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“ギムレー”と言う存在そのものを、その内面を、理解する為に始めた“対話”。
それは結論から言うと、実に奇妙な意識の変化をルキナへともたらした。
たかだか一度だけの“対話”でギムレーを理解しきれたなどと言う訳では勿論無い。
互いに言葉を交わした所で、ルキナが触れる事が出来たギムレーの内面などほんの一部のほんの表層的な部分にしか過ぎないのだろう。
そんなほんの一部分ですら、理解しきれたとは到底言い難い。
だがそれは……。
何れ程言葉を交わそうとも、何れ程その心の深い所にまで触れようとも。
ルキナはギムレーでは無い以上、人と竜の差違とはまた別の所で、本当の意味では理解など出来るモノでも無いのだろう。
しかし、例え完全に理解する事など出来ないのだとしても、理解しようと歩み寄った事自体には大きな意味があったとルキナは確信している。
“対話”の中で触れる事が出来たほんの小さな一欠片が、漣の様にギムレーに対するルキナの認識を変えていったのを肌で感じた。
絶望と破滅の化身の様な存在であり、人々を絶望させる事に愉悦を感じる、人間とは決して相容れぬ、まさにこの世の『悪』そのものであるかの様な者。
……その認識は、大きく間違っている訳ではないだろうが、しかしギムレーと言う存在はそれだけが全てと言う訳でもやはりなくて。
彼の竜の行動の根底には、ある種の憎悪があった。
人と言う種そのものへの途方もない憎悪とそれと不可分の破壊衝動。
何故そんなものを人間に対して抱いているのかは、ルキナには想像も出来ないし、出来たところでそれに共感する事など出来はしないであろう。
だが、『憎悪』と言う感情がその行為の根底にあると言う点に於いては、ギムレーにも“人間的”な面があるとも言える。
人間もまた、怒りや憎しみで他者を攻撃したりする生き物なのだから。
ならば、その憎悪を晴らす事が出来れば……少しでも薄めさせる事が出来れば、ギムレーがこれ以上人を滅ぼそうとする事はなくなるのではないか?とも思う。
その為には、もっとギムレーを理解する必要はあるのだろうが……。
もっとその心を理解しようと……、そう自然に考えられる程度には、ルキナはギムレーを知る事に躊躇いや戸惑いを既に抱いてはいなかった。
ギムレーが今この瞬間にも世界へと絶望を撒き散らし、人々を滅びの淵へと追いやっている事実には何一つとして変わりは無いのに。
ルキナの父や母、仲間達の親や、数多の臣下達、そして無数の民達の敵である事実は決して変わらないと言うのに。
ギムレーの心を理解して『改心』させて世界を救う目的があるとは言え、“知りたい”と言う思いがそれらの厳然たる事実を凌駕する程の衝動を与えていたのだ。
その事に、まだルキナ自身は気付いてはいない。
そして、“対話”によって意識に変化をもたらされたのはルキナに限った事ではなかった。
ギムレーの意識にも、小さくとも確実に明確な変革が起こっていたのだ。
ルキナが“対話”なぞを望んだ意図はギムレーとて理解している。
ギムレーの心を知る事で、『改心』の糸口を探そうと言うのだろう。
だが、それらは剰りにも無駄な事である。
何をしようがギムレーの抱く人間への憎悪は最早消える事など無いのだし、それ故に破壊衝動を抑える事も無いのだから。
ギムレーを形作るそれらすら変えたいと望むのならば、それこそギムレーが産み出されたその時から変えなくてはどうしようもないだろう。
ルキナ一人が何をした所で、ギムレーが人間から受けてきた仕打ちが“無かった事”にはなる事は無いのだから。
ギムレーが発端であったのか人間が発端であったのか、そんな事は卵が先なのか鶏が先なのかを考える事よりも無駄な事ではあるのだけれども。
少なくともギムレーにとって人間達の所業は、ギムレーが人間を……そしてこの世界全てを憎悪し破壊する理由に足るものであるのだから。
しかしそれと同時に、ルキナと言葉を重ねる事を“悪くない”と感じている事にもギムレーは気が付いた。
言葉を重ねる内に見えてくるルキナの内面に触れる事は不愉快では無く、寧ろその心を知っていくのは“楽しい”事であった。
ルキナは、ギムレーが憎悪する人間であると言うのにも関わらず、だ。
“人間”は相変わらず忌々しく滅ぼしたいとしか思えないが、ルキナに対してはそれは全く感じない。
それどころか、今までよりもより一層“興味”を感じている。
人が“好奇心”と呼ぶそれらを、よりにもよって人間であるルキナに対して抱いた事を、ギムレーは不思議と嫌悪も何もなく純粋に受け止めていた。
ルキナを“知る”事で感じた“喜び”は、この“喜び”を知る前の自分の心は死んでいたも同然であるとすら思ってしまう程の、人間を絶望させている時の一時の快楽などとは比べ物にならぬ“質”の“喜び”だったのだから。
産み出されたその瞬間より決して満たされぬ心の虚が、ほんの僅かにも埋まった様にすら感じたのだ。
それを、『ルキナは憎悪の対象である人間である』なんて詰まらない意地で喪ってしまうのは、剰りにも愚かしい事である様にギムレーは思った。
『もっと、ルキナの事を“知りたい”』
そう考えるギムレーの心には、最早『退屈』などと言う感情は欠片も残ってはいなかった。
◆◆◆◆◆
ルキナが初めてギムレーの心を知る為に言葉を交わしてから、また幾つもの夜が過ぎた。
あれから、夜毎の“賭け”はギムレーとの“対話”が主になっていて。
不思議とギムレーの方もそれに乗り気であった事もあって、かつての自分では考えられない程の言葉を既にギムレーと交わしている。
だからと言ってギムレーを理解しきれた訳ではないのだけれども。
それでも、少しずつでもその心に歩み寄れているのではないだろうか。
そんな事を思いながら、ルキナはまた何時もの様に図書館で時間を過ごしていた。
今は“物語”を語って聞かせている訳では無いのでここに入り浸る必要もないのかもしれないが、ギムレーの心を理解したその時には『改心』の為にも語る為の“物語”は必要であろう。
だからこそ、ルキナはこうして様々な物語に目を通している。
ルキナが一生を掛けても読みきれないであろう程の蔵書の山は、まだまだ手付かずの領域の方が遥かに多い程だ。
本を読むのは嫌いではないルキナにとっては、ギムレーに語る為の“物語”を探す為とは言え、こうやって過ごす時間は決して悪くはないものであった。
“物語”は、自由だ。
例え、ルキナ自身はギムレーに囚われこの城に閉じ込められているのだとしても。
本を読み“物語”に没頭している時は、ルキナは何にだってなれるし何処へだって行ける。
ルキナ自身だって訪れた事も無い国にだって行けるし、見た事も無いものを文章を通して目にする事が出来る。
聖王の末裔でもファルシオンの継承者でも“最後の希望”でも無い、“誰か”になれる。
それは空想に耽ているのと本質的には変わりはないのだろうけれども。
囚われの身となって以来、ギムレー以外に関わる者が誰一人として居らず、そして夜毎の“賭け”以外には世界の為に出来る事は何も無いルキナにとっては、そんな空想に細やかな“楽しみ”を見出だすしか、ギムレーの虜囚としての孤独な戦いを乗り切る術は無いのだ。
それは、“物語”の世界に思考を傾ける事で少しでも恐怖から意識を逸らそうとする、ルキナの無意識の防衛本能であるのかもしれない。
言葉を交わす事で少しずつでもギムレーの心へと歩み寄っているのだとしても、それはルキナから見たらの話であって、ギムレー自身がルキナをどう見ているのかは分からない。
直ぐ様殺される程に不興を買っている様には感じないが、しかしふと気紛れを起こしてルキナを殺そうとする事は無いのだと断言出来る程ではないし、そうしないと言える程にギムレーを理解出来ている訳でもない。
故に、ルキナの命が何時まで持つのかはルキナ自身では判断しようが無く、生殺与奪の全てはギムレーに握られていて。
それなのに、世界の滅びを止められるのかどうかはそんなルキナがギムレーを『改心』出来るかにかかっているのだと言っても最早過言ではないのだ。
ルキナが失敗すれば、最早後は無い。
聖王の血に連なる者の中でルキナの他にファルシオンを扱える者は居らず、そもそもそのファルシオンが今何処にあるのかはそれをルキナから奪ったギムレー以外は誰も知らない。
既に文明も文化も維持出来ない程にまで徹底的に人間は追い詰められていて。
ギムレーが甦る前と比べれば、もうほんの一握りしか人間は生き残ってはいないのだ。
そんな生き残っている僅かな人間達も、日々命を落としていって。
後数年もしない内に、人間を含めた全ての生き物は息絶えるであろう。
これが人々に残された、正真正銘“最後のチャンス”なのである。
それを誰よりも理解しているからこそ、ルキナに課せられたモノは何よりも重たい。
しかし、その重みを抱え続け、ギムレーに生殺与奪の全てを握られ続け、それらの現実を意識し続けてはルキナの精神は早々に限界を迎えてしまう。
だからこそルキナにとって、図書館で“物語”に触れてそこに思いを馳せる時間は、それらの恐怖から一時的にでも逃避させ、摩耗した心を癒す大切な時間になっていた。
また一つの“物語”を読み終えたルキナは、その余韻を味わう様にゆっくりと本を閉じて、書架に戻そうと席を立とうとする。
が、その時。
ルキナと向かい合う様にして、誰かが座っているのに漸く気付く。
慌ててルキナが顔を上げたそこには、ギムレーがその紅い瞳でルキナを見詰めていた。
まだ“賭け”の刻限には早いと言うのに、何故。
思いもよらぬ事態に、ルキナは椅子を蹴飛ばす様にして身構える。
ギムレー相手に何も持たぬルキナが抵抗出来る訳はないけれども、それでも。
しかし、そうやって警戒を露に身構えるルキナに対して、ギムレーは何の反応も返さない。
その紅い瞳には、何時もの嘲笑う様なそれとは違う感情が浮かんでいた。
「そう構えずとも、何もしないさ。
それとも君は、僕はここに居てはいけないとでも言うつもりかい?」
「そ、それは……」
確かに、この城はギムレーのものであり、主であるギムレーが何時何処に居ようともそれは咎める様な事でも何でもない。
が、そもそもギムレーは日中の殆どをこの城の外で過ごしていたのだ。
外に出て、人々へと破滅をもたらす為に。
それが、何故一体急に……。
まさか──、とルキナが顔色を変えると。
「……ああ、成る程それを心配しているのか。
なら、安心すると良いよ。
人間どもはまだ多少は生き残っているみたいだからね。
僕としては忌々しい事に、まだ世界は滅びきってはいないんだ。
……尤も、今のこの現状を滅びていないとは到底言えないだろうけれども」
どうやら、最悪の予想は外れた様だ。
しかしだからと言って、この世界の現状が決して好転している訳ではないのだろうが……。
城に閉じ込められているルキナは、外の世界が今どうなっているのかを知る術など無い。
しかしルキナが知っている状態から確実により滅びへと近付いているのだろう。
……最早、ルキナがギムレーを『改心』させる事に成功した所で、人間の絶滅を避けられないかもしれない程に。
「なら、何故……」
「ちょっとした気紛れ……と言った所かな。
最早人間がどうこうした所で、この状況は引っくり返せない。
数多の異界に居るナーガの同位体どもも最早この世界は見棄てたみたいだからね……、奴等の余計な干渉によって何かのイレギュラーが起こる可能性すら無い。
滅びが確定されたのは僕としては望む所ではあるのだけれども、何の希望も気力も無い人間どもを戯れに殺したって詰まらない。
それなら、こうしてここで時間を潰した方がマシさ」
詰まらない、とそう語ったギムレーの表情は、本当に退屈しきっているかの様な……そんな何処か虚無感を漂わせるものであった。
そこにある虚ろな“何か”に思わずルキナも飲み込まれそうになっていると、真っ直ぐにルキナを見詰めているギムレーの眼差しに引き戻された。
その事に気が付いているのかいないのか、ギムレーはルキナが抱えている本を指差した。
「面白かったのかい?」
何故そんな事を?と戸惑いつつも、ルキナにとっては中々に面白い本であったので、小さく頷いて返す。
すると、ギムレーは「ふぅん」と呟いた。
その意図が全く掴めずルキナは困惑するが、ギムレーはそれ以上はルキナに訊ねる事もなく、その他に何をするでもなく、そのまま図書館を後にする。
その後には、本を手に困惑するルキナだけが残されたのだった。
◇◇◇◇◇◇
ルキナがギムレーと図書館で初めて遭遇したあの日から、ギムレーは毎日の様に“賭け”の時間外にも何の前触れもなしにルキナの元へと訪れる様になった。
図書館で本を読んでいる時に現れては、面白かったかと訊ねて。
食事をしている時に現れては、美味しかったかと訊ねて。
それらに何の意図があるのかは全くルキナには分からないが、そうやって訊ねてくるギムレーは不思議と何処か“楽しそう”であった。
当初こそギムレーのそんな行動に戸惑っていたルキナだが、それが数回も続いた頃からは「そんなもの」として割り切ってはいる。
しかしそれでも慣れると言う事はなく、ギムレーが来る度にその身は僅かながらも強張ってしまうのだが。
それらの行動を気紛れと称しているギムレーだが、果たして一体何処までが本当なのやら……。
その理由を考えた所で、ルキナに分かる訳でもなく。
“楽しそう”にしている限りは少なくとも直ぐ様ルキナにどうこうしてくる事は無いのだろうと、そう思う事にしている。
しかし、ギムレーがそんな行動を見せる様になってから、夜毎の“賭け”の時の“対話”にも変化が生じていた。
ギムレーは少しずつだが、自身の過去の事を断片的にでも語ってくれる様になったのだ。
何故かそれと同時に、ルキナも過去の事を答えさせられているのだが。
まあ、生殺与奪の全てを握られているルキナとしては、今更ギムレー相手に隠さねばならぬ過去などはない。
強いて言えば、過去の事を答える時に……幸せだった頃の事を思い出しては胸が痛む程度である。
しかしその胸の痛みを対価としてギムレーの過去を聞き出せるのならば、それは決して悪いものではない。
断片的に語られたギムレーの過去は、多くは人間への憎悪や怒りに満ちているものであった。
しかし、ギムレー当人は決してそうと語った訳ではないのだが、その過去はある意味では『ギムレーが人間の都合に振り回された』ものでもある。
現に、人々が望んだからこそギムレーは蘇り、世界は滅びへと向かっているのだから。
確かに千年前の折に復活の為の種を蒔いたのはギムレーなのだろうけれども。
しかしその種を育て続け、ギムレーを蘇らせたのは紛れもなく人間達である。
果たしてそうして甦った事がギムレーにとって本当に望んでいた事なのだろうか?と、ルキナはほんの僅かだが感じてしまった。
ルキナはギムレーではない。
だから、本当の意味ではギムレーの心情など理解は出来ない。
しかし、少なくとも……。
もしも、ルキナがギムレーの様に、『悪であれ』と望まれ続け、人々から忌まれるのと同時に“憎悪”に身を焦がす人々からは世界を滅ぼす事を望まれ続け、そしてそんな人々の破滅的な願いによって引き摺り出されたのなら……。
もしそうならば、と少しだけ考えてしまう。
ルキナとギムレーでは経験してきた物事が全く違う以上は、その心の在り方もやはり違う。
それは竜と人と言う違いよりも大きなものであるのだろう。
経験が、記憶が、心を作り、人格を作り、価値観を与え、認知を生む。
愛された事が一度もなく、愛に触れた事も無い者が、“愛”を理解出来ない様に。
負の感情しか与えられなかった者が、その心を大きく歪ませてしまう様に。
人でもそうなのだ。
それが、同じく知性を持つ竜でも同様の事が起こらないと、どうして言えようか。
確かに、経験とは無関係に生まれつきで決まる性質もあるだろう。
何れ程愛情深い親の元に産まれていてもそれが“合わない”子と言うのは稀にであれども存在するし、どんな育ち方をしていてもそれこそ人の心など最初から持ち合わせていないかの様な自己愛の怪物の様な心を持ってしまう者もいる。
王族として過去の事柄を学び、様々な人物の歴史に触れた事のあるルキナとしては、“人間”と言う生き物が“全くの善なる者”であると言う訳でもない事をよく知っていた。
ギムレーが元々そんな歪な“心”を持つ存在であると、それを否定する事も肯定する事も出来ないけれども。
しかし、例え歪な“心”を持つ者であったのだとしても、邪悪な者とはならなかった人間だって数多く居た様に。
生まれながらにそんな“心”を持っていたとしても、その後の経験でやはり変わり得るものなのだ。
だからもし、ギムレーが生まれてから経験してきた何かが一つでも違っていれば、今の様に人々を滅ぼし世界を滅ぼす事を目的とする様な事も無かったのかもしれない。
それらは“もしも”でしかないのだけれども……。
……ルキナはギムレーとは違う。
ルキナは両親や周囲の人々から目一杯に愛情を受けて育った。
王族としての責任と言うものは勿論あったけれども、誰かから忌まれた経験など勿論無くて。
両親を喪い、人々の旗頭としてギムレーと戦わなくてはならなくなっても、人々からは『希望の象徴』としての在り方を望まれてきた。
……他者に忌み嫌われ排斥され、『世界を滅ぼす悪』としての在り方を望まれてきた訳ではない。
ギムレーに、誰か“大切な者”は居なかったのか?と訊ねた事がある。
それが人であれ竜であれ、或いは何か別の生き物であれ、ギムレーにとって自分以外に何らかの“価値のある存在”は居なかったのか、と。
その答えは、“否”であった。
ギムレーがこの世に産まれ落ちて以来、何一つとしてそんな者は居なかった、と。
……それは、ある意味でとても孤独な事なのではないだろうか。
“竜”と言ってもルキナが知る竜は、ンンと、その母親であるノノと、そして神竜の巫女であるチキ位なのだけれども。
しかし彼女等は皆、誰もが自分の他にも大切な者を抱えていた。
それはもう今は居ない友であったり恩人であったり、或いは家族であったりと、それは様々だったけれども。
“竜”であろうとも、誰かを愛する事があるのは、人間と全く変わらない筈である。
例えそれが、人間などとは比べ物にならない程の強大無比な存在である“邪竜”ギムレーであったのだとしても、きっと。
ならば、ギムレーにはそんな存在が一切居ないと言う事は、つまり彼が誰かを“愛”そうとは到底思えない様な経験しかしてこなかったと言う事なのだろうか。
それは、あまりにも…………。
ルキナはふと胸に生まれた感情に、我が事ながら動揺した。
それは、憐れみと言う訳でもない、同情と言う訳でもない。
“憐憫”の情などを懐くにしては、ギムレーは剰りにも強大過ぎて。
“同情”などは懐けない程に、その所業は“人間”にとっては剰りにも“悪しき”ものであった。
だが、何処か哀しみにも似たそれは、もどかしくもルキナの胸の内に消える事なく澱の様に静かに沈んでいく。
ギムレーを『改心』させたいと言う思いは変わらない。
世界を救うと言う目的を見失った訳でもない。
だけれども……、それらとはまた違う“何か”が、確かにルキナの心に芽生え始めていた。
(私は……)
その時、ルキナの目の前に何かが置かれる。
思考に耽るあまり完全に意識の外にあったが故に、驚いてとっさにそれに意識を向けると、それは小さな花束であった。
何て事は無い花束なのだろうけれども、しかしそれはこの滅び行く世界ではもう何処にも存在しない筈のもので。
驚いて顔を上げると、そこには予想した通りに、こちらをその紅い瞳で見ているギムレーの姿があった。
この世界でこんなものを用意する事が出来るとすれば、それは確かにギムレーだけなのだろうけれども。
しかし、その動機はルキナには全く分からない。
何時もの気紛れなのかもしれないが、それにしたって一々こんなものを用意するなんて……。
「君はこう言うものが好きなんだろう?
それで、どう感じたんだい?」
「えっ?」
ギムレーの意図が掴めず困惑している中で突然に投げ掛けられたそんな言葉に、益々ルキナは混迷を極める。
好き?いや、確かに花の類いは嫌いではない。
かつて世界がまだ平和で、花が普通に存在した頃は、よく花を贈られたものだった。
確かに、ギムレーにその事を話した事はある。
しかし、何故?
「…………そうか」
ルキナが混乱の剰りに何も言えずにいると、ギムレーはそのまま去っていく。
その後ろ姿は、何処と無く寂しそうにも見えた。
◇◇◇◇◇
ギムレーから謎の花束を渡されてから、ギムレーがルキナの元に訪れる際に何かを手渡してくる事がある様になった。
それは毎回ではないのだけれども、それでも決してただの気紛れとは言えない回数で。
所謂、“贈り物”に該当するのだろう。
が、その意図が分からないルキナには困惑する事しか出来ない。
ギムレーの感性が、ルキナや普通の人間の感性とは異なるモノである事は理解していた。
ルキナ達が心地よく感じるモノは、ギムレーにとっては何の代わり映えもしないものである事が殆どで。
それらを不快にこそ感じずとも、ギムレーはまるで独りだけ色の無い世界に生きているかの様ですらあって。
恐らくは、ルキナに贈ってきた数々のモノは、ギムレー自身には何の価値もないものなのだろう。
とは言っても、貰ったモノを捨てるなんて事も出来なくて、何だかんだと手元に置いているのだけれども。
だからこそ、何故そんなモノを態々贈ってくるのかが分からない。
ギムレーが持ってくるものは、何れもルキナが自分の過去を話した時に出てきたものであったり、或いはルキナが“面白い”と答えた“物語”に因んだものであった。
そして、何かを渡す度にルキナの反応を観察する様にじっと見詰めては、ギムレーは何も言わずに去っていくのだ。
それに何の意味があるのか、何を意図しているのか、ルキナにはさっぱり分からないが……。
“対話”を通して多少なりともギムレーを理解出来つつある様にルキナは思っていたのだが、こう言った行動の理由が全く理解出来ない事からその自信も揺らぎつつあった。
しかし、理解は出来ないながらも、決してその行為に嫌悪を抱いている訳ではない。
ただただ“何故?”と感じ、同時にその心を知りたいとも思う。
ギムレーがその様な変化を見せている事が、果たして“良い先触れ”であるのかはルキナには分からないが……。
それが、良き変化である事を願うばかりだ。
そして今夜もまた、二人の“賭け”は続くのであった。
◆◆◆◆◆◆
少しずつルキナを知るにつれ、ギムレーの心には明確な変化が生じていた。
それは、ある意味では『改心』とも言えるのかもしれない。
しかしそれは、ルキナが望んでいた様なものとは全く違っていたのだが……。
ギムレーはルキナに明確な“執着”を抱いた。
ルキナを知りたいと言う想いは何処までも尽きる事はなく。
ルキナが居る限り、ギムレーの心に最早『退屈』が訪れる事などなくて。
何時までも何時までもルキナをその傍に止め置こうと思うようになった。
ただそれはあくまでも“ルキナ”に対しての事であり、それ以外の人間に対しては寧ろより害意を剥き出す様になっていった。
この世からルキナ以外の全ての人間が消え去れば、ルキナは否応なしにギムレーと共に居るしか無くなるだろう、と。
“独占欲”にも似たその感情は、底無しの泥濘の様にルキナを絡め取ろうとしていた。
……当のルキナは、幸福な事なのかはさておき、それをまだ知らないのだが。
執着のままに、ギムレーはルキナの全てを欲した。
ルキナが語る彼女の過去の中で、ルキナが感じていた喜びすらをも、自らが与えるものとして欲する様になったのだ。
ルキナが感じた怒りや嘆き、憎悪と言った感情は、そのほぼ全てがギムレーの所業が端を発するモノであり、詰まるところそれらはギムレーがルキナに与えた感情である。
しかし、喜びなどはそうではない。
それが、ギムレーとしてはどうしようもなく見逃せない事であった。
だからこそ、ルキナへの贈り物を始めたのだ。
ルキナを喜ばせたいと言えば聞こえは良いが、その根底にあるのは剰りにも強い執着である。
もしギムレーのその心を覗ける者がここに居るのならば、そうやってギムレーを突き動かすその感情を“愛”だと言ったのかもしれない。
しかし、“愛”された事の無いギムレーは“愛”を未だ知らなかった。
だから、ルキナへと抱くその感情がそうであるとは思いもしない。
最早世界はギムレーが何もせずとも滅ぶ。
人は死に絶え、命あるモノは等しく滅び、世界に残るのはギムレーとルキナだけだ。
だが、それで良い。それが良い。
世界がとうに滅びた事を知らぬルキナと二人、何時までも何時までも“賭け”を続けよう。
ギムレーの力を使えば、ルキナ一人程度なら永劫に近い時を生かし続ける事も可能なのだ。
ギムレーが望みさえすれば、何時までも“楽しい”時間は終わりはしない。
何時かは、ルキナも世界がとうに滅び去っている事に気付くのだろうか?
気付きながらも無意識に目を反らすのだろうか?
それとも、ギムレーへと憎しみの目を向けるのだろうか?
或いは、全てに絶望するだろうか?
それはその時にならなくては分からないが。
どうなった所で、結局ルキナには既にギムレーしか居ないのだ。
孤独には耐えられぬ人間である以上は、ルキナは何れ程の時間を要しようとも必ずや最後にはギムレーを選ぶだろう。
ルキナの全てを手に入れる日が一日でも早く来る事を願いながら、ギムレーは今夜もまた“賭け”を楽しむのであった。
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