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「ルフレさん? 聞いてるんですか?」
ルフレの腕に身体を密着させる様に迫り、そう宣うルキナの眼は完全に据わっていた。
その吐息には酒精特有の匂いが漂い、思わずルフレは息を呑んでしまう。
逃がさないとばかりにルフレの頬を固定する様に掴むその手は、酔っている事を雄弁に示す様に常よりも熱い。
ルキナの傍には、気付けば何時の間にか空になった酒瓶が数個も転がっている。
それらの酒の銘柄を見て、ルキナが何れ程の量の酒精をその身に取り込んだのかをザッと換算したルフレは、その恐ろしさに冷や汗が止まらない。
何時も一緒に飲んでいた時は、戦時中で物資に制限があった事もあって、酔う事は無い程度の酒量だったのだ。
故にルフレはルキナの限界を知らないし、万が一酔った場合にどうなるのかも知らなかった。
ルフレ自身は所謂『ザル』だの『ワク』だの『うわばみ』だのと呼ばれる体質であるらしく、何れだけ飲んでもちょっと身体が温まってくる程度で全く酔わないのだ。
外交の場など酒を飲み飲まされる場に於いては有益ながらも、酒宴が開かれた際は酔い潰れた仲間達の介抱を必然的に行う事になり酔っ払いどもの面倒をみないといけなくなるこの体質は、ルフレとしては痛し痒しである。
また、その体質故に、一緒に飲んでいる人がルフレのペースに釣られて酒量のセーブを忘れてしまうと言う困った弊害もあった。
ルキナがここまで酒を飲んでしまったのは、ルフレの責任が大いにある……と言うか九割方はルフレの所為だ。
ルフレの体質による弊害もその原因の一つではあるが、もっと根本的な事を言えば、そもそもこの酒宴がルフレの生還を祝って開かれたものだからである。
凡そ二年前の事。
時を越えてまでこの世界にやって来ていた『ギムレー』を、ルフレは自らの存在と引き換えに討ち果たした。
この世界から完全に消滅したルフレが生還出来る確率は、何れ程多く見積もっても一割にも満たず……もっと率直に言えば「絶望的」だったのだけれども。
それでも、『また会いたい』のだと『皆と生きていたい』のだと。完全に消え去るその直前まで強く願い続けていたからなのか、クロム達もまた、『会いたい』と『帰ってこい』と願っていてくれたからなのか。
ルフレは、紛れも無く「ルフレ」として。
再びこの世界で生きる事を許された。
それは幾千万の願いと祈りが降り積もり折り重なりあって、漸く叶った「奇跡」なのだろう。
そして、「あの日」から凡そ二年の時を飛び越えて。
ルフレは再びクロム達と巡り会えたのだ。
そして、ルフレの生還を祝う為の仲間内での宴がこうして開かれた訳なのだけれども……。
宴が和気藹々とした雰囲気だったのは当初の内だけで。
今となってはすっかり、酒瓶が各所で乱れ飛ぶは、空気だけで酔う人は酔ってしまいそうな程に酒の匂いが漂っているわの、酒乱どもの狂宴の場と化していた。
まあ、寒冷地であるが故に酒豪が勢揃いしているフェリア勢が、フェリア特産の強い酒を大量に振る舞い始めた辺りでこうなるのは目に見えていたのだけれども。
豪胆な事で知られるフラヴィアとバジーリオの両フェリア王がクロムとロンクーとグレゴを巻き込んで酒樽を開けて酒豪勝負を繰り広げているのはともかくとして。
普段は恥ずかしがり屋で所作も淑やかなオリヴィエでさえ、ケロリとした涼しい顔で次から次へと強い酒を呑み干していっては酒、瓶を空にしているのだ。
その傍には飲み潰れた男どもが死屍累々の有り様で横たわっているのだから、最早ちょっとしたホラーである。
飲み慣れているガイアは度数が高い酒には手を付けず、ルフレとしては甘ったる過ぎて想像するだけでも胸焼けしそうになるのだが、甘い砂糖菓子を酒のつまみとしながら果実酒などの甘い酒を程好いペースで飲んでいた。
酔った勢いで上半身裸になって、ドニが愛用する鍋を奪いそれを被って踊り始めたヴェイクは、今やすっかり酔い潰れて酒瓶を抱きながら眠っていて。それを囃し立てていたドニとリヒトとソールも仲良く眠っている。
ヴィオールは恐らく酔ってはいないのだろうけれど、彼の場合酔っていても突然倒れる様にして眠るまでは言動はあまり変わらないので実際の所はあまり分からない。
リベラはやたら神に祈っているが、彼の場合は平常運転が既にそれなので、ルフレの目から見ても何処まで酔っているのかはほぼ分からないのが実情である。
ヘンリーは笑っていたかと思うと、パタリと眠ってしまっているのだが、その寝顔はとても幸せそうであった。
リズとマリアベルは微酔いで会話にに花を咲かせていて至って平和であるのだが。その横でブレディとノワールが泣きながら酒を飲んでいる為中々に混沌としている。
泣きながら何事かを愚痴っているティアモと、それに頷きながら何処からか取り出したペガサスの羽でティアモに羽占いをしてあげているスミアは恐らく完全に酔っ払っていて。更にその横では、酔っているセレナに無理矢理呑まされたロランが静かに酔い潰れて眠っていた。
酔ってきているのか、当初は良い鍛練の方法について意見を交わしていたソワレとデジェルは、いつの間にか料理の話題に花を咲かせているが、その内容はどう考えても料理の話には思えないのが空恐ろしい話である。
泣きながら愚痴っていたアズールに巻き込まれる様にしてハイペースで酒を飲んでいたジェロームは今は船を漕いでいて、シャンブレーは横で潰れる様に眠っている。
ウードは、酔ったシンシアと共に正義の味方として百八の必殺技を編み出さんと騒いでいて、それに巻き込まれた素面のンンが呆れながらも二人に付き合っていた。
少し離れた場所ではサーリャが一人静かに酒を飲んでいて、更にそこから離れた場所ではミリエルが酔っ払いどもの痴態を静かに観察している。
少し酒を飲んだだけで寝てしまったチキの面倒を見ていたサイリもまた、疲れた様にその横で目を閉じていて。
実年齢はともかく幼さ故に酒の類いは禁止されているノノは、酔っ払いどもと共にはしゃぎ疲れて眠っていた。
喧騒は好きではないベルベットは、酔っ払いどもが騒ぎ始める前に宴を抜け出しているのでここには居ない。
酔ったりなんだりして眠っている者達が部屋の隅へと運ばれて風邪を引かぬ様に毛布まで掛けられているのは、酔った勢いで乱痴気騒ぎを繰り広げている足元不如意な連中に踏まれたりしない様にと、セルジュやフレデリクやカラム辺りが気を遣ったのだろう。
なお、カラムはその疲れからか壁際に凭れ掛かる様にしてひっそりと眠っているのだが、相変わらずに存在感が薄く、その内に誰かが足を引っ掛けそうである。
そんな酔っ払いどもの狂宴の中、宴の主役でもあるルフレは、当初の内は入れ替わり立ち替わりやって来てはお祝いと称しては酒を飲み交わしていく仲間達に付き合ってかなりの量を飲んでいた。
そして仲間達が乱痴気騒ぎを繰り広げ始めた辺りから、恋人であるルキナと二人でのんびりと飲んでいたのだ。
が、ルフレもまた浮かれていたのだろう。
自分の体質の事をすっかり忘れて、何も気にせずにルキナと飲んでしまっていたのだ。
ルフレとしては「のんびり」であっても傍目から見れば、強い酒を途切れる事なく次々に飲んでいた様にしか見えなかっただろう。
そして、そのルフレのペースに釣られてか、ルキナもまた次々に酒を飲んでいて。
気が付けば、完全に酔っ払ってしまっているルキナの姿が、そこにあったのだ。
「ルフレさんは、酷い人です……。
私の事を好きだって言ってくれたのに……。
なのに、何も言わずに、私を置いて行くなんて……。
この二年間、どんなにルフレさんが居ない事が辛かったか、寂しかったのか……。
どうしてあの時、ルフレさんを止められなかったのか……、どんなに私が後悔していたのか……。
ルフレさんは、全っ然分かってないんです!」
酔ったルキナの言葉は所々呂律が回っていないけれど、それでも間違いなくその言葉はルキナが抱えていた……ルフレの選択が与えてしまった心の傷なのだと、そう誰よりも理解してしまったから。
「ルキナ……僕は……」
ポツリと溢したその言葉の先が、続く筈も無かった。
そこまでルフレは厚顔無恥にはなれない。
更には。
ルフレは、ルキナを哀しませてしまったのだと自覚しても尚、自分の選択を後悔している訳ではなかった。
あの時はあの選択が最善であったと今でも胸を張って言えるし、誰に何を言われようともそれは揺るがない。
仲間たちを哀しませようとも苦しませようとも……。
ルフレの選択を止められなかった後悔を、ずっと抱かせる事になろうとも。
自覚しているのだからこそ尚の事質が悪いのだと、ルフレ自身も分かっているけれど。
それでも、軍師として……一人の人間として、そして……愛する人が居る身であるからこそ。
自らに絡み付いている世の破滅への因縁を、この手で断ち切れるのなら……それを迷う事は出来なかったのだ。
だが、例えあの選択が間違いではなかったとそう思っているのだとしても。ルフレがルキナを置いて逝ってしまったのは紛れもない事実だ。
生きて帰れる見込みなど無いに等しい事を分かっていて、それなのにルキナには何も言えなかった。
死を覚悟していたのなら、せめてルキナの手を離してあげるべきだったのかもしれないけれど。
それなのにルキナの手を自分以外が取る事に我慢出来なくて……。それが尚ルキナを苦しめてしまうのを分かっていながらも、ルフレはギムレーを討つその瞬間までルキナの横に居たのだ。
だからルキナは、ルフレが消えていくその光景を、そして自分がそれに対して何も出来ない無力を、誰よりも近くで味わう事になってしまった。
それが何れ程ルキナを苦しめてしまったのかと想像するだけで、ルフレも胸が苦しくなる。
……だけれども。
ルキナを苦しめてしまった事に胸を痛めるのと同時に、ルキナのその苦しみが自分への愛の証である様に感じ……仄暗い喜びを感じてしまっている部分もあった。
それはきっと余りにも醜い独占欲だった。
……それをルキナに言う事は、絶対に出来ないけれど。
「ルフレさんは私が何れだけルフレさんの事を好きなのか、全然分かってないんです!
だからあんな事が出来るんです!
残酷で、薄情で、自分勝手で……!
だから──」
ルフレを詰る様に言い募っていたルキナは、そこで唐突に言葉を切った。
それにどうかしたのかと一瞬訝しんだルフレの後頭部を、躊躇なくルキナは鷲掴みにしてくる。
そして、何が起こったのかと固まってしまったルフレの頭を、自分に抱き寄せる様にして。
ルキナはルフレに深い口付けを交わした。
何一つとして心の準備なんて出来ていなかったが故に、強く情熱的なその口付けは剰りにも苦しくて。
ルフレは思わず抵抗しようともがくが、酔ったルキナは父親譲りの強靭な腕力を発揮して、そんなルフレの抵抗を力尽くで抑え込んでしまう。
蹂躙され尽くした果てにやっと解放されたルフレは、思わず咳き込んでしまう程に息を荒げてしまっていた。
そんなルフレを満足そうに見やったルキナは、再度ルフレの顔を掴む。
「これは酷くて自分勝手なルフレさんへの罰なんです。
私がどれだけルフレさんの事が大好きなのか、ルフレさんが大事なのか、ルフレさんを愛しているのか……。
骨身に沁みるまで、分からせてあげます……!」
そう言って、再びまた口付けを交わす。
今度は先程の蹂躙する様なものとは違って、何処か優しく……去れども、ルフレを逃がさないとばかりに何度も何度も激しくルフレを求めてきた。
先程とは違って僅かばかりの心の準備が出来ていたルフレは、ルキナが求めるがままにそれに応じる。
そして幾度となく及んだ口付けに満足したのか、やっとルキナが手を離した事にルフレが安堵した次の瞬間。
ルキナはルフレにキスの嵐を降らせてくる。
額に頬に瞼に首筋に、と。情事の際でも滅多にない程に情熱的なそのキスの乱舞に、ルフレとしては驚きの剰りに思考が停止してされるがままになるしかない。
酔ったルキナがキス魔になる事を知っていれば、ここまで酔う前に絶対に飲酒を止めていたものを……! と、
ルフレは今更過ぎる後悔をするしかない。
だが今更後悔した所でどうしようもなく、何度も言う様にルキナがこうなっているのはルフレの所為である。
甘んじてこのキスの嵐を受け入れるしか無い。
無い、……のだけれども。
キスの合間に自分を見詰めてくるルキナの潤んだ瞳が、熱い吐息が、伝わる熱情が、抑えきれぬ感情に震えるその手が。その何れもこれもが愛しくて、堪らないのだ。
こんな宴の席でもなければ即座に押し倒してしまいたくなる位に、今のルキナはルフレの劣情を激しく煽った。
が、そもそもここは宴の席であり、酔い潰れて寝落ちしている者も多く居るとは言え、人の目があるのだ。
ここでルフレが理性の箍を緩める訳にはいかない。
ルフレとしては節度を持ったお付き合いでありたい。
何よりも、フェリア王達に挟まれて酒を飲まされながらも時々こちらに視線を向けるのを忘れないクロムのその無言の圧力を、ルフレとしては流石に無視出来ない。
ここでルフレがルキナに流されて無体を働けば、即座にファルシオンが飛んで来るだろう。
奇跡的に生きて帰って来れたのである。
流石にルフレとて、命は惜しむ。
「ずっと、待ってたんです、私、ずっと……ずっと……。
ルフレさんは、帰ってくるって、私を置いていったり、しないって。信じて、探して……。
だけど時々、どうしても怖くて、我慢出来なくて……。
もう帰って来ないんじゃないかって、思ってしまって。
そんな事を考えていたから、ルフレさんは、帰ってこないんじゃないかって、もっと怖くなって……」
遂には浮かべた涙をポロポロと溢し始めたルキナを、ルフレはそっと優しく抱き締めた。
「違うよ、ルキナの所為じゃない。
ルキナは何一つとして悪くなんてない。
……ルキナが僕を望んでくれたからこそ、僕は帰ってこれたんだ。全部、君のお陰だよ。
だからほら、泣かないで……」
溢れ落ちるその涙をそっと指先で拭う様にして、ルフレはルキナに微笑みかける。
ルフレが帰還する迄に要した月日が、その奇跡を果たすのに、短かったのか長かったのかは、もう分からない。
どちらにせよ奇跡であるのは間違いないけれども。
しかしその奇跡が果たされる時までに二年に近い歳月を要したのもまた事実である。
待つ人にとってその月日は決して短くなんてなくて。
その分だけ、ルフレはルキナを苦しめ続けてきた。
見切りを付ける事が出来なかったルキナは、帰ってくるかさえも不明な待ち人をどんな想いで待っていたのか。
そして二年も待たせておいて漸く帰って来たルフレが。
それでも愛していると、そう言って貰える事が、そう想って貰える事が、何れ程の得難い奇跡である事か……。
「ルフレさん……。
もう二度と、私を置いて行ったりしないで下さい……。
何処にも、行かないで下さい……。
私はもう、貴方を喪う事には、耐えられない……」
「……うん、分かった、約束する。
……僕はもう、君を離さない……独りにはさせない。
ずっと傍にいるよ……」
涙混じりに訴えるルキナに、ルフレは静かに頷いた。
何れ「死」が互いを別つのだとしても。
それでも、せめてその時までは。
そして、何時か「死」に引き裂かれるのだとしても、魂だけでもその傍に。
ルフレの返事に漸く安心したのか、ルキナはルフレを抱き締めて目を閉じ、安らかな寝息を立て始める。
自分に身を預ける様にして眠る愛しい人の額に、ルフレは優しく口付けを落として。
ルキナを寝かせるべく、そのままルキナを抱き抱える様にして宴の場を後にするのであった。
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