『FE覚醒短編集』   作:OKAMEPON

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『その面影に探して』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 身に付いた『経験』と言うモノは、そうそう簡単に消える物ではないらしい。

 特に、幼い頃から身に沁みついた『経験』と言うモノは、どれ程意識していてもふとした瞬間に出てしまうモノであると言う。

 立ち居振る舞いや僅かな言葉の訛りに留まらず、武器を振るう時の動きや食事中の所作に至るまで。

『意識』の制御からすら時に離れてでも表れてしまうそれらは、その者の『生い立ち』がそこに出てしまっているとも言えるのかもしれない。

 

『自分自身』の「記憶」が、その「名前」以外の一切を喪ってしまった僕にすら、その身に沁みついていた『経験』と言うモノは消えていなかったらしい。

 一口に「記憶喪失」と言っても、『経験』に関する「記憶」も全て消えてしまった訳では無い様である。

 まあ……そう言う「記憶」まで完全に消えてしまっていたならば、生まれたての赤子同然の真っ新な白痴の状態になってしまう訳なので、そうでは無かったのは間違いなく「不幸中の幸い」なのだろうけれど。

 

 博識なミリエルの蔵書によると、『記憶』には、大きく分けて三つあると言う。

 一つは、『自分』の経験やそこで感じたモノを元に刻まれる「記憶」……。

 自分がどうやって生きてきて、どんなことを体験してきて、どう言う人間であったのか……、と言う部分を司る「記憶」であるらしい。

 二つ目は、今自分が何をしていたのか、何をしようとしているのか、と言う極めて短期的な「記憶」。

 そして三つ目は、得た『経験』などに関する「記憶」。

 それは、言語や文字などに関した知識や、その意味の知識などに留まらず、所謂「身に沁みついている」と言うやつもこれに該当するのだとか。

 この「記憶」は、一部欠ける事は時折有るらしいが、その全てが一切合切喪われる事はそう無いらしい。

 

 まあそんな訳で、「記憶」の何もかもが喪われたと言う訳では無いらしく、ならばその残った部分……。

 自分の無意識の立ち居振る舞いなどの中に、喪われた『自分』のその半生を辿る何かしらの手掛かりがあるのではないかと思ったのだけれども……。

 残念ながら、それもそう上手くはいかなかった。

 

 自警団の仲間達には、様々な階級の出自の者が居るし、更にはイーリス国内だけではなくフェリアやぺレジアなどからやって来た者も居て、そんな彼等の力を借りながら、僕は自らの喪われた「過去」を探そうとはしてみたのだけれど……結果は芳しくなかったのだ。

 

 育ってきた環境を反映しやすいと言う「言葉」に関しては、恐らくは生粋のイーリスの生まれでは無いのだろう……と言う事位しか分からなかった。

 ぺレジア的な僅かな発音の違いがある気がするらしいと言うのだが、逆にフェリア的なモノもあるにはあるらしく、記憶を喪う前の僕は各地を転々とする様な生活をしていたのかもしれない。

 育ってきた階級的な言葉の特徴を探してみても、貴族階級や騎士階級で育った訳では無さそうではあるが……一般的な平民に多い訛りも無いらしい。

 強いて言えば、裕福な商人階級のモノか……高位の宗教家などの、「教養」がしっかりと身に付いている者が、身の回りに居た可能性があるらしい。

 父母か……或いは育ての親などが、そんな人物であったのだろうか……? 

 しかし残念ながら、それ以上の事は分からなかった。

 

 武術に関しても、イーリスで一般的に知られている流派の流れは殆ど見受けられず、また武術が盛んなフェリアにある流派ともやはり違うらしく。

 完全に我流であるのか、それとも流派としては規模が小さいモノなのか、或いは様々な流派を取り込み過ぎて原型が無くなったのかは分からないらしい。

 立ち居振る舞いに関しても、それなりに確りとした「教養」ある者に躾けられた痕跡しか分からなかった。

 

 そんな風に、殆ど分からない……と言う事位しか言えないものばかりであったのだけれども。

 唯一、食事時の所作だけは、僅かながらも特徴と言えるものが見受けられるらしい。

 

 食事時の所作……所謂「テーブルマナー」などに留まらず、肉の切り方や料理を食べる時の順番に至るまでのそれらは、大人になってからの矯正は難しいが故に、ある意味「言葉」以上に克明にその育ちを映し出すのだと言う。

 だからこそ、イーリスでは、時に身なり以上にその食事の所作と言うモノは大切にされているものであるらしく。

 イーリスに伝わる古事の中にも、その大切さを伝えるモノは多く残されている。

 身なりは取り繕う事は出来るが、そう言った所作は決してその身分や育ちを偽れないのだと言う。

 

 そう言われれば確かに、と思い当たる事は多い。

 

 例えば。

 訓練中に物を壊す常習犯であり少し力加減が下手と言うかやや不器用な気はあるが、クロムのその食事の所作はそれはもう綺麗なモノである。

 仲間達と共に語り合いながら賑やかに食べているその時ですら、その所作には洗練された美しさが宿っていて。

 ……確かに、その身分が高貴なモノである事を、言葉以上に雄弁に主張しているモノであった。

 同じ王族であるリズは勿論の事、大貴族の娘であるマリアベルや、古い貴族の家系であるリヒト、代々騎士の家系であると言うフレデリクやソワレの所作は、他の者達とは確かに違っていた。

 それが無理をして作った感じが無い……極自然体のモノであるからこそ、それがまさに「骨身にまで染み付いた」ものである事が窺えるのだ。

 そして、クロム達に限らず、食事の時の所作……特に無意識的な部分のそれは、確かにその者の生きて来た環境をそこに垣間見る窓であった。

 

 ルフレのそれは、仲間達の指摘した所によると。

 基礎的な食事時のマナーは完璧である為、恐らくはルフレを育てた者はそれをしっかりとルフレに躾けられる程度の「教養」があった事。

 そして、何でも食べる程好き嫌いと言うモノは殆ど無いがより好物のモノは最後の方に食べようとする所などから、恐らく料理を取り合う様な兄弟は居なかったであろうと推測されていた。

 また、よく飢えに苦しめられていた者特有の……飢餓感に似た必死さは無い為、十分な食事量を摂れる環境下に居たのだろうとも言われたのだ。

 

 成る程、指摘されたそれらは、振り返ってみれば「確かに」と納得がいくものが多い。

 ……まあ、それが分かった所で、自分の「過去」に直接繋がる訳でもないのだが……。

 しかし、少なくとも自分の事を確りと育ててくれていた「誰か」が居たのだと言う確かな事実は、少しばかりそれに救われた様な気持ちになる。

 

 ……その「誰か」を思い出してあげられない一抹の寂しさは、今も感じてしまうのだけれども。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 数多の犠牲者を出したぺレジアとの戦争も漸く終結し、イーリスと言う国は、その新たな旗頭となったクロムの下で、復興への道を歩み始めていた。

 王都まで陥落してしまったイーリスに残された戦禍の爪痕は深く、その復興は一朝一夕に成るものではないが、それでも……戦争が終わった事を喜び復興を始める人々のその顔には、確かな「希望」が在った。

 そこには新たなる時代が到来しつつある事への「期待」があると共に、何よりも戦争が終わった事に対する「安堵」と言うモノが大きく影響していた。

 

 元々、先王エメリナの統治下で「平和」である事に慣れ過ぎて「戦事」を忌避していた人々にとって、唐突とも言えるタイミングで始まり、あれよあれよと言う間に国土が蹂躙されてしまった事は、心理的にも肉体的にもその他様々な面からも、負担が大きい事であったのだろう。

 戦争の最中に、虜囚として敵国に身柄を拘束されていた先王エメリナが非業の死を遂げると言う一幕もあって。

 イーリスの民からは慕われていた……少なくとも表層上は彼女が作り上げた「平和」を享受していた人々は。

 彼女の非業の死を心から悼み哀しみ、各所の神竜教の教会でその魂の死後の安寧を祈っていたと言う。

 

 戦争が終わった今は、その遺骸の捜索を行うと共に、改めて国中が先王エメリナの喪に服している状態であった。

 正式な国葬は先だって行われたのだが、ぺレジアの地でその身を自ら投げた彼女の遺骸は未だ回収出来ていない。

 彼女が身を投げた崖下やその付近を幾ら捜索しても、衣服の残骸一つ骨の欠片一つすら見付からないのだ。

 遺体が散逸するには幾ら何でも早過ぎるし、野の獣が荒らしたにしろそれならもう少し痕跡があるだろう。

 ……彼女のその死を憐れんだ心あるぺレジアの民が、その遺骸を何処かにひっそりと埋葬してくれたのかもしれないが、却ってその行方は掴めなくなってしまっていた。

 王都の一画にある歴代の王族たちが眠る墓地には、当然ながら彼女の遺骸は無く。愛用していた装身具などがその代わりとして棺に納められている。

 

 ……そこに彼女の骸が無いのであれば、その「魂」とでも言うべきそれは、一体何処で眠っているのであろう? 

 民達が弔いその魂の安寧を祈る為に訪れているその遺骸無き墓の下に眠っているのであろうか。

 それとも、その命に自ら幕を降ろしてしまったあの砂塵舞う荒涼とした地に眠るのだろうか。

 或いは、この世の何処かを彷徨い続けているのだろうか。

 

 そんな事をルフレはぼんやりと考えてしまうが、死者の「魂」を見る目は持たず、また死後の世界と言うモノを覗き見た事も無いが故に果たしてそれがどの様なモノであるのかなど知る術は無く、どれもただの想像でしかない。

 ……ただ。ルフレとしても彼女には、せめて死後の世界では安らかに苦痛なく在って欲しいと思うのだ。

 

 あの日、ルフレ達は彼女を助ける事が出来なかった。

 予期出来なかった屍兵の乱入が有ったとは言え、処刑場にまで辿り着いていたと言うのに……ルフレ達の手は、後僅かの所で届かなかったのだ。

 そしてその救出の作戦を立案したのは、ルフレだった。

 ルフレの失策が、結果として彼女の命を奪ったのだ。

 クロムは己の無力を嘆いたが……しかし、本当にその責を最も負わねばならないのは、ルフレであるのだろう。

 その後の……戦争終結に至るまでの、まさに「弔い合戦」とでも言うべき戦いを勝利に導きイーリス陣営の勝利に終わらせた事で、最低限の責任は果たせたかと思うが。

 ……しかしだからと言って、あの日の悔悟を……クロムの慟哭を、リズの悲嘆を、仲間達の絶望を。

 それらの全てを忘れる事など、出来はしなかった。

 だから……。

 

 

 日が暮れ始めた今の時刻に王都の外れにあるその一画を訪れる人は少なく、そこが歴代の王族たちが眠る墓地であるだけに、今この場に居る人影はルフレのものだけだ。

 聖王エメリナが人々に慕われていた事を示す様に、遺骸の無い棺の上に立つ墓標の前には一日も絶える事無く、主に王都の民達から慰霊の花が捧げられていた。

 クロムとリズは公務の合間などを縫って毎日欠かさずここを訪れている。……尤も、こんな物寂しい黄昏時ではなく、暖かな陽射しが射し込む昼中の事ではあるが。

 

 だがルフレは……敢えてこの時間に墓地を訪れる様にしていた。

 それは……彼女の死に対してある種の「気不味さ」と言うモノを今も感じているからかもしれない。

 陽が沈みゆき、強い西日によって何もかもの輪郭が曖昧に見えるこの黄昏時ならば。

 誰にその表情を見られたとしてもきっと良くは見えないだろうし……だからこそ自分も気にしなくて良い。

 

 別に、誰かにそれを咎められたと言う事は無かった。

 お前の所為だと詰られた事も無い。

 ただただ……ルフレ自身がその後悔から、「合わせる顔が無い」と言う状態に近い心境になっていたのだ。

「誰に」、なのかはルフレ自身にもよく分かっていない。

 エメリナ様になのか、クロムになのか……或いはもっと別の「何か」に、なのか。それは分からなかった。

 何にせよ、ルフレは毎日では無いが、それなりに頻回にこの墓地を訪れていたのだった。

 

 目の前の、最高の品質の大理石を加工し磨き上げられて作られた、新しいが故に一点の曇りも欠けも摩耗も無いその墓石の下に、その人の身体は無い。

 そこにその魂が眠っているのかすらも分からない。

 それでも、ルフレはそこに花を手向け、暫し瞑目する。

 

 ……あの日、彼女を救出する事が出来ていたのなら。

 屍兵が現れていなければ……或いはルフレがその出現をも見越したより最善の策を示せていれば、あの状況下にあっても逆転出来る様な切り札があったのなら……。

 一体、どうなっていたのだろうか。

 こうして骸の無い墓に眠る事は無かったのだろうか。

 今もクロム達と共に、この国を導いていたのだろうか。

 ……クロムは、『家族』を喪わずに済んだのだろうか。

 幾ら考えても、それは分からない。

 結局それは、もうどうする事も出来ない「たられば」の話にしかならないのだから。

 ルフレ達が、彼女の犠牲の上に生き延びて、そして勝利を掴み取った事だけが「事実」なのだから。

 

 ……それでも考えてしまうのは、それが。

「過去」の記憶の一切を喪っていたルフレにとって、「初めて」の……取り返しなど付かない「失敗」だからか。

 だからこそ。それが、そしてその結果が、何よりも重くその心にのしかかるのだろうか……。

 

 どんな原因があったにせよ、ルフレは。

 この国にとって大切な存在であり……何よりも。

 唯一無二の友にして恩人であるクロムのそのたった一人の姉……大切な『家族』だったその人を、守れなかった。

 

 エメリナ様を喪ったクロムは、哀しみに沈み絶望の泥濘に足を取られたけれど……そうやって足を止めていたのはほんの少しの間で、彼はルフレを始めとする仲間達にその背を支えられたとはいえ、自らの足で再び歩き出した。

 ……だけれども、哀しみが癒えたと言う訳では無い。

 何よりも大切だった……守りたかった『家族』を。

 特に、幼い時に両親を喪ったクロムは、言葉も覚束無かった程幼かったリズを抱えて、エメリナ様と共に身を寄せ合って生きてきたのだ。それを喪った悲しみは深い。

 親代わり……と言うのは少し違うだろうが、単に血の繋がった『姉』と言う以上の想いがそこに在ったのだろう。

 フレデリクなどの忠実な臣下の存在も在っただろうが、宮中の魑魅魍魎とした者どもの浅ましく愚かな面を見つつも、それでもクロムが真っ直ぐな青年に育ったのは。

 やはり、エメリナ様の存在が大きかったと思うのだ。

 クロムにとって、エメリナ様の存在は自分にとっての「指標」の様な……そんなものだったのだろう。

 

 だからこそ、クロムの中には。

 その心にも、彼自身が気付いて居ないだろう様々所にも、エメリナ様の存在の名残が、今も沢山遺されている。

 ルフレがエメリナ様と顔を合わせた事は、ほんの数回しか無いのだけれども。

 きっと恐らく……無意識の所作の中にも、その影響は在ったと思うのだ。

 無論、男女の差はあるので何から何まで……なんて事は当然無いだろうけれど。

 リズとクロムを見ていても、『家族』としての繋がりを感じる……無意識での共通する所作があるのだから。

 それはきっと、エメリナ様ともあったのだろう。

 

 志半ばにして無念の死を迎えたエメリナ様の意志を、彼女が理想として描いていたそれを少しでも実現させるべく、クロムはその為の道を模索しながら歩き出している。

 ……そしてそうやってエメリナ様の描いていた軌跡を追っていくからこそ、彼女を喪ったその哀しみは折に触れてクロムの心に打ち寄せる波の様に蘇るのだ。

 何時しかそれらの喪失の哀しみも、何か別の感情へと昇華していくのかもしれないけれども……。

 少なくとも今はまだ。クロムは深い哀しみの中に居る。

 そしてそれが分かってしまうからこそ、それはルフレの心を苛む様に、重くのしかかるのだ。

 

「自分の所為だ」と、そう責める自分が居る。

「お前の所為だ」と、そう詰る自分の姿の幻影が居る。

 それは、大切な友の深い哀しみを、どうやっても晴らし切る事など出来ぬ自身の無力への絶望なのだろうか。

 

 己を責め苛む事もまた一つの「逃避」であるのかもしれないが……しかしその幻影に「違う」と叫ぶ事もやはりまた別の「逃避」にしかならない気がするのだ。

 だから、ルフレはどうすれば良いのか分からないまま、それでもどうしてだかこの墓の前に来てしまうのだ。

 しかし何時までもこうして墓の前に居る訳にもいかず。

 その魂の安寧の祈りと共に……言葉になど決して出来ぬ懺悔を終えたルフレは、そろそろ帰ろうかと立ち上がる。

 そして、その時ふと。

 少し離れた墓所の入り口近くの樹の陰に、誰かが隠れる様に佇んでいるのに気付いた。

 

 強い西日の所為で、その顔ははっきりとは分からない。

 でも、その長い髪やその格好は、見覚えがある。

 誰だっただろうかと記憶を探るまでも無く、ルフレの記憶はその人を導き出した。

 

 

「そんな所に佇んで、どうしたんだい。マルス……」

 

 

 そう声を掛けると、ルフレに気付かれているとは思っていなかったのか、その肩を驚きと共に微かに跳ねさせる。

 

 マルス。今も伝承としてこの世界に残されている、遥か古の偉大なる英雄王。……その名を名乗る存在。女性だ。

 彼女と邂逅したのはほんの三回だが、しかしマルスは二度もルフレ達を助けてくれた。

 初めて出逢ったその時には屍兵の襲撃からリズたちを守ってくれたし……、そして三度目の邂逅では、暗殺者の魔の手が迫っていたエメリナ様を助けてくれた。

 名前と性別以外が一切不詳で、最初に出逢った時には仮面でその顔を隠し性別も偽っていた事を考えると「マルス」の名前も本来のモノではないのかも知れない……そんな正体不明な彼女であるが。クロムは……そしてルフレは、彼女に深い感謝の気持ちを懐いていた。

 彼女が居なければ、あの日リズ達の命は無かったかもしれないし、そしてエメリナ様は暗殺されていただろう。

『「未来」を知る者』と、彼女は自身をそう称していた。

 それが一体どう言う事なのか、そして「未来」とやらを知る彼女は一体何者なのかと、そんな疑問は尽きないが。

 しかしそこにどの様な事情や思惑が隠されているのだとしても、助けられた事実だけは絶対に変わらない。

 だから、クロムもルフレも彼女にお礼がしたくて、その行方を捜してはみたのだけれど……彼女の痕跡は全く何処にも見付からなかったのだ。

 だから、エメリナ様の暗殺を阻止しに来てくれた時に逢ったきりになっていたのだが……。

 

 そんな彼女は、戸惑う様にこちらを見ている様だった。

 よく見れば、その手には小さな花束がある。

 ああ、彼女もなのか、と。

 そうぼんやりと理解したルフレは彼女を手招いた。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

『絶望の未来』を変える為に、時を遡って。

 だけれども、果たして自分は「未来」を変える事が出来ているのだろうかと……そう不安で仕方が無くなる。

 

「自分自身」の存在の可否すらも賭けてでも『絶望の未来』は変えねばならぬと……そこに至る事の無い様に「過去」は変えねばならないと……そう覚悟していたのに。

 だからこそ、『絶望の未来』へと至った大きな原因の一つ……「歴史の分岐点」だと考えた『聖王エメリナの暗殺』を阻止しようとしたのだが……。

 結果として『暗殺』は阻止する事に成功したが、聖王エメリナを生き延びさせる事は……出来なかった。

 その死期を、ほんの数ヶ月遅らせただけだった。

 異国の処刑場で自ら死を選ぶか、或いは何も出来ぬまま『暗殺』されたかの違いはあるが……。

 それを「救えた」などと決して言えはしないであろう。

 

 あの処刑場を遠く離れた場所でその事の成り行きを見守っていたルキナは、「未来」を変える事など、どうやっても誰にも出来はしないのではないかと絶望していた。

 何かを変えようとしても、それを赦さぬとばかりに揺り戻し、「歴史」の帳尻を合わせようとするのでは、と。

 そう思ってしまう、そう考えてしまう。

 それはルキナにとっては『絶望』そのものであった。

 

 もしそうであるとしたら、一体自分は何の為に、自分が在るべき世界を見捨てる様に時を遡ったと言うのか。

 自分が本当に果たさなければならなかった『使命』を半ば投げ捨てて。

 恐らくもう一握にも満たぬ程にしか残ってはいなかったであろうが、それでもあの地獄の中で生きようと足掻いている人は僅かにでも居たであろうに。

 そんな人々を見捨てて、父と母たちが命を賭して守ろうとしていた世界を見殺しにして。

 そんな大罪に手を染めて、足掻いた結果示されたのが、『過去を変える事は出来ない』と言う残酷な現実なのか。

 

 いや、変わらないだけなら、まだ良い方だ。

 ルキナが過去に干渉した結果、聖王エメリナは『暗殺』ではなく『自害』と言う形でその生涯を終えた。

 彼女がぺレジア軍の手に囚われてから、あのぺレジアの処刑台に見せ物の様に引き摺り出されてゆくまでの間に、何れ程苛烈な扱いを受けていたのか……。

 それは遠目にであったが故にその痕跡をこの目で確かめる事は出来なかったが、だが……ぺレジアと言う国のイーリスに対する積年の恨みのその深さを思えば、彼女が「無事」であったとは到底思えない。

 何も出来ぬまま……だが酷い地獄を見る事も無く『暗殺』される事と。

 王都が陥落し民や自らを守護する騎士たちの無惨な最期を見せ付けられ……そして苛烈な辱めを受け……そしてその最期は異国の地でその民達から壮絶な憎悪と罵声を浴びせられて……そして『家族』を守る為にその命を自ら擲つ事と。

 その何方かがより「マシ」な最期であったかと言えば、それはきっと……──

 

『聖王エメリナの暗殺』と言う「過去」を変えてしまったからこそ、時の流れはその帳尻を合わせる為に、彼女にあの様な酷な『死』を用意したのだろうか。

 時の揺り戻しが、より悲惨な結末へと……その「歴史」の歪みを正してしまったのだろうか……? 

 だとすれば、ルキナが彼女の『暗殺』を防いだ「意味」とは、一体何だったのだろう。

 

 その『最期』は、確かに変わった。

 そしてそれに付随するかの様に変わった「過去」もある。

 だが、それが「良い」変化であるかなど分からない。

 聖王エメリナがより悲惨な結末を辿る事になった様に。

 一見「良い方向」に変わった様に見える「過去」が、本当にそうであるのか……より凄惨な「未来」へとその帳尻を合わせる為の変化にしかならないのではないかと。

 そう考えると、その恐ろしさに身動きも取れなくなりそうな程に、「恐怖」を覚えるのだ。

 

 ルキナは「未来」から来た……「未来」を知る者だ。

 だが、ルキナは「事実」として起こった出来事を知っているに過ぎない。

 そしてそれはルキナが「過去」に干渉する事によって容易に揺らぎ、また別の何かを引き起こす。

 それなのに、ルキナは変化したが故に起こる事は見通せない。

 ルキナは占者ではなく、また未来を見通す「予知」の力を持つ訳でも、並外れた先見性を持つ訳でも無いのだ。

 だからこそ、自らの干渉が引き起こした「揺らぎ」が齎すかもしれない「災禍」が恐ろしい。

 

「世界」を救う為にと……それを企図した行いの結果が、より最悪な「未来」へと繋がってしまったら、と。

 例えば、父が……より悲惨な死に方をする事になったり、或いは自分が知るあの『絶望の未来』よりももっと凄惨な地獄を招く要因になってしまったら、と。

 それを考えれば考える程に、足が竦む、心が竦む。

 

 だからこそ……ルキナは干渉する事を恐れた。

 自分が意図していなかった些細な「何か」が及ぼした変化が、より最悪な未来を招いてしまうのではないかと。

 本来はここに在るべきではないルキナが、存在する事、そして関わる事。ほんの些細な……生きている限りはそれを防ぐ事など出来ない小さな「変化」すら恐ろしくて。

 だが、そうであると同時に。目を閉じる度に心を苛むあの『絶望の未来』が、「過去」を変えなくてはならない……「未来」を変えなくてはならないのだと急き立てる。

 

 そう、「未来」は変えなければならない……あんな『絶望の未来』にしてはいけない……その為に、ルキナは今此処に居る、自分の「未来」を見捨てて……此処に居るのだ。

 あんな何の希望も無い「死」以外の救いの無い生き地獄だけが人の世の至るべき果てなんかではないのだと。

 何時か人の世に終わりが来る事は避けられないのだとしても、あんな終わりであって良い筈は無いのだと。

 そう足掻く為に、こんな所にまで来てしまった。

 

 だけれども……そもそもルキナは「過去」についてそう詳しい訳でも無かった。無論、王族として「歴史」についての教養は最低限はある。だが……。

 ルキナが変えねばならぬ「過去」。それはルキナがそれを学んでいた時点では「歴史」と呼ぶにはまだ早い出来事であり、そうであるが故にルキナが学んだ「歴史」などそう役立つものではない。

 過去が地続きである以上、「歴史」を学んだ事自体が全て無駄であると言う訳でも無いが。

 

 幼いルキナが幼い視点で見て来た「過去」。

 父から時折話聞かせて貰った「過去」。

『絶望の未来』へと世界が転げ落ちていく中で大人たちの話から知った「過去」。

 ……ルキナの知るそれは、酷く客観性に乏しく。

「出来事」と言うよりは「物語」と言う方が正しい程度には、主観や恣意的な解釈が差し挟まったモノだ。

 ある一つのモノも別の側面から見れば全く違う様に見えてくる様に。

「出来事」と言うモノはその「真実」を明らかにする為には多面的に見なくてはならない。

 少なくとも、一側面の……それも狭い視野の中で見えたそれだけで判断していては、「因果」の糸を正しく見つけ出す事は出来ないモノであるのだ。

 

 そう、例えば。

 ルキナは、ぺレジアと言う国が……そこの民がイーリスに深い怨恨を懐いていた事は「知識」として知っていた。

 しかし、その実際が何れ程のモノであったのかなど、全く以て知らなかったし、想像もしていなかった。

 イーリスの王女であるルキナの周りに居た、サーリャやヘンリーと言ったぺレジアの人達はイーリスに対してそんな恨みを懐いている様に全く見えなかったし、実際そうだからこそ父に協力してイーリスの側に付いて共に戦ってくれていたのだけれども。

 しかしルキナは、そんな自分の知る小さな世界でしか考えていなかった。

 

 だからこそ……あの砂漠の処刑場で感じた、全てを呑み込み渦巻いて押し流さんとばかりの……まるで地獄の釜を直接覗いているかの様な、決して絶える事など無い「怨嗟」や「憎悪」など知らなかった。

 何の武器も持たぬ民間人ですら、女も男も老いも若きも関係無く「殺気」に満ちた視線を、処刑台の上の無力な女性に向けていたのだ。

 それはまさに、その場に居るだけで「何か」に呑み込まれそうな、そんな恐ろしい程の強く深い感情の嵐だった。

 

 それ程の憎悪が、イーリスに向けられていたなどと……ルキナは露程も知らなかった。

 ……誰も教えなかったから。

 

 優しい周りの大人たちは、ルキナにそんな事を何一つ教えなかった。

 ルキナが子供だから、「過去」の事だから。

 ……しかし、知っておくべきだったのだ、ルキナは知らなくてはならない事だったのだ。

「過去」を変えようなどと、そう思いそれを実行してしまうのなら、尚更に。

 

 だがそうではなかった、ルキナは「無知」であった。

「無知」である事自体は罪では無いのだろう。

 だが、「無知」のままに何かを成そうとして……そしてそれが最悪な結果に繋がった時。「無知」は、何よりも重い罪である。

 それを罪だと認められる程度には、ルキナは自分を省みる心も、そしてそれを咎める良心も持ち合わせている。

 

「過去」とは単純な「事象」の羅列ではない。

 そこにはそこで生きる人が居て、各々に何かを思い行動している。

 人が歴史を作る以上、どんな結果にもそこには人々の心や感情と言ったモノも関わるのだ。

 ぺレジアの人々の怨恨が戦争を引き起こした様に。

 国と言う大きな群体が動く以上、そこにあるのは感情ばかりでは無くある種の損得や合理性もあるだろうが。

 しかし、民の憎悪が、イーリスへの報復を願うその想いが、戦争に強く結び付いているのは間違いないだろう。

 そして、そう言った強い「感情」や複雑な因果の糸が絡まり合っているのなら、一つの「事象」に単純に干渉した程度でその最終的な結果が変わる事は無いのだ。

 

 もし、本当に『聖王エメリナの死』を回避しようとするのならば、一度の『暗殺』を防いだ程度で干渉を止めるべきでは無かったのだし、どうにかして彼女を守るなり或いは囚われた彼女を救い出すなりするべきだった。

 だが、ルキナはそれをしなかった。

「過去」に干渉し過ぎてはいけないのだと、「過去」への影響は最低限に留めなくてはならないのだと。

 そんな今更な……偽善にすらならない様な建前で。

 一番変えなくてはならない『父の死』と『邪竜ギムレーの復活』を阻止する事に注力するべきなのだと……。

 

 結局の所、ルキナは無意識にでも恐れていたのだろう。

 自分が「過去」を変えた事によって、『父の死』や『邪竜ギムレーの復活』が回避不可能なモノになる事を……。

 

 そもそも、『父の死』も『邪竜ギムレー』の復活も、「結果」としてのそれのみしか殆ど知らず、一体そこに何が在ってその結果に至ったのか、全く分かっていないのだ。

 だからこそ、恐れたのだ。

 ルキナが知る「過去」から大きくズレ過ぎた結果、ルキナが対処出来る様な事象では無くなってしまう事を。

 それ故に……『聖王エメリナの死』が「歴史の分岐点」だとそう考えながらも、『暗殺の阻止』と言う中途半端な干渉で留めてしまったのだ。

 

 それは彼女を「見殺し」にした事と何が違うのだろう。

「見殺し」処か、より酷な地獄へと突き落としただけ。

 ならルキナの行動に何の意味があった? 

 分からない。何れ程考えてもその答えは出なかった。

 

 それでも、ルキナは人目を忍んで彼女の墓前に赴いた。

 彼女に謝りたいのか……それすらも分からない。

 そもそも、ルキナは彼女の事をあまり知らない。

 産まれる前に既に故人であった彼女の事は、王城に飾られた絵画と父やリズ叔母様の話伝にしか知らない。

 父達は、優しく聡明な人であったと、彼女をそう語り。

 そして彼女の身を襲った悲劇を、哀しみと共に語った。

 血の繋がった伯母ではあるが、実感と言うモノは薄い。

 そしてだからこそ、彼女を心から思い偲び悼んでいるのかと言われれば……恐らくはそうではないのだろう。

 思い偲べる様な思い出は無いのだから。……ただ。

 自分の干渉が原因であの様な最期を迎えさせてしまった事に対しては……悔悟ともつかない感情を懐いている。

 ……ただそれは、エメリナ伯母様に対しての感情なのか、それとも……父やリズ叔母様の心により深い絶望と後悔を懐かせてしまった事への感情なのか……分からない。

 それでも、やはりその墓前に赴くべきだと思ったのだ。

 

 人目を忍ぶ為に、人の気配も絶える黄昏時を狙って、決して父などに出逢わない様に注意しながら、ルキナは彼女が眠る墓所を訪れた。

 ……かつての「未来」では、そこに父やリズ叔母様も眠っていたのだ。だから、王家の墓所はかつて知ったる場所でもあった。

 

 だが、誰も居ないと思っていた墓所には、先客が居た。

 

 黄昏時の中でも目に付くその特徴的なローブの後ろ姿は、イーリスの軍師であり……父の『半身』として共に幾度も難局を切り抜けてきた……そして切り抜けていく、未来では「神軍師」と讃えられていた、ルフレその人だ。

 こんな人気の無い時間に態々墓前を訪れる様な人だとは思っていなかったので、思いもよらずルキナは動揺し、咄嗟に墓所の入り口近くに在った樹の陰に隠れてしまう。

 このまま彼がここを去るのを待つか……と思っていたのだが。立ち上がりこちらに振り返った彼に気付かれた。

 そして、名指しで声を掛けられてしまっては立ち去るのも不自然であって、仕方なくルキナは彼の前に姿を現す。

 黄昏時の全ての輪郭が曖昧になる光の中では、目の前に居ても彼の表情は今一つ判別し難い。

 

 

「マルスも、エメリナ様に……?」

 

 

 ルキナの手の中にある白百合の小さな花束を見た彼は、そう訊ねてきた。

 こんな場所に来てそれを偽る意味も無いので素直にそれに頷き、その墓前に花を手向ける。

 用事は済ませたと、踵を返して去ろうとしたその時。

 

 ルフレが、何故かルキナを呼び止めた。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 ……どうしてこんな事になっているのだろう。

 何度目かも分からない、自問自答をルキナは繰り返す。

 

 目の前のテーブルには、大衆的な料理の皿が所狭しと並べられていて。賑やかな店内は程好く喧騒に溢れていてルキナ達の存在を気に留めている者は居なさそうだ。

 

 

「全部僕が奢るから、遠慮無く食べて大丈夫だよ」

 

 

 そう言いながら、目の前の彼……ルフレは、スープを掬っていた。

 それに促される様に、状況に未だ戸惑いながらもルキナは料理に手を付ける。

 

 肉や野菜の切れ端を煮込んで味付けしたスープだ。

 具材も味もその日その日によって変わる、よくある大衆的な料理であった。

 決して豪勢ではないが、中々これも美味しいものだ。

 少なくとも、「未来」で白湯と大差無い様なスープを啜る事にすら困窮していたルキナにとっては、十分以上に満足出来るものであるし……これに「質素」や「粗末」と付ける者も居る事が、この時代の豊かさを象徴している。

 だがルキナは、料理の事以上にこの状況に困惑していた。

 

 エメリナ伯母様の墓所の前で出会ったルフレは、その場を立ち去ろうとしていたルキナを呼び止めて。

 そして、「お礼」をしたいのだと、そう言ってきた。

 だが、この時代の人間に深く関わる事を避けていたルキナはそれをやんわりと断ろうとしたのだが……。その時。

 タイミング悪く、少し腹が鳴ってしまったのだ。

 思えば最近あまり確りとは食べられていなかった……。

 そして、それを耳聡く聞き逃さなかったルフレにあれよあれよと丸め込まれる様にして、王都の一画にある大衆的な食事処に連れて来られたのだ。

 

 その顔立から想像出来ない程、ルフレの押しは強かった。

 まあこうして来てしまった以上は、何も食べないと言うのも角が立つし、誰も得はしない。

 だからルキナは観念した様にルフレに勧められるがままに料理を口にする。

 

 ……思えば。命の危険など無い状況で、こうしてゆっくりと誰かと食事をするのは随分と久方振りであった。

『絶望の未来』と化したあの「未来」では、食事など何の楽しみも希望も無いただの栄養補給でありそれにすら事欠いていたし……そして過去に遡ってからも、基本的にずっと独りで行動していた為、こうした時間を過ごすのは実に久しい事で……もしかしたら初めてかもしれない。

 思えば、比較的平和だった幼き日々でも、基本的に一緒に食事をしていたのは父や母と言った家族だけであるし。

 貴族達の晩餐会などに招かれた時には、ゆっくりとなんてあまり食べる事は出来なかった……。

 そう考えると、一対一で誰かとゆっくり食事をするのはほぼ初めての事で。その相手が時を越えた先の……「過去」のルフレであると言うのも不思議な感じがする。

 

 あの「未来」での彼……今も記憶の奥底に朧気に残る『ルフレおじさん』は、幼いルキナにお菓子をくれたり、遊んでくれたり、勉強を教えてくれたりと、とても親切だったのだけれども……でも『ルフレおじさん』と一緒に食事をした事は無かった様な気がする。

 いや……もしかしたらあったのかもしれないが……。

 何せもう随分と昔の事で記憶は大分曖昧になっている。

 まあ少なくとも、父が死に世界が『絶望の未来』に堕ちてからは、誰かとこうして食事した事は無かった。

 まあ……悪い感じではない。寛ぐと言うのも難しいが。

 

 ルキナは、自分の皿に手を付けながら、ルフレの様子を観察する様に窺う。

 

 イーリスの軍師、父の『半身』……。

 ルキナがルフレに関して知る事は、実はそう多くない。

 優しくして貰った覚えはあるが、彼の過去は知らない。

 どう言った経緯で父と出逢ったのか、そして共に戦う様になったのか、彼がそれまでどうやって生きていたのか。

 例え彼自身や人伝に聞いていたのだとしても、何分それを全て覚えているには、あの日々のルキナは幼過ぎたのだ。

 

 だが……今のルキナにとってそれはとても重要な事だ。

 あの「未来」で、『父の死』に関わっていた可能性が最も高い人物であるからだ。

 ……まあ、ここに居る彼にとってその未来は遥か先の事であり、今の彼を問い質したり或いは監視して付け回しても意味はないかもしれないが。

 だが、彼自身の「過去」を知る事は、彼の行動やその思惑を推し量る事にも役立つであろう。だから……。

 

 

「あなたは……どう言った経緯で、……クロム、様と出逢ったのですか?」

 

 

 そう、ルフレに対して切り出してみた。……仕方ない事ではあるが、父の事を「クロム様」と呼ぶのは慣れない。

 ルキナに問われたルフレは、一瞬キョトンとした様な顔をして……そしてどう説明するべきか迷う様に少し唸る。

 何か複雑な事情でもあるのだろうかと、ルキナは少し驚き……そして「期待」した。

 

 

「僕は記憶喪失でね……クロムに拾われるよりも前の記憶が全く無いんだ。自分の事で覚えていたのは、名前位で。

 えっと……覚えているかな? 僕と君が初めて顔を合わせた日。……まあ暗い夜の森だったし、僕の顔なんて覚えてないかもしれないけど……。

 あの日、僕はクロムに拾われたんだ。

 そして成行きで街を襲っていた賊と戦う事になって……それが切っ掛けで自警団に軍師として入ったんだ。

 ちょっと信じ難いかな?」

 

「記憶が……無いんですか?」

 

 

 果たして、「未来」の彼もそうだったのだろうか……。

 朧気な記憶を思い返してみてもそんな素振りは無かったが……目の前の彼も、言われなければ分からない。

 

 

「そうは見えないって? よく言われるんだよね、それ。

 でも本当だよ。

 僕が一体何処の誰で、どうやって生きて来たのか……何も分からないんだ。

 親の顔も住んでいた村や町やら……何処の国の人間なのかも、何も分からない。

 持っていた物からも、何か辿れる様なモノは無くて。

 身元不詳の記憶喪失の行き倒れ、だったんだよね……。

 今も、何にも手掛かりは無し、記憶も戻らずって所」

 

 

 彼の話すそれは……到底笑い話になど出来はしないだろう、深刻なモノだと思うのだけれども。

 彼はあっけらかんとした様子でそれを話した。

 

 

「記憶が無くて、不安になりませんか……?」

 

 

 依って立つモノが無い、家族の顔も名前も分からない。

 それは、酷く恐ろしい事なのでは無いだろうか。

 少なくとも、ルキナにとってそれは想像するだけで怖気立つ程に恐ろしい事だ。

 記憶を失くし、父の事も母の事も世界の事も使命の事も、何もかも忘れて。ただ目的も無く世界を彷徨う。

 そうなった時そこに居るのは「ルキナ」なのだろうか? 

 分からない……。だが、そうなる事だけは避けたい。

 ルキナの思いとは裏腹に、ルフレは少し肩を竦めた。

 

 

「不安……か。

 幸か不幸か、不安に思う為の記憶の欠片すら何も残ってなくてね……本当に、綺麗さっぱりと。

 だからなのか、正直『何も』思えないんだ。

 それまでの「僕」がどんな生き方をしてこようと、今の僕はクロムの『半身』で……その軍師なんだから。

 それだけはハッキリしているんだ。……でも少しだけ。

 もし、「僕」がクロムの害になる存在だとしたら……」

 

 

 だがルフレは、それ以上は続きを言わなかった。

 そして、その手にあったパンを半分に千切る。

 

 もっと追及するべきかと、ルキナはそう一瞬考えたが。

 しかし、記憶喪失であると言う事が本当で……そしてそうであるが故に今ここに彼が、そしてあの「未来」の『ルフレおじさん』が居たのだとしたら。

 怪物が潜む藪を荒らしてそれを呼び覚ましてしまう事になるかもしれない。

 だから、それ以上深入りは出来なかった。

 そしてそうやって黙ってしまったルキナに、ルフレは。

 

 

「……僕は、ずっと君にお礼を言いたかったんだ」

 

 

 と、そう静かに切り出した。

 お礼……? とそう鸚鵡返しにすると。彼は頷いて。

 

 

「君のお陰で、あの日僕達はエメリナ様を暗殺者から守る事が出来たんだ……。

 それを僕からもお礼を言いたくて」

 

「エメリナ、様の……。ですが、結局……」

 

 

 その『死』の運命を変える事は出来なかったのだ、と。

 より悲惨な最期を辿らせてしまったのだと。

 そう悔悟の気持ちを隠し切れず、ルキナが思わず目を伏せると。

 ルフレは、感情の読み取り辛い穏やかな声音で訊ねる。

 

 

「あの未来は知らなかったと。そう言いたいのかい?」

 

 

「未来」を知っているのだと、そう言っておきながら。あの様な未来を防げなかったのか、と。

 そう咎められている様な気がして、ルキナは思わず唇を噛んだ。しかし。

 

 

「……君は、「神様」にでもなったつもりかい? 

 君が言う『「未来」を知る者』と言う言葉の意味は、……まあそう深くは訊ねないけど。

 君は、神様じゃない。

 この世に起こる全て、その未来を見通す事なんて、誰にも出来ないんだ。

 未来を自分の好きな様にする事もね。

 君はあの日確かにエメリナ様を救ってくれた、暗殺を防いでくれた……それで十分じゃないか。

 君が変えてくれた未来で、エメリナ様を死なせてしまったのは、君の責任なんかじゃない……僕達の、……僕の責任さ。

 その責任まで、自分の所為だと思い込んで背負い込もうとするのは、自罰的どころか、逆に傲慢な事じゃないかな? 

 この世に起こる「全て」が君の責任なんて事は無いよ」

 

 

 口調こそルキナを突き放す様に、多少厳しくとも。

 その声音には、確かな優しさと思い遣りが在った。

 

 

「それは……。私は、そんなつもりで言った訳では……」

 

「……マルス、君が一体何の為にエメリナ様の暗殺を防いでくれたのか……君が一体「何」を知っているのか……。

 僕はそれを知らないし、君が望まない詮索もしない。

 ただ……君は君が成し遂げた事を認めるべきだと思う。

 ……君があの日エメリナ様の命を救ってくれたから、短い時間ではあったけど、クロム達はエメリナ様と過ごす事が出来た、話す事が出来た……。

 それは、途方も無い『価値』がある事だと……そう思わないかな? 

 君はそれを守ったんだ。

 だから、己の成した事を否定してはいけないよ」

 

 

 そうルキナを諭すルフレの眼差しは、優しかった。

 それは、記憶に朧気に残る『ルフレおじさん』の様で。

 どうしてなのか、その優しさに少し胸が痛くなる。

 

 

「……エメリナ様を助けられなかったのは僕の落ち度だ。

 本来なら、策を提示した僕が背負うべき責だった……。

 でも、クロム達は優しいから……僕を責めてくれない」

 

 

 ポツリと、そう呟く様なルフレのその言葉に。

「そんな事は無い」と、そう言いそうになったが。

 しかしルフレ自身は、んな言葉を欠片も望んでいない。

 それが、分かってしまう。分かってしまったから……。

 ルキナは何も言わず、食事を再開する。

 暫し、二人とも無言のままであった。だが。

 

 

「やっぱり、……似てるな……」

 

「えっ……? その、何がでしょうか……」

 

 

 唐突なその独り言に、思わずルキナは戸惑う。

 恐らくは意識していなかった言葉だったのだろう。

 それを指摘されたルフレは、少し焦った様な顔をした。

 

 

「あ、えっと……。

 何だか変な話に聞こえるのかも知れないけど……似ているなって、そう思って。

 その、君とクロムの食事の時の所作が……似ていて。

 テーブルマナー的なモノだけじゃなくて、何と言うのか……無意識のクセ? みたいなものが……。

 ううん、クロムだけじゃない……リズとも、似ている。

 あ、あくまで印象の話だからね!」

 

 

 詮索するつもりじゃないし気を悪くしたりしないでね、と念を押すルフレの言葉が半ば耳に入って来なくなる程に、ルフレのその言葉にルキナは動揺を隠せなかった。

 

 似ている……。それは、親子だからだろうか。

 思いもよらなかった所に隠しきれなかった痕跡を見付けてしまい、思わず呻いてしまいそうになる。

 そして、それと同時に、かつても似た様な事を指摘された様な気がして……ルキナは無意識に記憶の棚を探した。

 

 

 

 

『ルキナの食べ方は、クロムに似ている所があるね。

 やっぱり親子なんだなぁ……。癖がそっくりだ』

 

 

 そう言って優しく笑ったその人に父は嬉しそうに笑った。

 

 

『おお、そうか? 俺としては、俺よりもリズや……姉さんに似ていると思うのだが……。

 しかしそう言われるのも中々嬉しいものだな』

 

 

 なぁ、ルキナ。と。父はそう優しく頭を撫でてくれた。

「姉さん」と言う部分は、少し寂しそうに口にして。

 

 

『そっか……じゃあ、ルキナの中には、クロムだけじゃなくて、リズやエメリナ様との「繋がり」もあるんだね。

 ……「家族」って、良いモノだね……』

 

 

 沁々と言った彼に、父は頷き言い聞かせる様に言う。

 

 

『ああそうだ、良いモノだぞ? 

 だからお前も、誰か大切な人を見付けると良い。お前には「家族」が必要なんだ』

 

『またその話かい? ……いや、僕は良いよ。

 僕は、君達や……皆と居るだけで十分幸せなんだから』

 

 

 彼は優しく微笑んで、ルキナに温かな眼差しを向けた。

 

 

 

 ……それはもう随分と昔の事で。その記憶の場面も朧気になってしまっていて、大分ぼやけてしまっているが。

 それでも父と彼のその言葉は記憶の片隅に残っていた。

 優しい記憶だった……「幸せ」な時間だった。

 満ち足りていた幼き日々の……その欠片。

 それに思いもよらぬタイミングで触れてしまった事で、ルキナ自身にも判別し難い感情が込み上げる。

「懐かしさ」とも、或いは「哀しみ」とも異なるそれに、ルキナは思わず深く息を吐いた。

 

 

「そう……ですか。私が、……クロム、様と……」

 

 

 今はもう亡き……そしてこの世界では『親子』ではない……限りなく近い「他人」にしかなれぬ父と。

 それでも、そこに「面影」があると言うのなら。そう言ったカタチで、受け継がれたモノがあると言う事は。

 それは微かであっても確かな「繋がり」であり。

 父と、リズ叔母様やエメリナ伯母様の縁であった。

 そしてそれは、ルキナにとって一つの救いでもある。

 

 気分を害してしまったのではないかと……ルキナの様子をそっと窺うルフレを、ルキナは見詰め返す。

 その姿に、その眼差しに、その言葉に、遠い「未来」の彼……『ルフレおじさん』の面影を確かに感じた。

 同一人物だから当然と言えるのかもしれないけれど。

 

 こうしてルキナと出逢い……そしてそれに付随する様にして「今」が変わってしまった彼が、あの『ルフレおじさん』と同じ様になるのかはルキナには分からなかった。

 それでも、きっとあの人の面影は必ず在るのだろう。

 

 ルフレがそれを意図したのかは分からないが……彼の言葉は、確かにルキナの心を僅かながらに救った。

 その心を苛む荊は僅かに緩み……そして、その枷を自らに課してしまった、行き過ぎる余りに傲慢にもなりつつあった自らを呵責する心は鎮められていた。

 

 ……ルキナは、「神様」にはなれない。残念ながら。

 時を遡り「過去」を変えようとしているのだとしても。

 神ならぬ人でしかないルキナには、思うがまま望むがままに、その全ての行く末を操る事など出来はしない。

 それは分かっている筈であった。

 

 しかし……実際に自分の行いが思いもよらぬ形で跳ね返った時に、ルキナはそれを「仕方の無い事」とは諦められなかった。

 だが、この世の全ての事象がルキナを中心に廻っている訳では無く、この世に生きる無数の人々の選択や行動が積み重なった流れによって起こる。

 ルキナに出来るのは、ほんの僅か、流れの中に石を投げ入れる事だけなのだろう。

 

 だからと言って無責任になる訳にもいかないが、……この世の全てを背負える程ルキナの器は大きくは無いのだ。

 自分に背負える範囲でその選択に責任を持って生きると言う事もまた、身の程を知り「善く」生きると言う事だ。

 人の身には過ぎた願いを抱えてしまったが故に、ルキナは何時しかそれを見失っていたのかもしれない。

 それをルフレの言葉によって気付かされ、何時しか自ら己を呪う様に掛けてしまっていた「呪詛」は薄れてゆく。

 

 

「……有難う、ございます」

 

「えっと、どういたしまして……?」

 

 

 礼を言われたルフレは戸惑う様に首を傾げる。

 元々ルキナへの「お礼」のつもりだった為、何故自分がそれを言われているのか心当たりが無かったのだろうか。

 だが、ルキナは感謝の言葉を伝えたかった。

 きっと彼は自分の言葉でルキナが何れ程救われたのか知らないのだろう。……人生などそんなモノなのかもしれない。

 

 誰もが、誰かの何かを大なり小なり変えていく。

 それ故に生まれる絶望もあれば、それによって救われる事もあるのだろう。

 

 ……何時か、またこうして彼と出逢い時を過ごす事はあるのだろうか? 

 それは分からないけれども。

 

 その時には……彼ともっと言葉を交わしてみたい。

 そんな「もしも」を思って、ルキナはその場を後にした。

 

 その「もしも」がもう少し先で叶う事を、まだルキナは……そしてルフレも知らないのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

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