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それはもう今となっては遠い遠い昔の話。
記憶の底に朧気に残る、幼き日々の事。
まるで自身の原風景であるかの様に、ルキナの心の奥深くに静かに刻まれてる「幸せ」の記憶……。
父が居て、母が居て、……両親から無償の愛を目一杯に一身に受けて……全てが満ち足りていた。
何も欠ける事など無く、この世界はずっと永遠に続いていくのだと、そう無邪気に信じていたあの頃。
そこには、『あの人』も、確かに其処に居た。
優しい人、穏やかな人。何時も見守ってくれていた人。
忙しい両親と同じか、もしくはそれ以上に忙しい人だったのだけれども……『あの人』はとても優しかった。
本を呼んで欲しいとねだれば、何時だって優しく微笑んで膝に乗せて、柔らかな声で読み聞かせてくれた。
おままごとに付き合って欲しいとねだれば、どんな役だって笑って引き受けてくれた。
木登りをして降りれなくなった時も助けてくれた。
危ない事をしそうな時は、決して無理には止めなかったけれど、何時だって目を離さずに見守ってくれていた。
両親と同じ位、きっと『あの人』からは沢山の「愛」や「幸せ」を溢れそうな程に受け取っていた。
そしてその何れもが、今でもキラキラと温かな輝きと共に記憶の片隅で煌めいていて……それにどうしてだか胸が締め付けられる様な想いを……郷愁とも望郷ともつかない、鼻の奥がツンとなる様な想いを感じるのだ……。
記憶の片隅の中から、今でも時折思い出す歌がある。
それは『あの人』が時折、寝付けなくなってしまった夜に、そっと口遊む様に歌ってくれた子守唄。
かつて幼き頃の彼が母親に歌って貰っていたのだと言うその子守唄は、母や父が歌ってくれるそれとはまた違ったモノだったけれど。幼子の眠りを見守る為の優しいその歌がとても好きで、それを聴きながら眠ると、どんな夜でも、とても優しくて温かな夢を見る事が出来た。
その子守唄を歌ってくれた『あの人』は、もう居ない。
それでも、時々思い出し、途切れ途切れに口ずさむ。
『あの人』の事を忘れない様に、その姿を思い描きながら。
それは小さな小さな、「幸せ」の欠片だった。
◇◇◇◇◇
父が戦いに赴いた先で何者かに殺され、そしてそれと前後する様に……伝承の中の存在であった筈の、千年前に初代聖王によって討たれた筈の『邪竜ギムレー』がこの世に再び姿を現して、世界は急速に崩壊を始めていた。
空は何時も分厚い雲に覆われて不気味な茜色に染まり、地は蠢く屍達によって蹂躙され汚されていく……。
邪竜ギムレーが蘇ってから、人々は「死」と言う安息すら容易には得る事が叶わず、荼毘に付されなければ、魂を邪竜に縛られ屍兵として永遠に彷徨う事になる。
草木は次々と枯れ落ち、僅かに光が射し込む場所で細々とその枝葉を広げるがその僅かな実りは飢えた人々によって食い荒らされ新たな実りには結び付かない。
故に食料は枯渇し、誰もが餓えて野鼠や虫に至るまで口にしようとするが、そうして喰われる側の生き物たちも食料が無い為その数を減らす一方で、負の連鎖が続く。
場合によっては飢え死んだ同胞を喰って凌ごうとする者も居る程だが、痩せ衰えた人肉などその栄養は乏しい。
無数に現れ地を穢す屍兵達に襲われ、飢えと渇きの中で斃れ、或いは人間同士での醜い争いの中で命を落とす。
「死」がまた新たな「死」を呼び、誰もその連鎖を止める事は出来ず、「死」だけが際限なく膨れ上がっていく。
芽吹いた命は無惨にも踏み荒らされ貪り食われ、後に残るのはただただ悲嘆と絶望と諦念のみ。
今日を凌ぐ為の糧にすら困窮し、食い扶持を減らす為の子減らし姥捨ても珍しくは無く、明日への「希望」など何処にも無い日々。怨嗟と慟哭ばかりが響く世で人々の祈りが神に届く事は無く、世の終焉だけが其処に在る。
それは「生き地獄」と呼ぶにも生温い、絶望の奈落の底の世界であった。死して尚も逃れ得ぬ無明の末世の果てだ。
……そんな世界の中で、この世に唯一残された「希望」。
それは、この世で唯一『邪竜ギムレー』を討ち得る神竜の牙。数千年の歴史の中でも幾多の竜殺しの伝説を残してきた唯一無二の神器──神剣ファルシオン。
そして……それを手にする資格ある者として「神剣に選ばれた」先代聖王クロムの遺児……ルキナ王女。
父亡き今となっては、ファルシオンを振るう事が出来る存在はルキナしか居なかった。
その『使命』は誰にも代替する事が出来ず、……ルキナが命を落とした時点で全ての『可能性』が潰えるのだ。
「代わり」が存在しないと言う事は、酷く恐ろしい。
食料事情も劣悪で、医療も崩壊している為疫病が猛威を奮い、そして屍兵ばかりがこの世に増え満ちて行く。
こんな世界では、『ギムレー』に対峙するしない以前に何を切っ掛けに命を落としても可笑しくないのに。
しかし、ルキナにその様な『死』は赦されていない。
『ギムレー』との戦いの……その中で訪れる『死』だけが、私にとって辛うじて赦された『死』だった。
『死』だけが無限に連鎖するこの世界で、『死』すら赦されない……少なくともそれを受け入れる事を自分が背負う「全て」が赦さない事は、想像以上の重圧をルキナへと与え、その心を擦り減らしていた。
生き残る為に、自分以外の全てを犠牲にしなければならない。
つい先程まで共に戦い同じ釜の飯を食べた戦友に、『死』が不可避である撤退戦の殿を命じなくてはならないし。
餓え渇き餓死する寸前の民の姿を目にしながらも、白湯と見紛う程に薄い粥を啜らなくてはならない。
ルキナは、自分以外の人々の手で「生かされて」いるのだ。
他の多くを犠牲にして。そして、だからこそ。
その『対価』を、誰もが無意識に、或いはハッキリと言葉にして要求してくるのであった。
『世界を救ってくれ』
『邪竜ギムレーを討ち滅ぼしてくれ』
『私たちを救ってくれ』
……誰も彼もがルキナを『最後の希望』だと言う。
そこに「期待」し、それを当然の「対価」とする。
無数の「祈り」が、「願い」が、ただ一人に向けられる。
……神竜ナーガは、人々の祈りに応えない。
『神竜の巫女』や、或いは『竜』の血を継ぐ者達を介して言葉を届ける事はあっても。現実的に何かしらの直接的な干渉をする訳ではない。……正確には、出来ない。
彼の神竜が人の世に大きく干渉出来るのは、『覚醒の儀』を通してのみで……証を示さなければそれすら叶わない。
僅かなその存在の残り香とも言える気配で、辛うじてその加護が厚い土地への邪竜の侵攻を抑えてはいるが、それとて……もうそう長くは持たないのだろう。
人々が生きていける場所は、日々狭まってゆく一方で。
神竜の領域とも言える筈の『虹の降る山』にすら、屍兵は姿を現しそこを少しずつ穢してゆくのだ……。
一年後、二年後……果たしてこの世に、人々は生き残っているのだろうか。命はまだ残されているのだろうか?
明日の事など考えている余裕も何も無い状況でも、ルキナはふとそんな事を考えてしまう。そして……。
一か月後ですら、人々が存在するこの世が続いている想像が全く付かない事に愕然とするのだ。
一か月処か……もし邪竜が何かの気紛れを起こして直接襲撃して来たならば、どんなに防備を固めた城塞都市であろうと一瞬で灰すら残らぬ焦土に変わる。
既に幾つもの都市がそうやって邪竜の炎の中で溶け去ったのだ。「次」が何時来ても、そしてそれが何処であっても何も可笑しくはない。もし万が一にもイーリス王都が邪竜の襲撃に遭えば……その時点で全てが終わる。
滅び行きつつあるこの世界で、人々にとっての最後の拠り処であり人々が「文明的」な生活を営む為の拠点である王都が陥落……或いは消滅すれば。「最後の希望」の象徴の消滅以上に人々に与える影響は大き過ぎる。
もし万が一にもそんな事になれば、人類は生存者の半数以上を一度に喪うばかりか、備蓄食料などの様々な物資の大半を喪う事になる。
既に様々な物資が慢性的に枯渇している状況でそうなればどうなってしまうのかなど火を見るよりも明らかで。
しかし、邪竜の襲撃は最も警戒し避けねばならぬ事ではあるが、邪竜が「その気」になった時点でそれを防ぐ術などない。
ただただ、邪竜がその様な「気紛れ」を起こさない様にと、神竜に……或いは邪竜に、祈る事しか出来ない。
……「気紛れ」。そう、結局、この世界の全てが邪竜の「気紛れ」によるものでしかないのだ。
人々が絶望と飢餓に苦しみながらもまだ辛うじて生きていけるのは、邪竜がまだ「本気」で人類を根絶させようとはしていないからでしかない。全てが邪竜のその掌の上にある。
……唯一邪竜に対抗出来る「筈」である神竜は人の世への直接的な干渉は出来ず、代わりに人の身で神竜の力を揮う事が出来る筈の……神剣に選ばれた者であるルキナはと言うと、その力を得る為に必要な『覚醒の儀』を執り行う事すら出来ていない。
『儀式』に挑む為の「証」たる『炎の紋章』が、この手に存在しないからだ。
かつての動乱の中で失われた『炎の台座』と五つの『宝玉』の行方は未だ誰も掴めず。それを探している間にも、刻一刻とこの世の終焉は近付いてゆく。
この世に滅びを蔓延らせたその根源たる邪竜は、遥かなる高みから人々が絶望しながらも必死に足掻き生きるその姿を嘲笑いながら見下しているのだろうか……?
自分がその気になれば一瞬で掻き消える「最後の希望」に縋り続け絶望の中に死ぬ人々の姿は、邪竜にとっては最上の娯楽なのだろうか……?
……どうであるにせよ、ルキナがやらねばならぬ事は変わらなかった。邪竜を討つ、世界を救う。
それが、己の成すべき全てなのだから。……だけれども。
多大な犠牲を払いながらも、何とか『炎の台座』と四つの『宝玉』を取り戻す事が出来た。
しかし、最後の一つの『宝玉』……最も早い段階でほぼ全ての文献からその行方の手掛かりが喪われてしまった『黒炎』だけは、取り戻す事が叶わなかった。
そもそも『黒炎』の行方が途絶えたのは数百年も前の事で……例え『宝玉』が神竜より与えられた神宝であるのだとしても、本当にこの世にまだ現存しているのかすら定かではないのである。だが、宝玉の揃わぬ『炎の紋章』では『覚醒の儀』を行う事は叶わず、このままではファルシオンに力を取り戻す事も出来ない。何処に存在するかも分からぬ『黒炎』を求めて、また宛も無い『宝玉』探索の為に人員を割くべきなのか、そもそも現時点で自分たちにその様な余力は残っているのか……その難しい判断を迫られる事になった。
不完全な『炎の紋章』でも何らかの力を神竜から借り受けられるのではないかと言う意見や、完全な『炎の紋章』でなくては無意味だとする意見が真っ向からぶつかり合って、その収拾は中々付きそうにも無い。
もう既に「人類」の側は限界が近いのだ。このままでは全員が何も出来ないまま総倒れになってしまう。
しかしだからと言って闇雲に不完全な『覚醒の儀』を敢行しても、事態が好転するのかは分からない。
……だが、ルキナが決断に迷っていたその間に。
恐れていた決定的な「破滅」が、襲来したのだ。
◇◇◇◇◇
世界が、燃えている。
こんな絶望の世界でも、必死に生きていた人々の営みが、命が、跡形も無く熔ける様に消えていく。
屍達の怨嗟すら全てを焼き尽しながら、天をも呑み込まんばかりにとばかりに劫火が全てを喰らい尽くす。
命在る者も、無き者も、何もかもが等しく焔に消えた。
何の前触れもなく突然に王都に押し寄せてきた屍兵の大群を前に、ルキナ達は必死に抗った。
だが、圧倒的な数の暴力を前にして、兵達は傷付き倒れて行き、そして屍兵となって甦っては敵となって味方であった者達を喰らい、「死」が無尽に伝播してゆく地獄には誰も抗う事が出来なかった。ルキナは剣を手にそんな絶望と暴力と「死」しかない地獄の中を必死に駆け回って、少しでも屍兵を減らそうと、一人でも多くの無辜の人々を救おうとして戦い続けていたのだけれど。
そんな足掻きすら、全ては無為なものだとばかりに。
『それ』は、突然現れたのだ。
まず、世界に「終末」を告げるかの様な轟音が轟いた。
それと同時に身体が床から完全に浮き上がる程の振動と、無防備な身体を吹き飛ばす強烈な衝撃に襲われて。
感覚の何もかもが滅茶苦茶になって、立ち上がる事すら儘ならぬ中で、建造物が崩壊してゆく音だけが響く。
ただの一息で跡形もない程に崩落した城の壁の大穴から覗いたのは。頭部だけでもイーリス王城と王都を丸呑みにしても尚余りある程に巨大な……その頭部の全貌を把握する事すら困難な、巨大な異形の怪物……。
伝説に伝え聞く『邪竜ギムレー』それそのものだった。
「『邪竜、ギムレー』……」
世界を滅ぼさんとするその邪竜の姿をルキナが直接その目で見るのは、これが初めてであった。だからこそ。
剰りにも強大なその存在には、人の身で抗う事など不可能な存在である事を、誰に説明されるでも無く理解してしまう。
己に知性がある事を呪う程、克明に理解して、しまった。
これは、『絶望』そのものだ、と。抗えない、勝てない、と。
自分は、ここで邪竜に殺される。何も成せないまま、無数の人々から託された『希望』に何一つ応えられないままに。
それを理解して。そして、そうであるにも関わらずに。
ルキナは、ファルシオンを邪竜に向けて構えた。
そんな抵抗には何の意味も無いのは理解していた。
神竜の力が宿らぬファルシオンでは、『邪竜ギムレー』を討つ事どころか、恐らく傷一つ付ける事が出来ないのだから。
彼我の差は圧倒的で、ルキナなど羽虫以下の存在なのだろう。
だが、それでも。
最期の瞬間まで『最後の希望』で在り続ける為に。
命尽きるその瞬間まで抗わなくてはならなかった。
「来るなら、来い!
私は、『希望』は、お前なんかに屈したりはしないっ!!」
そう啖呵を切った直後に、丸呑みにせんとばかりに、ギムレーの巨大な顎が視界一杯に迫ってきた。
逃げる事など出来ない、逃げる場所などない。
「死」が、ルキナを喰い尽くそうと迫る。だからこそ。
臆しそうになる心を必死に律しながら、膝の震えを理性だけで抑えつけ。迫り来る「死」を真っ直ぐに見据えていた。
だが、人など容易く丸呑みに出来る筈のその顎は。
その身体を呑み込むその寸前に、それを「何か」が必死に押し留めようとした様に、ほんの一瞬だけ静止する。
そしてその刹那にも等しい一瞬で、また別の「何か」が自分の身体を強く引き寄せるのを感じて。
ルキナの意識は、闇の中に途絶えた。
◇◇◇◇◇
再び意識が戻った時には、目の前に迫っていた筈の邪竜の姿は何処にも無くて。全く見覚えの無い場所に立っていた。
周囲には、仲間達がルキナと同じく、何が起きたのか理解しきれない様な表情で周りを見回している。
「ここは……」
一体、何処なのだろう、と。
そう無意識に心から言葉が零れ落ちた。
その疑問に答えたのは、予想外の存在であった。
『ここは、私の領域です。
人の子に、『虹の降る山』と呼ばれる場所……。
私が、貴女達をここに招きました』
フワリと。中空から突如現れたその存在は──
「神竜、ナーガ……」
ファルシオンを人に与えし存在。初代聖王に、『ギムレー』を討つ為にナーガの力を与えた者。そして、ルキナもまた、その力を得ようとしていた者の一人である。
だが、ルキナは『覚醒の儀』をまだ不完全なものですら行ってはいない。なのに、何故……。
そんな疑問に答えたのも、やはりナーガであった。
『もう、時間が無いのです……。『覚醒の儀』を行っていない為、私がこの世界に対し出来る事は限られている。
それでも、『希望』を潰えさせる訳にはいかなかった。
干渉するまでに時間が掛かってしまいましたが、……何とか間に合った様ですね……』
「王都は、王城は……。
彼処に居た人達は、どうなったんですか……?」
恐る恐ると、ナーガに訊ねたのはウードだ。
寸前まで戦い続けていた事を示す様に、その身体には幾つもの生傷が刻まれている。
ナーガはその問いに、何処か茫洋としている様にも見える目を、憂う様に伏せた。
『ギムレーがあの場に現れた以上は、最早誰も生き残ってはいないでしょう……』
そして、ルキナを含めた十二人を、この場に連れてくるのが精一杯であったのだと、ナーガは語った。
たった十二人。それだけしか、生き残らなかったのだ。
その場に居る誰もが、ナーガが語るその事実を茫然と聞く事しか出来なかった。そして。
ナーガは、私に『炎の紋章』を持っているかを尋ねる。『黒炎』が納まるべき場所は空白のままだが、不完全な『炎の紋章』は肌身離さず所持している。
それを差し出すと、ナーガは『希望はまだ繋がった……』と溜め息の様な言葉を溢した。
こんな状況で、何の『希望』があると言うのだろうか。
そう訝るルキナに。
ナーガは、【時を越え、「過去」を変える】と言う……人が決して踏み入れてはならない「神の領域」の……。
或る意味では「この世界」に生きる全ての「命」への冒涜とも言える『禁忌』を……ルキナへと提示した。
最早この世界は終焉を迎える。誰も彼もが死に絶える。
だが、時を越えて「過去」に向かい、この滅びの原因を、『ギムレー』の復活を阻止出来れば。世界を、滅びの運命から救う事が出来る「かもしれない」と、ナーガは語った。
……「かもしれない」。そう、その結果がどうなるのかは、ナーガですら知り得ぬ事であったのだ。
「過去」を変えれば、本当にこの「未来」は変わるのか。
もし「未来」を変えられたとして、ならば変わる前の「未来」から来たルキナ達の存在はその時どうなるのだろう。
「過去」が変わり「未来」が変わった瞬間に、存在が「無かった事」にされて、完全に消滅するのだろうか。
既に絵が描かれているキャンバスを塗り潰してその上からまた新たに別の絵を描く様に、変わった後の「未来」の自分の中と混ざるのだろうか。
それとも、時の迷い人として、過去にも未来にも居られずに彷徨う事になるのだろうか……。
だが、もしそうであるのだとしたら、『ルキナ達の干渉によって変わった未来』はどうなるのだ? 因果の糸は、どうなる?
それか、この「未来」とは全く別の「未来」が新たに生まれるだけで、この「未来」は「過去」から切り離された様に、滅び果てたこの状態のままになるのだろうか……?
そして……「過去」と「未来」がどうなるにせよ。
時の流れを遡り「過去」へと向かうと言う事は。
本来ルキナ達が守らねばならぬ、救わねばならぬ……両親たちから託されたこの世界を見棄て、未だ滅びの手の及ばぬ「過去」へと敗走する事と、何が違うのだろうか。
もし本当に「未来」を変える事が出来るのだとしても、そしてそれで救われる人々が無数に存在するのだろとしても。
ルキナが「本当の」『使命』を放棄する事に変わらない。
そして、「過去」が変わり「未来」が本当に変わるのなら。
この滅びへと至った世界に生きていた人々の存在は、全て「無かった事」になるのだ。それは、有史以来の大虐殺を行う事とほぼ同義であるのではないだろうか。
いや、ただ殺すだけではない。生きていたその証すら……命ある全てが等しく持つ筈の、「そこに自分が存在した足跡」を残す権利すら有無を言わさずに剥奪するのだ。
そんな、神をも恐れぬ程の「大罪」を犯す事が、本当にただの人間でしかないルキナに赦されて良い事なのだろうか。
そして、そもそもの話【時を超え、「過去」へと遡る】と言っても、本当に目指す「過去」に辿り着けるかさえ未知数だ。
時の扉を渡り「過去」へと跳んだ人間など、どんな記録にも伝承にも存在せず。故にそれが本当に可能なのか分からない。
ナーガが出来るのは、あくまでも「過去」へと繋がる時の扉を開く事だけ。具体的に何処の「過去」へと辿り着くのかは「運」に左右されるのだという。
「未来」にも「過去」にも「現在」にも……何処の時間にも辿り着けないまま、何処でもない「時間の狭間」を未来永劫に渡り彷徨い続ける事になる可能性だってあると言う。
運良くそれは回避出来たとしても、辿り着いたそこは、目的の『過去』ではない、もっと遥かな「過去」か……又は遠い遠い「未来」なのかもしれない、とも。
それは分の悪い賭けなんて話ではなかった。
もうこれしか取れる手立てが無いのだとしても、その選択をして良いとは到底思えない。……それなのに。
ルキナは、ナーガのその提案を受け入れてしまった。
何が起こるのか、分からない。何が出来るのか、分からない。
それでもそこに、こんな絶望しかない世界の終焉を回避出来る可能性が僅かにでもあるのなら。ルキナは……。
そして、共に過去へと向かう事を選択した仲間達と共に。
最後の餞別にと、ナーガからその力を不完全ながらも蘇らせて貰ったファルシオンを手にして。
ルキナは、ナーガが開いた時の扉を潜ったのだった。
◇◇◇◇◇