◇◇◇◇◇
ロビン達と共にルキナはフェリアを目指して北へと発った。
……あの場に逃げ延びていた者の中には、ルキナ達と同じ様にフェリアを目指そうとする者も居たが、その大半はペレジアに留まって縁者を頼って他の村や町へと向かうか、或いはただの焼け跡でしかない自分たちの村に帰り家族を弔うか……と言う者が大半であった。
ルキナが助けた少女とその両親の一家も、縁者を頼って少し離れた町の方へと向かうらしい。
…………『聖戦』で、ペレジア中の村や町が被害に遭ったと聞いた事があったルキナの本音としては、それを止めてフェリアに向かう様にと説得したかった。が、出来なかった。
例え命を守る為でも、自らの生活基盤の大半や縁故などの人との繋がりも捨てて新天地に行こうなんて行動に移せるものが多くはない事を、ルキナはあの「未来」でよく知っている。
ルキナが彼らに提示出来る言葉の中に、ペレジアに残ろうとする彼らを説得出来る様なものなんてない。残念ながら。
だから、ルキナに出来るのは、せめて命助かった彼らが、『聖戦』の終結まで無事で居られる様にと祈る事だけだった。
間違いなく「イーリス」の人間である自分がこんな事を祈っているだなんて知られたら、逆に恨まれるだろうけれど……。
……つい何時もの癖で神竜への祈りの言葉を口にしそうになって、ルキナは慌てて口を噤んだ。
かの神竜が今この瞬間に、自らの名を「大義」に掲げられて行われている大虐殺に対して何を考え感じているのかなど、人に過ぎないルキナには分かる筈も無いけれど。
少なくとも、今こうして狂った悍ましい「大義」の下にその命も尊厳も蹂躙されているペレジアの人々にとって彼の「神」の名は憎悪の対象にしかならないであろうから。
かと言って、彼らの「神」であるあの邪竜に祈りを捧げる事など到底出来る筈も無くて。
結局ルキナはどこぞの誰とも知れぬ「何か」へと、その祈りを捧げた。
そうやってロビン達と共にフェリアに向けて出立したのだが……道中に立ち寄ったペレジアの村や町の状況は、想像していた以上に酷いモノであった。
イーリス軍による蹂躙の被害をまだ直接には受けていない町や村でも、被害に遭った他の村や町から逃げ延びてきていた人々が流れ込んだ事で様々な物資に困窮し始めていたのだ。
食料は勿論の事ながら、衣服や生活用品に至るまで……。
元々耕作に適さぬ土地ばかりのペレジアでは、イーリスなどの肥沃な土地を多く持つ国からの輸入に食料供給を頼っている部分が多かったのだと言う。
イーリスと戦争している以上イーリスから食料を輸入する事など出来ず、更にはイーリス軍がペレジア国内の通商網を徹底的に破壊してしまった為に物資の輸送が停滞し。
そうやってカツカツになっていた場所に他所の村や町から人々が逃げ込んでくるのである。堪ったものではない。
分け与え共に苦難を乗り越える……なんて綺麗事は、「分け合っても我慢すれば何とか凌げる」なら成り立つのであって。
餓死するかもしれない様な程に困窮している状況でそんな事を実行出来る者は居ない。食料を巡って醜い争いが起きているのをルキナはフェリアに入るまでにも幾度も見てきた。
が、それを「醜い」などと感じる権利など、端からルキナには存在しないのだ。……そんな争いを起こさなければ生きていけない状況に追い込んだのは、「イーリス」なのだから。
イーリス軍は、ペレジアの軍人も民間人も等しく蹂躙し虐殺して、今やペレジアの国土全体を呑み込もうとしていた。
ペレジア人の「根絶やし」が目的であるその侵攻は狂気に満ちていて、本来ならばイーリスにとっては攻め入る必要など殆ど無い筈のペレジアの北西部……ペレジアがフェリアと国境を接している辺りの町や村をも蹂躙していた。
そこにはペレジア人がフェリアに逃げ込まない様に、と言う意図があるのかもしれない。
だが、ペレジア軍もただ民を虐殺させる事など赦してなるものかとばかりに、消耗しながらも何とか奮戦し、一人でも多くの無辜の民がフェリアへと逃げられる様に手を尽くしているのだと言う。恐らくそう遠くない内にその抵抗ごとイーリスは踏み潰してしまうのだろうけれども……。
……ルキナとしては、こんな狂った大虐殺など、何があってもそこに正当性など存在しないとそう声を上げたいし、叶うのならば今代の聖王に直訴してでもこの『聖戦』を止めたいとも思う。
だが、ルキナの声には何の力も無い。
イーリス城に侵入したとしても、そこで囚われて処刑されて終わりだろう。
「未来」から来たのだと訴えたとしても、そんなものはただの狂人の狂言にしかならない。
ルキナには止められない、変えられない。何も。
ただただ……「イーリス」の狂気に踏み潰された夥しい犠牲者たちに、心の中で謝る事しか出来なかった。
そして、そんな謝罪には、何の価値もありはしないのだ。
…………この狂気が、巡り巡ってイーリスを襲う事になるのだろう。この狂気が育てた憎悪と怨恨が、十数年後に再び戦争を引き起こす事になる。そしてきっと……邪竜ギムレーの復活にすら、これが関与しているのかもしれない。
ペレジアの人々の中には、邪竜ギムレーの復活を願っていた者が大勢居たと言う話を聞いた時。ルキナはそれを「信じられない」としか感じなかった。ペレジアの人々は狂っていたのだろうかと、そんな事すら考えた。
…………だけれども、今ならば、少し分かるのだ。
あの「未来」で、絶望に曳き潰されてゆく人々が縋りつく様に神竜への信仰を高め祈り続け「救済」を願った様に。
イーリスに抗い様の無い暴力で蹂躙され尽くし何もかもを喪ったペレジアの人々が、自らの神に縋りついた事を誰が責められるというのだろう。
どうかあの悪鬼どもを誅してくれ、どうかあの悪魔たちをこの世から消し去ってくれ、と。
そんな破滅的な……しかし、心が在る以上はどうしても抱いてしまう憎悪や怨恨と共に願う事を、誰が責められるのか。
……そんな人々の願いであんな「未来」になってしまうのなら、ルキナは何としてでも止めなくてはならないのだけれど。
しかし、もう今のルキナには、この「過去」に辿り着く前の様には、考えられなくなってしまった。
本当に正しい「正義」なんて、この世にはない。
人々を救う、世界を救う、と。ルキナが願い抱いた『使命』ですら、それの根本が絶望と怨嗟に血塗られた因果の応酬の果てに在ったモノでしかないのなら。
その願いですら、きっと全くの「正しさ」ではないのだろう。
その様に考え方、モノの捉え方が変わった事が、果たして良い事なのかは分からないけれども……。
少なくとも、ルキナは「盲目」ではなくなった。
そしてだからこそ、ルキナ自身の傲慢を以てして、やはり『使命』を果たしたいと強く願うのだ。
……苦しみ絶望し何もかも失って慟哭する人々の最後に待つものが、あんな「未来」だなんて、認めたくないから。
ペレジアの民にもイーリスの民にも、どんな国の民にだって。
あんな「未来」は、経験して欲しくないのだから。
イーリスが残した無惨な爪痕を見詰める事になった旅であるが、それでもルキナの心が罪悪感ともつかぬ暗く重い感情に押し潰されずに済んでいるのは、やはり同行者の……特に幼いルフレのお陰であった。
幼いルフレと他愛もない様な事を話したり、何かをする時間は、とても心が安らぐのだ。……遠い記憶の『あの人』にとってもそうであったのだろうか?
幼い自分に対してとても優しかった『彼』の事を思い出しながら、ふとルキナは考える。
『あの人』も、ルキナと過ごしていた時間の中に、こんな暖かな安らぎを感じていたのであろうか、と。
その答えは、きっともう一生分からないだろうけれど。
それでも、少しでもそうであったら良いな、と。
ルキナはそう思うのだ。
ルフレは、こんな幼い時に『聖戦』だなんて狂気に触れてしまったと言うのに、必要以上にそれに怯える事も無く、母を純粋に信じてその言葉に従っていた。
ルフレも、そしてロビンも。ルキナが自身に関して何も語る事が出来ないのと同じ様に、二人も自身の事に関してルキナに話してくれる事は殆ど無かったけれども。
断片的に伝わってくる情報を繋ぎ合わせていくと。
ルフレ達親子は、元々は「過去」に遡った直後のルキナがその惨事を目撃する事になったあの村の人間では無いらしく。
ペレジアの各地を転々としていた所で、たまたま少し長めに逗留していただけであったらしい。
そんな中で、イーリス軍の襲撃に遭った、と言う訳だ。
そんな事情もあったからこそ、「ペレジアを離れてフェリアへと向かう」と言う決断が出来たのかもしれない。
何にせよそう言う事情もあるから、まだ幼いルフレも旅暮らしにはそこまで不自由を感じていないのだそうだ。
……だが、何故二人がそんな旅から旅への根無し草に近い様な生活を続けているのか。その理由は訊けなかった。
それとなく訊いてみても、ロビンにははぐらかされてしまう。
ルフレはルフレで、幼いからなのか分かっていない様だった。
まあ、ルキナも自分の素性など、答えられない部分が多過ぎるのでそう深くまでは探れないのだが。
共に旅をするようになって、ルフレはルキナの事を「マルス」として大層慕ってくれるようになった。
事ある毎に「マルス、マルス」と笑いかけてくれるこの幼子に、ルキナが庇護欲の様な……それとはまた少し違う様な暖かな感情を抱く様になったのは、ある意味では必然であったのかもしれない。……まるで、あの頃とは丸っきり逆になった様な関係には、やはり不思議なモノを感じるけれど。
戦う事ばかりしか出来なかったルキナが、幼いルフレに与えてやれるものは本当に少ないのだけれども。
それでもかつて『彼』から……ルフレにとっては遠い未来の『彼自身』から教えて貰った事を、思い出して反芻する様にしながらルキナはルフレへと与えていく。
それは、かつて『彼』に読み聞かせて貰った物語であったり、或いは夜空を見上げながら星々を指差して貰いながら教えて貰った物語であったり、小さな役立つ知恵など。
そう言ったものを、ルキナはルフレへと「返して」いた。
そんなルキナを、ロビンは何時も静かに見守っている。
ルフレと触れ合い語り合うルキナを、見詰める彼女が一体何を考えているのかはルキナには分からない。
分からないと言えば、どうしてそもそもこうして旅に誘われたのかも分からないのだ。
行く宛も何もなかったルキナにとっては好都合な……「都合が良過ぎる」それの意図を、ルキナは今も理解しかねている。
「母と幼い子の二人旅よりは」と言うその言葉は一見筋が通っているが、そもそもの話その同行者がルキナである必要などないのだ。そこであの時に敢えて何処の誰とも知れぬ不審なルキナを選ぶ理由など全く思い付かない。
だが、その答えは今も分かりそうにも無かった。
そんな風にその意図は分からないけれど、ロビンと旅する事自体には不満など特には無いのだ。
寧ろ、「親子」だからなのか、未来での『ルフレ』と彼女は少し似ていて、それが懐かしくもあり安心感がある。
『ルフレ』が、戦術など以外にも万の事に精通している程賢かったのは、ロビン譲りであったのかもしれないと思う程に、ロビンのその頭脳は卓越しているのであった。
ロビンの過去が気になる程だけども、それを答えてくれる事はなくて。それでも不満などなく、ルキナは旅をしていた。
立ち寄ったフェリアの村で一晩の宿を得たルキナ達は、久方振りのベッドで眠れる夜を有難く満喫しようとしていた。
しかし……うとうととし始めたルフレだが、それでも中々寝付けないらしく、ぐずる様に少し機嫌を損ねてしまう。
そんなルフレに、ルキナはかつて『彼』が度々自分に歌ってくれていたあの子守唄を、口遊む様にルフレに向けて歌った。
「あ……それ、おかあさんがうたってくれるうただ……。
マルスのうたも、じょうずだね……」
聞き馴染んでいた大好きな歌だったからなのか、ルフレは途端に機嫌を直して嬉しそうに微笑んだ。
そして先程までの寝付の悪さが嘘であった様に、目を閉じたかと思うと安らかな寝息を立て始める。
まるでかつての幼い頃のルキナ自身の姿の様に感じて、微笑ましく思っていると。
ふと、ロビンが真剣な目を自分に向けている事に気付いた。
どうかしたのだろうか、とルキナがそう思った次の瞬間。
「マルス……。
あなた、もしかして、「未来」を知っているの?」
その静かな問いに、ルキナは絶句するしかなかった。
◇◇◇◇◇
「すまない、あなたが何を言っているのか……」
聞き間違いか、或いは何かの気紛れなのだろうか、と。
ロビンの問い掛けに、ルキナは動揺を隠せないままだった。
何故、一体どうして。と言う疑問符ばかりが頭を過る。
そんなルキナにロビンは静かに言葉を連ねてゆく。
「……さっきあなたが歌ったあの歌はね。私がルフレの為に作った歌なのよ。私とルフレだけしか知らない筈の歌。
ねえ、マルス。あなたは一体『何時何処で』知ったのかしら?」
「それ、は…………。そう、あの、前にルフレが歌って……!」
「あら、あの子はまだそんなに上手には歌えないわよ。
それでどうやって、ルフレの歌声を手本にして、あの歌を歌えるようになるのかしら?」
ロビンの追求に、ルキナは言葉に窮してしまう。
元々、こう言う類の言い訳をするのは苦手なのだ。
そんなルキナに、ロビンは重く溜息を吐いた。
そして、幸せそうに眠るルフレの顔を見遣る。
「……別に、あなたを取って食おうだなんて欠片も思っていないから、そんなに思い詰めた顔はしないで。
……私はあなたと、「これから」の話をしたいの。
あなたにとっても、きっとそれは悪い事ではないと思うわ」
「…………僕が話せる事なんて、何も無いよ」
ここでルキナが知る「未来」を聞き出す事で、ロビンは自分の思う様に「未来」を変えようとしているのではないか、と。
そう一瞬考えたルキナは、決して口を割らない事を明言した。
そもそも、ルキナが知る「未来」は酷く限定的なモノであるのだけれども……。
そんなルキナに、ロビンはゆるゆるとその首を横に振る。
「別に、多分あなたが危惧しているのだろう事なんて、私は全く考えていないわよ。いえ、正確には。
一つだけ、どうしても変えたい「未来」はある。
でもそれは恐らく、あなたにとっても悪い事ではないわ」
そんな事を言われても、「はいそうですか」と頷ける訳なんてなくて。ルキナはロビンを警戒する。
そんなルキナに、ロビンは小さく溜息を吐いた。
「そう……訊き方が悪くて警戒させちゃったのかしら……。
なら、今から私が勝手に独り言を喋るから、気にしないでね」
そう言って、ロビンは思考を整理する様に一度少し目を閉じて、そしてゆるりと再びその目を開く。
「そうね……マルス。あなたは……きっと、恐らくだけど。
『邪竜ギムレー』が蘇った「未来」を知っているのよね?
……そしてギムレーの復活を、何らかの方法で止めるか……或いはギムレーを倒す為にここに居る。
……違うかしら?」
「それは……!」
ロビンは、ルキナの素性や過去など何も知らない筈なのに。
それは予想だなんて言葉では到底考えられない程の精度でルキナの過去を言い当てていく。
それに思わず戦慄したルキナは、ロビンのその言葉を遮ろうとするが、だがそれは上手くはいかない。
「それとそうね……あなたの本当の名前が何なのかまでは分からないけれど。あなたの本当の素性……それは、イーリスの聖王家の一員ね。
あなたが手にしているその剣。
……それはイーリスに伝わる神剣、ファルシオンよね?
それを手にしている……そしてそれを振るう事が出来る。
その時点であなたが聖王の血筋の人間である事は分かっていたの。……あなたと出会った時点でね。
でも、ファルシオンはその使い手を剣自身が選ぶ剣。
今代の聖王も、……その前の代もそのまた前の代も。
記録にある限りは、ここ数代以上はその使い手に選ばれた者は居ないの。
……今代聖王の長男はもしかしたらその資格があるんじゃないかって言われているけれど……まだ剣を握るには幼過ぎるもの。少なくとも、あなたじゃないわね。
じゃあ、あなたは誰? って考えて、合理的に導き出されたのは、『マルスは未来の聖王家の人間』って結論よ。
どう言う経緯で未来の聖王家とルフレが関わる様になるのかは分からないけれどね……。
さて、何か言いたい事はあるかしら?」
信じ難い言葉の羅列に、何か否定しなくてはとルキナは言葉を探すが、良い「何か」などこの状況では何も考え付かない。
何を言っても、あっさりと論破されそうですらある。
「あなたは……一体何を目的に……」
「私の目的? ……それはね、きっとあなたと同じよ、マルス。
私もね、『邪竜ギムレー』の復活だけは何としてでも阻止したいの。……本当に、ただそれだけなのよ……」
そう言ってロビンは微笑むけど。
その底の見えない得体の知れなさに、ルキナは反応に困る。
「あなたの居た「未来」……。
これは完全に想像になるのだけれど、ギムレーによって壊滅させられたのでしょう?
そして、あなたはそこでギムレーに勝てなかった……。
そのファルシオンに宿る不完全な力を見るに、『炎の紋章』を完成させられなかったのかしら?
まあ原因が何であれ、あなたは勝てなかった。
だから過去に来た。……きっと神竜の力でね。
さて、ここまでに何か矛盾したものはあったかしら?」
……ここまで見透かされてしまっていては、誤魔化す事も出来なくて。ルキナは項垂れるように頷いた。
ファルシオンに宿った不完全な神竜の力すら見透かすなんて……一体ロビンは何者なのか。
「……はい、ロビンさんの言う通り、僕……私は、凡そ三十年後の「未来」からやって来た人間です。
ギムレーの復活を阻止してあの『絶望の未来』を変える為に。
…………ルフレさんは、私が幼い時にとても良くしてくれた人で……あの歌も、その時に。大好きな子守唄だ、と」
ここまでロビンに見破られていてはもう「マルス」を装い続ける意味も無いので、ルキナは本来の自分の話し方に戻した。
それに、ロビンは驚く事も無く耳を傾ける。
「そう……ルフレは、あの歌の事をそんな風に……。
……それとね、マルス。
これはあまり根拠に乏しい勘の様なものなのだけれど……。
「今」は、あなたが「過去」を変える為に本来目指していた時間とは異なるものではないかしら。
目指していたそこよりも「未来」……いいえ違いそうね。
あなたの場合は、「過去」かしら?
そうやってここに辿り着いたのではない?」
どうしてそこまで、とルキナはもう驚く事すら儘ならない。
もしかしてロビンは人の心を文字通り「読める」のではないかとも思ってしまう。何もかもを丸裸にされて見透かされている気分になってしまった。
「どうして、それを……」
「殆ど勘のようなものだけれど……。
あなた、全然『聖戦』の事、知らなかったんでしょう?
もし、「過去」を変えて未来をどうにかしようとしているなら、それに関わる「過去」の事も調べる筈だもの。
だから、『聖戦』の惨状にあんなにも動揺しきっていたのは、全くの想定外の状況だったからじゃないかと思ったの。
それで? 本当は「どの位」の過去に行くつもりだったの?」
「それは……今から凡そ、十五年後の「未来」の時間でした。
ですが、もうそこには……」
ただ十五年間待ち続けるしかそこに辿り着く術はないのだと。そう言ったルキナに、ロビンは「待って」と制止した。
「待ってマルス。
諦めるのにはまだ早いかもしれない。
……もしかしたら、辿り着けるかもしれないわ。
……あなたが辿り着くべきだった、十五年後の「未来」に」
ルキナを制止したロビンが示したのは、フェリア東部と西部の境界からさらに北に行った、周囲の山々も含めてそこに人里など存在しない、秘境のような場所にあると言う、人の口の端に上る事すら稀な、『時の遺跡』なる場所であった。
「『時の遺跡』はかつて……英雄王マルスたちの時代よりも更に遥かな昔。
この地に人々が殆ど居なかった時代に、強大な力を持つ竜たちが時に関わる祭儀などを行い、「時の扉」を開いたとされている場所なの。
そこならばもしかしたら、あなたを辿り着くべき時間にまで飛ばせるのではないかしら?」
「そんな遺跡がフェリアに……。
ですが、ナーガ様のお力無しに再び『時の扉』を開く事は難しいのではないでしょうか」
今この手には、あの時の様な、宝玉の欠けた不完全な『炎の紋章』すら存在しないのだ。
それでは、神竜に助力を乞う事は難しい。
ルキナがそう諦めそうになった時。
「いいえ、そうとは限らないわ」
と、ロビンがそれを否定した。
「過去へと時の流れを遡らせる事はとても難しいものよ。
でも、未来へと送る事に関してはそこまで難しくないわ。
その為の扉ならほんの数十秒だけなら私でも開けるはず」
「ロビンさん……、どうしてそこまでして私に……」
「どうして……。
それは、『邪竜ギムレー』の復活を阻止する事が、ルフレの幸せを守る事に繋がるからよ。
私は、ルフレを守ってあげたいの……。ただそれだけ……」
そう言って微笑んだロビンに「母」の深い愛情を見たルキナは、かつて喪った両親の姿が重なって思わず胸が痛くなる。
その心を抑えながら。
ルキナは、ロビンの提案に乗るのであった。
そして、ルキナ達はフェリアの北へと向かった。
◇◇◇◇◇
国土の大半が一年の大半を雪と氷が支配するフェリアにおいて北部や北端は融けぬ氷の支配する領域であり、幾ら逞しいフェリアの人々でもそこに住むことは出来なかった。
その為、人の手が全く入らない森や山などが多数存在し、またそこには遥かなる古の時代に栄えていたという『竜』たちの文明の名残が、遺跡の形で今も残されているのだと言う。
そんなフェリア北部への旅は過酷なモノであったが、幼いルフレは何も言わずに母とルキナに付いて来てくれている。
最近は、何かを感じ取っているのか、前よりも益々ルキナの傍に居る時間が増えていた。まるで、ルキナを「今」に繋ぎ止めようとしているかの様に……。
だが、ルキナはその手を振り払って行かねばならない。
そして、進み続けていれば何時か旅にも必ず終わりは訪れる様に……ルキナ達は、雪原を掻き分け、樹氷の森を幾つも抜けて……漸く。
『時の遺跡』へと、辿り着いた。
雪と氷に閉ざされていたその遺跡は。
人の出入りなど殆ど無かったのか、何処も綺麗なモノで。
何千年と昔の古の時代から存在していた筈のそれは、経年劣化を何一つとして感じさせない美しさがあった。
『竜』たちが使っていた時代から何一つ変わっていないと言われても、全く違和感がない程だ。
険しい環境の中にあったからこそ盗掘などの被害に遭う事も無かったのが大きいのだろう。
そんな遺跡の最奥に、かつての祭祀場……『竜』達が「時の扉」を開いていたと言う場所は在った。
「さて、準備はいいかしら、マルス」
「はい、覚悟は出来ています」
ロビンが早速『時の扉』を開こうとしたその時だった。
「やだ!! いっちゃやだよ……。
マルス、いかないで……。
ぼく、いいこにするから。
わがままももういわないし、マルスをこまらせるようなことはもうしないから……!
でも、だからいかないで…………。
マルスがいなくなるのさみしいよ、……やだよう……」
それまで黙って二人のやり取りを見守っていたルフレが、突然泣き叫びながらルキナにしがみついてきた。
「やだ、いかないで」と繰り返しながら涙を流すルフレに、ルキナも……そしてロビンも。どうしていいのか分からず、狼狽えた。
ルフレはそもそも普段から我儘など言わないし、ロビンやルキナを困らせる様な事も言わない。
そんなルフレが、ルキナを困らせる事を分かった上で、初めてと言ってもいい程の我儘を言っているのだ。
それを無碍にする事なんてルキナには出来そうに無かった。
だが、それでもルキナはこの扉の先に行かねばならないのだ。
再び『時の扉』を潜って未来を目指したとしても、辿り着いたそこが目指していた場所や時間であるとは限らない。
それは、分かってる。
しかし、十五年の歳月を待ち続けるのならば、少しでも時を跳び越えて、目指していたあの「過去」に辿り着く事を優先するべきだとルキナは思った。だが……。
「ルフレ……僕は、行かなければならないんだ」
「やだ! マルス、いっちゃったらもうあえないんでしょ?
せっかくともだちになったのに……やだ……」
泣き続けるルフレの姿に、ふとルキナは懐かしさを感じた。
あれは……確か、父と『彼』が共に戦場に出ていこうとしていた時の事だったか。
お城での「おるすばん」を余儀なくされる事になっていたルキナは、城を発とうとする二人にしがみついて泣き喚いたのだ。……丁度、今のルフレの様に。
あの時の二人も、こんな気持ちだったのだろうか……。
「ルフレ……大丈夫。
君には、これから本当に色々な事が起こると思うけれど……君は全部それを乗り越えられる。
君は色々なモノを見て、沢山学んで経験して……そしてとても凄い事を幾つも成し遂げる人になるんだ。
……そして、そんな君には、特別に大切な仲間が……君の『半身』とも呼べる人が、必ず君の前に現れるよ。
僕はそれをよく知っているんだ…………」
父クロムとルフレは、少しだけ「未来」が変わったこの世界でもきっと出逢い、互いを『半身』と認め合うのだろう。
「はんしん……?」
「そう、『半身』。君にとって本当に特別で大切な人だ」
「それはマルスじゃないの……?」
「僕、ではないね。……でも、もしかしたら、何時か何処かで、僕ともまた出逢う事はあるかもしれない」
「過去」を変える為に父やその周りの身に降りかかる事などへと干渉してゆくその何処かで、きっとルキナはルフレに出逢うのだろう。
その可能性はとても高い。
それに、きっとこの未来でも父の娘として生まれてくる「ルキナ」が居る筈だ。
「ほんとう……? じゃあ、『やくそく』して」
「『約束』? 何をかな」
ルフレが何を求めるのか見当が付かず、ルキナは首を傾げた。
すると、幼いながらにルフレは酷く真剣な面持ちでルキナを見上げて、その小さな右手の小指の先をルキナへと差し出す。
そうそれは、かつてのあの日の幼いルキナを鏡に映した様に。
「またあったときには、マルスのうたをまたきかせて!
それが『やくそく』!
『やくそく』してくれるなら、しんじるから。
『ばいばい』じゃなくて、『またね』なんだって、ぼく、ずっとしんじてまっているから……だから……」
「僕の歌を……? そうかい、分かったよ。
また逢った時は、君の為に歌ってあげるよ」
そう言いながら、ルキナはルフレの小指の指先へと自身の小指の先を絡めて『約束』を交わしたのであった。
すると、ルキナの服を握り閉める事を止め、ルフレはルキナから手を離した。
まだその目は潤んでいるけれども……。
それでも、しっかりとルキナを見送る事に決めたようで、ギュッと唇を噛みながらもルフレは前を向いていた。
そしてルキナは、黙って見守ってくれたロビンに礼を言う。
「もう大丈夫かしら?」
「はい、お願いします……!」
「…………未来の『あの子』の事、どうか……赦してあげてね……」
『時の扉』を潜りきる直前に、最後にロビンが何かを言っていた気がするが、それは上手く聞き取れなくて。
そして、ルキナは再び自分の目の前に開かれた『時の扉』を潜って。……今度は、未来へと飛び立つのであった。
◇◇◇◇◇
二度目の時の川の旅は、どうにか無事に目的としていた「過去」にまで辿り着けた。
そして数回程「過去」に干渉してみたのだが、その成果は全く芳しくなく……。
それもあって、最終的にルキナは、名や姿を偽る事無く事情を説明して父と共に戦う様になった。
そしてそんな父の傍には、あの「未来」でもそうであった様に、ルフレがその『半身』として在って、互いを支えていた。
しかし……そんなルフレには、「過去」の記憶のその一切が存在しないのだと言う。
クロムに拾われるよりも前の事を全て喪失してしまったルフレの中には、「マルス」と共に過ごした日々の記憶や『約束』どころか、母であるロビンとの思い出すら存在しないのだ。
ルフレの記憶がすっかり抜け落ちていたお陰で、再会した時などにその正体を看破される事も無かったのだけれども。
……しかし、この寂しさに似た感情は一体何なのか。
それは、ルキナには分からない。
十五年前に跳んで、『聖戦』の残虐性を少し垣間見て。
そして幼い日のルフレとそして母のロビンと共に過ごし旅をした事は、ルキナは誰にも話していない。
このまま、あの日々は……彼と過ごした時間は、ルキナの記憶の中だけのモノになってしまうのだろうか?
それは分からないけれど……。もしそうであるならばそれは、ルキナにとっては少しばかり寂しい事の様に思えた。
そして、当人がそれを忘れてしまっている以上はその『約束』を履行する必要は無いのだけれども。
今でも時折、ルキナは独りの時などに、あの歌を口遊む様に歌う事がよくある。
もう今は遠い『彼』や、あの日々の事を、忘れない様に。
それはルキナにとって静かで穏やかな時間の一つであった。
手を伸ばせば星々を手に掴めてしまいそうな程の満天の星空を見上げ、ルキナはまた口遊む様にあの歌を歌っていた。
すると、誰も聞いていなかった筈の場に、小さな拍手の音が辺りに響く。
一体誰が? と。ルキナが周りを見渡すと。
そこに居たのはルフレだった。
「歌が凄く上手だね、ルキナは。
思わずこっそり聴いちゃったよ」
そう言いながら何故だか嬉しそうに笑って、そして同時に。
何故か少し不思議そうな顔をした。
「でも何でなんだろう……記憶には無いんだけれど、何故だかさっきルキナが歌っていたあの歌……何だか懐かしいなって思うんだ。
記憶を喪う前の僕がよく聴いていたのかな?」
「それは……」
言うべきなのだろうか。
もう記憶にない、戻るかも分からないあの日々の事を。
あの日の『約束』を……。
……だが、結局ルキナは口を閉ざす事に決めた。
「この歌は昔、未来の『ルフレ』さんが、幼い私によく歌ってくれた歌だったんです」
「そうだったんだ。ルキナにとって思い出の歌なんだね。
『未来』の僕には、記憶はあったのかな……。
僕が懐かしさを感じるのもそれが原因だったりしてね」
そう言いながらルフレは、ふと自分が何故か静かに涙を零している事に気が付いた。
その涙に全く心当りが無いのか、ルフレはその涙を拭いながらも不思議そうな顔をして首を傾げる。
「あれ、不思議だな……何で僕は泣いているんだろう。
全然悲しくなんてないし、寧ろ何だか物凄く嬉しいのに。
何でだろうね……僕にも全然分からないんだけど……。
……有難う、ルキナ。「約束」を守ってくれて…………。
あれ、『約束』……? 何のだろう……。
でも何でなのかな……。どうしてかは分からないんだけれど。
僕は君に、ちゃんとお礼を言いたいんだ……」
そう言いながら嬉しそうに微笑んだその表情に。
幼い日の彼の面影が、そこに重なったのであった……。
◆◆◆◆◆