狭間空間にて。井沢静江は静かに座っていた。その表情は曇天と呼ぶに相応しい。
彼女は後悔とも達成感とも付かない感情に苛まれていた。
―簡単な事さ、この世界は僕の
カイがクロエとの戦闘中に言い放った言葉。静江はその言葉を狭間空間で聞いていた。何だったら戦闘の前後もプロジェクターがスクリーンに映す映像で見ていたし、スピーカーで音声も聞いていた。
とにかく。静江は、そのカイの言葉が受け入れられなかったのだ。
「全てがカイさんの
自身の幸福が全て幻想だったなんて、静江には受け入れられない。それは彼女にとって否定したい事実だった。
だから、彼女はクロエに一言贈った。「勇者様」と、『
「私の胸の中にある全てが全部
自身の大切なモノを、静江は幻想にしたくなかった。
ならばどうするか。
証明すれば良い。これらが全部カイの
彼を殺して消えないなら、これは現実。彼を殺して消えたのなら、これは幻想。
そんな無茶苦茶な論理が、静江の頭に過ってしまったのだ。それ故の、クロエへの一言だった。
後に冷静さを取り戻した静江はその無茶苦茶さを自覚した。一歩間違えば本当に何もかもが消えかねず、消えなかったとしても恩人を殺していた。結果として彼を殺すには至らなかったが、それでも静江は己が過ちを猛省している。
以上が後悔のような感情がある理由である。
では、達成感のような感情がある理由はなんなのか。
それは、とあるビデオレターに由来する。
カイが置いていったプロジェクターには、いつの間にかビデオデッキが接続されていた。さらには、既に入れてあったビデオが勝手に再生されたのだ。
内容はこうだ。
〈やぁ、静江ちゃん。この動画が流れているという事は、僕はもうこの世に居ないだろう……。なんてね。居なかったらこの動画が
相変わらず訳の分からない冗談を、カイは冒頭に挿んだ。
〈まぁまぁ、そうだったらこの動画は流れないんだけどね。この動画は、僕が
嫌な予感ほどよく当たる。一般人でもそうなら
〈とりあえず、だ。当たろうが当たるまいが、しばらく静江ちゃんの面倒を見られないのは変わらない。それが本当に「しばらく」か、「永遠」かの違いだね。なので、ここら辺でお別れとしようじゃないか。ねぇ、静江ちゃん〉
お別れを告げられた時、静江は思わず息を呑んだのだ。一瞬でも殺す事を考えておきながら。カイという庇護者との決別は、本来静江にとって避けたいモノだった。クロエ、時の勇者でその決別を一度経験したせいだろう。
〈いい加減、僕らは大人だ。いや、僕は永遠の17歳なんだけどね?でも、それならなおさら僕にいつまでもくっついてるのはおかしいじゃないか。独り立ちしようよ。ね?〉
カイは優しく諭していた。おそらくは、静江以外が気色悪さを逆に感じてしまう程優しげである。
〈僕が教えられる事は全て教えた。僕が与えられるモノは全て与えた。多分、どっちも下手だったと思うけど〉
不出来を恥じるように、カイは頭をかいた。
〈ま、何。僕が変な影響与えるのも嫌だしね。君らしくあってほしいのに、僕らしさが染みてしまうのは、僕としても逃避したい〉
カイは『
〈巣立ちの時だ、井沢静江。そしてさよならだ、僕の唯一の後輩〉
そこで、その動画はそれで一旦終わる。二度とカイに会えないものとして、静江は瞼に涙を溜めた。だが、そう、終わったのは一旦だ。
〈なんか前の動画でかっこよく締めた気がするけど、もうちょっとだけ続くんだ〉
消えたと思ったプロジェクターの光は、そのカイの言葉と共に再び灯った。
〈本来はさっきので終わり。だけど、静江ちゃんが特別な行動をした場合のみ、こっちも流れるようになってる〉
カイが指す「特別な行動」について思い当たらず、今生の別れと思ってたのもあって、静江は静聴していた。
〈特別な行動。それは、「君が誰の指図も受けず、自分の意志だけでした行動」だ〉
「あ……」
声が漏れる。振り返れば、少なくともカイと同行をし始めてから、自身の意思でした行動は少なかった。したとしても、促されてだったり、そうせざるを得なかったり。そういう、半ば強制された時ばかりだ。
〈僕の予想では、時の勇者を助けたくてなんかするんじゃないかなーってところだけど。実際はどうだったのかな。ま、今度会ったら聞かせてよ〉
カイの予想は、残念ながらと言うべきか、当然ながらと言うべきか、外れていた。実際は、己の現実を守るために、カイの幻想を否定するための行動だった。誰かのためとするには、あまりに利己的である。
〈なんにせよ。君が自分の意志だけで行動できたなら、僕はとっても嬉しいよ。ちょっと心配になってたんだ、この子1人で大丈夫かなぁって〉
過保護な母親のような悩みをカイが抱えていた事実に、静江は最初頬を赤らめていた。
〈でも、君はちゃんと歩き出せた。僕の取り越し苦労だった訳だ。いやぁやっぱり、僕が思う通りに事が進むなんてないね。それとも、君が『
今度は我が子を褒め称えるようなカイの態度。しばらく静江の頬は熱かっただろう。
〈そう、君は『
カイがその時浮かべた笑顔は、とても寂しげだった。
『
カイは、静江が自身と違う事、自身の後輩でなければ仲間でもない事に、寂しさを感じていたのかもしれない。
〈さぁ、僕の事なんて
開かれた目で、とても暖かな眼差しで、カイは静江の門出を見送るのだ。
そうして、その動画は終わったのだった。
以上が達成感のような感情がある理由である。
「カイさん……」
動画の内容を思い出すと同時に、静江はカイからもらったモノ全てを反芻した。そして、自身の中に答えを見出す。
「私は、カイさんと居た事を忘れるなんて嫌です」
その答えは、否定だ。やはり受け入れられない。
「今の私が居るのは、カイさんが居たからです。カイさんも、私にとっては現実なんです。貴方との思い出は、私の一部なんです」
肯定的否定とも言うべき、ポジティブな否定。その否定こそが、今まで流されるままだったような静江の、大切な自立心。ある意味で、『
「だから、「好きなように生き、好きなように死ぬ」。私はカイさんの後輩だから」
静江は席を立つ。いつまでもここには居られない。カイさんがそう望み、自身もそう望んでいるのだから。
「まずは、自身の好きな事を探してみます」
スタートラインに立つ。随分と長く生きてきたはずの人生、その初めてのスタートライン。
「カイさん。行ってきます」
静江は、スタートラインから踏み出した。
―行ってらっしゃい