強欲ルフィ 作:炭素
ウソップの日。
母ちゃんが死んだ。
まだ少年とは言えない年齢の、その子どもは、海岸の端っこで独り、心ここに有らずな様子で夜の海を眺めていた。
母を墓に埋葬したのはーー日付が変わる前のーー昨日のことだ。
今晩はうちに泊まってはどうかという、村長の申し出は断ってはみたものの、子どもはベッドに入っても一向に寝つけなかった。
母のいない家が、一人きりの家が、寂しくて堪らなかったのだ。
「父ちゃん…」
子どもは、悲しみで喉を濡らしながら呟く。誰にも届かないその声は、波の音に容易く掻き消された。
それから、動くのも億劫になった子どもが、海に目を向けたまま、うとうととし始めた時、子どもの周囲一帯に巨大な影が射した。
「な、なに…」
月明かりが遮られ、影の中にいる子どもは、突然訪れた恐怖によって意識を覚醒させた。
おそるおそる見上げるーー子どもは、目を丸くさせた。
雲一つない夜空に、円状の巨大な雲がプカプカと浮いていたのだ。
「す…すげェェ!!」
子どもの目が、星のようにキラキラと輝いた。得体の知れないものを前に、冒険心が恐怖に打ち勝ったのだ。なぜなら、子どもから見える雲の底に、人工物らしきものを見つけたからだ。
本来ならば、人目につかないそれは、飛び抜けて視力が優れた子どもによって、見つけられてしまった。
その時。
ひゅー、と風を切る音が辺りに鳴り響いた。興奮の最中にいた子どもは、その音に気づけなかった。
直前には、見えた。しかし、気づけたそれに、子どもの身体は反応できなかった。
「ひっ」
ドロリとしたものが、子どもの片目を覆った。
反射的に瞼を閉じるも、焼くような激痛が、子どもを蝕む。
幼い精神は耐えきれず、悲鳴をあげることもなく、その意識を終わらせようとする。
しかし。
意識を闇が覆い尽くす寸前、子どもにある感情が生まれる。
その子どもが最後に抱いたのは、悲しみ、恐怖、後悔、苦しみーーでは、なかった。
それは、引き出されたのだ。
ーー父は、勇敢な男だ。
勇敢に海へ旅立った、誇るべき父。そう、母が言っていた。だから、自分も父を誇りに思っている…父と同じように夢だってみる。 だっておれは、海賊の息子だから…
……違う。違う。違うーー!!!!
母の死に際の顔は、寂しそうだった。言葉は力強かったけど、無理に笑っていることに気づいていたのだ。
海に出て、何の便りも、手紙の一つも寄越さない父。
海賊。それは…それは母よりも大切なものなのか。
ーーくだらない!!何が…母ちゃんをほっといて…何が勇敢だ!!!
子どもが抱いたのは、原初の感情。
それは、幼い心のままに任せた、我が儘とも言えた。
しかし確かに、その小さな怒りの炎を今、胸に灯したのだ。
ぷつん、と意識が途切れる。そのまま、前のめりに地面へと倒れていく。
涙を溢れさせる左目の瞳が、赤く光り輝いた。
半日後、その子どもが家にいないことに気づいた村人達より、捜索が開始される。
倒れていた子どもを見つけたのは、村の外れに屋敷を構えた富豪に仕える、年配のメイドだった。
「大変…鼻が…折れてるーー!!」
子どもは、富豪の屋敷に運ばれる。
しかし、村人達がホッとしたのも束の間。子どもは一向に目を覚まさなかった。一日、一ヶ月、一年ーーいくら経ってもだ。
外傷は見当たらない。頭を打った跡も…傷一つない。その子どもを心配した屋敷の主人は、再度医者を呼んだ。
診察した医者は、目を見開いて唖然とした。以前にその子どもを診察した時はなかったそれに、言葉を無くした。
左目、そこに黒の瞳はなく、円環の蛇が刻まれていたのだ。
ーー呪われている。
医者は、心の中で考えたその言葉を口にはしなかった。先月、子どもの母親の死を看取った医者は、その子どもをそれ以上不幸にさせたくなかったのだ。この事実は、医者の胸のうちに留められた。
だが、医者の不安は消えることになる。そのまた一ヶ月後に診察に訪れた際には、その紋様は消えていたのだ。普通の、円くて黒い瞳があった。
それからも、医者が、ウロボロスの紋様を見ることは二度と起きなかった。
斯くして、親を失い身寄りがなく、眠り続けるその子どもは、富豪の夫婦の温情によりその家に引き取られる。
それから七年もの間、子どもは一度として目を覚ますことはなかった。
~~~~~~~
少年が目覚めてから、一年後ーー。
まだ日も出ていない早朝。
屋敷の柵の周りを走る、一つの影があった。
ランニングを終えれば、身体を伸ばして、基礎的な筋力トレーニング。
そして、木で作られた剣を構え、
太陽も、もう顔を出していた。
屋敷へと戻ってシャワーで汗を流した後、ベッドへと入った。
開いている片目を閉じる。
「ウソップさん!おはよう!」
耳に届く元気な声と共に、鼻にぎゅっと感じる圧迫感。しかし、ウソップは動揺することなく、ゆっくりと目を開く。
「お・は・よ」
にこにこと晴れ渡るような笑顔を見せる少女は、髪を垂らしながらウソップを覗きこんでいた。自慢の長い鼻をぎゅっと握りながら。
最初は戸惑っていたその行動だったが、ウソップにはどうしようもなかった。なぜなら自分が眠っている七年間に、少女の習慣となっていたのだから。この屋敷にお世話になっている身としては、これくらいのことは、どうってことない。
それに、少女が見せるこの朝の笑顔が、ウソップは好きだった。
「おう!おはよう!今日はどうするんだ?」
「お散歩いきましょっ。もう準備もできてるわ」
動きやすい服装をアピールする少女に、ウソップはニヤリと笑う。
「よしっ。カヤ大佐!十分後に玄関に集合せよ!本日の早朝訓練を始めるっ」
「ふふっ…了解です!ウソップ大総統」
パタパタと部屋を出ていく少女を見送った後、ウソップは、ぴょんっとベッドから起き上がった。
ウソップ、十二歳。
この屋敷での肩書きは、執事見習い、お嬢様の学友、お嬢様の遊び相手、あと本人はまだ知る由もないが、この家の後継者候補。
一年前に、長い眠りから覚めたウソップは、リハビリの必要もなく、普通の生活を送り始めた。
快復したウソップは、周囲の不安を吹き飛ばすかのように、優秀だった。否、優秀
だが決して、天才的な頭脳を持っていた訳ではないのだ。
勉学、礼儀作法、剣術、他のこともだ。ただ、吸収が早かった。七年間の遅れを取り戻すかのように。まるで、忘れていたことを、思いだすかのように。
だが、射撃術は別だった。百発百中どころではない。誰も、ウソップが的を外したのを見たことがないほどの実力だった。
「うし、弾確認」
そして、ウソップは、お嬢様のボディーガードを務めている。
鏡の前に立ち、素早く執事服に着替える。一通り確認して、最後に眼帯の紐を確認した。
ーー眼帯に隠され、閉じられた左目には、ウロボロスの紋様が鈍い光を発していた。
・・・・・・・ ・・・・
ああ、死ぬんだ
私は今、この瞬間に悟ってしまった。
…ううん、もしかすればもう少し前、階段から足を踏み外した時には、もう…。
ーー今日は、吸い込まれてしまいそうなくらいに綺麗な夜空だったな。星は眩しいくらいにキラキラと輝いていて、堂々とした満月は、わたしとゾロを照らすためだけに空に浮かんでいるみたいで…。
何も見えない。
視界は真っ白に塗り潰されて、チカチカと点滅している。
頭が割れそうなくらいに痛い。
本当に割れているのかも。
でも、声は出ない。
そればかりか、指の一本も動かせない。まるで、石になったみたいで。
ーーそういえば、ゾロから綺麗な石をもらったなあ。いくら綺麗な石とは言え、涙が止まらなかったわたしを励ますために渡してきたのが、拾った石。ゾロはまだまだ子どもだ。
でも嬉しかったよ。
お父さんの声が、すごく遠くの方から聞こえてきた。
…あ、少し浮いた?浮遊感。
頭の後ろから、とくんとくんって何かが流れていっている。
眠たくなってきた。
お父さん。何言ってるの。わかんないよ。もっと大きな声で言ってよ。
ーー強くなりたかったな。
世界一、強くなりたい。世界で一番強い剣豪になりたい。
女の子でも…女でも、世界一の剣豪になってみせるって、誓ったばかりだったのに。
ゾロと、約束したばかりだったのに。
神様が、だめだって言ってるのかな。
やっぱり、私が女だからだめだって。
女だから、望むことだって許されなかったのかな。
やっぱり、男に生まれたかったなぁ。
悔しい、悔しい、くやしいよ…ぁぁ男の子達が…ゾロが、眩しいよ。
弱いクセに、負け犬のクセに、私に二千一回も負けてるクセに。
なんで、なんで、どうして私は。
わたしは
ёёёё
天国…?。
いつのまにか、変な場所にいた。
木目の壁なんて、何処にも見当たらない。真っ白だ。本当に何もない。
…何だか、寂しいな。
天国ってこんなところだったの?
しばらくぼーとして、そして一歩踏み出した。
爪先に、何か当たる。「ぐえっ」ちょっとだけ蹴ってしまった。
それは、手のひらくらいの大きさの、トカゲみたいなものだった。手足が何本もあるように見える。
しゃがんで、じっと見てみる。
「…天使様?」
「'…この姿が天使に見えるの?目、腐ってるんじゃない?'」
一応、聞いてみただけだよ。でもやっぱり、天使じゃなかったみたい。
見た目からして、どちらかと言えば悪魔なのかも。悪魔も見たことはないけど。
「…ここ、天国でしょ?」
「'あっはっはっ!そんなものはどこにもないよ。死んで楽になれるはずがないじゃないか'」
「じゃあ、ここは地獄?」
神様を恨んじゃったから、地獄に堕ちたのかもしれない。
「'おチビさん、アンタ馬鹿だよねぇ。天国がないのに、地獄があるなんてどうして考えたのかなぁ…'」
心底バカにしたような口調だ。
少し、ムッとする。
「…じゃあ、ここはどこよ」
「'君の心の中…って言ったら、納得するかい?'」
「しないよ」
「'だよねぇ。でも、本当さ。…なんと、このエンヴィーが、わざわざ君の命を救ってあげたんだ。そのせいで、見ての通り、未だに手の一つも動かせない。それなのに、そのお返しが足蹴だよ。信じられないね。ほら、お礼くらい言ったらどう?'」
「…わたし、まだ生きてるの?」
「'ちっ…寝たきりだけどねぇ。あれから…たぶん、一年くらいは経ってるんじゃない?'」
本当なのかな。嘘は言ってない気がする。
だって、この人(?)が言う必要ないから。悪魔だったら別だけど。
自分のこと、
「ありがとう…エンヴィー?私、くいなって言うの。助けてくれて、ありがとう」
「'…つまんないなぁ'」
ここに来て、一週間くらいかな。
私と違って、エンヴィーは外の様子がわかるみたい。
でも、エンヴィーはあまり話してくれない。初対面の時のは何だったのか、殆ど無視される。
だから、私のことを一方的に話した。
エンヴィーは、何も言わなくて、聞いているのかもわからなかったけど、それで十分だった。
むしろ、エンヴィーがそんな態度だったから話せたのかもしれない。真剣に聞いてくれたりしてたら、きっとこんなにスラスラと話せなかった。
私の人生、いいことも悪いことも、全部話した。
あ、一つだけ聞いた。エンヴィーは、男の子でも、女の子でもないみたい。
だから、何も気にせず、死んだと悟った瞬間までの、全てを話した。
そして、何も話すことがなくなった。
すごく暇になった。
剣の型をなぞったり、走ったり、大声を出してみたり…考えられることは大体して、暇になった。
だから、無視を続けるエンヴィーに、しつこく話しかけた。両手で
そして、ついに。
「'いいよ。このエンヴィーが何をしてきたか、全部話してやるさ'」
エンヴィーは、口がマシンガンになっているんじゃないかってくらい、絶え間なく話し続けた。すごく投げ槍っぽかった。
エンヴィーの話は、エンヴィーが生まれた時から始まった。
内容は…予想していたよりもずっと…ううん、私じゃ考えられないくらいに残酷なものだった。
私の言葉じゃ言い表せないや。
途中、聴くのが嫌になるときが何度もあった。胸が苦しくなった。吐きそうにもなった。涙も出ていたと思う。
けど、じっと堪えて、黙って聞いていた。
だって、ここで私が止めてしまったら、エンヴィーは二度と話してくれなさそうだったから(実際に、エンヴィーは私の反応を見ていた)。
幸い、エンヴィーの話し方には、全然心がこもっていなかった。どこか、実感がなかったのだ。まるで、作り話をするかのように語っていた。
それでもダメージを受けたんだ。だから、もし、エンヴィーが本当の話ように、感情を込めて話していれば、私はきっと心がおかしくなっていたに違いない。
そして、苦悶の表情をしていただろう私に対して、エンヴィーは無感情だった(たぶん)。
でも、話の途中、一人の少年が出てきた辺り。それから、その丸い瞳の先は、何もない宙に向いていてーーいや、きっとエンヴィーには見えるモノを、ずっと睨み付けていた。
どれくらいの時間が過ぎたのかな。
エンヴィーは、言葉に詰まったように、途中で話を止めた。
止めたのは、そこからがエンヴィーの最期の瞬間だったからだと、何となく気づいた。
いや流石にわかるよね。エドワード・エルリックに掴まれたところで、話は途切れたのだから。
握り潰されちゃったのかな。
ううん、それは違うか。きっと、エドワード・エルリックは…エンヴィーは…
「エンヴィー、自分で…自分で死んじゃったんだね」
私のその言葉に、エンヴィーは、濁った瞳だけを向けてきた。
「'……そうさ、このエンヴィーは…'」
そう肯定したエンヴィーの声は、無気力で、無感情。ほんとにどうでもよさそう。自分のことなのに。
でも、何故だろう。エンヴィーの話を聞いた後だからかな。なんとなく、悔しさとほんの少しの…高揚に似た感情がある気がした。
「エンヴィーは、私を乗っ取ろうとしないのね」
「'意味ないの分かってるのに、しないよ。それに、お前みたいなガキなんて、こっちから願い下げなんだよ'」
「ひどい」
「…私ね、エンヴィーの気持ちが理解できない。なんで、そんな酷いことできたんだろうって…思う」
「'別に、お前なんかに分かって貰おうとも思わないよ。そもそもーー'」
「でもね。エンヴィーは私のことを、救ってくれた。それで…だから、私はエンヴィーのことを…エンヴィーがどんなに酷いことをしてきたとしても、嫌いになれない」
「'自己中心的な、ニンゲン
「うん、そう思うよ。私たち、似てるね、エンヴィー」
「'はぁ…?やっぱりお前、頭沸いてるんじゃーー'」
エンヴィーの言葉を遮るように、エンヴィーを胸に引き寄せた。
嫉妬。ーー嫉妬。
エンヴィーが、エンヴィーのお父さんからもらった、唯一の感情。
醜い感情だ。そして、何て救われない
でも私は、
エンヴィーのせいだよ。
前のわたしは、こんなに陰険じゃなかったよね?あんな酷い話聞いたから、きっとわたしは変わっちゃったんだ。
でも、そんなに不快じゃない。
なんでだろう。少しだけ、いとおしいの。おかしいよね。
きっと…エンヴィーがいるからかな。
エンヴィーが何か騒いでいる。
わたしは、この場所よりも、もっともっと白くーー眩しい光に包まれた。
ёёёё
起きたら、ゾロがいた。「…それで、そのおにぎりって技なんだけど」とか、寝ている私に話しかけていた。おにぎりって…どんな技なんだろう。おなか空いてきた。
「お前!この二年間何してたんだよ!」
「何って」
ずっと眠っていたんじゃないの?
というか、二年も寝てたんだ。そのわりには、頭はすっきりしている。
指も動く。腕も、足も。起き上がってみる。
できた。
あ、ゾロが成長してる。顔が、少し…こわくなってる?でも、すごい泣いてる。涙と、鼻水とで、顔がぐちゃぐちゃだ。
「くいなお前!男になったり、女になったり大変だったんだ!」
「…え?」
『'そのマリモ君の反応が特に、楽しくてさ。性別しか
「えっ…待った!そんなことより!!」
あの白い場所に、わたしはもう行くことはなかった。エンヴィーは、変わらずそこにいるみたいだけど。
プロローグ終。