為すべきを為す覚悟が 俺にはあるか。   作:カゲさん

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16 さりとて在りし憧憬

 

「……なんだそれ」

 

対人格闘術の訓練地を向かう途中、ユミルが俺の持つ木製ナイフを見て呆れるように言った。

 

「なんだって……訓練用のナイフ」

 

「なんでそんなボロボロなのかって聞いてんだよ」

 

それを聞いて改めて自分の持っているナイフを見下ろすと、彼女が言う通り刀身がボロボロになっていた。先端は割れ、刃は目も当てられないほどの凹凸がついている。

 

「対人格闘なんて大した点にもならねぇし適当にやりゃいいのに、よく真面目にやってんな」

 

「まあな………。そういうお前こそ、対人格闘の時間は随分楽しそうにしてるだろ」

 

「まあな!」

 

ユミルは嬉嬉として答え、隣を歩くクリスタと肩を組む。

対人格闘ということは必然的に相手との距離が近くなる。つまり、彼女がクリスタに触れる機会も増えるという事だ。

 

普段からよくくっついているためあまり変わらないじゃないかと以前言ったことがあるのだが、ユミル曰く触れる行為は普段と訓練とでは全くの別物だとのことらしい。よくわからない。

 

「わっ、ほんとにボロボロだね……教官に交換してもらったら?」

 

ユミルの方へ肩を寄せたついでに覗き込んだクリスタが助言をくれたが、残念ながら既に実行済みである。

 

「4日前に変えてもらったばかりだ」

 

「えっ………?」

 

クリスタの顔が若干引き攣る。

そのような反応をされる程の行為だということは自覚している。とはいえ、訓練をしていれば自然とこうなってしまうため仕方が無いのだ。教官には次壊したらグラウンドを100周させた上でナイフを重い鉄製に変えると言われたが、その時はあまり遠くないらしい。

 

「どうやったらこんな風になるんだろう…」

 

「やってみるか?」

 

興味深そうに見るクリスタに対人格闘の相手に誘ってみたのだが、首をぶんぶんと振りながら全力で断られてしまった。

 

「お前とやったらクリスタが怪我しちまうだろ!化物は化物同士やってろ!」

 

噂をすれば。いち早く訓練場に着いていたミカサが正面から近づいてきていた。あるいは、ユミルはミカサの姿を見た上で発言したのかもしれない。

 

「ヒイラギ。相手をお願い」

 

「あぁ」

 

 

ミカサとの対人格闘は非常に充実したものであった。初めこそ教官の教えに倣い基本の技のみを使っていたのだが、かつて映像で見たことのある格闘術を見様見真似で使うようになり、今では多くの技を繰り出すことが出来るようになっている。その動きが手本通りかと聞かれれば、首を傾げざるを得ないのだが。

 

「ッ……!」

 

ナイフの突きを2度繰り出すが、上手くいなされたのち腕を掴まれナイフを叩き落とされた。そのまま背負い投げを仕掛けられたが着地点で両足をしっかり地面につけ、腹を上へ向けたまま左手で落ちたナイフを拾いミカサの顔に向かって振り抜く。当然のように躱されるがナイフを振った勢いに乗せて体を捻り、宙で一回転した後右足の踵を胴に叩きつけた。両手で防御姿勢をとったミカサだったが力に押され体勢を崩した。だが力負けしたわけでは無く、防御すると共に腕を押し出したことによりこちらの足も大きく弾かれてしまった。

 

「踵蹴りで片手を地面につけていれば、直撃の可能性は高かった。いい加減足技の時に手も意識するべき」

 

「そっちこそまた背負い投げに頼る癖が出てるぞ。攻撃の幅を持たせれば反撃の手数も減らせて防御じゃなく回避が出来るようになるだろ」

 

どちらかがこうしようと決めた訳では無いが、格闘術において俺とミカサは区切りのついたタイミングで互いに互いの改善点を言い合うことになっていた。そして指摘を終えてから、再び距離を詰めることを繰り返す。

 

数えるのは途中で諦めたのだが、勝敗の数は今も前も変わらず互角だと思われる。一勝一敗を繰り返すというよりは、引き分けで終わることの方が多い。だからこそ俺と彼女は、自身の力を伸ばしやすくなっている。

 

だが欠点がないわけでもない。俺やミカサが訓練において怪我を負うタイミングは殆どがこの対人格闘術に集中してしまっていることだ。鉄と鉄がぶつかり合えば互いを傷付けるのは道理である。結果、飛び火というわけでも無いが訓練用ナイフがボロボロになってしまうのだが。

 

「そういえば……っ…放っといてもいいのか?」

 

「なにが……?」

 

ナイフを奪わんとするミカサの攻撃をどうにかいなしながら問いかける。本来訓練は私語を謹んで励むものだが、巨人を狩る技術を磨く訓練兵にとって対人格闘術はあまり重要視されていないためこれといって厳しい目もない。明らかにだらけていればさすがに教官から怒号が飛んでくるが、その辺は各々上手くやりながら凌いでいる。

 

「エレンのことだ。最近はアニとよく組んでるだろ。……っ、お前としては気に食わない状況なんじゃないかと、思ってな…!!」

 

「ッ!!……別に…」

 

「そうか?あいつ少し前までは…っ……バレないようにサボるやつだっただろ。それだけアニはエレンのことがッ、…少なからず気になってるわけだ」

 

そこまで言いきると同時に距離を置く。会話に意識が向いていたせいでミカサの略取を阻止することに専念してしまっていたが、言いたいことは言ったため今度はこちらから仕掛ける。

 

ミカサがエレンに対して恋愛感情を抱いていることは明らかなのだが、エレンは気づかない上ミカサも一切認めようとしない。このままではアニではなかったとしても誰かに取られてしまう可能性がある。それを警告したかったのだ。

 

「……オイ、どうした…?」

 

攻撃をやめ、雰囲気が豹変したミカサに問いかける。

 

背筋が凍る感覚。

 

なんの前触れもなくとてつもない殺気を放ち出したミカサに焦燥感を抱きつつ、その視線の先にあるものを確認するため振り返る。すると、殆どの訓練兵が立って格闘術を行っている中で1組だけ随分と低い態勢の者達がいた。言うまでもなくエレンとアニなのだが、今まさにアニがエレンに対して絞め技を仕掛けている。訓練としては大いに結構なのだが、あれほど体が密着しているとミカサが黙ってはいな────

 

「ちょっ、オイ待て!?」

 

かつて訓練では見たことの無いスピードに追いつけず、呆気なく後ろを取られた俺はミカサに両手で捕まれ振り回される。その後遠心力をつけた状態で手が離され、俺の体は放物線を描きながら宙を舞った。そして重力に引き戻され、だんだんと地面が近づいてくる。

 

『ッ!」

 

「ぐあぁッ⁉︎」

 

幸い、といったらエレンに悪いが、彼が下にいたおかげで思ったよりダメージが少なかった。ミカサが正確に投げ飛ばしてくれたおかげでもあるのだが。

 

「なんでヒイラギが降ってくんだよ…」

 

「俺が聞きたい…」

 

久々に敗北を期した上に投擲物扱いされてこのザマだ。嫌になってくる。

 

紛れもなくミカサにケンカを売られたアニはそれを買い、一触即発の雰囲気。いつしかその組み合わせにギャラリーが集まり賭け事まで始めていた。

しかし、俺もその対決に興味が湧いた。最近アニはエレンと格闘訓練をしているが、逆にその他兵士との訓練を見たことがない。強いて言うならライナーだが、一度大負けしてそれっきり。強いことは周知の事実だが、果たしてミカサとどちらが上かは計り知れない。

 

だが、結果的に勝敗がつくどころか勝負が始まることすらなかった。これだけ騒ぎまくれば教官が気付くのも道理。飛んできた怒号によりその場は解散となる。ここまで期待させておいて何もなしでは些か酷いと思ったが教官に見つかったのでは仕方がなかった。

 

余談だが、ミカサに投げ飛ばされた拍子に俺のナイフは刃が縦方向へ割り裂けてしまっていた。それに対しても、教官から怒号が飛んでくる。もう嫌だ。

 

 

「……ハァ…」

 

グラウンド100周をようやく終え、暫く歩いて息を整えた後に仰向けに倒れ込む。今夜の空は雲一つなく晴れていて、灯りも少ないおかげで星がよく見えた。ひたすらに美しいと感じられる無数の光は空を埋め尽くすように広がる。発展を遂げた街では決して見られぬその景色は、俺がこの世界に来て良かったと思える数少ない要素だった。二度目だからこそ思えるが、一度きりの人生でこの景色を見られないというのは酷くもったいないように思える。

 

「お疲れさま。大丈夫?」

 

このまま眠ってしまいたいと思い始めた時、こちらの顔を覗き込むように屈んだ少女の姿が視界に映った。暗い中でもその明るい髪色ははっきりと見える。

 

「大丈夫だ……ただ、少し疲れたからこのまま寝てしまいたい…」

 

「もう、そんなことしたらまた教官に怒られちゃうよっ」

 

呆れるように笑ったクリスタは俺の足元に立つと両手を取り「えいっ」という可愛らしい掛け声と共に上半身を引っ張り上げた。微かに眠気が覚めると、今度は空腹が襲ってくる。とはいえ食事の時間はとうに過ぎてしまっている。

 

「お水と、パンも少し持ってきたけど…」

 

タイミングよくクリスタが地面に置いていた飲食類を差し出してくる。様子を見に来る人はいても、差し入れを持ってくる人は彼女以外いなかった。ユミルなど粘り出した俺を見て腹抱えて笑ってきたのだ。やはり彼女の持つ善意………善意…なのだろうか。妙に身構えて警戒されているように感じる。何かを恐れているような…。

 

「………いや、水はありがたいがパンはクリスタが食べてくれ。それは元々お前のものだろう」

 

俺は水袋だけを受け取り、乾ききった喉を潤した。

ナイフが壊れたのは事故に近かったとはいえ、内心反省しているのだ。ナイフは壊れて当然、仕方がない。なんていう考えは物が溢れていた世界での話。壁内という限られた資源しかないこの地においては、木を加工して作る訓練用ナイフすら貴重な物資なのだ。故に、消費社会の常識は切り捨てなければならない。

 

「ダメだよ!今日はいつも以上に動いたんだから何か口に入れないと!」

 

しかし断固拒否の姿勢を見せたクリスタは、その手にあるパンを俺の口に無理やり押し込んできた。不意の出来事にパンの侵入を許してしまった俺は、さすがに吐き出すことは憚られるため口に入りきらなかったところを持ちパンを噛みちぎった。

 

かつて食していたものに比べると随分味気なく思えるが、空腹が満たされていくのは確かだった。

 

「…しかし、ミカサとアニの対決を見られなかったのは残念だったな。説教と100周は対価として相応しいと思うんだが」

 

「ど、どうだろう………ヒイラギはあの2人が戦ったとして、どっちが勝つと思う?」

 

ナイフ破損と対決の有無は別問題なのでは、という反応をしたクリスタは不意にそんな問いを投げかけてきた。あの場においてもどちらが勝つかについて各々予想を立てて夕食を賭けたりもしていたが、果たして結果はどうなっただろう。

 

単純な身体能力でいえばミカサに分があることは疑いようがない。しかしアニも上位に食い込む能力を有しているのは確かである。アニが勝負できるところでいえばそこだろう。ミカサが力や速さを重視するのに対し、アニは細かな技術を重視している。自分のみならず相手の重心などをも利用し敵を圧倒する。その技量は恐らく長い時間をかけて培われたものであり、1年や2年で追いつけるようなものではないのだ。それを考慮し、予測できる勝者は————

 

「………ミカサだな」

 

「どうして?」

 

「アニは強い。格闘技術で言うなら今期で最も優秀な兵士だろうな。だがどれだけ巧妙な技を繰り出し相手を絡めとろうとしても、ミカサの動体視力、瞬発力、筋力で破られるからな」

 

アニはミカサの喧嘩を買った時、挑発のため彼女をバケモノと称した。人への技がバケモノに通用するか試してみたいなどとも言っていたが、良くも悪くもアニの評価は正しく、人間の規格で考えればミカサはバケモノに違いない。人がクマに素手では勝てないように………いや、もしかしたらそんな超人もいるかもしれないが、この場合敵であるクマは格闘術を一通り心得ている個体となる。そんな相手に勝つ事は、やはり難しいだろう。

 

「じゃあヒイラギは?」

 

「俺か?」

 

今日は大敗を喫したが、俺とミカサの実力は大差ない。ならばミカサが勝つと予想したアニには勝てると断言出来る。

 

と、まあ客観的に見ればそうなるだろう。だがいざ彼女と対峙した時勝つ自信があるかと訊かれると、正直断言は為兼ねる。先も述べた通り彼女の格闘術は群を抜いていて、見様見真似で会得した俺の格闘術が一体どれほど通用するか予想もできない。

 

「…そういえば、暫くミカサ以外とやってないな」

 

初めは様々な人と組んだりしていたが、ここ半年でミカサ以外と組んだ事は一度もない。それ故に、今周りと俺の実力に果たしてどれほど差があるのかわからないのだ。

 

「一度やってみるのもいいかもしれないな…」

 

とはいえ今日のところは疲労が蓄積されすぎている。誘うにしても明日か明後日がいいだろう。

そろそろ部屋へ戻る時間のため、重い身体を持ち上げて寮へと向かう。クリスタにもたれかかりながら歩き出したのはよかったのだが、男子寮へ辿り着く前に待ち伏せしていたユミルに本気で蹴り飛ばされ、身体へのダメージはむしろ増えてしまった。

 

 

「よろしく頼む」

 

「…ミカサの次はアンタ?」

 

翌々日、体調も万全、格闘術の訓練あり。ならばこの好機を逃す手はあるまいと俺はアニに勝負をふっかけた。初めこそ断る雰囲気があったのだが、嫌々ながらも相手を引き受けてくれた。彼女も彼女でミカサとの力量さに思うところがあるのだろう。だが、アニが気にしているならば件の彼女も気にしていないわけがない。

 

「ヒイラギ、その女の相手は私がする。まだ勝負はついていない」

 

予想した通り、ミカサが勝負相手を奪いにきた。もとい、奪ったような形をとったのはこちらであるため、向こうは取り戻しにきたというのが正しいだろう。だが、そう簡単に譲るわけにもいかない。

 

「俺がアニとやるからエレンが空いてるんだ。お前はそっちの相手をしてくれ」

 

「わかった」

 

即答であった。数刻前、エレンが食堂にて今度こそアニから一本取ると意気込んでいるのを耳にしたが、まあ致し方ないと受け入れてもらうしかあるまい。それに代行の相手はミカサ。訓練としてはきっと有意義なものとなるだろう。

 

メンタル面については管轄外である。

 

「じゃあ、早速頼む」

 

「……」

 

アニは返答として構えた。両腕を曲げて顔の斜め横に置く、基本に近い構え。腕を前後ではなく真横に並べて置くのは蹴りを主体としているからだろうか。改めて見てみると、背筋はこちらより伸びていて重心は後脚にかかっている。基本に近い構えではあるのだが、明確な違いが見て取れる。

 

「そっちが来ないなら、こっちから行くよ」

 

その言葉は単純な意味で受け取ればいいのか、あるいは観察される視線が気に食わなかったのか。

いずれにしても、アニは地を蹴り距離を詰めてきている。おそらく彼女が繰り出す初手は……こちらが疎かに足元。

 

「…!」

 

初動を見てから動いては彼女の蹴りに間に合わない。性格と傾向を用いた完全な予想で飛び上がったが、幸い的中し向こうの意表をつくことには成功した。

 

飛び上がる時にかけた回転に任せ1周回ったのち、その微かに見開いた眼を目掛けて蹴りを放つ。だが構えられていた左手で防がれ直撃とはいかなかった。さらにアニは受け止めた脚を右手で掴み、こちらへ背を向けたのち向かって前方へ投げ飛ばさんとした。体が足先を中心に180度振られ地面が目前へと迫る。ここからノーダメージで切り抜ける方法は思いつかない。ならば————

 

「ぐッ‼︎」

 

体を強引に左へ捻って背を地面にぶつける。吐き出すような声が漏れるが、顔面と胸で受けるよりは幾分かマシだ。

 

向こうが次の行動へ移る前にその胸倉を両手で掴み、フリーとなっていた左足で腹を蹴り上げると同時に後方へと投げ飛ばした。

 

「ッ⁉︎」

 

痛みを堪える顔に満足する間もなく立ち上がりアニとの距離を縮める。向こうは転回やロンダートを駆使して衝撃を分散した後に倒れ、すぐに跳ね起きで立ち上がり構えをとった。先程とは顔つきが違う。腹蹴りで少し気が立ったのだろう。

 

無闇に突っ込んでは技をかけられかねない。そのため両手を顔の前から少し下げ、距離を取りながら警戒する。だが、それこそが彼女の狙いだった。そもそも彼女の得意とするのは蹴り。腕を優先して警戒したことが運の尽き。後ろ寄りの重心によって放たれた右足の蹴りは、ガードを間に合わせることなく顔の側面に直撃する————

 

 

なんて思っていたんだろう。

 

 

「惜しい」

 

「ッ⁉︎」

 

右脚が動作に入った瞬間、こちらの左腕が顔の横に移る。そして、彼女の蹴りはガードされた。

 

確かに彼女の蹴りは速く、注意が逸れた状態では動作を見てからのガードは間に合わない。だが逆に言えば、蹴りを最優先で注意し構えていればガードを間に合わせることが出来る。

 

右腕に力を込める。蹴りは攻撃に威力とリーチを持たせることが可能だが、隙が大きくなる。攻撃を防がれれば、その分隙は明確に。

 

「———ッ‼︎」

 

次の瞬間、アニは空を見上げていた。雲一つない快晴から降り注ぐ光を全身に浴びていた。およそ常人には何が起きたか認識することも困難なほど一瞬の出来事。だが、アニはその身に起きたことをはっきりと認識していた。

 

ヒイラギの右腕による渾身のストレートは、カウンター対策として蹴りと同時に伸ばされていた左手に捕まるところだった。それは予想を的中させたが故に生じたヒイラギの油断。カウンター対策を考慮しなかった時点で、常人ならば負けは確定する。

 

だがヒイラギは互いの手がぶつかり合う数センチ手前で左膝を傾け右腕の軌道を無理やり逸らしたのだ。さらにヒイラギはその力を利用し体を一回転させながらアニの左側へ回り込み、首と背中を掴み軸足を払ってから地面に叩き落とした。

 

常軌を逸した動きに、アニは認識こそすれ対応することは叶わなかった。ダメージとしては戦闘続行も可能だったが、刃を確実に突き立てられるほどの隙を生じさせた時点で勝敗は決したもの。結果だけを言うならば、アニ・レオンハートの敗北である。

 

「カウンター対策を含んだ型か……最後は危うかった。さすがに強いな」

 

「…どうも」

 

アニは差し出した俺の手を掴み、立ち上がった。

彼女を強いと評したのは勝利したが故の優越感から出たものではなく、客観的に見て感じた純粋な本心である。運動性能は間違いなくこちらが勝っている。それはどの訓練においても見受けられる程明確な事実。にも関わらずこれだけ追い詰められたことには素直に驚嘆した。近接格闘においてこれだけ実力を発揮して戦えるのはミカサとアニくらいだろう。

 

「お互いダメージが大きい。勝負はこれくらいにしないか」

 

勝利こそ手にしたが、背中や蹴りを受けた左腕にはまだ痺れや痛みが残っている。正直休みを取りたいところだが、それをして教官に怒鳴られては救いようがない。故に提案として、軽く流す程度に軽く訓練に参加しようと言ったのだ。だが、彼女は何故か構えを取りはするものの一歩も動こうとはしなかった。

 

「……ねぇ、アンタはなんで真面目にこの訓練してるワケ?」

 

と、唐突に話しかけてきた。普段無口なアニの方から声を掛けてくるとは少々意外だった。だが、質問の意図は汲み取れる。対巨人兵を育成するこの地において、対人格闘術はあまりに無意味。故に訓練兵どころか教官でさえ、普段より力を抜いているのだ。

 

そんな中で、真面目に取り組むのは何故か。

 

「馬鹿正直な奴か単に馬鹿な奴は訓練に参加してるけど、アンタはどっちでもないんでしょ」

 

またしても意外な発言。エゴイズムの塊の様に思っていた少女が、他人の観察した末の予想をもとに話している。さらに案外的を射ていないわけでもない。

 

確かに俺は目的のために為すべきことは為すが、そうではないのなら手を抜いたりしている。ミカサは細部までとことんやり遂げるタイプだが、俺はそういうわけではないのだ。かつての人生において固まった癖のようなものだろう。そういう考えで正しいなら、俺がこの訓練で真面目に励む理由は一つだろう。

 

「必要なことだからな」

 

アニが怪訝な顔をする。確かに巨人狩りという面では近接格闘は何の役にも立たない。自身の運動能力の把握がだの思い通りのコントロールがだの教官は御高説を垂れるが、結局意味はないだろう。

 

だがそれは、巨人が相手だった場合に限る。

 

「今は巨人の駆逐を目標に団結してるが、仮にそれが達成されて明確な敵がいなくなったら次は何が起きるか。資源、経済、労働、あるいは嫉妬、憎悪、意見の相違などなど、理由は色々と予測を立てられるが、間違いなく敵は人類同士になる。人はまず間違いなく、戦争を起こす」

 

「なんでそう確信できるの?」

 

俺もかつてはこんな考えを殆ど持っていなかった。戦争なんて俺とは全く無縁な存在。テレビで伝えられる死亡者は、俺とは関係ない。何故なら俺は大丈夫だから。交通事故に巻き込まれないようにある程度信号は守るし、まともな理由もなく人を殴ったりもしない。人間関係はなるべく穏便に済ます。死ぬ奴なんて間抜けな奴。死ぬ奴なんて結局自業自得。だから俺は大丈夫。

 

俺は——

 

俺は————

 

俺は——————

 

だが久々に会った親に刺された瞬間、その考えは覆った。痛み。理不尽。困惑。憎悪。多くの感情が数瞬のうちに駆け巡り、俺は訳もわからないまま刺し込まれた包丁を抜き取り『敵』に突き刺した。燃えるような苦しみが己の体を焼き切るまで、何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。

 

「………そんなの、言うまでもないだろ…」

 

多くの感情が薄れ、その現実に色味がなくなっても、あの感情だけはいつまでも燃え続ける。いつまでも、この心を焼き続ける。

 

「それが、人の本質だからだよ」

 

 

あの憎悪だけは、二度とこの身から離れない。

 

 

「………そう、アンタは平和ボケしてないんだ」

 

「今はな」

 

そこまで言い終えた時、妙な違和感を覚える。何故か、周囲が静かだったのだ。訓練場に大勢が集まる対人格闘訓練において、その静けさは異常といえるだろう。気になって周囲を見てみると、唐突に訓練場は喧騒を取り戻した。どうやら先日程ではなくともそれなりに注目されていたようだった。

 

「ヒイラギ。終わったなら相手をお願い」

 

周囲があからさまにこちらから視線を逸らしている中、ミカサだけがいつも通り歩み寄ってきた。ふむ、エレンとの訓練をやめるにはあまりに早すぎる気がするのだが。

 

「…………あぁ、なるほど…」

 

改めて見回すと、エレンは異変を察知してかコニーと訓練に励んでいた。では最近彼と組んでいるサシャはどこかというと、ユミルと組んでいる。すると必然的にクリスタが残るが、何処かの男子が勝ち取ったのかといえばそうではなく、エレンの相手をできなかったミカサが組んでいたのだ。相手を譲れとミカサに勝負を仕掛ける奴は、まあいない。

 

ミカサが離れたことによってフリーとなったクリスタがこちらの視線に気づき、胸の前で小さく手を振ってきた。一昨日の夜にアニとの対決について話し合ったばかりなため、向こうもきっと覚えていたのだろう。俺が握り拳を軽く上げると、嬉しそうに手を叩いていた。

 

「それじゃあ」

 

「ん、あぁそうだな。今回はいい勉強になった。感謝する」

 

再びエレンの相手をするのであろうアニに背を向けてミカサに承諾の返事をしようとした時、後ろから再び声が掛かる。

 

「アンタの考えが正しいかはわかんないけどさ」

 

振り返ると、彼女と目が合った。いつもの無愛想な、何に対しても無関心でやる気を微塵も感じさせない表情。だがその瞳は、酷く冷たい。

 

「私は、アンタが少し恐いよ」

 

その言葉の真意を、俺は理解できないでいた。

この時は、まだ————

 

 

 

 

「……それが、人の本質か」

 

ウォール・シーナ外、東側に位置するストヘス区。巨人とはおよそ無縁なこの地において、一撃の閃電が空を裂いた。晴天の霹靂は大地を揺らし、人々は平和とは真逆の地へと叩き落とされる。内地と呼ばれる安全を保障されていたはずのこの地は、一瞬で地獄の戦場へと姿を変えた。

 

だがそれがなんだという。なにも、おかしいところはない。

 

「第一作戦は失敗か…。さぁ、準備はいいかいヒイラギ」

 

「えぇ、いつでもいけますよ。ハンジ分隊長」

 

平和が地獄へ転じるように、味方が敵に転じることにおかしいところはない。それでもかつて分け合った時間が惜しいと思ってしまうのならば、ずるずると引き伸ばすよりもいっそ斬り捨ててしまった方が幾分か楽になれる。

 

だから、アニ・レオンハート————

 

 

 

今度はお前を、必ず殺してやる。

 

 

 





いかがだったでしょうか。
まずは楽しみにしていた方、大変お待たせいたしました。格闘術は知識が殆どないので詰まってしまい、投稿期間がかなり空いてしまいました。ところで最近知ったんですが、小説を書く時は普通プロットを作って本文を書き始めるんですね。ぶっつけ本番でしか書いてこなかったので、改めてそう言われると自分の作品に矛盾がないか不安になってきました…

今回は訓練兵時代の回想と共にヒイラギの過去についても少し触れました。命の重さって、身近に感じてみないとなかなか実感湧きませんよね。私もその類の人間でした。かといって今ヒイラギのような心の強さがあるわけでもないんですけどね。

さて、次回はいよいよストヘス区での戦闘となります。ヒイラギはハンジ斑として結構な活躍をする(つもり)なので、どうぞ今後もご期待ください。


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