古代エジプトの村を訪れてから数日。俺達は専ら子供達の治療や護符の提供をやっていた。
俺がイレアナの要求通りに水牛を狩ってくると、久しぶりの肉に村中がお祭り騒ぎになったり、予想以上の患者が王都から噂を聞いてやって来たりと色々あった。そのなかでも一番大きかったのは、この病に神々が関わっているらしいと分かったことだな。
イレアナが作ったポピュラーな病返しの護符があまり効かず、太陽神に由来する護符を新たに作る羽目になったんだが……イレアナが言うには、冥府か大地に関わる神がこの熱病を引き起こしているため、最初に作った護符が効果を発揮しなかった、ということらしい。
それにしては、死者が続出しているわけでもないし、妙に大人しいんだよな……神が関わってるんだとしたら、既に王都ごと壊滅しててもおかしくはないし。
ともあれ、治療を続けていると━━━なんと、アイーシャ夫人の方から俺達に接触してきた。
なんでも、夫人はやはり癒しの権能を持っているらしく、彼女自ら病人を癒していたという。その際に俺達のことを聞いたので、力を貸して欲しいとのことだった。その約束の日が今日だ。
「あなた達が遠山さんと、イレアナさんですね? アイーシャと申します~」
朗らかな声でこちらに挨拶してきた、十代に見えるインド人の少女こそ━━━現代に君臨する七魔王のなかでも、最古参の部類に入るアイーシャ夫人その人だ。
それにしても、仰々しい肩書きなのにまるで威圧感がない。そこら辺の女子高生に混じって、ガールズトークとやらをやっていてもおかしくなさそうだ。
だが、そんな外見とは裏腹に、首筋にチリチリと燻るような危機感を感じる。ドニのようなあからさまにヤバイやつというよりも、アレクのような変化球タイプだろう。後ろの親衛隊らしい連中を見れば予想がつく。
アイーシャ夫人の後ろに立つ数十人ほどの一団が、こちらに突き刺すような殺気と視線を放ってきてるんだからな。どう贔屓目にみても、協力者に対する態度じゃない。
全員がそこらにいそうな素人のはずだが、この殺気と闘気は異常だ。アイーシャ夫人の権能か何かのせいだろう。
「お初にお目にかかります、アイーシャ夫人。このようなところで謁見が叶うとは、私にとって望外の喜びでございます」
「あらあら。イレアナさん、そんな礼なんて要りませんよ。わたくし達は仲間どころか、もうお友達じゃないですか~」
跪き、騎士として最高の礼を尽くしているイレアナだが━━━━アイーシャ夫人は全く頓着してないな。正真正銘初対面の人間を友達呼ばわりするあたり、この図々しいとも言える人間性が夫人の特徴で間違いないだろう。正直、関わりたくないなあ。
「
未来から来た現代人であることを言外に告げるため、敢えてカンピオーネと名乗った。
「まあまあ、新しい後輩さんだったんですか! 家族が増えたみたいで嬉しいです!」
子供のようにはしゃいでいるアイーシャ夫人はとても
「現代に帰ったら
「あ、あのう。お兄様やお姉さまというのは、もしかしてヴォバン侯爵と羅濠教主のことですか……?」
イレアナが恐ろしい予想について恐る恐る問いただすと、アイーシャ夫人はあっけらかんと、
「あ、そうです。二人とも偏屈で厳しいことばかり普段言うんですけど、本当はいつもわたくしを見守ってくれてる優しい人達なんですよ~」
……気まぐれで都市一つ吹き飛ばす男と、自分の姿を見ただけで処刑すると聞く魔王をつかまえて、優しい人呼びって……しかもこの様子から察するに、こんな世迷い言を本人達の前で言ってるな。なのに五体満足で無事。
これが意味することは一つ。歴戦の最古参達ですら、アイーシャ夫人を不用意に相手取るのは避けてるってことだ。関わりたくない人間じゃなく、関わっちゃいけない人間だった……!
完全に地雷を踏んだことに気づいた俺が、内心頭を抱えていると、相変わらずアイーシャ夫人がのほほんと宣う。
「お兄様なんかは最近退屈してましたから、後輩ができたと聞いたら喜ぶと思いますよ~。何ならお会いします?」
「お願いですからやめてください」
それってアレだろ? 狩りの獲物にちょうど良い、って理屈で殺しに来るやつだ! 冗談じゃない! 総帥に就任したときに戦うかもとは思ったけど、こんなアホみたいな理由で戦ってたまるか!
「そ、それで、出発は明日ですよね。時間などはどうなさいますか?」
これ以上夫人を好きに喋らせまいと思ったのか、イレアナが合いの手を入れる。よかった。助かった。
「そうですね、軍の皆さんが揃うまで待っていただくことになりますから、正午ごろになります」
「ぐ、軍とは……?」
聞きたくないという感情を、無理やり押さえつけて訊くと━━━━
「ファラオがわたくしのことを『アテンの巫女』と呼んでまして。人々を助けに行くなら我が軍を貸す、と仰ってくれたのです。それでお言葉に甘えて用意してもらったんです」
と、再びの爆弾発言。……なんか、心が死んでいくのを感じるぞ。ああ、ストレスで胃が痛い……!
「アイーシャさん。それって普通有り得ないと思うんですけど、なにか権能を使いました?」
「ええ。心ならずもイシュタル神を殺めてしまった時に得た権能なんですが、仲良くなろうと思って色々使っちゃいました」
テヘペロ、とでも擬音がつきそうな仕草をしたアイーシャ夫人だが、俺達は全く笑えない。要するに、魅了の権能をファラオに使ったってことなんだからな。
この時代において、ファラオは正に絶対者と言える存在だ。特にこの時代は王の依怙贔屓が酷く、出世も失脚も王の心積もり一つで決まったという。
おまけに、この人はファラオにアテンの巫女として認められている。ということは王自らが、アテンと自身に次ぐ地位に就く者としてアイーシャ夫人を認めてることになる。早い話が、今の彼女は王族に匹敵する権力と地位を持ってるVIPだ。
だが、それ以上に危険なのは━━━━魅了の権能を持つアイーシャ夫人が、本気でアテンの巫女としての活動をすることだ。こうなったが最後、
《イレアナ。アクエンアテンの宗教改革がもし成功したら、どんな影響が出ると思う?》
《考えたくもないけど、後代の歴史は大きく変わって、確実にエジプトの他の神々は駆逐される。あと、一神教の原型とも言われてるから、キリスト教、イスラム教の両方に大きな影響が出るかもしれない……》
あまりの事態に、イレアナからの念話の声が震えている。かくいう俺も、似たような状態だが。
世界史の根幹とも言える宗教のうち、大御所も大御所の二つが最低でも大きく変質するか、下手すると消滅しうる。こんな展開、本物のSF小説でもやらんぞ。あまりにも危なすぎて。
だが、これは紛れもない現実だ。なんとかしないと未来の世界そのものが危うい。現実逃避してる場合じゃない。
アイーシャ夫人の暴走をなんとか食い止めつつ、最大限速やかに過去の世界から帰還するんだ。それが俺のやるべきことだ。
ニコニコと微笑むアイーシャ夫人を見つつも、俺は新たな決意を固めるのだった。