『FE覚醒短編集』   作:OKAMEPON

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『竜は少女の夢を見るか?』【上】

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 人は、本質的に自分と「異なるモノ」や、自分では「理解出来ないモノ」を拒絶する生き物だ。

「許容」出来る範囲を超えた時、その【差異】を持つ存在を自分たちの社会から排除し排斥しようとする。

 貧富の差、文化の差、宗教の差、種族の差……。

 人の歴史とは、拒絶と其処から生じた断絶による争いに今も昔も満ち溢れている。

 同じ集団に属していたとしてもほんの些細な切欠で拒絶される側になる事などこの世に数多く存在する。

 そしてそれはその集団が大きくなればなる程、拒絶の強さは際限なく大きくなっていくものだ。

 個人と個人では互いを理解し尊重し合える関係であっても、集団に帰属した途端に偏見に囚われ集合無意識的な憎悪によって他者を拒絶する。何とも愚かしく、だが集団を維持する為に常に付き纏うものが偏見と拒絶だ。

 個人個人の間に在る感情や情愛など、その大きなうねりの中では本当にちっぽけなもので。拒絶の悪意に逆らい切る程の力も無く踏み潰されてしまう事は珍しく無い。

 

 ……ただ、それでも。そんな拒絶の壁を越える事が出来るものがあるのだとすれば、それはきっと……──

 

 

 

 

 

 

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 絶え間無く襲い来る激しい痛みを伴った強烈な違和感に苛まれた、微かな呻き声と共に喘ぐ様な荒い息が、静寂に満ちた暗い夜の森に満ちる。

 痛みと恐怖に耐えきれずに地に倒れ込んでしまったルフレは、痛みからか霞む視界の中で。耐え難い苦しみから地を掻き毟っていた自身の指先が、鉄でも切り裂けてしまえそうな程に鋭く、そして大きい……人間では有り得ない様な形に変化して行くのを見てしまった。

 爪の変化と平行する様に、指先の皮膚を引き裂く様にして黒い鱗が飛び出して、指先から手の甲へ、そして手首へと瞬きよりも凄まじい速さで、人間としての己の手を侵食するかの様に生えていく。

 訳も分からぬ事態に直面しその恐怖から堪らず上げた悲鳴は、身体中が乱暴に掻き混ぜられ無理矢理に変えられていくかの様な悍ましさと息をする事すらままならない程の激烈な苦痛の中で無意識の内に荒げていた吐息に殺されて、何処にも届かない。……何かに届いていたのだとしても、それはきっと邪悪な「何か」なのだろう。

 その身を侵食し恐ろしい何かに変貌させていく元凶の様なその黒く硬い鱗を必死に毟り取ろうとするが、確かに己の身体から生えているそれは、引き千切る度に激しい痛みを伴いその傷口からは血が溢れてしまう。

 その痛みを無視してでも鱗を毟り続けるが、毟り取るその速さよりも遥かに速く鱗は身体を侵食していく。

 そして毟られた部分にも直ぐに鱗が生え直り、それどころか鱗に覆われた腕は次第にその形状すら人間らしい形から逸脱していき、鱗を毟る事も儘ならなくなる。

 変わり果てて行く手首の辺りから二の腕に掛けて、暗い虹色をした鳥の様な羽根と共に翼が形成され、手は鉤爪を備えた怪物的な形状へと変化していく。

 そして、その変貌は腕だけに留まらず、服の下をも侵食し、その身体の全てを造り変えようとしていた。

 背中を食い破る様に一際大きな翼がそこに生え、足は固い靴を引き裂く様にして腕に起きたそれと同様に怪物的な変貌を遂げていく。

 人間の姿を失っていく自身に恐怖しても、最早その変化はルフレの意思ではどうにもならないものであった。

「止めて、あたしを化け物にしないで」と、そう悲鳴の様に懇願する声を上げても、何も変わらない。

 ……予兆は、無かった訳ではなかった。

 それはきっと、未来からやって来たギムレー……いやもう一人の『ルフレ』が、『竜の祭壇』で邪竜ギムレーとしての力を取り戻し再臨した直後から始まってはいた。

 元より、ルフレと『ルフレ』は「同じ」存在であり、一度不可分な程に強く混ざり合った事で、その繋がりは単純な「過去」と「未来」の同一人物と言うそれだけには収まらないものにまで変化していたのだ。

 だからこそ、『ルフレ』が過去に戻った際に喪っていたギムレーとしての力を取り戻してそれを発揮したあの時。

 ルフレは確かに、自分の中の何かが変わった様な……何かの箍が壊れた様な気配を感じていた。

 だが、その時はそれに気を取られている様な余裕など無くて、己の失態で奪われてしまった『炎の紋章』をギムレー再臨の混乱の中で奪い返すだけで精一杯だった。

 そしてその晩改めて自分の身体を確かめた時は、時折身体が奇妙に微かに痛むだけで他には何も無かったのだ。

 しかし二晩目に姿見に映ったその姿は、妙に歯が鋭くなりまるで獣の牙の様な歯も生えていた。

 更には、元々それなり以上に敏感だった目や耳や鼻が更に研ぎ澄まされて。

 その時点で何かおかしいとは思っていたのだけれども。

 復活したギムレーに対抗する為の『覚醒の儀』への準備を押し進める事を優先して、誰にも言い出せなかった。

 ……尤も、誰に相談していた所でどうにかなるものであったのかはルフレには分からない事ではあるが。

 

 とにかく、ギムレーが復活して三日が経った夜半。

 眠る前に明日の行軍路を練っている最中、突如今までに感じた事もない様な身体の異常を感じ取り、思わず姿見で確かめたそこには。

 人間には存在しない筈の角が両側の米神から生え、真っ赤な瞳を爛々と輝かせている自身の姿があった。

 その角が、ギムレーのそれとよく似ている事に瞬時に気付いてしまったルフレは、咄嗟に天幕を抜け出して夜の森へと身を潜めたのだ。

 

 夜半にルフレの天幕を訪れる者などそう多くは居ないが、不意に誰かが来ないとも限らない。こんな異質に変わった自身の姿を余人の目に晒す訳にはいかなかった。

 ただでさえギムレーが復活してしまい、軍内部には緊張と動揺が拡がっているのだ。

 これからギムレーとの戦いを控えている状況では、これ以上士気を下げる訳にはいかず、自身がその要因になるなど到底容認出来る事では無かった。

 ルフレとて、何が起きているのか……これから先自身がどうなるのかなんてさっぱり分からず、恐怖と混乱の渦中にあったが、それでも軍師としての直観と判断から、何処かに身を隠すべきだと判断したのであった。

 

 

 少しでも野営地から離れる為に誰も居ない暗い森の中を彷徨う内にも、これ以上何も起こらないでくれと祈る事しか出来ないルフレの無力を嘲笑うかの様に。

 身体の変化は、無情にもルフレを襲い続けた。

 恐怖と絶望にも近い混乱の中で刻一刻とルフレは人間の形を喪い、終には異形の存在へと変わり果てて……。

 月明かりに照らされて暗い森に落ちた影は、その異形の姿があの邪竜のそれと極めて似ているものである事を、まざまざとルフレに見せ付けるのであった。

 

 どうして、と。

 声にはならない悲鳴をルフレは上げた。

 確かに、ルフレは「邪竜の器」としてこの世に生を受けた存在であり、ギムレーへと成り果て得る者だ。

 だが、ギムレーの『覚醒の儀』は行われてはいない以上、今ここに居るルフレはギムレーにはならない筈だ。

 しかし現実としてルフレの肉体は、あの邪竜に近しい恐ろしい異形の竜の姿へと変わり果ててしまった。

 ノノやチキと言ったマムクート達が化身する竜の姿とは似ても似つかぬその姿は、あの復活したギムレーの姿を見た者達の恐怖を煽るだけのものでしかない。

 

 大きさはアレとは比べ物にならぬ程に小さいとは言え、マムクートが化身した竜以上の大きさはあり、人間など容易く一呑みにしてしまえるだろう。

 恐らくあの邪竜と同様に三対に増えたのだろう眼は、光に乏しい中でも十分以上の視野をルフレに与えている。

 喉の奥に渦巻く様に凝る膨大な魔力は、ルフレが普段戦場で用いている最も強い魔法がまるで子供が練習で使うモノであるかの様に錯覚させる程に膨大で。

 それを破壊の意志の下に解き放てば、村や小さな町の一つや二つ、瞬く程の間も置かずして灰燼に帰すだろう。

 それは、人間とは余りにも似つかぬ「化け物」だった。

 こんな「化け物」の姿を見て、誰がそれを『ルフレ』だと気付いてくれるのか。そこに在る意識が『ルフレ』のモノだと気付いてくれるのだろうか。

 いや万が一『ルフレ』だと気付いたとして、それで今のルフレを受け入れてくれる事なんて有り得ないだろう。

「化け物」だと謗られルフレであると気付かれる事も無いままに攻撃される事も辛いが、『ルフレ』が変わり果てた存在だと理解された上で、人とは相容れぬ「化け物」だと拒絶される方が、ルフレにはより耐えられない。

 身体がこの様な「化け物」へと成り果てていても尚、その心は何も変わらず自身のままである事は間違いなくこんな異常事態の中では幸いな事であるのだけれども。

 そこにルフレとしての心と思考があるからこそ、より悪い方へ悪い方へと思考が傾きそこに囚われてしまう。

 

 ……もし、もしも。

 誰よりも愛しい彼に、その剣を向けられでもしたら。

 自分は、壊れ狂い果ててしまうのではないか、と。

 それは想像するだけでも耐えられない程に恐ろしい事ではあったが。それと同時に、そうなっても仕方が無い事なのだと、何処か諦めすらルフレは抱いていた。

 こんなギムレー擬きの姿に変わり果てた存在が、人々に受け入れられる筈なんて無いのだから。

 

 訳も分からない事態に混乱し、変わり果てた己を呪い、そしてどうする事も出来ないまま絶望に沈んだルフレは、ふと何者かが近付いて来ている事に気が付いた。

 こんな夜半の森で誰が近付いてきているのかはまだ遠い為に流石に分からないが、こんな異形の姿を誰の目であっても晒す訳にはいかないと言う判断は付く。

 音を立てぬ様に注意して三対の翼をぎこちなく動かし、夜の木々の暗がりへとルフレは身を潜める。

 このまま見つかりません様に、と。そう祈るが、幾ら暗がりに身を潜めていてもこの身体の大きさでは完全に身を隠す事は出来ず、気付かれる可能性は十分に有る。

 恐る恐る木々の間からこっそりと顔を出して、誰が近付いてこようとしているのか窺おうとしたその時だった。

 

 

 

「ルフレ、そこに居るんだろう?」

 

 

 

 誰よりも愛しくて、そして今は誰よりも顔を合わせたくない彼の──クロムの声が、夜の森に響く。

 

 

『──っ!!』

 

 

 恐れていた最悪の事態の可能性が瞬時に脳裏を過り、思わず小さな悲鳴を上げかけたが何とかそれを噛み殺す。

 だが、クロムはそれを聞き逃してはくれなかった。

 ……クロムは、こう言う時に限って何時も以上に鋭い。

 

 

「何でそんな所に隠れているんだ? 

 今夜は冷える、早く天幕へ戻ろう」

 

 

 そんな優しい言葉と共にルフレの方へと近付いて来ようとするクロムに、思わずルフレは叫んだ。

 

 

『ダメ、こっちに来ないで!!』

 

 

 その声は間違いなくルフレ自身の声であったが、同時に何処と無く恐ろしい唸り声の様な異音も混ざっている。

 本来の声すらも喪ったのかと、絶望が更に重なった。

 思いもよらぬルフレの鋭い声に、射竦められたかの様にクロムは一瞬立ち止まりかけるが。

 直ぐ様、ルフレの身に尋常ならざる何かがあったのではないかと、ルフレの元へと駆け付けようとする。

 そんなクロムの行動に、ルフレは思わずその場を逃げ出そうとするが、如何せん慣れぬ異形の身だ。

 咄嗟に翼を動かそうとするがどうにも上手くいかない。

 

 

「ルフレ──」

 

『こっちに来ないで! 

 お願い、あたしを見ないで!!』

 

 

 そうルフレは吼えるが、最早既に手遅れで。

 クロムは、ルフレの姿をまざまざと見てしまった。

 

 木々の合間から僅かに零れる月明かりに照らされたその姿は、どう見てもクロムのよく知るルフレではなくて。

 ギムレーによく似た……しかしそれに比べればずっと小型の、竜としか言えない異形の存在が、そこに居た。

 クロムは一瞬、驚愕の余りに言葉を喪う。

 驚愕の余りに思考が鈍くなりながらも、クロムの思考の中で冷静な部分は目の前の存在を観察する。

 

 大きさは間違いなくギムレーよりも小さく、竜の姿に化身した際のチキやノノと同じか少し大きい位だ。

 あの邪竜と違って角は少し短く、禍々しい気配は無い。

 そして何よりも。赤々と光る目一杯に涙を浮かべたその異形の存在は、クロムの姿に怯える様に震えていて。

『こっちに来ないで、見ないで、……嫌わないで』と、紛れも無くルフレの声で泣いていた。

 

 予想すらしていなかったその光景にクロムは衝撃を受けた様に立ち尽くし、そんなクロムの姿にルフレはますます拒絶される恐怖に怯える。

 

 

「ルフレ、なのか……?」

 

 

 そう絞り出す様に訊ねるクロムに、ルフレは違う、と必死に首を横に振った。

 

 

『違う、あたしは……あたしは……』

 

 

 ルフレは咄嗟に否定したものの、しかしそれ以上の言葉は続かない。元より混乱している為、どうすれば良いのかなんて皆目見当も付かなかった。途方に暮れた様に言葉を喪って、獣の様に小さく唸る事しか出来ない。

 怖くて怖くて、仕方が無かった。

 本心で言えば、クロムに縋り付いて泣き喚きたい。

 それでも、そんな事は出来ない。それも分かっている。

 

 そんなルフレの姿に。

 クロムとて何が起きているのかは理解しきれてはいないものの、目の前のこの異形の存在が『ルフレ』であるのだとそう直感で判断し、そして恐れる事なく近付いた。

 

 

「ルフレ……」

 

 

 硬い鱗に覆われたその長い首にそっと触れても、『ルフレ』であろう異形はクロムを攻撃しようとはしない。

 それどころか益々怯えた様に身を引こうとする。

 その反応に目の前の異形が『ルフレ』であると確信し、クロムは逃がさないとばかりに異形の身体を抱き締めた。

 優しく擦る様に、その首筋をゆっくりと撫でてやる。

 

 

「大丈夫だ、ルフレ。

 どんな姿でも、お前はお前だ。

 俺の一番大切な、ルフレなんだ。

 だからほら、……もう泣くな」

 

 

 そう言ってあやす様に声を掛けると。

 訳も分からない事態に怯え、異形となった自身に怯え、そしてクロムに拒絶される事に怯えていたルフレは。

 漸く少しだけ落ち着きを取り戻したかの様に、その身を恐怖に震わせる事を止めて。

 クロムに身も心も全て預けるかの様に、異形のそれと化している頭を擦り寄せた。

 

 その途端、異形の姿は解ける様に消える。

 そして、クロムは力強く抱き締め返された。

 

 

「クロム、あたし……あたし……。

 怖かった、の……。

 突然、あんな姿になって。

 嫌われるって。クロムや皆から、化け物だって言われると思って。怖くて……でもどうにも出来なくて……」

 

「そうか。

 ……だが大丈夫だ、ルフレ。

 お前がどんな姿になっても、俺はお前を愛している。

 何があっても、お前がお前である限り……。

 だから、もう泣くな……。

 俺は、此処に居る。ずっとお前の傍に居るから……」

 

 

 竜の姿が消えたそこに居るのは、確かにルフレだった。

 だが、頭には小ぶりながらも角が生え、その背からは大きな翼が生えている上に、剥き出しになった腕と足からも翼の様に羽が生え、……そして尾も生えている。

 人間と竜を混ぜ合わせて人型にした様なその姿は、見る者によっては『化け物』として映るのかもしれない。

 だが、クロムにとってはどんな姿であっても、それが愛しいルフレの姿である事には微塵も変わりは無かった。

 ルフレが何者であっても、この想いは変わりはしない。

 ギムレーの器であっても、人としての姿を喪っても。

 何があっても、絶対に。

 

 

「あんな、ギムレーみたいな『化け物』の姿になっても。

 それでも、あたしの事を愛してくれるの……?」

 

「ああ、勿論だ」

 

 

 例えもしあの姿のままであったとしても、ルフレを愛し続ける自信と覚悟がクロムにはあった。

 そして、『人』の枠組みから外れてしまったルフレを、人々の心無い悪意から守り通す覚悟も。

 何をしてでも愛し守り続ける覚悟を、目の前の存在がルフレだと確信した瞬間にはもう抱いていた。

 ……この先、様々な困難が押し寄せる事になるだろう。

 ルフレ程冴え渡る頭脳を持っていなくても、その程度の事はクロムにも分かる。それでも、尚。

 

 

 

「大丈夫だ、ルフレ。

 俺は絶対にお前を守ってみせる。

 何があっても、何をしてでも……」

 

 

 

 そう言い切ったクロムに、最も恐れていた絶望からは解放されたルフレは。生まれたばかりの赤子の様に泣きじゃくりながら、そっとしがみつくのであった……。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 泣きじゃくる内に緊張の糸が切れたのか、自身を襲った異常な事態への恐怖と混乱によって既に精神的に一杯一杯だったルフレは、クロムに縋り付く様な状態のままその腕の中で眠りに落ちてしまった。

 その為、クロムはそんなルフレの姿が人目に晒されない様に、身に付けていたマントを外してルフレにかけてその姿を隠してやり、優しく抱き抱えて人目が無い事を確認しながら自分達の天幕へと急ぎ戻る。

 不寝番など以外にはもう天幕の外を彷徨く様な者など殆ど居ない時間帯であった事も幸いして、誰の目にも留まらずにクロムはルフレを天幕に連れ帰る事に成功した。

 そしてルフレをベッドへと優しく横たわらせ、改めてルフレの姿を観察する。

 

 インナーの背を破る様な形で生えた翼はルフレの寝息に合わせて微かに震えていて、クロムが触れてみたところ鳥や天馬が持つ翼と限り無くよく似た質感であった。

 卓上のランプの明かりに鈍く暗い虹色の輝きを返すその翼は、その大きさこそ違えども、紛れもなくギムレーの持つ翼とほぼ同じものであろう。

 何時ものコートは脱いでいる為に露出した前腕から上肢にかけては風切り羽と思われる羽などが生えていて、それはまるで腕が翼へと変異しかけている所を途中で止めてしまったかの様な異質な見た目になっていた。

 足も腕とほぼ同様の状態である。

 その腰からは竜の尾が生え、リラックスしているからなのか力なくベッドの上に投げ出されていた。

 頭に生えた角は、ギムレーのそれと形はよく似ているのだがその大きさは短く小振りで、コートのフードを被っていれば誰にも分からない程度である。

 背の翼を優しく撫でてみると、フワフワとした質感が軽く抵抗する様に押し返してくるのと共に、擽ったがっている様な声が、眠っているルフレの口から零れた。

 尻尾も、間違いなくルフレの身体から生えている。

 

 クロムの服の裾を強く握ったまま何処か不安そうな表情で寝息を立てるルフレのその頭を優しく撫でてやり、クロムもベッドに腰掛けた。

 そして現状を整理し直して一つ溜め息を溢す。

 

 何がどうなってこうなったのか、クロムにもルフレ自身にも分からないのだ。

 ギムレーの様な異形の姿からは戻れたとは言えるが、人と竜が混ざった様な現在のルフレの姿も余人の目に触れさせる訳にはいかない。

 

 ルフレは、拒絶され嫌われる事を極度に恐れていた。

 ……それは無理も無い話である。

 クロムにとっては、竜の姿だろうと混ざった姿だろうと、それは全て等しくルフレであるのだし、どの様に姿が変わったとしてもそれで拒絶する事など有り得ない。

 しかし、それを他人に強要出来無い事は分かっている。

 ルフレのこの姿が人目に晒されれば、怯えて逃げる者や、拒絶しルフレを害そうとする者も出てくるだろう。

 それは、既に望まぬ変異に苦しめられ混乱するルフレの心を、更に深く傷付けてしまう。

 故に、この事は極力隠し通さねばならない。

 とは言え、このままクロムとルフレの間だけで抱え続けていける様な問題でも無かった。

 この事態に対応し何らかの解決手段を講じる為の知識が無いクロムとルフレだけではどうしようもないのだ。

 この事態には何らかの呪術の影響がある場合も考えられるし、もっと何か別の要因があるのかもしれない。

 一度、信頼出来る専門家の力を借りるべきであった。

 呪術に関する知識と才が豊富であり口も固くこの姿のルフレを見ても拒絶する事は無いであろうサーリャと、神竜ナーガの巫女としてその声を聴く事も出来る上に竜に化身するマムクートであるチキ。

 少なくともこの二人の協力は仰ぐべきである。

 

 しかし既に夜も更けて来た頃合いだ。

 彼女等はもう既に眠ってしまっているであり、幾ら異常事態とは言え彼女らを叩き起こすのは忍びない。

 そして何より、クロムも疲労からか目蓋が重たかった。

 

 

 明日の朝、彼女等の助力を仰ごうと改めて決めたクロムは、ルフレを抱き締めて眠りに就くのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 天幕の隙間から射し込む光と、朝を賑やかに彩る鳥の囀りによって、ルフレは目を覚ました。

 

 寝起きでまだぼんやりとした頭で軽く辺りを見回すと、クロムの寝顔が真横にあって。

 クロムの寝顔など、妻であるルフレにとっては最早見慣れたものであるのだが、つい何時も見惚れてしまう。

 クロムに抱き締められたまま眠りに落ちていた事に気付いたルフレは、まだ眠っているクロムを起こさない様にとこっそりその腕の中から脱け出そうとするのだが、クロムはかなり確りとルフレを抱き締めている様なので、ちょっとやそっとでは中々脱け出せない。

 悪戦苦闘しているその最中、ふとした瞬間に耳元で鳥が羽ばたく様な音と共に背中に奇妙な違和感を感じた。

 不思議に感じて背中の方へと視線をやったそこには。

 

 暗い虹色の光沢を持つ羽が生えた翼が広がっていた。

 

 

「────!?」

 

 

 その有り得ない光景に一気に意識が覚醒したルフレは、昨晩の自身を襲った異変を思い出す。

 そうだ、確か自分は異形の身へと変じて、それで──

 

 慌てて、ルフレは今の自分の状態を確認する。

 腕と足からは背中の翼にあるものと同じ様な羽が生え、腰からは自分の意思で動かせる尾が生えている。

 頭に手をやると、恐らくは角であろう硬く尖った何かが米神の辺りから生えていた。

 最後に、と。恐る恐る顔へとやった手は、何時もの人間の顔を触った時と同じ感触を返す。

 顔は異形と化していなかった事にはホッとしたものの、今の自分の姿は既に人間とは呼べないモノである。

 竜と人間とを無理矢理に混ぜた様なその姿は、やはり異形のものであると言えるのだろう。

 

 こんな姿を人目に晒す訳にはいかなかった。

 だが、どうすれば良いのか分からないまま、それでも取り敢えずクロムの腕の中から抜けようとしていると。

 

 

「ルフレ……?」

 

 

 ごそごそ腕の中でルフレが動いていたからか、クロムが目を醒ましてしまった。咄嗟に異形の身を隠そうとしても、クロムの腕の拘束がある為身動きは取れない。

 その為、ルフレには怯えた様に身を縮こまらせる位しか出来る事は無かった。

 だが、そんなルフレを見たクロムは苦笑して、抱き抱える様にルフレを抱き締め直した。

 背の翼をその手が優しく撫でる様に触れるのを感じ、ルフレは何処か擽ったい様な感覚に身震いする。

 

 

「大丈夫だ、大丈夫だからな、ルフレ。

 お前は恐がらなくて良いんだ」

 

「クロム、でも、あたし……。

 こんな……化け物みたいな……」

 

「化け物? そんなものが何処にいる。

 俺の目の前にいるのは、紛れもなく愛しいルフレだ。

 多少見た目が変わったって、それは変わらないだろ?」

 

 

 そう言いながらルフレを宥める様に撫でるその手は、何処までも優しくルフレへの愛に満ちていた。

 温かなクロムの手が、余りにも心地好くて。

 その手に縋って、この胸を渦巻く恐怖も何もかもを投げ出してしまいたくはあるけれど。

 

 こんな異形の姿の存在が、ここに居て良い訳が無い。

 

 ルフレが拒絶され迫害されるのは、致し方無い事だ。

 だが、事はルフレだけの問題に止まらないだろう。

 ルフレの夫であるクロムにも累が及ぶであろうし、ともすれば二人の愛娘である小さなルキナにまで人々の拒絶の悪意が及ぶかもしれない。

 ……クロムはイーリスの正統なる聖王であるのだし、ルキナもまた聖痕を宿した正統なる聖王家の者だ。

 ……それでも、拒絶や悪意の影響は少なく無いものであり、その未来に何かしらの翳りを落としかねない。

 そして、その可能性を看過出来る程、ルフレは妻として母として、身勝手な訳でも無責任な訳でも無い。

 だから幾らクロムがルフレを受け入れるのだとしても、このままその傍に居続ける事は出来ないのだ。

 しかし、このまま静かに何処かに身を隠す……と言う事もやはり不可能に近い事だ。

 聖王たるクロムの妻であるルフレが勝手に失踪するなど大問題であるのだし、今はギムレーを討伐する為にも軍師としてのルフレの力は必要不可欠であろうから。

 王妃としても、そして軍師としても。己の責を途中で無責任に投げ出す事なんて、ルフレには出来なかった。

 元の姿に戻る方法が何処かにあるのなら、何としてでもその方法を探したいが、今の状況では悠長な事は言ってられないしやってる余裕も無い。

 当面の間はこの異形の身を隠してどうにか誤魔化すより他に方法は無いであろう。

 

 幸い、背中の翼はそう大きなものではないから折り畳んでしまえばコートの中に隠してしまえるだろうし、念の為に包帯で身体に固定しておけば咄嗟に翼を広げてしまう様な事も起こらない。

 腕や足の羽も、包帯を巻けば誤魔化せるであろう。

 尾はズボンの中に入れておけば、コートを着ていればある程度は後ろ姿を誤魔化せる筈だ。

 角は、フードを目深に被っておけば十分に隠せる。

 不安要素は多々あるものの、何とか『人間』の姿を装えなくはない姿である事だけは不幸中の幸いと言える。

 何時までもそれで誤魔化す事は出来ないだろうが、ギムレーを討伐するまでの暫しの間を凌げればそれで良い。

 ギムレーを無事討った後は……それはその時にならなければ分からない事だ。

 ……このままの状態で王城に帰る事は出来ない。

 だが、あそこには大切な娘であるルキナがルフレ達の帰りを待っている。……ルキナの為を思えば、この様な異形の身のままではずっと一緒には居られないのだろうけれど。それでも……例え我が子を思うが故であったとしても、その顔を一度も見せずに失踪するなど、それはルキナにとって心の傷になりかねない。

 例え記憶には朧気にも残らないだろう程に幼いのだとしても、その経験が消え去る訳では無いのだから。

 だから、せめて。今だけでも、『人間』であると誤魔化し続けなければならない。

 

 そうして何とか『人間』の姿を取り繕ったルフレは、今日の行軍についての軍議を行うべく、クロムと共に天幕を後にするのであった。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 参加していた者達に異常を察知される事無く、他の問題が噴出する事も無く。恙無く軍議を終えた後、ルフレとクロムはサーリャとチキを自分達の天幕へと呼んだ。

 そして、大まかな事情を説明した後で、ルフレは異形と化した自身の姿を二人の目に晒した。

 クロム以外に自身の異形の姿を見せるのは、彼女等が決してそれを拒絶する事は無い事は承知の上でも、やはりどうしても緊張するし、その心には怯えもあった。

 とは言え、流石に驚かれはしたものの、二人とも『人』とは言い難くなったルフレを拒絶する様な事は無くて。

 しかし、ルフレの身に直接触れて様々な事を調べ終えた二人は、揃って浮かない顔をする。

 

 

「先ず最初に言っておくと、これは呪術に依るものでは無いわ……。『人』の姿を歪めてしまう呪術はあるけれど、その痕跡はルフレには見当たらないもの……。

 だから少なくとも、何かによって「歪められた」からその姿になった……と言う訳では無いと思うわ……」

 

 

 サーリャはそう言って、チキへと目をやった。

 それに頷いたチキが、言葉を選ぶ様にして話し始める。

 

 

「今のルフレは、ギムレーに近付いているのだと思う。

 勿論、『ギムレーの覚醒の儀』は行っていないから、あなたがギムレーそのものに成っている訳ではないわ。

 だけど、ギムレーの方へと引き摺られてはいる。

 恐らくそれは、ルフレとあのギムレーが、時間を異にした同一存在だから……と言う事以上に、二人が深く混ざり合い強く繋がっているからだと、思うわ……。

 だから多分だけど、力を取り戻したあのギムレーに引き摺られて、ルフレは『人』から外れてしまった……。

『竜』の姿になったのも、今の姿も、そう言う事……」

 

 

 ギムレーそのものではなくとも、ギムレーに近い存在。

 ……それは、『化け物』である事とどう違うのか。

 自分がその様な存在に変わり果てていた事への衝撃に、ルフレは言葉を喪った様に息を詰まらせる。

 顔を蒼褪めさせ俯く様にして黙り込んでしまったルフレを気遣わし気に見ながら、クロムは二人に尋ねた。

 

 

「あのギムレーが原因だと言うのなら、あいつを討てばルフレは元に戻るのか?」

 

 

 サーリャはチキへと目をやり、チキもサーリャへと視線を返す。そこで二人の間でどの様なやり取りがあったのかはルフレ達には分からないが……。

 二人ともゆっくりとではあるが揃って首を横に振り、少し言い淀む様な調子でサーリャが答える。

 

 

「……多分、無理ね。

 今の姿の状態で魂と肉体の両方が安定しているわ……。

 もし肉体の状態と魂の状態が乖離して歪みが生じているなら、変化した原因を絶てば戻るかもしれないけど。

 ……ルフレには、それが無い……」

 

「じゃあ、マムクートの皆みたいに、竜石に力と姿を封じる事は……?」

 

 

 何とか気を持ち直したルフレは、チキに訊ねた。

 この異形の姿を竜石に封じられるならば、力を解放さえしなければ『人』を装えるであろう、と。だが……。

 

 

「それも……多分無理だと思う。

 ギムレーの力は強過ぎて竜石の形で封じる事は困難で、無理に竜石を作ってそこに封じようとしても、逆に肉体と魂を歪めてしまうだけの結果になるわ……。

 下手すると、『竜』の姿のまま戻れなくなったり、或いはもっと歪んだ形で姿が定着するかもしれない……」

 

 

 元の『人』の姿に戻る事は不可能だと、一縷の希望すら絶たれたルフレは、衝撃を隠せないままに項垂れる。

 そんなルフレの姿に胸を痛めたチキは、気休めであろうと分かっていながらも何とか言葉を探しながら紡いだ。

 

 

「……ナーガに逢ってみれば、何か助言を貰えるかもしれないわ……。『覚醒の儀』の為にナーガには逢う必要があるから、その時に私からも訊いてみるから。

 ……ただ、何とか出来る保証は、無いのだけれど……。

 ……ルフレの様な状態になった人の事は今まで聞いた事も無いから……正直どうしてあげれば良いのか、私にも分からないの……。力になれず、ごめんなさい……」

 

 

 チキはそう言って、静かに目を伏せる。

 

 

「……謝らなくても良いのよ、チキ。

 あたしとクロムだけだったら、何が起こってこうなったのかすら、きっと分からないままだったもの……。

 原因が少しでも分かっただけ、有り難いわ……」

 

 

 苦しんでいる仲間の力になれない無力を噛み締めているチキに、ルフレは弱々しくも微笑む。

 三千年生きていようと、分からないものは分からない。

 前例が無いと言うのなら尚更の事。

 逆に前例が無いと言うのなら、絶対に戻れないと言う保証も無いと言う事だろう、と。ルフレは自分を励ます。

 それは空元気の様なものではあったけれど、そう考える事で幾分か心は上向きになるし、諦念を振り払えた。

 そんなルフレの様子を見て、静かに何かを考えていたサーリャが、ポツポツと提案する。

 

 

「……ルフレの姿を元に戻す事は出来ないけれど……、その姿を人の目から隠す事に役立つ呪いなら……。 

 私にも出来るわ……」

 

「……!」

 

 

 そんな事が可能なのだろうか、とルフレがサーリャを見詰めると、彼女は静かに確りと頷く。

 そして、但し、と付け加えた。

 

 

「何か隠し事をしている事に、違和感を持たれない様にする……と言うのが正しいわね……。

 流石に角や翼が剥き出しでは誤魔化せないけど、多少の違和感なら感じさせない様にする位なら……。

 それなら、ルフレにも負担は無いし、他の人に何か害がある訳でも無い……。それで良いのなら……」

 

「有り難う、サーリャ……。

 それがあれば、少しは安心出来るわ……。

 お願いしても良いかしら?」

 

「任せて、ルフレ。

 お守りとして渡しておくから、肌身離さず身に付けて。

 今から準備するから、今夜には渡せると思うわ……」

 

 

 そして、ルフレの姿を隠す為の『呪い』の準備をするべく、サーリャは先に天幕を後にする。

 それを見送ったチキもそろそろ自分も退出しようと席を立つが、懸念事項を付け加える様に振り返る。

 

 

「今はその状態で安定しているけれど、何かの切欠があればまた『竜』の姿になるかもしれない。

 その切欠が「何」になるのかは分からないけれど……、もしそうなった時の為にも、少なくとも暫くの間はクロムからはあまり離れない方が良いと思うの。

 クロムは、絶対にルフレを拒絶したりしない、何があっても、どんな姿でも、あなたを受け止めてくれる。

 クロムが居てくれれば、ルフレはきっと大丈夫よ……。

 だからどうか、クロムもルフレを守ってあげてね」

 

 

 少し憂える様な表情を浮かべながらも、チキは優しくそう言って、天幕を後にした。

 

 二人を見送ったまま立ち尽くしているルフレの背中を、クロムはそっと抱き締めるのであった。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 既に日は暮れて、夕食を終えた仲間達は思い思いに時間を潰した後で自分達の天幕へと戻っていく。

 あと数刻の内に、不寝番以外は皆眠りに就くであろう。

 

 何とか、自ら明かした二人を除いた他の誰にも異形の身を見抜かれる事無く、今日をやり過ごす事が出来た。

 その事に安堵し、ルフレは天幕に戻ってコートを脱ぐ。

 そして包帯を少し解いて翼を広げて解放感に包まれた。

 隠す為とは言え、翼を畳んだ状態で更に包帯で拘束するのはかなり窮屈なのである。

 本来人間には存在しない部位であるのだが今は紛れもなくルフレの身体の一部であり、あまり乱暴な扱いをするとそれは全て自分に返って来るのだ。

 この窮屈さに慣れるしかないのだろうけれど……。

 何とも言えない気持ちになりながら、ルフレは改めて背中の翼を検分する。

 ルフレの身体の大きさに対してはかなり小さいので、隠すのは楽であるがこの翼で空を飛ぶ事は難しそうだ。

 精々、高所から落ちた際に落下の衝撃を和らげる位の役割しか持てないであろう。

 実用性があるのかどうかで言えば、かなり微妙である。

 尤も、この翼が生えてから飛ぼうなんて一度も考えた事もないし、飛べなくても全く構わないのではあるが。

 

 尾もズボンから出して自由にしたい所ではあるが、コートを羽織れば取り敢えず隠せる翼とは違う為、急な来客に備えて外に人の気配が絶えるまでは我慢すべきだ。

 天幕に備え付けてある姿見で改めて確認したルフレのその姿は、やはり『人』と呼ぶには異質過ぎる。

 服などで隠して誤魔化しは効くのは幸いではあるが、それでも何時までも隠し通すのはやはり難しいであろう。

 王妃である以上公の場に出る事は避けては通れないだろうし、今はある程度は体型を誤魔化せるコート姿だからまだしも、正装だと角も翼も尾も曝け出してしまう。

 

 このまま元の姿に戻る方法も見付からず、姿だけでも『人』のそれに戻す方法も無いのであれば。

 ギムレーの討伐を区切りとして自分は表舞台から引くべきであろう……と、ルフレは考えていた。

 戦いの中で見目を激しく損なう程の傷を負ったとか、戦いで負った傷の療養の為だとかを装えば、公の場に顔を出さなくても良い口実にはなるだろう。

 だが、王宮の中に居る以上は、内奥に引き籠っていたとしても人の目に全く付かないと言うのも難しい。

 この事については、何処かで一度クロムと話し合う必要があるのだろうとルフレが考えていると。ふと。

 天幕の外から誰かが自分を呼んでいる事に気が付いた。

 

 サーリャかと一瞬思ったが、どうやらルキナの様だ。

 一体何の用だろうと思いながらも、ルフレは慌てて翼を畳んでコートを羽織り、フードを目深に被り直す。

 何とか『人』の姿を装い直したルフレは、姿見で違和感が無いかを念の為に確認してから、天幕の入り口を開けてルキナを招き入れた。

 

 

「こんな時間にどうしたの、ルキナ?」

 

 

 ルキナはルフレに似たのか中々鋭い部分があり、変に誤魔化すと逆に違和感を持たれてしまうので、それに注意しつつ努めて平常を装って、ルフレは用件を訊ねる。

 そんなルフレを前に何処か言い難そうにしながらも、ルキナは真っ直ぐにルフレを見る。

 

 

「今日のお母様は、少し様子がおかしい様に感じて……。

 いえ、私の気の所為だと言うのなら……何も無いのならそれが一番良いのですが……。

 もし何かあったらと思うと、どうしても心配で……」

 

 

 湧き上がる不安を抑える様に己の手を握りながら。

 ルキナは、心からルフレを案じてくれる。

 どうやら僅かながらも異変を悟られてしまったらしい。

 しかし、大切な娘であるルキナと言えども……いや逆に他らなぬルキナだからこそ。

 ルフレの身に起きた異変を知らせる事は出来なかった。

 

 今こうして目の前に居るルキナは、ギムレーによって滅ぼされた未来からやって来たのだ。

 ギムレーに対する恐怖や憎悪は、その未来を知らない者達とは比べ物にならない程に強いであろう。

 一度は激しい葛藤の末に、ギムレーの復活を阻止する為に母親であるルフレに剣を向けた事までもあった。

 他ならぬ実の母親こそが、己の世界を滅ぼし尽くし、そしてこの過去の世界でも滅びの未来へと導く為に暗躍したギムレーなのだと知った後は、激しく苦悩して。

 そして、目の前の母親は何れギムレーへと成り果て得る『ギムレーの器』であると知り、葛藤を抱え。

 それでも、どうにかそれを乗り越えて。己の実の母親であるギムレーを討ち滅ぼす事で、邪竜に囚われたその魂への手向けとする事を誓って、前に進んでいるのだ。

 そんな状況で、目の前に居る「母」までもが、ギムレーその物では無くともそれに近い『竜』へと変わり果て、そして『人』では無い『化け物』の姿になったと知れば。

 その心に再び絶望を与えてしまうかもしれないし、ギムレーへの恐怖や憎悪を蘇らせる事になるかもしれない。

 ならば徒にルキナの心を乱す必要なんて無いだろう。

 その為、ルキナに事情を明かすと言う選択肢は、ルフレにとっては最初から殆ど考えてはいなかった。

 

 

「特に何も無いから、きっと気の所為ね。

 でも、心配してくれて有り難う。

 ふふ……ルキナの様な親孝行な娘を持てて、あたしも幸せ者ね。とても嬉しいわ」

 

 

 よしよしとその頭を撫でてやると、少し気恥ずかしそうにしながらもルキナは嬉しそうに微笑む。その表情が愛しくて、堪らずルフレはルキナを抱き締めた。

 こう言った親子の触れ合いを得る機会をルキナは幼くして喪ってしまった為なのか、そう言った親からの愛に餓えながらも、ルキナはそれを前にすると戸惑った様な反応をしてしまうし、ルフレ達が城に残してきたルキナに遠慮するかの様にそれを避けようとしてしまう。

 親としては目の前のルキナも、城に残してきたルキナも、どちらも愛しい我が娘であり、『ルキナ』なのだけど。

 そうは中々納得出来ない気持ちも、理解出来ない訳では無い。だからこそ、ルフレはルキナを抱き締めるのだ。

 急に抱き締められ驚き慌てるルキナに柔らかく笑いかけて、ポンポンと背を撫でてから解放した。

 

 

「えっと、何も無かったのなら、良かったです……。

 でも、もし何かあったら、私にも言って下さいね。

 私、お母様の力になりたいんです」

 

 

 そのルキナの微笑みに、ルフレは真実を話した方が良いのではと一瞬考えるが……直ぐにそれを否定した。

 この純粋に親を想う眼差しが、仇を見る憎悪に染まる瞬間に……今のルフレには耐えられそうにない。

 だからこそ、このままずっと黙っていよう、と。

 ……しかし。

 

 

「あれ? お母様のその目……何だか少し……。

 何時もより、赤い様な……」

 

 

 ルフレの目の色は、元々赤味の強い紅鳶色であったのだが、今は鮮血で染め抜いたかの様な赤に変じ、その瞳孔はよく見ると『竜』の様な獣の目に変わっている。

 元の色が色だけに、近くにいても余程注意して見ていなければ分からない程度の差ではあるのだが……。

 

 心配そうな顔をしたルキナが、ルフレの目を覗き込む様に一気に距離を詰めてきた為に、急な事で気が動転したルフレは慌てて後退さろうとする。だが……。

 慌てた弾みに、ルフレは背中の翼を広げてしまった。

 

 

「えっ──」

 

 

 広げてしまった翼によってコートが異常な形に膨らんだのを見て、ルキナは呆気に取られた様な顔をする。

 その顔を、呆然とルフレを見るその表情を見た瞬間。

 何かの箍が外れた様な感覚が身体の奥から突き上がり、昨晩と同じあの異常な感覚が全身を駆け巡る。

 そして──

 

 

「な……」

 

 

 絶句した様に見上げてくるルキナが、嫌に小さく見え。

 慌てて辺りを見回した時に目に入った姿見には、ギムレーそっくりの『竜』が狼狽えている姿が映されていた。

 

 再び完全に『竜』の姿になってしまった事をルフレは咄嗟に理解したが、ルキナが無意識に腰に提げたファルシオンの柄へと手を伸ばす光景を見て固まってしまう。

 その光景に、そして恐らくは数瞬後に訪れるであろう未来を予測して、ルフレの心は恐怖と混乱で騒めく。

 

 

『待って、違う、違うの、ルキナ。

 これは、その──』

 

 

 何か言わねばならないと、そう思うのだが。

 混乱し動揺した今のルフレの頭では、適切な言葉などろくなものはこれっぽっちも浮かんでこない。

 

 違う、私は。ギムレーじゃない。違う。『化け物』。

 違う。騙すつもりなんて。違う。違う違う違う──

 

 互いに混乱し、それは場に混沌とした狂気を齎して。

 その混沌は、ルキナがファルシオンを半ば鞘から抜き放った瞬間に、破局へと転がり落ちる様に弾ける。

 天幕の中を照らすランプの光に白銀に輝くその刀身を目にした瞬間、ルフレの中で恐怖に似た衝動が荒れ狂い。

 喉の奥に凝る様に渦巻いた力の渦が、危険な程に熱を持った様にも感じる。だが、駄目だ。それだけは、駄目。

 数瞬先の恐ろしい未来を直感し、思わずルフレはそれを拒絶する様に固く己の瞼を閉ざす。

 ファルシオンの刀身が己の身を斬り裂く瞬間を覚悟して、その絶望に身を震わせたその時。

 荒々しい足音が響き、それが中に飛び込んで来た。

 

 

「ルフレ! 大丈夫かっ!?」

 

 

 息を切らして天幕へ駆け込んで来たクロムは、混沌とした状況には目もくれず、再び『竜』の姿となっていたルフレの頭部を力強く抱き締めた。

 大丈夫、大丈夫だから、と。

 力強くも優しく言い聞かせる様に呟くクロムの声に、ルフレを支配していた恐怖や動揺は少しずつ静まって、クロムへ己の全て委ねる様にそっと頭を摺り寄せる。

 

 突然状況の事に呆気に取られていたルキナであったが、父の危険な状況に気付き焦った様に声を上げて。

 

 

「お父様っ!? 危険です、離れて下さい……!」

 

「大丈夫だルキナ、こいつはルフレだ。

 何も危なくなんてない!」

 

「ですが、その姿はどう見ても……!」

 

「確かに見た目はそうかも知れない。

 だが、その心はルフレなんだ。だから、ルキナ。

 ファルシオンから、その手を離してくれ」

 

 

 クロムの言葉に、何処か躊躇う様にしながらも、ルキナがファルシオンを鞘に納める音が響く。

 その音にルフレが目を開けると、明らかに此方に怯えている様なルキナの表情が目に映った。

 そこに浮かぶ怯えと恐怖に、再びルフレの心は騒めく。

 娘に拒絶される恐怖が、胸の内に広がっていく。

 だが、その恐怖を取り除くかの様にクロムの手がルフレの首筋を撫で、それによって幾許かは闇が晴れる。

 何があろうとも自分を離さないでくれる心の拠り所が確かにそこにあると言う実感が、深い翳りに沈みかけたルフレの心を繋ぎ止めてくれていた。

 

 

「お母様……なのですか……?」

 

 

 あの邪竜を想起させる異形の『竜』へと変じたルフレを恐れてか、何処か躊躇いと怯えを含ませながら、恐る恐るとルキナは緊張で掠れる様な声音で訊ねてきた。

 その表情に、ルフレの胸の奥は鈍く痛むけれど。

 しかし、隠そうとして何も話さなかったのはルフレだ。

 何も知らないルキナに突然こんな姿を見せた方が悪い。

 だから、ルフレは胸の痛みを振り払う様にそっと頷く。

 

 

『ええ、そうよ。

 見た目は、こんなだけど……。

 あたしは、ルフレよ。

 ギムレーなんかじゃないわ……』

 

 

 身体は『人』のそれとかけ離れてしまっていても、心は『ルフレ』として培ってきたそれそのままだ。

 ……そうであると、ルフレそう信じている。

 いや、そうと信じるしかもう自分を保てない、と言うのが正しいのかもしれないが。

 

 その言葉に、そしてルフレを離さないクロムの姿に。

 迷う様にその瞳に躊躇いの色を浮かべていたルキナが、一歩前へと進んで、『竜』となったルフレの顔を、その目を覗き込む様に間近で見詰める。

 そして、何も言わずに静かに目を合わせ続けた。

 

 暫しの沈黙の後、ルキナは『竜』となったルフレの頭へと抱き付く様に縋り付く。その身体は震えているが、それは恐怖に依るものでは無くて。もっと複雑な感情が荒れ狂う様に渦巻いているからなのだろう。

 

 

「ごめんなさい、お母様……。

 お母様の目は、確かに私の知っている……大好きな私のお母様のままで……。なのに、私は……。

 一度ならず二度も、お母様に剣を向けようと……」

 

『……良いの。そんな事はもう良いのよ、ルキナ。

 あなたは何も悪くない……。

 あなたを恐がらせてしまうかもと……あなたに嫌われてしまうかもしれないと。そんな事を恐れて、あなたに何も言おうとしなかったあたしが悪いの。

 最初から説明していれば……。こんな姿を突然見せてしまった事が悪いの……だから気にしないで』

 

 

 そうルキナへと打ち明けた事で、ルフレの心に荒波の様に打ち寄せていた恐怖が鎮まっていくのを感じる。

 感情のうねりが凪いでゆくのとほぼ同時に、『竜』の姿は解ける様にして消え、ルフレは元の姿に戻った。

『化け物』のそれではあれど手と腕を取り戻した事を、何処か心が麻痺した様にぼんやりと受け止めながらも。

 ルフレは、改めてルキナを抱き締めた。

 すると、ルキナは抱き縋る様に抱き締め返してくる。

 

 

「お母様…………私は……私は……──」

 

「ルキナ……。良いの、もう、良いの……」

 

 

『異形』へと変じていたとは言え、母親に剣を向けた事への後悔に涙を流すルキナは、娘に拒絶されずに済んだ安堵から無意識にポロポロ涙を溢しているルフレを見て、ますます罪悪感に胸が押し潰されそうになる。

 そんなルキナを慰める様に、クロムはその頭を撫でた。

 そして、ルフレごとルキナを抱き締める。

 

 

「大丈夫だ。ルフレはギムレーじゃない、何があってもギムレーにはならない。そんな事、俺がさせない。

 どんな姿でもルフレはルフレだ。

 だからほら、二人ともそう泣くな……」

 

 

 あやす様にそう語りかけるクロムの言葉に、ルキナもルフレも互いに涙を零しながら頷く。

 ルフレの身に起こった異常を解決する術は未だ無いが、それでも。娘が母を拒絶し殺害しようとする様な未来は確実に回避された事は確かであった……。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

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