「ありがとうございました。」
最後のお客を見送り、食器やカップを洗い始める。
外では桜が満開となっている時期。もう何度この花が咲いている景色を見た事だろう。
今日も沢山の人が来てくれた。高校生、親子連れ、疲れて愚痴をこぼしに来た常連のサラリーマン⋯マスターも遊び半分で顔を出しに来てくれたし、お転婆お嬢様が帰ってくるとボヤいていた何処かの使用人の女性まで。
彼女にあった日もこんな時期だった。今ほど桜は咲いていなかったけれど、どこか陽気な春の日。
ふと、カウンターに置いてあるカレンダーに目をやる。
最愛の人に別れを告げたあの日から、もう4年の月日が経っていた。彼女の事を気にかけていないと言えば嘘になる⋯。
けれど、待つと言ったのは僕だ。多分、今頃どこかでまた変な料理でも作ってる頃だろう。
そんな事を考えてたら入口の扉が開き、2人のお客が来店した。
「いらっしゃいま⋯せ⋯⋯。」
「やっほ。元気にしてた?」
「約束通り、珈琲の奢りを頂きに来ましたわ。」
「果南⋯ダイヤ⋯!え、ダイヤ?本当に??」
彼女と同じように、4年間連絡を取り合っていなかった大切な友人達。
果南の方はあまり昔と変わっていないが、どこか大人っぽさを増していた。
けど、何より驚いたのはダイヤだ。
「ダイヤ⋯髪の毛⋯。」
「あぁ⋯あまりやる気は起きませんでしたが、短くするのも案外悪くないですわね。」
あんなに長くて綺麗だったダイヤの髪は、肩ぐらいまでのショートカットにバッサリと切られていた。
人間髪の毛一つでこんなにも印象が変わるんだな⋯。でも、元がいいのも相まって良く似合っている。昔が大人びていただけあって、どこか気恥ずかしそうに髪先をいじるダイヤを見てると今の方が若返ってるんじゃないかってすら思えてくる。
「ま、まぁ⋯折角だし座っていってよ。約束通り僕の奢りだ。」
「やった!」
「あと⋯ごめんよ。色々と付き合わせちゃって⋯。」
「その話はしないの。私達だって好きでやったんだし、弾のおかげで3人一緒だったから。」
「そっか⋯。あ、ダイヤ。」
「何ですか?」
「その髪型、似合ってるよ。」
「っ⋯べ、別に貴方に言われても嬉しくありませんわ!」
そう言いながら口元のホクロを指先でかいている。ありゃ⋯怒らせちゃったかな。
「ダイヤってば素直じゃないな〜。弾、照れてるダイヤなんてレアだからちゃんと見ておきなよ?」
「ちょ、果南さんっ!///」
「え、照れてるの?」
「違いますっ!!///」
これ以上弄ったら、4年ぶりに重いパンチを喰らいそうだったからカウンターへそそくさと撤退する。マスター譲りの珈琲⋯気に入ってもらえればいいけどな。
「はい、お待ちどうさま。」
「ありがと。ん!美味しい!」
「こういう所は本当器用ですわね⋯。」
「その褒めてるか貶してるか分からない所も治ってたら有難かったな。今日はどうしたの?」
「ん〜?大事な友達が元気してるかな〜ってさ。」
「またいじけてたら喝を入れようかと思ってたところですが⋯心配ないみたいですわね。」
「あぁ、大丈夫だよ。約束⋯したからさ。」
「ん⋯そっか。」
入ってた珈琲をぐいっと飲み干す果南。何ともワイルドな飲み方だ。
えっと⋯女の子、だよね?
「今失礼な事考えたでしょ?」
「⋯まさか。」
「ま、良いや。ねぇ弾⋯自分の気持ち、ちゃーんと口で伝えなきゃダメだよ?
「え⋯。」
「心配要らないとは思いますが、貴方の言葉しだいでは私は鬼にも仏にもなりますので。では、後がつかえてる事ですし、そろそろ失礼致しますわ。」
「じゃーねー弾♪」
「えっ、あの、ちょっ!!⋯またご来店下さいませ。」
何だったんだ一体⋯本当に珈琲だけ飲んで帰っていったな。
でも⋯今度こそって、どういう意味で───
「あの⋯。」
果南達と入れ替わるように、1人のお客が来店する。
白いワンピースにツバの大きな帽子を目深に被っているため顔は分からない。
でも、僕はその女性から目が離せなかった。
だって⋯あの時出会った彼女にそっくりな姿だったから。
「まだ、やってます?」
「は、はい!いらっしゃいませ!お1人様でよろしいですか?」
「ええ。」
「では、こちらへどうぞ。」
女性はこくりと頷くと、静かに席へと歩いてくる。
店内には、彼女の履いている靴の音だけがコツコツと鳴り響いていた。
「ご注文が決まりましたら、お呼び下さい。」
「珈琲1つ、頂けるかしら?」
「あぁ、はい。畏まりました。」
カウンターで珈琲を入れながら、女性に目をやる。ずっと下を俯いたまま顔を上げようとはしない。
何か悩んでる事でもあるのだろうか。
手には白い布に包まれた小包がある。
「お待たせしました。ごゆっくりどうぞ。」
「ありがとう。⋯⋯美味しい。」
「ははっ、ありがとうございます。マスターからみっちり扱かれましたからね。」
「私もそのマスターさん知ってるわ。昔よく通っていたから⋯でもこの珈琲は、貴方の味がする。とっても優しくて、ちょっと気難しい味⋯私は、好きよ。」
彼女の言葉の一つ一つが、僕の心に入ってくる。
とても⋯優しい声だ。
「ねぇ、マスターさん。お願いがあるのだけれど⋯。」
「はい、何でしょうか?」
「料理を⋯味見して欲しいの。大切な人に作ったものだから、その前にマスターさんに確認して欲しくて。」
「はぁ⋯僕でいいんですか?」
「えぇ。ハッキリ言ってもらって結構よ。」
目の前に出されたのはベーコンエッグ。とても綺麗な見た目で、見た感じは美味しそうだ。しかしどうしたものか⋯ハッキリ言ってもらっていいと言われてもお客様だし⋯。
「では、失礼します。」
彼女の作ったベーコンエッグ。
大切な人の為に作ったという料理。
それを口に入れた途端⋯ようやく分かった。
果南が言っていた『今度』の意味。
彼女の言葉がこんなにも心地良いわけ。
涙が、止まらなかった。
どうして、気づかなかったんだろう。
この人が左手の薬指に付けている指輪。
僕の左手の薬指に付いてる指輪と同じ物。
僕が⋯大切な人に送ったものだ。
「お味は、どうだったかしら⋯?」
「それでは、ハッキリと言わせて頂きます。お客様?
彼女はクスリと、小さく笑った。
まるで、それがわざとやった事だとでも言うみたいに。
「ふふっ、ごめんなさい。私、料理はあまり得意じゃないの。どこかに腕の立つシェフは居ないかしら?ちょっと口煩くて、不器用で⋯優しい、料理人さん⋯とか⋯。」
下を向いている女性は、顔を上げようとしない。
ただ⋯テーブルを濡らしていく雫が全てを物語っていた。
これ以上こぼれ落ちないように、涙を必死に堪えながら⋯絞り出すように彼女はそう言った。
ずっと、会いたかった。
その声を聞きたかったんだ。
だから⋯伝えるよ。今度こそ。
「⋯そんな条件に当てはまるのは、多分1人しかいませんよ。鞠莉お嬢様?」
「ふふっ、そうかもしれないわね。」
ほんの少し、声を震わせて⋯彼女はポツリと口にした。
「ねぇ⋯私のシェフにならない?」
答えなんて⋯考えるまでも無い。
「こんな小さな店の店主で良ければ⋯これから先、ずっと隣で教えてあげます。⋯⋯おかえり、鞠莉。」
「ただいま⋯弾っ♪」
始めて顔を上げた女性は、大粒の涙を零していた。
それでも笑いかけてくれる、愛しい
もう、離れる事は無い。
これから先⋯僕達は、ずっと一緒だよ。
扉から入ってきた暖かな春風が、僕達を包み込んでくれた。
『Il mio chef〜僕と令嬢と喫茶店〜』
これにて終幕になります。
補足ですが⋯左手の薬指に指輪をするのは、結婚していなくても愛する人と繋がっているという意味があるらしいです。
それから前話で弾が書き残した、『君は僕の光だ。』という一文。イタリアで使われるプロポーズの一種のようなものです。『君が居てくれるなら、僕達の未来は明るいよ』という意味ですね。
イタリアの言い回しってホント好き⋯。
これからなちょすがどうするかは活動報告でお知らせします。
本当にありがとうございました!