「………疲れた」
「ダーメ!あと10回頑張って、ほら!」
「…勘弁してくれ。あんまり根詰めてもロクな事にはならないし、な?」
「…悠は、早く退院したくないの?ボクは早く悠と遊びに行きたいのに…」
「……分かったよ。頑張るから、そんな顔しないでくれ」
目覚めてから1週間が経過し、悠はリハビリに励んでいた。目覚めた当初は筋力どころか最低限の筋肉と脂肪すら危うい状態で、今でも身体は骨張っていて2年前とは比べるまでもない。
『お父様、少しずつ身体は以前に戻ってきてますよ!頑張って下さい!』
「ありがとな、ユノウ。早く皆でピクニックでも行ける様に、頑張るから期待しててくれ」
『はい!』
スマホから聴こえるのは愛娘の声だ。SAOのデータの海の中で消えるハズだったユノウをサルベージした悠は、キリトに頼んでスマホにユノウを住ませているのだ(本来は自分でやろうとしていたのだが、残念ながらタイピングが出来る程の筋力と体力が無かった)。
まぁつまりは失うばかりだったSAOだが、最後には少なくとも1つ得る事が出来た。彼はそう思う。
「はい、悠。食べられる?」
「どうにかな。量はそんなに食えないけど」
横から差し出された林檎を咥え、咀嚼する。林檎程度の固さの食べ物でさえ食べるのに一苦労する自分に、つくづく嫌になる。それもこの時だけなのだろうが、それでも面倒なものは面倒だ。その間にも両手はしっかりゴムボールを握ったり離したりを繰り返している。
詩乃はいつの間にやら料理を練習していたのか、包丁捌きが凄まじく上手くなっていた。横目でボウルの中を見れば林檎の皮は極薄であり、しかも地味に林檎は全てウサギになっている。変に芸が細かいのは変わらないな、と悠は内心苦笑する。
「あ、ズルい!ボクも食べさせる!」
「待て、待つんだ木綿季。そんな風に乗られると――っ!!」
――オレは倒れる、そう言いたかったなぁ。手遅れだけど。
腹筋も衰えている彼に、幾ら軽い木綿季とは言え人1人分の体重は支えられない。押し倒される様な体勢になるが、悠はそれよりも木綿季の身体の柔らかさを感じていた。線が細く見えるが、実際はしっかりとした女性的な体付きをしている。そしてそれを、そんな身体を、彼は容易く刃で何度も――
「グッ…」
吐き気を催した。が、どうにか呑み下して木綿季の身体を抱き締める。優しい温もりが身体を伝わって広がり、じんわりと何かが染み渡っていく感覚を味わう。それでどうにか落ち着いた。
彼は度重なる戦闘により、殺すという行為にトラウマを植え付けた。銃ならばまだしも、リアルな感触を味わえば容易く吐瀉物をブチ撒けるだろう。それも全てヤーナムという謎に満ちた地のせいだが、あれ程リアルでグロテスクなVR空間は倫理的にもよろしくない為、再現される事は無いだろう。
それでも初めは酷かった。手を繋ぐだけでも殺しの感触がフラッシュバックし、どうしようもなくなってしまう。それがここまで良くなったのは2人だけではなく、ユノウや他の友人達の献身が有ってこそだろう。
「……随分と良い雰囲気ね?私を差し置いて」
「ククッ…ヤキモチか、詩乃?」
「なっ、そんな事…ある事もない、けど…」
「じゃあ、おいで」
「…うん」
1人用にしては大きいベッドに詩乃を入れる。木綿季も察して悠の左半身にしなだれかかる様に寝転がっている。しっかり悠の腕を腕枕にして。詩乃もそれを見てしれっと腕枕にしている。悠は内心自分の骨が折れないか心配していたりする。
「悠はこの世界に居て、幸せ?」
「…突然だな」
「だって、たまに外を見て不思議な表情してる時あるもん。良く分かんないけど、どこかに行っちゃいそうな、そんな表情」
「そうか?」
「たまに呼んでも返事しない時もあるものね。…不安なのよ、私達。あなたが、どこかに行かないか。SAOから一緒に帰ってこなかった時も、死んじゃうかと思ったわ。あの時あなたが死んでたら、今はどうか分からないわよ」
あぁ、やっぱりかと思う。2人も歪んでしまったのだと。純粋な愛はあの世界で澱み、形を変えて狂愛へと変じたのだ。依存と独占、その欲は危うく間違えれば悠だけでなく、周りや自分を傷付けてしまうのだろう。
――まぁ、オレも似たようなもんだしな。
「――カーディナルから帰ってくる時、諦めようかと思ったんだ。いっその事、オレが死んじまえば2人は自由になれるかもって、そう思った」
「そんな訳無いわよ!!私は、私達は、あなたが居なきゃ…」
「話は最後まで聞いてくれよ、詩乃。諦めてないからここに居るんだからな。…で、オレは2人に幸せになって欲しかった。今でもその考えは変わんないけど、2人は今まで凄い苦労をしてきたんだからな、その分幸せになって欲しい。そう思いながら、死にかけて生きるのを諦めようとした。オレを忘れて幸せになってくれって、な」
「…それでどうしたの?」
「自信過剰かって言われても仕方無いけど、2人が幸せになるにはどうすれば良いのかって考えた。そしたら、オレが居なきゃなって。…と言うか、オレが隣に在りたいなって、そう思ったんだ」
「それ、プロポーズ?」
「茶化すなよ。…でも、そうだな。オレは自分が思ってるより弱いらしい。だから、2人に支えて欲しいよな。…いや、ユノウも入れて3人か?」
「最後はあなたが茶化してるじゃない」
「それに、決まりきった事を訊くのは好みじゃないでしょ?」
「…ハハハ、敵わないな。全く、口喧嘩じゃ勝てる気がしない」
「そもそも喧嘩なんてしないもん。勝ち負けなんて関係ないよ」
「それもそうね。私達も悠も、互いが1番だものね」
「全くもってその通りだな。……で、居るんだろ?出て来いよ、お前ら」
閉まっている病室のドア越しに悠は話し掛ける。慌てて2人はベッドの傍らの椅子に座り、何も無かったかのように済ました顔を繕っている。その数秒後、勿体つけて入ってきたのは黒ずくめの格好の青年と白が基調のワンピースを着た女性だった。
「現実でもSAOの時みたいな格好してるな、お前は」
「良いだろ、別に似合ってない訳じゃないんだから。それに明日奈の服と良い対比になるし」
「悪いが、服の事には疎いんでな。そういうのは分かんないのさ」
「あんまり和人君をからかわないであげてよ、悠君」
「ハハ、冗談だ。取り敢えずよく来てくれたな、2人とも。まぁ寛いでくれ」
同じ日に解放された明日奈が退院出来て悠が出来てないのは、身体の衰弱具合が悠の方が数倍重かったからだ。原因は十中八九繰り返してきた無茶やら
「で、妹さんとはどうなんだ?」
「流石にまだ少しぎこちないかな。でも日に日に良くなってるとは思う」
「今まで全然話してなかったんでしょ?それなら当然よ。むしろ良くここまでトントン拍子に関係が改善出来てるものだわ」
「まぁ直葉ちゃん良い子だしねー。和人の妹さんとは思えないぐらい」
「それ、どういう意味だよ。まるで俺が悪い奴みたいじゃないか」
「まぁいつも事件に首を突っ込んで巻き込まれて、人に心配を掛ける人は居るけどね」
「…オイオイ明日奈、勘弁してくれ」
「これに懲りたらお前はもっと慎重に落ち着いて行動するんだな、和人」
「「「「悠(君)が言わないで」」」」
「…………藪蛇だったか」
SAOの頃は例え安全圏でも気を抜けなかった。だが今は違う。あの時程の知名度も無ければ力も無いが、これから自分はこの世界で生きていくのだと思う。そんな、これから送っていく日常に想いを馳せつつ、悠は一言呟いた。
「…ありがとう。そして、さよなら」
ALO編、完結