『FE覚醒短編集』   作:OKAMEPON

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【クロルフ(クロム×ルフレ♀)】
『朝虹は雨、夕虹は晴れ』


□□□□

 

 

 

 

 

 眼下に見える王都は先の戦の爪痕も少しずつ薄れ、目に見えて復興が進んでいた。

 街の人々の顔も明るく活気に満ちていて、皆が希望へと歩みだそうとしている。

 

 イーリスとペレジアの戦が終わってから半年。

 それ程の時間が、過ぎ行こうとしていた。

 

 

 

「あれから半年、なのですね……」

 

 

 王城の一画に与えられた執務室から街を見下ろしたルフレは、一人呟く。

 その左手の薬指にはめられた指環を愛し気に見詰め、そして、ふと溜め息を吐いた。

 

 ギャンレルを討って戦争が終結した半年前。

 ルフレはクロムと正式な婚約を交わした。

 一国の王子……いや聖王代理が、何処ぞの者とも知れぬ軍師を妻とする事に一部の者は難色を示してはいたが。

 ルフレ自身の多大なる功績と、そして何よりクロム自身が深く彼女を愛していた事により大過無く婚約は成立したのであった。

 ルフレがその薬指にはめているのは、婚約した証としてクロムから贈られた指環である。

 国の重鎮達は既に皆クロムとルフレの婚約を知っているが、まだ民達には婚約を発表していない。

 戦争終結時は戦時中に亡くなった先王エメリナの喪に服していたし、何より復興や戦後処理に忙しくてそれ所では無かったからである。

 戦後処理もある程度終わり、国も落ち着き始めるであろう半年後を目処に、大々的に婚約を発表し、その後に結婚式を挙げる予定であった。

 

 

 ルフレは、基本的に公私は分ける人間だ。

 それはクロムもそうであり、そして戦後直後は二人とも各々に対応しなければならない案件だらけであった。

 その結果として、日々政務で顔を合わせるにも関わらず、恋人らしい何かは全く無く、ただただ事務的な会話が続くばかり。

 自由な時間は殆ど無く、偶にあるそれもクロムとルフレで全く予定が噛み合わない。

 

 …………。

 ……そう、恋人同士になり、婚約までしていると言うのに……。

 

 

 未だにクロムとルフレは“恋人らしい”何かをした事が無いのだ。

 

 

 その事実に気付いた時、思わず愕然としたし、何とかせねばならないとルフレは決意した。

 が、しかし。

 

 更に根本的な部分に於いて、ルフレは記憶喪失であり、所謂“恋人らしい”行動とか行為とかに関しては何も知らないと言って良い程に疎い。

 その知識を蓄える前に軍略についての知識ばかりを最優先にしてきたのだから然もありなんである。

 クロムの軍師としては軍略に秀でているのは必要な事であるし、その知識を蓄えてきた事をルフレも後悔はしていない。

 が、クロムの恋人としては大問題だ。

 何処に軍略について語り合う恋人などが居ると言うのか、縦しんば居たとしても、流石にそれは無い。

 要するに、恋人が居るのにも関わらず恋愛経験値0なのだ。

 もうすぐ結婚しようかと言う状況なのに、これは不味い、不味過ぎる。

 

 それからと言うものの、ルフレは空いた時間に仲間内で既に恋人が居る者達から聞き取りを行った。

 勿論、質問した相手が恋人と居る時にどんな行動を取ったのか、どんな行動を取られたのか、その時どういう感じであったのか、その後の進展について等を徹底的に調べたのだ。

 必要なのは確実性かつ身のある情報だからだ。

 恋もまた戦の一つ。

 情報を収集・精査し、計略を巡らせなければならないのには変わらない。

 そう、クロムと“恋人らしい何か”を積み上げていくと言う重要な作戦なのだ。

 軍師として失敗は許されない。

 

 その考えに至ってる段階で色々と間違っているのだが、悲しい事にルフレは己が間違っているとは気付けていなかった。

 ルフレが下手に色々と優秀であるだけに、周りもまさかこんな感じに拗らせているとは思わず、誰も止めたりしようとはしなかったからだ。

 斯くして些か暴走気味にルフレは情報を集め続け、そして一つの結論に達した。

 

 

【二人きりになって、キスをしたり、物を贈ったり、お互いに想いを伝えあったりすれば良いのだ】と。

 

 

 聞き取りを行った相手とその恋人達の付き合い方はまさに人各々、カップル毎に違ってはいたが、概ね【二人きりになる】・【キスをする】・【物を贈る】・【好きだと想いを伝える】・【指環を贈る】と言うのは共通していた。

 指環は既にクロムから貰っているので、それ以外をやれば、恐らくは“恋人らしい”何かにはなる筈だ。

 

 

「何としてでも、クロムさんと誰もが認める“恋人”になってみせますとも!」

 

 

 大雑把に言えば間違ってはいないが、やはり何かを盛大に誤解したまま、ルフレは気合いを入れようと拳を握るのであった……。

 

 

 

 

 

 

■■■■

 

 

 

 

 

 

 一方、ルフレが何か間違った方向性へ走り出そうとしているその頃。

 自分の執務室からルフレと同様に街を見下ろしていたクロムもまた、ルフレと同様に深い溜め息を吐いていた。

 

 クロムもまた、婚約してから今に至るまで、全くと言って良い程に恋人らしい何かをルフレにしてあげられていない事を悩んでいたのだ。

 

 クロムは別にルフレの様に記憶喪失と言う訳でも、恋愛的な知識が皆無と言う訳でも無い。

 無いのだが、実はルフレに出会うまで、家族以外の人間に愛情の類いの感情を向けた事が無かった。

 クロムに好意を寄せる貴族のお嬢様方は数知れず居たのだが、クロムとしては彼女らにさっぱり興味が無かったのだ。

 クロムにとっては、大好きな姉エメリナと大切な妹のリズを守る為に強くなる事の方が余程大切な事であった。

 要するに、クロムはクロムで実際の経験値は0である。

 

 恋人になったからと言って、どうすれば良いのか知識はあっても中々それが行動に結び付けられない。

 そして追い討ちをかける様に、ルフレと過ごせる私的な時間がほぼ無い。

 

 

 クロムもまた、悩みに悩んでいた。

 

 

 クロムはルフレを愛している。

 あの日草原で行き倒れている記憶喪失のルフレを拾ったあの時から、きっとルフレの事が好きであった。

 所謂一目惚れに近かった。

 “運命”の様な何かを感じた。

 それは自警団の軍師と軍主として共に戦場を駆け抜けて行く内に、信頼を伴った好意へと深まってゆき。

 最愛の家族であったエメリナを喪った時、途方に暮れていたクロムを引っ張り上げてくれたその時に、何にも替え難い愛情へと変わっていた。

 

 が、しかし、そんな思いを一向にルフレに伝えられていないんじゃないかと、クロムは悩んでいた。

 悲しいかな、二人とも真面目であるが故に、軍議やらの会議やその他の政務で顔を合わせる事は多々あるのだが、その時に恋人同士の甘い会話など無い、皆無だ。

 戦争が終結したその時に、戦場の跡地で最初に想いを伝えて婚約して……、それっきりなのである。

 

 ヴェイグやガイアなどからは、「無いわー……」と言う目で見られている。

 リズからは「もっと二人で過ごさないと!」と小言を喰らう。

 フレデリクからは、「応援しております」の一言のみだ。

 解せぬ。

 

 

 クロムは悩んでいた。

 

 

 もうすぐ、クロムとルフレが出会ってから一年が経つ、……つまりルフレの誕生日まで後僅かと言う事になる。

 自分に関する何もかもを忘れていたルフレは、記憶が戻るまでの間、暫定的にクロムに拾われた日を自分の誕生日としているのだ。

 

 愛する恋人の誕生日。

 ここで何もしない訳にはいかないのだ。

 

 ルフレに「好きだ、愛している」と伝えるのは勿論だが、それ以上に彼女を喜ばせたい。

 しかし、どうすれば良いのだろう。

 ルフレが喜ぶ“何か”と言うのは中々の難敵であった。

 ルフレに喜んで貰えそうな物を挙げていくと、稀少な戦術書だの、質の良い武器だの、恋人に贈る物としては何だか間違っている気がするモノばかりだ。

 

 花とか装飾品だとかも贈れば喜んで貰えるだろうけれども、やはり戦術書等を贈った方が相対的に喜んでは貰える。

 ……物を贈る作戦は一先ず置いておこう。

 

 では、贈り物では無く、ちょっと二人で出掛けてみるとかはどうだろうか。

 あまり遠出は出来ないだろうが、王都に程近い場所ならば…………。

 

 

 幾つかの候補地の中からより条件の良い場所を選ぶ為、クロムは早速仲間達と作戦会議に取り掛かるのであった。

 

 

 

 

 

 

□□□□

 

 

 

 

 

 

 ルフレは自室のベッドの上に腰掛け、真剣な面持ちで手元の紙面を眺めていた。

 

『クロムと“恋人らしい”事をしよう作戦』の、戦略案を纏めたモノである。

 そこには、ありとあらゆる角度から分析されたクロムの趣味嗜好、ルフレのアクションに対して予測される反応などが記されていた。

 まさに稀代の軍師だからこそ為せる事であろう。

 

 

「クロムさんはあまり婉曲的な表現は好みません。

 つまり、気持ちは出来る限りストレートに伝えなくては……」

 

 

 ルフレは脳内でその時をシュミレーションする。

 

 

 ……

 …………

 ………………

 

 

『クロムさん、私……あなたに出会ったあの日から、ずっと……クロムさんの事が好きです、あなたの事が大好きなんです』

 

『ああ、俺もだルフレ。

 俺はお前を絶対に離さない。

 守ってみせる』

 

 

 ………………

 …………

 ……

 

 

「く、クロムさん……!」

 

 

 自分の想像の中のクロムの言葉に、ルフレは頬を赤らめた。

 そして、胸の高まりが抑えきれなくなり、キュッと胸に手をあてる。

 

 

「お、想いを伝えるだけではダメですよね……!

 つ、つまりこの後に、き、キスをする訳なのですが……」

 

 

 ルフレは再び想像する。

 

 お互いに頬を赤く染めて、ルフレが思わず目を閉じてしまった所に、唇に柔らかな感触が…………!

 

 

「~~~!!!」

 

 

 堪えきれずにルフレは顔を手で覆ってゴロゴロとベッドを転がった。

 

 

(ダメです、これは自分にとっては刺激が強過ぎます……っ!

 だって、まだろくに手を繋いだ事すら無いんですよ。

 は、裸を覗かれて覗いてしまった事なら有りますが、あれは事故の様なモノですし……!

 き、キスとか……私にはちょっと早過ぎる(?)のではないですか……っ!?

 い、いえ……待って、落ち着いて、冷静に考えて……!

 もう既に私たちは婚約して、結婚式すら近付いてきてる状況なんですよ……!

 寧ろ、き、キス位はしないとダメでしょう……!)

 

 

 最早パニック状態である。

 恋愛経験値がほぼ皆無のルフレにとっては、すべからく刺激が強過ぎる事だ。

 寧ろよく婚約出来たなと言う話になってしまうが、あれはギャンレルを討って戦争が終結したその場の勢いと言うヤツだ。

 あの後もルフレは自分の天幕に戻ってからは、貰ったばかりの指環を抱いてベッドでゴロゴロとのたうち回っていた。

 実は、指環をはめる際に顔を赤らめずに済む様になったのは、つい最近なのである。

 

 仕事の時は仕事と割り切れるから良いのだが、いざ、となるともうダメだ。

 クロムと顔を合わせるだけでも顔が真っ赤になってしまうだろう。

 

 

「と、とにかくですね、クロムさんと二人きりにならなくては……!」

 

 

 キスとかの事は一旦頭の片隅に追いやって、ルフレはクロムと二人きりになる為の策を練り始めたのであった。

 

 

 

 

 

 

□□□□

 

 

 

 

 

 

 それから数日後。

 何だかよく分からないのだが、ルフレの元に舞い込み続ける仕事の都合が良い感じに少し減り、ルフレが色々と画策した結果もあってか、クロムとルフレの休みが重なる事となった。

 

 これはもう、ここで決行するしかない。

 そう心に決めたルフレは、クロムと王都から少し離れた所にある湖へと出掛けるべく、約束の時間よりも大分前から彼を待っていた。

 

 昨晩から期待と不安で一杯で、あまりよくは眠れなかったのだが全く問題は無い。

 仕事の時以外で久方振りに見るクロムの顔を見た瞬間に、疲れなど吹き飛んでしまうだろうからだ。

 クロムの笑顔一つで、どんなに疲れてしんどい状態であっても忽ちの内にそんなモノは消え去ってしまう。

 ドキドキと高鳴る胸の鼓動で、逆に死んでしまいそうになるのだ。

 

 日々の政務やら軍議でクロムの顔なんて見慣れている筈なのに、いざ恋人と意識をすると、途端にどうして良いのかが分からない。

 戦闘の作戦の事とかならスラスラと考え付き、どんな戦況だってひっくり返してみせる程の冴えを見せる頭脳も、恋愛事に関してはポンコツも良い所であった。

 ティアモが何故か良い笑顔で貸してくれた『恋愛必勝法』と言う題の本は、ページに穴が空くんじゃないかと言う程に読み込んでスラスラと諳じる事が出来る程であるが、幾ら知識を付けようとも根本的な部分の解決には至っていなかった。

 しかし、ルフレ自身はそれに気付いていない。

 策を練り知識を積み上げた事で自信に満ち溢れていた。

 

 

(さあ、何時でもかかってきて下さい!)

 

 

 そう内心で気合いを入れたルフレであったが……。

 

 

「すまんルフレ、待たせたか?」

 

「ふぇっ……!」

 

 

 不意打ちの様に聞こえてきたクロムの優しい声に、思わず肩が大きく跳ねた。

 車軸に油をさし忘れた車輪の様にがたつきつつ、声がした方向に顔を向けると。

 

 

「…………っ!」

 

 

 一瞬息が止まってしまう。

 そこに居たのは何時もと同じ格好をしたクロムだったのだが、ルフレの目には光り輝いているかの如き煌めきを纏っている様に見えていた。

 恋とは正に盲目である。

 

 見慣れている筈のクロムの姿を、いざ恋人として意識すると、とてもでは無いが直視出来ない。

 

 何時でもかかってこい? 無理だ、もう降参だ。

 数秒前の自分の決意を躊躇う事無く翻し、ルフレは内心で白旗を揚げる。

 

 

「お、おい、ルフレ……?

 大丈夫か……?」

 

 

 固まってしまったかの様なルフレを心配そうに見詰めながら、クロムは戸惑ってしまったかの様に狼狽える。

 クロムとて、まさかルフレがクロムの顔を見ただけで、クロムの事で頭が一杯になってしまうとは思ってもいない。

 

 

「…………。

 ……!

 えっ、は、はい!

 全然問題無いですよ!

 私は何時も通りですし……!」

 

 

 クロムが自分の目を覗きこんでいる事に気が付いて、漸くルフレに正常な思考が戻る。

 正確には正常に戻ったのではなく、過剰な負荷によって一旦思考を放り投げた様なものなのだが。

 とにもかくにも、受け答え出来る程度には思考の余地が生まれたのであった。

 

 

「そ、そうか。

 あー、その、今日はちょっと出掛けたい所があってだな。

 ルフレにも、出来れば一緒に来て欲しい訳なのだが……」

 

 

 照れた様に、クロムが頬を僅かに赤く染めながらそうルフレを誘うと……。

 

 

「そっ、そうなんですか!!

 奇遇ですね、私も今日クロムさんと出掛けたい所があったのですよっ!

 えーっとですね……」

 

 

 よく熟れた林檎の様に頬を赤くしながら、ルフレは一息にそう言う。

 そして、王都近くにある景勝地として名高い湖畔の名を上げた。

 すると。

 

 

「まさに奇遇だな。

 丁度俺もそこに誘うつもりだったんだ」

 

 

 驚いた様にクロムが言う。

 どうやらお互いに、良い雰囲気になれる場所を探そうとして被った様だ。

 その辺り、クロムとルフレは思考回路が似ているのかもしれない。

 

 が、既に一杯一杯なルフレはそんな所に思考が行き着かず、とにかくクロムを連れてそこに行かなくてはと言う事しか頭の中に無い。

 

 

「そ、そうなんですか!

 では、行きましょう!」

 

 

 クロムが少し押され気味になる勢いでルフレはそう言って、馬を出して一路目的地の湖畔を目指すのであった。

 

 

 

 

 

■■■■

 

 

 

 

 

 景勝地としてそこそこ有名な湖畔なのだが、周辺にクロムとルフレ以外の人影は無い。

 

 落ち着いてきたとは言え、まだ先の戦の復興の最中であるのだ。

 行楽に割く余裕は、まだ一般の民には無い。

 それにまだ、先王エメリナの喪に自主的に服している者も多いのである。

 そんな諸々の事情もあって、湖畔は穏やかな静寂に包まれているのであった。

 

 

 

 

「……!」

 

 

 緩やかに吹き渡る風に穏やかに水面を揺らしながら陽光を反射してキラキラと光る湖を見て、ルフレは目を大きく見開いて驚嘆の声を上げる。

 

 自分の思い出に関する記憶を喪っているルフレにとっては、クロムと出会ってから見たモノが世界の全てだ。

 イーリスにフェリアそしてペレジアと、実に様々な場所をクロムと共に巡ってきたルフレであるが。

 その大半は戦場であり、少なくともこの様に態々景色を見る為だけに何処かを訪れた事は無い。

 故に、こんなにも綺麗な湖を見るのは初めての事であったのだ。

 それを考えて、クロムはここに連れてくる事を選んだ。

 その目論見はどうやら成功した様である。

 

 

 

「良い場所だな」

 

 

 ルフレが何処かはしゃぐ様にしているのを見て、クロムもまた気持ちが弾んでいた。

 キラキラとした目で碧に染まる湖を見るルフレにそう声を掛けると。

 

 

「……!

 く、クロムさん……!

 は、はい! 凄く素敵な湖ですね!」

 

 

 頬を赤らめながらルフレはブンブンと音が鳴りそうな勢いで頷いた。

 そんな恋人の様子に、クロムも思わず体温が上がってしまいそうになる。

 

 こうやって二人だけの時間を過ごすのは何時ぶりだろう。

 ギャンレルを倒した後、まだ戦の余韻が残る戦場でルフレにクロムが思いの丈を伝えて以来であるのではないだろうか。

 

 軍師と軍主と言う関係ではなく、ただのクロムとルフレとして……恋人として過ごすのは、もしかしたら初めての事であるのかもしれない。

 

 ルフレのその長く艶やかで指通りの良さそうな髪は風で静かに揺れていて。

 赤く染まった頬は、思わず触れたくなる程に魅惑的で。

 緊張しているのか固く握られたその手には、クロムが贈った指環が輝いていて。

 吸い込まれてしまいそうなその瞳には、クロムだけが映っていた。

 

 何も言わず、何も言えず。

 二人してお互いに見惚れてしまっていた。

 見詰めあうだけで、止まっている様にも感じられる時間は放たれた矢の如く進んでしまう。

 

 ポチャン、と。

 魚か何かでも跳ねたのか、湖面に何かが落ちた音がして。

 そこで漸く二人は全く同時にお互いから視線を外した。

 

 クロムは思わず手で口元を覆う。

 頬の熱さと遜色無い程に、手も熱くなっている。

 二度三度と、深く息を吸い込んでは吐き出して、何とか気持ちを落ち着かせようとした。

 

 

 こんな事ではいけない。

 目的を思い出せ。

 何の為に、仲間達に協力して貰ってまで、今日この日にルフレをここに連れてきたんだ?

 

 

 自問自答して漸く冷静になったクロムは、未だに顔を逸らしているルフレに向き合った。

 

 

 

 

 

 

□□□□

 

 

 

 

 

 駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ。

 このままじゃ、駄目だ。

 

 熱に浮かされた様に空回りしそうになる頭脳を、どうにか元通りにしようとルフレは足掻く。

 だが、頬の熱が引かない。

 いや、引く訳などはないのだ。

 何故ならその熱はルフレの身体の奥深く、心の内側から湧き出しているのだから。

 

 クロムの目に映し出されている自分を見て。

 クロムが自分だけを見詰めている事を認識して。

 

 どうして良いのかルフレ自身にも分からない程に心が荒れ狂うかの様に高鳴ってしまう。

 

 “恋人らしい”事をしようと。

 クロムの恋人として、誰に対しても憚る事の無い程になろうとしているのに。

 

 ただ見詰められていると言うそれだけで、触れ合える程近くにクロムが居ると言うただそれだけで。

 既にルフレは満たされ切ってしまっていた。

 これ以上なんて、望もうとすら思えない程に。

 

 しかしそれでは駄目だ。

 それはルフレが満たされているだけに過ぎない。

 恋とは、愛とは、与えられるだけでなく与えて初めて成立するものであるのだから。

 

 ルフレはクロムから実に多くのモノを与えられてきた。

 クロムが居たからこそ、あの日クロムが拾ってくれたからこそ、今のルフレがある。

 だが、ルフレはクロムに何れ程の事を返してあげられているのだろうか。

 策を練り戦局を幾度も塗り替えて勝利をクロムに捧げてはきた。

 だが、それでは足りない。

 彼から与えられたモノには、到底釣り合わない。

 

 言葉では到底伝えきれそうにないこの想いを、幸せを、ルフレはクロムに返したい、伝えたいのだ。

 

 だから。

 

 

「あのっですね、……おっお昼にしませんか?

 今日はお弁当を作ってきたんです!」

 

 

 途中でつっかえそうになりながら、ルフレは勇気を振り絞ってそうクロムを誘った。

 

 恋人の手作り弁当。

 それは『恋愛必勝法』曰く、恋人に好意を伝えるのにもってこいの品、であるらしい。

 相手の好物などをバランス良く入れる事で、より相手からの好感度が高まるのだとか。

 その真偽は今確かめるしか無いのだが。

 

 ルフレが差し出した弁当箱を、クロムはまるで宝物を手にしているかの様に大切そうに受け取る。

 

 

「そ、そうなのか……。

 では、頂こう」

 

 

 クロムも何処か緊張した面持ちで、ルフレが手渡した弁当箱を開けた。

 そして中身を見た瞬間、驚いた様に息を呑んだ。

 

 

「これは……」

 

 

 弁当は、クロムの好物を中心として、色鮮やかに美しく盛り付けられていた。

 その何れもに、ルフレの想いが籠められている。

 ルフレは頬を赤く染めながらチラチラとクロムの反応を伺った。

 

 クロムの目は弁当に釘付けであり、余程驚いたのか微動だにせずに視線に圧力があるのなら穴が空いているんじゃないだろうかと言う程の熱視線を注いでいる。

 

 反応は上々……いや、想定以上であった。

 自分の想いの結晶にクロムがこれ程迄に心を奪われていると言う事が、何よりもルフレにとっては嬉しい事である。

 

 

 

 弁当を開けた状態でクロムが固まって暫しの時が経ち、凍り付いた時が緩やかに動き出して、漸く二人は緊張でガチガチに固まりそうになりながらも弁当を食べ始めた。

 

 クロムは恋人の手作り弁当と言う剰りにも眩しすぎる代物に戦きながら。

 ルフレは散々味見をしながら作った弁当がちゃんとクロム好みの味になっているか、不安に襲われながら。

 

 恐る恐るおかずを一口食べたクロムは、ハッとなったかの様に目を大きく見開いた。

 そして……。

 

 

「旨い……!

 本当に旨いな、これは……!」

 

 

 クロムはそう絶賛して、勢い付いた様に弁当を食べ始める。

 その様子に、ルフレはホッと胸を撫で下ろした。

 

 どうやら、フレデリク達に試食に付き合って貰ったのは無駄にはならなかった様だ。

 当初のルフレの料理の味は、曰く『鋼の味』であったらしく、到底人に勧められる味では無かったのである。

 マトモな味に仕上げる事が出来る様になったその陰には、幾人もの尊い犠牲があったのである。熊肉料理を食べて卒倒したフレデリクとか。

 

 

 自分も弁当を食べつつ、ルフレはそっとクロムの顔を見詰める。

 クロムの側に居てこうやって時間を過ごせると言うただそれだけの事が、ルフレを満たしていった。

 幸福とはこんな時間の事を言うのでは無いだろうか……、とすら思ってしまう程に。

 

 

 あの日出会ったその時から、クロムはルフレにとっての世界の全てであった。

 記憶も自分を支える何もかもを喪ったルフレにとって、唯一確かなモノが、クロムの存在であったのだ。

 

 自分が誰なのかも分からないのに、クロムの名前だけは覚えていた。

 その名前を呼ぶ度に、胸の何処かが締め付けられそうになる様な心の動きも感じていた。

 

 それは、あの日から時折見る断片的な悪夢の所為であったのだろうか。

 如何な自分の事とは言えども、そこに関しては分からないが……。

 とにもかくにも、クロムこそが、世界と自分とを結ぶ縁であったのである。

 

 

 ふと、もしクロムを喪ってしまえば自分はどうなってしまうのか、と考えてしまう事がある。

 戦場に立つ以上、ルフレがどんなに策を巡らせたとしても、クロムを喪ってしまう可能性は完全には払拭出来ない。

 そんな“もしも”を考えてしまう度に、ルフレの身体は恐怖に凍り付き、足元が無限の奈落へと変じてしまったかの様にすら錯覚してしまう。

 考えるだけでそれなのだ。

 きっと……クロムを本当に喪ってしまったその時は。

 ルフレは最早ルフレではいられないだろう。

 別の、恐ろしくおぞましい何かに変じてしまうのではないだろうか……。

 確たる根拠は無いが、ルフレはそう心の何処かで感じていた。

 

 が、今はペレジアとの戦も終わり、クロム自らが戦場に立つ事は当分の間は無いであろう。

 それはルフレにとっては、何よりもの幸いであった。

 

 

 

 

 

 

■■■■

 

 

 

 

 

 

 ルフレが作ってくれた弁当は、クロムが今までの人生で食べたどんな料理よりも美味しかった。

 貴族達に招かれた宴会での贅を凝らした料理など、ルフレが手ずから作ってくれた料理の足元にも及ばないとすら思う。

 

 腹が満たされたからなのか、肩にやたら力が入っていたルフレも何処かリラックスしていた。

 そんなルフレと、クロムはポツポツと他愛の無い会話を交わしていく。

 クロムは愛想が良い方では無い為気の利いた会話をするのは苦手であるが、ルフレ相手だとまるで普段の愛想の無さが嘘であるかの様に後から後から話したい事が沢山出てくるのだ。

 

 ルフレは、ルフレと出会う前のクロムがどんな事をしていたのかを聞きたがった。

 思えば、ルフレに対してクロムが己の過去を語った事は今までは殆ど無かったのだ。

 それは記憶を喪っているが故に語れる過去を持たぬルフレに無意識の内に遠慮していたからなのかもしれないし、はたまた己の過去を語る時に避けては通れぬ愛しの姉の事を語る事を避けていたからなのかもしれない。

 しかし、ルフレ当人がクロムの過去を聞きたがっているのだし、半年以上の時が経った事でエメリナとの事も幾分か穏やかで少しばかり苦味を伴う懐かしさで思い出す事が出来る様になっていた。

 そんなクロムの思い出を、ルフレはとても熱心に聞いていて、ちょっとした失敗談や楽しい思い出には笑顔を浮かべ、辛い思い出には共感する様に悲しそうな表情を浮かべる。

 それはまるでルフレがクロムと人生を分かち合うとしているかの様で。

 クロムはそれに堪らなく愛しさが込み上げてくるのであった。

 

 沸き上がってきた衝動のまま、クロムはそっとルフレの髪を掬う。

 指通りの良い長い髪は、サラサラと手の中から零れ落ちてゆくかの様で。

 それにそっとクロムは口付けを落とす。

 フワリと、甘く爽やかな香りがクロムの鼻腔を擽った。

 

 

「く、くくく、クロムさん……っ!?

 な、何を……!!??」

 

 

 途端にルフレは顔を耳まで真っ赤に染め上げてクロムから距離を取ろうとした。

 逃げようとするその手を取って、クロム自身もまた顔を赤く染めながら訊ねる。

 

 

「その、ダメ、か……?」

 

 

 

 

 

 

□□□□

 

 

 

 

 

 

 ルフレは混乱の極みに在った。

 普通に話をしていた筈なのに、気付いたら髪にキスされていたのだ。

 手を繋ぐ事すらろくにした事が無い初な生娘である。

 許容量を越えた事態に混乱するのも致し方無い。

 

 

(だ、ダメじゃ無いですけど……。

 でも、その……。

 突然だったからビックリしたと言いますか、心の準備が出来て無かったと言いますか……。

 髪じゃなくて唇が良かったと言うか……、って私は何を……!

 と言いますか、今クロムさんに手を握られていますよね!?

 クロムさんの手は大きいなぁ……、暖かくてずっと握っていて欲しいです……。

 いえいえ、今はそれ処では……!!

 クロムさんにキスされたんですよ、私は!

 これは『手作り弁当作戦』が成功したと言う事ですよね???

 いや、でも、それは、えーっと……)

 

 

 混乱して支離滅裂な思考のまま、ルフレはその場でオロオロとする。

 所謂“恋人”らしい事を望んでいたルフレにとっては今の状況は願ってもないモノである筈だが、流れに身を任せる等と言う発想をする余裕は今のルフレには無かった。

 然りとて握られた手を振り解く事などは出来ず、逃げる事は出来ないルフレはその場で固まるしか無い。

 何か言おうとしても、口から漏れるのは緊張に震える熱い吐息のみ。

 音に成らぬ吐息を一つ二つと溢したルフレは、自分の目を真っ直ぐに見詰めてくるクロムの視線に耐えかねたかの様に、俯いてクロムの視線から逃れようとする。

 

 これからどうすれば良いのかなんて分からない。

 綿密に立てていた筈の計画も、全て頭から吹き飛んでしまっていた。

 戦局を変える? 無理だ、策なんて何一つとして思い浮かばない。

 軍師失格レベルの失態であるが、クロムを相手取るにはルフレでは分が悪いのだ。

 何せ、ルフレ唯一の弱点がクロムなのだから。

 

 

 何も出来ないままオロオロとしていると、そっとクロムの手がルフレの頬を撫でた。

 自然と俯いていた顔が上がり、クロムと視線が絡み合う。

 暑いと感じる程の熱はクロムからのものだろうか、それともルフレからのものだろうか。

 それはルフレには分からないが。

 二人とも、お互いの熱に浮かされた様にただただ見詰めあっていた。

 優しさの中に何処か情熱的な激しさを孕んだその目を見ているだけで、ルフレは酔っているかの様な錯覚を覚える。

 

 好きだ、この人の事が大好きだ。

 この世界で一番、自分の世界の中で一番、クロムを愛している。

 ……そんな想いは心から溢れて、言葉としてルフレの口から零れ落ちようとしていた。

 

 

「クロム……さん」

 

 

 掠れそうな声でルフレが名を呼ぶと。

 

 

「どうした? ルフレ」

 

 

 熱に浮かされながらも優しい声でクロムが訊ねてくる。

 それだけの事で胸が一杯になりそうになるが、喉元まで言葉と言う形になって現れようとしている想いは止まらない。それどころかますますそれを助長する。

 

 

「私は……クロムさんの事が、好きです。

 誰よりも、愛してます」

 

 

 だから──と続けようとして、ルフレはその続きの言葉を見失ってしまった。

 何を……何を言おうとしたのだろう。

 まだこの気持ちを伝え足りない。

 だけど、どんな言葉に託せば伝えられると言うのだろうか。

 伝え切れないのに、気持ちばかりが溢れてきて泣きそうになる。

 

 

 そんなルフレを見詰め、クロムは力強く……だけど痛みを与えない程度の絶妙な力加減でルフレを抱き寄せた。

 クロムの鍛え上げられた逞しい胸板に頭を押し付けられたルフレは、ただでさえ余裕が無いのにますます顔が赤くなる。

 これ以上鼓動が早くなったら自分は死んでしまうんじゃないだろうか、なんて思ってしまう程に。

 

 

「俺も……ルフレの事が、好きだ。

 お前と出会ったあの日から、ずっと。

 どんな時だって、誰よりも側に居たのはお前だ。

 ずっと側に居て欲しいと、誰よりも思ったのもお前だけなんだ」

 

 

 真っ直ぐなその言葉は、ルフレだけに向けられている。

 この人のこんな顔を知っているのは自分だけなのだろうと思うと、それが堪らなく嬉しい。

 

 

「ずっと、側に居ます。

 だってそう、約束したんですから……」

 

 

 自分の指にはめられた指輪を見詰めてルフレは言った。

 死が二人を別つまで共に居ると言う約束をする為の誓いの証。

 いや、死で別たれようとも、この絆は消えたりはしないだろう。

 

 クロムもまた、婚約指輪を見詰めて頷いた。

 

 

「ああ、そうだな。

 これからも、ずっと一緒だ。

 お前と出会ってからの一年は、嬉しい事もあったが辛く苦しい事も多かったな……。

 でもどんな時だって、思い返せば全部お前と過ごした掛け替えの無い時間だったんだ」

 

 

 辛かった事……。

 その最たるモノは、最愛の姉であったエメリナ様に関する事だろう。

 自らの策が及ばなかったが故に避けられなかった彼女の死は、ルフレにとっても辛く苦しいモノであった。

 姉の死に傷付き果てた最愛の人の姿は、思い返すだけでルフレの胸に切り裂く様な痛みを与える。

 

 

「クロムさん……」

 

 

 そんな悲劇ですら、ルフレと過ごした時間であったのだと、掛け替えの無い時間だったのだと言い切ったクロムに、その心にルフレは泣きそうになる。

 

 

「俺はもう何一つとして大切なものを失わせたりしない。

 まだ未熟な俺一人では成し遂げられなくても、お前が側に居てくれるのなら……」

 

「二人一緒なら半人前じゃない……、だって私達はお互いに半身なのだから……。

 ……ですよね」

 

 

 それは、姉の死に打ち拉がれていたクロムに、かつて自分が贈った言葉。

 クロムだけではなく、自分自身に向けた言葉でもあったそれは、二人を結ぶ大切な言葉であった。

 

 ルフレが継いだ言葉にクロムは嬉しそうに頷いてから、何故か苦笑を浮かべる。

 

 

「ああ、そうだ。

 ……今日はルフレの誕生日なのだから、お前に色々とあげるつもりだったが……。

 これじゃ俺が貰ってばかりだな」

 

「たん、じょうび……?」

 

「気付いてなかったのか?

 今日で、俺とお前が出会ってから丁度一年だ」

 

 

 クロムにそう言われ、そう言えば記憶が無いが故に自分の誕生日が分からないルフレは、クロムと出会った日を誕生日と言う事にしていたのだと思い出した。

 今日で、あの日から丁度一年。

 それ程の時間を共に過ごしていたのかと思うと、長かった様な短かった様な、そんな不思議な気持ちになる。

 まあ、時間の長さなど、その内容に比べれば些末な事なのではあるが。

 

 

「そう、だったんですね……。

 でも、私はもうクロムさんから沢山の贈り物を貰ってますから、そんなの気にしなくても良いんですよ?

 それに、こうやって一緒に過ごせる事が、何よりもの贈り物ですから」

 

 

 それはルフレの本心からの言葉である。

 物では無く、クロムと過ごす時間が……その思い出が、ルフレにとっては最高の宝物なのだから。

 

 ここに来て漸くルフレは気付いていた。

 “恋人らしさ”なんて拘る必要など無かったのだ。

 こうやってただ一緒に過ごすと言うそれだけで、二人ともこんなに満ち足りていられるのなら。

 それだけで十分だったのだ。

 

 

 

 

 

 クロムとルフレの視線が再び絡み合った。

 今度はルフレも逃げようとはしない。

 

 どちらからと言う事も無く、お互いが同時にキスをした。

 唇と唇が触れあうその感触は、どんな媚薬よりもお互いを熱くさせる。

 再びクロムがルフレにキスを落とした。

 髪にも瞼にも額にも鼻先にも唇にも……。

 お互いのキスの応酬は止まる事無く続いていく。

 

 

 日が沈みゆくまで、二人はそうやって過ごしたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【Fin】

 

 

 

 

□□□□

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