アイスマンが手配してくれた客室で、俺は持参した資料を読んでいた。
アレクから聞いた《鋼》のことが気になっていたこともあり、竜殺し系の英雄に関する逸話を読んでいる。俺が魔王である限り出会う可能性はあるし、そうなれば死闘を繰り広げることになる━━━━そんな予感が話をされた時からぬぐえない。
それで調べてるんだが……《鋼》に属さない軍神もいたりして区別が面倒くさい。中国神話の蚩尤とかは竜に殺されてるくせに、戦と金属の神でもあるためか《鋼》に分類されてたり、怪物じみた見た目で殺しの呪術が得意な
大味すぎる分類に文句をたれつつも読み進めていると、遠慮がちなノックの音がした。念話がないってことはイレアナじゃないな。誰だ?
「入れ」
許可を出すと、開いたドアの先にいた人物が見えた────なんと、真剣な顔のアイスマンだった。
「アイスマン?どうしたんだ。何か問題でもあったのか?」
先ほどの異変はアレクが解決に向かったはずだぞ。あいつの手に負えないほどの事態だったとは考えづらいし、呪力の不規則な爆発が感じられないから神との戦闘でもない。一体何があった。
「貴重な休憩を邪魔してしまい、真に申し訳ありません。ですが我らの手には負えかねる事態のようですので、不躾であることは承知しておりますが、御身のご助力を賜りたく」
「アレクが向かったっていうのに、解決できない?どういうことだよ」
「そのことに関してお見せしたいものがあります。こちらへ」
イレアナとも合流し、アイスマンに案内されたのは魔術結社には不似合いなモニタールームだった。そのひとつに、なにやら巨大な────穴らしきものが映っている。これが原因か?
「我らが王と連絡が途絶えたので、急ぎ調査員を送ったのですが……この穴らしきものが周囲のものを吸い込んでいるらしく、迂闊に近寄れない状況です。王の気ままな行動は多いのですが、場所を探索しても全く結果が出ないというのは初めてでして。この穴に吸い込まれでもしたのではないかというのが現在の仮説ですね。こうなっては我々の手に余ると、この場にご足労願った次第です」
アレクが吸い込まれるほどの謎の穴。確かにこれは、人の手には余る問題だな。しかし、穴ねえ……似たような話を最近聞いたばかり。近くに神が顕現した様子もないし、十中八九クロだろう。
まさかこんなところで出くわすとは予想外だったが、これはむしろ都合がいいかもしれん。
「アイスマン、俺にはその穴の心当たりがある」
「何ですと!?是非ともお聞かせ願えませんか。神々の権能かと思っていたのですが、こちらでは特定できませんでした」
「これは神じゃなくてカンピオーネの権能だろう。俺がプリンセス・アリスから聞いた、アイーシャ夫人の権能と特徴が一致しているからな」
「あの洞穴の女王と呼ばれる方の……その詳細はご存じですか?」
「ああ。なんでも異界に通じる穴を開けると聞いたな。探索の術で結果が出なかったのも、それなら辻褄が合う。あいつのことだから、幽界に飛ばされた程度ならどうにでもなるだろうが────それ以外の場所だったりしたら戻ってくるのに苦労するかもしれんし」
俺の言葉を聞いたアイスマンは、腕を組んで考え始めた。
「なるほど、異界へ旅立つ権能でしたか。その手の伝承には条件がつきものですし、あの穴は何かが整ったときに開くものかもしれません。おそらく今夜の状況からみて、満月がキーとなるのでしょうな。となると夜が明けるときに消滅するでしょうし、それまでは我々にできることはなさそうです。遠山様、此の度貴重な情報を提供してくださったことに、心からの感謝を述べさせていただきます」
頭を下げて礼を言うアイスマンに、俺はとある提案をした。
「アイスマン、俺達があの穴の先へ行って来て、アレクを探すってのはどうだ?」
「……どういう理由でそうしようと思ったのか、お聞きしても?」
穏便に事が済みそうなところにこの提案をしたから、アイスマンは不満そうだ。表に出さないのは流石だが、内心では眉をひそめてるだろう。無理もないが。
「俺の事情は知ってるな?そのことでアリスにも相談したんだが、アイーシャ夫人の権能なら可能かもと言われたんだ。ただし、夫人の居場所が不明だから試すのは容易ではないとも聞いたから、保留にしていた案だった」
「けど、ここで見つかったのならこれを逃す手は無い。新たな情報も手にはいるかもしれんし、見ておく必要がある」
心の内を正直に話す。他にもアレクに借りパクされたマニアゴナイフを返してもらうのもあるが、ここで言っても仕方がないので伏せておく。アイスマンに罪は無いしな。
「御身の心づもりは解りました。武運をお祈りします。ここから移動するための足は必要ですか?」
俺の話を聞いて止めようがないことを悟ったのか、そう言ってくれるアイスマンに礼を言いつつ、
「心遣いはありがたいが、足は不要だ。『真紅の月夜』には俺が連絡を入れておくし、準備に必要なものもついでに転送してもらうさ。やってもらうことは特に無い」
「かしこまりました。私はこのことを結社の人員に周知しておきます」
話し合いが終ったので、部屋に戻った俺はクリスティアンに連絡する。
「という訳で、俺達はアイーシャ夫人の権能を体験することになる。何が起こるか分からんから先に言っとくが、俺達に何かあって戻らなかった場合はお前に一任するからな」
『承知いたしました。ご武運をお祈りします。そちらにお送りするのは血液と衣類、寝具類だけでよろしいのですか?食料や水も必要かと思われますが』
うーん。イレアナは吸血鬼だから食事も水も本来なら必要ないし、俺も権能を使えば同様だから気にしてなかったが……現地人と接触する場合にはカモフラージュや交渉材料にも使えるな。持っていっとくか。
「それも頼む。だが、召喚の術で取り出せる量じゃないと思うが」
『小分けにしておけば問題ありません。こちらで処理しておきます』
なら大丈夫か。これについてはクリスティアンに任せておこう。
一時間ほどで送られて来た荷物を転送して準備もできた。あとは向かうだけだ。
「行くぞ、イレアナ」
「はい。王様」
翼を展開して夜空に飛び立った俺達は一気に雲の下スレスレまで上昇し、莫大な呪力が放出されている方角へ飛ぶ。全速力で飛んだからか、すぐ平原に開いた例の大穴が見えてきた。
そのまま突っ込むことはせず、少し手前で地面に降りて進んでいく。
改めて間近で見ると、少し不気味だな。煌々と照る満月の光を反射することもなく飲み込む真っ黒の穴。まるで巨大な獣が口を開けてるみたいだ。
しかも凄まじい吸引力で周りのものを無差別に吸い込んでいる。その風の強さはかつてセーラが使った
俺達がその風に逆らわずに力を抜くと、すぐに足が宙に浮き、穴に吸い込まれていった━━━━のはよかったのだが、ここで問題が起きた。
「きゃあ!?」
「イレアナ!?」
俺よりも体格が小さいせいか、引っ張られたイレアナが予想以上のスピードで、俺に向かってぶつかって来てしまった。
眷族化で頑丈になってるが、それでも女子だ。そのままぶつかるわけにはいかないと両手で抱き止める。
丁度そこで穴に入り込むことになってしまい━━━━無重力のような妙な感覚を味わいつつ、内部へともつれこんでしまった。
カンピオーネの目でも見通せない暗闇のなかで、右手に何か……小さいながらもつきたての餅のような、もっちりした感触がある。
まさかと思いつつイレアナを見ると、顔を逸らされて、消え入るようなか細い声で言われてしまった。
「王様……抵抗はしないけど、時と場所は考えて欲しい……」
ってことはこれはやっぱり━━━━イ、イレアナの胸か!?このままにしとくと俺は主としての権限を乱用し、胸を触ろうとした変態ということに━━━━!?
「す、すまんイレアナ!」
慌てふためいた俺はイレアナを離し、少し距離をあけた。
「…………」
「…………」
そのまま二人して気まずい空気を醸していると、前方に星のような光源が在ることに気づいた。
それは見る間に近くなっていき、俺達を呑み込むほど大きくなっている。あれが出口か。
そう思った次の瞬間、俺とイレアナは光の輪をくぐり、風の吹きすさぶ熱砂の砂漠に降りたっていたのだった。