蒼樹先生に別の作画をつけたかっただけの小説 作:おもち
あともう1話すぐ投稿します。
「先生……起きてください……先生!」
耳元で大きく鳴り響く声と、体が揺すられるような感覚で目が覚めた。
唐突に覚醒した意識に体は追いついていないようで、急に目に入る光に目を細める。
不自然な体制で寝ていたからか体が痛くい。
呻き声を上げながらなんとか体を起こすと、目の前で心配そうに自分を見つめる加藤さんの姿があった。
「先生またこんな所で寝て…ちゃんとベッドで寝なきゃダメだっていつも言ってるじゃないですか…」
そういう彼女は怒っているようで、いつも笑顔の彼女には珍しい仏頂面だった。
「あぁ…ちょっと原稿が間に合わなそうだったからさ…」
僕はそう言うと、隅に纏めてある原稿を確認する。
いつの間にか寝ていたので傷とかがついていないか心配だったが、寝る寸前の僕はそこら辺は配慮出来ていたようで、傷一つなかった。
そのことに一先ず安堵して、早速残った原稿に手をつけようとする。
ペンを握り、途中の原稿を持ってこようと手を伸ばす。
しかし、その手は自分のものではない手に止められる。
「先生……?何普通に描き始めようとしてるんですか……?」
「いや…だって描かないと……」
「まずは顔洗ってきてください!あと朝食も…!」
無理やり持っていたペンを取り上げられて、洗面台の方へと手を引かれる。
洗面台で顔を洗いながらも考えることは原稿のことばかりで、締め切りから逆算しながら予定を組み立てていく。
そんなことをしながら顔を洗い終わり、作業場へと戻ろうとすると、口の中に何かを入れられた。
「取り敢えず食パンでも食べてください…原稿はその後です…」
加藤さんは食パンを僕の口の中に突っ込んで、ソファーまで僕を連れて行く。
ソファーの上には食パンとコーヒーが置かれており、その手際の良さに僕は驚いた。
「いつのまに…というかこれアシスタントの仕事じゃないと思うんだけどなぁ…」
「私が用意しないと先生全然食事しないじゃないですか…!倒れられても困りますから!」
「そっか…ありがとね……」
僕の体調に心配してくれる彼女に感謝しつつ食事を始める。
その間に彼女は作業場の方へと行き、描かれた原稿のチェックをしていた。
「先生…!進んでた原稿が元に戻ってるんですけど、どういうことなんですかこれ!」
「あぁ…気になる所描き直したんだ」
大声で問い詰めるように言う彼女に僕はなんでもないことかのように答える。
そんな様子の僕が気に入らなかったのか、彼女は原稿を持ったまま近づいてきて隣に座る。
「どうして描き直す必要があるんですか!?今から描き直してたら間に合いませんよ!」
「いや…ギリギリ間に合うよ…そこら辺の時間管理は出来てるから…」
「ギリギリって……先生のギリギリは体のこと考えてないじゃないですか!」
「それこそ大丈夫だって…生まれてこの方絵を描いてて体調崩したことなんてないから…」
彼女は信じられないと言いたげな目で僕のことを見てくる。
それも僕のことを心配してくれているからだと思うと申し訳ないが、それでも僕はやらなければいけない。
下がった順位を元に戻すには今のままでは、足らないものが多すぎる。
少しでも良くなる可能性がある所はギリギリまで直していきたい。
今描いてている話は途中まで進めてしまっていたので直せる所に限界はあるが、それでもだ。
「今日はベッドで寝てくださいね…」
「え…?」
「私もギリギリまで手伝いますから…だからそれで浮いた時間はしっかりベッドで休んでください…」
それは彼女の優しさなのだろう。
しかし、そんな優しさに触れていつも思うのは感謝ではなく申し訳なさだった。
僕はきっと彼女の優しさを裏切ってしまうだろうから。
罪悪感は浮かぶが、僕はきっと変えられない。
「ありがとう……」
そんなことを思っているにも関わらず、白々しい感謝の言葉が出た。
上手く笑えているだろうか、自信はなかった。
作業場にペンの音だけが響く。
外はすっかり暗くなり、青白い月光が降り注いでいる。
そんな中で、僕の横で作業をしている彼女は時計の針を確認し、立ち上がる。
「先生…私そろそろ帰りますね。終電もそろそろ近いので…」
その言葉に、もうそんな時間かと少しだけびっくりした。
彼女は帰ることに少しだけ申し訳なさそうだったが、僕はむしろここまで手伝ってくれたことに感謝していた。
「もし良かったらタクシー呼ぼうか?お金は僕が出すから」
「いや…!いいですよ!終電間に合いますから!」
手を前に突き出して振ることで彼女は拒否の意識を示す。
「いやいや…夜中で一人で帰るなんて危ないし、これくらいさせてよ」
しかし、ここで譲るわけにはいかない。
強引に彼女を説得する。
「いや…でも…」
まだゴネる彼女を無視して、携帯を開いて電話をかける。
「もしもし…タクシーを一台お願いしたいのですが…住所は〇〇で…はい…お願いします」
彼女はきっとここまでしないと断るだろうと思い、タクシーを先に予約する。
彼女はそれに驚いたのか、目を見開いて僕の方を見つめてくる。
「ちょ…!先生…!何を勝手に……」
「ここまでしないと加藤さん断るでしょ…?」
「そうですけど…」
「まぁそれくらい助かったってことだから。ここは素直に受け取ってよ」
「ありがとうございます……」
彼女は照れたように笑いながらそう言った。
「20分くらいで着くってさ…それまで休んでなよ」
「はーい…それじゃあ遠慮なく…」
彼女はソファーの方へと移動する。
そのままソファーで休むかと思ったが、気になるものを見つけたのか、途中で方向を変える。
まずい…彼女の視線のある先の物を見て、思わずそう思った。
「先生…なんですかこれ…」
彼女がそう言って指差す先にあるものは何の変哲もないゴミ袋。
それだけなら気にすることもないが、中身が少し問題だった。
「いや…後で捨てようと思ってさ…そこに纏めてたんだけど…」
「捨てるって…これスケッチブックですよね…?なんで捨てちゃうんですか…?」
彼女はゴミ袋から少しだけはみ出たスケッチブックを取ってそう言った。
どう説明するべきか…少しだけ迷ったが、変に誤魔化してもしょうがないので正直に説明する。
「もう使わないからね…原作でもないのにそんなの描いててもしょうがないでしょ…?」
「しょうがないって…そうかもしれないですけど…なんで急に…」
「そんなの描いて遊んでる場合じゃなくなったんだよ…今まで別のものに割いてた時間全部使わないと順位は戻らない。それが目のつく所にあったら邪魔なんだ…」
それ以上追求して欲しくなくて、自分でも信じられないくらい冷たい声が出た。
これはもうすでに決めたこと。だからこそ揺らいではいけない。
「そうですか……そうですよね……先生は連載作家ですから………それくらいしないといけないんですよね」
彼女は追求するようなことをせず、しみじみとそう呟いた。
スケッチブックを抱きしめて、小さく丸くなる彼女の背中は凄く小さく感じられて、消えてしまいそうな儚さがあった。
彼女はそう言った後に、でも…と言葉を続けた。
「私は先生が描く話も好きですよ……面白くはないかもしれないけど…それでも好きでした」
「身内贔屓でそう思うだけだよ……僕は結局、絵しか描けない……」
「そんなこと……!」
彼女は勢いよく振り返り、僕に反論しようとするが、途中でやめる。
そんな彼女に、僕は困ったように笑うことしかできなかった。
「ごめんなさい……先生も色々考えてのことですもんね。私がどうこう言うことじゃなかったです…」
彼女はそう言い誤魔化すように笑った。
しかし、唇は震えており、今にも泣き出してしまいそうだった。
どのような思いで彼女は引いてくれたのだろうか、僕には想像もつかなかった。
「いや…気にしないで、加藤さんは心配してくれただけなんだから」
どの口が言うのだろうか、彼女は何も悪くないのに、これは全部僕が情けないからいけないのに。
彼女は顔を袖で拭く。
手を降ろした時の彼女の顔はいつもの快活な笑顔だった。
「それじゃあ私帰りますね……先生これ私が捨てておきますよ…!先生は忙しくて時間ないだろうし……」
「流石にそれは…」
「いいから気にしないでください…!それじゃあ私帰りますね!」
反論を許さずに、彼女はゴミ袋を持ったまま帰ってしまった。
あまりのことに言葉が出ないが、彼女らしいと次の瞬間には納得した。
急に部屋に一人になると、少しだけ寂しさを感じた。
彼女が明るい人間だからか、余計にそう感じてしまった。
何もない部屋を見渡すとFAXからネームが飛び出ているのに気がついた。
手に取り、確認を行う。
ネームの上にしっかりと順位が書かれていることに一先ず安堵しながら、順位を確認する。
「14位……」
なんとなく予想はついていたが、数字として見ると少しだけ堪える。
しかし、今週はまだ手直しをしていない、来週こそは…そんな風に思うことしか今の僕には出来なかった。
ただひたすらに描き続ける。
時間をかけたから必ずしもいいものになるとは限らないが、今の僕にはそれしか出来なかった。
今までは少なからず原稿を描く以外の時間があった。
一人で意味のない話を考えたり、打ち合わせに参加したり、そして青木さんとの電話。
それら全てを原稿を描く時間に当てる…これによって今までよりも多くの時間を確保できる。
そんな風に一心不乱に描き続ける中で思い出すのは画家を目指していた頃のこと。
たった一枚の画用紙で見る人達の心を動かす。
その経験は漫画にだって活かせるはずだ。
一つ一つのコマをより細かく、そして丁寧に、一つの絵画を完成させるかのように描いていく。
そうして書き進めていき完成した原稿は、明らかに以前よりも良くなっていると言えるものだった。
そうやって原稿が完成するとグッと疲れが襲ってくる。
まだ大丈夫…そんな風に自らに暗示をかける。
そんな状態の中で、今週の順位を確認する。
13位
一つだが、上がっている。
誤差といえる変化かもしれないが、今週は直しが途中からだった…なら来週はもっと上がる。
もはやそれがただの思い込みになっているのを薄々感じてはいるが、そう思うしかなかった。
順位さえ戻れば全て上手く回り始める。
僕はそう思っていた。
順位が上がれば当然打ち切りになんてならないし、青木さんも好きな話を描き続けることができる。
作品をどうにかして続けたい僕と、自らが信じた話を描きたい彼女。
一見すると噛み合っていないように見えるかもしれないが、それでも順位が上がれば噛み合い始めるはずだ。
何の根拠もないことだとは分かっている…でも、それが今の状況を打破できる一筋の光…僕にはそう見えた。
描く……描く……描き続ける。
最早描いていないと落ち着かないくらいになってきている。
原稿に向き合う時間以外が凄く無駄なことをしているように感じられる。
時間を切り詰めて、とにかく描き続ける。
そんな風に絵のことだけを考え続ける生活をしていると、自分の技術が成長していくのを感じられる。
最早自分で感じられるほどの上達はしないだろうと勝手に思い込んでいたが、それは早とちりだったらしい…人間は本気で突き詰めれば限界などないのだと、今身を持って体感している。
順位の確認をする。
13位…
大丈夫…僕はもっと上手く描ける。
13位……12位……14位……12位……
大丈夫…まだ描ける…
「先生……大丈夫ですか先生…!」
急激な意識の覚醒…それに既視感を感じながらも、目を開ける。
目の前には心配そうにこちらを見つめる加藤さん…やはり既視感がある。
ならば自分は前回と同じように描いている途中で寝てしまっていたのだろう。
目を覚ました意識の中で思うのは早く原稿を描かねばということだった。
すぐにペンを手に取り、原稿に向かい合う。
「やめてください先生…!やりすぎです……」
ペンを持っていた手が掴まれて動かせない。
無理やり引き離そうとするが、手は動かなかった。
どうやら男の僕よりも彼女の方が力が強いらしい…それが少しだけおかしく感じて笑えてしまう。
「これ以上描き続けたら先生倒れちゃいますよ……もうやめてください……」
彼女の必死の懇願。
しかし、それは受け入れられなかった。
「止めないで…僕は描かないと…順位だってもっと上げていかないと……」
「今のまま続けたって上がりませんよ……!先生だって分かってるんじゃないですか!?」
上がらない……そんな訳はない。
「大丈夫……今僕は成長してる。このままいけば順位だってついてくるよ……」
「上がったからなんなんですか!?その時には先生倒れてますよ……!」
「大丈夫…大丈夫だから……!」
「大丈夫じゃないから言ってるんです…!そこまでして描いたって何の意味もないですよ…!」
何の意味もない。その言葉に妙に神経が逆撫でされた。
それはそれが図星だったからだろう。僕はこんなことを続けていても意味がないなんてことは本当はわかっていた。
それでも認めたくなかった。
それを認めてしまえば今までの自分の行動全てを否定することになるから。
「何の意味もない…?加藤さんには分からないよ…!順位さえ上がれば全部上手くいくんだ…!意味ないことなんてないんだよ!」
言ってすぐ後に後悔した。
彼女は僕のことを心配して言ってくれただけなのに、それを分かっていながら拒絶の言葉が出てきた自分に驚いた。
彼女はギュッと唇を噛み締めて、今にも泣きそうな顔をしていた。
今にも溢れそうな涙を彼女は必死に拭って、僕を睨み付ける。
「分からないってそりゃそうですよ…!先生何にも言ってくれないんだから!!でもこれ以上放置はできません…もう今日は原稿描くのはやめてください…!」
「……でも描かないと………」
僕は下を向いて小さな声でそう言うことしか出来なかった。
ここまできたらもう意地のようなものだった。
そんな僕に彼女は掴んでいた手を両手で握り直し、屈んで僕に視線を合わせる。
そのまま僕の目をジッと見つめてくる彼女に目を逸らしたくなるが、なんとなくそれはしてはいけないような気がした。
「先生……今描いてて楽しいですか……?」
落雷が落ちたような衝撃が走った。
「楽しい…そんなの当たり前…」
当たり前…そう言い切ることが僕は出来なかった。
今まではどんなに長時間絵を描いていたって嫌になるようなことはなかった…そもそも僕は絵を描くのが楽しいから今まで描きつづけられたのだ。
しかし、今楽しいかと言われると答えることが出来なかった。
順位ばかり気にして、青木さんと向かい合うことから描いている今の現状は果たして楽しいのだろうか。
分からない…いや、心では分かっている。
「楽しくないよ……」
それはすっと口から出てきた。
そうだ…楽しくなんてなかった。
前を見れば人間関係で辛くて、後ろを見ると打ち切りに追われている…そんな現状が楽しい訳がなかった。
「そうですよね……見ててもわかります。最近の先生は全然楽しそうじゃない…」
「でも…楽しくなくたって描かないと……それがプロだし……」
「そうですね…個人の感情より人気を選ぶのがプロなのかもしれません…でも今の先生は絵を描くことを逃げに使ってる…私はそれの方がよっぽどプロとは思えません……」
ぐうの音も出ないとはこのことだろうか。
彼女のいうように、今の現状の方がよっぽどプロとは言えないのだろう。
作品を逃げに使って、向き合うことから逃げて、そんな奴が描いたものを誰が見たいと思うのだろうか。
それに気付くと自嘲気味の笑い声が漏れた。随分カッコが悪いプロ気取りだなと。
そんなことを思うと同時にある疑問が頭の中に出てきた。
何故彼女は逃げているなんて分かるのだろうか。
それを彼女に聞くと、バツが悪そうに頬をかく。
「いや……その…担当さんに無理言って事情をちょっと聞かせてもらいまして…悪いとは思ったんですけど……」
「はは……なんだか加藤さんらしいね……」
それを聞いて少しだけ力が抜ける。
それと同時に少しだけもうしわなさを感じた。彼女はそれほど自分を心配してくれていたということに他ならないから。
「でもさ…結局僕はどうすれば……」
「どうすればって……本当はどうするべきかなんて先生は分かってるんでしょう?」
彼女の言いたいことは分かる。
それはずっと考えてきたことだから。
青木さんと向き合え…彼女はそう言っているのだ。
「加藤さんの言いたいことは分かるけど…それは無理だよ。僕はもう逃げてるんだ…今更向き合うなんてできない…」
「出来ないってなんで言い切っちゃうんですか……というかそもそもなんで先生は逃げちゃったんですか…?」
なんで…それはずっと考えているが、未だに答えは出ていなかった。
「それは僕にも分かんないよ…僕だって向かい合おうとしたんだ…でも、これを言ったら青木さんを悲しませてしまうんじゃないかって思ったら言葉が出なくて…」
正直にそう言った。彼女に聞けば何か分かるかもしれない…そう思ったからだ。
彼女はそれを聞いて呆れたようにため息を吐いた。
「はぁ……それって先生が蒼樹さんのことが好きだからじゃないですか…?」
好き…?
彼女の言葉がいまいち理解出来ず、混乱する。
「え…?好き…?なんで…?」
「なんでって…好きだから嫌われたくなくて言えなかったんじゃないんですか…?絵のことしか頭にない先生が言うのを躊躇うって、私はそれしか考えられないんですけど……」
僕は青木さんのことが好きなのだろうか…それならば確かに辻褄が合うのかもしれないが…いまいち自分の気持ちが分からなかった。
「僕は青木さんが好きなのかな…」
自分の気持ちの整理がつかずに思わずそう呟いた。
「それくらい自分で考えてください…!それで……どうするんですか先生!このままじゃ先生が大好きな作品も、青木さんも同時に失っちゃいますよ!」
「う…だからそれは僕がもっと上手く絵を描けば…」
「そんなことして順位上がったからって逃げたままじゃ上手くいきっこないですよ!いいですか先生!恋愛で上下関係がついちゃったら終わりですよ!対等じゃないと会話なんて出来ないんですから!」
「そうかもしれないけど…」
「もううじうじしないでくださいよ…!先生だってこのままだったらいけないって本当は思ってるんでしょ!?」
あまりの急展開で気持ちの整理がつかない…あたふたすることしか出来ず、彼女の問いに応えられない。
そんな僕に嫌気がさしたのか、彼女は僕の手を引いて無理やり立たせる。
「後はベットで横になりながら考えてください!私はもう何も言いませんから!」
無理やりベットに押し込まれる。
「いや…!ちょっと…!?加藤さん!?」
ベットに座らせられると、彼女は勢いよくその場を離れて部屋から出る。
閉められたドアの向こうから、釘を刺される。
「先生が寝るまで私見張ってますから!今日はゆっくり休んでください!」
呆然とするが、今の現状を整理せずに原稿に向き合えるとも思えず、ひとまず彼女の言う通りにすることにした。
その夜は、いつもより深く眠れた気がした。