コミュニケーションとは、自身の感情・意見を相手に伝える行為である。
例えばそれは会議を円滑に進める為、取引先との友好関係の為、グループ内の協力の為などなど、人と人が会話する以上そこにコミュニケーションは存在する。
「貴方には無理よ。前もそうだったでしょう?」
「それは…」
「ちょっと雪ノ下さん。あんた何?」
「自己紹介はしたはずよね三浦由美子さん。それとも、もう一度必要なのかしら」
「っ、アンタねぇ!」
人だけがコミュニケーションを行うわけではない。動物だって行うのだ。人が言葉を交わすように彼らは力を、時に知を以ってして意思の疎通を試みる。直接的でなんともわかりやすい方法だが、俺の目の前で行われているのはどうやら動物に劣るらしい。
突っかかり煽り倒して怒り散らす。最初から力で行かない分動物よりも圧倒的に下等だ。いや、この表現は誤りだな。人間だって動物なのだ、身一つで何も出来ない者が大半の群れ成す雑食動物。
なら劣っていて下等だとしても何の問題もなかったな。
兎にも角にも、現状を鑑みるとどうにも鶴見に対してやれることはない。否、やるべきではない。
虐められている対象を過保護にするとしよう、そうここで重要なのが周りには気遣ってる程度ではなく過保護に見えることだ。
それも当然、『気遣い』が普通の状態より一段階上だとしたら『過保護』など何段階も上にいる。それほどまでに扱いの差が目に見え易いのだ。
自分と同じ女で、小学生で、クラスで、あいつよりも可愛いのに。そんな想いは、彼女らの心に一瞬で黒薔薇を咲かせる。小学生だからといって侮ることなかれ、むしろ知識が突き出したこの頃の女子が一番怖い…そう知り合いは言っていた。
あとは単純。この校外学習が終わり学校に帰れば、早ければ道中ですら鶴見は悲惨な目に遭う。大変だろうな、周りから避けられ向けられる視線は嫉妬と侮蔑、軽蔑などの差別的な物を一身に食らうのは。
密室で行われる虐めは、最早拷問と化す。空気は真綿のように首を絞め、その視線と悪意は槍の様に精神を貫き抉り取る。
少なくとも30分以上は同じ空間だ。辛いだろうなぁ………辛いよな。
さて、彼等の意見を纏めよう。
大前提として何もすべきではないことは確定的だが、彼等は関わる気満々の様でここで俺一人の意見を述べたとしてもとても覆す事は出来ない。それを踏まえて、考える。
まず葉山だが、極めて理想的だ。話合いでの解決は最も平和的で合理的に済む。だがそれは当人達だけ、もっと言えば鶴見が自分から言わなければならない。それに彼女らは小学生、分別は付かないだろうし虐めなんてデメリットばかりの行動をしている時点で頭は回らないだろう。どんな虐めをするかなどの犯罪的思考、悪意は人間の頭を覚醒させるが、平和的な話合いでは誰もが頭お花畑だ。悪意に染まりつつある彼女らに平和的解決は期待できない。
次に雪ノ下。意見を出していないので想定不可能。大方説教でもするんだろうが子供の反骨心を甘く見過ぎている。高校生どころか大人でさえ『するな』と言われたことをしたくなってしまうのに、まだまだ可愛い子供盛りがやすやす言うことを聞くわけがない。
次に三浦。他の子と仲良くすればいい、極めて良案だ。何も知らなければ俺だってその案を出す。其の場凌ぎに適当な友達を作れってな。だが鶴見にも事情がある様で、元の立ち位置が立ち位置だけにそう簡単には行かないらしい。それにまぁ、虐められてるやつを自分のグループに入れるのは怖いだろうしな。
「彼女が助けを求めるのなら…私はそれに応えます」
奉仕部としてどうするのかと聞かれた雪ノ下はこの様に答えた。
奉仕部らしく良い運営だ。受け身で、瀕死の人間に薬の使い方を教えるこの部活としては文句無しの最高の答えだ。必要以上の労働カット最高。
だが虐められた経験のある者は分かる筈なのだ、言えない・言ったとしてもどうにもならないことを。救ってくれる者は現れるのだろう。ただそれは、世に蔓延る虐めの数に対して奇跡的な割合しか存在せず、誰もが遭遇するわけではない。
言葉は重みだ。『たすけて』の四文字は孤立無援の鶴見にとって何よりも重い。自分にその資格があるのか、周りはどうせ助けてくれないんじゃないか、そもそも無視されている…ネガティブな考えが思考を乱してその言葉は更に重みを増す。二度と口から吐き出す事は出来ない
「よう」
「あっ………えっと、八幡」
「よく覚えてたな」
「変な人は憶えやすい」
「嬉しくない憶えられ方だな……」
名ばかりの会議を終え河原を歩いていると、大きな石の上に腰掛ける鶴見の姿があった。女児だと言うのに月明かりに照らされるその姿は美しく、目を奪われる。
どうやら憶えられていたらしい。理由は悲しいが。
「どうしたの?辛いから家に帰る?」
「帰れるもんなら帰りたいけどな……さっきまで、お前のことについて話し合いが行われてた」
鶴見の顔が険しくなる。そして何処か悲しみを含んだ笑顔を浮かべた。
「そっか。そうだとは思ってた」
「意外だな。予想してたか」
「みんな馬鹿ばっか。私最初にそう言ったよ?」
どうもこの少女頭の回りが早い。恐らく見抜いていたのだろう。葉山に正義漢を、雪ノ下に強さを……鶴見は見えていたのかもしれない。
「それで、八幡はどうしたの?」
「……悪りぃな。止めらんなくて」
「良いよ良いよ。期待なんてしてないから」
先程とは打って変わって笑顔を見せる。と言うよりもこの校外学習中に彼女は笑顔を見せていなかった。先程と今を除いて。
ケラケラ笑う彼女は本当に鶴見なのだろうか。
「私はもう人間に期待してないの。両親も先生も、友達だった人たちもなーんにもしてくれないから。それに、余計に傷つきたくないし。それよりさぁ八幡」
笑顔で語るには思いその内容をペラペラと語る。楽しかった思い出を語る小町のようなその様子はないように目を瞑れば可愛いとすら思える。
そして彼女は話を続けた。
「この辺りに崖か流れの速い川ってないかな。落ちたら死ぬようなやつ」
「ここは仮にも施設だぞ?そう言うのはないだろうな」
「そっかぁ…残念」
「……死にたいのか?」
「痛みをなくしたいの」
そう言って彼女は去って行った。
残された俺を、月明かりは神々しい光を以ってして照らす。俺だけにあたるスポットライトか…と思っていたが、どうやら俺だけではないらしい。
「貴方、鶴見さんと何していたの?」
「世間話だ。高校はどうだ、友達はどうだ、虐めは…ってな」
「そう……。ねぇ、この問題を手っ取り早く解決するとしたらどうなるのかしら」
「鶴見が転校する。この一択だな」
「逃げの選択ね」
「賢い生き物は逃げるんだよ」
「賢いのではなく臆病ではなくて?」
「草食動物を見ろ。あいつらだって臆病者が多いが未だに現存してる。つまり臆病者は賢く知恵を使って生きてるんだ。蛮勇なんて英雄志望にやらせときゃ良い」
「……やっぱり、貴方の考えはおかしいわ」
「十人十色、色々あると思うぞ」
ふと、疑問に思ったことを口にする。
「つーかどうしたんだこんな時間に」
「三浦さんと口論になって…泣かせてしまったのよ」
「どうせ向こうが突っかかってきたんだろ?なら良いだろ」
「流石の私でも空気ぐらい読めるわ…居づらくなって出てきたのよ」
「あとで謝るなりなんなりしとけよ」
「……貴方そんなこと言う人だったかしら」
「夜だからな。たまには口から出てくる。悪いもんが」
「悪いものではないのだけれど。あぁ、貴方にとっては綺麗なものは悪いものだったわね。御免なさい雑菌谷君」
「腐海みてぇだな……っと、そろそろ俺は戻るが」
「そう。おやすみなさい」
「……おう。おやすみ」
思った以上に疲れがたまって居たらしい。そもそも何も知らされず連れてこられたのだから、前日の疲れも引きずっているのかもしれない。想像以上に俺が睡眠に入るのは早かった。それはもう、隣の戸塚の寝顔を見つめることもなく、眠りに落ちてしまった。
翌日朝、事件は何とは無しに起きた。
鶴見がいたグループの中心とも言える人物が、死んでいた。ドアに首を挟まれ、同部屋のメンバーが起きた時には既に事切れていたと言う。何度も挟まれ抉れた首は見るも無残に折れ曲り内部の肉を露わにしていた。早朝の絶叫は、長く長く鳴り響く。
どうやって何度もドアで挟んだのだろう。音もうるさかったはずだ。同部屋は皆小学生女子、力は全くと言って良いほどなく、そもそも抵抗されたらドアまで運ぶことさえ難しいだろう。ならば大人が?誰がそれで得をする?今まで長い事見過ごしてきた虐めを今更終わらせて誰が得をする?謎は深まるばかり、絞殺でも何でもなくドアで首を挟み殺すなどそもそも子供が考えつくだろうか。
「あ、八幡。おはよう」
思考のうちに溺れていると、突然引っ張り上げられる。声の正体は被害者の同部屋メンバーにして、件の少女鶴見留美。
「おはよう」
「朝からうるさくて疲れちゃった…」
「そりゃあな。お前何ともないのか?」
「虐めてきた相手が死んで、悲しむ?無理でしょ」
「確かに。誰か見なかったのか?」
「八幡、刑事さんと同じこと言ってる。私熟睡してたみたいで、朝まで目覚めてないよ。でも、これで痛みはなくなったから万々歳かも」
「不謹慎だぞ」
「死は救済だよ八幡。あの子はもう責任は負わなくて良いし報復も恐れなくて良い、私は虐められないし痛くない。だーれも傷つかなくてみんなが痛くないんだよ」
根本的に考え方が歪んでいる。死は救済とは誰が言ったか、言ってることは分からんでもないが俺としては死にたいとは思わない。だが鶴見の言う通り、同部屋の子供達はむしろ安心したような顔だし、虐めも鶴見には行われないだろう。
「やっぱりみんな馬鹿ばっか。初めからこうすれば良いのに」
「………誰にやらせた」
「誰にも。もしかしたら私を影で心配してた先生かもしれないしもしかしたら相談に乗ってくれたここの職員さんかもしれない。私に告白してきた男子生徒かもしれないしあの葉山さんかもしれない。もしかしたら私かもしれないし、八幡かもしれない。どう?満足?」
「………出来るわけあるか」
「満足しなよ。これが『たったひとつの冴えたやり方』なんだから。あ、八幡ならどうした?もしもの話」
「………………お前だけが孤立してるなら、全員孤立させて仕舞えば良い。周りを信用できないような…友情破壊ゲームだな」
「それで、私は救われた?私の虐めはなくなったかもね。でもそれじゃあ友達は出来ないんだよ、こんな風には」
途端に鶴見が悲壮感あふれる顔になりトボトボと歩き出す。するとどうだろう、今までさほど関係もなかった女子が彼女を励ますのだ。口々に言う。『虐められてたんだから気にしなくて良いんだよ』『元気出して』『私たちと遊ぼうよ』
その言葉で鶴見はさらに涙を流すようにその女子に抱きついた。周りの子も頭を撫でたりハンカチを渡したりしていて、何とも友情の美しいことか。これが、作られた友情でなければ美しいのかもしれない。
すると、少しの間をおいて鶴見が戻る。
「これで友達作り終わり。あとは写真撮って親に見せるだけ。私の演技どうだった?」
「演技って聞かされてなけりゃ一緒に泣いちまうな」
「ありがと」
俺の膝の上にポスンと腰を下ろし俺の顔を見上げる。
「私からひとつ八幡にアドバイスあげる」
「……小学生からか…ありがたく貰いますよ」
「我慢は良くないよ。我慢して我慢して、良いことはあった?」
「……ないな」
「八幡はいっぱい我慢したんでしょ?理性的って言うのかな。衝動的に行動しないで。でもね、気持ちいいし楽しいよ。我慢をやめた瞬間っていうのは」
今の私みたいに、そう言って鶴見は去って行った。手を振る様は年相応だというのに、口から出る言葉は俺よりも年上だ。
先ほど出来たばかりの友人に囲まれて、手を繋いで集合場所へと戻って行く。鶴見の心情を知ればその様は滑稽で、何も知らなければその友情は美しいものだった。