為すべきを為す覚悟が 俺にはあるか。   作:カゲさん

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9 定められし翼

「だいぶ疲れてるな」

 

「うん……ちょっと大変だったかな…」

 

いつものように病室へ訪れたクリスタの肌は血の気が引いたように真っ青で、顔色だけ見ればどちらが入院すべきかわからないくらいに具合が悪そうだった。

 

大岩で穴を塞いだ翌日、トロスト区周辺には砲声が一日中鳴り響き続けていた。そしてその次の日からは戦いで犠牲となった人々の死体の回収と死亡者名の確認作業が行われた。幸か不幸か病室に軟禁となった俺はその作業に参加しなかったが、少なくとも異臭の中で死人の顔を何度も見るのはかなり精神を削られるということだけはわかる。

 

さらに死体の中にはただ食いちぎられたり踏み潰されたものだけでなく、一度巨人に飲み込まれた後にまとめて吐き出されたものもあるという。これが、巨人は消化器官を持たず生存のために人間を捕食しているのではないという説を裏付けているのだが。

 

「ジャンがマルコを見つけたんだって…」

 

彼女の言い方からして、見つかったのは死体だったのだろう。洞察力、判断力、そして冷静さを兼ね備えていたマルコは班員を束ねて無難に立ち回るはずと思えたのだが、そう甘くはなかったようだ。

 

「……マルコの班は他に誰がいた…?」

 

「えっと…アニとライナー、あとベルトルトかな……皆無事だよ」

 

「あの3人か…」

 

彼らはよく行動を共にしていて、ライナーとベルトルトは同郷と聞く。あるいは3人を助ける為マルコは犠牲になったのかもしれないが、それを当人らに聞くのはあまりに酷すぎる。

 

「……あれ、どうしたの?」

 

ふとクリスタが窓際に置かれた籠を指さす。中には幾つか果物が入っていて、一緒に木皿と小さなナイフも添えられていた。

 

「リーブスさんが見舞いに来てくれてな。兵士の義務だとかつまらん怪我をして時間を無駄にするなとか、散々悪態をついた後にそれを置いて帰っていった」

 

「面白い人だね」

 

言動のちぐはぐさがおかしかったのか、クリスタは小さく笑った。そしてその籠に手を伸ばして赤い果物とナイフを取り、徐ろに皮を剥き始める。

 

「自分でやる。疲れてるだろ」

 

「ううん、大丈夫。それに私、何も持ってこなかったから」

 

「気にしなくていいってのに…」

 

だがクリスタが皮剥きを止める気配はない。俺は諦めて、終わるのを待つことにした。窓から流れ込んだ風が金色の髪を揺らす。その隙間から覗く少女の顔は見惚れるほどに美しく、この瞬間が永遠に続けばいいのにという願望を抱かせた。

 

「………」

 

「ッ!?ヒ、ヒイラギ……!?」

 

その少女の頭に左手を乗せて軽く撫でる。

思えばいつからだったろうか。クリスタを守るという俺の為したいことを明確に表したのは六日前だが、言葉にせずとも同じ想いを抱いたのはそれよりずっと前だったはずだ。

 

正直に言えば、最初はただの興味だった。彼女の整った顔に反した歪な在り方に好奇心を唆られ、偶然好機を手にしたため行動を共にするようになっただけだ。少なくとも彼女と2人で街に出掛ける前まではそう思っていたはずだ。しかし次第にその在り方に対して好奇心以外の感情が介入していき、いつしかクリスタを通常の知人友人とは別のものとして見ていた。愛については縁遠かった俺がそれに気づくのには、長い時間を要したのだが。

 

「あ、あの……ヒイラギ……?」

 

「ん………あ、すまない…」

 

クリスタが小さく呟くと同時に、乗せていた手をトントンと軽く叩いたことで我に返った。いつの間にか彼女は顔全体を真っ赤に紅潮させていて、深く俯いてしまっていた。

 

それからしばらくしてどうにか自分を落ち着かせたのか、少しだけ顔を上げたクリスタは剥き終えたリンゴを俺に見せて、切り分けるための皿を求めた。

 

「ふっ…」

 

しかしそのリンゴを見た俺は、思わず吹き出してしまった。皮をすべて剥かれ果実を晒したリンゴの上半分は殆ど角がなく綺麗な形をしているのに対して、下半分はガタガタだった。それはもう初めてリンゴの皮剥きに挑戦した素人同然に。

 

「わ、笑わないでよっ!」

 

「いやっ……でもこれは……っ」

 

木皿を手渡した後、堪えられず手で顔を覆う。動揺の仕方がわかり易すぎて笑わずにはいられない。

 

「もうっ!」

 

拗ねるように背を向けたクリスタは皿に乗せたリンゴを慣れた手つきで6等分して、半分をこちらに差し出した。案の定、形の綺麗なものだけを。

 

「こっちじゃなくてもいいんだぞ」

 

「私が気にするからだめ」

 

そう言って勢いよくリンゴを口に放り込んだクリスタの、小さな頬が膨らむ。俺もそれに倣い、一つ手にとって口に含んだ。シャキシャキとした実を噛む毎に中から溢れてくる果汁が口いっぱいに広がる。壁内のリンゴはいくつか食べてきたが、これほど果汁を含んだリンゴは初めてだった。決して安くない、というか絶対高いだろう。リーブスさんに感謝しなければ。と言いたいところだが、退院後はこれまで以上に働かせられそうな気がしてならなかった。

 

「おいしい……!」

 

クリスタが口に手を添えて感想を若干こもり気味に言った。本当においしかったらしく、一つ目を飲み込むと間髪入れず二つ目を口に入れた。

確かにおいしいが、そこまで必死になるほどとは思えない。と、そこまで考えてようやく気がついた。普通、異臭を放つ惨たらしい肉の塊を見た直後に食欲が湧いたりしない。むしろ失せるはずだ。そのせいで配給食に手がつかず空腹だったが、このリンゴは嫌悪感を感じさせないまま胃の中へ収まった。そのためこれだと言わんばかりに食いついたのだろう。

 

まあ、手伝いが増えるくらいは構わないか。彼女の表情を見ていると、素直にそう思えた。

 

「ところで、怪我の具合はどう?」

 

二切れ目も食べ終えて落ち着いたのか、彼女は一度リンゴから目を離してこちらを向き直した。一週間前の戦闘でやはり相当無理をしたらしく右腹部はもちろんのこと、全身ボロボロの状態だった。しかしこれも訓練のおかげかこの身体の体質なのか、治りがかなり早かった。痛みこそ残っているが、傷はほとんど塞がりきっている。

 

「明日には出られるみたいだ。新兵勧誘式にも参加出来る」

 

「そっか…」

 

クリスタの顔色は多少マシにこそなったが、そこから影はなくならない。彼女が見て運んだ死体の中には当然、訓練兵が混じっていたことだろう。そしてその中には、言葉を交わしたことのある人も。

 

さらに彼女の顔の暗さにはもう一つ原因がある。俺が今言った、新兵勧誘式。調査兵団、駐屯兵団、憲兵団がそれぞれ新兵に勧誘演説を行い、新兵はその場で所属する兵団を決定する。それについての悩みだろう。

 

「クリスタは志望兵団、決めたのか」

 

「……私は…」

 

答えを渋る。まだ迷っているようだったが、こればかりは自分で決めるべきことで俺が口出しするようなものじゃない。解散式で10位以内に選ばれたクリスタには選択肢が3つある。普通なら憲兵だろうが、彼女はおそらく…

 

「…ヒイラギはやっぱり調査兵団…?」

 

「あぁ。俺のやりたいことは決まったしな」

 

「…………ねえヒイラギ、六日前にヒイラギが壁の上で言おうとしたことって───」

 

ふいに病室の扉が開き、クリスタの声が妨げられた。俺と彼女がそちらに視線を向けると、肩に薔薇のエンブレムが縫い付けられた兵団服を着た女性が部屋に入ってきた。そしてこちらに顔を向けたその人は足を止め、一言。

 

「邪魔をしたか?」

 

「い、いえっ!!」

 

慌てて立ち上がったクリスタは手早く片付けをして「失礼します!」と銀髪の駐屯兵に挨拶をして走り去っていった。

 

「可愛らしい恋人だな」

 

「違います。からかわないでください…」

 

「…なんだ、そうなのか」

 

クリスタが走っていった方を興味深そうに見ながらリコ班長は丸椅子に腰を下ろした。駐屯兵の中の精鋭だけあってクリスタほど顔色が悪いわけではなかったが、さすがに万全とはいかなかったようで戦場で言葉を交わした時よりも少しやつれて見える。

 

しかしクリスタが来た時にも思ったことなのだが、死体の処理をしていた割には異臭が漂ってこない。それどころか、いつもより石鹸の香りが強いようにも思える。さすがは女性だと言うべきか、入念に体を洗って臭いを落としたらしい。他にも何人か男の訓練兵が見舞いに来たが、微かに臭いが残っていて彼らが余計疲れているように感じられた。特にコニーは酷かった。あの醜悪な臭いは忘れられない。

 

「見舞いに来てくれたんですか、リコ班長」

 

「もう私は班長ではないよ……今日は見舞いというのもあるんだが、一つ伝えておくべきことがあってな」

 

そう言われれば、確かにそうだ。トロスト区奪還作戦を完了した時、エレンと同行していた兵士の中で生き残ったのは俺とミカサ、アルミン、そしてリコ班長のみだった。そう、彼女の班は彼女だけを残して全滅した。故にリコ班長はもう班長ではない。

 

「…リコさん。伝えておくべきことというのは?」

 

「被検体として捕獲されていた二体の巨人が、何者かによって殺害された」

 

「……!!」

 

トロスト区に残った巨人の掃討作戦を行った時、調査兵団が二体の巨人を捕らえたという話を聞いた。討伐するだけでなく、巨人の生態調査を行うべく捕獲まで成功させてしまうとは、さすがは調査兵団だと思わせてくれたものだ。

 

「余程巨人に恨みがあったんだろうな…」

 

とはいえ、それは間違いなく軍規違反だ。すぐに捕まって相応の罰則が与えられたことだろう。

 

「その犯人はまだ捕まっていない。突き止める為兵士全員の装備を確認したが、結局分からず終いだ。立体機動装置を使った犯行だとわかっているから、兵士の中にいることは間違いないんだがな…」

 

「………」

 

巨人への衝動的な恨みで行為に及んだと思っていたが、話を聞く限りではそこに計画性を感じさせた。

 

「…それが伝えるべきことですか…?」

 

「ん?あ、いやそうじゃない」

 

顎に手を当て深く考え込んでいたところへ声をかけると、思い出したように首を横に振った。

 

「その件にはお前の装備も含まれていてな。掃討作戦のあと装備交換をした時、ついででお前のもやっておいたから今日の確認も私が報告したんだ。一応それを言いに来た」

 

「わざわざそんな……ご迷惑をおかけします」

 

「私が自分の意思でやったんだ。謝られるようなことじゃないよ」

 

こちらが頭を下げると、向こうは再び首を振った。

 

「ところで、所属する兵団はもう決めたのか?」

 

切り替わった先の話題は、やはりというべきか兵団についてだった。別段、同じ話題ばかりでうんざりするというわけではない。大きなイベントが控えているとどうしてもその話をしたくなるのは道理だ。試験前日は皆、繰り返すように試験への不安や意気込みを語るもの。それと同じである。もっとも今回の場合においては、戦場の処理という嫌な記憶から出来るだけ目を逸らしたいという気持ちも混在しているのかもしれないが。

 

「決めていますよ」

 

「…そうか。お前は104期訓練兵団で首席だったと聞く。やはり、憲兵団にするのか?」

 

「いえ、調査兵団にします」

 

それを聞いた彼女は目を丸くしたがしかし、思いのほかリアクションは薄かった。

 

「あまり驚かれないんですね」

 

「いや、驚いたよ。まさか調査兵団だとは。………でもまあ、合点はいった。たしかにお前は調査兵団向きかもしれん」

 

それはつまり、俺があの変人の巣窟と呼ばれる狂気の集団にお似合いだということだろうか。

そう出そうになった言葉を飲み込む。彼女が言うのは巨人に対する戦闘能力についてであって、決して常軌を逸した人格だなんて意味で言ってはいないはずだ。絶対。きっと。恐らく。たぶん。

 

「本音を言えば、是非駐屯兵団に欲しいところなんだがな。またいつ壁が破られるかわからない。いざという時、お前の力は多くの市民を救うことになるだろう」

 

「……ありがとうございます。ですが、俺は調査兵団でしか為せないことがあるので」

 

その評価は素直に嬉しいものだったが、俺が駐屯兵団へ行くことは決して有り得ない。そこへ行ってしまったら、この人生もきっとろくなモノではなくなってしまう。

 

「…さっきの子か?」

 

「えぇ」

 

その問いに対しては迷わず肯定を示す。

クリスタ・レンズ。彼女はきっと調査兵団へ入るだろう。いや、きっとそうせざるを得ない。しかし、俺はその志願理由を何としてでも砕かなければならない。彼女が大切だからこそ、彼女の願いを届かせはしない。

 

「それは残念だ」

 

元から断られることは承知だったようで、特にショックを受けるような様子もなく立ち上がったリコさんは、立場上の義務として明日の新兵勧誘式の集合時刻を告げたのち病室から去っていった。

 

「…………ごめんな、クリスタ…」

 

誰もいなくなった部屋で、俺は小さく呟いた。

 

 

翌日、予定通り退院した俺はしばらく着ていなかった兵団服に袖を通し新兵勧誘式が行われる会場へと向かった。設置された壇上の前には既に同期訓練兵達が集まっていて、各々希望兵団について話し合っていた。

当然のことながら訓練兵の殆どが駐屯兵団志望のようだったが、中にはエレンという今までにない要素を過大に評価して、俺こそがウォール・マリアを取り戻す英雄になるんだなどと夢を見る者もいた。彼は議会の結果リヴァイ班配属となったエレンがどういう経緯で壁を塞いだのか、聞かなかったのだろうか。いや、あるいは聞いた上でああして妄想をふくらましているのかもしれない。ふと目に入ったミカサの顔に、トロスト区奪還作戦前にはなかったはずの小さな切り傷の痕があった。

 

「ヒイラギ!!」

 

そのすぐ側にクリスタの姿があった。真っ先に駆け寄ってくる彼女だけではなく、ユミルやアルミン、コニー、サシャ、アニ、ライナー、ベルトルトの顔見知り達が同じ場所に集っていた。

 

「昨日は急に帰ってごめんね」

 

「気にするな。ところで昨日の果物がまだ余ってるんだが、あとでクリスタにも───」

 

「ゥオイヒイラギィ!!」

 

突然名が呼ばれたかと思えば、服の襟を引っ張られてガクンと体勢を崩された。そしてそのまま首に腕を回され身動きが取れなくなる。喉が締め付けられて息苦しい。決して抵抗できない訳では無いのだが、それで傷口がまた開きでもしたらたまったものじゃない。

 

「てめぇが何考えるかは勝手だがなぁ。クリスタをお前なんかに渡すと思うなよ!?」

 

聞き慣れた声。ユミルだ。ここ数日顔を見ていなかったため、最後に会ったのは奪還作戦前だ。いや違う。違うことは無いが、直接顔を合わせずとも向こうがこちらを見ることは出来たはずだ。あの時は無我夢中だったため周りの視線は気にならなかったが、思えば奪還作戦後に壁上のど真ん中でクリスタと抱き合ったのは大胆すぎる程に大胆な行為だ。あんな目立つことをしてユミルがそれを見ていなかった、なんてことはありえないだろう。

 

「ユミルっ!!ヒイラギはまだ怪我人なんだから乱暴にしちゃだめだよ!!」

 

「ミカサよりも化け物のこいつがこのくらい、どうってことねえよ。なぁヒイラギ?」

 

「げほっ……どうってことないかどうかはともかく、出来れば離して欲しいんだが…」

 

そう願うと、ユミルは案外簡単に拘束を解いてくれた。冗談であることはわかっていたが、ここまであっさりしていると拍子抜けしてしまう。傷への気遣いだろうか。いやいや、それほどまでわかり易すぎる優しさを彼女は持っていない。彼女は、もっとこう、回りくどい。

 

「いいんだよ、お前は」

 

こちらが感じた違和感を察したのか、ユミルはいつか聞いた言葉と似たようなことを話す。似たようなことと言っても、その時とは状況も意味合いも何もかもが違っている。

 

「それとも、私の見当違いか?」

 

「俺はクリスタの味方だ」

 

意趣返し、という訳でもないのだが、俺もユミルが発した言葉の一人称だけを変えて言ってみせた。ただしこちらに関して言えば、意味合いが変わったりなどはしていないが。

俺の言葉を聞いたユミルは少し目を見開かせ、「けっ」と吐き捨てるようにして口角を持ち上げた。

 

俺が言えたことではないだろうが、ユミルやクリスタには謎が多すぎる。いや、大きすぎると言うべきか。クリスタについてはわざわざ言及する気にならないが、ユミルに関してはそうもいかない。クリスタにとってユミルの存在は大きな要素となっている上に確たる証拠もないため上官に告発なんてことはしないが、出来れば真実を知っておきたいというのが本音だ。

 

当然彼女は簡単に教えてくれたりはしないだろう。対価として俺の持つ情報を出すべきか。いや無理だろう。前世に存在した技術に関して素人の俺が出せる程度の技術情報なんていくら出したところで、ユミルと俺の提示するモノとではそれぞれ利益の先が全く別の方向を向いていて噛み合わない。等価交換のようにしてユミルの素性を知ることは不可能だ。

 

「もうっ!二人で一体なんの話してるの!?」

 

俺とユミルの間に割って入ったクリスタが、不服そうに頬を膨らます。決して蚊帳の外にしていた訳では無い。それどころか会話の中心となっていたのは彼女なのだが、当の本人は知る由もない。単純に仲間外れのような扱いをされたと思い、それがお気に召さなかったようだ。

 

「大したことじゃない。気にするな」

 

「わっ!もうヒイラギっ!!」

 

誤魔化すようにクリスタの髪をわしゃわしゃと撫でていると、視界の端にもう一人顔見知りの姿が映った。生きていると聞いた割には姿を見ないなと思っていたが、集合時刻ギリギリになって到着したようだった。

 

「ジャン、久々だな」

 

「ん?…あぁお前か。怪我はもういいのか?」

 

「…おかげさまでな」

 

クリスタから話を聞いたところ、ジャンは調査兵団に志願するという。散々調査兵団に入ろうとするエレンを死に急ぎ野郎などとバカにして喧嘩をしていた奴の言葉とは到底思えなかったが、こうして直接表情を見る限り、彼の中で何かが変化したことは間違いないのだろう。やはりマルコの影響だろうか。ジャンとマルコが一緒にいるところはよく見かけていた。そして、戦死した彼の亡骸を見つけたのもジャンだったと聞く。一体、彼にどのような心情の変化があったというのだろうか。

 

「ジャン、どうして突然調査兵団に?」

 

俺が直接聞くまでもなく、壁に寄りかかっていたサシャがジャンに問いかけた。巨人を目の当たりにして尚、調査兵団へ志願することを決めたジャンの考えを聞いて自分の悩みへのアドバイスとしようと思ったのだろう。

 

「その…怖くないのですか?」

 

「は?嫌に決まってんだろ。調査兵団なんか」

 

「え?…じゃあお前、なんで…」

 

余程予想外の返事だったのか、疑問の声を上げたのはサシャではなくコニーだった。それに対しジャンはいつもと変わらない態度で答える。

 

「別に巨人が怖くないから調査兵団に決めたわけじゃねぇよ。そして有能な奴は調査兵団になる責任があるなんて言うつもりも無いからな」

 

「いいか?くれぐれもエレンみてぇな死に急ぎ野郎とオレを一緒にすんなよ。オレはな…」

 

上官から整列の指示が飛ぶ。詳しくこたえるような時間は無いことを知ったジャンは、自分の考えを端的に伝える。

 

「誰かに説得されて自分の命を懸けているわけじゃない。こればかりは自分で決めずに務まる仕事じゃねえよ」

 

誰かに請わず、自分の命の使い方は自分で決めろ。突き放すようなことを言われた後、一同は壇上を正面とした列に加わった。そしてまもなく壇上に背の高い男性が現れる。兵団服の胸には自由の翼の紋章。一言目は、彼の自己紹介から始まった。

 

「私は調査兵団団長、エルヴィン・スミス。調査兵団の活動方針を王に託された立場にある。所属兵団を選択する本日、私が諸君らに話すのはやはり調査兵団の勧誘に他ならない」

 

おそらく壁内にいる人類の中で、現状最も多くの命を背負っているのは彼だろう。当然全人類の責任者という意味で最も多くの命を背負っているのは王だろうが、毎度大量の死人を生み出す壁外調査においての現場責任は彼にある。そんな人物の言葉は、とてつもなく重い。

 

「しかし今回の巨人の襲撃により諸君らは壁外調査並みの経験を強いられた。かつて例が無いだろう。訓練兵でありながらこれ程犠牲を経験したことは。既に巨人の恐怖も、己の力の限界も知ってしまったことだろう」

 

「しかしだ。今回の襲撃で失った物は大きいが、これまでに無いほど人類は勝利へと前進した。それは周知の通り、エレン・イェーガーの存在だ。彼と諸君らの活躍で巨人の侵攻は阻止され、我々は巨人の正体に辿り着く術を獲得した」

 

一度見舞いに来たアルミンによれば、エレンは1ヵ月後に予定されている壁外調査で結果を残すことが出来れば今後も調査兵団の一員として行動出来るという。しかしそれが為されなかった場合、エレンは憲兵団に引き渡しとなり、おそらく殺害される。

 

エレンが巨人の力を制御し人類に尽くすことになった場合、その戦力は計り知れない。あるいは巨人淘汰だって夢じゃなくなる。だとすれば……

 

いや待て。巨人の正体に辿り着く術とはなんだ。確かにエレンの存在は巨人の謎を解く鍵にはなるだろうが、それだけで巨人の正体がわかるとは到底思えない。

 

「彼に関してはまだここで話せることは少ない。だが間違いなく我々の味方であり、命懸けの働きでそれを証明している。そして彼の生家があるシガンシナ区の地下室には、彼も知らない巨人の謎があるとされている」

 

辺りがざわめきだす。皆が口にすることの殆どが、「もしかしたら本当に…」というものだった。

つまり、巨人の正体に辿り着く術というのはその地下室であり、そこへ到達するための条件であるウォール・マリア奪還に、エレンの力が必要になってくるということだろう。しかし、そこまで言っていいものなのだろうか。

 

「我々はその地下室に辿り着きさえすれば、この100年に亘る巨人の支配から脱却できる手がかりを掴めるだろう」

 

それほどまで重要な情報を、新兵である俺達が聞いていいものなのか。このことが街中に知れ渡ればトロスト区奪還の知らせと同じかそれ以上の規模で混乱が起こるだろう。

 

ふと、エルヴィン団長と目が合った気がした。彼はその後も全訓練兵を見渡すように視線を動かす。何かを見極めるようなその目は、調査兵団に相応しい訓練兵がいるかを探るためのものではない。それとは別の、何かを見つけるための目。

 

「何を見ようとしているんだ?」

 

アルミンが呟く。エルヴィン団長の目的は、巨人の正体を掴む手掛かりという貴重な情報を開示する行為よりも重要なことなのだろう。巨人の正体。巨人の謎。それには通常種や奇行種の巨人に加え、エレンが持つ人間が巨人になる力、そして超大型巨人や鎧の巨人。奴らがどういう仕組みで現れ、そして、消える………のか……

 

あぁ、そうか…! あの二体は他の巨人とは何もかもが異なっている。壁を破壊する際には最も脆い部位である門を的確に破壊し、脅威となる壁上固定砲を真っ先に薙ぎ払った。その明らかに感じられる知性と、突発的な出現と消失。それはまるで、エレンの在り方と同じではないか。

 

仮にあの二体の中に人間がいたとすれば、どこに潜伏しているか。巨人が壁外にて出現したため潜伏先も壁外。なんてことはないだろう。巨人化可能な人間でも、他の巨人には襲われる。それはエレンと、そして彼女が証明している。であれば当然、敵は壁内にいるはずだ。では壁内のどこに…

 

まさか────

 

「ただ、シガンシナ区内の一室をじっくり調べ上げるためにはウォール・マリア奪還が必須となる。つまり目標はこれまで通りだが、トロスト区の壁が使えなくなった今、東のカラネス区から遠回りするしかなくなった。4年かけて作った大部隊の行路もすべてが無駄になったのだ」

 

ここで、どこか浮ついていた訓練兵に釘が刺される。

 

「その4年間で調査兵団の9割以上が死んだ。4年で9割だ。少なく見積っても我々が再びウォール・マリアに大部隊を送るには、その5倍の犠牲者と20年の歳月が必要になる……現実的でない数字だ」

 

単純計算、一班五人と仮定した場合生き残れる可能性は5%以下。我こそは、なんて根拠のない期待を抱く者にとってその数字は殆ど死と同義だろう。

 

「調査兵団は常に人材を求めている。毎回多数の死者が出ることによって慢性的に人員が不足している。隠したりはしない。今期の新兵調査兵も、一月後の壁外調査に参加してもらう。早急に補給ルートが必要なのだ」

 

「新兵が最初の壁外遠征で死亡する確率は5割といった所か。それを越えた者が生存率の高い優秀な兵士となってゆく」

 

後継を育てるためだろう。さすがに新兵を前に立たせるなんて真似はしないようだが、それでも5割。コイントスで生死が決まるようなものだ。

 

「この惨状を知った上で、自分の命を賭してもやるという者はこの場に残ってくれ」

 

いつか本当に、巨人の正体が分かるかもしれない。いつか、人類が勝利して巨人を殲滅出来るかもしれない。しかしそれを直接為すのは、自分じゃない。そんな『いつか』や『かもしれない』のためにこの命を捨てることができるのか。どちらが懸命かは、言うまでもない。

 

「もう一度言う…調査兵団に入るためにこの場に残る者は近々殆ど死ぬだろう。自分に聞いてみてくれ。人類のために心臓を捧げることができるのかを」

 

残酷な現実。それは訓練兵の心を調査兵団から遠ざけるのには十分すぎるものだった。人員不足だというのにわざわざ人員を遠ざけるようなその物言いは、訓練兵をふるいにかけるためだったのだろうか。生半可な気持ちで戦えば、いざという時に心が折れ、役に立たないばかりか足手まといにすらなりうる。それはその兵士にも、兵団にとっても良いことではない。だからエルヴィン団長はあんな言い方をするのだろうか。

 

「以上だ。他の兵団の志望者は解散したまえ」

 

列の後方から順に去っていく。彼らは決して悪くない。意気地無しだとか根性無しだとか言われるようなことはしていない。エルヴィン団長のあんな言葉を聞けば、誰だって背を向けたくなるだろう。おかしいのはむしろ、去らない者の方だ。

 

「………」

 

彼らは知った。巨人の恐ろしさを。彼らは見てしまった。巨人が人間を喰らうところを。ここに残れば最後、まともな死に方はできないだろう。

 

しかし、彼らは動かない。いくら頭に訴えても、いくら言葉を並べても、足はその場を離れない。

 

「……君達は、死ねと言われたら死ねるのか?」

 

訓練兵の殆どが立ち去って尚、背を向けなかった数少ない者達にエルヴィン団長が問いかける。

 

「死にたくありません!」

 

誰かがか細く、必死に震えた声で答えた。

 

「そうか……皆…いい表情だ」

 

エルヴィン団長が右手を胸に叩きつける。

 

「では今!ここにいる者を新たな調査兵団として迎え入れる!これが本物の敬礼だ!」

 

「心臓を捧げよ!」

 

「「ハッ!!」」

 

本当にバカな俺達が、自由に心臓を捧げる。いつかソレを勝ち取るために。

 

「…………皆…」

 

「あぁ………クソが…最悪だチクショウ……調査兵なんて…」

 

「…う…嫌だよぉ…こわいぃ……村に帰りたい………」

 

「あぁ……もういいや…どうでもいい」

 

バカな自分に呆れ果てるように、残った者が口々にそう呟く。横にいるクリスタに目を向けると、言葉こそ発していないが酷く怯えたように震えて涙まで浮かべている。

 

「……泣くくらいならよしとけってんだよ」

 

まったくだ。ユミルの言う通りである。他の方法ならともかく、調査兵団なんて厄介なことをしてくれる。

 

「第104期調査兵団は、敬礼をしている総勢22名だな」

 

トロスト区奪還作戦を生き残った第104期訓練兵は、およそ250人。そして調査兵となったのは22人。少ない数だろうか。いや、むしろよくこんなに残ったものだと感心すべきだろうか。

 

「よく恐怖に耐えてくれた…君達は勇敢な兵士だ。心より尊敬する」

 

その言葉は、エルヴィン団長の心からのものだった。

 

 

────────

 

 

思えばあの時、俺はきっと何としてでも彼女が調査兵団に入団することを阻止しなければならなかったのだ。彼女に関しては察しがついていた。そこからこの展開は予測できたはずなのだ。そうしたらきっと、別の物語になっていたかもしれない。少なくとも今、こんなことにはなっていなかったはずだ……

 

だが、こうなってしまった以上は仕方がない。俺が為すのはクリスタを守ること。それをお前が妨げるというのなら───

 

 

 

 

「ユミル……お前を殺す」

 

 

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