天狗様に殴り飛ばされ、蹴り飛ばされ、投げ飛ばされる日々が着々と過ぎて行く。
上記の説明から分かるだろうが、徒手空拳での
しかし、勿論徒手空拳だけではなく、刃引きされていない真剣を用いた
死ぬ事はないし重症を負う事もないのだが、俺が何度も死を予感したのは間違いないだろう。
何せ、俺の相手は武術の達人である天狗様なのだ。
天狗様が刀を振るう度に、死神が俺の脳裏に浮かぶのも当然だと言えるだろう。
そんな日々が一年過ぎ去り、この烏天狗の森に来てから合計二年が経過した今日、天狗様から初めて完全休息の日にすると告げられた。
当然、弟子入りして初めての休日を与えられた俺の心は有頂天であり、一日ダラダラしてようと考えていた。
だが、ふと何か嫌な予感が過る。
今日から丁度一年前に、俺は天狗様になんと言われただろうか?
そう、「今日まで一年、良く頑張ったのう。喜べ、今日からはひたすら
ともすれば、またあの時の様な不吉な発言があるのではなかろうか?
「………これは由々しき事態だ」
俺の脳裏に過る予感とやらが、もしかしたら霊能力による勘だとしたら、これを放っておくのは間違いだろう。
原作でも美神が何度もその霊勘によって、自身に振り掛かる災いを事前に感知していたし、放っておくなど愚の骨頂と言える。
この二年の間に、俺の霊力が飛躍的に高まった事も加味すると、俺が霊勘を発揮しても可笑しな話しではないだろう。
「……しかし、具体的に何が自分の身に振り掛かるのか判然としないし、どう対策を取るべきか……」
未来予知などという高度な事が俺には出来ない。
故に、知恵を振り絞って予測するしかなく、俺は暫し思考の海へと沈む。
そうして、暫く考え込んだ末に導き出した答えは、師匠(天狗様の事。ここ一年で師匠と呼ぶようになった)との
有り得ない話しではないだろうと思う。
徒手空拳や刀術もそれなりに仕上がってきたと思えるし、その仕上げの総決算として、実戦を俺に経験させる可能性が高い。
もしかしたら、俺に今日は休日だと告げて何処かに行った師匠は、今まさにその実戦の相手となる妖怪を捕まえに行っているのではなかろうか?
「ヤバい………一旦そう考え始めたら、もうそれ以外に有り得ないんじゃないかと思えてきたぞ」
背筋に氷を当てられたかの如く、一瞬ゾクッとした感覚に支配された俺は、反射的に勢い良く立ち上がる。
そして、それならば対応策を考えようと、再び思考の海に沈む。今度は、先程よりも深い海の底へと。
いったい何れだけの時間が過ぎたのか、それが自分でも分からぬ程に熟考していた俺は、一応の対策を打ち立てると、その為の行動に移る。
その辺にあった倒木を板状に刀で切り、その板をスコップ代わりに地面を掘る。
そして、俺の腰まで入るくらいの穴を掘り終わると、木の枝を数本使用して網目状にした。
更にその上から、枯れ葉を被せれば簡易的な落とし穴の完成だ。
だが、この一つの落とし穴で万全とは言えないだろう。
俺はそう思い、更にもう一つ、二つ、三つ、と落とし穴を作成して、最終的には十個も完成させた。
「ふふふ、勝てば良かろうなのだ」
この一年は、常々師匠に言われていた事がある。
それは、”実戦では何があるのか分からん。故に、害意ある罠や思考の罠などに常に注意するよう心掛けよ“と教えられると共に、何度も罠に嵌められていたのだ。
ならば、それを俺が実践しても問題無い筈。
ちょっと卑怯な気もするが………いや、俺は何度も苦渋を味わわされた身なのだから、問題無いな。卑怯とは思わんし、申し訳ないとは思わん。
「うむ。勝てば官軍、負ければただの犬だ。俺は畜生まで堕ちぬぞ」
この一年で、俺は何かを失った気がする。
道徳観か?
倫理観か?
それとも、純粋な心だろうか?
ま、まぁ、それも致し方ない。
何せ、それ程に壮絶な二年間だったのだから、何かを失ってしまうのも仕方ないだろう。
こんな風に俺が新たな自分を得られた様に、人は生きている限り何かを捨てては何かを得て行く。それが人生というものなのだから。
そんな事を内心で考えつつ、俺が自分の行いを正当化していると、何者かの気配を感じてその方向へと警戒しながら刀の柄に手を乗せる。
すると、妙な服装をした者が一人歩いているのが目に映った。
この森の中で忙しなく視線を右往左往させている長髪の男は、警戒し続けている俺に気が付き走り寄って来る。
だが、その男の進む先には、俺が作成したばかりの落とし穴があった。
ここで壊されたら、先程までの苦労が水の泡になってしまう。
そう思い至った俺は、中腰で柄に手を乗せたまま叫ぶ。
「何者だ!? それ以上近付くのは許さん!」
俺の制止の声には、霊気と殺気を一緒に乗せていた。
故に、髪を結っている長髪の男は、俺の本気を悟って足を止める。
そして、俺の顔をまじまじと見ながら、男は口を開く。
「……この森に、何故そなたの様な子供が居る? しかも、良く見れば白子ではないか」
男が言う白子とは、年配の人が使うアルビノの通称である。
昔、俺が仕事先に行った時などに、年配の人に「白子の人なんて初めて見たよ」とか「白子って本当に居たんだねぇ。噂で聞いた事はあったけど」なんて事を言われていたから身に染みて知っている。
ともあれ、しかし目の前の男の年齢は、俺からすると三十代にしか見えず、アルビノを白子と呼ぶような年齢には見えなかった。
その事に違和感を持った俺が、顰めっ面をしてしまう。
すると、そんな俺の表情を見て、男は俺が気分を害したと勘違いしたらく、慌てたように言葉を発し始めた。
「あ、いや、すまん。侮辱したつもりは無いのだ。珍しい白子を見て、しかもそんな人物が此処の様に剣呑な森に居る事に動揺して、思わず口に出ただけだ。
改めて謝罪する、申し訳ござらん」
「……別に白子と言われたから不機嫌になったとかではありません。その白子という呼び方が、貴方の年齢に似つかわしくないな、と思って不思議に思っただけです」
「ん? 白子以外に、呼び方があるのか?
「あの、先程から何故侍言葉を? それに、その服装はまるで本当の武士の様に見えるのですが……。何かの撮影ですか?」
「ははは、
「は………? いや、えっと……まさか、もしかして、ですけど……」
侍言葉の武士としか思えない目の前の男と話していると、妙な既視感を感じざるを得なかった。
そして、原作の中での話しを唐突に思い出す。まるでフラッシュバックかの様に。
「……ポチ?」
俺が口にしたポチという名は、横島の弟子となるシロの父を斬り殺した男の名前だ。
そして、シロもシロの父を殺した男も、人間ではなく人狼であった。勿論、斬り殺された父も。
その時の漫画の描写がフラッシュバックの様に脳裏に浮かんだ俺は、思わず名前を口にしてしまった。
すると、当然目の前の男は、先程までの俺の様に警戒するかの如く、腰に差した刀の柄に手を乗せる。
「ッ!? な、何故
「友………?」
男の発言が真実なら、目の前の男は犬飼ポチではないという事。
そして、犬飼ポチを友と呼ぶのなら、目の前の男はシロの父親?
だとするなら、何故シロの父親がこんな森に居るのかと疑問が浮かぶ。
その事に思考を傾けたいが、かなり警戒されていて集中出来ない。
殺気が鬱陶し過ぎるのだ。
「あー………俺の霊勘で、なんとなく思い浮かんだ名を口にしただけです」
「霊勘、だと………? う〜む、確かにそなたから感じられた霊気からすると、かなりの退魔師なのだろうと思えるし………有り得ぬ話しではない、のか?」
俺の苦し紛れの方便を聞いた目の前の人狼は、一応納得したらしく柄に乗せていた手を退ける。
それを見て、この方便は結構使えるな、と思い少しほくそ笑んだ。
ともあれ、それより重要なのは、何故此処にシロの父親が居るのかという事である。
何か原作に関わるストーリーでもあったのだろうか?
もしくは、原作では語られぬストーリーだろうか?
そう考えながら、俺は首を傾げたまま暫し目の前の人狼を眺めつつ考え込む。
すると、そんな俺の視線に耐えきれなかったのか、はたまた急ぎの用事でもあるのか、兎も角少し焦った様子で視線を右往左往させ始める男。
それを見て不思議に思った俺が、何をソワソワしているのかと尋ねようとした瞬間、逆に向こうから質問された。
「つかぬ事を聞くが、この森には天狗が居る筈ではござらんか?」
「は? いや、まぁ、居ますけど。それが何か?」
「うむ。実は
「天狗様なら、今は森から出ている筈です」
「なんと!? 不在であったか!
……して、何時頃戻られるのでござる?」
「さぁ? 二時間後か三時間後か、兎に角この場所に戻って来るのは間違いないですよ。少なくとも、今日の夕刻前には帰って来る筈です」
「そうか、それは喜ばしい事実でござる。しかし、何故天狗の動向をそこまで詳しく知っておるのだ?」
「それは俺が天狗様の弟子ですから、詳しくて当然ですよ。……因みに、弟子入りして三年目になりますね」
俺が弟子だと告げると、男はギョッとした様に瞼を開いた。それはもう目玉が零れ落ちんかの如く。
多分、そうなってしまうくらいに天狗様が弟子を取るっていうのが有り得ない出来事なのだろう。
実際、俺の師匠となった天狗様が、人を嫌って隠れ潜んでいると言っていたのだし、余程有り得ない出来事だったのだろうとは察せられる。
「す、凄いでござるな。天狗殿の弟子でござったか」
「はは、まぁ、運良く弟子にしてもらっただけですけどね。
それで、御名前を伺っても? 俺の名前は
「し、失礼つかまつった。今の今まで名も明かさず、大変礼を失しておった。
俺が頭を下げながら名を告げると、同じく向こう側も名を名乗りつつ頭を下げて来た。
それで一つ疑問だった事が、はっきりと確定する。やはり目の前の男性は、犬塚シロの父親だったのだと。
ならばもう一つの疑問を払拭させるべく、俺が口を開こうとした瞬間、その必要が無くなった。
何故なら、原作のストーリーを思い出したからだ。
それ故、俺は確信を突く質問をする事に決め、まず間違いないだろうと思いつつ尋ねる。
「もしかして、薬を求めて天狗様の下へ?」
「流石は天狗殿の弟子でござるな、
少し驚きつつも、妙に感心しながら認めるキバさん。
それを受けて、また一つ疑問が払拭出来た。
恐らく、原作でも描写されていたシロの為の薬を求めて天狗様に会いに来た話しで間違いないだろう。
と、そこまで考えて、俺はハッとさせられた。
何せ、上記の理由で此処に来たという事は、俺の師匠が原作に登場する天狗だという事実に繋がるのだから。
俺は自分でも知らぬ間に、原作に登場する人物と出会っていたんだな。それも、その人物の弟子になるという意外な形で。
妙な気分に包まれながら、暫くキバさんと話し込む。
此処に来た理由を互いに話したり、人狼の里に居るシロの話しを聞かされたり、そして人俗の世に関する話しをしたり、そんな風に数時間を会話しつつ楽しく過ごした。
俺が師匠以外の人と接する機会が皆無だったのもあるのだろうが、かなり話し込んでしまっていたと思う。
それに、キバさんの会話の運び方などが、俺が出会った人々の中でもトップ10に入るくらいには上手かったのも理由の一つとしてあるのだろう。
滅茶苦茶楽しくて、時間が過ぎるのがあっという間に感じられた。
そうして、もう暫くすると夕刻になるという時間になって、キバさんの目的であった薬を所持する師匠が帰って来た。
勿論、見慣れぬキバさんを見て怪訝そうにしながらの帰還である。
だが、俺が警戒していたような妖怪を捕まえての帰還でなかったのは意外であったが。
その事にホッと胸を撫で下ろしていると、キバさんが神妙な顔をして師匠に土下座した。
「天狗殿、お頼み申す!」