訓練兵はなにも四六時中訓練ばかりをしているわけではなく、各兵団から依頼されるような形で仕事が与えられる。振り分けられる仕事はほとんど雑務ばかりで億劫になることも多いのだが、今日行う予定の「壁上固定砲の整備任務」はその限りではなかった。誤解を避ける為に言うが、別に俺は掃除が好きなわけでも大砲が好きなわけでもない。むしろ同じ作業の繰り返しで面倒になる点では他の仕事と変わらない。
ならば何故この仕事を気に入ってるのかと言うと、単純明快。外が見れるのだ。ウォール・マリア、ローゼ、シーナはそれぞれ100km以上離れている為壁同士に挟まれていると実感することは殆どないが、それでも壁のない世界に生きていた者としては『壁がある』という事実だけで閉塞感を覚えてしまう。
エレンのような一部例外を除けば、そんなことを思う者はいないらしい。当然と言えば当然だろう。天敵たる巨人の侵入を防ぐ壁に感謝こそすれ、景色を見るには邪魔だなんて思う奴はいるはずがないのだ。
「サボってんじゃねえよ」
「いッ…たいな…」
ゴッと鈍い音も共に、小突くにしては強すぎる痛みが後頭部を襲った。恨めしそうに睨みつけてやると、ユミルは悪趣味な笑みを浮かべてみせた。俺の歪んだ顔が大層気に入ったのだろう。もう一度言う。悪趣味だ。
「…サボってたわけじゃない」
「ウソつけ。さっきからぼけーっと突っ立ってたじゃねえか」
「………」
故意にサボっていたわけではないが手を動かしていないのは事実だったため、なにも言い返さず作業に戻ることにした。
「何か考え事?」
身の入っていない俺の様子が気になったのか、隣にしゃがんだクリスタが小首を傾げる。
「壁の外は広くていいなぁって」
「……………」
特に隠す必要もなかった為素直にそう言うと、クリスタはきょとんとした表情で暫く固まってしまった。今度は俺の方が首を傾げると、クリスタは驚いた様子でこう言った。
「ヒイラギって、そういうことも考えたりするんだね」
聞けば「いつも難しいことだけ考えてると思った」とのことらしい。それに対し俺はすぐに返事をする。「そんなことはない」と。
確かに生きた年月は彼らより一回りか二回りほど異なる。そのため年相応とは言い難い考えを巡らせることはあるだろう。それは経験の差があるが故。しかし年がら年中小難しいことばかり考えるほど頭脳明晰になったつもりはない。
それに、精神年齢自体はクリスタ達と大して変わらないのだ。精神は相応の年齢層に囲まれた環境で培われるもの。例えば何年経っても1人だけ小学校に居続けたとして、その精神は大して育ちはしないだろう。同じように、再び0歳からやり直したからといって生きた年月=精神年齢とはならないのだ。
「お腹が空いた時は献立のことばかり考えるし、壁の中にいると広い海を眺めていたいなんて思うこともあるんだよ」
「うみ?」
焦りこそしなかったものの、失言だったとは自覚した。壁に囲われたこの世界からは海は望めず、それらしき文献や言葉があるわけでもなかった。故に俺が発した海という単語にクリスタが首を傾げるのは当然の結果だった。
「……何かの本で見た。外の世界には塩が多く含まれた湖があるって」
「えっ、じゃあその『うみ』があったら塩が取り放題!?」
「そういうことになるな」
壁内において塩は標高の高い中央の方からしか採取できないためなかなかお目にかかれない。そんな貴重品を大量に採取できるなんて話を聞けば、彼女のように目を輝かせ夢を膨らませるのは必然だろう。
外の世界にあるものは塩だけではない。巨人が一切興味を示さない動植物や地下資源が山のように眠っているのだ。しかしウォール・マリアを突破された人類はそれらを手に入れる機会を得られずにいる。
もっとも、ウォール・マリア破壊以前にそれらを得ようと人類全体が行動を起こすことはなかっただろう。なにせ不足を感じることが少なかったのだ。貧民街で暮らすようなものでない限り、人類は安定した生活を送れていた。わざわざ危険を犯す必要を感じていなかったのだ。
だが限られた土地、限られた資源では文明の発達は円滑に行われない。現に壁内で電球などの電気を使ったものは存在しない。当然車も電話も存在せず、クレーンなどの建設機械も存在しない。
ならば、一体この『壁』はどうやって築かれたのだろうか。
かつて生きた世界でも、この規模で50メートル壁の建設を行うのに一体どれだけの資源、人材、費用がかかるかわかったものじゃない。その上、仮にこれだけの人工物を建設できたとしたら、何かしらの名残がどこかに残っているはずなのだ。壁により巨人の脅威から逃れて100年経つというが、たった100年しか経ってないのだ。その間に建造の名残が跡形もなく無くなるとは思い難い。
壁内にはウォール教という宗教が存在する。マリア、ローゼ、シーナの壁を神聖視し崇めるという宗教だが、こうしてみると安易に軽視することは出来なくなってくる。馬鹿げた言い方になってしまうが、それこそ神か何かが創り上げたとしか思えないほど、この壁は不自然なのだ。
「車……電気技術なんかがあればもう少し楽に倒せそうなんだけどな…」
不満をこぼしても仕方がない。俺はそれらに関する技術や知識をたいして持っていないのだから。抽象的に『こういうの』と言われても技術者側も困るだけだろう。
◆
かつて俺は壁が如何にして造られたのかを深く考えることをしなかった。ただ不思議だと、不自然だと思ったくらいで、それだけだったのだ。
まさか壁の中に『巨人』が入っているなんて夢にも思わなかった。
「壁の中全部に巨人がいる……ってか」
「笑えねえな…」
同じ部屋に待機させられているジャンが俺の独り言に反応する。現実から逃げるような、か細い声で。
アニとエレンの戦闘中、彼女の吹き飛ばされた腕は近くにあった壁に突き刺さり、本体の蒸発とともに消え去った。そして脆くなった壁の一部が剥がれ落ち、中にあった『それ』が光を浴びたのだ。
その状況に調査兵団や憲兵団が呆然とする中、誰よりも早く駆けつけ指示を出したのは意外な人物。ウォール教の司祭であった。
ニックというらしい彼は『巨人』に陽を浴びさせてはならないと言って覆い隠すことを指示。陽を浴びるか否かで巨人の活動に変化が起こることをハンジ分隊長は認知していたため、それを受け入れ応急的な対処を行なった。今ごろ、事の詳細をハンジ分隊長がニック司祭を問い詰めていることだろう。
俺はその場に居合わすことはなく、今作戦に参加した104期生であるジャン、ミカサ、アルミン、エレンらと同じ部屋で待機していた。巨人から引き剥がされたエレンはベッドに横たわっているが、未だ目を覚ます様子はない。
「つまり、僕たちは巨人によって巨人から守られてたってことになるね」
「笑えねえって言ってんだろ…」
アルミンの言葉もジャンは逃避するように吐き捨て、ガシガシと頭を掻きむしる。
早い段階でその姿を隠したこともあり、壁の中には50メートル級の巨人がいたなんて馬鹿げた話が壁内に知れ渡ることはないだろう。だが1度目にしてしまっては、忘れたくとも忘れることは叶わない。
嫌な沈黙がしばし流れた後、それを破るように部屋の扉が開かれた。外から調査兵の先輩が顔を覗かせる。
「ヒイラギ、アルミン。会議に参加してくれって団長が呼んでる」
「は…はい」
「…了解しました」
会議とはこの憲兵団施設にてこの日を総括するものだろう。行ったところで発言権はないというのに、俺やアルミンが呼ばれる意図はどこにあるのやら。
「じ、じゃあ俺も…上に行こうかな…こんな…湿気った地下室にいたら…滅入っちまうから…皆出た方がいいと…思うなぁ」
俺やアルミンに続いてジャンがそのようなことを呟いて部屋を出る。
「ミカサ、あなたも会議に出られるけどどうする?」
「私は…ここにいます」
「そう」
ミカサとエレンを置き部屋を後にした俺たちは途中でどこか気落ちしているジャンと別れ、上層部の集まる会議室へ足を踏み入れた。
そこで行われていたものを一言で表すのならば追求。ここへ来る途中に聞いた話によると調査兵団幹部召集の件はとりあえず保留となったらしい。そして今は、調査兵団が独断で行った女型の巨人捕獲作戦についての是非が問われている。
「エルヴィン、今作戦についていくつか疑問がある。目標の目星がついていたのなら、なぜ憲兵団に協力を依頼しなかった」
「区長…それは、女型の仲間がどこに潜んでいるかわからないからです。この最重要任務を遂行するに当たっては、潔白を証明できる者のみで行う必要がありました」
今回の作戦に参加していたのは基本的に調査兵団に入団して5年以上経つものばかりだった。それはエルヴィン団長が5年前のウォール・マリアを失った日に、超大型巨人や鎧の巨人などの中身が壁内に入り込んだと確信しているからである。
俺やアルミン、そしてミカサやジャンがこの作戦に参加できたのは遠征などを通じて身の潔白を証明できていたが故。それ以外の104期生は総じてウトガルド城で監視されている。当然、クリスタもそこにいる。
「壁内に潜伏していた『女型の巨人』…アニ・レオンハートを特定したことは評価する。しかし…それによって区が受けた被害についてはどうお考えか?」
「被害は出さぬよう挑みましたが、住民の財産や尊い命を失わせる結果になってしまいました。我々の実力が至らなかったためです。深く…陳謝します。
その一方で、奴らを逃がし壁が破壊されれば被害はこれだけでは済まなかった…そういう天秤を踏まえて実行に移したのも事実です」
「人類の終焉を阻止できたとの確証はあるのか?アニ・レオンハートからは何も聞き出せていないのだろ?」
「彼女は現在地下深くに収容されています。全身を強固な水晶体で覆われているため、情報を引き出すことは不可能です」
「つまり…無駄骨なのか?」
「奴らの一人を拘束しただけでも価値があると思います。…そう、彼らは必ずいるのです。一人残らず追い詰めましょう…壁の中に潜む、敵を…すべて」
部屋の中にいた者は皆、エルヴィン団長から感じられる凄みに気圧される。このまま押し切れば、会議は調査兵団が重罰を受ける事態にはならないだろう。
そうして微かな安堵を抱いた時、会議室の扉が勢いよく開け放たれ、入ってきたとある調査兵が焦燥に身を任せたような口調で言い放った。
「エルヴィン団長‼︎大変です‼︎ウォール・ローゼが‼︎」
◆
女型の巨人捕獲作戦中、俺を含めエレン、ミカサ、アルミン、ジャン以外の104期兵は嫌疑をかけられ軟禁されていた。アニを捕獲すれば人類の敵を撲滅できるわけではない。
鎧の巨人や超大型巨人などの明らかに知性を持った巨人も敵として認定されており、それらは5年前のウォール・マリア陥落時に壁内へ侵入したと推測されている。そしてアニ・レオンハート、女型の巨人の存在が『第104期訓練兵の中に彼女の仲間がいるのでは』という推測に信憑性をもたらしていた。
しかし、その中で壁が破壊されるという事態が起こった。104期にはいなかったか、世代バラバラで混じっていたか、そもそも壁の外から来た敵の増援なのか。考え出したらキリがない。
だが、すべきことは決まっている。調査兵団はエルヴィン団長が命令を下さずとも一つの意思をもとに行動を起こしていた。
『南へ向かう』
巨人に進入されたのなら、民が非難できるまで巨人を狩り時間を稼ぐ。それは巨人侵入時の作戦を何度も叩き込まれ訓練していた調査兵団にとって当たり前のことだった。
「クリスタ…」
馬車に揺られながら、俺はその名を呟く。
巨人が侵入してから早馬を飛ばしたとしても時間がかかる。簡単に計算すると、もう16時間は経過していた。
クリスタ達104期は軟禁されていたが、巨人が出現するという事態になれば兵士としての活動を余儀なくされ、住民の避難を手伝っていることだろう。しかし、彼らの元に人数分の立体機動装置は手配されていなかったはず。ならほとんど丸腰で避難誘導をしているというわけだ。
「オレが必ず穴を塞ぎます!」
向かいに座るエレンが力強く言う。
たった今繰り広げられていた話し合いを俺は話半分に聞いていたが、要するに女型の巨人が硬質化した皮膚は巨人化を解いても残っていて、『壁』は同じもので作られているのだという。ならば、エレンがその力を行使して壁の穴を塞げるのではないか、ということらしい。
確かに有効な作戦だろう。エレンが硬質化を行えないのと、壁を作るように皮膚を広げる方法に見当がつかないということを除けば。
「そろそろエルミハ区だ」
ハンジ分隊長の言葉を聞いて顔を上げると、町がすぐそこまで来ていた。
「俺と司祭はここまでか…後は任せたぞ」
隣に座る見慣れない男を横目にリヴァイ兵長は言う。彼はニックという名のウォール教の司祭で、その教団は壁の秘密を知っているらしい。それは絶対に口にしてはならないのだが、自分の目で状況を見て判断したいとのことだった。怪我を負っているリヴァイ兵長はその見張りとして。
「お前らはエルヴィンが決めた即席の班だ。わかってるなアルミン、お前はハンジと知恵を絞れ」
「は…はい!」
「ミカサ…お前の能力のすべてはエレンを守ることに使え」
「…!はい!もちろんです」
「ヒイラギ、お前は全体のサポートをしろ。…任せたぞ」
「はい」
俺を含め1人ずつ助言をして、リヴァイ兵長はニック司祭を連れ兵団から離れていった。そして俺たちは疲れのたまった馬を別のものへ取り替えたり、手配しきれなかった物資の調達を始めた。今から向かうのは壁が破壊された地域、言ってしまえば壁外だ。救援に向かうとはいえ、こちらがやられるわけにはいかないため準備は入念に行われる。
「心配だよね」
隣で一緒に積み込み作業をしているアルミンがそんなことを言う。わざわざ俺に言うということは『みんなのことが』ではなく『クリスタのことが』という意味だろう。
「…まあな、どうにも落ち着かない。といってもあっちにはミケ分隊長がいるし、他にも精鋭が動員されている。死んではいないと思う」
「……そっか、そうだよね。ミケ分隊長、すごく強いって話だもんね」
「……」
クリスタが生きていると思えるのは言った通り精鋭が揃っているというのもあるが、一番大きな根拠は彼女のそばにユミルがいることだった。最悪他の同期や先輩が全滅したとしても、彼女はどうにかしてクリスタだけは逃がしてくれるだろう。
決して俺とユミルが仲が良いというわけではないのだが、クリスタへの対応に関しての考えを違えることはない。
◆
物資が整いまもなく出発というタイミングで、調査兵団の前に再びニック司祭が現れた。その表情は別れる前よりも悪くなっており、察するに恐怖と混乱に包まれる街を見て思うところがあったのだろう。
ハンジ分隊長に問い詰められると、その口から思いも寄らない話を聞くこととなった。
「我々は代々強固なる誓約制度を築き上げ、壁の秘密をある血族に託してきた。……我々は話せない。だが…壁の秘密を話せる人物を教えることならできる…」
「……責任を…誰かに押し付けて、自分たちの身や組織を守ってきたってこと?」
「…そうだ」
壁の秘密。気になる話だし今後の動向に大きく関わることとなるだろう。けれど今は優先すべきことがあるのではないか。今すべきはよく知りもしない男の話を真摯に聞いてやることではなく、壁外に取り残されている仲間や民間人を救出することではないのか。
「その子は…3年前よりその血族の争いに巻き込まれ、偽名を使って身を隠している。その子はまだ何も知らないが…壁の秘密を知り公に話すことを選べる権利を持っている」
随分と遠回しな言い方をする。俺は先に物資の最終確認を済ませようとその場に背を向けた。
「今年調査兵団に入団したと聞いた。その子の名は———」
その名を聞いた瞬間、俺はその男を殴り飛ばしていた。
「ヒイラギ⁉︎」
「どういうことだ……なぜクリスタの名前が出る‼︎今ここで全てを話せ‼︎」
俺は自分でも驚くほどに激昂していた。心臓はドクドクと激しく脈打ち、息は自然と荒くなる。
倒れ込む男が状況を理解できていないかのような表情を浮かべ、それにどうしようもなく腹が立った俺はもう一度拳を振り上げた。
「待ってヒイラギ!気持ちがわかるとは言わない!けど今は堪えてくれ‼︎彼は私たちにとって取り返しのつかないほど貴重な情報をもたらして…‼︎だっ、誰か手伝って‼︎なんでそんなに力強いんだ⁉︎」
ハンジ分隊長が慌てて押さえ込もうとしてくるが、構わず男の方へ近づいていく。
「ひ、ヒイラギ‼︎俺もよくわかってねえが、確かにハンジさんの言う通りだと思うぜ‼︎おいミカサ!お前も手伝え!」
ハンジ分隊長に倣ってエレン、そしてミカサが加わったことで俺の動きは止まった。が、決して力を緩めずその男の顔面を睨み続ける。
「か、彼女を連れてこい…!」
殴られた頬に手を当て、痛みからか涙を目に溜めながら男は言う。
「彼女なら我々の知り得ない真相さえ知ることができるだろう……その上で、それを話すかどうかは彼女次第……だが…」
力尽きたのか、男は倒れたまま動かなくなった。
「死んじゃいねえな。お前らさっさと行ってこい。特にクリスタとやらは絶対に死なせるな」
「わかってる。みんな行くよ!」
リヴァイ兵長、そしてハンジ分隊長の命令に従って兵団は再び動き出す。各自立体機動装置を装着し、班ごとに固まっていく。
「コイツは俺が預かる。お前はお前がやるべきことをやれ」
「………了解。すみませんでした」
殴りかかりこそしなかったものの、未だニックを睨みつけていたヒイラギはリヴァイに言われたことで我に返り、一言謝ったのちにハンジの元へ戻っていく。
味わったこともないような濃厚な殺気を纏っていたヒイラギが離れたことで、その場に張り詰めていた緊張感が少しだけ解けた。
長い間お待たせしました。なかなか書くことができなくて放置してしまっていたんですが、改めて完結させることを目標に掲げてやっていきたいと思います。
未だ謎は残っていますが、本編が完結したことでこの小説の結末の構想は整いました。ぜひ楽しみにしていてください。意地でも完成させます。
各話の文字数ってどのくらいがいいですか?
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3000文字〜5000文字程度
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6000文字から8000文字程度
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9000文字から12000文字程度