◆◆◆◆
それはヴァルム帝国との戦が始まって半ばが経った頃の事。
何とかフェリアに侵入してきていたヴァルム軍を排除し、周辺海域の制海権を取り戻して程無い時期。
第二波第三波と押し寄せてくるヴァルム帝国への対処を話し合う為にフェリアへと招かれていた時の事。
「これが新節祭なのね……初めて見るわ……」
「ああ、フェリアの伝統的な祭りで、雪解けの始まり……春の訪れを盛大に祝うんだ」
まだヴァルム帝国との争乱は完全に終息した訳では無いとは言え、一先ずの危難は去ったのだ。
民の心を前向きにする為にも、今年の新節祭は例年よりも一層盛大な祭りとなっていた。
王都には所狭しとばかりに屋台が立ち並び、街全体が華やかな飾りに彩られていて。
元より血気盛んな者達が多いフェリアであるが、平時のそれとはまた違った祭事特有の熱気が王都全体を覆っている。
フェリア両王との話し合いも終わり、少しばかり生まれた自由な時間を利用して、クロムはルフレを街へと連れ出していた。
クロムと出会う前は、イーリスとペレジアとの国境付近を転々と旅していたのだと言うルフレは、クロムと出逢うまではフェリアに足を踏み入れた事も無く、それ故にルフレは新節祭の事は風の噂でしか知らないのであった。
クロムとて、こうして直に新節祭を見るのは初めてである。
「素敵なお祭りね。
ルキナとマークにも見せてあげたかったわ」
イーリス城に残してきた幼い娘と産まれたばかりの息子達の事を想い、ルフレは一つ溜め息を吐く。
幼い彼等にはこの時期のフェリアの気候は堪えるであろうとの事で置いて行かざるを得なかったのだ。
ヴァルム帝国との事で軍師としても王妃としても多忙を極めている為にあまりルキナとマークに時間を割いてやれていない事をルフレが悲しんでいる事をよく知っているクロムは、「そうだな」と言う意を込めて軽くその肩を叩いた。
「なに、ヴァルム帝国の事を何とかしたら、幾らでもその時間は作れるさ。
その時は何度だって、二人を連れて新節祭に来よう。
だからその為にも、この局面を乗り越えないとな」
「そうね、クロム。
ルキナとマークの為にも、あたし達が頑張らなきゃ」
気合いを入れるかの様に拳を握ったルフレに、その意気だとクロムは微笑む。
そして。
「ルフレ、手を出してくれないか?」
そう言ってクロムは、少し不思議そうに首を傾げながらも両手を差し出してきたルフレの手に、祭の屋台でこっそり購入した装飾品をのせる。
「これって……」
「新節祭の縁起物をあしらったペンダント……らしい。
この小さな黄色い花は福寿草で、こっちの赤くて丸い実は南天と言う花の実なんだそうだ。
えーっと……どちらも『幸せ』とか『希望』とか、そんな意味がある花だとか」
花言葉の類にはとんと疎いクロムであるので、ルフレへの説明が店主の売り文句をそのままなぞった様なモノになってしまっているが、ルフレはあまり気にした様子も無く、驚いた様に目を丸くしたかと思うとキラキラと目を輝かせる。
「素敵な縁起物ね。
ふふっ、有り難うクロム、とっても嬉しいわ!」
早速そのペンダントを身に付けて、ルフレは嬉しさでキラキラと輝いた笑みを浮かべる。
ここ最近はずっとヴァルム帝国の事に懸かりっきりだったルフレを労う為にと思っていたのだが、クロムが思っていたよりもずっと喜んで貰えた様だ。
「ねっ、クロム。
次は、ルキナとマークも一緒に、四人で来ましょうね」
上機嫌にそう言ったルフレに、クロムは勿論だと頷く。
それは、遠い遠い何処かの未来での。
果たされる事は無かった、『約束』の思い出だ。
◆◆◆◆
ギムレーと共に消滅したルフレがクロムの元へと帰還して数ヶ月程が経った頃。
クロムとルフレはフェリアの新節祭へと招かれた。
ルフレが帰還した時にフェリアの両王はイーリスに態々訪ねに来てくれていたのだが、改めてフェリアでそのお祝いをしたいとの事である。
元よりフェリアは友好国であるのだし、クロムの代になってからの結び付きは非常に強い。
ギムレーを相手に共に戦った仲間でもある。
だからこそ、クロム達は快くそれを了承し、フェリアへと旅立ったのであった。
春を告げる祭である新節祭ではあるが、雪と氷の大地であるフェリアの完全な雪解けはもう暫し先の事であり、二人が招かれたフェリアは相変わらず雪がそこらかしこに降り積もっている状態であった。
それでも、雪の下に埋もれた若芽は少しずつ綻ぶその時を今か今かと待ち侘び、厳しい寒さも少しずつ和らいでいるのも確かである。
数日間にも渡る新節祭は国を挙げてのお祭り騒ぎになるらしく、二人が滞在する事になる東のフェリア王都も街中がお祭りの飾付け一色に染まっていた。
フェリアの新節祭の事は話には聞いていたが、実際に目にするのは初めてであるクロムも物珍しい景色に目を見張る。
そして、クロムと出逢ったあの日よりも前の記憶を全て喪い、未だそれは戻らぬままであるルフレにとっては、見聞きするのも初めての光景であったが故に、窓の外からフェリアの街並みを眺めるその目はキラキラと好奇心の輝きに煌めいていた。
「そんなに新節祭が気になるのなら、明日は街中をお忍びで歩いてみるか?」
「良いの、クロム!?
うん、なら是非とも! 行きましょ!
それなら、折角だしルキナとマークとも一緒に行っても良いかしら?」
人々の笑顔が溢れるお祭り事が大好きなこの最愛の妻は、クロムの申し出にそれはもう喜びに満ち溢れた顔で何度も頷く。
そして、今宵の宴に共に招かれている、“未来”よりやって来た子供達の名前も出した。
“大きな”ルキナにしろマークにしろ、ルフレが彼女らと共に過ごせたのは基本的に戦時中であり、こう言ったお祭りの様に楽しい催し事を共に子供たちと経験する事はルフレには未だ出来ていなかったのだ。
それをルフレが寂しく思っていた事はクロムも知っているので、「勿論だ」と頷く。
「ふふっ、イーリス以外の国でのお祭りは初めてね。
四人で屋台とか沢山巡るわよ……!
熊肉の干し肉とかがあったら、フレデリクへのお土産にでもしてしまおうかしら……」
楽しそうにお祭りを巡る計画を立てるルフレが可愛くて、クロムは思わずその頭をくしゃくしゃと撫でた。
それによって少しルフレの髪が乱れるが、そんな事に構わずにルフレは幸せそうに微笑みクロムを見上げる。
愛しいこの人が奇跡を起こして消滅の定めを覆し、自分の元へと還ってきてくれた事がクロムには堪らなく幸せな事であった。
ルフレを喪ったあの日。
覚悟を決め、その運命を受け入れ、それでも一縷の望みを賭けながらルフレは自ら邪竜を討った。
それを止めきれなかった事をクロムは誰よりも後悔し、少しずつ解ける様に世界から消えていくその姿を目の当たりにして、そしてそれを自分ではどうする事も出来ぬ現実に直面して、置いて逝かれるのだと絶望に沈みそうになってしまって。
だが、それでも。
“また逢いたい”と、そう言って泣きそうな顔をしながらも何処か凜としたその眼差しに。
“待っていて欲しい”と言外に伝えてきたその微笑みに。
クロムは、ルフレが還ってくるその日を待ち続ける事を決めた。
ルフレの居ない日々が何れ程苦痛に満ちた虚しい毎日であったのだとしても。
誰にも埋める事など出来ない空虚さが常に心を苛んでいても。
誰よりも愛しい筈なのに、少しずつ少しずつその声やその微笑んだ時の表情を思い出せなくなっていく事が、ルフレが“過去”へと変わっていってしまう事が耐え難い程に恐ろしくても。
それでもクロムは、ルフレを信じ、ルフレの姿を探しながらも待ち続けた。
ルフレが還ってくるのに要した時間が、長いモノであったのか将又短いモノであったのかは分からない。
一度完全に世界から消滅し、それで戻ってきた存在の前例などクロムは知らないのだから比較する対象も居ないのだが。
…………何にせよ。
一日一日が永遠の様に長く感じられる日々をクロムが過ごしていたのだとしても。
ルフレは、確かに還ってきてくれたのだ。
記憶を喪うなどの代償も無く、時間だけを対価にして戻ってこれたのならばそれに越した事は無いのだろう。
ならば、クロムにとってはそれだけで充分であった。
ルフレが還ってきてからは、只管ルフレが其処に居る実感を得ようとするかの様に愛し、二度と離してなるものかとばかりに、クロムはルフレと睦み合う日々を過ごしていた。
その様子を見ていたマークが「そろそろこっちの僕も産まれそうですね!」なんてとんでもない発言をぶちかましたりしつつも、クロムは幸せな日々を送っていた。
世界を救った英雄と讃えられてきたクロムは、ルフレが戻ってきた事で、漸く世界を救ったその報酬を……幸せな日々を手にしたのだ。
「ルフレ、そのドレス……よく似合っているぞ」
「あら、そう?
クロムにそう言って貰えると、とても嬉しいわ」
少し乱してしまったルフレのその髪をそっと整え直しながら、クロムはそうルフレの姿を褒める。
新節祭の宴に出席する為に、今のルフレは何時ものあのコートは脱いで、ドレス姿になっていた。
戦場を駆ける軍師としての姿ばかりが印象に残りがちであり、実際にドレスの様な華やかな衣装で自身を飾り立てる事にはトンと執着が無く普段はあの軍師のコート姿で過ごす事の多いルフレではあるが。
それでも、王妃としてドレス姿になる事は幾度となくあった。
あまり華美な衣装はルフレはどちらかと言うと嫌がるので、上質ではあるがやや質素なドレスが多くはあるのだが。
それでも、決して地味さなどは何処にも無く。
寧ろその質素さがルフレ自身の美しさを際立たせていた。
基本的に身形に頓着しないのに、それでもそんなルフレがどんな貴婦人よりも美しく感じてしまうのは惚れた欲目と言うヤツなのだろうか。
何時もは装飾品の類いは殆ど身に着けようとはしない(曰くジャラジャラしているのは性に合わないらしい)ルフレだが、今日は少しだけ違う。
ルキナから貰ったティアラを、装飾品として身に着けているのだ。
かつて古の英雄王『マルス』の名を名乗り、言い伝えられているその姿に似せた衣装を身に纏っていたルキナは、戦争も終わりギムレーを討った後で、漸く肩の荷を下ろせたかの様にあの男装を解いていた。
あまり目立つのはよく無いからと、そうルキナは言っていたし実際にその意図も大いにあったのだろうけれども。
それでも、普通の少女の様な格好をして街を歩くルキナの姿が何処か軽やかに見えたのはクロムの気の所為では無かったのだろう。
そして、“マルス”の装いを止めたルキナは、着けていたティアラを還ってきたルフレに託していた。
それは、幾度もの激戦をルキナと共に潜り抜けてきたそれが、ルフレを守る御守りになると思ったのかもしれないし、或いは……。
“大きな”ルキナと言う……時を越えてやって来た娘が、確かに其処に居たのだと、そう思う縁として欲しいと思っての行動だったのかもしれない。
ルキナが、クロムやルフレからの愛情に狂おしい程に餓えながらも、それでもこの時代に既に産まれている……最早自分とは同じ道を歩まないであろう“ルキナ”の事を想って、クロム達から距離を置こうとしている事には、クロムも気付いていた。
その様な遠慮などせずとも、クロムが大切な家族に向ける愛情が偏る様な事など無いのであるけれども。
『自分は此所に居るべきではない』と、そうルキナが心に抱えている想いは、クロムが幾ら言葉で諭し行動で示しても、中々払拭する事が出来ぬモノであるのであった。
その点、記憶の多くを喪っているが故に天真爛漫なマークは、目一杯ルフレに甘えているのであるが……。
何にせよ、ルキナから託されたそれを、ルフレは殊の外大切にしていた。
物を欲しがる質では無いもののクロムや仲間たちから贈られた物は全て大切にしているルフレであるのだがそれを差し引いても、そのティアラだけは特別に身に着けこそはせずとも肌身離さず持ち歩いているのをクロムは知っている。
それは、“もう一人の娘”からの贈り物であるからなのだろうか?
何にせよ、その大切なティアラをルフレが今宵の宴に身に着ける事を選んだのは確かである。
飾り気が少なく、女性が身に着けるにしては些か素っ気ない程に質素なそのティアラであるが、元より華美さは好まぬルフレには、とてもよく似合っていた。
クロムの方により似ていると様々な人から言われるとは言え、髪色こそ違うものの、こうして見るとやはりルキナとルフレは親子なのだなと、そう沁々とクロムは感じる。
「さて、そろそろ宴が始まる頃合いだな。
ルキナとマークも待っているだろう。
さあ行くぞ、ルフレ」
そう言ってルフレの手を優しく取り、二人は客室を後にしたのであった……。
◇◇◇◇◇
新節祭の宴はとても豪勢なモノで、クロムとルフレは久方ぶりに会えたフェリアの仲間達との歓談を楽しんだり、ルキナとマークと共に親子の時間を過ごしたりもしていた。
が、祝いだと称してバジーリオが次々に酒樽を運び込んできた辺りで、比較的穏やかだった賑やかさは最早喧騒と表現するべきモノへと代わり、呑めや歌えやの大宴会へと変貌してしまって。
終いには、バジーリオとフラヴィアに乗せられて酒飲み勝負を挑む事になりかけたルフレを止めたりする羽目になった。
ルフレは酒に非常に強く、酔っても微酔い止まりで酔い潰される事など殆ど無いのだが……。
一定量を超えると、まあ、その、色々と積極的になるのだ。
そんな妻の姿を余人の目がある所で晒す訳にはいかず、クロムは酒豪どもの饗宴からは早々に引き揚げて客室へと退出したのであった。
そんな宴から一夜が明けて。
昨日の約束通りに、クロムとルフレはルキナとマークを連れてフェリアの街へと繰り出した。
ルフレとマークは勿論の事ながら、ルキナも新節祭一色に染まったフェリアの街並みを何処かはしゃぐ様に見て回っていて。
三人で楽しそうに屋台を見て回る姿を、クロムは見守りながら歩いていた。
「母さん、見て見て!
新節祭の時限定のお菓子だって!」
「へー、このお祭り限定のお菓子なんてあるのね。
綺麗だし、とても美味しそうね……。
折角だからガイアにお土産として買っておいてあげようかな?」
「きっとガイアさんも喜んで下さいますね!
あっ、お母様、あっちはこの時期だけの特別な飾りだそうですよ!
あれを新節祭の間飾っておくと、その一年が幸せに過ごせるらしいです」
わいわいと賑やかしく三人はあれを見て!これを見て!と屋台を練り歩いていく。
その姿は、外見的な年齢差が然程無い為に親子と言うよりは仲の良い姉弟の様に傍目からは見えているのであろう。
が、何にせよ、見るからに家族仲が良さげなルフレ達の姿に、屋台の主人達も皆微笑ましくその姿を見守っていた。
ふと、装飾品の類いを取り扱っている屋台がクロムの目に入った。
そして、本当に何と無くだが飾ってある装飾品の一つに目を留めてそれを手に取る。
「おや、福寿草のペンダントに興味があるのかい?」
クロムが手にした装飾品を見て、店番をしていた老婆が声を掛けてくる。
「福寿草?」
「福寿草は春を告げる花さ。
丁度新節祭の頃から咲き始めるから、縁起物として春節祭でも飾られたりする。
ほら、色んな所で福寿草の鉢植えがあっただろう?」
言われてみれば、この黄色い花を街の色々な所で見掛けた気がする。
縁起物だから、こうしてその意匠の装飾品が新節祭で売られているのだろう。
「福寿草にはね、『永久の幸福』や『幸福を招く』や『祝福』や『希望』と言う花言葉があってね。
贈り物としても縁起が良いってされているのさ。
冬の厳しい寒さを耐え、雪解けの始まりと共に雪の中からその黄色い花を咲かせてくれるからねぇ……。
このフェリアでは特におめでたい花って扱いなんだよ。
特にほら、そのペンダントをよく見ると、福寿草以外にももう一つ意匠が施されているだろう?」
そう言われてよく見てみると、黄色い花の意匠の他に、何やら赤い玉の様な粒の様な何かがある。
「そいつは南天って言う花の実さ。
丁度この時期に実を結ぶから、福寿草と並んで縁起が良いモノとされているんだ。
こっちの花言葉は『私の愛は増すばかり』、『幸せ』、『良い家庭』って所だねぇ……。
『難を転じて福と成す』って意味もあるんだ。
どうだい? 家族や恋人に贈ってやると喜ばれると思うよ?」
老婆に上手く乗せられた気もするが、クロムはルフレへの贈り物としてそれを購入する。
ルフレが苦手とする程の派手さや華美さは無い為、きっと気に入ってくれるであろう。
一通り祭りを見て回った後にでも渡そうと、そう思ってクロムはペンダントを懐にしまったのであった。
◇◇◇◇
一通り祭を見て回ったクロム達は、一旦街中の広場にある噴水前で休憩する事にした。
親子で楽しい時間を過ごせたからか、ルフレもルキナもマークもとても嬉しそうだ。
「……未来では、お母様達とこうやってお祭りを楽しめた事は無かったんです」
噴水前のベンチに座りながら、ルキナがふと溢す。
「そうだったの?」
「ええ、未来では……ペレジアとの戦争が長引いてしまいましたし、その戦争が終わっても二年と経たない内に今度はヴァルム帝国と……。
そして、ギムレーが復活してしまってからは、そもそもお祭りなんて無くなってしまいましたからね……。
だからこうやって、お父様とお母様とお祭りを楽しめて……とても嬉しいんです」
ルキナの言葉に一度目を伏せたルフレは、ルキナの手を取って真っ直ぐにその目を見詰めた。
「きっと未来のあたしも、こうしてルキナとマークと一緒にお祭りを楽しみたかったんだと思うわ……。
その代わり……だなんて言えないけど、それでも。
あたしもルキナとマークと一緒にこの時間を過ごせて、とても嬉しいの。
ね、ルキナ。
これからも、何度だって一緒にお祭りに行きましょ。
お祭りじゃなくったって良い、何気無い時間を、あなたと一緒に過ごしたいわ。
……未来のあたしがルキナやマークにしてあげたくても出来なかった事を、少しでもしてあげたいの」
ルフレも、ルキナがこの時間の“自分”に……クロムとルフレの実の娘であるルキナに遠慮して距離を置こうとしている事に心を痛めていた。
特に、ルフレにはギムレーがルキナを追って過去に跳んで来た時に、ギムレーへと変じてしまった“未来”の自分の心と記憶が混ざっている。
だから、この大きなルキナに向ける愛情の一部には、“未来”のルフレの心が混ざっているのかもしれない。
……だが、ルフレのその言葉に、ルキナは嬉しそうに微笑みながらもそっと首を横に振る。
「……そのお気持ちだけで、私には十分なんです。
お母様には、この時間の“ルキナ”が居るでしょう?
その“ルキナ”に、その時間は使ってあげて下さい」
「ルキナ……」
ルキナの心を変えられない事に、ルフレは僅かに落ち込む。
折角のお祭りだったのに、そうやって水を差してしまった事に気不味くなったのだろうか。
ルキナは立ち上がり、「先に帰っていますね」、とその場を後にした。
マークはチラチラとルキナが去って行った方向とルフレとを見やり、ルキナを放ってはおけぬと判断した様で、ルキナを追い掛けていく。
その場には、ルフレとクロムだけが残された。
「あたし、失敗しちゃったのかしら……」
ポツンと呟いたルフレの頭を、クロムは少し乱暴に撫でてやる。
「そんな事は無いさ。
ルフレの想いは、確かにルキナに届いている。
ただ、それでも中々“心”と言うモノは変えられないんだ」
何かもっと大きな切っ掛けが必要……なのだろう。
それが何なのかは、クロムにもルフレにも分からないが。
落ち込んでしまったルフレを何とか励ましてやりたくて、クロムは先程屋台で購入したペンダントをルフレに渡す。
包みを解いて出て来たペンダントに、ルフレは目を丸くした。
「クロム、これって──」
「さっきの屋台で買っておいたんだ。
春を告げる縁起物だそうだ。
えっと、何だったか……『幸せ』とかの花言葉とやらがあるらしい」
クロムの説明を聞いているのかいないのか、ルフレはジッとそのペンダントを見詰める。
そしてフラりと一瞬その身体が揺れたかと思うと、急にキョロキョロと辺りを見回し始めた。
「えっ、あれっ……。
ここは……あたしは……、何で……?
えっ、クロム……?」
戸惑う様に辺りを見回していたルフレは、傍らに立つクロムに目を向けると、酷く驚いた様に目を見開く。
そして、今にも泣きそうに顔を歪め、ひしと抱き付いてきた。
「クロム……、クロム……!
ごめんなさい、あたしは……、あたしの所為で……」
「落ち着けルフレ、一体どうしたんだ……?」
何処か自分の知るルフレでは無い様に感じるその反応に戸惑いつつも、クロムはルフレを抱き締めて宥めようとする。
「あたしの所為でクロムが……。
ルキナとマークもあんな目に遭わせて……。
あたしの…………、いえ、違っ……」
混乱しているとしか思えないルフレであったが、ふと頭が痛むのか頭を押さえてきつく目を瞑った。
そして。
再び目を開けたその姿を見て、クロムは不思議な違和感を感じる。
限り無くよく似ているのに何かが決定的に違っているかの様で……。
「ルフレ?」
「……“クロム”、今目の前に居るあたしは、あなたの“ルフレ”じゃない……。
ルキナとマークの母親の方の『ルフレ』……と言えば分かる?」
『ルフレ』はそう言って、クロムから身を離した。
真っ直ぐにクロムを見詰めてくるその眼差しは、確かにルフレのそれと同じであったが、纏う雰囲気は何処か異なる。
「一体何を……」
「……ルキナを追って過去にやって来た時にこの“ルフレ”と混ざった『ルフレ』の心と記憶。
ギムレーを消滅させても尚、それは“ルフレ”の中から消える事が無かったの……。
普段は“ルフレ”の心の奥底の無意識の海の中に沈んでいるけれど、“何か”を切っ掛けに浮かび上がる事がある……。
それが、今あなたの目の前に居る『あたし』よ」
そう言いながら、ルフレは手の中にあるペンダントをギュっと握り締めた。
「切っ掛けは、“これ”と、この新節祭と言う場所そのものね……。
後はルキナとマークの存在も、かしら……」
「……お前がルキナ達の母親の方の……“未来”の『ルフレ』なんだとして。
なら、俺のルフレはどうなっているんだ?」
まさかとは思うが、『ルフレ』の存在に上書きされてしまったのだとしたら……。
そう思うと、身体が凍り付きそうな程の恐怖にクロムは襲われる。
が、それは無いとでも言いた気に『ルフレ』は首を横に振った。
「大丈夫よ、安心して……。
『あたし』の記憶と心が一時的に強く表に出ているから、“ルフレ”は眠った様な状態になっているだけよ。
『あたし』がこうして出てくるなんてイレギュラー中のイレギュラーなんだし、本当に一時的なモノ。
どんなに長くても、夕暮れまでには『あたし』は再び“ルフレ”の無意識の海に還るし、そうしたら“ルフレ”はちゃんと戻ってくるから……」
夕暮れまでと言う事は、この『ルフレ』がこうして居られるのもあと二時間も無いのだろう。
ルフレが無事であると言う事は喜ばしい事であるのだが、ルフレの無事が保証された途端に、今度はこの『ルフレ』の事が気掛かりになる。
「ルフレが戻ったら、お前はどうなるんだ?」
「無意識の海の中にまた沈むだけよ。
多分、こうやって『あたし』が表に出る事なんてもう二度と無いだろうから、そこは安心してね。
……まさかとは思うけど、『あたし』の事を心配しているの?」
「勿論そうに決まっているだろう。
例え俺のルフレでは無いのだとしても、それでもお前も【ルフレ】なんだ」
例え自分が愛しているルフレとは違うのだとしても、遠い未来では“クロム”を殺してギムレーへと成り果ててしまっていたのだとしても、それでも。
彼女もまた【ルフレ】と言う存在である事には変わらないのだ。
故にクロムが『ルフレ』の事も案じる事に何の不思議があると言うのだろうか。
クロムの言葉に『ルフレ』は目を見張り……そして泣き笑いの様な複雑な表情を浮かべた。
「……クロムらしいわね。
有り難う、『あたし』の“クロム”じゃないのだとしても、そう言って貰えるのは嬉しいわ。
でもね、『あたし』に気を遣わなくてもいいのよ。
『あたし』はギムレーに完全に呑み込まれ、ギムレーと共に消滅した身……既に死んだ存在よ。
この『あたし』は、“ルフレ”が見ている泡沫の夢の様なモノだもの」
「ならば、せめて……。
お前に何かしてやれる事は無いのか?
俺に出来る事ならば、何だってしてやる」
後二時間程度ではしてやれる事など限られているだろうが、それでもせめてこの『ルフレ』に何かをしてやりたかった。
自分の存在を“泡沫の夢”だと言って微笑むその姿には、自分の愛しいルフレではないのだと分かっていても、胸を締め付けられる様な苦しさを覚えてしまう。
「……有り難う、“クロム”。
なら、一つだけ我が儘を言っても良い?
ルキナとマークと……話がしたいの。
ギムレーになって世界を滅ぼした母親となんて、あの子達は話をしたくないかもしれないけれど……」
どうしても伝えたかった事があるのだと、俯いてそうポツリと溢した『ルフレ』に、クロムは。
「そんな筈は無い……!
ルキナは……マークも……、何時だってお前の事を想っていた。
確かに、お前はギムレーとなり世界を滅ぼしたのかもしれない。
だがそれはお前自身の意志では無かったのだし、何よりも。
ルキナとマークにとっての“母親”は、お前なんだ。
俺とルフレはあの子達の“家族”にはなれても、本当の親にはなれないんだ……」
その手を取ってクロムは『ルフレ』を立ち上がらせた。
「そうと決まればルキナ達の後を追うぞ!
さあ、行こう!」
◆◆◆◆◆
先に帰ると言いながら、ルキナはフェリア城には向かわずに一人街を彷徨い歩き、気付けば郊外の小さな森の中へと迷い込んでいた。
帰り道は分かるから問題は無いのだが、今は少し一人になって気持ちを落ち着けたかった。
森を宛もなく彷徨い歩いている内に、小さな泉を見付けた。
その畔に座り込んで、ルキナは静かな水面を見詰める。
「……やはり、傷付けてしまったのでしょうか……」
誰に向けた訳でもなく、ルキナは呟いた。
ルフレの気持ちは、嬉しかった。
それは本当だ。
そして、彼女が向けてくれる愛情を疑っている訳でもない。
だけれども。
ルキナは、本来在るべき時を捩曲げてまで、未来を変える為に過去にやって来た存在だ。
既にこの時間に在るべき姿の“自分”は存在している。
故にこそ、『自分は本来ここに居るべきではない』と言う想いはルキナの心から拭い去られる事は無い。
どうしたって、ルキナはこの時間にとっては異物だ。
本来在り得るべからざる存在がどんな影響を及ぼすかは未知数であり、だからこそ、干渉するのは最小限にしようと思っていたのだ……。
それでも、どうしての両親の温もりを求めてしまう気持ちには蓋が出来なくて、居るべきでは無い関わるべきではないと自分を律しようとする気持ちと板挟みになって、時々どうしたら良いのかが分からなくなる。
ギムレーと戦っている間は、まだ良かった。
そんな考えに思考を取られている暇など無かったのだし、一つの目的に邁進する事で他の迷いを振り払えていた。
だが、ギムレーが未来永劫完全に消滅し、もう二度とあの様な未来が訪れる事は無い事が確定した時に、ルキナ達がやって来た“未来”と完全に異なる未来が確定した後に。
再びルキナはその迷いに囚われてしまった。
いや、ルフレが消滅していた時は、そんな事を考えている余裕はそんなには無かった。
寧ろ、ルキナが未来を変えようとした事で、結果的に未来を変える為にルフレがその身を擲ってしまった事を……。
この時間の物心すら付いていない“ルキナ”から母親を奪ってしまった事、そしてこの時間に於ける“マーク”の存在が無かった事になってしまったかもしれない事に負い目を感じていた。
だから、ここに居るべきかどうかと迷う事はあまり無かったのだけれども。
ルフレが、再びこの世界に還ってきた時に、ルキナは再びその迷いと向き合わなければならなくなったのだ。
「どうしたら、良いのでしょうね……」
理屈で言うのであれば、この時間の“両親”が愛するべきなのはこの時間の我が子である。
ルキナにかまける事で、本来のこの時間の“ルキナ”がなおざりにされるなどあってはならない。
が、クロムもルフレも、本来の我が子では無いルキナの事も目一杯に大切にしようとしてくれていて……。
そして、離れて行こうとしてしまうルキナを、引き止めようとしてくれる。
その愛情を素直に受け取って、二人と一緒に過ごしたいと思う気持ちは確かにある。
マークの様に、素直に甘えられたら……とも思う。
だが……、どうしても最後の一歩を踏み出せない。
そんなどっち付かずの態度が、余計に二人を悩ませてしまっているのにも気が付いていた。
二人の傍に居たいのなら、ハッキリとそんな態度を取るべきだし。
反対にやはり関わるべきではないと思うのなら、それこそ置き去りにした“未来”に帰る方法を探すなり、異界を繋ぐ門を潜ってこの時間から立ち去るべきなのだろう。
しかし、ルキナはどちらも選びきれなかった。
本来の両親である“ルフレ”と“クロム”は、ルキナにとってはある日突然居なくなってしまったにも等しい人達であった。
二人が還らぬ人となった戦いの後でルキナの元に戻ってきたのは、満身創痍のフレデリクが何とか死守して持ち帰ってくれたファルシオンだけで。
二人の遺体は回収出来ず、“ルフレ”に至っては遺品すらも持ち帰る事が出来なかった。
“ルフレ”がギムレーへと成り果てさせられてしまった事を考えると、それも仕方が無い事であったのかもしれないが。
遺品も何も無かった為、ルキナには“ルフレ”が死んだ事を何処か実感出来なかった。
実際には、その時の“ルフレ”は死んではおらず……寧ろ死よりも惨い状態に置かれていたのであるけれども。
何にせよ、ぽっかりとそこに見えない穴が空いてしまった様な、そんな空虚な気持ちを抱えるしか無かったのだ。
若しかしたら生きているのではないだろうか、なんて淡い期待を抱きつつ。
だけれども、“クロム”の死の真相が、“クロム”が誰よりも信頼していた人に裏切り殺されたからだと……そんな噂を耳にして。
そして、“クロム”が誰よりも信頼していた人は間違いなく“ルフレ”だろうと、ならば“父”を殺したのは“母”なのだろうか、とそんな疑念を懐いてしまって。
どうしたら良いのか分からないまま、“ルフレ”に対する何処か空虚な気持ちを抱えてルキナは過去へとやって来た。
そこでこの時間の二人と出逢い、そして自分を追ってこの時間にやって来た“ルフレ”と対峙して。
そして、ルフレが“ルフレ”と共に消えるその瞬間を目の当たりにしていたと言うのに。
それでも、何処か“母”との別れを実感出来ないままであったのだ。
それもまたルキナの心を縛り、迷い悩み一歩も進めぬこの状況を作り出すのに一役買っているのであろう。
幾度目かも分からぬ溜め息を吐いていると。
「ルキナさーん!」
大声で名前を呼ばれ、そして誰かが急いで駆けてくる足音も聞こえる。
振り返ったそこに居たのは、やはりマークであった。
余程急いできたのだろう。
泉の畔にまでやって来たマークは、肩で息をする。
「良かったー、こんな所に居たんですね!
ルキナさんの足が速すぎて見失ってしまった時は、どうしようかと思いました。
ふぅ、見付けられて良かったです。
そろそろ夕暮れ時になりますし、暗くなる前に帰りませんか?」
にこにことそうマークは屈託もなく笑う。
ルキナは、それにどう返すべきか迷って、黙ってしまった。
ルキナの大切な弟……本当の意味でのたった一人ルキナに残された家族は、時を越えた影響からなのか、その記憶の殆どを喪っていた。
元々明るく快活な性格ではあったのだけれど、あの絶望しかない未来の記憶を喪った弟は、果たして同一人物なのかルキナですらも確信出来ない程に明るく天真爛漫になっていて。
だからこそ、ルキナは当初はその距離感を測りかねていた。
それは、この時間で再会して数年経った今でも、何処か戸惑いはある。
それでも大切な弟である事には変わらないのだが。
「そう、ですね……」
「さっきの事を悩んでいるんですか?
でも多分、母さんも父さんもそこまで気にしてないと思いますよ。
心配はしているかもしれませんけどね。
だからほら、早く帰って二人を安心させてあげないと……」
確かにマークの言った通り、もう陽は大分傾いているし、もうそろそろ夕暮れになるだろう。
この時期の夕暮れは早く短い。
そして夜になれば、フェリアの寒さが容赦なく襲ってくる。
こんな所で時間を潰していないで、もう帰った方が良いのは確かである。
それでも、ルキナはそんな気持ちにはなれなかった。
このままここに独りで居たいとすら……。
そんなルキナの気持ちを汲んだのだろうか。
マークはルキナの横にそっと座った。
そしてそのまま何を言う事もなく、ルキナに寄り添う。
ゆっくりと陽は山間に姿を隠そうとし初め、世界は燃える様な橙色に染まって行く。
流石に日が暮れたら帰らないといけないな……と、夕焼け空を見ながらぼんやりとルキナが思っていると。
「ルキナっ!! マークっ!!」
今のルキナにとって、一番顔を合わせるのが気まずいその人の。
“ルフレ”の声が、ルキナ達を呼んだ。
「母さん? それに父さんも、どうしたの?」
振り返ったマークが少し驚いた様な声を上げる。
気まずくても無視する訳になんていかなくてルキナも振り返ると、其処には確かにルフレとクロムが居た。
しかし、何時もならぴったりと寄り添っているのに、クロムは“ルフレ”から少し離れて“ルフレ”の様子を見守っている。
“ルフレ”は、何故か戸惑い躊躇う様な足取りでルキナ達に向かってくるが。
あと十歩程度の距離で、その足を止めてしまう。
「……っ」
呼び掛けようとして、しかし何かに躊躇った“ルフレ”は、途中で言葉を呑み込んでしまう。
らしからぬその姿にルキナが首を傾げていると。
何かに気が付いたのか、ハッとした様な顔でマークが“ルフレ”に問い掛ける。
「……“母さん”?
ねぇ、もしかして、“母さん”なの?」
「……ええそうよ、マーク……」
“ルフレ”が頷いた瞬間。
マークは弾かれた様に立ち上がり、地を蹴って一気にその距離を詰めて“ルフレ”の胸に飛び込んだ。
「“母さん”! “母さん”……!!
会いたかった、ずっと……ずっと……会いたかった……!」
「ごめん、ごめんね、マーク……。
あたしの所為で、未来があんな風になってしまって……。
ルキナもマークも、まだまだ幼かったのに……あたしは……。
あなた達には、本当に辛い想いを……」
「良いんです。
そんなの、もうどうだって良いんです……!
もう一度“母さん”に会えただけで、僕は……!!」
マークは脇目も振らずに泣きじゃくり、“ルフレ”へと縋り付く。
その様子にルキナは一瞬唖然としてしまうが、ふと、目の前の“ルフレ”がルフレでは無い事に気が付いた。
まさか、と……。
そんな事は有り得ないと思いながら、ルキナはその場に立ち竦む。
そんなルキナに目をやって、躊躇いがちに“ルフレ”はルキナの名を呼んだ。
だが、ルキナは、戸惑いと混乱からその場を動けない。
その様子を見た“ルフレ”は、少し哀しそうに微笑んだ。
「ごめんなさい、ルキナ……。
……あたしを赦せないのは、当然よね。
あなたには、本当に酷い事をしてしまったんだもの……。
それでも、あなたとマークに、どうしても伝えたい事があるのよ」
縋りついたまま泣きじゃくるマークの頭を優しく撫でながら、“ルフレ”はそう言う。
その微笑みに、その撫でる手の動きに。
ルキナは、大好きだった……だがもう二度と会えない『その人』の姿を其処に見る。
“お母様”、と思わずルキナの口からその言葉が溢れた。
それに“ルフレ”は少し驚いた様な顔をして、そしてルキナの心をギュッと締め付ける様な優しい顔をする。
「まだあたしの事を“お母様”なんて呼んでくれるのね……。
あたしは母親としては最低な人間だったと思うけど、それでも……嬉しいわ……。
ね、ルキナ。
あなたのお母さんとして、どうしても伝えたかった事があるの。
聞いてくれるかしら?」
何も言えないままルキナが黙っていると、“ルフレ”はそれを了承と受け取ったのだろうか、静かに話始めた。
「ルキナ、マーク……。
どうか、幸せになりなさい。
あたしは……あなた達に苦難ばかりを課してしまった最低な親だったけど……。
それでも、あなた達はあたしの……あたしとクロムの、一番の宝物なのよ。
それは、あなた達が何処にいてもどんな事をしていても、例え時間を飛び越えていても、絶対に変わらないわ。
あたしは、そして“クロム”も……あなた達の“幸せ”を願っている。
だからね、あなた達は自分の好きな様に生きなさい。
あなた達を縛るモノなんて、もう何処にもない。
あなた達は何処にだって行けるし、何処でだって生きていく自由がある。
この時間に留まるも、あの時間に帰るも……あなた達の自由よ。
何処に行くも、何をするも、何を選ぶも。
全て、自分自身の心に従って生きなさい」
泣きじゃくりながら頷くマークを愛しそうに見てから、“ルフレ”はルキナを真っ直ぐに見詰める。
「ルキナ、あなたは“自分は此所に居るべきではない”と思っているのかもしれない。
この時間には既に別の自分が産まれているんだし、そう思う気持ちが分からない訳では無いわ。
でもね、母親として一つだけ言わせて。
『そんな事は、絶対に無い』。
そこに居たいと、少しでもあなたがそう思うのならば、そこはあなたにとっては確かに居るべき場所なのよ。
自分が何処に居るべきなのかは、他人に言われて決めるモノでも、理屈で決めるモノでも無く、自分自身が決めるモノなのだから」
その言葉に、その微笑みに。
ルキナは堪えきれなくなり駆け出す。
そしてマークと同じように、“ルフレ”にしがみついた。
「“お母様”……!
私、私は……!」
「ルキナは頑張り屋さんで、自分の事よりも皆の気持ちを何時も考えているものね……。
だから、この時間の“ルキナ”の気持ちや、“クロム”や“あたし”の事を考えている内に、どんどんと分からなくなってきちゃったのよ。
でもね、あなただってもっと自分の気持ちに従って生きても良いのよ。
この時間の“あたし”も、クロムも。
二人ともルキナの事を大切に思っているんだから。
だから、ね?」
ボロボロと涙を溢しながら、ルキナは頷く。
よしよしと、そうルキナの背を撫でるその手は、遠い記憶の中の“その人”のものと全く同じであった。
「……もう、こうしていられる時間も終わりね……。
ルキナ、マーク……。
愛しているわ、ずっと……永遠に。
何時でも何処でも、あたしはあなた達を見守っているから……」
優しくそう言って笑いかけ、“ルフレ”はルキナとマークの髪を掻き混ぜる様にして頭を撫でる。
そして、“ルフレ”は二人の頬に優しく口付けを落とした直後に。
急に脱力した様に目を閉じてその身体をフラつかせた。
慌ててその身体を支えると、目を開けたルフレは少し混乱しながら辺りを見回す。
「あれっ?
えーっと、ここは……?
えっ?
何でルキナもマークもそんな泣き腫らした顔をしてる訳……?
どう言う状況……??」
「大丈夫か?」
困惑するルフレに、少し離れた場所で“ルフレ”とルキナ達を見守っていたクロムが近寄って声を掛けた。
混乱しつつも泣きじゃくったままのルキナとマークを抱き締めたままだったルフレは、クロムの姿に安堵した様に息を吐く。
「あっ、クロム……。
あなたからペンダントを貰った辺りから、どうにも記憶がハッキリしてなくて……。
えっと、何だかよく分からないんだけど……」
そんな二人のやり取りに、もう“お母様”は居ないのだと、そう悟り。
ルキナは益々涙を溢してルフレにしがみつく。
(“お母様”……私は、此処に居ても良いのですか……?)
自らの心に問い掛けたそれに答える人は勿論居ないが。
それでも、「勿論よ」と“ルフレ”が笑って頷いてくれた様な気がして。
そして愛しい“母”との別れを、今度こそ実感して。
ルキナは天を仰いで慟哭するのであった。
【Fin】
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