「――鍵が空いてる」
買い物から帰ってきた悠が思ったのは違和感だ。今は詩乃がGGOにログインしているが、家に居る人がゲームにダイブしている時は鍵を閉めるのがルールになっている。もし強盗などが現れた際、とんでもなく危険になるからだ。それを忘れる悠ではなく、しっかりと施錠した筈だ。そして帰ってきた今、鍵を開けようとしたが解錠音はせず、鍵は開いたままになっている。音を立てない様にドアを開けるとグチャグチャになった玄関マットと足跡が付いた床が見えた。
少なくとも不審者だ。そう思った悠は今帰路に就いている筈の木綿季に警察に通報してくれという旨のメールを送り、足音を消して階段を駆け上がる。そしてそこには、閉めた筈の自室のドアが開いている状況が広がっていた。
「詩乃に手ぇ、出すなッ!!」
そして横たわる詩乃の横に立つ不審者の脇腹を蹴り飛ばす。通信空手仕込みの蹴りは少なくとも不意打ちとしては充分だったらしく、不審者は横に跳んで衝撃を受け流したが机に身体をぶつけて横たわる。
それを見た悠は申し訳無く思いながらも詩乃の顔からアミュスフィアを剥ぎ取る。強制切断される感覚は気持ち悪いのは解っているが、それでも命には代えられないだろう。
「シノンさん…いや、朝田さん。キミは僕の天使だ。だから死ね、いや、殺す。GGOで出会って気付いた――」
「――シカトとは良い度胸だな!」
仮想世界から現実に戻ってきた詩乃に話し掛ける不審者。だが、最後まで聴く義理は無いと悠は机の上の鉛筆削りをぶん投げる。顔面を目掛けたソレを腕で防いだ不審者に、悠の殴打が突き刺さる。土手っ腹にマトモに入った一撃に嗚咽を漏らす不審者に、悠の肘が背中に入る。そのまま踏み付けようとしたがそれは転がって避けられた。
ここまで喧嘩慣れしてるのは見様見真似でやっている格闘術を利用しているからだ。単純に鍛えていた事も有り、全盛から見れば膂力は戻っていないもののSAOで学んだ力の入れ方なども有りかなりの痛撃を入れている筈だ。
しかし、不審者は効いていない様にゆらりと立ち上がる。その時見えた表情には笑みが貼り付いており、鳩尾にパンチを喰らったとは思えない程ヘラヘラとした笑みを浮かべている。不気味過ぎる、そう思った瞬間、不審者の形相が一変し憤怒の色一色に染まる。
「邪魔なんだよォ!!お前が、何で、朝田さんの、家にィ!」
「どんなタフさだよお前…!」
ナイフを持って突撃してくる不審者の手首を掴み、捻り上げる。人間の関節的にナイフを取り落とす事は解っているので、床に落ちたナイフを部屋の隅目掛けて蹴り飛ばす。が、不審者の繰り出したパンチが悠の腹部に突き刺さり、つい手を放してしまう。不味いと思った一瞬後、渾身の拳が頬にブチ当たり世界が歪む。脳が揺れたらしく、足元がフラつき前後不覚に陥ってしまう。ここが仮想世界ならそんな物は簡単に覆せただろうが、生憎ここは現実だ。グラついた足元を立て直す事が出来ず尻餅をついてしまう。そしてまたゆらりと立ち上がった不審者は自分の胸元から筒状の何かを取り出した。
「本当はお前なんかに使う気は無かったけど…使おうかぁ。朝田さんは…後でゆっくりと、ねェ?」
悠にはソレを見た事があった。最近病院などで使われる、針の無い注射器だ。しかも服なんてものは簡単に貫き、内部に薬物を注入出来る本物。殺害を目的としているのなら中身は毒物だろう。
ここが仮想世界なら、と悠は歯噛みするが何度でも言える。ここは現実だ。つまり気合で毒を捻じ伏せるなんて出来る訳が無い。致死毒を打たれれば死ぬ。それは悠も詩乃も違いない。揺れる視界と回らない思考の中、終わりを予感する。
「死ねぇぇぇェェ!!!」
(…駄目だ、ゴメン、皆。あぁでも、父さんと――)
だが、不審者は横にぶっ飛ぶ。本棚に頭をぶつけ、血が出ていた。何故そうなったのか、その理由は扉の方を見れば簡単に分かった。
「父、さん…?」
「…俺の子供達に、手出しはさせん」
肩で息をしている父親。その右手は固く拳を作っており、不審者を殴ったのは彼なのだと理解できた。それを見た悠の緊張の糸は切れてしまい、そのまま意識を失った。
「目が覚めたか、悠」
「父さん…」
次に目が覚めた時、悠は病室に居た。この景色には見覚えがある。詩乃との出会い、未だに消えない頬の傷が出来た際に入れられた部屋だ。日は既に暮れており、赤い空が広がっている。詩乃と木綿季は居らず、今は父と悠の2人だけだ。
「あの不審者は警察に引き渡したぞ。何であんな事をしたのか、直に解るハズだ」
「あ、うん。その、父さん――」
「――点滴は打ってないな。よし悠、こっそり出るぞ」
「え?」
「行くんだろう、釣り」
「…うん!」
釣りはVRゲームの他の悠の趣味だ。SAO時代の事が有りで釣りをやってみたいと思い、竿などの道具を揃えたのだ。更に父の趣味も釣りであり、距離が離れていた今だからこそ共通の話題を作ろうとしていた事も有る。
母に見つからない様に病院を出た2人は車に乗り込む。車は仕事用ではなく趣味や行楽用のミニバンで、中には悠の道具と父の道具が既に積まれていた。
「…俺のせいでお前達はSAOに囚われてしまった」
「…オレ達はそんな事思ってないよ。あそこに行ったからこそ得られた物もあった」
「だがお前は殺人鬼と言われた。…中での事は詮索する気は無い。それでもその責任の一端は俺にある事は変わりないんだ。…そしてお前の才能もある。だからな、父さん頑張ったんだ」
「え?」
「アミュスフィアじゃ充分に遊べないだろう?人脈を色々活用して…それで普通のアミュスフィアよりもスペックが高い【アドバンスド・アミュスフィア】を造ったんだ。…とは言ってもナーヴギアみたいにはやれないんだけど、今やってる限定解除よりはマシだと思うぞ」
「まさか、最近忙しかったのって…」
「そのせいでお前には寂しい想いをさせた、ごめんな。だが、これだけは覚えていて欲しい。俺は…父さんと母さんは、お前達を1番愛してる」
最初から、心が離れていた事など無かったのだ。父の顔は薄暗いせいで良く見えない。だが、頬が赤みを帯びているのは気のせいではないだろう。どんな言葉で返そうか迷うが、ここで敢えて悠は返さない事にした。何故なら、彼の語彙力でもこの万感の想いを伝え切れないからだ。
それが解らない父ではない。車内には静寂が、心地よいソレが広がるのだった。