風に晒されている屋上から一足先に姿を消して行った。
その後、エミさんは屋上で何もせず、五分程ポツンと佇み、彼女もまた屋上から姿を消して行く。
そして、再び彼女の姿を目にしたのは、地上に戻ってからだった。
彼女は、何やら先程までの雰囲気とは違い、剣呑な様子で何処かへと歩いて行く。
使い魔のベリアルが何やら言い募っているが、機嫌が悪いのか、はたまた仕事モードとでも言えるスイッチを入れているのか、それは分からないが兎に角不機嫌そうなエミさんは、そのベリアルを無視して羽虫を払うかのように鬱陶しそうに手を振りつつ歩き続ける。
駅方向ではなく、どちらかと言うと街中の方へと歩いて行っているように見えた。
そして、彼女が着いたのはそこそこ豪華そうなホテルで、慣れた様子でチェックインして行く。
その姿から察するに、恐らくこのホテルに長い間宿泊しているのだろう。
俺はその姿をホテルの外から見つつ、エレベーターに乗り込んだ彼女を見終わるなり、何時までも此処で待ち受けるのも変だと思い、ホテルの向かい側にあるカフェへと入った。
注文するのは、やはり好物のメロンソーダ。
甘い香りを楽しみつつ、今日はもう出て来なかったらどうしようかと考えながら過ごす。
(………暇だ。暇過ぎるな)
世の中の探偵や刑事は、こんな時にどうしているのかと疑問を抱くが、その答えを知ったとてそれが何になるというのだ、と直ぐに思い直し苦笑する。
そして、メロンソーダだけで長時間居座る事に気が引けるので、メロンソーダと同じく甘いショートケーキを注文する。
そうして、その新たに注文したケーキを平らげてから一時間後、エミさんと思われる霊気の高まりを感じてホテルへと視線を向けた。
しかし、別にエミさんがホテルから出て来たとかいう訳ではない。
彼女の霊気が高まっただけであり、ただ単にそれは室内でのトレーニングをしている可能性もあるという事。
だが、エミさんと思わしき霊気とは違うモノも感じられたのが疑問だった。
人間が発する霊気なのは間違いないのだろうが、どことなく邪悪な印象を受ける。
一口に言ってしまえば、嫌な感じ、だと表現すれば理解して貰えるだろうか?
具体的に言えば、ベリアルのような不気味な感じではなく、粘っこいような、それでいて纏わり付くような感じだ。
(……何だ?)
俺がその邪悪な霊気の大元の場所を探ろうと、店外に出て視線を巡らしてみれば、エミさんのホテルの斜め前………つまり、俺が入っていたカフェの横にあるホテルから発せられているのに気が付く。
しかも、その邪悪な霊気の持ち主が、ホテルの一室と思わしき窓から顔を出しており、丸いサングラスが特徴的な男だというのまで確認する事が出来た。
(……エミさんの霊気が高まったのと、あの男の霊気がほぼ同時に高まったのは偶然か? いや、正確に言うのなら、男の霊気が高まったのが最初で、その数分後にエミさんの霊気が高まっていたな)
偶然にしては、あまりに偶然が多過ぎる。
この世界には霊能者という存在が実在するが、その存在の実数は意外にも少なかったりする。
なのに、この広い東京の片隅にある道を挟んで、なかなか強力そうな霊気を感じさせる霊能者が二人もホテルの一室で休んでいるというのは変だと思える。
しかも、ほぼ同時に霊能力のトレーニングをしている可能性など有り得ない確率だろう。
その有り得なさを理解した俺は、何やらキナ臭くなってきたと感じて、思わず顔を顰めてしまう。
(崩壊が始まっているのか? いや、まだ原作が始まっていないのだから、そう判断するのは早いよな)
ともあれ、警戒しておくに越した事はないだろう。
そんな風に、俺が一応の結論を下した瞬間、カフェの店員が物凄い形相で俺の腕にしがみいて来て、思わずビビった。
何せ、店員さんがヤクザ顔負けの強面だったので、滅茶苦茶怖かったのだ。
誰だってこの店員さんに腕を掴まれたらビビる筈である。
それは兎も角、俺が何か失礼な事をしただろうかと疑問を抱いた瞬間、ハッとして身を竦ませた。
俺、料金を支払うのを忘れてました。すいません。
しかし、荷物であるリュックと財布が席に置いてあるままだったので、俺が食い逃げをするつもりがなかったのだと理解はして貰えたが、そこそこ説教される事になり、社会ルールというものをこんこんと説明された。
そして、その御説教という名の社会ルールについての勉強会が終わったのは、驚異の二時間後。
どうして此処まで長くなったのかと言うと、店員さんは俺が外国人だと思っていたらしい。
だからこそ、やたら”これが日本の常識“という単語を連発していて、それ故に俺の脳内では終始疑問符が浮かんでいた。
こんな両者の誤解が発生した理由は、向こう側の勘違いの原因は勿論俺のアルビノという容姿のせいなのだが、此方は三年ぶりに外国人と間違われたからである。
余りに久しぶりの勘違いだった為、それに気付く事が出来ず、そんな訳でここまで長く日本の常識について説明されていたのだ。
俺がもっと早く気付いて訂正するべきだったのだが、気付くのが随分と遅かったせいで、そして真剣に説明してくれる店員さんに申し訳なくて、途中で「俺は外国人じゃないです」と言いづらくなってしまい………。
ま、まぁ、それはもう良い。
それよりも、大事なのはエミさんの事である。
説教が終わった後………いや、勉強会が終わった後、深い溜め息を吐きつつ歩道で佇んでいると、陽が完全に落ちた時刻になって動きがあったのだ。
彼女は少し悲しげな表情と共に真っ黒な服装に身を包み、ホテルから突然出て来たと思ったら直ぐ様タクシーに乗り込む。
勿論、その姿を見失うものかと慌てて俺もタクシーを呼び止め、映画やドラマでしか耳にしない「前のタクシーを追ってください」という台詞を口にする。
すると、何やら目をギラギラさせ始めた運転手が、「任せてけろ! オラのドリフトを見せてやるだ!」と不穏な発言をしたと思ったら、本当に東京という大都市の中でドリフトをやりだし、俺は顔色を真っ青にしながらシートベルトを握り締めるしかなかった。
そうして、爆走するままに走り続けるタクシーは、次第に大都会の東京から離れて行き、少し長閑な街へと入る。
そして、エミさんの乗るタクシーが港に入る事で停止した。
恐らく、此処で仕事をするつもりなのだろう。
或いは、呪術で使う非合法の品物の取引かもしれない。
呪術に用いられる品物にはさまざまな種類があり、時には阿片や大麻なども用いられるので、それを調達する為にわざわざこんな辺鄙な所まで来た可能性も考えられた。
俺はそれらの可能性を考えつつ、メーターに表示された通りの料金を運転手さんに支払う。
だが、「こんなシチュエーションは初めてで興奮しただ! 料金は半額にしてやる!」との御言葉と共に本当に半額を返されて少し戸惑った。
何故なら、三万円の内の一万五千円を返された訳で、そんなにオマケして大丈夫なのかと心配したからだ。
本当に良いのだろうか、と思い自身の手にあるお金から視線を運転手さんに移すが、未だに目をギラギラさせている運転手さんが怖くて、礼を告げるとタクシーから降りる。
そして、走り去って行くタクシーを眺めつつ、俺は呆然と呟く。
「流石GSの世界だ。随分変わった人が居るもんだな」