「カイ・ヤグラ……。これは、いったい……」
地面も周りも空も真っ白になった空間。一瞬にして魔王も諸人も区別なく消える光景。クロエはそんな夢のような事態を現実であると受け止められず、まさに夢でも見ているかの如く呆けてしまった。
「世界の余白、とでも名付けようか。とにかく、ここは今世界のテクスチャが
カイは不気味な笑みを携えたまま、その事態の主犯であるにも拘らず、他人事めいた態度で説明を始める。
「それで。本来ほっとけばそのうち修正されるんだけど、僕が
「しょう、きょ……?」
長々と説明されている中、クロエはその単語のみをようやく拾い上げた。
「そうさ。僕が君と僕以外の存在を空間毎消去した。正しくは、消去した空間の中で、君と僕だけを例外にした。他は通常通り、世界の消去と共にさよならさ。残念ながら、
「カイが、消去して……。レオンも、まっさら……。……っ!!」
やっと事態を整理できたクロエは自身の剣を抜く。
「貴方が!世界と、レオンたちを消したって言うの!?」
事態を整理し、臨戦態勢をとるも、それでもクロエは未だ信じられない。
世界を消去するなんて、魔王だろうとできるはずがない。それができるとしたら、それは―――
「簡単な事さ、この世界は僕の
「そんな、そんな馬鹿な事がっ!」
カイが明かした話は、あまりにもふざけていた。
目の前の人間が創造主であるはずがない。なのに、世界を自在に消去できる事実が存在する。カイ・ヤグラが世界の創造主である根拠だけが存在してしまっている。
「じゃあまぁ、僕が創造主であるかどうかは置いといて、目先の事について語ろうか。さっきも言ったけど、レオンたちを消したのは僕だ。なら、分かるだろう?どうすれば良いか」
カイは何が楽しいのか、その口角を大きく吊り上げた。そうされて、クロエは察した。彼は、自身を挑発しているのだと。
「……貴方を倒せば、レオンたちは返ってくるの?」
「倒すなんて生温い事言うなよ、クロエ・オベール。僕の思考を止めれば、僕は世界の修正に抗えなくなるんだ。つまりは、僕を殺せばレオンたちが返ってくるって事さ」
その言質を得て、クロエは剣を強く握る。そして、底冷えのする殺意を、おそらく人生でたった1度だけ、放った。
「殺せば良いのね」
「その通り。だけど、死から逃れ続ける僕に、死を受け入れさせるのは容易くないよ?今回は途中で止めたりしないしね。最後まで付き合っておくれよ、
クロエの睨みつける鋭い視線とカイの薄目から覗く不気味な視線が交錯する。カイはクロエの漲る魔力に晒されているのだが、クロエもまたカイの淀ませる不気味さに晒されている。気体ですらないはずのそれが、魔力というエネルギーに拮抗している。クロエは、そんな幻覚に襲われていた。
思えば、クロエはカイと相対した事は1度しかない。その時もおよそ本気ではなかった。とするならば、今のカイこそが本気なのかもしれない。
プレッシャーを感じる。喉が渇く。本気で相対するその男が、人間の形を取っただけの別の何かに見えてくる。未知の恐怖が、クロエの思考を麻痺させ、足を地面へと縫い付ける。
だが、それで縫い留められるなら、クロエは『真の勇者』などになっていない。積み重ねてきた努力とそれから得られる勇気が、彼女の背中を押す。だから彼女は踏み出せる――
「
――それらが
「残念。1度見た技は
「っ!!」
攻撃技の封印、しかもノーモーションのそれ。また1つ、カイが世界の創造主である根拠が積み上がった。頭の片隅に置いたはずの疑惑が芽を出す。クロエの努力と勇気も幻想だったのではないかと、この目の前の男が見せた夢だったのではないかと、彼女の現実を侵食する。
「おや?おやおや?おやおやおや?おやおやおやおやおやおやおやおやおやぁ~~~~~~????」
どこまでも不気味な嘲笑が鼓膜からクロエの脳を揺さぶった。
「今、後ずさったね?今、恐怖したね?何をそんなに怖がっているんだい?僕の言葉が事実だとしても、この世界が
「いやっ……!来ないでっ!」
理性を溶かすような恐怖。何もかも無茶苦茶にしてしまいそうな悪性。クロエは、それが1歩1歩近寄ってくるのに、体の震えを抑えて叫ぶ事しかできなかった。
「安心してよ。この僕がこの世界に居る限り、
剣がある。なのに、もうそれをどうやって振ってきたのかも忘れてしまった。努力は幻想となっていた。
敵がいる。なのに、もうそれと立ち向かうための力が湧いてこない。勇気も幻想となっていた。
『真の勇者』クロエ・オベールを支えてきた努力と勇気は幻想となった。ならば、彼女に敵へ抗える力はない。
本当に?
―勇者様
声がした、懐かしい声。クロエに長く寄り添った者の声が、彼女の脳裏に響いた。
「それじゃあ。おはよう、クロエ・オベール」
クロエは思い出す。自身を支えてきたモノ、努力と勇気――
「ええ。おはよう、カイ・ヤグラ。目が覚めたわ」
――そして、絆。
時の勇者クロエ・オベールは誰かに支えられて生きてきた。異世界に飛ばされた時はレオンに、過去に飛ばされた時は日向に、その旅の間は静江に。
彼女にはまだ絆がある。その絆を取り戻したいという思いがある。ならば、クロエは立ち上がれるのだ。彼女は、『
「ん?これは……」
カイの目の前をクロエの剣がかすめたが、カイに当たる事はなかった。そもそも、それはカイを狙った攻撃ではない。時間と空間を狙った切断、時空間を操る
カイはその無色透明な、触ったという感触すらない壁に阻まれる。試しにこの壁を通り抜けるよう逃避してみるが、逃避できない。逃避の仕方が合っていないのだ。
「なるほど、時間と空間を別けたのか。さながら、この壁で囲まれた空間は別世界という訳だ」
「そうよ、この壁はいわゆる世界の壁。此方と彼方は時間が寸断され、空間も連続しない別世界。時間と空間を合わせられる私しか、こうやって交流できない」
先程の努力と勇気を幻想にされたか弱き女性はどこへやら。クロエ・オベールはその身と心を努力・勇気・絆で満たしていた。
「そして、この交流も残りわずかよ」
「ふむ、ははっ。これはこれは。念入りな事だね、少し悠長ではあるけど」
クロエの言う通り、カイはつま先から固まっていく感覚に襲われている。時間と空間を固定しようとしているのだ。
「で、こんなゆっくり固めて僕を怖がらせるつもりかい?意趣返しかな。でも、僕はとっくの昔に覚悟を終えてるんだ。僕は恐怖しない。どうせ、
「……最期に訊きたい事があります、カイ・ヤグラ」
その残された時間は恐怖させるための時間ではなく、ただ落ち着いて問答するための時間。
「貴方は、何のためにこんな事をしたんですか」
クロエには、ついぞカイの動機が分からなかった。世界を消去までして、何のために自身と戦わざるを得ない状況を作り上げたのか。
「何のためにって、そりゃ負けるためだよ」
「負けるため?」
「そう、負けるため。僕はね、勝てないんだ。誰と戦っても、何処で戦っても、何で戦っても、僕は勝てない」
カイから不気味さが消え、その笑みは、何処となく苦々しかった。
「勝てないって分かってるならさ、気持ち良く負けたいじゃないか。負ける事しかできないとしても、負け方を選びたいじゃないか。だから、僕は君が本気を出して戦える場所を整えた。君が僕を完全に消滅させ得るだろう状況を整えた。ウォーミングアップとは言ったけど、別に僕はここで完膚なきまでの敗北をしても良かったんだ。なのにさぁ!」
カイはその目を見開き、世界の隔てる壁へ両手の握り拳を叩きつける。
「なのにさ、どうして君は僕を消滅させてくれなかった!!!」
カイが訴えるのは怒り――
「君なら僕を完全に消滅させられただろう!その時間を操る力で僕の時間を誕生まで巻き戻せば、僕を生まれる前に殺せるはずだ!僕が現実から逃げる前に殺せるはずだ!!僕が苦しむ前に殺せたはずだ!!!」
――そして、あまりにも醜い憎しみ。
「カイ・ヤグラ……。貴方は……」
そんな感情を抱える
「ああ、本当に。本当にさ、僕はいつまで
そこに居るのは、
「なぁ、僕はもう疲れたんだ。僕にはもう幻想と現実の区別も付かない。逃げすぎた。逃げるしかなかったとしても逃げすぎた。僕はもう反射的に死を逃避してしまう。精神も肉体も魂も過去も未来も死を逃避してしまう」
そこに居るのは、『
「……私には、分からないわ」
そんな
「だろうね」
カイは怒りも憎しみも引っ込め、まるでさっきまでが茶番だったようにケロッと笑顔に戻る。一瞬、諦観が混じったように、クロエは感じた。
「ま、悪くない敗北だったよ、やっぱり悔いは残るけど。メインディッシュはある事だしさ、そっちに期待させてもらおうかな。それじゃあバイバイ、クロエ・オベール」
最後はにこやかに手を振って、時空間毎固まった。まったく封印に似つかわしくない封印水晶がそこに出来上がる。
最後までその男は、
どれが