「ひぅっ!」
なでしこは包丁を入れる瞬間、ビクッと跳ねる鱒にたじろぎながらもなんとか作業を続けていく。隣からは恵那の「大丈夫?」という心配そうな声も聞こえてきたが、なでしこは「へいきへいき」と笑って返し、ぽつぽつと話し始めた。
「お姉ちゃんって昔から色々厳しかったんだけど、でもそれと同じくらい優しいんだぁ。今回のこともいろいろ手伝ってくれたし、それに、こうして魚を捌けるようになったのも、お姉ちゃんが命を頂くってことを私に教えるために考えてくれたからだし、感謝感謝だね」
「そっかぁ、良いお姉さんだよね。私達もお世話になってるし、感謝感謝だね」
「せやねー、今度ちゃんとお礼せんとなぁ」
会話しながら下ごしらえを続ける二人の後ろから、あおいがにゅっと顔を出す。さっきまで向こうにいたはずのあおいの行動に「うひぃ!」と奇声を上げるなでしこだったが、さらにその後ろからリンが声をかけてきた。
「とりあえず向こうは何とか形になったから、手伝いに来たよ。火の番も千明に任せておけば大丈夫でしょ」
そんなリンの言葉に返事をするように、かまどの方から千明が煙を吸い込んだのか、咳込むのが聞こえた。
「ありがと、でも切るものはある程度家でやって来たし……この辺のお皿とか持ってってもらっていい?」
「あきちゃんはこれお願い、ちょっと時間かかるかもだから、もし炭が育ってたら焼き始めちゃっていいよー。強火の遠火で!」
手伝いに来た二人に、食器やすでに下ごしらえ済みのものを持って行ってもらう。そして、なでしこがあおいに渡したのは串を打った人数分の鱒だ。
「おっ、聞いたことあるでー、強火の遠火やね!」
そう言いながらサムズアップをしてなでしこから鱒を受け取ると、リンと一緒に戻っていく。
「なでしこちゃん、こっちは終わったけどそっちはどう?」
「んー、このおっきいのはちょっとそのまま焼けないから、別の料理を一品作ろうと思うんだけど……恵那ちゃん、この辺の野菜とコレ、少し貰っていい?」
「なるほど、あれを作るんだね。いいよいいよーどんどん使って!」
それを聞いて、あるキッチン用品を手にしたなでしこはさっそく調理を始めた。野菜の下ごしらえは恵那に任せて、自分は大きな鱒を捌いていく。
今日釣り上げた中でもひときわ大きい鱒……ブラウントラウトのぬめりを包丁の背を使ってこそげ取ったら、まずは三枚におろして片身をそれぞれ三切れずつに切り分けていく。
「ふんふんふーん、塩コショウをパラパラーっと振ったら、薄く油を塗ったアルミホイルの上に、皮を下にして乗せまーす」
「いいねいいねー、野菜はこんな感じでいいかな?」
「うん、ばっちりだよー。ありがとー」
鼻歌を歌いながら準備をしていくなでしこに、恵那が野菜の大きさを尋ねる。恵那が切っていたのは玉ねぎ・エリンギ・しいたけだ。これをアルミホイルの上の切り身に乗せていき、最後にバターをひとかけら落としてホイルで包んでいく。
「よし、後は焼くだけだねー。ここにハーブがあるともっと美味しいんだけど」
「ハーブ?何が合うのかな?」
「んー、淡白な魚だとタイムとかフェンネルとか?」
「おー、なんかおしゃれだね」
「えへへー、って言ってもこの前本で読んだのをたまたま覚えてただけなんだけどねー」
そういって二人は今まで作っていたホイル焼きと他の食材を持って三人の所へ向かって行った。
「みんなー、お待たせー」
「やっときたな、塩焼きも良い感じだぜー!」
千明の言う通り、網の上に置かれた串打ちの虹鱒は焦げ目のついた皮がパチパチと弾け、おいしそうな音と匂いが食欲を誘う。
おいしそーと声を上げながら、丸太を切っただけの椅子に座る二人。その二人に飲み物が渡ると、千明が口を開いた。
「よし、じゃあ乾杯しようぜ、乾杯!今回の言い出しっぺのしまリンよろしく!」
「うえっ!?……えぇー……」
あからさまに嫌そうなリンだったが、他の四人の期待を込めた目線を受けて諦めの表情を浮かべると、一つため息をついた。
「……わかったわかった……えっと、今日は急な思い付きだったのに参加してくれてありがとう。初めてだったけど、皆釣れてよかったし楽しかった……じゃぁ、乾杯」
いつもの淡々とした口調ながらも、軽く笑みを浮かべつつ乾杯の音頭を取ったリンに合わせて、他の面々も「乾杯!」と声を揃えた。と同時にそれぞれの愛用のマグを合わせると飲み物もそこそこに、鱒の塩焼きに手を伸ばした。
「あつっ!……でも、うまい」
「身がふわふわだねー」
「こういうのもええなぁ」
「ねぇねぇ、お野菜焼いていい?」
「いいぞ、どんどん焼いてけー」
こうなるともう後はいつも通りだ。次々と野菜や肉が焼かれていき、それを取りとめもない話をしながら食べていく。まぁ、いつもならここに顧問の美波もいて、ビールなんかをあおっているのだろうが……今頃はテストの採点とまとめに追われている事だろう。
そんな時、千明があるものに気が付いた。
「なでしここれは?めっちゃいい匂いなんだけど」
「ふっふっふ、よくぞ気が付いた」
「いや、気が付いたも何も、結構場所取ってるぞ?」
千明が聞いたのは例のホイル焼きだ。千明の言う通り先ほどから網の半分ほどを占領しているそれは、アルミホイルの隙間からシュンシュンと白い蒸気を上げて美味しそうな匂いをあたりにまき散らしていた。
そんな千明のツッコミをスルーしつつ、そろそろいいかなーと言いながら一つずつ皿に乗せて、皆に配って行く。
「さぁ、どうぞー、ぶらうんとらうと?のホイル焼きだよ。醤油をちょいと垂らして食べてね」
「うわ!やば、美味そう!」
ホイルを開けるなり千明がそんな声を上げると、他の三人もそれに賛同するように「うわぁ」と声を出した。
「おおぅ、これはなかなか……」
なでしこが一足先に口に入れると、熱さのせいか美味しさのせいか、軽く身もだえながらつぶやいた。するとそんななでしこの後ろから、レッスンをしてくれたお姉さんが声をかけた。
「あらぁ、おいしそうなの食べてるわねー」
「あ、お姉さん。休憩ですか?」
「ええ、今ぐるっと見回りしてきて休憩に入ったところよ。みんなが楽しそうにしているから思わず声をかけちゃった」
お姉さんはそう言いながら、良かったらどうぞと勧められた椅子に座ってドリンクをもらった。すると今度はなでしこの方から話しかけた。
「そうだ、これ一個余ってるんで食べませんか?良かったらなんですけど……」
そう言ってなでしこが手渡そうとしたのは、ホイル焼きだ。半身三切れずつで切ったので、一切れ余っていたのだ。
「いいの?じゃあせっかくだから頂こうかしら。ちょっと小腹もすいていたし……へぇ、ブラウントラウトをホイル焼きにしたのね。いただきます」
お皿を受け取りながら料理の説明を聞いて、感心したようにそう言うと身をほぐして口へと運ぶ。
「んー、おいしー。ブラウンって鱒の中でも結構おいしい部類なんだけど、これはきのこから出た旨味と玉ねぎの甘味、バターのコクが身にしみこんでてさらに美味しいわね」
お姉さんの反応を、固唾をのんで見ていたなでしこも、ほっとした表情になって隣にいたあおいとハイタッチを交わす。
「私はフライにすることが多いんだけど、今度はホイル焼きにしてみようかしら。あ、ムニエルも美味しいわよ」
「へぇーフライですか……ムニエルも美味しそう。どうやって作るんですか?」
とそんな感じでなでしことお姉さんが料理談義を始めてしまった。二人の両脇にいたあおいと恵那も、その話も興味があったようでなでしこと一緒になってお姉さんの話に耳を傾けていた。
(にしても、先生も残念だったなー、こんなに上手いバーベキューを肴にビールが飲めたのに……あ、でも今日はキャンプじゃないからどっちみち飲めなかったか。てことは飲めずに生殺しじゃない分、来れなくて良かったのか?)
(結構釣り楽しかったな……今度のソロキャンは釣り出来るとこ……あー、でもお母さんが湖畔でキャンプするのとは訳が違うから、一人で水辺に近寄るなって言ってたしな……しばらくは皆と一緒か。次は先生も来られると良いんだけど)
ちょっと離れたところに座っていた二人は、肉や野菜をかじりながらそんなことを考えていた。次は先生も……と考えている辺り、リンも野クルにだいぶ馴染んだものである。
――その頃、県内某所。
「えっくし……室内とは言え半そではちょっと早かったかしら?…………それにしても、今頃あの子達は釣った魚でバーベキューかぁ。良いわねぇ……焼きたての鱒の塩焼きにビール……あ、日本酒っていうのもアリかしら? 残った骨を軽く炙って、骨酒・ヒレ酒……山女魚とか岩魚なら骨だけじゃなくてそのまま入れても良いわね……うぅ、次は絶対行くんだから……」
一人の女性教師が、泣きながらテストの採点をしていたとかいなかったとか……
「さて、そろそろ仕事に戻らなくっちゃ。ごちそうさま、おいしかったわ」
「こちらこそ今日は色々ありがとうございました。それと、せっかくの休憩時間なのになんだかすみません」
短い休憩時間を自分達に付き合わせてしまったことを詫びるリンに、お姉さんは笑って手を振った。
「いいのよ、美味しいものも食べさせてもらったし……それにいつもはほとんどおじさんの相手ばっかりだから、若い子達と話ができていい気分転換になったわ」
最後に帰る前の片付け方等を確認すると、お姉さんは「また来てねー」とクラブハウスに戻っていった。
そろそろ帰る時間も近づいているということもあって、バーベキューもこれにてお開き。それぞれ手分けしながら片付けを進めていく。
「リンちゃん楽しかったねー」
「ん、そうだな。何より釣れてよかったよ」
「あー、確かにー!釣れてよかったよー。それと、次はキャンプしながらかな?」
「だな。実はここのすぐ近くにもキャンプ場があるみたいだし、今までに行った本栖湖とか四尾連湖でも釣りができるみたいだぞ?」
「え?そうなの?……そう言えば釣り人もいたような……気が?」
「ま、ああいう自然の湖だと初心者にはなかなか釣れなさそうだけどな」
「うっ……しばらくはこういうところの方がいいかもね……」
それから桜が迎えに来るまでのしばらくの間、山間の管理釣り場に楽しそうな声が響いていた……
なんとか書き始めた切っ掛けでもある
「皆に釣りをさせたい」という目的が達成できました。
とは言え、これで終わりにするわけでは無く
原作で言うところの「へやキャン」的なのを挟みながら他の所にも
釣りに行ってもらう予定です
不定期更新で申し訳ありませんが、今後ともよろしくお願いします
お読みいただきありがとうございます