本当に長らく放置してしまい申し訳ありません。
選択科目のオリエンテーションがあった日の、翌日。
みほは纏まらない思考の中で、ただ怠惰に歩みを進めていく。
「……」
そのまま、やや俯き加減で歩いていく。
その近寄りがたい雰囲気に、話しかけてくる者はいない。
「み~~ほっ!」
そんな彼女の陰惨とすら言える雰囲気に真っ向から突っ込む者と、それに続くものが一人。
「おはようございます、みほさん」
武部沙織と、五十鈴華。つい先日友人となった二人は、あからさまとすら言えるほど異常な雰囲気をその身から隠すことすらせずに駄々洩れさせる彼女にまさか正面から突っ込むことができるのは、ひとえに沙織のコミュニケーション能力の賜物なのだろう。
「……で、結局選択科目どうしたの?」
先日向けられた表情のこともあってか、さすがの沙織もやや遠慮がちに聞いていた。
「……」
す、と嫌味にならない程度にさりげなく上品な動作で差し出されたその選択科目調査願には、『香道』の項目に丸印が書かれていた。
俯き加減になっているみほの表情は、うかがい知れない。それでも、明るくはないことが分かった。
「……そっか」
沙織は一言いうと、でかでかと書かれた自分の調査票の戦車道の丸印に上から罰を付け、行動に付けなおしていた。
「ごめんね、無理行っちゃって。
そこまで選択科目に拘っている訳じゃないからもうみほのと一緒にしちゃおう!」
あっけらかんと、明るく言い放った沙織。その横では、華も静かに自分の付けた戦車道の項目の丸印を上からバツ印で上書きし、行動に丸印を付けなおしていた。
「私も、よろしければ」
言った言葉は二事だったが、かえって言葉を飾るよりも気持ちを伝える役目を果たしていた。
「沙織さん、華さん……」
みほの中では思案の外だったというべきその反応に、思わず笑みを浮かべて二人を熱っぽく見つめていた。
二人は、その視線に笑みをもって返す。
―――事件が起きたのは、昼休みの事。
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「でさぁ、コレどういう事?」
角谷杏が突き出したのは、みほが提出した
実にふてぶてしく、尚且つ分かりやすく不機嫌であることの分かる顔で此方を煽ってくる。
「戦車道を履修するようにお願いしたはずだよね?」
そもそもお願いには強制力は無い上、仮に強制力のある形で言っていたとしてもそれを支える権力が無い生徒会である以上は本来言いがかりもいいところの発言ではある。
だが、角谷杏はそこのところに特に触れることはせず、ただひたすらに圧をかけてきている。生徒会書記でもある方眼鏡の河鳴桃は同調するように笑みを浮かべており、生徒会副会長の小山柚子は懇願するような視線を向けてくるだけで止めたり躊躇するような様子は見受けられない。
さらに、売り言葉に買い言葉と言う物か。余りにも不安がるみほを心配して一緒に来てくれた五十鈴華と武部沙織と生徒会一同の口論に発展していた。挙句の果てには、華道の授業にも指導役として顔を出している母に今回の一件を伝え、大洗学園艦の華道指導から身を引いてもらえるよう直談判することもいとわないと言い出したのだ。
だがそれでも生徒会側は譲らないの一言。全く収集など付く様子もない。
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みほは、その光景に激しい違和感を覚えていた。
一見すれば強権的にみほを戦車道の世界に引きずり込もうとしているだけだが、五十鈴華の存在がその光景に違和感を植え付けていた。
(……華道の一流派の家元が直々に指導してくれている状況で、それを捨ててでも戦車道を優先する?)
これが、ただの一生徒二人だったなら、残酷かつ無情な言い方ではあるが切り捨てられるだけだったかもしれない。だが、冷静になってみればみほの再転校の可能性を潰し切れておらず、さらに自校のアピールポイントとも言える華道の家元が指導員として来てくれる、と言う状況を自ら捨てようとしている。
学園艦、と言う物がその莫大な維持費と内部の仕組みから単純な教育機関としてのみ維持することが難しい以上、何かしらの特徴付けは必須とすら言える。それに失敗した学園艦の行き着く先は、主に老朽化を理由にした解体などによる廃艦処置。言い方こそ悪いが、生徒会長は一歩間違えれば自らその状況に突っ込みかねないことをしている。
(……何を、隠しているの?)
この時点で、みほはある種の確信を抱いていた。彼女たちは何かに焦っている。後が無くなるほどの何かに焦っている。
「二人とも」
言い争いの声が響くその空間の中で、みほの声は不思議と通った。ごく自然に、それが当たり前であるかのように全員の耳と意識に届き浸透していく。
「折角付いて来てもらって、申し訳ないんだけど……」
その時の笑顔に、手を握っていた二人は見覚えがあった。
FA道履修を止めるように勧めていた時と、同じ。鋭利な氷のような笑顔。
「少し、生徒会の人たちと私だけにしてくれないかな?」
その言葉に泡を食ったのは生徒会よりもむしろ同伴者である二人だった。混乱に叩き込まれた思考の中で、なんとか言葉を紡ごうと頭を動かす。
「ちょちょ、みぽりん何言ってんの!?」
「わ、私達でしたら気にする必要はありませんよ。ご無理をなさるようなことは」
「大丈夫」
来る前とは打って代わり、穏やかさすら感じられる声音で二人の混乱に満ちた思考を早々に止めたみほは、むしろ率先して彼女たちに体質を促した。
その背を座ったまま見ていた生徒会長、角谷杏はその顔に笑顔を張り付けたままそれを見つめていた。
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「……で、お友達を返したのは一体どういう魂胆なの? 西住ちゃん」
角谷杏は困惑していた。当たり前である。
ついさっき、ほんの1分すら経っていないその間に明らかに西住みほの様子が様変わりしていたからだ。とても悪い言い方だがこの生徒会室に来たときは怯える子羊だった存在が、急に狼か熊にでも変貌したかのようだった。
あまりに変貌のしように、角谷杏は内心で大いに困惑していた。余りの状況の変わりように、角谷杏ができたことは不敵な笑みを顔面に張り付けるのみである。
「私は交渉やら何やらは全く得意ではないので、単刀直入にお聞きします」
その時の笑顔を、おそらく角谷杏は一生、忘れる事は無いだろう。あれほど、暗くて不気味で冷たい、氷のような笑顔を、他に見る機会などないのだから。
あるいは、そんな笑顔を
「一体、何があったんですか?」
杏を継いで襲ったのは、強烈な動揺。見透かされている、と一瞬考えるが、情報の漏洩は無かったはずだと考えなおし、今まで通りの不敵な笑顔の仮面を被り続けることを決める。
「何があったって……何を言ってい」
「はっきり言いますが、今現在の貴女達生徒会の行動は強権的に進めているように見えてその実、杜撰もいいところです。
自身の言葉を途中で切ったその声音は柔らかく、優しさすら感じる。なのに、言葉そのものの鋭さは下手な刃物などよりよほど鋭く杏の心に突き刺さった。
「……何もないって、言ったら?」
務めてそれまで通りの仮面を被り続けることを意識しながら、
「分かりました。
でしたら、明日の新聞の朝刊にさぞ面白い記事が載ることになるでしょうね」
「……面白い記事?」
怪訝な、だが不敵さと余裕を張り付けた顔のまま
「FA道を強要した生徒会の対応に心労が溜まって自殺した生徒が出た、とか」
その言葉は、杏の頭の中を真っ白にするには十分過ぎた。
「何を、言って」
「自殺する手段なんていくらでもありますし、いくら学園艦がある程度の自治が認められているとは言っても国家権力に抗えるものではありませんからね。つまり、警察の捜査に介入することはまず不可能ですし、何か小細工しようものなら証拠物隠匿か公務執行妨害か……まあ、そこら辺の何かしらにはなるでしょうから、能動的に証拠を隠すことは不可能と考えて間違いないでしょう。
そこで、遺書の一つでも残しておけばほぼそれが真実として扱わるでしょうし、捜査情報として一般の報道機関にでも流れれば他の報道機関だって飛びついてきます。ましてや、昨日の集会で生徒会の皆さんが仰っていたようにFA道の界隈は盛り上げていこうとしている時期ですが、その中で出たある種の不祥事なんて報道機関からすれば格好のネタです。こぞって調べ上げる事でしょうね」
淀みなくスラスラと、自身の死を前提としている展開をみほは淡々と述べ上げていく。その笑顔は変わらぬ笑顔のまま。
「調べ上げた結果の中に生徒会の名前があれば当然会長たちにも矛先が向くでしょうね。いくら躱したところでマスコミってしつこいですから、卒業前には情報が割れるでしょう。そもそも、FA道関係で私が直接会長たちに勧誘を受けていたり呼び出し食らったりしていることは少なくても私のクラスの生徒は知っていることですから現実的に口止めしきるのは難しいでしょうね。もしそうなったら……そうですね。FA道そのものに対する強硬姿勢をマスコミは大袈裟に報道するでしょうし、そうなれば今のこの機運に確実に水を差す事態になるでしょうから適当な理由を付けて連盟は大洗の参加を認めない方向に動くでしょうね。ついでに大洗学園艦もここまでの事態になるまで生徒の自治と言う名目で放置したという事実が出来上がってしまいますから、当事者たちが何を言い訳したところで無意味です。正義を決めるのは大衆ですから……きっと大洗学園艦は最低でも廃艦措置、自治やそれを認めていた経営責任者たちにも白い目が向けられます。先のFA道関係者からの目線も含めて、それ以前と同じ生活は難しいでしょう」
生徒会書記として傍らに立っていた河鳴桃はみほの語る内容をありありと想像してしまったのか既に顔が青く、生徒会副会長を務める小山柚子も口から洩れそうな何かを必死にとどめるように口を覆っている。
「……西住ちゃん、アンタ何者?」
杏はこの場における立場の変化を、この時確信した。捕食者のつもりだったが、みほが二人を返したあの時あの瞬間から彼女は自身の生存すら道具とする――ある種の異常性すら持った
「FA道以外での価値が何もない、ただの一個人ですよ。
その意味では私も貴女も何も変わりませんよ」
一歩のみほは相変らず、形だけは愛くるしさすら感じる笑顔を浮かべている。なのに、そこに感じられるのは氷のような冷たさだけ。
「……参ったね、これは。
降参だよ、西住ちゃん」
さして長く思考することも無く、杏は彼女に対して主導的な立場になることを諦めた。もう既にこの時、杏は確信していたからだ。
彼女と自分では、持っているモノが違う、と。
「でもさ、私達ももう後戻りできないんだよね」
だが、引くに引けないのは杏とて同じ。故に、手段を選ぶ機などなかった。
「ええ、ですからその内容を教えてくれませんか?
内容次第によっては私のほうも何か力になれるかもしれませんしね」
どの道、今から彼女たちがやろうとしていることには彼女の、西住美穂の協力が必要不可欠なのだ。