為すべきを為す覚悟が 俺にはあるか。   作:カゲさん

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8 示されし明白

「巨人が出現して以来、人類が巨人に勝ったことは一度もない!!巨人が進んできた分だけ人類は後退を繰り返し、領土を奪われてきた!!しかしこの作戦が成功した時、人類は初めて巨人から領土を奪い返すことに成功する!!その時が!人類が初めて巨人に勝利する瞬間だろう!!」

 

「それは人類が奪われてきたモノに比べれば小さなモノがしれん!!しかしその一歩は我々人類にとっての!」

 

「大きな進撃になる!!」

 

 

「行くぞ!!」

 

イアンの掛け声と共に全員が壁から飛び降りる。壁上を走ってきたおかげで目標である大岩までの距離は最短。区内にいる巨人の大部分が砲撃を行っているウォール・ローゼ付近に引き寄せられているため岩と壁の間に巨人の姿はなかった。

 

「ぐっ……」

 

立体機動後指定ポイントに着地した時、腹部に痛みを感じ右手で抑える。やはり立体機動の負担は大きいようだったが、ここまで来れば引き返すことは出来ない。元々多少の痛みは承知の上で来たためそんなつもりは毛頭ないが、人類の存亡を左右する大舞台で精鋭として選出されたのだ。後悔にならないような働きをしなければ。

 

「ヒイラギ、大丈夫か」

 

「はい、問題ありま────」

 

心配して声をかけてくれたイアンへ返事をしようと振り返った瞬間、轟音と共に突然辺りの明るさが増した。何事かと向き直すと、雨雲は見当たらないにも関わらず大岩付近に巨大な雷が落ちていた。そしてその直後、落雷の地点に蒸気に包まれた何かが現れどんどんと膨れ上がっていく。

 

「……あれが…」

 

本当に人間が巨人になるとは。蒸気の中から起き上がってきたのは、トロスト区本部前で見た例の巨人。言うなれば巨人化エレンは、作戦通りに蹴破られた壁の穴を塞ぐため大岩のもとへ歩みを進める。

 

 

はずだった。

 

 

「………!!?」

 

何故か歩みを止めて振り向いたと思いきや、突然真後ろにいたミカサへ右腕を叩き込んだ。

 

「ミカサ!!」

 

間一髪で避けたミカサは急いで駆け寄るイアンの声を無視し、左腕による二撃目を避けつつエレンの顔に飛びついた。

 

「オイ!?ミカサ止せ!!そいつから離れろ!!」

 

再びイアンが声をかけるがミカサは一向に離れようとせず、エレンの目を見て声をかけだした。

 

「エレン!!私がわからないの!?私はミカサ!!あなたの……家族!!あなたはこの岩で穴を塞がなくてはならない!!」

 

赤い煙弾がリコの手によって打ち上げられる。いや、こうなることはわかりきっていた。そもそも嘘で出来上がった作戦だ。理想と現実に齟齬が生まれて瓦解することは目に見えていた。

 

未だ声をかけるミカサに向けてエレンが右腕を引き寄せるが、ミカサに避けられ腕は自分自身の顔面を殴り飛ばした。もはやあれはエレンじゃない。ただの巨人だ。班員から巨人接近の報告が上がる。作戦は失敗だ。

 

「イアン!撤退するぞ!!あのガキ扉を塞ぐどころじゃねーよ!!」

 

もしかしたら、なんて幻想は叶わなかった。ここは撤退するべきだ。座り込んで動かないエレンだけでなく、こちらまで餌食になってしまう。

 

「オイ!?何迷ってんだ!?指揮してくれよ!」

 

「イアン!?お前のせいじゃない!ハナっから根拠の希薄な作戦だった!!みんなわかってる!!」

 

「試す価値は確かにあったしもう十分試し終えた!!」

 

「…………」

 

ミタビの言う通りだ。もう諦めるしかない。ここで全員死ぬよりはエレン1人を犠牲にして再び作戦を練り直す方が合理的で可能性がある。ミカサは暴れるだろうが、全員で抑えればなんとかなるはずだ。

 

 

あぁ、それが人としてまともな判断なのだろう。

 

 

「いいか?俺達の班は壁を登るぞ!!」

 

「登ってはいけません!!」

 

俺の声に反応し、全員の動きが止まった。

 

「…登ってはいけません。まだ、作戦は続行すべきです」

 

「訓練兵が口を出すな!それを決めるのは俺達だ!!」

 

「それを承知で申し上げているんです!!作戦続行が絶対だと!!」

 

激昴するミタビに対して主張を繰り返す。

 

「お前も見ていただろう!?これ以上の作戦になんの意味がある!!同期を死なせたくない気持ちは分かるが、今優先されるべきは俺達が生きて帰ることで────」

 

「ピクシス司令の言葉をもうお忘れになったんですか!!最優先は壁を塞ぐことです!!その目的を基準にするなら、優先すべきは俺たちではなくエレンの命です!!」

 

「その優先順位はもうなくなった!奴が失敗したのを見ただろう!?」

 

「ならばもう一度挑戦すればいいんです!!」

 

こんな話をクリスタに聞かれでもしたら、どんな顔をされるだろうか。別に死ぬつもりでいるのではない。ただ死ぬ可能性が高いというだけのこと。いや、それでも酷く怒られるだろう。

 

「……………狂ってる……」

 

ミタビが吐き出すように呟く。ウォール・ローゼ側に巨人を引き寄せるため、砲撃に加えて大勢の兵士がトロスト区へ降りて囮になっている。既に大量の死体が巨人の腹の中に詰まっていることだろう。そんな惨劇を繰り返してでもエレンを利用すべきだという考えは、確かに狂気の沙汰なのだろう。だが────

 

「ヒイラギ」

 

イアンさんが俺の肩に手をあて静止させた。そして割って入るように1歩前へ出た班長は、各班に命令を下した。

 

「作戦は、続行する!」

 

「っ!」

 

「何だって!?」

 

リコが声を荒らげる。ミタビもイアン班長を問い詰めようとするが、当人は構わず言葉を続けた。

 

「ただし内容は変更する。エレンを回収するまで彼を巨人から守る。下手に近付けない以上エレンが自力で出てくるのを待つしかないが……人類にとっての貴重な可能性を、簡単に放棄することはできない。俺らと違って彼の代役は存在しないからな」

 

「……お前もこの出来損ないの人間兵器様のために、数百の犠牲を出す作戦を繰り返せっていうの?」

 

「そうだ…ヒイラギの言う通り、何人死のうと何度だって挑戦すべきだ!」

 

現場指揮権の保持者による耳を疑わざるを得ない言葉に、リコとミタビは一瞬言葉を失う。そしてそれは俺も同じだった。例え周りが反対しようとミカサにだけでも協力を仰いでエレンを死守するつもりでいたのだが、思わぬ誤算が生じた。イアン班長は、俺が思っていたよりずっと強い人だった。

 

「イアン!?正気なの!?」

 

「では!どうやって!!人類は巨人に勝つというのだ!!」

 

一切納得できていないリコに対して、イアン班長は問いかける。

 

「リコ教えてくれ!!他にどうやったらこの状況を打開できるのか!!人間性を保ったまま!人を死なせずに!巨人の圧倒的な力に打ち勝つにはどうすればいいのか!!」

 

人としてまともな判断。それは誰もが理解できるものである反面、場合によっては一つの妥協と受け取ることも出来る。それを繰り返して負けたとしても、相手との絶対的な戦力差という理由で無理矢理納得することができるから。しかし、それでは決して勝つことは出来ない。

 

「……………巨人に勝つ方法なんて、私が知ってるわけない…」

 

「あぁ…そんな方法知ってたらこんなことになっていない。だから……俺達が今やるべきことはこれしかないんだ…」

 

イアン班長は未だ動く気配もない巨人を見下ろす。

 

「あのよく分からない人間兵器とやらのために、命を投げ打って健気に尽くすことだ」

 

何故俺はあんなことを言ったのだろうか。冷静に判断すれば作戦は中止。普段の俺ならば迷いなくそう断言しただろう。しかし今回は違った。命懸けという場面で興奮しているからだろうか。

 

「悲惨だろ………?俺達人間に唯一出来ることなんてそんなもんだ…。報われる保証の無い物のために…虫けらのように死んでいくだろう」

 

そもそも俺は何かを為したいがために二度目の生を過ごしている。その『何か』が何なのかすら未だ漠然としたままで。ただ間違いないのは、他人を助けたいからという立派な正義感を持っていない俺は、前世で為し得なかった何かを為したという自己満足が欲しかったのだ。

 

ならば、俺は生きる選択をすべきではなかろうか。この作戦で死んだ結果エレンが生き残り、後に巨人に勝利する。そんなまだ見ぬ結果だけで俺は満足出来るだろうか。

 

否である。

 

ならばこんな狂った作戦に乗らず、本能に従い生存の道を選択する。そして、わかりやすい形で満足できることを為した後に自分に浸りながら死ぬ。あぁ、これが最善だ。俺にはそうする力がある。さあどうする。

 

否である!

 

ならば俺の目標はなんだ。所詮くだらない前世を生きた俺に、それ以外の何が出来るというのだ。何を為せばいいというのだ。

 

「…っ」

 

腹部が痛む。クリスタやイアン班長には強がったが、実際はかなり痛い。触れば血が滲んでいるのを感じ取れる。次同じところへ攻撃を受けたら間違いなく致命傷になるだろう。そうまでしてこの地獄へ降りた理由はなんだ。…明白である。

 

 

俺は─────

 

 

「さぁ…どうする……?これが俺達にできる戦いだ……俺達に許された、足掻きだ」

 

「…そんなの……納得できない」

 

「リコ!」

 

背を向けたリコをイアン班長が呼び止める。しかし、リコの言葉は予想に反したものだった。

 

「作戦には従うよ。あなたの言ってることは正しいと思う……。必死に足掻いて、人間様の恐ろしさを思い知らせてやる。犬死なんて納得できないからね……。後ろの12m級は私の班に任せて」

 

そう言うとリコ班長は班員を連れ、屋根から飛び立った。刃を抜いた兵士達がまっすぐ巨人へと向かっていく。

 

「立ち話が過ぎたなイアン……それとお前、名前はなんていう」

 

イアン班長の肩を小突いたミタビ班長は、俺に名を問う。それに対し俺は敬礼をとって応じる。

 

「ヒイラギ・ロイスです」

 

「ヒイラギ…覚えておこう。………さっきは悪かったな」

 

謝罪を口にしたミタビ班長は仲間を連れ、前方2体の巨人に向かって飛び立って行った。作戦は続行で間違いないようだ。イアン班長が味方してくれたおかげだろう。

 

「……イアン班長、ありがとうございます」

 

「例には及ばない。お前があんなことを言う奴だとは、少し意外だったがな」

 

「俺もです…」

 

衝動で声に出したことだったが、おかげではっきりした。俺の為すべきこと。いや、俺の為したいことが。

 

「それにエレンを見放すような真似をすれば、ミカサが何をやりだすか分かったもんじゃないからな……」

 

「あ、ありがとうございます…」

 

傍まで来ていたミカサが礼をする。それを断るように片手を上げたイアン班長は、彼女に今後の動きを示した。

 

「ミカサ。お前は当初の作戦通り自由に動くんだ。その方がお前の力が発揮されるだろう」

 

「はい!」

 

「恋人を守るためだからな」

 

「………家族です」

 

照れるように班長から目を逸らしたミカサの視界に、未だ動かず、さらには巨人の特徴である傷の再生が行われていないエレンの姿が映る。しかし、迷った後に彼女の出した答えは作戦の遂行だった。自分にできることを。彼女も彼女なりに考えているのだろう。

 

「ヒイラギ。お前はどうだ」

 

「問題ありません。作戦通り、ミカサの援護に回ります」

 

「あぁ。…………ヒイラギ」

 

「はい」

 

飛び立つ寸前で呼び止められ振り向くと、イアン班長がこちらをまっすぐ見て、心の底からの言葉を口にした。

 

「この作戦、どうなるかはわからないが………どんな結果になろうと、お前は決して間違ってなどいない。それだけは、覚えておいてくれ」

 

「……ありがとうございます」

 

もう一度敬礼をし、俺は屋根を蹴った。

腹部の痛みを排除し意識を立体機動と巨人にのみ集中させる。先に飛んだミカサは既に接敵して片足を切り落としていた。彼女の腕ならば討伐は容易いことだろう。今俺がすべきなのは、ミカサが一体一体確実に仕留められる環境を作ること。そのためにはまず、片足になった巨人の後方から近づくもう一体の動きを止めなければ。

 

直線距離では屋根をつたうこととなって時間がかかってしまう。それを考慮し時間的最短で辿り着くためには当然建物間を飛び抜けることが最善手。しかしミカサがうなじを狙って飛び回っている以上、高度を上げて飛べば奴らの手に捕まる可能性がある。ならば、1番リスクのない飛び方は、超低空での機動となる。

 

「ぐっ…!!」

 

振り子の運動を活用しない純粋なガス噴射のみで加速し、地面との接触でヒバナを散らしながらいくつかの角を曲がっていく。そして最後の角を抜けると、片膝をついた巨人がミカサを捕まえようと両手を上に持ち上げているのが見えた。しかし俺の目標はそいつではなく、その後ろにいる巨人。移動に割いた時間は最短だったとはいえ、かなり接近してきていた。

 

ガスを再噴射。地面に落ちないよう細心の注意を払いながら超低空を飛び、手前の巨人との接触寸前で全身をねじさせる。体を回転させ隙間を縫うようにして巨人の股の間をすり抜けた俺は、もう一度ガスを噴射させその勢いを加速させる。2体目の巨人は不意打ちのように現れた俺に反応出来ず、左のアキレス腱を容易に断ち切らせてくれた。

 

だが、予想外のことが起こる。通常片足の機能を失った巨人は膝をつくか前向きに倒れるのだが、タイミングが悪かったのかその巨人は後ろ向きに倒れてきてしまった。見ると、左足に攻撃を仕掛けた時にちょうど右足を持ち上げていたようだった。

 

「ノロマなっ……!!」

 

悪態をつきながら体の向きを変え、アンカー射出後に倒れてくる巨人の背中に向かって上昇する。このまま後ろ向きに倒れられたらうなじが地面によって防がれトドメをさせなくなってしまう。それを防ぐには、最低でもミカサが充分うなじを狙える体勢で留めなくてはならない。

 

「ッ!!」

 

息をとめ、力一杯に背中を蹴り飛ばす。しかし勢いが足らなかったか押し戻せるほどの力はなかった。ガスを噴射すればあるいは可能だが、ただでさえ移動で消費しているというのにここでさらに消費を重ねれば、後にガス欠を起こすのは必然となる。もしもの時に壁を登ることができない、なんて状況はなんとしても避けたい。

 

「………ッ、ミカサ!!」

 

アンカーを刺していた建物の壁が巨人の重さに耐えられず崩れそうになるのを感じ取り声を上げる。すると次の瞬間俺の頭上をミカサが通り抜け、その拍子に巨人のうなじが斬り飛ばされた。

 

「大丈夫!?」

 

「……平気だ。次に行こう」

 

少し切らした息を整えるため屋根に降りた俺を心配して駆け寄ってきたミカサに、イアン班とミタビ班が対応している巨人を示す。6m級は倒せたようだが、残り10m級は討伐しあぐねている。

 

「わかった…!」

 

瞬時に移動を開始していち早く辿り着いたミカサが、屋根に手を叩きつけ隙を見せていた巨人に上空から接近しうなじを一撃で削ぎ落としてみせた。今度は人数も多く、兵士達が注意を引いていたため楽に仕留めることができたらしい。

 

「マズイぞ………後ろだ!!」

 

「13m級1体!!建物を横断してエレンに向かって接近しています!!」

 

地面を這って移動していたためか、かなりの接近を許してしまっていた。とはいえ敵は単体で無防備に屋根で這いつくばっている。仕留めることは容易いだろう。が、さらに報告は続く。

 

「扉から新たに巨人が入ってきます!!」

 

「およそ10m級4体出現!!」

 

ミカサは一瞬迷うが、より近くまで接近している13m級を選択した。そしてそれはイアン班長も同意見だった。

 

「ミカサ、ヒイラギ!!後ろを頼む!!」

 

「了解!!」

 

「エレンの所に向かわせるな!!ここで食い止めるぞ!」

 

大きく外側へ振って高度を下げるような軌道を描いたミカサは巨人の後ろにつく。そして建物の上にアンカーを刺して大きく飛び上がり、重力加速にガス噴射を合わせ勢いのままに巨人を叩き斬った。援護の必要を感じさせない見事な動きだ。

 

「ミカサ!!」

 

「アルミン!?」

 

俺が彼女の隣に着地した時、エレンの方から聞き覚えのある声がした。エレンとミカサの幼馴染、アルミン・アルレルト。戦闘技能では優れていないため選抜組に選ばれなかった彼が、何故ここにいるのか。

 

「作戦はどうなった!?エレンはどうなっているんだ!?」

 

「危険だから離れて!!」

 

そこまで聞いて俺はその場を去った。アルミンとミカサほどエレンを理解している者はおらず、逆に俺はエレンのことを深く知っているわけではない。ならば俺があの場にいる意味は無い。優れた頭脳を持っていたならいてもよかっただろうが、それもアルミンの方が適任である。

 

俺は、4体を同時に相手取っている精鋭班に加勢しなくてはなるまい。彼らとて、あの数を倒すのは難しいだろう。

 

「ッ……!!」

 

突如、空気が震えた。後方からビリビリと脳を直接揺らすような叫声が響いてきたせいで多少バランスは崩れたが、すぐに立て直せられた。おそらく巨人化エレンの声だろうが、一体アルミンは何をしたのだろうか。

 

とはいえそちらは彼らに任せた以上、振り返ることは許されない。意識を目の前に戻し、2つ道を挟んだ先で巨人に捕まった駐屯兵を目標に据える。今回は距離的にも時間的にも最短は直線一択。

 

1つ先の屋根にアンカーを射出しガス噴射と共にすぐさま巻き取る。屋根との衝突で勢いを殺さないため着地と同時に側宙を繰り出し、その後の着地で屋根を蹴ってさらに加速する。人間を捕え浮いていた巨人の腕を斬り落とした直後、イアン班長がその巨人のうなじを削いでみせた。何度か攻撃を仕掛けた形跡があったが、ようやく絶命せしめたようだった。

 

「ぐっ…ゲホッ!……すまねえな、ヒイラギ…」

 

「いえ。今手当します」

 

巨人の手から解放された兵士は大量の出血を起こし脚にはいくつか骨折している場所があったが、俺に出来るのは応急的な止血と骨折箇所の固定のみ。それで暫くは持たせられるだろうが、やはり本格的な治療は安全圏でしか行えまい。

 

しかし、止血帯を取り出そうとした俺の手を横たわる兵士が掴んで押さえつけてきた。自らの命に関わる行為に異議を申し立てようと口を開くが、彼の目を見た時、一切の言葉が出せなくなった。

 

「駄目だ!お前は班と合流してエレンを守れ!!」

 

「………し、しかしっ…それではあなたが………せめて安全な場所へ」

 

「いいから行けぇ!!」

 

その文字通り必死の言葉に突き動かされるように、俺はそこから離れた。そしてイアン班長に引き付けられていた巨人を斬り捨てた直後、後ろから断末魔の叫びがパキッという音と共に耳に入ってくる。

 

「ッ!!」

 

歯を食いしばる。たとえ常人と異なる才能を持ち、訓練兵の首席をとり、初陣にて単独で多くの巨人を狩ろうと、全てを救えないことはわかっていた。頭では理解出来ているはずだった。しかしいざ目の前に救える命があれば思わず手を伸ばしてしまう。クリスタならきっと、それは優しさだと励ましてくれるだろうが、その優しさで巨人が自ら命を絶ってくれるわけじゃない。

 

ピクシス司令は示した。大いなる目的を果たすためには、多少の犠牲は厭わないと。そして兵士であり駒である俺達は、その犠牲となる覚悟を真っ先に持たなければならない。俺はそれを理解した風にして、実際にはどこか下に見ていたはずの駐屯兵団の先輩達の方がよっぽどその覚悟を持っていた。多少の犠牲を救おうとして、大いなる目的が果たされなくなるのは言語道断。力を過信して内心お高くとまっていた自分に反吐が出る。

 

「くそッ…!!」

 

建物の上へ登らんとする巨人の片脚をぶった斬りバランスを崩させ、地面へと叩き落とす。

 

俺にとっての大いなる目的。俺だけの絶対的目標。それと目の前で死に行く兵士達のどちらが重要か、比べるまでもない。選べる選択は2つの内の1つ。3つ目の選択肢は有り得ない。神に愛されし無敵の体は無く、祝福されし勇者の剣もこの手にはない。第3の選択肢は俺の両手では掬いきれないほど大きすぎた。

 

だから俺は、為したいことへと至るまでに生じる犠牲を良しとする。

 

「巨人5体……扉から来ます!」

 

「一旦下がるぞ!!エレンの状況に応じて判断する!!」

 

「了解!!…………ッ!!」

 

後退指示に従い振り返った時、この目に映った驚くべき光景を理解するのに数秒を要した。信じられないことに大岩と、全身から蒸気を放つ巨人が、大地を揺らしながら前へと進んでいた。

 

「エレン…」

 

ミカサがその名を呼ぶ。彼は立ち上がった。重々しくも猛々しく、自身の体より巨大な岩を門へと運ぶため。人類初めての勝利を掴むため。巨人を滅ぼさんとする人類の希望を一身に背負い、エレン・イェーガーは一歩、また一歩と前へ進む。

 

「後方から巨人多数接近!!」

 

「アルミン!!」

 

「エレンが勝ったんだ!!今…自分の責任を果たそうとして…!!」

 

興奮冷めやらぬ様子で飛んできたアルミンが、食いつくように叫ぶ。現状を打開する道を。人類が勝利する道を。

 

「エレンを扉まで援護すれば!!僕らの勝ちだ!!」

 

「……………!!」

 

距離にして、家屋8棟分。エレンがその長さを歩けば穴は塞がる。巨人の数、5体。たった5体を近づけさせなければ、俺達は勝利する。

 

「死守せよ!!」

 

「我々の命と引き換えにしてでもエレンを扉まで守れ!!」

 

全員が巨人へ立ち向かう。イアン班長の指示に従いミカサとアルミンはエレンの前を。俺は班長と共に巨人を引きつける役目を。しかし今巨人が立っている家屋と壁との間は幅が広く、立体機動を活かせる場所ではない。どうすれば確実に巨人をエレンから遠ざけることが出来るだろうか。

 

「ミタビ班…!?」

 

「何を…!?」

 

目にしたのは狂気の沙汰だった。門側にいたミタビ班4人は立体機動を捨て地上に降り、巨人を挑発するように叫びながら接近していった。そして2体の巨人の注意を引くや否や、方向転換し建物の方へと駆け出した。

 

「そんな…!!地上に降りるなんて自殺行為だ!!馬も建物も無いんじゃ戦えない!!」

 

アルミンが嘆く。確かに自殺行為だ。立体機動による勢いがなければ奴らの指を削ぎ落とすことすら難しい。しかし…

 

「イヤ…もう…………あれしかない」

 

こっちは7人。向こうは3体。2人か3人で1体ずつ当たれば、エレンが壁にたどり着くまでの時間は稼げる。ここが、正念場だ。

 

「ミタビ班に続け!!無理矢理接近してでも目標を俺達に引きつけろ!!」

 

全員が飛び降りる。ミカサとアルミンとは分かれ、俺を含めたイアン班はまっすぐ巨人の方へ走り寄る。

 

「こっちだクソ巨人共!!」

 

誰かが叫んだ。誰かが刃を1枚投げつけた。誰かが口笛を吹いた。各々思いつく限りの挑発行為を繰り返し、3体全ての巨人を引きつけることに成功した。

 

「建物まで走れ!!」

 

イアン班長の号令と共に転身する。全力で駆けるが敵は巨大なだけあって歩幅も大きく、かなりの速さで距離を詰めてきた。すぐ後ろに気配を感じる。捕まれば一環の終わり。左で叫び声。しかし振り向かない。建物までおびき寄せられれば立体機動に移ることが出来る。あと、10メートル!!

 

「………………え?」

 

視界が揺らいだ。意識が朦朧とする。顔が、何かと擦れる。…俺は、どうした………?今、何をしている…………走っていない………倒れているのか……?

 

何故………?

 

「ヒイラギ!!」

 

身体が浮いている………いや、何かに掴まれている………何に…………当然、巨人だ………巨人に…………巨人に………?まさか……捕まった!?

 

「ま……てぇっ!」

 

意識を起こす。未だ視界は暗い。この状態には覚えがある。貧血だ。戦闘や思考に意識を回しすぎて傷口の悪化に気が付かなかったようだ。そうと知れると腹部の痛みが尋常じゃない。貧血を起こすほどの出血をしているのも道理だ。

 

「はなせ……ッ!俺にはまだ……やらなきゃならないことがッ!?」

 

巨人の大きく開かれた口が近づく。1度その中に入ってしまえば生え並ぶ歯に俺の体は真っ二つにされてしまう。駄目だ。駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ!!それは駄目だ!!許されない!!俺はまだ為せていない!!まだ死ぬわけにはいかない!!俺はまだ……まだ彼女に…!!

 

「……なッ!?」

 

突如、巨人の手から開放されたかと思えば後ろへ投げ飛ばされた。

 

「ガッ!!」

 

地面に直撃し数度転がり静止するや否や、痛みのことなど忘れてすぐさま立ち上がり、叫ぶ。落下している最中、俺を救い出した兵士の姿がはっきりと見えた。思えば意識が消えかかった時、真っ先に名を呼んでくれたのも彼だった。

 

「イアン班長!!」

 

「走れ!!生きろ!!生きて───」

 

イアン班長の言葉が途絶えた。巨大な歯で切断された、班長の首が目の前に転がっている。死んでしまった。初めて尊敬できると思えた人物が、目の前で。

 

「…ッ!!」

 

俺は再び走り出した。彼の亡骸に背を向け、建物へ向かって一直線に駆けた。彼が稼いでくれた時間を活用して生き延びねばならない。彼の死は仕方の無いことだ。俺の目的のためには必要な犠牲だった。

 

それが俺の選んだ道だ。

 

「フゥッ!!」

 

建物に辿り着き、立体機動へ移行する。すぐそばで喰われる班員には目もくれずエレンの方へと向かう。巨人3体の引きつけは十分に達成された。今更構っている余裕はない。エレンと門までの距離は残り僅か。だが、1体だけが門の穴を潜り抜けてきた。奴が邪魔をすればせっかくの好機が不意になる。しかし逆に言えば、奴さえ倒せれば、作戦は成功だ。

 

「行くぞ…!!」

 

巨人に握られてより広がった傷口の痛みを誤魔化すように、自らを奮い立たせる。たった1体だ。エレンの前にはミカサがいる。討伐は彼女がやってくれるだろう。俺はイアン班長の指示通り、彼女の援護だ。

 

「ヒイラギ!!」

 

またもや俺の名を呼ぶ声が聞こえた。しかし今度は男性の声ではなく、張りのある女性の声だった。隣に見覚えのある人が現れた。丸眼鏡をかけた銀髪の駐屯兵。リコ班長だ。

 

「お前は右眼だ!!カウント5!!合わせろ!!」

 

「…ッ!! 了解!!」

 

5…

 

ガスを惜しみなく噴射させ加速する。13m級を討伐したミカサの動きに倣い、壁から離れるように大きく振りながら高度を下げる。

 

4…

 

そしてここぞというときに建物の屋根ギリギリにアンカーを刺しガスを再噴射。一気に加速した俺の体は大きく飛翔する。

 

3…

 

ミカサとアルミンに意識を向けている巨人の真上を飛び越え、壁から突き出た細く長い四角錐台の支柱に足を着かせる。

 

2…

 

着くや否や壁を蹴り巨人の顔を視界に入れる。相変わらず下を向いて俺やリコ班長への認識は皆無だ。

 

1…

 

両者同じタイミングでアンカー射出。それぞれ眼球の近くに刺さったのを確認してガスを一気に噴射。そして刃を手にした両手を振りかぶる。

 

0…

 

ワイヤーを回収しきると同時に両手を振り下ろす。両眼の機能を同時に失った巨人は方向感覚すら失い挙句の果てに尻を着いた。そしてそれを見逃すほど、ミカサ・アッカーマンは甘くない。

 

「ッ!!」

 

全速力で裏へと回りこみアンカーを射出。一切の迷いなく斜め下から一撃でうなじを削ぎ落としてみせる。これで、邪魔者はいなくなった。

 

大岩で穴を塞ぐ。そのためだけにどれほど犠牲が出たことだろう。100人。200人。今日壁が破壊されてからも含めればもっとだ。しかし、それは仕方ないと割り切るしかない。数百の命で数百万の命が救われたのだ。むしろ喜ぶべきことだろう。

 

こんなことを言えば、俺を間違いだと蔑むやつがいるだろう。確かに人道的かと言われれば決してそうではない。その観点でいうならば俺は間違っているのだろう。しかし相手は人ならざるモノ。窮屈な人の枠組に囚われていては勝てる可能性がなくなってしまう。

 

「い……いけえぇぇぇエレン!!」

 

非情になれ。冷徹になれ。残酷になれ。為したいことがあるのなら、他は捨てる覚悟を持って戦え。それが、それだけが…

 

 

『俺達』が『勝利』する唯一の道だ。

 

 

「…………ッ!!」

 

地面に尻を着いたまま、俺は大きく目を見開いた。鳴り響く轟音。力尽きる巨人。ひび割れた壁。光を閉ざした大岩。それら全ての要素が、作戦の成功を物語る。

 

「皆……死んだ甲斐があったな…」

 

リコ班長が噛み締めるように呟く。

 

「人類が今日…初めて…勝ったよ…」

 

黄色の煙弾が空高く舞い上がる。人類は今日、間違いなく一歩を踏み出した。巨人打倒という悲願を果たすための一歩を。

 

「……っ」

 

重い体を持ち上げる。穴は塞がり作戦は成功。しかし、俺のすべきことはまだ残っている。驕りがあった故に交わした約束だったとはいえ、ここまで来てクリスタを裏切るような真似はしたくない。

 

「残った巨人が来る!!壁を登るぞ!!」

 

「エレンを回収した後離脱します!!」

 

「俺も手伝っ、……くっ…」

 

膝が崩れ傷口から溢れる血が地面に飛び散った。後ろから地鳴りのような足跡が近づいてくるのが感じ取れる。立て。立ち上がれ。エレンを助け出すのはミカサやアルミンに任せて俺は壁を上るだけでいい。だからもう一度。もう一度だけ!

 

「…リ……コ…班長…?」

 

体が持ち上がる。しかし俺の力ではない。頬に銀色の髪が当たっているのがわかる。リコ班長が肩を貸す形の支持搬送で俺の体を支えてくれていた。

 

「あとすこしだ。堪えろ」

 

「…ありがとうございます……」

 

どうにか歩みを進め、エレンの側まで辿り着いた。しかし、未だエレン本体の体が巨人から切り離されていないようだった。耐えかねてリコ班長が声を上げる。

 

「まだ取り出せないのか!」

 

「体の一部が一体化しかけているんです!」

 

「なら切るしかない!」

 

アルミンの報告を聞いたリコ班長は決断する。しかしそれに対してミカサが意義を申し立てる。

 

「ま、待って下さい!」

 

「うわ!!」

 

突然千切れるように剥離したエレンの体が、引っ張っていたアルミンと共に転がり落ちてきた。あとは離脱するだけ。リコ班長がアルミンに声をかける。

 

「早く立て!急いで壁の上に───」

 

「あ……」

 

アルミンの絞り出すような声を聞き振り返る。間に合わない。すぐそこまで巨人の手が迫ってきていた。今すぐ立体機動に移って討伐するのは不可能だ。せめて、エレンだけでも生き残る道を…

 

「え……ミカサ…?」

 

違う。ミカサはエレンの隣にいる。ではなんだ。何故、巨人が倒されている……?

 

「あ……れは……」

 

蹂躙された巨人の上に立つ小柄な人影。とある兵団の象徴たる自由の翼を背負った、その男の名は…

 

「オイ、ガキ共。これは……どういう状況だ?」

 

 

「…………どう、なった…?」

 

目を覚ますと、空が青かった。背中から感じる規則的な軽い振動と車輪が転がるような音から、荷馬車で運ばれているのが理解出来た。傷口に手を当ててみると、真新しい包帯が巻かれている。

 

「調査兵団が駆けつけてくれたおかげで助かったんだ」

 

リコ班長が顔を寄せ覗き込んできた。頬に当たる髪がくすぐったい。

 

気を失う寸前の記憶を呼び覚ます。確か俺が倒れそうになった上エレンを取り出すのに手間取ったため巨人に捕まりそうになったところを、自由の翼を背負った男が救ってくれた後、続々と調査兵団の兵士達が降りてきて付近の巨人を一掃してくれたのだ。

 

「……ぐっ…」

 

「おいっ、無理をするなっ」

 

「……いえ、大丈夫です…」

 

上半身を起こそうとした俺の背中をリコ班長が支えてくれる。荷馬車の周りでは10数の駐屯兵と数名の調査兵が馬と並行して歩いていた。そして前方にもう1台荷馬車があり、そこにミカサとアルミン、そして横たわるエレンが乗っていた。

 

「見えてきたぞ」

 

言葉と共にリコ班長の指した先に、駐屯兵と訓練兵の集団が見えた。しかし彼らの表情は疲れきっていて、決して明るいものではなかった。歓喜を上げるには、失った仲間の数があまりに多すぎたのだ。

 

「あ……」

 

その集まりの中に、金髪の少女を見つけた。向こうもこちらに気づき目が合う。直後、少女が壁上に沿って走り出す。

 

「クリ……ス…タ…」

 

「ん…?なっ、何してる!?」

 

リコ班長の静止を振り払い荷馬車から転がり落ちる。周りの兵士達も心配して寄ってくるが、構わず走り出す。

 

「うっ……くっ…」

 

視界が揺らぐ。足元もふらつく。体は重く、今にも倒れそうだ。でも、脚は止められない。

 

「はぁっ……はぁっ…!!」

 

息が切れる。肺が痛む。また傷が開くかもしれない。構うものか。目の前に彼女がいる。彼女がこちらに向かって来ている。そんな時、俺が何もしないままでいられるものか。

 

「ヒイラギ!!」

 

名が呼ばれる。少女はすぐそこまで来ていた。伸ばした腕が、彼女の髪に触れる。

 

「クリ…スタ!!」

 

もがくように腕を回し少女を引き寄せる。小柄な体は同じように腕を回し抱きしめてくれた。戦いによって付いた血と土埃と汗の匂いに混じり、女の子特有の香りがした。

 

「無事でよかった……本当に、よかった…!!」

 

耳元で囁くような涙声と息遣いが聞こえる。俺は涙を流し、抱きしめる力を強めた。これだ。これだった。俺が自ら地獄に身を投じ、狂気に充ちた作戦を示し、犠牲を厭わない覚悟を持ったのはこのためだった。

 

「ただいま………クリスタ…っ」

 

なんだろうか、この感覚は。胸の奥底から込み上げてくるような身に覚えのない大きな感情。こんな気持ちは初めてだ。…いや、しかし、これに似た表現なら俺は何度か書物で見たことがある。

 

もう言い訳は必要ない。過干渉。嘘。誤解。兵士の責任。いつ死ぬかわからない。そんなことどうだっていい。俺にとってクリスタは大切な存在だ。俺にとってクリスタはなくてはならない存在だ。だからこそこれを、言葉に表すのなら…

 

 

そう、人はこれを『愛』と言うのだろう。

 

 

「クリスタ……俺は……俺は…っ!!」

 

俺が戦う理由はなんだ。自ら地獄に身を投じ、狂気に充ちた作戦を示し、犠牲を厭わない覚悟を持った理由を言葉に示せ。明白な事実を晒せ。

 

俺が覚悟を持って為すべきこと。

 

俺が心の底から為したいと思えたこと。

 

それは────

 

 

 

クリスタを守ることだ。

 

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  • 3000文字〜5000文字程度
  • 6000文字から8000文字程度
  • 9000文字から12000文字程度

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