神様さえ、知らない場所へ。 作:Artificial Line
【Prolog】幼年期の終わり。そして絶えなき好奇心。
――――それは、いつもの好奇心だった。
月の魔物を打倒し、狩人を獣狩の悪夢から開放してずいぶん立った気がする。
事実そうなのだろう。上位者の赤子となって変態できるようになるまでずいぶんと永い時を過ごした。
そうして新しい人の夜明けは、幼年期から青年期へと移行していく。
青年期へと入って間もなく、"彼"は在りし日の自らへと変態した。
すぐさま狩人の装束に身を包み、両の手を握って開いてを繰り返す。
久々の感覚に、思わず口角が上がった。
ああ、やはり落ち着くものだ。
心のうちでそうこぼした。
彼は上位者たる姿然でいることに拘りを持っていなかった。むしろ嫌悪すらしていた。
それは高みから人々を操っていた
それとも人であることに誇りを持っていたからなのか。
「あぁ…狩人様…在りし日のお姿に戻られたのですね。そのお姿でも素敵ですよ」
「…久しいな人形」
彼は視線を自らの手から、背後に佇んでいた人形へと向ける。
彼は彼女に大変感謝していた。
彼女は本当に良くしてくれた。
悪夢の始まりから彼を支え、
上位者の赤子となった後も彼をここまで支え続けた。
感謝の言葉を彼は紡ぐ。
それに対し人形は、何故感謝されているのかわからないといった風であったが、口元に若干の笑みを浮かべた。
彼らがいるのは狩人の夢。
夢は月の魔物がゲールマンの記憶を元に再現し、狩人を捕らえておくための牢獄であったが、
彼はそれを消し去るという事はしなかった。
確かに忌々しい悪夢ではあった。だがしかし、かけがえのないものも生まれたのだ。
上位者たる彼にとって、それらの感情は些細で粗末なものでしか無い。
それは大いに理解していた。
だが、その"思い出"や"願い"を消し去りたくないと、強くそう思ったのだ。
ゲールマンが、人形が、アイリーンが、デュラが、マリアが。
在りし日に見たこの夢を、この記憶を、壊したいなどとは思えなかった。
それは彼の独善的なものでしか無いのかもしれない。
自慰的なものでしか無いのかもしれない。
それでも、上位者たる彼はこの夢を残し続けている。
「狩人様、そのお体は大変久しぶりでしょう。どうか無理はなさらぬようお願いしますね」
人形が
彼女は、悪夢の中で秘密を守り続けたマリアを討ち取ってから、幾らか人間らしくなったように思える。
いつか言っていた"枷"が外れたからだろうか。
これも成長か、と彼はマスクの下で頬を緩めた。
彼と人形との関係は複雑で難儀だ。
主と従者であり、父と娘であり、母と息子であり、また恋人でもある。
「ああ、そうしよう」
彼は短く答え、その手元に"武器"を出現させる。
右の手にはノコギリ鉈を。左手には獣狩の散弾銃を。
在りし日の彼が、最も使い慣れた武具。
ノコギリ鉈
狩人が獣狩りに用いる、工房の「仕掛け武器」の1つ。
変形前は人ならぬ獣の皮肉を裂くノコギリとして
変形後は遠心力を利用した長柄の鉈として、それぞれ機能する。
刃を並べ血を削るノコギリは、特に獣狩りを象徴する武器であり
酷い獣化者にこそ有効であるとされていた。
獣狩の散弾銃
狩人が獣狩りに用いる、工房製の銃。
獣狩りの銃は特別製で、水銀に自らの血を混ぜ
これを弾丸とすることで、獣への威力を確保している。
また、衝撃により獣のはやい動きに対処する部分も大きく
特に散弾を用いるこの銃は、当てやすく効果が高い。
「いってらっしゃい狩人様、あなたの目覚めが有意なものでありますように」
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彼は人の身へと変態した後、イズの大聖杯へ潜っていた。
理由は単純。彼の知識欲と好奇心によるものである。
上位者になったからと言って、好奇心や知識欲がなくなるわけではない。
むしろそれらの欲求は大きく、そして深くなっていく。
この大聖杯のダンジョン内部は、真性の狩人時代から
彼の膨大な啓蒙が囁いていた。
そして、それは事実であった。
何度も走り抜けたこの大聖杯のダンジョン。しかし彼は未だ見覚えの無い部屋へと足を踏み込んでいた。
それは無限通りのカタチを持つこのダンジョン故当たり前といえば当たり前なのだが。
今回足を踏み入れたこの部屋は今まで見たことも無い趣であった。
薄暗いダンジョン内に似合わぬ、白亜の壁や大理石の床。
『まるでアノールロンドだ』
と嘯くかもしれない。
彼は好奇心に導かれるまま、歩みを進めていく。
部屋の奥には祭壇のようなものがあり、その上には"鐘"が置かれてた。
今まで幾度となく鳴らして来た鐘とは明らかに違う見た目のそれに、彼は強く興味を惹かれた。
そしてそれを手に取り、ゆっくりと鳴らす。
カランカランと、いままで聞いた鐘の音の中で最も美しいと思える音が紡がれる。
マスクの下で口角が釣り上がる。
ああ、やはりまだ見ぬものがあったでは無いか。
そして、
―――――彼は意識を音に任せた。
視界が戻ると、そこには緑が広がっていた。
同時、鼻孔に青臭く土臭い、実に懐かしい匂いが入ってくる。
ヤーナムでは血臭と腐臭、獣臭しか感じる事ができなかった。あとは聖杯ダンジョン探索中のカビ臭さだけであろうか。
眼前に広がるは森、そして小さく綺麗な池。
陽光が反射し、キラキラと光る水面の下には、数匹の魚の姿も見える。
森の中の池の畔に、彼は立っていた。
マスクの下で驚愕の表情を浮かべる。
ヤーナムではどんなに願っても見ることの叶わなかった光景が、眼前に広がっている。
彼はこの光景を
ヤーナムに訪れる以前の記憶が欠落している彼にとって、
なぜだか啓蒙を得たような感覚にさえ陥る。
生命の伊吹を感じられる森、彼は無意識のまま池の水へと触れた。
グローブ越しでもわかる、
思わずマスクを外し、水を飲む。
ゴクリ、ゴクリと。冷たい水が喉をすり抜け、火照った思考を沈めてくれるような気がした。
興奮を沈めて、改めて周囲を確認する。
冷静になって思考すると、ここは間違いなくヤーナムではない。
上位者としての思考力と今までの経験からそう判断する。
となればどこなのか?現状では不明。
情報が無さすぎる。
となれば、一先ずは周囲の探索か。
彼は思考をまとめ、歩きだそうとする。
―――ドーンッ‼
なにかの炸裂音が聞こえたのは、彼の一歩とほぼ同時であった。
瞬間、身構えいつでも迎撃に移れるよう準備をする。
炸裂音はどうやらそう遠くも無い場所で発生しているようだ。
情報収集も兼ねて見に行くのが先決か。
考えるやいなや、彼は猛スピードで駆け出していた。
音の発生地点にたどり着いた彼は、思わずマスクの下で顔を歪めた。
視界に入ってきたのは緑深色の体表をした巨躯の異形。
醜く膨れ上がったその身体に粗末なこん棒を携えて、ずぅん、ずぅんと歩みを進めている。
そしてその異形の先。崖下の壁へ追い詰められるような形で、女性が逃げようとしているのが見える。
緑がかったロングヘアーの美しい女性であった。
ああ、この世界にも獣がいるのか…匂いたつな。
あの女性はどうやらマトモらしい。
この場所についてなにか聞けるだろう。
であれば助けるべきか。
彼は駆け出した。
あの異形自らが立てる足音のせいで、此方に気づく事は無いだろう、という判断のためだ。
事実それは的中していた。
走りつつ、ノコギリ鉈を変形させることも忘れない。
異形の背後へめがけ渾身の一撃を振り下ろす。
その一撃は容易く異形の背を切り裂いた。
突然の衝撃とあまりの激痛に、異形は思わず膝をつく。
そしてその好機を逃さず、獲物の背へと右腕をねじ込んだ。
臓物と筋肉を引き裂く嫌な音が響いた後、思い切り右腕を引き抜く。
彼の右腕にはドクドクと蠢く、異形の心臓が握られていた。
突然の出来事に、緑がかった髪の美女は困惑の色を隠しきれない。
彼は異形の心臓をまじまじと眺めた後、それを興味なさげに投げ捨てた。
「大丈夫か?」
彼の発した言葉に、女性の肩がビクッと反応する。
恐らくは現状の把握にキャパを割いており、声をかけられる事を考慮していなかったのだろう。
「あっ、えっと大丈夫。その助けてくれてありがとう。正直本当に助かったよ」
困惑の色が見られるが、女性は返答を返した。
しっかり見れば見るほど美しい女性であると彼は素直に思った。
まあ人形と比べれば見劣りもするが、と思ってしまうのは親バカかもしれないと自嘲する。
おっとりとした雰囲気でたれ目ぎみ。年の頃は20代前半ほどだろうか?
彼自信や様々な例外も数多くいるので、外見年齢などあてにならないが。
「そうか、それは良かった。あぁ…助けた事に対する対価、という訳でも無いのだが、少々訊ねたいことがある。よろしいか?」
「そんな、全然構わないよ。むしろ助けて貰ったのに恩も返せないんじゃ種族の面汚しさ。私に答えられることなら何でも答えよう」
「そうか。では遠慮なく。まず最初にここはどこだ?」
「ここは何処って…ここはヴィカーナ帝国の最東。城塞都市アリスライキ近くの森だよ。なんだい?迷子にでもなったのかい?」
彼女は少し心配したような表情でそう問うた。
「迷子…確かにそうかもしれんな。次にこの異形はなんだ?」
「こいつは巷じゃトロールって言われてるモンスターだよ。上級探索者でも5人がかりでようやくってモンスターを一人であっという間に倒しちゃうなんて驚いたよ。本当はこんな人里近くには
緊張が解けたのか、彼女は饒舌にトロールとやらの説明をしてくれた。
なるほど、獣とはまた違うモンスターなるものどもか。
未知の世界に触れたことで、啓蒙の高まりを感じる。
「なるほどな。では最後、貴公の種族はなんだ?人間で無いことは察しがつく。かといって獣という訳でもない」
彼は彼女から、宇宙の香りを仄かに感じていた。
人ではない。かといって獣でもない。
どちらかと言えば彼に近い匂いだ。
「私は神族さ‼あぁ、そういえば申し遅れたね。大海峡を挟んだ西の神族国家が一柱。メイ・スマイリーだ。よろしくね同族の香りのする異国の君!!」
「神族……?なるほど。ありがとう有益な話が聞けた」
彼はそういって身を翻し立ち去ろうとする。
しかしその背中をメイと名乗った女性があわてて引き留める。
「あぁッ‼ちょっとまって‼君の名前は?」
その質問に彼は困ってしまった。
自らの本当の名前なぞとうの昔に欠落している。ヤーナムでの呼び名らしい呼び名といえば
なので彼は本当の事を少し濁して話ことにした。
「答えたいのは山々なのだが、生憎と私は名無しでね。答えるべき名前を持ち合わせていないんだ」
「えっ?!名無し?!記憶喪失とかそういうの?」
「当たらずとも遠からずって感じだな」
「なるほどねぇ。それじゃあ名無しくん。君は察するに異国の探索者のようだけど、これから行く宛はあるのかい?」
なぜそんな事を聞くのか?
一瞬疑心暗鬼に陥る。
ヤーナムでは裏切りも罠も日常茶飯事であった。
もしかすればなにか企てているのか?
そういった思考で彼女を観察する
しかし啓蒙が嘯いた。
"全て疑うのは精神が不健全な証、啓蒙を高めよ"
確かにそうだと、彼の思考から熱を奪い平静さを与えていく。
それ彼は彼女の瞳に、一切の淀みが無いのを見てしまった。
淀みの無い問いを淀んだ答えで返すなど畜生のすることだ。
「特にはない。この周辺を探索しつつどうするか決めるつもりだ」
「だったら、目先の宿屋や目的が見つかるまで、私の所で過ごさないかい?」
「は?」
彼は思わず聞き返してしまった。
こんな怪しい格好をした怪しい言動の怪しい男を招待するだと?正気か?それとも真性のお人好しか?
上位者たる彼の思考が高速で回転する。
なんと答えるべきか、彼が口を開く前にメイが言葉を紡いだ。
「ほら、ちゃんとしたお礼もしたいしね。せめて食事だけでも……どうかな?」
不安そうな顔でメイが呟く。
それを見た彼はなんだか憑き物が堕ちたような気分に陥る。
ああ、そういえば人とは、こういった感情、義理や人情も持っているものだったな。
永いときをあの悪夢で過ごしていたのですっかり忘れていた。
彼は、例え彼女の言葉が嘘で、罠に嵌められたとしても、今回ばかりは彼女の言葉を信じてみたいと。
心の底からそう感じた。
「……構わない。どうせ行く宛も無いからな」
「やった!それじゃ早速私のホームに向かいましょうー!!」
ルンルンと歩いていく彼女の後を、彼も追従する。
久方ぶりの人らしい人との関わりに、上位者たる彼の心のですらじんわりと温まっていた。
ちょいと短いですが、一旦これにて。
これからほそぼそとやっていきます。
フリプで久々にやったら啓蒙が爆発したのさ。