俺達が立っていたのは、遥か地平線まで続く砂漠だった。
およそ人の痕跡は無く、オアシスのような目印になりそうなものもない。砂漠といっても色々あるし、それによってどうするかも変わってくるから、人の影くらいは見つけておきたいんだが。
探索が長引きそうなので、脱水を防ぐために変化しておく。吸血鬼は本質的に死んだ人間━━━━所謂
「イレアナ、『魔女の目』頼めるか」
「任せて」
イレアナは召喚した食器を置いて水を張り、目を閉じてその場に腰掛ける。
少し経つと、張った水に航空写真のような風景が浮かび上がった。
これは魔女の血を引く者達だけが使えるという『魔女術』の一種で、視覚をあちこちに飛ばして遠隔地の情景を探れる術らしい。当然俺は使えないので、見たものを水面に念写してもらっているのだ。
水面に映る景色はどこまでいっても砂漠のまま。相当な速度で視界を動かしているはずだが、人も建造物もまるで見当たらない。
が、そのまま探索を一時間以上続けると、ついに人里を発見できた。
ここから数百キロ東に向かった位置に、ほぼ正方形に作られた壁がある。その中に家のようなものが複数見えるな。明らかに人工物だ。
材質はコンクリートでも石でもない。レンガかなにかか。家らしきものの数からして、数十人ほどの人が住んでるだろう。
まずはここを目指し、この近辺の情報を集めることにしよう。
「イレアナ、飛ぶぞ。案内を頼む」
「もちろん。こっち」
再び宙を舞った俺達は、東に進路をとり見つけた村を目指した。人の目が無いのをいいことに、かなりの速度で飛行する。
その甲斐あってか、中天にあった太陽が空を赤く染める頃には、村からさほど離れてない場所にたどり着いた。
それは良かったんだが、その際に気になるもの━━━━人工的な石板を見つけてしまった。
小さかったせいか上空から見えなかったそれは、花崗岩らしき岩で作られた長方形の石板だった。表面に文字 ━━━━ヒエログリフが彫られている。あと、太陽らしき円から多数の手がのびている絵が描いてあるな。
作られてからさほど時間が経っていないのか、傷は少ない。これなら判読可能なはずだ。
「イレアナ、この石板の文章は読めるのか?」
「読める。『これより先、アテン神よりアクエンアテンが賜りし土地なり』って書いてある」
アクエンアテンか……確か世界史で習った覚えがあるな。イクナートンの名でも知られる、世界最古の宗教改革者とも言われたエジプトのファラオだ。
「ってことはここはエジプト━━━━それも、アクエンアテンが遷都したっていうテル・アル=アマルナ近辺ってことか?」
そう聞くと、博学な魔女であるイレアナは、こくりと頷いて説明してくれる。
「古代エジプトの文字はヒエログリフ、ヒエラティク、デモティクの三種類に分けられるの。そのなかでもヒエログリフは国家的に重要なものにしか使われないから、これは間違いなく国が作ったもの。アマルナ付近にある、境界碑の一つで間違いないと思う」
「で、一つ気になるんだが……アクエンアテンが王だったのは紀元前のはずだ。そんな頃の遺物が、こうも綺麗に残るもんなのか?」
既に嫌な予想が頭に浮かんできてる。これが当たってたら、相当厄介なことになるんだよなあ……
「王様が言った通り、大抵は破損しているはず。だけどこうして綺麗なままということは……」
言い淀むイレアナの様子に、俺は予想が当たっていると確信してしまう。
その予想とは、俺達は過去のエジプトに足を踏み入れてしまったというもの。荒唐無稽の極みのような仮説だが、魔王の━━━━それも、古参のアイーシャ夫人の権能だ。有り得てもおかしくない。
「ちなみに、アクエンアテンの治世はいつか知ってるか? その頃の風習とかも教えてくれ」
「アマルナに遷都したのは、紀元前一三六五年ごろ。王が在位していたのがそこから十数年ほどだから、その期間のどこかのはず。あと、古代エジプトでは金銀銅を通貨代わりにしてたけど、物々交換も多かったから、パンとかでものを手に入れられると思う」
「それは不幸中の幸いだが、過去の世界のパンと現代のパンじゃ違うだろ? そこは大丈夫なのか」
過去の世界じゃ酵母からしてちがうだろうし、もはや別物だと思うんだが。
俺の質問に、イレアナは痛いところを突かれたように顔を逸らした。
「……この頃のパンには砂や石の欠片が混じってたらしいけど、怪しまれないのはそれぐらいしかない」
い、石や砂……それじゃ俺が昔作ったキンジシリアルのほうがマシなんじゃないか?
だが、他のものはもっとマズイ事態になりそうで怖い。パンは食ってしまえば証拠も残らないが、他のものであればそのまま後世に残りかねない。
数千年後の物品ともなれば、完全にオーパーツだ。現代まで保存されるだけならまだしも、余計な技術の発展まで起こったりしたら、歴史が乱れるかもしれない。
俺の思いすぎで済めばいいが、そうでなかった時の危険が大きすぎる。この世界で過去の改変なんてSF染みた実験、やらないに越したことはないからな。
「それで、王様。あの村に向かうの? 私も流石に、古代エジプトの言語は話せないから、話せるようになってから接触したほうが良いと思う」
「でも『千の言語』だって人と同じところで過ごさなきゃ使えんぞ。閉鎖的な可能性が高くても、村に行かないと始まらんだろう」
『千の言語』とは上級魔術師やカンピオーネがもつ特異体質のような魔術で、未知の言語であっても数日間人と過ごすだけで修得できるという、超絶便利な代物だ。俺はカンピオーネに転生したことで、イレアナは俺の眷族となったことで霊格が上がり身に付いたらしい。
だが、これは人をのんびり眺めてるだけじゃ発動しない。人と交わり、少ないとはいえ時間をかけなければならない。
その事を指摘すると、イレアナは少し考え……こう提案してきた。
「なら使い魔を村に入れて、情報収集と言語の修得を目指すというのはどう?言語は最低限話せたほうが、住民との交流も上手くいくと思う」
使い魔か……! そうか、その手があった。何も俺たち自身が乗り込む必要はなかったんだ。野宿することに目をつぶれば、それだけで言語の習得ができる。今回は寝袋や食料も持ってきているし、近くの崖にいくつか洞窟もあった。野宿は十分に可能だ。
「じゃあそれでいこう。言葉を話せたほうが便利なのは間違いないからな」
そして洞窟の一つに野営し、村の様子を探って数日が経った。その調査により、言語の習得以外に次のような情報が得られた。
俺たちが見つけた村はどうやら、墓職人が多く住む村らしい。遷都により王や高官の墓も作る必要が出てきたために、墓職人が集められたのではないか────というのがイレアナの見解だった。
そのほかに、村にいる子供の間で熱病らしき病気が流行っているらしいことも分かった。正直、並行して行っていた調査で王都らしき大都市が見つかったから、村へ向かう理由はなくなったんだが……流石にこれは放置できない。
「イレアナ、霊薬は病気にも効くのか? 効くんだったら分けてやりたいんだが」
「霊薬は病気にはあまり効かない。精々体力を回復させるくらい。それに、これから先に何があるのかわからないのに、手持ちの霊薬を使うというのは……」
俺の頼みに、イレアナは難色を示しているな。これは霊薬が惜しいというより、俺の身を案じているかららしい。
確かに、これから先顕現した神や、当時のカンピオーネと戦う可能性はある。そんな非常時に備えて薬をとっておき、俺を最大限にバックアップしたいってことなんだろう。
俺の眷族としては正しいんだが、俺自身がそれには納得できないな。そのことは念押ししておこう。
「気持ちは嬉しいが、俺は助けになるんなら迷い無く分けるつもりだ。その他になにか使えそうなものはあるか?」
「薬草を使って薬を煎じることはできる。私も魔女の端くれだから、通常のものより効果は高くなるはず」
イレアナも子供達を放っておくのは気が咎めるのか、そこはすぐに答えてくれた。
ふうむ。薬を作れるなら今のうちに用意しておいて、村に入るときに役立てるとしようか。ただの旅人ととして村に入るより、薬を持っているほうがウケも良いだろうしな。
というわけで、村に向かうのは少し延期し、必要そうな材料を集めてから入った。
昼に入ったこともあり、村は閑散としていた。働き手である男たちが外に行き、女性と子供しか残っていないからだ。そのうえ子供たちが病気となれば、自然と人気もなくなる。
しばらく待っていると、家の一つから女性が出てきたので、呼び止めて泊めてもらえないか聞いてみる。
「すいません。旅のものなのですが、どうか泊めてもらえないでしょうか」
「悪いけれど、こっちはそれどころじゃないんだ。子供が病気にかかっちまってね」
やっぱりすげなく断られたか。それにしても、あからさまに外国人の俺達に一歩も引く様子がない。勝気な見た目通りの、肝っ玉母さんなんだろう。
「それでしたら、我々のもっている薬をお譲りしましょうか。その代わりといっては何ですが屋根の下で眠らせていただきたいのです」
そうイレアナが言い添えると、相手の目の色が変わった。よっぽど切羽詰まっていたらしい。
「それは本当かい!? それだったら、ぜひ手を貸してほしい」
そのまま案内された家に上がらせてもらい、患者らしい男の子の容態を見る。マラリアみたいな感染症だったらやばかったが、イレアナが言うにはそういう類ではなさそうらしい。そこは幸運だったな。
そのまま薬を飲ませると、親であるエレトさんから護符を作ってくれと頼まれたので、イレアナが製作を買って出たなんて一幕もあった。
そしてその夜、俺達はエレトさん一家と食卓を囲んでいた。
イレアナが処方した薬が効いたらしく、子供の調子がよくなったので、そのお礼をしたいと言われたのだ。何でも、医者は王都にしかおらず、子供を連れて行くことも出来ずに難儀していたらしい。
そこへ俺達がやって来て、効く薬をくれただけでなく護符まで作ったものだから、すっかり感激されたって訳だ。
……よくよく考えると、俺はこっち来てから何にもしてないな。イレアナにおんぶにだっこだ。いかんな。これじゃまるで、俺がヒモみたいじゃないか。
「いやはや、此度は本当に助かりましたわい。このとおり、お礼申し上げますぞ。イレアナ殿、キンジ殿」
そう言って頭を下げたのは、この家の主であるメリラーさんだ。三十歳ほどの髭が目立つ色黒の男性で、墓職人をやっているらしい。
「他の子達にも処方するつもりなので、数日ほどご厄介になるかもしれません。構いませんか?」
「我が家で良ければ、好きなだけ居てくだされ。何なら、この村に居着いてくださっても構いませんぞ」
イレアナにそう返した、メリラーさんの顔は本気だ。現代とは比較にならないほど衛生観念や医療が未熟な時代だから、腕の良い薬師は貴重なんだろうな。
「イレアナ、何か必要なものはあるか? あるなら取ってくるぞ」
なけなしのプライドを守るべく、手伝いを申し出た俺に、イレアナは少し考える仕草をして、
「なら、水牛の皮を取ってきて欲しい。護符の材料が足りないから」
「分かった、明日狩ってくる。一頭でいいか?」
それを聞いたエレトさんとメリラーさんが、ギョッとした目で俺達を見る。どうしたんだ?
「キンジ殿、たった一人で獣を狩られるつもりですかな?それはあまりに危険なような……」
危険……? ああ、確かに
「大丈夫ですよ。これでも旅をしているうちに、腕が立つようになりましたから」
俺の言葉に、二人は呆気にとられている。ホントに今の俺には問題ないんだけどなあ。むしろ、権能のせいで獲物が逃げるんじゃないかと心配なんだが。
「そ、そうですか。ところで、お二人は何故この地にこられたのですか?」
やや引き気味の笑顔で、話題を変えたメリラーさん。思った以上に不気味がられたかな。都合がいいから乗るけども。
「同郷の者が二人ほど来ていると噂で耳にしまして、その者達に会いに。女性と男性が一人ずつ居るという話なので、何か知っておられるならお教え願いたいんですが」
同郷の者とは勿論、アイーシャ夫人とアレクのことだ。二人ともカンピオーネだから、何かしらの騒ぎは起こしてるだろう。それらしい噂でも教えてもらえれば儲けものという程度だけど、一応訊いとく。
「男性については存じ上げないですが、女性ならば心当たりがあります。数ヶ月ほどまえから、採石場や作業現場でパンを配る手伝いをし、怪我人が出れば即座に癒す貴夫人がこの地にいらっしゃったとか」
予想だにしない答えが返って来た。
怪我を即座に癒すだって? 前に聞いた話じゃ、治癒系の術を使ってもすぐには治らないはず。イレアナのような優れた術者でも、それは変わらない。
有り得ないことを起こせる━━━━そんな真似ができるのは、神か神殺しの権能くらいだ。女性という情報からしても、アイーシャ夫人の可能性が高いな。
「その女性が訪れるという場所を、お聞きしても?」
「幾つかある現場を日毎に見て回っているそうです。人足に聞けば教えてくれるでしょう。職業柄その辺りの人間には顔が利くので、お会いするのなら引き合わせますが」
「お願いします」
ありがたい申し出だな、これは。こっちに知り合いなんていないから、人から情報を
得るのは難しいかと思ったんだが……これもまた、一つの因果応報かね。
「じゃあ、あたしは食事の提供でもさせてもらおうかねえ。外に出ることも多そうだし、その時の弁当くらいは作るさね」
「そんな……そこまでしていただくのは心苦しいです」
エレトさんの剛毅な言葉に、イレアナが待ったをかける。まあ、物々交換が基本の古代エジプトで他人に物をあげれば、それだけ自分達の首を絞めることになるからな。俺達の食料が潤沢である以上、折角助けた人達が貧窮するような事態は俺もイレアナも避けたいし。
「そんなに言うなら、家事を手伝ってくれないかい? 看病してたから、溜まっててね。ちょうど人手が欲しかったのさ」
「……分かりました」
何でもないように答えたイレアナだが、少し声が硬い。なんかありそうだな。
《イレアナ。お前が家事やってるの、見たこと無いんだが。出来るのか?》
《料理以外ならできる……はず》
念話で問いただすと、案の定不安な答えが返ってきた。どうしよう。俺の周りには
そんな不安を残しつつ、古代一日目の夜はふけていくのだった。